9話 エジン公爵
「恐れていた事態になりました」
「対処しなければ、いずれこうなるとは予想していたが、このタイミングでか……まずいな」
アイの言葉に、ウルシャは辛そうに頷いた。
なんだろう? いったい何があったんだろう?
ワクワクしたとか思ってごめんなさい、と考えて、できる限りそういう気持ちを抑え気味にして、神妙な感じでふたりに近づいて話を聞く。
「公爵閣下は反乱分子によっておそらく……」
「助かる可能性は低い、と見ていいだろう。閣下を裏切ったのは衛兵隊だな?」
「はい。それは間違いないかと」
ウルシャの返答に、アイは悲痛な面持ちで目を閉じる。
自動車を見た時は年相応に無邪気な笑顔だったのに、長きにわたる疲労が重なって皺を刻んだような、苦労を重ねた中年女性のように見えた。
「閣下は最後まで、下の者たちを信じようとしていた。為政者には向かない優しい人だった。平和な時代ならば、最良の名君になっただろうな」
「……平和な時代ならば、です」
「甘い考えなのはわかる。だが、そのために我々も救われた。そのことを忘れてはならぬ」
「わかっています。ですから今こそ、その恩を返すべきです」
「…………」
ウルシャの進言(なのかな?)に、アイは背を向けた。
その内容はわからないが、ウルシャの言っていることをアイは嫌がっているのだろう。
そして俺は、ふたりが一体何のことを話しているのかわからない。
まったくわからないのだが、深刻そう過ぎて、「なになに? 教えて」とか言えない。
『ハイエース』しそうになったり、そのせいで若干不信の目で見られた直後では、聞けない。
それにもし聞いたとして、公爵閣下とか、反乱とか、平和な時代とか、恩を返すとか、不穏な言葉の数々から醸し出す話題のでかさに、ついていけないだろうと思う。
俺にできることもなさそうだし。
こういう時は、考えないに限る。というわけで、彼女たちから離れてハイエースへと近づき、車体を見る。
見るからに普通のワゴン車だ。
後ろの扉を開けると、そこはがらんどう。
レンタルする時にそういうのを借りた記憶がある。
ここに引っ越し用の荷物を入れようと思っていたので、余計なものはいらぬと。
シンプルなものを借りてしまった。
こんなことになるなら、もっといい車を借りておくべきだった。
「でもまさか、事故って借りた車ごと異世界転生とか、想像もつかないよな」
自分で言ってて、非現実過ぎて笑う。
異世界転生してもいいように過ごす日常ってなんだよ。
もう何が起こっても、これほどのことはなさそうだなぁ。
「あっ!?」
そして、あるひとつの問題に気づいた。
これって自動車なんだから……
とか考えていると、アイが近づいてきた。
「イセ。急用ができた」
「さっき話してた、公爵領で反乱ってことと関係ある?」
「ああ。だから悪いが、ここで待てるか?」
「え? 待つ? いやいやいや、無理だよ」
こんなところでひとりで? 何もないぞ。
ハイエースしかない。あるだけマシか。
雨風は防げるが、それだけで何もない。
「かといって、おぬしのことを皆に説明して、預けていくのは……あ、そうか」
アイは、はたと気づいてハイエースの方を見る。何を言い出すのか予想できた。
「おぬしの力、貸してくれ」
「わかった」
ここは即答で行く。
「だが、さっき話してたことが、さっぱりわからない。かいつまんで教えてくれ」
「む。アイは説明下手だがいいか? ウルシャも、流石に異世界人に教えるのは無理だぞ」
「だいたいでいいから。わからないことがあったら俺から質問する。この世界のこと、何も知らないから常識的なことすらわからんと思うが、それでいいか?」
「いいぞ。でもどこから話そうか……」
「まずは、その反乱のことを教えてくれ。力を貸してくれっていうのは、そこに関わるんだろ?」
アイが話したことをまとめるとこんな感じだ。
エジン公爵というこの国の貴族の中で、最も位の高い公爵がいて、アイたちの支援をしてくれていた。
(アイたちというのは、AI機関という稀代の魔法使いアイを中心にしての魔法研究機関、というのは表の顔で、裏の顔は世界を裏から守る秘密結社とのこと……なんだかカッコいいので、こっちの質問をたくさんしたいが、アイが話したいことではなさそうなので、ぐっと我慢した)
その公爵領で、謀反が起こった。
反乱を起こしたのは、衛兵隊という公爵直轄の近衛。
アイたちは事前に彼らの裏切りを察知していたが、公爵御本人は彼らを信じていたため、対応が遅れたらしい。
そして、反乱が起こって、公爵領は今、混乱の只中と。
「それで、俺に貸して欲しい力っていうのは、ハイエースだよな」
「そうだ。アイたちはエジン公爵領へ行かねばならない。おぬしの自動車ならば、相当速く行けるのではないか?」
「エジン公爵領ってここからどれくらい?」
「歩きで……3日くらいかな」
「アイ様、兵士たちならば2日でいけます。馬なら乗り継いで1日です」
1日で人が歩いて休んでって考えると、せいぜい50kmくらいが限度かな? って考えるとだいたい100km先か。
自動車のスピードは、舗装されていない道路なわけだから、出せて時速30kmくらいか。
となると……多く見積もって……
「……エジン公爵領ってところまで4~5時間くらいで着けるはず」
「なっ!? そんなに……」
「え、もっと速くないとだめ?」
「いや違う。そんなに速く行けるのかって驚いている。そんなに速いのか?」
「多分」
舗装道路無しって考えているので、むしろ遅いのだが……まあ、自動車のない世界ではそんなもんか。
これが現代知識でチートってやつか?
「イセ、頼む。おぬしのその『力』、貸してくれ」
アイは俺の手を掴んで必死に頼んでくる。
その行為を止めそうなウルシャも、止めに入ることなく見守っている。
アイに『力』を貸す。
この決断は、おそらく俺にとって重要なものだろうというのは、わかっている。
異世界人が、もらった『力』でこの世界に大きく関わるのだ。
アイが語っていることが本当なのか、俺には判断つかない。
だが、ここで動かなかったら、と考えると、その答えにだけはたどり着けなかった。
「わかった。アイたちを運ぶよ」
「そうか! 助かるぞ!!」
アイは嬉しそうに掴んだ手をぶんぶんと振る。
さっき見た深刻そうな顔が、また少女の笑顔に戻る。
いいことをした、と信じたい。
「でも、ひとつ問題があるんだ」
「問題? それは?」
「イセ。お前の命を奪うのは保留にしているから、大丈夫だぞ」
ウルシャの言葉に、ぎょっとしてしまう。
それ大丈夫って言わない。
でもって、俺が言いたい問題はそれじゃない。
「こいつ、借りたばっかりだからガソリン満タンなんだが……使い切ると補充しないといけないんだ」
「補充……ガソリン?」
「ああ。だからさ。この世界ってガソリンスタンドはある?」
大問題だった。




