プロローグ 異世界でHA
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
彼女は、自領の城下町をその足で走っていた。
群雄割拠の由緒ある公爵領の令嬢ということもあり、幼い頃から鍛えられ体力に関しては、彼女は自信があった。
彼女が学んだ、公爵令嬢として最低限の武芸というものが、実はレベルが高かったことは、衛兵や騎士たちの動きを見てわかった。
これが貴族と平民の差と、実際に見て知ることができていた。
だから身体能力には自信があったが、その自信は涙と共に流れ去った。
今、彼女は城下町を領主の館で過ごしている布の多い普段着で走っている。
スカートは足に絡みつき、激しく動くことで服がずれていくから押さえてないと脱げてしまう。
訓練している時と違う格好で体を動かすことが、ここまで手間取るとは思ってもみなかった。
このような状態で、全力で逃げている状況であることが、彼女にとって情けなかった。
どうしてこうなったのか、具体的にはわかっていなかった。
しかし、彼女の危機は目の前……ではなく、すぐ後ろまで近づいてきていた。
「あそこだ! 捕まえろ!!」
槍で武装した衛兵が、背後で叫んでいるのが聞こえる。
あそこというのは、彼女がいたところで、捕まる対象は彼女のことだ。
それを聞いて、彼女が緊張したのは、捕まったら終わりだからだ。
公爵領も終わりに近づくが、それ以上に彼女自身の一生が終わる。
もしかしたら、勢い余って命が奪われる可能性もあるのだ。
彼女はそう考えてしまう。何故なら彼女は見てしまったのだ。
公爵領の領主である彼女の父親が、衛兵隊の隊長である自らの部下に殺されるところを見てしまったのだ。
常軌を逸した行為に、彼女はすぐさま逃げ出した。
彼らに彼女にとっての常識は通用しない。
公爵領を乗っ取ろうとする企みがあり、公爵以下、皆でそうならないように動いていたが、まさか公爵の命を直接奪うとは考えられなかったからだ。
このような形で公爵領を奪ったとしても、他領の領主や現王や教会、それに『神器』と呼ばれる存在たちが、奪った者を領主として認めるはずがない。
そのことは常識だ。
だから、あの衛兵隊長の行為は非常識だ。
その非常識なことをやってのける彼らは、彼女が彼らを正面から非難したところでそれを聞くとは思えない。
故に彼女は逃げ出した。
普段から鍛えていたからここまで逃げてこられた。
だが、そろそろ限界が見え始めた。
彼女は貴族だ。
貴族はひとりで行動することなどありえない。常に付き人がいる。
いかに自分が誰かの補佐があって始めて立場を保っていられたのかがわかった。
だけど、無力感に苛まれている場合ではない。
彼女は気力を振り絞って走る。
必死に走り、走り抜いて、それでも後ろには衛兵たちが迫りつつある。
軽装の申し訳程度の防具という動きやすい格好は、今の彼女のような者を追って捕まえるには最適なのだろう。
あっという間に追いついてきて、もうすぐにでも手にした槍が届く。
槍に打たれるかもしれないという恐怖と戦いながら、彼女は走った。
諦めるわけにはいかない。
そう思い、走り続けた。
そしてあともう少しで捕まるというところまで追っ手が迫った来たその時、状況に大きな変化が起こった。
彼女が城下町の広場に出た時、鉄に覆われた馬車(?)が目の前に走って飛んで来て止まった。
慌てて立ち止まる彼女と、追っ手の衛兵たち。
これは何? という疑問が彼女と衛兵たちの頭の中に浮かぶ。
その一瞬の空白に、入り込んでくるさらなる変化があった。
馬車(?)の中から、屈強な体を持った鬼が3匹跳び出してきたのだ。
鬼たちのうち2匹は、彼女の背後に迫る衛兵たちを一瞬でくびり殺した。
迫っていたのは5人だが、鬼たちが丸太のような腕を2~3回振り回しただけで、絶命していく。
その光景は、彼女には見えなかった。
ただ、圧倒的な暴力が背後で振るわれているのはわかるくらいには、彼女は緊張感を維持していた。
そして――
「――ひっ!?」
1匹の鬼は、彼女の体をそっと、体のどこにも衝撃で傷めないように拘束してきた。
腕を押さえられ、口元を手で覆われ、悲鳴すらあげられない状況になった彼女。そこにさらに衛兵たちを殺した鬼の1匹が両足をそっと持ち上げる。
その頃には、馬車(?)の入り口へと連れ込まれ、余っていた鬼一匹がすばやく扉を閉めた。
馬車の中は、小さな部屋のような空間だった。
そこに寝転され、体を押さえつけられ、力を入れてもびくともしない状況になっている。
そして口を押さえつけられながら、彼女の着ていた服が一気に破かれ――
「ストップ!! マジでストップ!!」
一瞬で破かれそうになった服は、かろうじて無事だったが、彼女は鬼たちに押さえつけられながら気絶した。
きっと彼女は、自分は死んだと思っただろう。
…………
……
「ストップ!! マジでストップ!!」
鬼たちが令嬢の服を破こうとしたので、俺は慌てて止めた。
破ける前に、鬼たちは動きを止めた。
「ふ、ふぅ……助かった……しかし、危険過ぎるぞこれ……」
あやうく、鬼たちによるレ○プショーが始まるところだった。
だが、これが鬼たちの行動のテンプレートなのだ。通常行動なのだ。
ワゴン車の後部座席という荷台みたいな空間から跳び出した鬼3匹は、跳び出した先の美少女を捕まえて車内へ連れ込み、その屈強な肉体で力無き少女の体にひどいことをするための存在なのだ。
「よし、急ぐぞ。目的は果たした」
俺はワゴン車を走らせる。
まずはこの城下町を出て、そのままとんずらだ。
「公爵令嬢は救い出した。良かったな」
俺がやってみせた行動を、頑張って自画自賛してみるが、助手席に座った少女は少し顔が引きつっている。
「……すごいな」
「ああ。すごいぞ、これ」
同意してみせるが、俺は釈然としない。
「誘拐してレ○プする能力とか、最低すぎる」
「言うな! 使い方次第なんだよ!!」
「……そうかこれがハイエースか。聞くと冗談だが、見るとほんとひどいな」
「…………」
まったくその通り過ぎて、ぐぬぬと押し黙る俺。言いながらも唖然としている少女。
わかっている。
俺は、この異世界でやったことは、ハイエース。
俺、異世界でハイエースしました。