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侍女頭はアンズから報告を受けて、訝しげな顔をした。
報告をしたアンズは可哀想なくらい怯えていた。
「奥様が離縁状にサインをした?」
「はい、こちらに。子どもが産まれたら出すようにと言伝があります」
「すぐに大旦那様と大奥様にご連絡をして。旦那様には私から話をしておきます」
侍女頭はわがまま放題の瑠花を嫌ってはいるが、瑠花が離縁すればサンズ家の財政が傾くことくらいは理解していた。
使用人の数を減らす程度では太刀打ちできず、爵位を売って良くて伯爵家、悪ければ男爵家にまでなるだろう。
だから瑠花のわがままに苦言や小言を言っても最終的には従うしかなかった。
急ぎ当主のいる執務室に向かうと侍女頭はノックも無しに入った。
「旦那様、奥様が離縁状にサインをなさいました。この意味がお分かりですか?」
「いつもの脅しだろう。気にすることない」
「子どもが産まれたら提出するようにと言伝がございます」
「無視しろ」
「いいえ、それはなりません。奥様がご実家のイザード家に手紙を書けば無視したことがすぐに分かります」
一歩も引く様子の無い侍女頭に当主は溜め息を吐いて椅子に深く腰掛けた。
「僕にどうしろというんだ」
「今すぐに奥様に離縁状を破棄するようにおっしゃってください。瑠偉様」
「僕に頭を下げろというのか。あの女に! 死んでもごめんだ」
産まれてすぐに婚約者が決められて、両親からは瑠花の機嫌だけは損ねるなと口を酸っぱくして言われたことで反発心を持っていた。
それは幼い頃は教育係でもあった侍女頭も同じように言っていた。
「それでは大人しく離縁を受け入れて爵位をお売りになるのですね」
「それは困る。僕は侯爵家当主でいなくちゃいけないんだ。何とかしろ」
「何とかなさらなければいけないのは、ご当主である瑠偉様ですよ。しっかりなさってください」
「あぁすまない、マジョエラ」
実際のところ、瑠偉に当主として領地運営をする能力が不足しており、教育係だったマジョエラが補佐をするという状況だ。
マジョエラも領地運営に明るいわけでは無かったが、傾かせないためには必至だった。
そのことからマジョエラにとって執務室は自分の仕事場という認識があり、ノックをするのを忘れてしまっていた。
今回は、瑠花の今までと違う行動から扉を閉めることを忘れており、何となくついて来てしまったアンズに一部始終を聞かれていたことに気づいていなかった。
「サンズ家って火の車なの?」
独り言は誰にも聞かれることなく、アンズは真実を確かめるために瑠花のもとに急いだ。
一日中、癇癪を起している瑠花に聞こうと思ったのは魔が差したとしか言いようがないが、名前を呼んでもらったことから気持ちはだいぶ傾いていた。
「あの、奥様」
「何かしら? 夕飯の時刻には早いと思うのだけど」
「その、さっき、旦那様と侍女頭の話を聞いてしまって」
「何を?」
「侯爵家が火の車だって」
いろいろな会話を飛ばしてアンズは答えた。
言葉遣いも咎められるが動揺して素が出てしまっていた。
「そんなこと」
「そんなことって、奥様はご存じだったんですか?」
「ご存じも何も、わたくしは莫大な支度金と援助金のために婚約して結婚したのよ。産まれてすぐに決められたのだから、それ以外に理由は無いでしょう」
さも知っているように話しているが人物紹介で、サンズ家との結婚はイザード家の侯爵家の長い歴史と財力目当てと書かれていたことを脚色しただけだ。
わがまま放題なのもサンズ家の資金ではなく、実家からの資金だというのも大きいと今なら推測できる。
「だから大旦那様と大奥様は離縁を阻止しようとしていらっしゃるんですね」
「貴女、その言葉は胸に仕舞っておきなさいよ」
「しっ失礼しました」
知ってしまった事が大きすぎてアンズは処理しきれていなかった。
だからと言って他に相談できる相手はいない。
「あの、奥様」
「何かしら?」
「奥様が出ていかれたら私はクビでしょうか?」
「どうして?」
こんな会話はしてはいけないのかも知れないが、瑠花にとっては情報が得られるから有意義だった。
「私は奥様が嫁がれた三ヶ月前からですので、一番の新参者ですのでクビになるかと思いまして」
「クビになったら一緒に実家に連れて帰ってあげてもいいわよ」
「ホントですか!? 良かった。弟と妹がいるのでクビになったらどうしようかと思いました」
働き先が確保されているということでアンズは胸を撫で下ろした。
嫁いだのが三ヶ月前なら初夜で身籠り、妊娠二ヶ月と言うところだ。