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さっきの侍女がアンズという名前なのは分かった。
あとは何とかして味方になってもらえるように働きかける。
手っ取り早いのは出世だが、あの侍女長がいる限りは難しい。
「奥様、なぜここにいらっしゃるのですか? 部屋で大人しくしていてくださいと申し上げました」
「えぇ聞いたわ。それで? わたくしが部屋で大人しくしますと答えたかしら?」
「押し問答をしているのではございません」
「奇遇だわ。わたくしもそうよ。ただ気分転換をしたいだけなの。帰る場所のないわたくしを哀れに思うなら庭に出るくらい許して欲しいものだわ」
様子を見に行けば部屋にいないから急いでこちらに来た侍女頭は怒りのままに瑠花を叱責したが最後に泣き落としのようなことを言われて矛を収めた。
わがままなのは婚約者であったころから変わらないが、婚約者として顔合わせをしたときはまだ大人しかった。
猫を被っていると言えばそれまでだが、婚約者によく見られたいという思いはあったらしい。
それが無くなり、わがままを言うようになった原因のひとつとしては夫にもある。
いくら政略結婚でも歩み寄ることは大切だが、それを放棄した。
気を引くための手段をわがまましか知らない瑠花はエスカレートしたというだけのことだ。
単純なことではあったが最初が悪かった。
「ご夕食の時間になりましたら、お呼びします。それまでここを動かれませんように」
「えぇ大人しくしているわ」
侍女頭がいなくなると瑠花は雑誌を読むふりをしながら現状をまた整理する。
「今、妊娠しているのは第一子、つまりは長男、名前は黎」
ゲームの中の瑠花は長男を産むと、男ということで興味を無くし関わりを最低限にしてしまう。
子どもを産んでも、わがままなのは変わらず、跡取りとして教育を受けた長男からは嫌われてしまう。
「たしか攻略対象者ではないけど、妹に国外追放を言い渡す役よね」
よく悪役令嬢の兄は攻略対象者であることが多く、早々にヒロインと仲良くなったりもする。
よく心の闇を晴らすと言うが、単純にわがままな妹を持って大変ですねと慰めれば良いから攻略としては簡単かもしれない。
「名付け親ランキング?」
産まれた子が長男なら父方の祖父が、長女なら母方の祖母が、次男なら母方の祖父が、次女なら父方の祖母が付ける。
それ以降は男なら父親が、女なら母親が付けるというのが一般的だ。
ごくまれに教会から洗礼を受けて名を付けてもらうこともあるが、少数だ。
「つまり名前に関しては自由が無いってこと?」
自分が産む子が悪役令嬢になる可能性が高いからゲームとは違う名前を付けたいが、今の状況では、それすらもわがままとして捉えられかねない。
「よくあるのは子どもを産んで心を入れ替えたパターンだけど、都合良いわよね」
意外と暇つぶしになる雑誌を読んでいると廊下が騒がしくなった。
大股で歩く音は侍女たちではあり得なかった。
「来たか」
雑誌を閉じて訪問者を待つ。
「瑠花! 何を考えている! いい加減にしろ!」
「大きな声を出さないでいただきたいわ。お腹の子が驚いてしまいます」
「お前が部屋にいれば済むことだろう! 何だ! この天幕は!?」
「日除けですわ」
「わがままもいい加減にしろ! 子どもを産んだら出ていけ!」
「さようですか。分かりました」
いつもなら出ていけと言えば、鼻で笑いながら、お義父様とお義母様にご連絡しますわね、と返す。
そして瑠花の実家の後ろ盾と財力を失うことを恐れて、瑠花を引き留めにかかる。
これも悪循環になっていた。
「わたくしもいい加減、疲れましたの。誰か離縁状を用意してちょうだい」
「なっ」
「ご心配なく、子どもはそちらにお預けしますわ」
「っ勝手にしろ!」
来た時と同じように騒がしく出て行った。
か細い声で瑠花に呼びかけるのはアンズだった。
「奥様」
「あぁ離縁状ね」
「本当に離縁されるのですか?」
「そうね、その方が旦那様も安心なさるでしょう」
離縁状は通常は男の方からしか書けないが瑠花の実家の権力が上のため逆転していた。
そのことが分かっているから瑠花は離縁という言葉を餌に義父母に縋っていた。
「こちらを子どもが産まれたら出してちょうだい、アンズ」
「はい、あっ私の名前」
「アンズで合っているわよね」
「はい、奥様」
この家に嫁いでから初めて侍女の名前を呼んだことになる瑠花はアンズという侍女を味方につけた。
この調子で侍女頭も味方にしたいが手強そうだった。




