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 イザード家の応接室では、ひじ掛けに肘を置いて、手の甲に顎を乗せた不機嫌な寿衣が、右手の人差し指で規則的にひじ掛けを叩いていた。

 向かいには居心地が悪そうに小さくなった瑠花が上目遣いに様子を確認している。


「・・・で、うっかり絆されて、うっかり仲直りして、うっかり一夜を共にして、うっかり子どもができたということですね?」


「いや、まぁ、その、はい」


「はぁ、何を考えているんだか。言いましたよね? 跡継ぎ問題で揉めるから貴族は年子の子どもを嫌厭するって」


「はい」


「はぁ、できてしまったものは仕方ありませんよ。黎のときとは違い、うっかり両想いになって、うっかり燃え上がって、一応愛し合って出来た子ですからね」


 落ち着いたら寿衣には顔を見て話すと言っていたが、それよりも先に妊娠が分かってしまい。

寿衣の逆鱗に触れてしまったという状況だ。


「それでね、予定日がね、本来の誕生日は夏なんだけど、秋になりそうなの」


「まぁ少しだけ未来が変わる可能性があるということですね。でも早く産まれる子は五万といますからね。安心はできません」


「あと・・・」


「まだ何かあるんですか?」


「お母様が・・・」


「実母と会ったんですか?」


「ううん、手紙だけ、女の子が産まれたら吏奈にしてねって」


 瑠花が<落ち人>になったことで少しだけ関係が改善されたようだった。

子育ての知識がない瑠偉は今では子煩悩と言われるほど育児書を読み漁っている。

瑠花も妊娠していても体形を維持する方法ということでサロンに引っ張りだこだ。


 白真珠の販売も順調で、少しずつではあるがサンズ家に今まで受けた資金を返済している。

契約不履行だった山は、乳白色の石が瑠花の知識では岩塩だったため再度、適正価格で契約した。


「・・・色々と順調そうで何よりですよ。姉上?」


「はぃ」


「ただ、この調子で年子の次男を作らないように慎重に、慎重を重ねて行動してくださいね?」


「はい」


 寿衣の説教は終わり、瑠花は出産までイザード家に戻らずにサンズ家で過ごした。

瑠花が歩くだけで瑠偉は狂気とも言えるほど慌てるが、以前とは違い怒鳴ることはない。


「瑠花」


「どうしたの?」


「えっと、岩塩なんだけど、採掘に目途が立ったんだ」


「それは良かったわ。あとは販売ね」


「そうなんだけど、商人たちが我先にと買い付けに現場に来ていて、採掘に支障が出てきている。どうしたら良いかな?」


 この国では塩は海辺近くの町でしか売っていないから山から採れるなら新しい販路になる。

情勢に目ざとい商人なら喉から手が出るほど欲しい。


「そうね。ならサンズ家が承認した商会だけに卸せば良いのでは? たしか一つだけ昔から店舗を構えている商会があったわよね?」


「あぁ、ブシュシュルテ商会だ」


「そこにだけ岩塩の仲介とサンズ領での販売を許可するの。それなら今、現場にいる商人はサンズ領に来るわ。移動している商会はサンズ領では売ることができないから他に行くわ」


「それは反発が来ないか?」


「来るでしょうね。でも岩塩の採掘が遅れて販売量を確保できない方が損失が大きいわ」


 瑠花の提案に考える瑠偉は、当主としての自覚と他者の意見を吟味できるようになった。

こうやって領地運営について相談する機会も増えて、使用人たちからの評価も変わった。


「だけど、一つだけというのは、どうだろう?」


「なら、サンズ領に店舗を構えた商会なら申請できるようにすればどう? 年に一度、適正に仲介と販売をしているか監査すれば不正もかなりのところで防げるでしょうから」


「ほう」


「ただ、領地に宿がほとんどないでしょう?」


「あぁ」


「そこはイザード領の宿と提携するのも一つの手だと思うの。今から宿を立てて経営してくれる人がいないから」


 岩塩の買い付けとなると多くの商会が出入りする。

遠方からの商会もいるだろうが、サンズ領には宿がほとんどない。

ここでイザード領の宿を利用するのは名案とも言えた。


「そうだな。義父上に協力してもらえないか手紙を書こう」


「そうね」


 まだ財政は火の車だが、少しずつ上向いて、子どもたちの代では借金は無くなるのではないかと思われた。

事実、岩塩は安定的な収入を見せ、商人の出入りにより税収も向上した。

金銭面では問題はなかった。


 問題があったのは、瑠偉だった。

今までは侯爵家でありながら貧乏だというのは社交界の周知の事実だったため見向きもされなかったが、瑠花が第二子を妊娠していると知った令嬢たちからアプローチがあった。

控えめなものから過激なものまで幅広く、最初は断っていた瑠偉も何度も声がかかれば悪くないと気持ちが傾いた。


「瑠花様」


「シャムリート、瑠偉は今宵はどのお宅に行っているのかしら?」


「さる伯爵家夫人の家でございます」


「ちょっと甘い顔を見せたら、すぐ付け上がるんだから」


「女性に言い寄られるのも男の甲斐性と言いますし、据え膳食わぬは男の恥とも申します。どうか幅広いお心でお過ごしください」


「まるで私が幅広くない心を持っているようね」


 季節が過ぎて、予定日の秋になって吏奈と名付けられる女の子が産まれた。

出産当日になっても瑠偉はどこか違う女性の家に行っており、瑠花は恨み言を呟きながら産んだ。

代わりにということで寿衣が産んだあとの瑠花を労い、使用人たちへの指示をした。


「お疲れ様です、姉上」


「ありがとう」


「可愛らしい女の子でしたよ」


「そう」


「大役を果たした姉上を疲れさすのは本意ではないのですが、瑠偉義兄さんはちょっと絞めた方がいいですよ。物理的に」


「考えとくわ、寿衣」


 陣痛が丸三日あり、体が睡眠を欲していた。

起きたらしなければいけないことを考えながら泥のように眠る。


 目が覚めたときにカーテンから漏れる陽の光で朝だということは分かる。

そして、ベッドの脇で瑠偉が正座をして、手には折りたたまれた紙を持っていた。

寝起きの働かない頭でも、これから起きることは予想できた。


「瑠花、すまない。許してくれ」


「・・・寝起きに大きな声は頭に響きますわ」


「あぁすまない」


「それで、その紙は何ですの?」


「あの、許してもらえなかったら離縁しようと思って」


 寿衣に言われた通りに物理的に絞めようと思ったが、疲れた体では腕が上手く動かなかった。

謝罪のたびに土下座と離縁状を見ることになる未来に確信を持ちながら瑠花は静かに口を開く。


「喉が、乾きましたわ」


「水だな! すぐ持ってくる」


 碌でもない男に惚れた自分に嫌気が差しながら別れられない。

あの捨てないで欲しいという目を見たら何度でも全てを許してしまう。

そして、寿衣に何度も呆れられるのだろう。

廊下で水を溢して焦る瑠偉の声を聴きながら瑠花は、もう一度眠った。


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