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両親が止めるのも聞かずに契約書に書かれた領地の名前を頼りに地図を広げた。
そこは、周りを山で囲まれて馬車が通れず、人が通るのがやっとの僻地だった。
「こんなところを買って・・・・・・終わりだ」
「何が終わりなのですか?」
「シャムリート! どうして・・・」
「色々と引き継ぎ書類の作成のために今週は、いますよ」
思わず助けて欲しいと縋りついてしまいそうになる。
何も言わない瑠偉に焦れて契約書と地図を見比べる。
契約書のサインの名前で何があったのかは検討がついた。
「どうされるおつもりで?」
「どうって、もう爵位を売るしかないじゃないか」
「その覚悟があるなら死ぬ気で瑠花様に頭を下げてみては? あの方は当主教育を受けた方ですよ。何か知恵があるかもしれませんし、爵位を売ったところで明日食べるパンの手に入れ方を知らない貴方では三日で餓死が相場ですよ」
「お前、口が悪いな」
「おっと、口が滑りました」
どんなことがあっても瑠花に頭を下げるなど死んでもしないと意地を張っていた。
だが、それでは自分だけでなく領民まで路頭に迷うことになる。
爵位を売れば、それを買った誰かが領主になる。
下位の爵位ならちょっと金のある商人で買えた。
だが、侯爵家ともなると買い手がつくまで時間がかかる。
「まずは、父上と母上だな」
「あと、初めて見ましたけど、執事もですよ」
「そうか。そうだな」
両親には急なことで取り乱したと謝罪し、日を改めて話をしたいということを伝えた。
快く受け入れてカントリーハウスに戻り、二週間後に来ることを約束した。
執事は残ろうとしたが、すでに執事は別に雇っているから必要ないとして両親と一緒に返す。
シャムリートも話を合わせる。
「・・・動物園の虎のように部屋の中を歩き回るのを止めてはどうですか?」
「どうぶつえん?」
「ある公爵家が作った珍しい動物の展示会場ですよ。そんなことはどうでもいいのですよ。さっさと手紙でも書いて瑠花様に約束を取り付けてください。うっとうしい」
「何て書けば良いんだ! 謝罪か? 死んでもごめんだ」
「・・・・・・・・・とにかく、時間がないんです。明日の午前中に会いたいと書いてください」
「分かった」
時候の挨拶も何もかもを無視したシャムリートが言ったことだけを書いた手紙を用意した。
封をする前にシャムリートはこっそりと用向きを書いた手紙を入れた。
「・・・・・・だから歩き回るなと言っているだろう!」
「これが歩き回らずにいられるか!」
「反省なら猿でもできるんです。いいから仕事をしなさい、仕事を」
シャムリートの厳しい監視のもと仕事を進め、気を失うようにして眠った。
勢いで書いた離縁状は書類に不備があり、王城より差し戻された。
いわく、寿衣=イザードという貴族はいないため証人として不採用という一言とともに。
「・・・えっと、忘れ物はないよな」
「・・・・・・」
「・・・シャムリート、髪の毛は跳ねてないよな?」
「・・・・・・えぇ」
「あぁえっと、あと何を持って行くんだっけ?」
デートに行く前の緊張の仕方にシャムリートは呆れかえり、首根っこを掴むと無言で馬車に押し込んだ。
階段の手すりに括り付けるという暴挙に比べれば可愛いものだ。
門前払いをされることなく瑠偉は応接室に通された。
すでに瑠花は中で待っており、寿衣も同席している。
用件を話すでもなく、出されたお茶を何度も飲む姿は滑稽でもあった。
「・・・それで用向きはなんですの?」
「これだ」
差し出された契約書を寿衣が代わりに受け取り内容を検める。
有り得ない契約年数と金額とサインを見て、寿衣は溜め息を吐いた。
続いて見た瑠花も同じように溜め息を吐いた。
時間が経ち、貴族令嬢としての過去の記憶も定着してきており、今では不自由なく過ごせる。
「ずいぶんと破格の契約ですわね」
「この金額を支払うとなると爵位を売っても足りませんね」
「それで?」
「しゃ、シャムリート」
「ご自分で説明なさってくださいよ。まぁ今回だけは助けてあげましょう」
シャムリートを名目をつけてサンズ家に送ったのは瑠花だが、そのやりとりを見て瑠偉が少しだけ可哀想に思えた。
だが、存外上手くいっているのだろう。
「こちらが、その山で採れる石です。加工しても透明感は出ず、道端の石よりは綺麗という石が採れる山を買わされたのです。何か活用方法があればご教授いただきたいというのが、サンズ家当主の意向でございます」
「シャムリート?」
「簡単に申し上げるならば、助けて欲しい」
「・・・・・・・・・いいわ。助けてあげましょう」
「姉上?」
乳白色の石を玩びながら瑠花は答えた。
その言葉に瑠偉は輝くような笑顔を見せた。
瑠花がサンズ家に戻ることが決まったが、瑠偉がやることがあると言ったため戻る日は来月になった。
それまでの間に瑠花は乳白色の石の使い道を考えることになった。
来た時とは違い、踊り出しそうなくらいに陽気な瑠偉を見送ってから瑠花は深く溜め息を吐いた。
「姉上」
「なぁに?」
「ああいうのが好みなんですね?」
「何が?」
「あぁいう自分では何もできないような、それでいて思わず手を差し伸べたくなる母性本能を擽るダメ男が好みなんですね?」
「それは・・・」
否定できなかった。
捨てられた子犬のような目を向けられて理性を総動員したのは事実だ。
ここに寿衣とシャムリートが同席していなければ、思う存分、愛でただろう。
「だって仕方ないじゃない。あんな目で見られて、我慢した私を褒めて欲しいくらいだわ!」
「はいはい」
「はい、は一回!」
「はーい」
これ以上、言い募っても揶揄われるだけと分かり、瑠花はお茶を飲んで誤魔化した。
掌を返した瑠偉の態度に都合が良いと思わなくもないが、おそらくは、あれが元来の性格なのだ。
それを当主であろうとしたため歪になり、瑠花という自分よりできる存在に嫉妬したというところだ。
ここまで変わったのには理由があった。
瑠花の我が儘に毎日のように付き合ってきたサンズ家の使用人は瑠偉の言動に盲目的に肯定の意を示していた。
それが侍女頭の不正を長きに渡って見逃していたり、そのあとも金策に苦労している姿を見て、瑠花の我が儘より問題があるというのが最近の使用人からの評価だ。
同じ家にいて気づかないほど無能ではないから己を見つめ直す時間ができた。




