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泣いている侍女らしき女性と身なりのいい婦人は目立ってしまう。
予定を変更して瑠花はアンズと執事のベンジャミンを連れて馬車に戻った。
本当はイザード家領地で夜にだけ出すサンドイッチを食べに来たのだが、込み入った話だろうとベンジャミンが買いに行くことになった。
「・・・うぅすみません、奥様」
「いいわよ。それよりもどうしてイザード家領地に? その荷物も」
「奥様が家出をして、一週間も経つのに旦那様はまるで奥様が居ても居なくても変わらない様子でしたので、侍女頭に旦那様から奥様を迎えに行っていただけるようにと、お話したんです。そしたらクビだと言われてしまいまして、それで奥様の言葉を思い出して来てしまったんです」
「なるほどねぇ。それにしても家出って」
「へっ? あっ、すみません」
泣いて色々と理性が飛んでいるのだろう。
普通は里帰りというところを家出と言い切った。
アンズのそういうところが瑠花は気に入っていた。
「良いわよ。雇ってあげる」
「本当ですか!?」
「嘘は言わないわよ。小さい弟と妹がいるんでしょ?」
「はい!」
会話が聞こえていたわけではないだろうが、ちょうどいいタイミングでベンジャミンが馬車の扉を叩いた。
バスケットには二人分のサンドイッチが入っている。
「瑠花お嬢様」
「何かしら?」
「ご所望でいらした生ハムとチーズのサンドイッチが売り切れでございましたので、エビとアボカドのサンドイッチにいたしました」
「ありがとう」
馬車はゆっくりとイザード家の屋敷に向かった。
さっきまでは感情のまま洗いざらい話していたが、いざ冷静になると急に恥ずかしさが込み上げてくる。
「ねぇベンジャミン」
「何でしょう、瑠花お嬢様」
「アンズを雇って欲しいのだけど、問題あるかしら?」
「使用人の雇用については奥様に権限がございます。推薦状を持っているのでしたら問題はないかと存じます」
推薦状というところにアンズは肩を竦ませた。
瑠花も話を聞いて推薦状を持っているはずないと分かっているし、アンズが着の身着のまま来たというのも分かっている。
それでもこのまま捨て置くのは寝覚めが悪い。
「推薦状が無くても雇うことはできない?」
「できなくはありませんが、本人の資質に問題ありと言われている侍女を雇う家はございません」
「推薦状があればいいのよね?」
「はい」
「それは私の推薦状でもいける?」
「瑠花=サンズの名前でしたら推薦状として問題なく、むしろ十分すぎるくらいのものでございます」
「良かったわね、アンズ。働けるわよ」
昔から瑠花を見ているベンジャミンはわがままを言う姿に惑わされずに瑠花の本質を理解していた。
そんな瑠花が何か問題がありそうな侍女を雇おうとしているのには訳があるとして黙って従う。
表には出さないがベンジャミンは瑠花がイザード家当主に相応しいという思いを捨てていない。
「ありがとうございます。奥様」
「本日は瑠花お嬢様のお客様としてお迎えさせていただきます。明日以降、仕事につきまして侍女頭のエルディナに引き継ぎます」
「手間をかけるわね」
「とんでもございません」
瑠花の部屋の近くに部屋が用意されてアンズは夢を見ている気分で眠りに就いた。
目覚めはいいとは言えないが路頭に迷わなくて済んだことに気が抜けていた。
すぐに働くということになるのかと思えば、一週間は瑠花の話し相手でいいと言われる。
「奥様」
「どうしたの? アンズ」
「私このままでいいのでしょうか? 何か掃除とかした方がいいと思うんです」
「それよりも弟さんと妹さんの家は決まったの?」
「はい、ベンジャミンさんが家賃も安くて綺麗な家を探してくれました」
アンズがイザード家の領地で働くのなら弟と妹をサンズ家の領地に置いておく必要はない。
すぐに引っ越しの手続きが取られ、アンズが働いている間に面倒を見てくれる世話役も整えた。
アンズの母は子どもたちを置いて男と出て行ったらしい。
その男というのが貴族の四男らしく、庶民と結婚するよりは良い暮らしができると簡単に出て行った。
「いきなり引っ越すことになったのだから二人の様子でも見て来たら?」
「でも」
「知らない土地で心細いかもしれないわよ?」
「ちょっと、お昼を一緒にして来てもいいですか?」
「えぇ」
瑠花はいつ旦那である瑠偉が迎えに来てもいいように屋敷からは滅多に出ない。
昨日、出歩いたのは、有名だと知ったサンドイッチをどうしても食べたかったからだ。
外出についてはベンジャミンをお供にするのなら好きにしていいという許可が獅己から下りたからだ。
もちろん妊婦が出歩かないというのは常識として知っている。
だが、妊婦として常識外れなことをすれば瑠偉の耳に入るのではないかという思惑があってのことだ。
「・・・自分にとって都合の悪い侍女はクビとか、どんな横暴なのよ」
瑠偉が迎えに来るどころか手紙すら届かない。
瑠花が離縁することによる経済的損失への危機感がまったくない。
このまま迎えに来なかったら本当に離縁して、誰が別の人を紹介してもらってもいいかもしれない。
そうすれば悪役令嬢になる娘、吏奈は産まれないからサンズ家は没落しない。
経済的状況で爵位を下げることになるかもしれないが、命は助かるだろう。
「旦那も厄介だけど、兄の燈埜も厄介よね」
ゲームの中では名前だけが紹介されているようなモブキャラであるから好感度を上げるようなイベントはないし、事前知識もない。
養子に出されている弟の寿衣に関しては状況を冷静に判断できるだけの能力があったから友好関係を築けた。
その点、燈埜は瑠花に警戒心を持ち、いつ自分の立場を奪われるか戦々恐々としている。
今更、そんな気はないと言っても信じてもらえないだろう。
「余計なことをしなければいいけど」
そんな瑠花の不安は的中し、燈埜は独断でサンズ家に手紙を出した。
幸いにも典型的な貴族であったために、手紙を出すと言うのは執事に預けると同意義だったため未然に防がれた。
手紙はすぐに獅己の下に渡り、燈埜は呼び出される。
なぜ呼び出されたのか分かっていない燈埜は、優雅にお茶を飲んでいた。
「燈埜」
「はい、父上」
「この手紙は何だ?」
「どうして? これはベンジャミンに出すようにと渡した物。ベンジャミンめ、仕事を放棄したな」
ベンジャミンでなくとも、特に親しいわけでもない妹の旦那に、今の段階で手紙を出せば何かあると当主の判断を仰ぐのは分かり切っている。
そこに思い至らないところが侯爵家当主となるのに足りないところで、他家に婿入りできない大きな理由だった。
「一体、何を知らせようとした?」
「一刻も早く瑠花を迎えに来るようにと書いただけです。嫁いだくせに実家に出戻りとか、イザード家の財産が惜しくなったに違いありません。きっと当主の座を虎視眈々と狙っているんですよ。まったく忌々しい女狐め」
「それで、その女狐を当主である私に相談もなく家から出そうとしたのは、どういう理由だ?」
「言ったではありませんか。あの女狐は当主の座を狙っているのですよ。父上が危ないと思って私は微力ながら尽力しようと思ったんです」
妹を堂々と女狐と言い切り、当主の座を脅かす存在だとして排除しようとしたと、はっきりと言った。
このやり取りは瑠花がサンズ家に嫁ぐことが決まっていると分かっているときから続いている。
自分は正しいと思っているから手に負えない。




