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瑠花が家出をした頃のサンズ家では大騒ぎになっていた。
妊婦が出歩くなど考えられないため見張りも甘く、そして、瑠花のわがままに巻き込まれたくない侍女は瑠花のいる場所から離れていた。
唯一の侍女アンズは瑠花からのお使いのため席を外している。
家の中ならわがままでも許されたが妊婦が出歩いたとなるとサンズ家にとっては醜聞ものだ。
すぐに当主である瑠偉に知らされ、瑠花の捜索が行われた。
でも瑠花の外出先など嫁いでから三ヶ月では熟知しているはずもなく、家の周囲を見回る程度になる。
そこへイザード家の者から瑠花を預かっているという手紙が届いた。
「どういうことだ?」
「おそらく瑠偉様を試していらっしゃるのだと思います。今まで先代方に離婚を仄めかしても瑠偉様から引き留めるお言葉がなかったので別の手を考えられたのだと」
「つまり、私に迎えに来いと暗に言っているのだな」
「僭越ながら、そう推察いたします」
実家への家出は確かに瑠花の思惑通りにことは運んだ。
だが、瑠偉には瑠花への愛情は皆無であり、わがまま放題の瑠花を嫌っている侍女長では上手くいかない。
瑠花の所在が分かったため捜索は打ち切り、瑠花がいなくなる前と同じ通常通りになった。
「いくらイザード家から援助を受けていてもサンズ家に嫁いだ以上は旦那様である瑠偉様に従うのが妻の務めでございます。迎えに行くなど努々なさらないよう伏してお願いいたします」
「・・・分かっている。子どもが産まれたらすぐに離縁届を出してくれ。子どもはサンズ家の子だから連れて帰る」
「それがよろしゅうございます」
侍女長の言う通りに瑠偉は瑠花を迎えに行かなかった。
侍女たちはついに離縁まで秒読みだと噂し、その理由は料理長が野菜の料理を用意したからだというのが有力だった。
だが、それは瑠花自身が用意しろと言ったもので、文句も言わずに食べていた。
むしろ肉だけを用意していたときよりも量を食べている。
わがままを言いつける瑠花がいなくなり嬉しそうにしている侍女が多い中、アンズだけは浮かない顔をしていた。
最近は瑠花の世話だけだったため、日々の仕事がないのだ。
本当に離縁したらサンズ家を辞めて、イザード家に行こうと本気で考えていた。
「はぁ」
「なぁに?溜め息なんて吐いちゃって。わがまま奥様から解放されたんだから喜びなさいよ、アンズ」
「うん」
「でも、何でまた家出なのかな?」
「旦那様に振り向いて欲しいから?」
「・・・・・・ぷっ、ないない! 絶対にない!」
アンズの仕事仲間はすぐに否定したが、アンズは間違っていないと思っていた。
ある日突然ではあるが、理不尽なことで怒らなくなったし、わがままを言いながらも侍女の仕事を増やすようなことはほとんどない。
時間がかかりそうなことは事前に言うという配慮をするようになっていた。
騙されていると言えば、それまでだがアンズには騙されているとは思えなかった。
「・・・侍女頭」
「貴女はアンズね。何です?」
「その、奥様のことなんですけれども」
「貴女が気にすることはありません。持ち場に戻りなさい」
「ですが、奥様は旦那様に振り向いて欲しいのではないかと思います。出過ぎた真似をしているのは承知しています。どうか侍女頭から旦那様へ奥様を迎えに行っていただけるように申し伝えてはいただけないでしょうか。お願いします」
居ても立っても居られないアンズは侍女頭に進言した。
これは侍女の本分から逸脱していることも分かっているが、アンズにとっては瑠花はサンズ家の女主人だ。
戻って来て欲しいという思いが強い。
「はぁ、貴女はサンズ家に相応しい侍女ではないようですね。明日の夜には荷物を持って出て行きなさい。旦那様には暇乞いをしてきたと言っておきますから安心してちょうだい」
「えっ、明日の夜って」
「何をしているの? 早く荷物をまとめなさい。それとも図々しくも推薦状を書いてもらおうと思っているのかしら? 厚かましいとはこのことね」
取り付く島もないままアンズはクビを宣告された。
しかも推薦状を貰えないということは貴族の屋敷で働くには、不適合だと言われて貴族の侍女になることは絶望的だった。
さらに推薦状を持っていない侍女は屋敷で当主やその息子と体の関係を持ったか、屋敷の物を盗んだ者くらいで庶民の酒場とかでも働けない。
行き着くところは娼館くらいしか残っていない。
「どうしてよっ」
泣きながら服を鞄に詰める。
このまま居座れば不当滞在者として捕まってしまう。
屋敷を出る以外に道はなかった。
確かに行き過ぎた行為だと自覚はある。
それでも、このサンズ家のためと瑠花のためにと思って行動したが、理解はされなかった。
今のアンズの支えは、クビになったら実家に連れて行ってあげるという瑠花の言葉だけだ。
「瑠花様ぁ」
泣き疲れて眠ってしまっていて、目が覚めたのは昼近くになってのことだった。
誰も起こしに来なかったということはアンズの解雇は侍女頭から伝わっているのだろう。
毎日、顔を合わせていたのに誰も心配もしてくれない。
数か月しか勤めていないため持っている荷物も少ないが、それでも少しは愛着というものがあった。
誰にも挨拶することなく裏口から出る。
「どうやって行こう」
解雇が決まったのが昨日で給料日は一週間前だったから財布には入っている。
だけど隣の領地まで馬車を使えるほどではない。
使ってしまえば明日から路頭に迷ってしまう。
瑠花に雇ってもらえれば良いが、そうでないなら打つ手はない。
急に不安になり馬車を使わずに歩く。
「瑠花様に会えなかったらどうしよう」
主人のお使いという様子でもないアンズは周りから奇異の目で見られていた。
本人は明日をどうしようということで頭がいっぱいで頭が回っていない。
領地の行き来は簡単で特に手続きも必要ない。
サンズ家の領地を知らないうちに出ていたらしい。
周りを見ると少し趣の違う建物が並んでいる。
「あっ」
貴族の屋敷勤めの侍女は領地から出ることがないから主人の伴侶の領地であっても土地に明るくない。
身分を明かせれば案内所を使えるが今のアンズは無職であるから行っても門前払いだ。
起きてから何も食べずにいたから空腹を訴えていた。
「どこか、お店」
ちょうど夕食に近い時間帯でどこもいい匂いがしてくる。
庶民が利用するような店は領地が変わっても同じだろうから屋台を探そうと周りを見た。
その背中にアンズを呼びかける声があった。
「アンズ?」
「へっ? あっ、奥様」
「どうしたの? こんなところで? その荷物はどうしたの?」
「おくさまぁ」
我慢していた全てが涙となって流れ出た。
大声を上げて瑠花にしがみつくと子どものように泣いた。
アンズのおかしい様子に瑠花は焦りながらも背中を優しく撫でる。
二人は気づいていないが、瑠花に従っている執事が溜め息を吐いていた。




