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14.笑う、嗤う

 館の中へ突入したイブロ達はソルの耳を頼りに扉を一つ、二つ……とくぐり、三つ目の扉を抜ける。

 そこは大広間になっていた。元は鮮やかな赤色だっただろうカーペットはどす黒く染まり、奥には玉座が置かれている。部屋の隅にはほこりが積もりたい放題になっていて、窓は歪み蜘蛛の巣が張っていた。

 イブロたち侵入者を待っていたかのように玉座に座す長い黒髪の女が立ち上がると、おもむろに手を叩き始める。


「ようこそ、(わらわ)の館へ。歓迎しない侵入者よ」


 女は首を振ると、ウェーブのかかった髪が彼女の頭の動きに合わせて乱れに乱れる。女は足先まで裾がある黒いドレスを見にまとい、手には大粒の宝石がついた指輪をいくつも装着していた。

 歳の頃は三十歳を過ぎた頃だろうか。歳の割には深窓の令嬢といった儚い印象を与える顔貌をしているが、目だけはらんらんと光り病的な青白い肌が不気味さを醸し出している。


「チハルとパメラをどこにやった?」


 イブロは怒りの丈をこの女にぶつけた。

 

「あらあら、お盛んなこと」

「お嬢様を掠ったのは貴女ですか?」


 まるで取り合おうとしない女へ今度はクロエが感情のこもらない声で問いかける。


――アハハハハハ!

 女の狂笑が部屋に鳴り響く、耳にべとりと張り付くような不快感を煽る声で。

 手を叩く、首を振るう。髪を乱し、女はさぞ嬉しそうに犬歯が妙に伸びた歯を見せて笑う。

 

 こいつとは会話は不可能だな。イブロはギュッと拳を握りしめるとソルに目を向ける。

 どこだ? どこにチハルはいる? イブロの思いをすぐに察したソルは玉座の奥に見える右側の扉を鼻先で示した。

 

「クロエ」


 イブロが呼びかけると、クロエもまたイブロの意図を理解しコクリと頷きを返しメガネを中指で上げる。

 

 こいつとは取り合わない。イブロは警戒しつつも一歩前へ踏み出した。

 対する女は何が愉快なのか頭が床に付きそうなほど前傾姿勢になったかと思うと、ぐるんと背をそらし髪を振り乱す。


「ご自由にあそばせ。アハハハハ」

 

 女は首だけをそらしイブロ達へ目を向けると、目がぐるんと回り白目をむく。

 イブロ達は警戒しつつも、躍りかかってくる様子がないこの女を無視して奥の扉に手をかける。

 

「もっとも……アハハハハ」


 彼らが扉をくぐっても、背後から女の狂ったような笑い声が止むことは無かった。

 

 ◆◆◆

 

 奥の部屋はこれまでと様相が異なっていた。窓にはレースのついたカーテンがかかり、意匠を凝らした赤いレザーが張られた椅子が二脚置かれている。

 その椅子にチハルとパメラが腰かけていた。彼女らは揃って着替えさられており、白いカチューシャとブラウスに黒のメイド服を纏っている。

 しかし、パメラの目は濁り、どこか遠くを見つめたまま身動きしない。一方のチハルは目を閉じ、パメラと同じように膝の上に手を乗せたまま固まっている。

 

「お嬢様!」


 クロエが血相を変えて駆けよるも、パメラは反応を返さない。

 こいつは何かされたな……イブロはクロエのようにチハルの元へ行きたい衝動をグッと抑え背後を警戒する。

 あの女は、これを見せたいがために自分たちをここに通したのだ。イブロは悪趣味な女へ向け舌打ちをした。

 

「ソル、チハルを頼む」


 イブロはソルの首を撫で、彼をチハルの元へと走らせる。

 その時、イブロは背筋にゾクリとしたものを感じた。

 

「ざーんねんでしたあーー。お嬢様たちはあー帰りたくないみたいよおお」


 頭だけ扉から顔を出して、女はニタアアと(わら)う。

 イブロは踵を返し、女を無言で睨みつけた。

 

「そこのお。伯爵令嬢ちゃんはあ、あたしいいにいつかえたいんですってえええ。ねええ?」

「はい。御屋形様」


 パメラはスックと立ち上がると、両手でスカートをつまみ優雅に礼をする。


「貴女……お嬢様に何を?」


 クロエは表情を凍り付かせ、ゆらりと体を女へ向ける。彼は怒りの言葉を口にはしない。しかし、彼の背中からはまるで陽炎のように怒りが立ち込めているように感じられた。


「伯爵家もたいへんねえええ。(わらわ)からしたら、高貴な少女の血をすすれるなんてこの上ないことだけどねえええ」


 イブロは先ほど感じたことと同じことを改めて思い知った。そう、会話がまるで成り立たない。

 何をしたのか不明だが、パメラはこの女に操られていることは理解できる。と、そこまで考えが及んだことでイブロはハッとなり叫ぶ。

 

「クロエ! 危険だ!」

「パメラおじょうさまああああ、あたじのためにいい、さしてええええ、そしてすすらせてええええ」


 イブロの声と女の声が重なる。


「はい、御屋形様」


 パメラは太ももに装着していたナイフを握ると、躊躇することなく自分の手首へそれを振り下ろす。

 ズブリ……肉を切り裂くナイフ……溢れ出る鮮血。

 しかし、それはパメラのものではなかった。

 クロエだ。クロエの血だった。

 イブロの叫びに間一髪で反応したクロエがパメラの手首にナイフが突き刺さる寸前、自身の手を割り込ませたのだ。

 その結果、クロエの手のひらからナイフが貫通する。しかし、逆にそれを利用し彼はパメラからナイフを奪い取る。

 これで、パメラは丸腰となった。もう、自分を傷つけることはできない。

 

「男の血には興味ないわ」


 狂気を帯びた口調から急に素に戻った女は、嫌そうに首を振った。


「だからああああ、そっちの伯爵令嬢のメイドさんんんん。首をおとしてえええ」


 ぐるりと眼球を反転させ、女は狂ったように叫ぶ。

 今度はチハルへ女からの命令が飛んだ。

 

 チハルはパメラと同じように太ももからナイフを取り出す。

 

「チハル!」


 イブロは女に対する警戒も忘れて叫ぶ。

 こんなことで、こんなつまらない最期を迎えさせてなるものか。イブロは間に合えと祈りながら足を踏み出す。

 

 しかし、チハルはナイフを掲げたまま口元をニヤリと歪ませて呟く。

 

「イブロ、こんな時はどうすればいいの? わたし、自壊したくない」

「え?」


 驚くイブロへチハルは言葉を続ける。

 

「わたしには役目があるの。だから、ここで自壊はできないよ」

「チハル……操られてなかったのか?」

「うん? だってイブロ言ったよね。ちゃんと『真似』しろって。この表情も武器を持ったイブロの」


 俺ってそんな顔していたのか……思わず素に戻ってしまったイブロであったが、ブンブンと首を振りチハルの手を取った。


「ど、どういうことなの? 妾の接吻を受けて……」


 初めて狼狽する様子を見せる女。よろよろと後ずさり両手を頭にやると、乱暴に髪をかきむしる。


「クロエ、パメラを気絶させてくれ!」


 次の女の動きはきっと「激高」だ。思い通りに行かなかったことに対する怒りはどこに向かうか分からない。

 

「お嬢様、失礼します」


 クロエはパメラの首筋に手刀を当てると、彼女はくたりと気を失う。

 

――アハハハハハ、アハハハハ!

 あまりに強く頭に爪を立てたものだから、女の頭からは血が滴り落ちてくる。それにも構わず女は(わら)う。

 らんらんとした赤い目に涙を浮かべながら、叫ぶ。体を捻らせる。

 

「あたしいのおおお。ものおおお。そこの男どもおおお、何をしたあああ。やはり男はけがらわしいいい。だから、だからあああああ」


 ピタリと全ての動きを止める女。

 そして、突然膝立ちになったかと思うと、聖女のように両手を合わせ目を瞑り祈りを捧げる体勢を取る。

 

「滅ぼします。さようなら、さようなら。悪魔の子らよ」


 女はカッと目を見開きブツブツと呟くと、どこから取り出したのか手には身の丈ほどもある両手斧が握られていた。

 

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