3.福井県の事情
「ふ……ん……」
幸道ユキチは手にしていた紙をつまらなそうに放り投げた。
「あら~? パパ~?」
その投げられた紙を拾い上げた少女が、声を上げる。
「どうして投げちゃったの~? これ、招待状でしょ~」
「同盟会議のな。……つまらん」
「ふうん……?」
少女――ユキチの娘、幸道マドカ――は何気なく招待状を開き……目を見開く。
「パパ! これ、いつものと違うじゃない!」
「違うな。緊急会議だからな」
「そうじゃなくて……王生レンジさんが来るじゃない!」
マドカがカードの文面のある一節を指差す。
『石川県:三納タケヒコ・王生レンジ』
マドカから招待状を受け取ると、ユキチは再び文章を眺めた。
「……そうだな。先日の事件についての案件だからな。当事者だから呼んだんだろう。富山の妖怪ジジイがな」
「先日の……事件……?」
「石川県が横浜で新潟県とやりあった事件だよ」
「ああ……あれね」
富山のような諜報機関を使わずとも、その事件のことは、福井県の幸道親子の耳にすでに入っていた。
なぜなら――福井県は同じ原発推進の立場ながら新潟県のやり方には不快感を覚えており、その動向には常に目を光らせていたからだった。
福井県は工業地域として栄えており、特に眼鏡産業においては日本全国の90%以上のシェアを誇る。
その他、繊維工業や刃物産業の発展も目覚ましく、近年急激に軍事力を拡大している。
特筆すべきは、原子力発電所の存在だ。敦賀、美浜、大飯、高浜の県内四ヵ所に計八基の原子炉を有し、さらに二基追加することが決まっている。
それらは主に近畿地方に供給されており、北陸地方でありながら近畿や中国地方とも繋がりがあった。
それだけではない。有数の観光地である東尋坊、三方五湖には観光客が東からも西からも途絶えることはなく、越前ガニは有名ブランドとして全国規模の知名度を誇っている。
県民は福井県民であることに満足しており、他県の介入を好まない。
全国の会社社長の出身都道府県、第1位が福井県であることからもわかる通り、謙虚で控え目な人柄に見せながら、心のうちでは「決して他の軍門には下らない」「一国一城の主になる」という気質の人間が多い。
そして幸道ユキチも、その例に洩れず、秘めたる野心を抱えた、まごうことなき「福井の長」だった。
越前藩第16代藩主で、徳川将軍家の血を引く松平春嶽――彼の遠い血縁であることが自慢であり、ゆくゆくは日本の中央、すなわち福井からの全国制覇を目論んでいる。
マドカは、ユキチのたった一人の愛娘である。すでに妻を亡くしたユキチは、この19になる娘のマドカを大変可愛がっていた。
「王生レンジはこの事件の首謀者だ。富山の妖怪ジジイに目をつけられては、逃げることはできないだろうな」
「妖怪、ジジイ……」
マドカは父の座っている椅子の背もたれに自分も寄りかかりながら――背後から招待状を覗き込んだ。
「あら、パパ? でも、富山の出席者……女の人の名前よ? 安念……ユリって」
「妖怪ジジイは決して表には出てこん。もう一つの組織の長だ。だが……ん?」
ユキチは何かを確認するようにじっくりと招待状を眺めた。
「――ああ、そうだ。先代の妻、だったな。前の会議で会ったな……。そうか、シゲオは去年死んだんだったな」
「……ってことは、死んじゃった組織の長の奥さんてこと?」
「そうだ」
「なーんだ、ただのオバサンなのね~」
「とんでもない!」
ユキチが急に楽しそうに大声をあげたので、マドカはちょっとムッとしながらユキチを睨みつけた。
「なあに? パパ」
「先代の安念シゲオはな、何を思ったか三年前、四十も下の女を妻にしたんだ。今にして思えば、自分のあとを継がせるつもりだったんだろうなぁ……」
「ふーん」
マドカがつまらなそうに相槌を打つ。
「これが驚くほどイイ女でな。いや~、あのときばかりはワシもシゲオが羨ましくてなぁ……」
「……………………ちっ……これだから男は……」
「ん? マドカ、何か言ったか?」
「ううん? なーんにも?」
ユキチの問いかけに、マドカは天使の微笑みで返した。
「ねぇ、パパぁ。今度の会議、マドカも連れていって~?」
「ん? 何でだ?」
「マドカももうすぐハタチだし……パパのお仕事、よく知りたいの。それに……三納さんや王生さんと仲良くなれたら、かなり有利でしょう?」
「んー? そりゃそうだが……。そうだな、ワシの娘は世界一、可愛いからな。ヤツらもワシにこんな可愛い娘がいると知ったら驚くだろうな」
「やだ、パパったら~!」
マドカは嬉しそうにはしゃぐと、ユキチの首に抱きついた。
美浜原子力発電所の一角――人気のない倉庫に、三人の人影が現れた。
二人の屈強な男と、一人の小柄な少女。
男の一人が倉庫のカギを開けると、少女は軽くうなずき、ゆっくりと入っていった。
倉庫の隅では、何かが乱暴に転がされている。
――緑と茶色のまだら模様の肌の男だった。
「……こんばんは、新タントさん」
少女の問いかけにも、まだら男はぴくりとも反応しない。
彼の両手両足は、錆びた鉄の輪でガッチリと拘束されている。
「いい知らせがあるのよ」
「……」
「マドカね……今度、王生レンジに会いにいくの」
「……!」
男はガバッと起き上がった。その様子に、少女は満足げに頷いた。
部下に目配せし、噛ませていた猿ぐつわを外させる。
「うまくいったら……連れて来てあげるわね。ここに」
「や、めろ……!」
髪を振り乱し、男が低く呻いた。
「今度会う時は、俺があいつを殺す時だ! こんな状態じゃ……ない! さっさとこれを外せ!」
「だからぁ……」
少女は困ったように溜息をついた。
懐から、ビニール袋に入った玉をちらつかせる。
「コ、レ。デーモン・コアについて教えてくれれば、協力してあげるのに」
「――言うか!」
「もう……交渉決裂ね」
少女は溜息をつくと、くるりと男に背を向けた。
「じゃあ、やっぱりレンジさんと仲良くする方にしーようー……っと!」
「ぐっ……!」
「あ~あ、あなたはこれで、ただ晒し者になるだけねぇ~。カワイソーウ」
「う……う~! う~!」
少女の台詞と共に、ミチロには再び猿ぐつわが噛まされた。ミチロの唸り声だけが倉庫内に響く。
少女は振り返ることなく、扉から出ていった。部下がガチャリと、再び倉庫に鍵をかける。
「後はオバサンの出方次第……かなあ? きゃははっ」