第15章 決戦前夜
彼らにとっては長い年月に感じられていたかもしれないが、実はまだ三十分ぐらいしか経っていなかった。
しかし彼らの不安はますます増えるばかりであった。それに耐えられなくなったのか、ロッシュは呟くようにセレスに言った。
「グリスはちゃんと帰ってくるさ、あいつにはならない」
「わかってはいます。それでも不安なのです。私は未熟者です」
その光景をルードは微笑ましそうに見ていた。
それが癪に触ったのかロッシュは彼に掴みかかりそうな勢いで近づいた。
それに気がついたのか、彼はさらに微笑みながら優しく否定した。
「違いますよ、未来がああなるとわかっているのにあの子のことを心配して、信じている。そんなあの子が幸せものだと思っていたからですよ、私にはできなかったことです」
そんなことを言われてしまったせいか、ロッシュは何も言えなくなってしまい押し黙ってしまった。
それに対して何を思ったのか彼は話し出した。
「もしもあの子が辛い過去を見せられて、あいつのようになってしまったら、二人はどうする?」
「今度こそ止める、もう後悔はしたくないんだ」
「私も同じ意見です。二度と同じ過ちは繰り返さない」
その言葉を聞いて彼は心中であの子は幸せものだと呟いたのであった。
そうしてまた時間が経った、しかし今度は誰も何も言わなかった。
彼が目を開いた瞬間に見たものは色々な表情だった。
安心、不安、感嘆、喜び、そんな表情を見て、彼は帰ってきたのだと認識したのであった。
そんな彼に最初に近づいてきたのは、ルードだった。
「見つけたんだね、答えを……」
グリスは軽く頷いた、その動作に満足したのか彼は一歩後ろに下がった。
「……どういう方法なんですか」
「僕の魔力をこの国の人々のエネルギーにしました」
その問いに彼ら二人はため息をついた。
「やっぱり、そうやるだろうと思っていたよ」
彼はため息をつきながら、グリスに何かを渡した。それは暖かい光だった。
「お前が選ぶならそうするだろうと思っていたからな、準備していたんだよ」
「私たちの魔力の一部を特別な方法でまとめて貴方に渡せるようにした物です、これで多少は楽になるはずです」
それを受け取り、自身に取り込んだ時、あの少年の言葉を理解した彼の心は満ち足りていた。
「セレス姫、ロッシュ、ありがとう」
「いや、これを選ぶ可能性を教えてくれたのはルードだよ」
「きっと君ならそうすると思ってね」
そう言う彼の目はとても優しく、グリスはなぜか懐かしくて安心した。
「さあ、力はそろった。明日にでも行こう、リアンゲール城に」
ロッシュが意気込むと、彼の言葉に釘を刺す形で聞き覚えのある声が聞こえた。
「それだけじゃダメだ、あいつは倒せない」
この声が聞こえた時、ロッシュとグリスは剣をかまえた。
そしてその後ろにいるのは彼らが想像した通りの人物、仮面の男だった。
「やはりお前は仮面の……」
「ああ、その通りだ」
「なぜ、お前がここに来たんだよ、邪魔立てする気か」
「いや違う、情報を提供しに来たのだ」
その話し方に殺気を感じなかったので二人はとりあえず剣をおろした。
「どういう意味ですか?」
「言葉の通りだ、ロキはエテルノセノクと契約して力を手に入れ、不死身となっているのだ」
その言葉の真意に気づくまで少しだけ時間がかかったのか、しばらくの間、動作が止まった。
そして再び口を開いたのはロッシュだった。
「それが本当だとしたら、あいつ、何でそんなことを……何か、何か方法はないのかよ」
「あの聖剣は、どこまでも私たちの邪魔をするのね」
彼らはこの世の終わりのような表情を浮かべ、膝を地面につけた。
しかしグリスだけは力強い表情を浮かべながら、その場に立っていた。
「……聖剣エテルノセノクに契約解除をしてもらおう」
「そんなことが、できるのですか?」
グリスは頭を軽く振った。
「確証はもちろんないよ。でも彼と同じ存在である僕ならどうにかできるかもしれない、そういうことができるかもしれないから、僕が呼ばれたんだと思う、もしダメでも……」
グリスは続く言葉は言えなかった。
二人に口を押えられてさえぎられたからである。
「言わせないぞ、そんな言葉」
「みんなで彼を元に戻して帰りましょう、帰るべき場所へ」
その言葉にルードは悲しく微笑んだが、誰も気がつくことはなかった。
そしてルードは彼らに言葉をかけた。
「さあ、今日はこの場所で泊まって明日の決戦に備えてください」
そう言って彼は素早く歩き出し、時計台の中の誰もいない廊下を歩きながら、みんなを部屋に案内した。
それから彼はロッシュの方を向いて少し言いにくそうにしていたが口を開いた。
「ロッシュ、君は確かお医者さんだったよね、看てもらいたい人がいるのだけどいいかい? 僕には医学の心得がなくてね」
その言葉にロッシュは二つ返事で引き受けた。
そのことに安堵したのか少しだけ頬を緩めると彼はロッシュをその場所に案内した。
グリスも何か手伝おうと考えて後に続いた。
彼が案内した部屋のベッドにいたのはまったく生気を感じない人だった。
だがロッシュには別の衝撃が襲っていた。
そこに横たわっていたのはノルンだったからである。
「どうしてここにいるんだよ、いや、それよりも病気が再発している」
また会えた安心感よりも再び病床に伏せていることに驚きを隠せずに、彼は少しうろたえてしまった。
そんな彼にグリスは深呼吸をするように促した。
彼はそれを実行して、少し落ちついた後にルードに彼女がここにいる理由を聞いた。
要約すると時計台の近くに倒れていたのだがルードには医学の知識がないのでまったく病状がわからずにとりあえずこの部屋に運んだということだけだった。
「それでどうだろう彼女は?」
「この病気は元々身体中が麻痺する病気なんだよ、だからこのまま放置していたら死んでしまう、しかも最悪なことに今は最終段階だ」
「特効薬とかないのかい?」
「あるにはあるが……あの苔は今ここにはないし……今から取りに戻っていたら間に合わないかもしれない」
ロッシュは悔しさのあまり唇を噛み締めた。
そしてグリスはそこで思い出す、自分があの苔を持ってきていたことを、そのことに気がつき彼は震える手で、自身の持ち物を漁った。
しばらくすると目的の物が見つかり、彼はその苔入れた小袋をロッシュに突きつけた。
「ロッシュ、これを使ってよ」
彼はグリスから小袋を受け取り、中を確認した時、彼の手は震えた。
「これはあの苔じゃないか、どうしたんだよ」
「なんかの特効薬になるなら少しでも持っていた方がいいかもと思って、持っていた小袋に入れておいたんだ」
彼はグリスの肩に手を置いて、小さくお礼を呟くと薬を調合するために走った。
それを見送るとルードは感心したように呟いた。
「君のおかげで一人救われたね」
「たまたまだよ、でもよかった……これでこの人は助かるよ」
その安心した表情にルードは微笑んでいたが、急に口を開いた。
「……一つ昔話しをしましょう。とある愚かな男の話をね」
その言葉にグリスは不思議そうな顔をしたが黙って聞いた。
「昔、とある男は親友と弟子を助けるために自分の存在を捨てることになり、そして妻子を国に置いていきました。その男は親友を助けるために原因となった過去をさかのぼることを決めていました。男はそんな魔法が使える人でした。そしてそれをすることで親友が救えると考えていたのです。しかし救おうとした親友を救えず、あげく魔法の対価として愛する妻子には会うことが出来なくなり、別の方法を探そうとしていたところにとある青年に親友を殺されて、彼は目的を失いました。さらに悪いことに彼の妻も亡くなっていたのです」
「それでその人はどうなったの?」
「どうにもなりませんでしたよ。ただ常に後悔と無気力に襲われて生活を送りました」
「どうして、妻子を置いてきたのですかね?」
「自分の身勝手に巻き込みたくなかったんです、でも今にして思えば一緒に逃げればよかった、僕は判断を間違えたんだ、そんな愚かな男の話しですよ」
その言葉に返す言葉が見つからなかったグリスは空を見つめたまま黙ってしまった。
その場は沈黙に包まれてしまった。
仮面の男はセレスのいる部屋の扉の前で神妙な顔をしたまま立っていた。
しかし意を決したのか扉をノックした。
その部屋からセレスは出てきたが少し警戒しながらだった。
「夜分に女性の部屋を尋ねるなんて紳士がやることではないですよ?」
「いや、すまない。君に言いたいことがあってね」
「……わかっています、貴方はお兄ちゃんでしょう?」
その言葉にはかなり刺があったが、彼はそんなことよりも、見抜かれていたことに驚いてしまった。
「まいったな、十年以上会ってないのにどうしてわかった?」
「兄妹だからです。でも、また会えてよかった」
その目には先ほどまでの刺々しさが多少残っていたが、涙を浮かべていた。
「……セティ、今までのこと、昔のことも含めて、ごめんな?」
「あの事件のことなら私に非がありますから謝らないでください。でも約束してください、もう二度と黙っていなくならないと」
その声はかなり感情を押し殺していたが、涙だけ押し殺せなかったのか床に落ちた。
「ああ、黙ってはいなくならないさ」
「それでここに来たということは、明日の決戦についてくる気ですね?」
「もちろんだ、僕にはあの国の王子として明日の決戦を見届けたいのだ。それにあいつが心配なんだ」
彼の目には強く鋭い光が宿っていたが、あいつと言った時にその光が弱々しくなった。
それに気がついた彼女は寂しそうに呟いた。
「彼のことがそんなに大切なんですね」
「彼は私にとってかけがえない人だよ、あの時、あの城で心を開けていた人はセティとヴァンだけだった。それは今も変わらない、いや変わった、もっと明確な言葉がある、僕は彼を愛している」
セレスはその言葉に複雑そうな表情を浮かべたが、何も言わずに彼の言葉を飲み込んだ。
そして様々な思いを抱えたまま、夜が明けた。
最初に目が覚めたのはグリスだった。彼の表情は覚悟を決めた顔だった。
彼は傍らに置いた剣を握り締めて、立ち上がり、彼は彼女のところにいるであろう彼のところへ向かった。
そして彼は予想どおり彼女の部屋にいた。その彼は椅子の上で爆睡していた。
「まったく、無茶をして……」
それを見て呆れてため息をつくと隣から声が聞こえた。
「こいつにそんなこと言わないでよ」
彼は彼女の目が覚めていたことに驚いた。
そして彼は少しためらいがちに彼女に話しかけた。
「よかった、目が覚めたんだね」
「まあ……ね。それとわたしは全部思い出した。わたしは彼に返しきれない気持ちがあったことを」
「よかった、それだけでロッシュは嬉しい気持ちになるはずだよ」
最初に対峙した時の棘はまったくなく、とても穏やかだった。
「ありがとう、貴方は優しい人ね。今日の戦い、ロッシュのことを頼むわ」
「君は何も言わないの?」
「今は言わないわ、無事に帰ってきてから今までのことを謝るわ。……そんなことを言うと貴方はわたしを酷い人だと思うわよね」
その言葉に覇気がなく、彼は何も言えなかった。
「でもこれはおまじないみたいなもの……無事に彼が帰ってくるようにとね。ねぇロッシュ?」
彼女は少しだけ笑うとロッシュの方を向いて同意を求めるように言った。
「ばれていたんだな」
「彼がこの部屋に来た時には起きたんでしょ?」
彼は笑いながらご名答、と元気よく言った。
それから彼は近くにある古代の医学書を手に取り、彼女の手を握った。
「今度はもっと早く帰ってくるから」
「約束……忘れないでよ、それと帰ってきたら言いたいことがいっぱいあるんだからね」
彼は頷くと、安心したのか彼女は眠った。
それを確認したロッシュは静かに手を離して立ち上がった。
「行こう、あそこに」
そして扉のノブに手をかけて扉を開けた。
彼の目には決意の炎を揺らめいていた。
しかしそんな彼の目を見たグリスは思わず、見せられたあの過去について彼に言いたいことがあった。
だから彼は重い口を開いた。
「ねぇ、ロッシュは僕が憎くはないの?」
問われた彼はいささか間の抜けた表情を浮かべた。
「何がだよ、グリス」
「とぼけないでよ、僕が君のお父さんを……」
「知ったのか……憎んでないと言ったら、嘘になるさ。でも復讐しようとは思わないさ、だってそれをしたって親父は帰ってくるわけじゃねぇから」
「それでもごめん、ロッシュ」
グリスはうつむいた、それに対して彼は何も言わずにグリスの前を歩いた。
時計台の広場に出ると、ルードとセレスたちが待っていた。
彼らの目も力強く燃えていた。
「みんな、そろったね」
グリスはその言葉に頷いたが、ロッシュだけは別で、仮面の男がいることについて異議を唱えた。
「彼は私たちと共に城に行きたいそうです。彼の大切な人がそこにいるはずだからと……」
このセレスの表情は真剣で彼はため息をつきながらこう言った。
「……わかったよ、同行は認めるよ、ただし妙な真似しやがったら、即、斬るからな」
「肝に命じておこう」
少しだけ険悪な雰囲気になりながらも彼は渋々同行を認めたのであった。
そして彼らはルードの方へ向き直る。
「……僕はここに残って番人を続ける。だが、君らにこれをあげよう」
そう言って彼が手渡しのはみずみずしい果実だった。
「これで魔力は回復できないけど、傷を治せるよ、傷が深くなったら使ってほしい」
「ありがとうございます」
彼らは懐にこの果実を入れた。
これがあるだけで傷が治るということが心強かった。
「こんなことしかできない、僕を許してくださいね」
彼はとても申しわけなさそうに呟いた。
それを見たグリスは一番辛いはずなのに彼を安心させるために笑顔でこう言った。
「大丈夫、僕たちが止めてみせるから」
他のみんなも頷き、同意した。
その言葉に行動に彼は微笑みながら手を振った。
「いってらっしゃい」
その彼のこの言葉に見送られて、彼らは決戦の地である、リアンゲール城へと向かった。
読んでいただきありがとうございます。