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秘境日和  作者: 戦夢
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二章後半

「受け取れるか今の槍!」

直後。後ろから大音量の獣の叫びがゼルに直撃し、それまで押し殺していただろう恐怖が若者の足腰から力を奪う。

(何とか足を止めれた、これで海に帰るはず。)

エグザムは壊れた人形の様にぎこちない走りですれ違うゼルに構わず、牙獣と同じ頭部に鰓を生やした大型害獣を見据える。

「で 何で陸にあれが居るんだ?」

水の抵抗を最小限に減らす為、凹凸が殆んど無い流線的な輪郭。顔の先端、人間なら鼻先が有るだろう場所に鉄の槍が深々と刺さっていて、暴れ魚は痛みに悲鳴を上げながら激しく首を左右に振り続けている。

「さぁ 僕も理由を知りたいよ」

地元では「水竜」とも呼ばれている大型害獣が夜の浜辺で踊る様は、調理前の活け魚と似ている。エグザムは興奮気味に呼吸を落ち着かせているゼルに経緯を聞く。

「あの岩向こうに漂着物と一緒に倒れてた 最初は死体かと思ったけど直ぐに動き出して慌てて逃げて来たわけ」

暴れ魚は水棲獣、基本魚類と同じで陸では生活出来ない。しかし目の前で()を抜こうと崖沿いの岩に頭をぶつけているのは、紛れもなく魚体に獣の頭を有す大きな上位獣だ。

「穴まで戻れ あいつの相手は俺がする」

エグザムはツルマキや長銃を選ばず両手に鉈を握り、来た場所へ戻って行くゼルの後ろ姿を確認した後、鉄の槍が折れる特徴的な音を聞いて再び暴れ魚と相対する。

(海に戻らないのなら、俺の血の渇きを癒す活け造りにしてやる。)

先程から生物が腐った臭いが周囲に漂って、何時も以上に因子の渇きを痛感したエグザム。心なしか両手に握る鉈が普段より若干重い。

(煩わしいが、こちらは大立ち回りが出来ない。あの時と似た様な幸運が来る可能性も無い。)

暴れ魚はエグザムを睨みながら後ろヒレを足代わりに直立し、そのままエグザムを周囲の砂浜ごと轢き潰そうと前転しながら転がって来た。

暴れ魚の全長は大塚蛇ほど長くない。しかし鮫と似た胴体を覆う微細な鱗の外皮は硬く、金属を研ぐ(やすり)を纏った害獣でもあるのだ。

「避けろ! かわせ!」

エグザムは咄嗟に海側へ倒れるように転がり、ゼルの叫び声を聞きながら巨大な水車よりでかい生物の荒業を目撃した。

(夜だけなら丘に上がっても体が乾かないらしい。あの(ひれ)、近くで見ると関節が二つ有る。)

暴れ魚は群青色の頭と翠の背中に大量の砂を付着させても足りないのか、団子状態から態勢を戻す為砂塵を吹かせながら砂浜に倒れた。

(やはり足の動きが鈍い。俺も長くは走れそうに無い。)

体を直立させながら重心を後ろ(ヒレ)に傾けて反転する暴れ魚。エグザムは砂塵の中へ走りながら、猫の様な身のこなし支える足を弱点と見た。

波が造り出した白い砂浜は大型害獣の肉弾攻撃で荒れ果て、今も大量の観光客を満足させる為の巨大な砂場へ変貌してゆく。

「早く穴に隠れろ! あいつに狙われても助けれないぞ!」

暴れ魚は巨大な水かきを広げ再び巨体を直立させる。エグザムは肉薄するのを諦め、耕された浜辺を逆走して直ぐに距離を離した。

一歩踏み出すだけで大量の土砂が掘り返される光景に驚いたのだろう。ゼルは月明かりが遮られて暗い岩場へ姿を消す。

(足場も悪い、上手くいくか解らん。本調子ではないといえ、飛び道具が通用しない獣がこれほど手強いとはな。)

巨大耕運()が砂を押し潰しながら迫って来る。エグザムは逃げず距離を縮める為自ら近付き、転がる暴れ魚に弧を描かせて波打際へ進路を選ばせた。

「危ない かわせ避けろ!」

目の前まで翠の背びれが近付いた瞬間右に側転し、足先の鉄爪が鮫肌と火花を散らして交差した。エグザムは態勢を整える前に両鉈を躊躇せず振り下ろし、想定どおり駒の軸の如く出っ張った後ろ鰭の水かきを切り裂く。

(軽い。外したのか?)

両腕には巨体との鍔迫(つばぜ)り合いを感じさせる程の衝撃が伝わららず、エグザムは浅瀬から聞こえた派手な波飛沫の音から目的を遂げたと判断した。

「大丈夫かエグザム!」

エグザムは走ってくるゼルの声を無視し、月明かりの浅瀬で穏やかな海面を無意味に揺らす暴れ魚を見る。

(成功したようだ、巨体のくせに大技を使うからだよ。)

振り下ろした鉈のどちらかが後ろ鰭の第二関節を砕いたようで、機能しなくなった左後ろ足が邪魔して立ち上がれずもがく暴れ魚。浅瀬を腹で擦りながら海に帰ろうとしているが、尾と鰭でどれ程水飛沫を飛ばしても前に進めていない。

「逃がすか」

エグザムも後を追って海に入り、股間まで海水に浸かりながら水飛沫と柔らかい砂を掻き分ける。

「離れろエグザム 幾ら亜人でも水かきに叩かれたら危ない!」

ゼルの声が浜辺から聞こえた。警告の内容は適切だったが、血の乾きで思考が不安定なエグザムには届かない。

獣特有の驚異的な体力で体をくねらせ続ける暴れ魚に鉈を突き立てようとしたエグザム。しかし荒い肌は見た目以上に硬く、人工石材の壁を相手にしているかの様だった。

「うっとおしい 大人しくしろ」

捕食者(エグザム)()を海へ捨て腰から二本の()を取り出した。

己に迫る死の気配に気付いた暴れ魚は体をいっそう激しく動かし捕食者を遠ざけようとするが、尾に刺した杭を踏み台にエグザムが己の背に手を掛けていて、時既に遅かった。

「腹減った あと少し」

暴れ魚程の大きさに成ると纏う外皮の硬度に関係無く、弾や矢が刺さっても致命傷となり難い。何故なら皮膚の下に分厚い脂肪や筋肉の層が重なっていて、内蔵や骨を砕ける筈のの飛翔威力が相殺されてしまうからだ。

死から逃れようとする暴れ魚。波打際で痛みにもがきながら体中に付着した砂を洗っている様にも見え、苦しむ重低音の叫び声は悲痛な思いと共に消えていった。

「おい まさかそのまま食うのか?」

ゼルの視線は、暴れ魚の頭部を口元に涎を垂らしながら開いているエグザムに釘付け。小波と肉を削ぎ落とす音は不和を強調していて、ゼルの平常心と好奇心を何度も揺さ振る。

「エグザム殿? 耳が聞こえないのか」

ゼルの目に映るエグザムは、今までの命の恩人とはまったく別の姿に見えた。夢遊病に取り憑かれ引退した探索者と同じく、理性を失った廃人に見られる非現実的な夢を追う姿に映ったのだ。

膝までが海に浸かっている状態で最後の力を振り絞り、半透明な頭骨の扉をこじ開けたエグザム。暴れ魚の後頭部から落ちそうな(ほど)尻の位置がずれたが、気にする素振りも無く伸ばした両手が大きな何かを掴んだ。

「エグザム それは亜人でも食えない 諦めて他を食え」

ゼルも腹まで海に浸かった状態で暴れ魚の頭まで近寄って来た。

探索者の探索具は基本的に防水性に優れているので、どれ程濡れようとも後でしっかり乾かせば問題無い。しかしゼルが所持する短銃は骨董品なのか、何時もは腰に巻いている帯銃を首から提げていた。

「駄目だ 手を離せ!」

ゼルは人間の腹ほどの大きさの脳みそへ齧り付こうとするエグザムを止める為、胸に脳を抱きしめて離さないエグザムごと海に引きずりこんだ。

「重い おいやめろ それを口にするうぷっ」

月明かりの下で海面に広がる獣の血が両者を赤く染める。ゼルは人には毒な赤い体液を誤飲してまで、頭以外沈んだエグザムを(かか)えながら浜辺へと運ぶのだった。


短銃。長銃を対人用に改造した銃が起源とされている。故に多くの種類が有り弾の大きさも全く違う。

害獣の狩猟を目的に製造された狩猟銃と違い、複数の弾を撃てるようには設計されておらず、必然的に装備している探索者の数は限られる。


「起きるんだエグザム」

肩を揺さぶられ、まどろみから強引に覚醒させられたエグザム。雲の切れ目から見える星々の絨毯を見上げながら上半身を起す。

(また眠っていたのか俺は)

体が気だるく自身がどの様な状況下に居るのか思い出そうとするエグザム。後ろから聞こえる焚き火の熱と音に気付き頭だけ振り返った。

「ゼルなのか ん? 何故隠れてないんだ 獣に襲われるぞ」

エグザムは目が覚める前の記憶がない事に気付き、ゼルが洞窟から浜辺に来た理由を問うた。

「ああ 潮が満ちて隠れられそうに無かった それよりも焚き火で体を乾かしたら」

流木が焼かれて水分がとぶ音が聞こえる。エグザムは自身の濡れた体から海と獣の血の匂いがする事にようやく気付く。

(血の渇きが先に表れたのか。ゼルになんと説明すればいいんだ。)

尻を軸に振り返り、エグザムは炎で照らされている各種探索具と二本の鉈を発見。そして疲労で気力が失せた穏やかな表情のゼルを視認した。

「ゼル 俺の体は特殊な亜人の血を受け継いでいる 獣の血や肉を定期的に摂取しないと一時的に自我を失ってしまう」

詫びや謝罪の意味を込めて言い訳を吐いたエグザムに対し、沈黙していたゼルは頷き応える。

「だから独りで探索していたのか 何だか納得してしまったよ」

単純に疲労が蓄積しているのか、エグザムを海へ引き摺り下ろした直後に溺れそうになり少量の(獣因子)を飲んでしまったのかは定かでは無い。しかし重い荷物と更に重いエグザムを介抱した結果、眠そうに焚き火を見つめるゼルが赤い炎の反対側に座っている事は確かだ。

「獣の匂い」

エグザムは周囲に僅かに残る血の匂いを嗅ぎつけ、波に洗われている大きな死骸へと視線を移す。

(殆んど因子が分解(腐った)してしまった後だな。数日分の食料の足しに成るだけマシだろう。)

焚き火で干されていた鉈の片方を砂から引き抜き、エグザムは急激に冷えた空気よりは暖かい海に再び入る。

「血が殆んど流れ出ている 何処か食えそうな場所は無いかな」

尾へ続く体表の真横に刺さったままの杭に足を掛け、腹まで海水に使っていた浅瀬から一息によじ登ったエグザム。鮫肌より荒く硬い背中は夜でもはっきり判る翠色のままで、一部隆起した背筋へと鉈を振りおろした。

深々と刺さった鉈を引き抜いた直後、噴水の如く地が噴き出てエグザムの顔を赤黒く染め上げた。

(なんだ、背中には脂肪の層が無いのか。最初から背筋をツルマキか長銃で狙ってれば、簡単に食えただろうに。)

一匹の獣が屍に跨りながら、鉈の傷口を広げて噴き出てくる獣因子を飲んでいる。砂漠で行き倒れた流浪の民が差し出された水をありがたそうに飲むのと違い、初めから理性を押し止める必要が無かったのだ。

「旨い この味が欲しかったんだ」

獣因子は血に多く含まれ、各器官に張り巡らされた血管によって性質()が異なる。心臓に近ければ毒素が薄い(さっぱり味)因子が流れ、遠ければその逆に濃い因子が流れている訳だ。

エグザムは保存用の獣肉を確保する事を忘れ、しばし獣の血に酔いしれながら私服の一時を味わった。巨大魚の背筋から血の気が失せて翠の色彩が薄れた頃、ようやく肉に獣因子が殆んど残っていない事に気付く。

「うっゲ はぁ飲み過ぎた 今度は何と言うべきか」

エグザムは真っ赤に染まった顔を後ろの浜辺(焚き火)へと向け、焚き火の番をしているだろうゼルをちら見する。

「なんだ寝ているのか 案外 無用心な奴だな」

そして食事の邪魔をする要素が一つ消えた事にほくそ笑む獣。まだ夜が明けるまで十分な時間が残っている事を知っていた。


獣因子。獣因子は摂取した毒素を分解し特殊な体細胞の生成や活性化を助長する成分を作り出す。故に保有個体は生息地(秘境)から離れる事が出来ず、特定の環境でしか生き永らえない。これは多くの秘境生物が害獣と見なされる最大の要素であり、失われた文明を受け継ぐ正統な継承生物の証とも言える。


十七日の日の出から行動を再開したエグザムとゼル。害獣との遭遇を避け時に隠れて獣をやり過ごしながら、正午を過ぎても遠方まで伸びる湾内の浜辺を西へ歩き続けていた。

「エグザム殿 まだ見付からないのか」

入り組んだ岩場沿いの砂浜は潮位次第で地形が変わり、流木や人工物が多く漂着した場所は抜け道として利用できた。

「此処にも連中の痕跡が無い どうしてだゼル?」

探索団「イナバの砦」が総力を上げて取り掛かっている筈の上陸掃討作戦だったのだが、予定地である筈の海岸各所の岩場に人影は無く、砂浜に半ばまで埋まった多くの瓦礫が更に多くの漂着物を抱え込んでいる在りのままの秘境のままだった。

「言ったでしょ 僕の役目は荷物運びと後方支援(雑務)の手伝い 野営地の正確な場所なんて聞いてません」

エグザムはかつて探索道として使われていた(海道)を支えていた柱を触る。

(駄目だ、向こう側も砂浜のままだ。せっかく海道の元終着点を見つけたのに、いったい何がどうなってるんだ?)

探索団と合流出来ないのは、既に先遣隊が獣の胃袋に収まってしまったからだと考えていたエグザム。しかし当初考えたカエデの陰謀を物語る証拠や痕跡は無く、断絶海岸東側の湾内を半分以上探索しても見つけれないまま時間だけが過ぎていた。

「仕方ない ここで一旦休んでから湾内西側の入り江を調べるぞ」

エグザムと同様、朽ちた廃材の丸太に座るゼル。砂浜や波打際の磯辺を幾度と無く渡り歩いたにも関わらず、今のところ疲弊して立ち止まることは無かった。

(若い人間の体力はよく判らん。歩いていたとは言え、今まで俺について来れたのは驚きだ。)

不運なのか幸いか、柱だけ残った海道跡は沖合いの廃墟通りへ続いている。柱だけと成っても道としての面影が残っていて、エグザムは廃材と朽ちた板の下でしばらく時を過ごす事にした。

(先遣隊が上陸地点を確保出来なければ作戦自体が頓挫するだろう。合同探索団の面目丸潰れだな。今頃バロン(代理人)達が忙しく裏工作を始めている筈、騒ぎに乗じて何処かに雲隠れするのも悪くない。)

海を背に海辺の林を警戒しながら己の生涯について考え始めた矢先、ゼルが何かに気付いたのか声を荒上げ倒れた支柱から立ち上がった。

「船だ 船がたくさんこっちに向かって来る 急いで煙を焚かないと」

エグザムは今にも倒れそうな橋桁だった支柱によじ登ろうとするゼルを無視し、隣の頑丈そうな橋脚へ廃材を踏み台にしながら駆け上がる。

(この辺りはあの遺跡群まで浅瀬だ。船が着岸可能な場所は無い筈。)

夏前とは思えない程快晴で暑い海岸地帯。海面が陽炎で揺れていて獣の遠視能力を以てしても、ゼルが叫んだ船らしき影を発見出来ない。

「遺跡と勘違いしたんだろ それらしい物なんて見えんぞ」

ゼルに対し身体異常の有無を聞こうと顔を右へそらした時、沖合いでは無く沿岸沿いの廃墟から黒煙を上げて接近する船団が目に映った。

「赤い布地に使者の花 間違い無く本隊を乗せた上陸艇だ」

何時の間にか真横で双眼鏡越しに西の海岸沿いを観察しているゼル。目線の位置から頭の高さまで一緒な只の人間がどうやって音も立てずに登って来たのか疑問に感じ、エグザムは狭くなった橋脚頂上部の反対側を見下ろそうとした。

「前に立たないでくださいエグザム殿 今船の数を数えている最中なんで」

エグザムは仕方なく錆だらけの鉄板に膝を突き、前倒姿勢で太い柱が倒れ掛かっている反対側を見下ろす。

(階段が在ったのか。俺みたいに跳びはねて登れる訳ないよな。)

エグザムは楽観的な気分で鉄板から足だけ垂らして座ると、ゼルに対し発煙体の準備を始めるよう命じた。

(漁民の木舟や浮き桟橋まで使って物資を運んで来たのか。オルガは噂どおり有名人で権力者なのだろうな。)

軍が使用する上陸艇や大型の水上双発機が、煙を吐き出しながら耳障りな音を海岸内へ轟かしている。大型導力機械類の合間を埋め尽くす大小の船団にも、満載を超えて過積載としか見えない程の積荷で埋まっており、獣の遠視で拡大された積荷達の表情は皆冴えてない。

「あれだけ騒がしいと害獣も迂闊に手出し出来ないでしょう しかしエグザム殿は僕が想像した以上の強運持ちですね」

屋台骨だけの階段を上がって来たゼルは、小枝の先端に括り付けた燃料棒に火を点け、隣のエグザムを気にせず燃盛る発炎筒を大きく左右に振り始めた。

「ゼル 上陸部隊()の大半はここまで進入出来ない 俺が船頭役をするからそれを貸せ」

エグザムがゼルから発炎筒を奪おうと強引に肩を掴んだ瞬間、それまで西から吹いていた風が突如止む。そして大量に発生する赤い煙が瞬く間に二人を包み、ゼルはその場から離れようと階段へ足を伸ばした。

(俺が踏むと崩れるだろう。なら、いま()るしかない。)

エグザムは後ろから圧し掛かる態勢で階段からゼルを踏み外させ、口封じの為にゼルの首へ手を伸ばしながら偽りの悲鳴を上げる。

「し下を見るな!」

錆びて何時折れても不思議でない足場は、犯人の思惑通り自重に耐えきれず折れた。

(すまないが俺の生態を知られたからには此処で死んでもらうぞ。)

真下の瓦礫へ衝突する前に驚いて硬くなったゼルに覆い被さったエグザム。

「うわっ くうぅ」

人間らしく苦しむ目撃者の頚椎を折って確実に殺害(口封じ)出来るよう両手で喉元を押さえ、自然の法則に身を委ねた。

そして腐った木材や廃材を砕き、漂着物が溜まって出来た天然のゴミ捨て場に落下した二人。同時に落下した筈の発炎筒が、赤い軌跡を大量に吐き出しながらも遅れて日陰の浜辺と接触する。

(細い体だがやけに筋肉が硬い 特殊な鍛え方でも習得していたのか?)

本来屋台骨は階段として設置された支柱ではないものの、偶然の出来事を装い不慮の死を偽装するのに最適な場所だった。

確実に人間を絶命させれるだけの衝撃をゼルの首に与えたエグザム。大量に付着した砂と朽ちた木屑を払いながら、同時に口も動かす。

「おい大丈夫か」

泥や汚れを払い背嚢や腹袋の位置を修正しながら口封じの成功を確信し、死亡確認の為に倒れ伏す背中へ手を伸ばそうとした。

「ええ何とか大丈夫ですエグザム様 何時撃たれるかと今まで警戒していましたが まさか直接手にかけようとするとは考えもしませんでした」

薄黄色の帽子が取れ更に露出した茶色の髪が砂で汚れていても、ゼルは気にせず立ち上がりながら喋りだした。

(こいつ人間ではない。まさか)

ゼルはだらしなく垂れ下がっていた頭を両手で挟むと、不自然な音を立てて頚骨を接合し直し、エグザムへ笑いながら殺害動機を代弁し始める。

「改めて自己紹介致します 私は感情の隙間に入り込み人間を操るのが得意な人工生命体(アンドロイド)にして代理人の一人 このたびエグザム様の探索活動を見張り思想を調査掌握する為に派遣されました どうでしたか今までの演技? 出生以外は全て事実ですよ 狩猟者と代理人活動を両立するのは難しかったですが おかげで飛竜の餌を演じる事が出来ました」

重い歯車が噛み合う様な音をたてて、両手で器用に首を直した代理人。一方で、全ての疑問に納得したエグザムもツルマキの足掛けと杭をそれぞれの手で握ろうとする。

「エグザム様が自身の生態を他人に知られる事を忌避するのは理解しています 私の役目はもう直ぐ終りますがエグザム様のお役目は終わっていません なので話を聞く前に私を殺しても 近い未来に別の代理人が貴方を追う事に成るでしょう」

エグザムは大きくなる機械の駆動音で聞こえ辛くなるゼルの話を聞く為、有無を言わせず真実と用件を求めた。

「神の園は秘境としての寿命を終えようとしています 生態系が乱れ特異な現象が現れたのは今から百年前 ある騒動を契機に異変が始まり先住部族と探索業界は共同でその異変を記録し続けてきました」

秘境の変。その単語を始めて聞いたエグザムは、向けていたツルマキを下ろす。

「当時の探索組合は生業が崩れる事を危惧し 隠れ里の代表は()()()()が役目を終えるだろうと言い残したそうです 我々は双方の調査を外側から支援し見返りに多くの秘境情報を収集しました」

黄色の布帽子を拾い上げ被り直したゼルだった人工生命体。容姿が変わらずとも口調や語呂は完全に別の存在である事を物語る。

「エグザム様の養育者でもある先代から何を聞かされたのかまでは知りません ただ記録によれば先代がこの地に遣わされた時 隠れ里の狩人と共同で異変解決に努めたそうです」

飽きるほど聞いた先代の昔話に、神の園での探索生活を想像させるだけの情報なら十分に有った。しかし記憶をどれほど思い返しても、白爺が隠れ里の亜人と行動を共にした話は無かった。

「結論を先に述べれば目的を完遂する事が出来ず失敗したそうです 詳細は現在も機密扱い なので当時の案件の殆んどは我々の間でも共有してません 一つだけお伝え出来るのは神の園の獣因子が 世界中の(因子)の始祖にあたる事だけです」

衝撃の事実を耳にしたエグザムは、別れ際に白爺が託した言葉を思い出す。


"ワシもそなたも秘境に生きる獣の一種 同族の血肉を糧に文明に仇なす敵を狩り 本懐を遂げるまで戦い続けなければ成らない その身に宿る獣の力はワシの全盛期を凌ぐ 不可能を可能にし多くの敵を殺め また数多(あまた)の道をもたらす事を忘れるな"


(白爺は俺が器である事を既に知っていたのか。それなら聖柩塔が求める特殊な因子は、間違いなく始祖獣の血になる。まさか本当に存在しているとはな。)

代理人は、同属同士で共有している情報から始祖を示す秘境内外の情報をエグザムに話し、バロンが洩らした機密情報を補完して信憑性を強めた。

「組織も総力を挙げて首飾りを染めた因子を調査しています 無論 調査地は神の園以外の秘境 収集した多くの情報を用い考証を重ねているのですが エグザム様へ反映されるのは随分後になってからだと」

蒸気を吐き出し炉の圧力を解放する音が聞こえ、密談中の会話が一瞬中断された。エグザムは瞬間的に耳穴を硬直させた後、代理人に本題を聞く。

()()()は俺に何を求めている?」

ゼルは赤い発炎筒を拾い、残り少ない燃料棒を砕いて煙を止める。当初の目的である誘導役としての役目を終えたからだ。

「ある計画を完遂する為の材料として死神の鎌を鍛えるのが目的 貴方の事ですよエグザム様」

様々な汽笛が大型客船のそれを上回り、廃墟と遺跡が水没した海岸線を埋め尽くした。波を攪拌しながら台船の様な上陸艇が多数砂浜へ迫っていて、密談をする二人の顔から表情が消えた。

「俺を家畜として扱えると本気で考えているのか 返答次第ではこの場でお前を射殺してから組織を狩る獣に成ってもいいんだぞ」

今度は弓を引く動作で弦巻に杭を装填するエグザム。強力な板バネと螺旋バネの張力を以てすれば、至近距離の標的に対し弦を固定位置まで絞らなくても有効威力を発揮するだろう。

射線が己の眉間を捉えていても不敵に笑うだけのゼル。一方のエグザムは相手が命と謳われる概念に乏しい存在である事を思い出し、眉をひそめながらも鋼線の弦を固定位置まで引いた。

(こいつ等はまるで人形だな。人や獣どころか、生物としての気配すら感じれない。何処かに穴を開けて傷口から内部を調べてやるか。)

匿秘事項により沈黙を貫くゼルへ一歩ずつ近付くエグザム。右腕にツルマキを持ち直し、握り手を握る人差し指を引き金に掛けた瞬間、頭上から時間切れを知らされる。

「そこまでです 狩猟者エグザム 武器を下ろしなさい」

さきほどまで自分達が立っていた橋桁の上を見上げる二人の狩猟者。特注と思しき迷彩柄の野戦服を着用した小柄な女性仕官の声に聞き覚えがあった。

(カエデか、逆光で瞳の色が黒く見えるが間違い。もう来たのか。)

エグザムは己へ向けられた回転式短銃の銃口を一瞥すると、ツルマキの射出溝から杭を外した。厚底の合成靴だけが濡れている隠れ里の代表も、エグザムがツルマキを畳んだのを見届け銃を銃帯に収める。

「予定より少し遅れまてしまいましたが そちらも上手く事を進めたようですね」

導力機関の駆動音に負けず高らかに発言したカエデ。二階建ての建物に迫る高さから軽やかに跳びはね、亜人の血を受け継ぐ身体能力を発揮し平然と砂浜に降り立った。

(時既に遅かったか。)

一方の二人は閉口したまま少女を見つめていたが、内心で似て非なる感想を愚痴っていたのは言うまでもない。


始祖獣。幻獣の一種として例題的に設けられた学術枠そのもの。故に該当する生物は存在せず、永遠の課題と目されている。


翌日の十八日、雨季が過ぎ夏へ移ろう青空。強い日差しが中天から緑の地表を照らしているが、様々な巨木や廃墟が乱立する屍の森にその明るさは無い。

古の時代に繁栄した超文明の廃墟は半分大地に沈んだ。大樹の根と苔むした倒木、そして残骸の屋根が蓄えた大量の落ち葉が今にも零れそうな断面を晒している。

ある意味「黄昏時」とも映る深い深い森に蠢く二つの影。アーチ状に露出した巨木の根をつたいながら、時折響く獣の鳴き声の主を警戒していた。

アーチ上の根を走る緑の探索者。合わせれば自らの体積の倍近く有る荷を纏い、現地生物の如く慣れた足取りで根の橋を渡り終えた。

(また何かの胞子が舞ってる。上は相当暑いらしい。)

最低でも五階建て以上の高さを誇る木の葉の天井から射す光柱を凝視するエグザム。薄汚れた部屋に光が差し込むと当然見える漂う誇りの如く、あらゆる生物の死骸を苗床に育つ菌糸の種子を発見した。

エグザムは入ってきた窓枠だった穴から腕だけ出し、小川の橋より長く高所に伸びた樹の根元へ合図を送る。

(しかし遺跡、いや廃墟の数が増えたな。あと少しで森の深部に入れる。)

毛皮の長手袋と手甲に巻かれた偽装用の包帯。血の赤ではなく緑に塗装され、沁みや汚れが独特の迷彩効果を発揮している片腕(合図)を確認し、もう一つの影が大樹の陰から根の橋に姿を現す。

先に渡ったエグザムより装備は明らかに軽装で、兵士に供給される野戦銃を担ぎ乱れぬ歩幅で走る茶色の探索者。狩猟者としてより本来の身体能力を発揮したゼルは、瞬く間に天井がない廃墟の屋上に辿り着いた。

「迂回しますかエグザム?」

背中から問いかけられた言葉に愚問だと返したエグザム。崩れた壁の隙間から舞い落ちる胞子を眺めて動かない。

「隣の廃墟から屋内伝いに直進する いいな」

エグザムは返答を聞かずに部屋を出ると、落ち葉を踏み締めながら別の根が差し込む部屋へ走る。文句どころか愚痴一つ喋らないゼルの正体を知っていれば、誰が見ても解り易く必然的な反応だろう。

(錬金生命体と白爺は言っていた。正体と思惑が何なのか、今は考えるだけ無意味だな。)

厚い革靴の底から、付着する落ち葉と腐葉土越しに固い人工石材の平面的な感触がする。(かかと)を使わず足先に全体重を乗せ走るエグザムにとって、長い年月を経ても土に還らない廃墟の建材は頼りに成る足場()だ。

「住居棟」。この単語は現在でも文明圏で使われている。字のとおり建築業界では当たり前に存在する用語だ。

「エグザム この辺りは住居棟密集地の外縁 私でも方位が判らなく成る」

音もなく背後に接近したゼルに驚きつつ、エグザムは侵入した根が成長して崩れた床を見下ろしながら思案した。

「解ってるがどの道でも獣との遭遇は避けれない この森でその銃を使うとすれば地下が妥当だろう 後は解るな」

決して振り返らぬエグザム。またも有無を言わせない口調で貴重な会話を終わらせ、三階建ての高さに張り巡らさせた巨木の(回廊)に飛び降りた。

(俺が後方の守りを誰かに任せる日が来るとは。仲間意識とやらを俺に植え付ける心算か、カエデ。)

木の枝を小動物が揺らしながら渡るのと違い、地上から見上げれば根なのか枝なのか判らない太い根を走って渡る人影。薄暗く濃淡が鮮明な世界が保護色として、大きさと言う概念が規格ごと違う環境に溶け込んでいる。

目指す地下への入り口は倒壊した四角い住居棟の一室に在るはず。先頭を走るエグザムは廃墟や地面から突き出た根の道を行き交いながらそう考えた。

乏しい事前情報と初見の目から見ても見間違わないほど、北東へ延びる大地の亀裂が鮮明に視界へ何度も映る。大陸南の大部族団を分断する大地溝帯ほどの規模は無い、ただ水の浸食が造った崖や谷よりは大きい。

「ここからあの出っ張りまで跳べるか?」

何かしらの要因で根元から折れて落ちた枝に立つ二人。二言だけ言葉を交わしつつ見下ろしているのは、人間なら間違いなく死ぬ高さの先に有る廃墟の一室だった。

「問題ありません どうせ折れても直せますので 先にどうぞ」

自らの手でへし折った首を直したゼルから、至極当たり前な返答を耳にしたエグザム。何も返答せず先に飛び降り、ツルマキを壊さないよう抱きしめる。

(展望通路で間違いない。昔の地面はもっと下に在ったのだろう。)

エグザムは両膝を限界まで曲げ、瞬間的に膨張した足の筋肉が衣服を内側から伸ばす感覚に眉をひそめた。

「腐葉土の下に瓦礫か?」

心臓が圧力を開放させて感じる倦怠感と脱力感。深く呼吸を繰り返しながら口元に巻いた手拭を手で抑えて、エグザムは舞い上がった粉塵と落ち葉やゼルが落ちて来るのを待とうとした。

(窓枠の残骸だろう。金属が残っているのはオドロ)

己が落下した時は接触せずに済んだ通路の天井枠を砕く音が響く。直感的に自身が緩衝材に成るだろう未来を予測したエグザムは、素早く右に体を(ひるがえ)す。

(この辺りの腐葉土は乾燥が激しい、何故だろうか。)

エグザムは再び宙を舞う落ち葉と土ぼこりを見上げ、何処からか屈折して届いた光が砂粒を輝かせる光景に唾を飲み込む。そして乾燥した原因に幾つかの推測をはじき出す。

異常(怪我)無し そちらは?」

暗い通路奥から、両手に抱えた高威力野戦銃の動作確認をしながら現れたゼル。エグザムとは違い、関節と胸部の保護部を除いて茶色基調の迷彩服に目立った汚れは無かった。

エグザムは腹袋の枠帯に挟んだガスマスクを取り出し、ゼルにも目で装着を促しながら口元の手拭をずらして装着。想定される屋内の状況を思い浮かべた。

「どうですこの保護板 最新式の試作品ですよ」

ゼルは光が屈折して一部七色に見えるガスマスクの目当てを自慢するも、安物の中古品で表情を隠すエグザムに無視されてしまう。

(菌や微生物が引き起こす枯死現象には耐性が無い。コレが壊れたらゼルから剥ぎ取ろう。)

呼吸器から出入りする空気が空気中に舞う塵芥を躍らせる。秘境でも数少ない壊死環境を行く事に成った二人は、そのまま無言のまま闇の入り口を潜った。


野戦銃。対人戦闘に特化した武装であり軍事製品。何れも規格化された弾層に収まった専用弾を射出する為に設計された物ばかり。

本来なら自衛具や探索具として探索者が所持する事は禁止されているが、中型以上の害獣に対する有効手段とは言えず、費用対効果の観点からも犬猿されている。


以前にも記したが秘境は害獣の楽園であり、同時に有害物質で汚染された危険地域でもある。故に棲む生物は限られ特定の因子を育む結果と成ったが、その影響は植物や菌類と微生物にまで及んでいる。単一面積において東大陸で最も広い神の園は、文字どおり蟲毒(こどく)の魔境なのだ。

「確かにこれだけ乾燥していれば枯死現象も発生するでしょうが 私の情報にそのような記録は有りません 単純に局地的な渇水現象と捉えれます」

エグザムが持つ照明具の反応液が、縦に続く階段孔の奥底に闇を浮き出させている。人工透過材の水晶板に映る光景が同じまま時間だけが過ぎてしまい、無言だった監視役の口を開かせる結果と成った。

「念には念を 疑うべきは罰する そして臆病風邪を拗らせろと俺は先代に教わった 自身が死ぬ場所に墓標は要らぬと煩かった奴にしては慎重だと思わないか?」

階段の二段先を下りるエグザムからの思わせぶりな返答により、ゼルの代理人(社畜)根性がくすぶられた。

「カエデ様の依頼を達成するのに十分な情報を提供したと判断しましたが まだ何かご不満でも?」

エグザムは冷たく乾いた空気と質問を質問で返されたことに少し苛立つ。咥内の粘膜が血を欲するかの如く乾きつつある状況で、暇つぶしにゼルで遊ぶ事にした。

「俺の立ち位置は政治的な係争や交渉に関わらない扱いと聞いた カエデが折角の機会だからと隠れ里への立ち入りを認めてくれたのは良いとして どうしてお前の護衛役まで付き合わなければ成らないのだ」

エグザムは背嚢の脇に差し込んだ書簡入れの小筒を指差す。

黒い撥水塗料が塗られた木製の筒の中には政治的な書類が入っているとだけ聞かされていたが、使者としての役目を帯びたゼルでは無く護衛役に持たせるカエデの意図は不明なままだった。

「私の口から言えるのは エウザム様のご想像のとおりとだけしか言えませんね 何しろ此処は秘境ですから」

組織と現地勢力の関係を幾度と無く疑問視してきたエグザム。当然、書簡の内容を強引に覗いてしまおうと考えもした。その度に、ゼルが抑止力として宛がわれたのではないかと考えてしまう。

「カエデが言っていた()()()の事か 秘境で育った俺が聞いても(にわか)に信じれない話だった」

エグザムに課せられたこの度の任務は、隠れ里代表の秘境外活動報告書及び組織(聖柩塔)の使者を隠れ里へ護送する事。偶然を装って大胆に接近して来た不審人物の正体が判明した直後の殺害未遂、そして衝突を制止させたカエデからの勅命。上司の命に従い広大な秘境を右往左往させられた事への説明も不十分なまま、物別れしてまだ一日しか経過していなかった。

「あの少女の肩書きが変わっても俺の上司は替わってない 俺を試すにしては間を空け過ぎだろう 何より今更頼られても俺が必ず従う保証は無い 向こうからしてみれば海岸で真実とやらを告げる必要など無いと思うが」

エグザムは後ろに追従しながら階段を下りるゼルに、返答を期待してないにも係わらず色々含んだ疑問をぶつけてみた。

「まぁ彼女はまだ若いですから将来が楽しみですね あ 無論貴方の将来も愉しみです」

四方を四つの柱に閉ざされ、ひたすら下へ続いているだけの螺旋階段。円柱の流線的な構造ではないものの、整然と統一された階段と手摺に経年劣化は見当たらない。また構造自体に欠損や欠落も無く誰が何の為に築いた昇降通路なのか、直接足を運びさえすれば一目瞭然だった。

(あの亀裂を渡る手段は断崖を降りるか地下道しかない おそらくこの高さから落せば不死と言えどバラバラに成るはず。)

顔から表情が消えたエグザムは押し黙り、左手にぶら下げた照明具へ右手を近づけ反応管を抜き取ろうとする。

「おっと失礼 (いささ)か口が滑りました 今は二人で秘境を満喫しましょう もしかしたらこの屍の森に例の因子持ちが居るかもしれませんね」

沈黙と言う獣の殺意を感じ取ったゼル。周囲が闇に包まれるのを阻止する為、エグザムから照明具を奪取し独り甲斐甲斐(かいがい)しく前を歩く事にした。

神の園に眠る遺跡の内、地表に露出している部分は全体の三割程度と認識されている。多くは地下に閉ざされ、中には今だ知られていない遺構が眠っているかもしれない。もっとも、遺物を掘り出す最盛期は既に終えて久しい現在、率先して土竜(もぐら)の真似事を行っても労力に似合う成果は得られない。


枯死。秘境での壊死、餓死、溺死に続く四大死因の一つ。特定の有害物質を取り込んだ結果、身体が水分を失い干乾びてゆく現象を指す。何の前触れも無く発症し死に至る症状から壊死(かいし)とも呼ばれている。


エグザムとゼルが古い探索痕直下の地下通路を進んでいる間、少しだけ遺物の歴史について説明しよう。

物語の初め頃に記述した文章を掘り下げると、遺跡に埋没していたガラクタの多くは前時代に破棄された何かの残骸だ。そして今日(こんにち)の文明圏で活躍している導力機関等の機械類の殆んどは、この掘り出されたガラクタを解析し修復された物が起源とされている。

都市部の博物館に展示されている遺物の多くも、統一暦以前の前時代末期に発掘されたものばかり。そう、前時代の始まり頃に捨てられ忘れ去られ、終わり頃になってから思い出したかの如く遺跡を秘境を探し回ったのが遺物収集の歴史なのだ。

エグザムとゼルが旧時代の地下道、もしくは何かしらの横穴を走っている間に、この星の歴史についても報告しておきたい。

今からおよそ四千年弱(地球時間で三千五百年前後)前、私が隣の星系で眠っている間に一つの銀河を巻き込んだ異変が発生した。

異変の詳細についてはまだ教えれないが、その異変によりこの星の文明は一時期、狩猟採取生活直前まで退化していたと思われる。なので当時の人口は他の野生動物より少なく、僅かな生存環境に寄り添うように生活していたのだろう。

現在の歴史規範において「暗黒期」と呼ばれているこの時代を詳細に伝える記録は無い。何故なら資料や痕跡と言った物理的な証拠が残っておらず、暗黒期を挟む前後の時代背景から推測した憶測に過ぎないからだ。

此処で一つ名言しておこう。私は銀河を支配した文明がまだ一つの星で身内争いをしていた時の記憶を所持している。「地球」での出来事と多くの物語りは私の命を形作る重要な領域を占めている、言わば私の聖域と言って過言無い。

しかし私がこの星を初めて踏みしめたのは、記憶が正しければ統一暦が始まる前の五十年と少し前のこと。当時何があったかについては別の場所に記すとして、銀河異変前のこの星は只の資源開発惑星に過ぎない天体の一個だった。

期間と年代共に不明瞭な暗黒期以前の「旧時代」は、天体を生物が生息可能な惑星に変える段階から始まった。どれほどの労力と贄を地上に注いだのか、具体的な計画や技術的な手段と組織体制その他は今だ判明していない。だが長年残念な報告を聞き続けてきた甲斐があって、意図的にそれらの情報がある場所に封印された事を知る事が出来たのも事実で、奇しくも死神の力が只の狂気の産物で無い事が解った。

時系列順にこれまでの年代を「銀河異変」から数え直すと旧時代の次に暗黒期、それから「前時代」を経て統一暦に変わる。

前時代は始まりから終わりまで徹底して戦乱動乱反乱の時代だった。相手が同族だろうが無かろうが関係無く、頻繁に書き換わる領域図を巡って両大陸全土で覇権争いを繰り広げていた。

面白い事に当時の時代背景には文明と相容れぬ筈の秘境が深く関わっている。地方によっては暗黒期から受け継がれた秘境との関係が見られ、探索業の興亡から衰退までの歴史がこの時代に集まっているのだ。

私が手駒達に命じた調査の答えは、殆んどこの時代から得られた。現存するあらゆる民族や種族が、古代人として認識されている銀河勢力の何れかの血を受け継いでおり、銀河異変後の謎を解く手掛かりへの足場となった。


五期(五月)十九日の早朝。生憎の曇り空で只でさえ暗い森が一層妖しさを増す最中(さなか)、北側の断崖に面した廃墟の屋上に立つエグザムは、ゼルが糞を垂れ流している間の見張り役を継続している。

(やがて死に絶える生態と消える神。一つの秘境が地図から消え只の未開拓地域に成るのか。どうすればいい)

曇天の空と探索痕の溝帯(こうたい)に垂れ込めた霧で、獣の森は普段とは違う静けさに包まれている。本来なら縄張り争いで騒がしい翼獣の群や大樹の根を埋め尽くす牙獣の一団による地響きも無く、昨晩の強烈な冷え込みで生じた気流の変化がつむじ風を虚空へと移ろわせていた。

「終わりましたよ 文明の利が無い秘境は不便でなりません」

ゼルは壁に立て掛けていた野戦銃を手に取り、エグザムへ何時でも出発出来る状態である事を示す。

「この辺りは放棄されてから百年以上経過しているそうで 目ぼしい物は何も残って無いでしょう こんな場所まで手を伸ばす人の業の深い事 つくづく興味深いとは思いませんか?」

エグザムはただ眼下の溝帯、遺跡を掘り下げて構築された探索痕に流れる霧の河をガスマスク越しに眺めているだけだった。

「今日中にでも森の中心に辿り着く この静けさは寒暖の影響だけが原因ではない 此れからは私語を慎め」

肩幅に迫る大きな背嚢を外套の如く(ひるがえ)し、エグザムは真っ先に廃墟の外通路を下り始める。当然ゼルも後に続くわけだが、背後の溝帯へ流れ込む霧の渦が二人の姿をあやふやにしてしまった。

(しかしこの霧、湿地流域で遭遇したあの霧と似ている。掴めそうなくらい纏わり付く感触、まるで霧状の塗料を浴びている気分だ。)

一般的に水蒸気が凝固して白い塊に纏まるのが雲や霧なのだが、それは遠方からそう見えるだけで直近で見ても視界が霞む程度に感じるだけだろう。

(また空気が乾いている。確実に別の何かと考えて間違い無いな。)

視界が遮られている所為か、両手で握っているツルマキの冷たい感触が何時もより鮮明に感じれる。エグザムは矢筒から杭と狩猟矢を一本ずつ取り出し、不意の遭遇に備える事にした。

(霧、もしくは何かの煙の類。今から廃墟を降りて地下の遺跡道を辿る経路に切り替えるべきかもしれない。)

エグザムがそう考えた時、それまで連続して続いていた住居棟の道が目の前で途切れている光景が目に入り、立ち止まると口を閉ざして崩壊した残骸の山を観察し始める。

「楽 出来そうではなさそうですね」

ゼルへの返答にいつもどおりだと答えたエグザム。その場に片膝を突き、元住居棟の崩壊現場を俯瞰した。

「どうやら中型の群れが居るようだ 巣穴に篭っている今が好機 派手に行く 今すぐ降りるぞ突いて来い」

ゼルの返事を聞くまでも無く四階建ての高さから躊躇無く飛び降りたエグザム。ゼルの溜息を聞くことも無く、瓦礫や人工石材の残骸を蹴りながら無事着地した。

(獣が居る場所は活動範囲。細身のゼルに穴潜りでもさせるか。)

周囲には散らばり小山を成した廃墟の瓦礫が幾つも在り、硝子や菓子細工を荒く粉砕し無造作に集めた如く、巨大な樹木が乱立するには物理的に不可能な地形と言える。

エグザムは背後から聞こえた物音に反応し、振り返らず一歩後退して落ちて来たゼルを背嚢で受け止めた。

「ゼル 俺は此処の情報を知らない 知っているなら教えろ」

ゼルは身なりと装備の点検をしながら、「アリヅカ」と言う単語をエグザムに伝える。

「意味は不明ですが隠れ里では昔からそう呼ばれています 屍の森には崩壊した廃墟や遺跡が多く点在していて 昔の探索者が破壊した痕地(あとち)だと聞きました」

遺跡の破壊は珍しい事ではない。発掘や略奪が探索業の一環として行われていた前時代、現地民と揉め事を起こしてでも邪魔な害獣を追い払う必要が有ったからだ。

(と言う事は神の園でも係争があったのか。確かに組合と隠れ里の交流が限定的なのも頷ける。例の噂が発生しても不思議ではないな。)

エグザムはゼルが定位置に立ったのを察知し、残骸の隙間へと身を押し込む。

「俺には通れない場所が有る この上からなら周囲を調べれるはず」

エグザムの意図を理解したゼル。大きな背嚢に手を掛けると腕力だけで一気に体を浮かび上がらせ、着地と同時にエグザムの肩を踏み台にし三階建ての高さで折れた何かの柱へ飛び移った。

(やはり生身の重さは同じ体格の人間と同じだ。もし殺せるとしたらそれが弱点に成るかもしれない。)

打算ではなく確実な未来を探る踏み台役は、何かとの接合部に手足を掛けて柱を昇るゼルを見据えている。

 

アリヅカ(非共通語)。隠れ里の住人がそう呼ぶ破壊された遺跡を指す単語。獣の棲家を示す言葉でもある。


道中において中型害獣の走り鼠や群れの大猪を撃退し、十九日の間にアリヅカの一つを突破した里への使節。謎の霧に包まれ視覚と嗅覚が減退しているにも係わら(よく)二十日、一行はついに屍の森の中枢へと踏み入れた。

(切り株。いや、巨大な遺跡の残骸だ。)

霧に包まれ停滞して見える巨木の間に現れた壁の影を見上げる二人。廃墟ではなく舗装された路面を砕いた根が隆起した場所には、数種類の害獣の死骸が散乱している。

「エグザム この獣達は寄生花に操られていたようです 本体が近くに居るかもしれません」

エグザムはゼルが告げた事実を確認する為、鉈の血を拭き取りながらやけに耳が長い大きな鼠の死骸を調べる。

(確か種子の大きさで脅威度が跳ね上がると聞いたが、有ったこれか。)

人差し指程度の長さで紫色の長細い芯が、その走り鼠の背中に刺さっていた。エグザムは茶色の羽毛を器用に避けながら一部変色した寄生花の種子を抜き取る。

「まだ成熟する前の個体らしい 今は無視してあそこへ急ぐ」

走り鼠の体毛には強力な溶解性物質が含まれている。もし捕食された場合、害獣を体内から有る程度破壊し群一つが全滅するのを防ぐのだと目されている。蛇足だが、おそらく愛玩動物を遺伝子改造した種の子孫と私は考えている。

エグザムは乱立した巨木が比較的少ない地域を目指し走り、霧に混じり何かが宙を漂っている事に気付いた。

(この輝きは微細結晶。この粉塵は危険物質!)

霧に包まれ漂う粉塵が陽光に照らされ輝いている。無風により停滞した世界に踏み入れたエグザムとゼル、木々頂上から斜めに差し込む光柱の先に、確かな巨大建造物の輪郭が見える。

エグザムは(あらかじ)め指定しておいた合図をゼルに送り、同時に自身の吸入口を調節。肺が壊れる前にろ過装置の通流を変換した。

「ゼル アレが例の天空樹で間違いないのか?」

木の葉が茂る高い天井の向こう側に、傾いた日光が照りつける大きな塔の残骸が複数纏めて連なって見えた。これまでの廃墟や遺跡とは大きさや構造が違うのか、構造体側面から無数に伸びた木々が遠方からでも確認できる。

「特徴が一致 間違いなく高層遺跡の残骸が密集した地点ですね 情報ではあそこを目印に北東の山間を抜ける道を目指せば 隠れ里が在る聖域へ入れます」

隠れ里への使節は最初の中継地を目指し歩みを加速させ、重い荷物を何時もより激しく揺さ振る。なにせ天空樹には限定領域が存在しており、獣と腹の心配をする前に辿り着きたかったからだ。

屍の森では何処にでも生えている大樹の根。根から新たな新芽が芽生えている光景も珍しくない一種の林を越えようとした時、エグザムは固い岩盤が短い周期で僅かに振動している事に気付く。

(こいつはもしや)

根の新芽を踏み倒してエグザムは体を強引に急停止させ、同時に己の背嚢にも追走者(ゼル)を激突させて行軍を中断させる。

荒事に慣れているゼルは文句も悲鳴も出さず己のガスマスクに異常が無いか確かめつつ、エグザム同様森を揺らす振動に気付くと顔を左右に振って周囲を警戒した。

「付いて来い」

エグザムは青と緑の茸が群生する大樹の穴を見つけ、そこを指差した後に静かに走り出す。

屍の森は遺跡群に堆積した大地に根ざした大樹の森でもある。大樹は色褪(いろあ)せても頑丈な廃墟や地下構造にしっかり根を伸ばし巨体を固定しているのだが、次第に音と振動を増す地響きにより大樹が揺れ始める。

(手記のとおりだな。白爺と同じく隠れて正解だ。)

何かが大地を歩いている音と揺れる大樹。そして時期によっては一斉に枯葉や実が落ちてきそうな程にざわめく木の葉の天井。やがて地響きが一際大きくなると、エグザムの耳は騒動の震源の位置を明確に捉えた。

(此処までは来ないらしい。あと少し先を走っていたら危なかった。)

獣の気配を明確に感じているにも関わらず自らの血が沸き立つ事は無く、逆に脈打つ心臓の動悸が遅くなった錯覚に囚われた。エグザムは自身が獣に対し久しく忘れていた恐怖を思い出す。

(そう言えば初めて森熊を見た時もこんな感じがしたな。ただ()なら暴食漢すら簡単に蹴散らせるだろう。)

エグザムが奴と評価した害獣は、屍の森に君臨する絶対王者「山神」。隠れ里や一部の探索者はヘラジカと呼称している()()()

木陰に潜伏中のエグザムは霧に漂う粉塵の密度が増している光景を目にし、ガスマスクの水晶板が陽光を反射する角度を確認。揺れて足を踏み外さないよう注意しながらゆっくりと幹から顔を出す。

西から射す黄色い陽光が照りつける頭と、後頭部から左右にそそり立つ様に生えた二本の()。足含め鼻から尻尾まで食肉用の草はみと酷似した体は、頭の高さだけで四階建ての廃墟屋上に迫る勢いがある。

(粉塵が奴の角から発生している。手記にそんな情報は無かったが。)

エグザムの獣目が角と背に無数に存在する苔らしき緑の斑点を捉え、相当な歳月を生きた形跡だと人目で解る。黄色く照らされた短い毛は足が動く(たび)に濃淡を変化させ、隆起した筋肉の躍動を生々しく物語っている。

(奴の血に例の因子が含まれていても、今の俺では全力を出しても勝ち目が無い。どう足掻いてもあの(ひづめ)に転がされるだけでお仕舞いだろうな。)

獣が通ると道が出来る。それを示す証拠として天空樹の周囲だけ大樹が少ない。それに気付いたエグザムは山神が天空樹の番人であることを思い知ったのだ。

「話なら何度か聞いたことがありますが 直接目にすると何もかも圧倒的な存在としか表現できませんね」

東から登場して西へ去って行く巨体を眺めていたエグザムは、何時の間にか(かたわ)らで佇むゼルに驚く。

「奴は怪物としてこの地を守っているに過ぎない 今は天空樹を迂回して先に進む方が無難だ」

こうして使節一行は天空樹に立入らず、外縁の森東側を北上して山間部を目指した。


山神(ヘラジカ)。屍の森に生息する巨大な古代獣。体表に数多の細菌や微生物を付着していて、寄生虫や翼獣等を遠ざけている。

巨体の割に挙動は素早く、髄力脚力共に最上位の能力を有す。怒らせるとその力を発揮し大樹をなぎ倒しながら突進して来る。主食は大樹の葉や幹とその他の獣。


屍の森は南盆地の東を占め、東端に在る天空樹が広い平地と山間との境目として知られている。もっとも現在の探索者が立ち入るのは南の断絶海岸の西側まで、故に神の園東側は隠れ里の領域として棲み分けが成されているのだ。

(また隠れられたか、あの岩まであと少しなのに。)

日付が変わってから間もない深夜の森。山間部特有の大きな岩が幾多も点在し、斜面で自生した木々が露出した岩盤から少ない栄養を得ようと根の一部を露出させていて足場が覚束無い。しかしとある事情により照明具が使えず、頼りに成るのは時折雲に隠れる月明かりとエグザム自身の暗視能力だけだ。

「来ました森狼(もりおおかみ)です 火を使わない作戦は無駄でしたね」

屍の森を抜けたは良いが、想定外な事に本来なら赤い山から下りてこない筈の害獣の追跡を許してしまっていた。

月がぼんやりと見える雲を見上げていたエグザム。視線を南側の斜面へ移し、草木の間を縫うように走る白い影を数えた。

「ゼル 此処で迎えるぞ 連中が十分接近したらこれに光を灯す その銃で蜂の巣にしてやれ」

森狼。隠れ里の狩人達が「山犬」と呼んでいる脅威度の高い害獣の群だ。赤い山の森林や高原に生息しているはずだが、日が沈む前に屍の森から脱出して山麓に入ったエグザムが複数の足跡を発見したのが発端だった。

「この辺りはまだ聖域から遠い筈 事を荒立てると里の狩人から襲われる可能性が」

ゼルは闇の中に浮かぶ木立へと野戦銃の銃口を向けながら、顔だけエグザムへ向けて発砲の確認を求めた。

「山を焼かなければ問題無い 心配するなこれは経験則だ 来たぞ」

エグザムは尻の下に落ち葉を敷いたゼルの頭上で照明具の反応管を押し込み、「討て」と短い命令を発する。同時に杭を装填しておいたツルマキを右腕で構え、左腕で高らかと光源を持ち上げて自身と射手を光で見えなくする。

短い間隔で発射される弾丸が、草むらや木立から走って来る白い狼を次々射殺す。頭部を仰け反らせ割れる眉間、首下の胴体に弾が命中し貫通した衝撃で仰け反り転がる森狼達。

(確か群を統率する個体が居る筈だが、流石にこの状況で手出しする可能性は低い。)

熟練の射手の技を以て、瞬く間に十数匹の屍だけを残して群を退散させたゼル。エグザムも照明具の反応管を指で持ち上げると、襲来を予想していた群の主を見ずに明かりを消した。

「一撃で即死か お前達はみな戦闘に長けているのか?」

周囲を見回しながらも内心では驚いているエグザム。対してゼルは薬莢を袋ごと仕舞い、弾層への弾の装填を始める。

「用途に戦闘も含まれているとだけ答えましょう あと人間の心理も網羅しています」

ゼルは作り笑いで決まり文句を吐いた。しかしその表情はエグザムから見て死角なので、当然エグザムには何時もの代理人に見えたのだった。

その後は獣の襲撃や遭遇も無く、また何等かの事故も無く夜通し山間部を北西に直進した使節一行。相変わらず先頭はエグザムであり後方をゼルが警戒しながら何度も斜面を上り下りしていたが、丁度西の遠方に見える赤い山の尾根が白く霞み始めた頃、聖域を示す新たな領域を見下ろせる尾根に辿り着いた。

(この匂いは煙谷を思い出す。懐かしいな。)

昨日に見た謎の霧と違い、草木が見当たらない荒れた岩と丘陵が連続した場所から立ち昇る白い煙の柱。それ等は西の赤い山の麓から東の火山地帯へ真っ直ぐ続いていた。

「聖域南の蒸気谷ですね 何でも良質な硫黄が採れ どんな傷でも癒せる鉱泉が有るとか無いとか」

ゼルと共に比較的平坦な尾根に腰を下ろし、エグザムは数日間装着し続けたガスマスクを外す。

「確かにあれだけの数の蒸気泉があれば燃料の入手に困る事はないだろうし 暮らしているのが有毒物質に耐性を持つ亜人なら天然の獣除けにも成る」

散々太陽光を浴びたにも関わらず、ゼルの老け顔は浅黒いままだ。なのでエグザムは腹袋から手鏡を取り出し自身の素肌が焼けてないか確める。

(荒れてないし色素にも異常は無い。やはりあの霧自体が空気を乾燥させていた訳ではないのか。)

エグザムは秘境で活動する間は原則として、特殊な染料で顔を緑と黒に塗装するよう心がけている。(ゆえ)に探索者である以前に狩人なので偽装に手間暇惜しまないのだが、カエデのある一言により今回の任務では素顔のままだ。

「ゼル 俺は此処で数日待機しても問題無いから これを持って一人で里へ行け 連中を俺の匂いで無駄に警戒させたらかえって危険度が増すからな」

エグザムは背嚢から引き抜いた円柱型の書簡入れでゼルの視線を釘付けにさせる。黒い塗料が艶消し加工により荒くなった表面はゼルから押し付けられた数日前と変わりない。

「エグザム様の心配は杞憂に終わると推測します 何故なら秘境慣れしている狩人の方が里の住人より多くの匂いを知っている筈 例え嗅覚を阻害する成分が染み付いた身なりでも 何らかの支障を与えれるとは思えません それにカエデ様の助言では聖域内でも害獣と遭遇する可能性が有ります 例え私が獣か里の狩人に殺されても任務を中断する事は出来ませんよ」

ゼルは口を動かすだけで腕を少しも動かさなかった。それは書簡入れを受け取りエグザムが考えた危機回避案を完全に断る意思を表している。

対するエグザムはゼルの本心と隠された真意を探る事に失敗。内心で強情な奴だなと、これだから代理人は信用出来んとも愚痴った。

「見る限り付近の水蒸気は俺が知る蒸気泉よりは安全だ この谷を抜けるまでは先導するが 抜けた先からは頼んだぞ」

立ち上がり背嚢脇に慣れた動作で書簡入れを差し込んだエグザム。再びガスマスクを装着して循環器とろ過装置の調整を行う。

(しかし中古品だがゼルの物より調整が効き易い。探索街にはまだ探索時代の掘り出し物が多く保管されているかもしれんな。)

何度も強く息を吐き出しマスク内の圧力を高めたエグザム。ガスマスクを装着するだけで鉄帽子は被れず手拭も取る必要が有るのだが、代わりに被る元々装着していた全周つばの緑帽子との相性は抜群だった。


聖域。隠れ里の狩人が呼ぶ限定領域の別称。南は蒸気谷で北と西は氷山と氷河に囲まれ、東は害獣でも立ち入れない致死性物質が充満した火山地帯を内包している。

総面積は南盆地よりやや広いが、生物が生存可能な場所は少ない。


朝日が赤い山から顔を出し、水蒸気の海を直接照らすようになってから既に数刻の時が経過。使節は蒸し暑さや鼻を刺す痛みに慣れても油断できない険しい道のりを歩んでいる。

(地磁気の乱れが激しいな。俺が予想した以上に地中のマグマが此処まで流れているのかもしれない。)

磁石は基本的に熱に弱く方位盤の磁力石も影響が出始めたので、エグザムは常に沸騰した湯が沸き続ける小川伝いに道無き道を北上していた。

(ろ過装置の予備を持ていて正解だった。俺の探索具の知識はまだまだ足りてないらしい。)

エグザムは少し前に取り外した円柱状の()ろ過装置を思い出す。

多くのガスマスクは化学防護服の一部品として設計されている物が多い。すなわち複数の膜を重ねた一体服を着用して使用する労働者や研究者にとって馴染みの品と言える。

しかし秘境で用いる探索具としての防護服と比べると耐久性や汎用性の面で信頼性が薄い。当然頼りない欠点を補う為に多くの職人が頭を悩ませ、結果的に生まれたのが循環機器とマスクに機能を集約させた探索具だった。

(見た目は同じろ過装置(フィルター)の予備でも、用途ごとにそれぞれ違うろ過装置を使わないと機能しないとはな。どおりで備品含め金貨一枚で換えたわけだ、紛らわしい名だ。)

エグザムが着用している中古品は、本人が生まれる以前に作られた数多の試作品の一つ。有毒な粉塵と微粒子、有毒な分子(ガス)と吸引機構では別々のろ過装置を循環器に取り付ける必要が有る。そしてこの探索具には使用者が知らない機能が有るのだが、それはまた別の機会で(しる)そう。

平坦とは程遠くも砂丘が連続する砂砂漠ほど起伏が激しくない蒸気谷を歩くエグザム。そしてエグザムの四歩後ろを正確に追従しているゼルは、目の前のでかい緑の背嚢が突然止まったことで歩みを止められた。

「ゼル 俺の役目は此処までらしい お前の迎えが来たぞ」

北から南へ蛇行しながら流れる小川の上流の一角へ、顔を向けたまま動かなくなったエグザム。白や赤茶色の断層と砂利土の斜面から噴出す蒸気で小さな谷の尾根が不鮮明なままだが、獣の耳は砂を蹴る複数の足音を断続的に拾っていたようだ。

「解りました 使節の代表として私が交渉します」

ゼルは黄色く変色した足場を避けながらエグザムに近付き、大きな背嚢脇に差し込まれている書簡入れを引き抜くと蒸気の空へ掲げた。

「私はアルトリア(聖柩)の使者にして代表使節 カエデ殿より依頼された品を運んで来た 里の代表との面会を希望する」

人工生命体の大声が時折聞こえる間欠泉が噴出す音と重なった所為か、白い視界に無数の人影が現れるまで少し時間が掛かった。

(どう説明するのか気に成っていたが、俺の事は既に向こうに伝わっていたと考えるべきか。依頼された品などと言う面倒な言い回しを使う理由は、おそらく異変について向こうの方が詳しいからだろう。)

エグザムは動じる事無く、岩の如く不動のまま煙の向こう側を探る。以前里の狩人と交戦した記憶を分析しなくとも、既に包囲されていて何ら不思議ではなかった。

(しかし相手は未開の住人、流暢な共通語が確実に通じる保障など無いだろうに。何を考えている、ゼル。)

ゼルも大声を発してから動く気配が無い。黒い書簡居れの筒を皮手袋越しに掴み、わざと監視者の注意を掲げた右腕の先へ集める為に固まっている。こんな場所で根競(こんくら)べなど御免だと考えたエグザムは、不意の奇襲を想定し戦術を組み立てようとした。

「今から()を確認する そこを動くな!」

エグザムの懸念を払拭するだけの野太い声が周囲に響いた後、イナバの砦団長のオルガより更に逞しい大男が蒸気煙の中から現れた。

獣目(エグザム)の焦点は直ぐ近くの左側斜面を下りて来る半裸の狩人に集中し、手に持つ銃火器より更に開こうとする口を捉える。

「話に聞いていたが森を越えて来れるだけの異質さは確かなようだ まず忠告する 我々は疑い深く不穏を許さない」

何等かの整髪剤で短く切りそろえた髪を逆なでさせ、左頬から鼻まで伸びた直線的な青い生体痕が土色の瞳と髪と馴染んでいない。何よりその瞳は人間場馴れしていて、独特な虹彩を放つエグザムの獣目同様に獲物を捉えて放さない眼なのだ。

(アイツの眼も紅くないな。しかしあの時の赤い山で仕留めた狩人達より装具の質が違う。言うなれば聖域の番人なのだろが、見たこと無い狩猟銃だ。)

秘境の枠を超え、連合で流通している銃は害獣駆除に使用される狩猟銃が多い。散弾や質量弾と多目的弾頭を射出する為に、他の銃より口径に占める銃口径が大きい。故に使用可能な弾は人間に対して威力過剰で、反動が強く扱いが難しい上に生産コストがかさむ代物ばかり。

斜面を降りゼルから渡された黒い筒を開けた大男。中から一枚の古そうな羊皮紙を取り出し、書かれている文字を目で追っている仕草が確認できた。エグザムはその羊皮紙がカエデからの書状だと判断し、ほぼ同時に大男が周囲の煙に向かって手で合図を送ったのを見届ける。

「!」

その時エグザムは攻撃が飛んで来る気配を感じ、一瞬で対応するため条件反射的に腕を動かそうとした。しかし肝心の攻撃は来ず周囲で動いているのは、濃い水蒸気の煙と眼前にて小声で話す大男とゼルだけ。

(慌てるな、まだ早い。)

この状況下で不用意に動けば要らぬ警戒と不手際が発生するかもしれない。直後そう考えたエグザムは、筋肉神経を硬直させながらも平静を取り繕うことにした。

「私の役目は監視と独自の調査 例えるなら外世界で活動しているカエデ様と同じ様な役目を命じられています なので私が死神と同行するのを長老も承知のことの筈」

エグザムは自身を死神だと発言し、はっきりと受け答えするゼルの話を盗み聞きし始める。

「その件は私も承知しているが それでも里の正確な位置を外部に洩らす事まで許されている訳では無い これは長老の御意思でもある 故に両名には此処から里まで別行動を願う 良いな」

大男は上体を前のめり傾け、自身と同じ身長で細身のゼルと会話しながら、時折エグザムへ視線を何度も移していた。そしてエグザムも自身を射抜く視線に含まれた狩人の意図を察し、自身から事態の解決を行うことに決め足を動かした。

「話を止めろゼル 此処は獣が支配する世界 文明の勝手など絵空事に過ぎない」

大きな背嚢やその他の装備を纏ったエグザムと、上半身の大半を露出させた軽装の身なりと場違いな武器を手にした大男の視線が合わさる。

「俺の名はエグザム 此処より遥か南の地を文明人達から守っていた亜人の狩人だ 俺も里の長老に用が有るから案内を願おう」

近付きながら宣言し大男の目前で立ち止まったエグザムにゼルは閉口。一方の相対している大男は死神の全身を俯瞰した後に口を開く。

「名はガラ 里の戦士長だ 風が動く前に煙の領域から離れたい この者は部下が誘導するから 私に付いて来てくれ」

エグザムが頷き素直に従う素振りを見せた事で止む終えず納得したのか、ゼルは書簡が入っている黒い筒を持ち主へ差し出す。

「エグザム様が持っていて下さい また向こうで会いましょう」

エグザムは無言で黒い筒を受け取った。

(織り込み済みとは言え、此処に来るまで随分待たされた。所詮、俺も計画の一部に過ぎないのだろう。)

里への使者である筈のゼルから再び手元に戻って来た書簡を定位置に差し込んだエグザム。使者はゼルであるが本当の荷は自身だと、この時は漠然的に考えた。

「見る限り瞳以外は人間にそっくりだな 遅れないようついて来い」

ガラはエグザムの返事を待たず振り返り、下って来た坂を素早く駆け上がり始める。もたもたしていては直ぐ離れて見失いそうな速さで、エグザムも一回り以上大きな足跡を辿り始めた。

(流石は戦士を束ねる者、あの歩幅に遠慮や配慮なんて期待するだけ無意味か。)

ガラは額の前髪との境目から後頭部まで囲って装着しており、害獣の牙を赤い紐で結んだ髪飾りが、空気に押される特徴的な逆撫で髪(髪型)をしっかり保持している。その所為で後から見上げても頭の位置が異様に高く見えた。

(しかしこれだけ大量の蒸気を絶えず吐き出しているのなら、膨大な地下水脈が何処からか流れているのだろうな。雨季が近かった所為とも考えれる。)

それからしばらくの間、ガラを先頭に蒸気と異臭の霧をひたすら駆け続けるエグザム。どれだけ斜面が粗く険しい急勾配だろうと戦士長の行く手を阻む障害とはならず、時に触れると火傷を負いかねない間欠泉の穴沿いを走らされる。

(やはり意図的に大きく蛇行して走っている。何かを避けているのか、それとも俺に道を覚えさせない為だろうか。こんな場所で獣と遭遇するとは思えない。若しくは此処で試されているのかもしれんな。)

エグザムが履いている靴は具足の鉄爪を纏った野営靴。故に靴底にはゴムの型に金属の波が填められていて、強引な体重移動や酷使に耐えうる強度を有している。しかしガラの靴は足の裏に何かの下敷きを履かせただけで、爪先や踵が丸見えだ。

(確かに亜人の特性を()かすにはあれぐらい軽装の方が動き易い。まさに俺とは対極的な境地と言える。)

露出した岩肌の大半では硫黄が分厚い膜を形成していて、蒸気により腐食した岩や生物の骨が溶け出し堆積した泥地を幾つも通り過ぎた頃。遮断しきれない量の硫黄の臭いと面を曇らせる程の蒸気に、エグザムは表情も曇らせた。

(もしや謀られたか。土地勘が無い俺程度、一人犠牲に成るだけで足りる。里ではなく死地への案内役、どうかこの先が真の地獄以外の場所である事を。)

果たしてエグザムの願いは通じるのか。それを確めるには更に蒸し地獄の奥地に踏み込み、方角や正確な位置も判らないままひたすら走り続けるしか知る術が無い。

 

神の園は大陸有数の活火山帯、つまり東造山帯に接している。この東造山帯は南方の巨大湾「北海」を跨ぎ大陸南の砂漠地帯へ、北へは氷雪山脈を通り越し北極海まで続いている二大火山帯の一つ。また同時にこの惑星上の火山地帯は有毒なガスや可燃性のガスを常時吐き出す程に活発で、当該地域に生物や生態系は存在していない。

しかし神の園東外縁地域には幾つもの活火山が存在しており。他に類を見ないほど生存非生存圏が混在する秘境の中の秘境とも言えるだろう。


神の園の森を、山を、沼を、そして遺跡や廃墟を走って来たエグザム。人が進むには不適切な岩場だらけの場所を、臭いと熱さを無視して先頭を走る大男の行動にまた違和感を感じる。

(最後に北へ転進してからずっと直進している。この視界の中で道なき道を迷わず走るには相当な土地勘が必要だろうに。さては熱さと空気に耐えれず思考が減退し始めたのだろうか。)

エグザムはこれまでの道のりを思い浮かべながら蒸気で見えぬ岩肌を走っていると、水蒸気でぼやけていた露出が多いガラ(戦士長)の青い羽衣が突然鮮明に見える。

「違う 気流だ 煙が上へ流されている」

口に出した感想を強調させられる様に、突然現れた直線的な下り坂と失せた周囲の熱気がエグザムを驚かせた。そして己が直角に蛇行した谷底の川を目指し、人為的に整備された探索道と思しき道に合流した事実に気付く。

(成る程。(蒸気谷)より低い場所では北から流れて来る冷気に覆われているのか。つまりこの谷は蒸気谷の最深部なのだろう。)

それから坂道だろうが同じ速度で走り続ける青い背中を追いつつ、エグザムは故郷のつむじ谷を連想させる景色を眺めていた。しかし真西へ大きく湾曲した川辺の探索道まで下りて来た時、改めてこの場所も神の園の一部である事を思い知らされる。

「壁だ 遺跡なのか なんて大きさだ」

それまで反対側の低木が茂った崖で見えなかった場所に、大きな谷を塞ぎ存在感を放つ遺跡が立ちはだかった。

(でかいな。旧時代に造られた堤の一種だろう。)

膝程度の水深で渡るにも苦労しないだろう川の水源は、三段の(遺跡)の下段半ばから壁伝いに注がれている。水が流れ出す大口は楕円形で、遠目からでも水路以外に活用されているのは一目瞭然だった。

(水路に階段が付け足してあるが、あそこが入り口なら何の為に壁上まで櫓を建てたのだろう。)

砂利が敷かれた川辺の探索道から遺跡(ダム)入り口だけを見るとまだ遠く見える。しかし巨大な三段堤の表層構造や材質、何より秘境で遺跡を覆う植物の種類を見分けるには獣目を限界まで拡大させても難しかった。

エグザムは苔とも蔦にも見受けれる植物で半分変色した黒い柱の櫓を見上げていると、先頭を走っていたガラが急に立ち止まりガスマスクの視界が大きな背中と青い羽衣だけとなった。

「向こうも我々に気付いた 直ぐに迎えが来るだろう 私は聖域の守りで同行出来ない ここから先はお前独りで行くんだ」

振り返ったガラは、ガスマスクを脱ぎ緑の皮帽子の上から緑の鉄帽を被ろうとしたエグザムに短い別れの言葉を告げた。その言葉には戦士が里の守りを担う一派である事実が含まれていて、このときエグザムは言葉に表せれない違和感を感じた。

「案内感謝する戦士長」

エグザムも短い相槌を送り、両者はすれ違う形で川沿いを別々の方向に歩き出した。この時ガラも再び再会するまでさほど時間が掛からないと考えていたのかもしれない。

(熱気が冷めた所為か少し冷静になれた。ここから先には後戻り出来ない厄介事が待ち構えているだろう。まずは俺の存在がどう認識されるか確かめなくては。)

エグザムは鉄帽の固定帯を確認した後、ガスマスクを背嚢の袋一つに押し込み顔を水平位置に上げる。再び目に映る巨大建造物の頂上と、木材の骨組みが一部露出している櫓から谷の静寂を打ち消す喧騒が響き始め、ついついツルマキを握る両手に力が入ってしまう。


蒸気谷。神の園東部中央を占める山岳地帯と渓谷を指す地名。隠れ里南の聖域であり、獣と文明の侵入を阻む天然の要衝。

渓谷の深部や赤い山付近は蒸気や噴出孔が少なく、経路次第では生物の行き来を阻害する要因とは成らない。しかし岩場や丘陵地形が遠く東まで続いていて、一歩踏み込めば腐った屍や鉱物が溶け出し変質した禿山待ち構えている。湧き出る源泉には有毒物質が含まれ、白い蒸気に紛れた強いアンモニア臭が獣の鼻さえ利かなくする。


エグザムは何処かから切り出して積上げた石の階段を上り終え、平たい天井とは対照的に湾曲した水路に渡された木の桟橋を一歩づつ慎重に踏み締める。自身の前後を二人ずつで合計四人の戦士が挟み、狭い桟橋の木板がエグザムの重みに呼応して軋む。

(こいつらも銃で武装してるが、どうやら戦士達は皆軽装を好むようだ。)

前後と足元から聞こえる息遣いや足音と不快音が一直線に闇の中へ伸びる水路の先まで反響していて、エグザムは筋骨隆々な男達に連れられ黙って暗闇の中を進んだ。

エグザムの視界が暗視に変わり鼻腔内に、汗や銃の潤滑剤と思しき油の匂いと羽衣と半ズボンから口にすれば苦々しい味だろう植物系の石鹸臭が充満する。

(鼻が邪魔されて水や遺跡の匂いが判らない。極端な腐臭がしない以上、この水は生活排水ではないな。)

エグザムは闇に鳴れた目が映す桟橋通路の先を見据え、桟橋の先どころか水路自体に出口がない事に気付いた。

(光源が無いなら直ぐ先は壁の筈。遺跡の機構を再使用しているなら、何等かの仕掛けが有るのだろうな。)

エグザムが目を忙しなく動かし単純な水路全体の構造を観察している最中、前を歩く戦士の片方が止まれと短く命じ、両手で持つ狩猟銃の銃床を真っ暗な壁に二度打ちつける。

そして変化が直ぐに訪れ、後方から僅かに届く光源とは別の光が壁の下から金属類が軋む音と共に現れた。

(まさかせり上がる扉だったとは。これは太陽の。)

エグザムは闇に慣れた目が捉えた眩しい光に目を瞑るも、瞼越しでも判別可能な光源を瞬時に理解し再び瞼を開ける。前で立ち止まる男二人の足元は桟橋の木板でなく人口石材。そして膝を通り越して腰までせり上がった扉の向こう側に、細かい砂と名の知らぬ雑草が生えた平地が見えたのだ。

しかし扉は腹の高さまで上がってからみるみる動きが緩慢になってしまう。そして壊れているのではと疑うエグザムをよそに前の二人は身を低くし通り抜け消えてしまった。

「その程度の荷物なら寝そべってくぐれる 早くしないと扉に潰されるぞ」

後方から警告とも冗談とも受け取れる助言を聞きエグザムは、止む終えず腰帯に装着したばかりのツルマキを外して先に扉をくぐらせ、自身も身を横たえ右足と腕で重い図体を捻じ込んだ。

(今度は岩が散乱する場所に出たな。向こうに畑が見えるが住居区画が無い。まだ生活圏に入ってないのなら、連中の本拠地は壁の向こう側か。)

川が存在した背後の壁向こうの谷とは違い、新たに立入った場所は水による同一の侵食跡と疑う程に谷の原型を留めていない。エグザムの眼前に広がる窪地は新たな(遺跡)が断崖同士の架け橋と成っている採掘場の様な場所だった。

「こいつは俺が閉めておく さき行ってくれ」

周囲の景色に見とれていると頭上から男の声が聞こえ、迎えの四人と同じくエグザムも釣られて振り返る。

「頼むよ 例の件も報告しに行かんとな」

三段式の遺跡反対側は地面から半ばまで若干傾斜している垂直の壁で、エグザムの頭上で築かれた櫓が何かの昇降装置を壁際に固定していた。

(この扉もあの装置も本来遺跡に在った物とは違うな。導力機関が普及する以前の代物かもしれない。)

エグザムは錆びと汚れが目立つ大きな歯車式バネを見上げながら、自身の迎え役と高所で作業している亜人の顔も見比べる。

(戦士は青で統一されている様子。しかし彼らの生体痕は色も形も別々、何より色素が薄いのは因子が薄いからか?)

数えれば数秒程度の会話だったが、エグザムの耳は慣れ親しんだ共通語による現地民の会話を捉えた。ガラの話し方は個人特有の訛りではなく、少ない言葉で意思の伝達が可能な独自(部族)の共通語と解釈できた。


それからエグザムは現地人が長年踏み固めた道を連行され、同様の手段で内壁と呼ばれるもう一箇所の遺跡を通り抜ける。道中出会う里の亜人は皆顔以外に胴や四肢(しし)に生体痕を有す者達ばかりで、中にはエグザムと似た獣目で珍しい客人を見物した者も居た。

かくしてエグザムは与えられた任務を達成し、己の使命を全うする為の開始位置に就く。それは五期二十一日の正午過ぎ、長老宅にて里の指導者と面会を果す時から始まるのだ。


文明圏や都市部で見かける格安住宅と平屋家屋を装った古風民家が、二つの台地の間に横たわる亀裂沿いに並んでいる。それら人工密集地は連合南部の旧城塞都市を再現したかのごとく密集して配置されていて、亜人達が迷路の様な通りを行き交う光景がエグザムには非現実的に見えた。

そのエグザムは現在、木目調の床に敷かれた毛皮に座り長老の家に常備された毛深い謎の毛皮を座布団代わりに尻に敷いている。

(おかしい。不自然すぎる。何故辺境の遠隔地に文明の小都市と同じ規模の街が有るんだ。近場の探索街でも神の園に隠れ里と呼ばれる集落が有る話しか聞いた事が無い。)

胡坐をかき腕を組んで面会相手を待っているエグザム。他者から見れば目を瞑り瞑想しながら心を落ち着かせている様に見えなくも無いが、内心に渦巻く疑念と次々湧き上がる疑問の対処に悩まされている。

「これはあれだ 落差と言われている価値観の違いなのだ」

住居や家屋が少なく、代わりに大掛かりな水道施設が建てられた台地の上。その玄関口として門番小屋にも見える尖がり屋根の家屋が長老の家であり、一階のみで尖がり屋根の骨組みが下から覗ける室内には絨毯と足が長い燭台(しょくだい)のみ置かれていた。

既に半刻程度毛皮に乗っていた所為で尻の形を座布団が覚えてしまい、エグザムは傍らに置いた背嚢や腹袋等の装具をもう一度見回す。

(最後に補給したのは海岸の臨時補給所。あれから何日過ぎたのだろう、今回の探索は今まで以上に長く感じたな。)

エグザムは緑色の偽装が少し変色したツルマキを手に取り、台床と弓状の板バネを分離させる。

「可動部の保護油が変色した やはりあの蒸気の中を持ちながら走ったのはいけなかったか」

板バネを台床に接合する二つの可動部は、板バネの張力を増幅させる為に接合部と反対側が螺旋バネと繋がっている。故に鋼線の()を引くのに必要な力は頑強な人間に換算して二人分で、同じく鋼の(飛翔体)の威力も近距離なら大口径銃に勝る。本来なら設置式の自衛具として運用される試作品は、まだ銃火器の生産力に乏しかった頃の西大陸の技術で組まれているのだ。

(膜の表面が不純物で覆われている、おそらく硫黄だろう。だがこの程度ならかえって好都合かもしれない。)

確認を終えたエグザムは台床に板バネを填め込むと、二重螺旋のネジを可動部の穴に差し込んでツルマキを復元し始める。簡単な構造でありふれた合金を使用して作られたツルマキ。職人に頼めば部品の交換が効き、何より人外の怪力を生かせば大層な工具も不要で済む。故に探索者や狩人一人分より多くの荷を持ち運べるエグザムにとって理想的な自衛具なのだ。

エグザムは何時ものように先端部の握り手を左手で掴み、頭上でツルマキを弓として構える。次に曲がる板バネと少しずつ延びる螺旋バネの動き見ながら弦を引き、右手と両腕が覚えた感覚(張力)を確認した。

「どうでしょうね 彼は長らく秘境で暮らしていましたから 体がこちらの方を馴染んでいても不思議では無いでしょう」

その声を聞いた瞬間、エグザムは綻んでいた表情を引き締めた。なにせやっと離れてから半日も立たず聞きたくない声を聞いてしまったからだ。

(ゼルと誰かの会話、足音は二人以上。随分待たされたな。)

エグザムは振り向かず、背後の扉が無い入り口へ耳を澄ませながら周囲に置いた探索具を一つずつ寄せる。

「最初に聞いた時は驚きました 外世界にまだ狩人の風習が残っていたなんて誰も信じていなかったので」

声だけ聞けば、二十歳に満たない声変わりしたばかりの少年が若干興奮気味の老婆と会話している。内容から誰の事を話しているのか理解するのに苦労せず、徐々に大きくなる足音からエグザムは老婆に歩幅を合わせている残り一人を推測し始めた。

(そうかこの音は杖の類。義足、とは違うようだ。俺の理解とかけ離れた街の住人では推理も邪推にしかならんな。)

やがて最も緩やかな足取りの正体が家の入り口前まで接近し、客人のエグザムも対応する為立ち上がる。

(鼻頭に緑の痣だ。ああ生体痕か。)

振り返ったエグザムは、瞬間的に表情を一変させ驚き硬直した大柄な老人と目が合い。同時にその老人の背後から声にならないゼルの冷笑を聞いた。


生体痕。秘境で生息するあらゆる生物は、土壌や水に混じった汚染物質や重金属類に何等かの耐性を有している。かの文明の生き残りもこの星で生き残るため細胞核に特殊な処理を施し、それが遺伝により多様化した結果特定の痣が皮膚(皮下脂肪)に浮き出るように成った。なお詳細は本編にて紹介


斜陽が東側の窓から西側の窓辺を照らし、同じく半開きになった西窓から冷たい風が室内へ流れ込む。長老の家とは名ばかりの休憩所で新たに三人が靴を脱いでから数刻経ち、自己紹介と街の紹介を終えた長老のロウは昔話(本題)を語り始めた。

「実はな 私の生まれはイナバ三世なんだ この(しるし)は後天的に得たもので両親は純粋なホウキの民ではない」

赤毛の長い髪を頭後ろで結わえ、歳で白くなった地毛が枯れた植物を彷彿とさせる老人。自らロウと名乗ったこの長老ギ・ロウは、妻である前祭司(さいし)のゾラと共にエグザムとバロンへ相対しながら毛皮の絨毯に座っている。

「改めて言うがここホウキでは(いにしえ)より(しるし)の無い者は外世界へ追い出される(しきたり) 例え民の血を引いていても生き永らえる術が無い者を活かせるほど神の園は優しくないからな」

時として隠れ里と噂される集落、しかし真の名はホウキ。かつて()()を追われた古代人の子孫が、この地に住んでいた雪人(ゆきびと)と共に暮らすようになって築かれた仮初(かりそめ)の楽園。

「切っ掛けや諸々の話は省くとして 真実を知った私は罪を償う為にホウキの民として生まれ変わった 長老に選ばれてからこの街は大きく発展したが 昔から解決すべき問題がまったく進展してない有り様だよ」

ロウは片腕を振りお手上げだと手振りでも意思表示し、エグザムも話しの問題がいかに難関か頭を悩ませる。

(街の開発。つまり発展する展望に行き詰ったので、問題が表面化し信用を失う前に新たな新方針をうち出したい。そのために古より悲願と伝わる聖地奪還を思い出し、組織の代理人を通して聖柩塔(せいきゅうとう)に協力要請を出していた。流石、俺を必要とする理由として良く纏まっているよ。)

二体の(組織)(かい)し彼には、周辺の地政学的実情を十分に把握できるだけの情報を与えておいた。即ち彼が所属する探索団の代表として死神の宿命を全うする足がかりの為に、以前の私が用意した最初の舞台に上がった事になる。

エグザムは腰帯に巻いていた赤い手拭を解くと白と灰色の絨毯に落とし、長老夫妻に見えるよう白き花の紋章を表にして広げた。

「結成されたばかりだが今の俺は探索団の探索者だ そしてこの街と探索街が一定の距離をおいている事を知っている。」

更にエグザムは己の右腕付け根を左手で軽く叩き、布団を叩く様な音を二回部屋中に響かせる。

「本来なら手拭をこの位置に結んでおかなければ密猟者扱いされてしまう 案内役が戦士長から門の戦士に移った時に俺の判断で外しておいたが 今後街中だろうと外したまま出歩く行為をしたくない 街の住人に対しどこまでの説明が済んでいるのか聞く」

瞼を閉じたロウは色素が薄い自らの長い髭を撫でながら考え込み、背筋を伸ばしたまま動こうとしない。

エグザムはロウの髭を撫でる動作と不動の如く沈黙する姿に即視感を感じ、色合いを失い暗色系の赤色とは違う綺麗な白い髭と毛髪を直ぐに思い出した。

「長老殿 彼は貴方の友人の孫です 以前私が提案した話で通した方が誤解や軋轢を生み(にく)くなると思います」

沈黙を無視し突如喋りだしたゼル。今まで殆んど発言しなかった隣の代理人に視線を移したエグザムは、人心を操るのに長けていると自負した監視役の技能を見物することにした。

「私の役目はあくまで彼の目付け役ですが 協定の条件と街の生活を損なう状況が発生すれば報告せざる負えません なのでそろそろ例の件を話してもらわないと困ってしまいます」

ゼルの右頬が陽光に照らされていて、エグザムはその動く顎と筋肉に普段見ないなにかを観る。なにより右隣にて座っているエグザムの目に、そのやや浅黒い肌がこんがり焼けた獣肉に見えたのだ。

(首を折った時の感触はたしかに獣と同じだった。おそらく衝撃で骨が潰れる前に外れる構造なのだろう。)

エグザムは錯覚の原因が絨毯から発せられる年季と言う独特の匂いだと後に知る事になる。

「あぁすまんすまん 懐かしく感じて忘れていた」

先ほどまで真剣に瞑想していた面影は消え、鼻で笑いながら話題を先に進めるロウ。今度は自身ではなくホオキに伝わる昔話を語り始める。

「まだ我々がこの地に住まう前の遠い昔 そして神の園が外界から閉ざされていた時代 先祖達古代人は赤い山の地中で暮らしていたそうだ 無論いつから底で暮らすようになったのか どれ程昔の事かは解らんが今より発達した文明を有していたらしい」

()()()と言う単語を耳に入れたエグザム。長老の言葉を聞きながら左隣に座るゼルとは違う代理人の言葉を思い出した。

「当時を遺した記録や遺物は既に失われたか持ち去られ 我々ですら僅かしか全貌を知らない 伝承によれば獣の名を継ぐ王と炎の秘術によって永久の繁栄を約束された楽園 名はイナバ この地を創造した神を(まつ)る聖地であり 外界の大罪から炎の民を守る砦として機能していた 民の指導者である王は外界を跋扈する全ての獣を操り 同時に神の命令を執行する絶対強者だった 何を以て強さとしたのか我々や雪人さえ知る者は残って居らず 肝心な内容は永遠の命と言われる言葉を除いて死語と成ってしまった」

話だけなら永久の繁栄と永遠の命が繋がっているのだろうと、黙って話を聞いていたエグザムは考え。類似した伝承や御伽噺なら両手で数え切れない程読んだ身として、最後の秘境と揶揄されている神の園の伝承に相応しい内容だと感じた。

「今から話す内容だけは必ず覚えてくれ まず探索街の始まりイナバ二世と今話した聖地は別々の場所にかつて在り 我々と現探索街に住む住人の多くが同じ先祖の血を受け継いでいる 聖地から何等かの理由で東の地(雪人の里)に逃れたのが我々の先祖で 南の湖畔に移ったのが向こうの先祖だ ただ現探索街の先祖は 交流が始まってから外界の血が混じり始め時と共に痕と力を失った 伝承によれば南に逃れた者達が聖地から運び出した遺産によって聖地が復活するとのこと もっとも私が知る限り関連しうる具体的な話など聞いたことが無い 今話した伝承も起源を遡ればおそらくこの時からだろう」

時代考察として補完するならば、聖地が存在し栄えたのは旧時代初期から末期にかけて。また統一暦の始まりから続けた調査により、信仰の放棄又は信仰に対する蜂起によって国家基盤が崩壊したのが直接的な原因と私は推測した。

ロウは長い説明を終え一度口をつぐむと大きな欠伸を放つ。外見年齢で六十台後半に差し掛かる顔の皺が少し減り、エグザムは視界外から現れたゼルの両手に有る代物に気づく。

(おさ)としての昔話はもう終い 今から貴殿の武運と息災を祈るがてら 代々受け継がれし宝具と我々の悲願を託そう」

エグザムの目の前に、厳密には赤い手拭の上に緑の風呂敷が無造作に置かれた。それは再会したゼルが背負っていた大きな包みで、布に包まれている謎の箱はホオキへの旅路に所持していなかった代物だ。

(包みは只の染物。この手出しし辛い感覚と皮膚の痺れはなんだ?)

エグザムは黒に近く深い青色の布へ手を伸ばし、宝の類とは考えれない何かを調べようと慎重に触れてみた。

「蓋を開ける前に中身を教えよう その箱には復元された狩人の装具 血染め が入ってる」

結わえられた結び目を解いた瞬間、染物で包まれていた四角い白い木箱が姿を現す。箱は文明圏でごく普通に使用されている皿や衣服用の収納箱と似ていて、文字や模様が描かれおらず白い塗料が塗られているだけの品に見える。 

「見た目は遺物から作られた特殊な衣服だが 我々が今着ている布職人が織った衣服とは全くの別物で 解り易くまとめると 獣因子に近しい物質を纏う為の下着と言ったところか」

木箱は一切施錠されておらず、音も無く蓋を開けたエグザムは箱の中身を直視する。

「この透明な袋は何だ どちらも見たこと無い素材だな」

箱の中には、文明人の多くが着用する本物の下着と同じ白い何かが、皺が無い透明な袋の中で折り畳まれた状態で保存されている。もし何も知らない他人がそれを見れば、大半は薄手の冬着と勘違いするだろう。

(それにこの感覚、まるで謎の獣と相対している気分だ。獣関連の遺物にこんな代物が有ったとは。)

エグザムが貴重な遺物に驚きながらも箱の中身を取ろうとした瞬間、箱が青い織物の上でエグザムの手元から瞬時に移動した。

「すまん 重要な話を忘れておった」

エグザムにおあずけをくらわせたロウは、敵意と戸惑いの間で揺れるエグザムの獣目を見ながら語りかける。

「これは復元された代物(しろもの)だが同時に古くから我々を守り散った狩人達から託された遺品の一つ 今から百と二十数年前にも 当時狩人としてまだ未熟者だったある若者が蘇った龍と戦う為にこれを着て戦った 伝承によると袖を通す者は獣としての意思に目覚め 代償を払い比類なき力と意思を体現した存在に成れるらしい その若者は多くの戦友と自らの命を費やし災厄を葬った 当時を知る者は生きていないが その戦いで最後の一着だったこの血染めが破れ それまでに狩人が培った業の多くが伝説と成ってしまった」

ロウは喋りながらも木箱を手で押し、そっと元の位置に戻す。当然視界内で動く物体を見逃さないエグザムも今度ばかりは手を出さそうとしない。

「既に教えたとおりホウキで職に就いている者は全て血の流れ(生体痕)で決まっている 狩人が緑なら戦士は青系統 異能を管理している御子(みこ)達は赤色(せきしょく)が多い 他の色は下の通りで暮らしている所為で気づき難いだろうが 本来これを着れる正統な者と同じく何等かの一芸に秀でている者ばかりだ」

長老が話す内容からエグザムは、血染めの能力を発揮出来る人材が街に居らず困っていると感じれなかった。故に目の前に置かれた木箱の中身自体が、空想上において最強の龍の様な災いを呼ぶ代物ではないかと勘繰り始める。

「話を止めろ これ以上聞いても俺の頭が混乱するだけだ それに俺はこれを着るかどうかまだ決めてない」

エグザムは意思表示として箱内側の薄い木目がそのままの蓋を手に取り早急に両手で枠に填めようとした。

「エグザム様 取り乱さず落ち着いて 長老殿の話は貴方の今後を左右しますよ」

しかしその挙動を制止する為に左から伸びてきたゼルの右手が、エグザムの皺だらけな袖の上から左腕を掴む。

(やめろ俺に触るな!)

全身を襲う得体の知れない感覚に思考停止(恐怖)したエグザムは、人間では不可能な太さ()まで腕を膨張させゼルから逃れようとした。しかし己を拘束するが如く強く絞まるゼルの右手(拘束)により、己が知らず知らずのうちに獣の如く喉を鳴らしているのだと気付く。

「驚いたな ここまで感応するだけの力が有るとは 貴方は私が知る友人より死神らしい」

長老夫妻は先ほどまで何も変わらず、それぞれでくつろいだ姿勢のままエグザムを観察している。更に長老のロウは箱から例の血染めを手に取ると、対面しているエグザムに直接手渡した。

「エグザムの名が何を意味し 同時に何の為に存在しているかある程度知っておる 故にここで断言しよう それは今も昔も街の住人より貴方が着る方が役立つ 伝承に謳われる姿を外様の私の代で拝めるとは光栄のかぎりだ」

そう言った直後、ロウは街の未来の為にそれを着て欲しいと頭を下げる。その様を目の前で目撃したエグザムは、目線を長老の赤い髪の毛から手元に移す。

(感応、そうかこいつが原因か。探索遺物でもないこんな物に鳥肌を立てる日が来るとはな。)

エグザムは血染めが透明な膜で梱包された理由に気付き、密閉処理された血染めを一瞥してから箱に戻すと、今度は己の背嚢の上に置いた。

「こちらも非礼を詫びる 今まで面倒な回り道ばかり進まされた所為で冷静さを欠いていた 是非血染めやホウキの伝承について教授してほしい」

そう言い頭を前に少しだけ傾けたエグザム。先ほどの醜態を恥じて耳まで赤く染めている。

顔を赤くしたエグザムから目線を移したロウとゼル。一瞬見つめあった後、ロウは隣に座る妻の老女に相槌を送り、セルは音も無く立ち上がってエグザムの背後に移動した。

「血染めについては私が説明しましょう」

色素が薄くなった茶色い長髪を後頭部で丸めた老女の名はゾラ。長老であるロウの妻にして御子(みこ)を束ねる祭司だった者。既に引退して四十年近く経ち額の紋様が消えているが、赤の生体痕を濃く受け継いだ真紅の虹彩()は健在である。

(元祭司が話すのなら、血染めは本当に宝と言える品なのだろう。最初見た時はまさかとは考えたが、本当にカエデの祖母だとはな。)

彼女は上下とも緑の染物から作られた薄着を着ており、ホウキの亜人特有の長命さゆえに歳が判り辛い容姿を醸し出している。

「その血染めは最後の戦いで破れてからしばらくの間 ホウキの聖殿で保管しておりました 私が祭司に成ってから数年後 あちら(聖柩塔)から修復の話が持ちかけられ 私は先代の長老と協議して使者(代理人)に回収した全ての残骸ごと提供することにしました」

話の途中でエグザムは、首筋へ誰かの手が近付いている事にようやく気付く。しかし夫妻の前で行動を躊躇(ためら)ってしまい、生じた隙をつかれ首から提げた死神の首飾りをゼルに奪われてしまった。

「心配なさらずともその核結晶は貴方の物です 元々は血染めが得た命を蓄える為の重要部位でしたが 破損した時外れてしまい私達では治せませんでした」

エグザムは紫色の遺物に秘められた一つの真実を聞き、室内を歩くゼルからゾラの手元へ移動した立方体の水晶体を凝視している。

「知らなかったのですね これも血染めと同じく聖地にて作られた立派な宝具 本来なら(あか)を継ぐ者のみ力を引き出す事が可能なのです」

驚き開いた口が塞がらないエグザム。頭の冷静な部分が導いた答えにより、今まで曖昧だった事柄が数珠(じゅず)の様に一本の線で繋がってゆくのだから。

(だから掟がどうので俺を直ぐホウキへ入れなかったのか。全ては俺の血がこの世界に馴染むまで、今までの苦労は全て予行演習だった訳だ。それにバロンが言った器の件やゼルが告げた何かの終わりも関係している。どうやら俺はこれから、偽善に満ちた壮大な計画の重要局面を担がされるのだろうな。)

口を閉じ唾を飲み込んだエグザム。傍らに置いた大きな背嚢の上に置いたばかりのそれを手に取り、それ(運命)から逃れる術が無いか考え始めた。

「この核結晶が無ければそれは機能しない只の遺物 しかし一度それを纏い核結晶をはめ込めば 貴方は今の装具と枷から解放される かの英雄は結局力に飲み込まれましたが あの死神を超える貴方なら真の命を纏える筈です どうか我等にお力添えをエグザム様」

夫に続いて頭を下げたゾラの頭髪を沈み始めた太陽が一層赤く染め上げる。ただ待っていても虚しく過ぎて行くだけの時が、エグザムの顔を宿命へ向けさせる。


血染め。簡単に表現するなら包帯を繋げた全身タイツ。爪先から首筋まで覆う白い装束は、死体を長期保存する為に用いられるあの死装束。

しかし所詮は衣服の類と侮る事なかれ。一度纏えば繊維が皮膚と同化し始め装着者を取り込む。故に脱ぐ事はほぼ叶わず、死ぬまで他の衣服で獣の体を隠す事を余儀なくされる。


物音で目が覚めると月明かりの夜光が西側の窓から己の白い裸体を照らしている。僅かに聞こえるのは虫がさえずる鳴き声と夜風が何処かの隙間を流れる音だけで、天井まで光が届いてない所為か寝転んでいる視界の大半は闇ばかり。

(俺は本当に白爺を超えれるのか?武勇伝以外何も話さなかったのは、俺に生死の狭間を考えさせない為か?)

エグザムは何時もより重い体を動かし上体を起こすと、血染めを纏ったばかりの裸体を調べ始めた。

「まだ感触が掴めない 食事はおろか排泄まで我慢しないといけないのは居心地悪い」

錬金術の先端を走る一派の中心地で復元された遺物は、利便性を向上させる為に排泄回りの構造を刷新してある。具体的に上げれば肛門と泌尿器を覆う部位(以降()()()()と呼称)が追加され、後に紙おむつ等の文明品を装着し易いよう別途の加工と処理を施しておいた。

(全身火傷を覆った瀕死の重傷者の気分だ。なんとなく息苦しく感じるのは錯覚などではないぞ。)

エグザムは息を整えた直後、右腕を限界まで力ませる。

「こいつは凄い・・・・」

血液が集中し力瘤(ちからこぶ)が元の倍以上に膨らんでも、血染めが伸びたり破れたりする気配が無い。獣の血を吸収してそのまま心臓から送り出せる死神の能力と合わされば、これまで制限していた挙動も可能と成るに違いない。

エグザムがこれまで銃火器に頼らず原始的な自衛具と大量の探索具に頼ったのは、纏う衣服と防具の規格がどうしても身体能力に追いついていなかったからだ。

(細身の筋構成に努め体重を削ってまでして装備を用いてきたが、これからは腹袋を背嚢として多く矢種を持って行ける。足が遅い獣に走り負ける事態に成らずに済みそうだ。)

ふとエグザムは日没から横で寝ている筈のゼルの姿がない事に気付き、絨毯の上に畳まれた布団代わりの毛皮を発見した。

(排泄しに出かけたのか?所用が有るとは聞いてない。)

エグザムは浅黒い肌の若者が寝ていた辺りの絨毯(敷き布団)に頬を当て、使えない手の代わりに僅かに熱が残っている場所を探し当てた。

「あいつめ(わざ)と俺を起こしたな 向こうがその気なら俺も相手してやろう」

普段から鎧や探索具を装着して寝起きしている所為で体が何時もより軽い。エグザムは窓辺に立ち外を見ようとした瞬間、窓とその周囲に出現した紫色の光に驚く。

「ああこいつから反射して・・・あ」

エグザムは首飾りとして所持していた頃の核結晶が光を反射させない性質だった事を思い出し、胸の装具に填め込まれた紫色の立方体を取ろうとする。

(駄目だ、今取ると面倒事が増える。)

そっと腕を下ろし胸を撫で下ろしもしたエグザム。靴すら履かず、自らを起こした元凶を探しに扉が無い入り口から外に出た。

「懐かしい匂い」

満月とは程遠く新月に近い月が大地を青く照らしている。しかし山や谷の稜線が僅かに判る程度の明るさで、蟲や獣を寄せ付けないため街にも明かりの類は一切無い。

エグザムは風に混じって運ばれて来る水と森の香りで鼻を洗い、周囲の崖下に広がる街並みが秘境の只中に在る事を実感する。また周囲の環境から己の奇怪な出で立ちが目撃されるとは考えられず、高揚とした気分がエグザムに変質者()(まが)いの行動を促してもなんら不思議ではなかった。

日付が変わり二十二日。統一暦二世紀目も半分に差しかかり、文明圏では連日賑わい始めた五期。秘境においても薄暗い坂道を疾走する影が、月明かりの下で時折崖の岩にその姿を映す。

(台地の上に居ると考えたのは間違いだった。ヤツめ、必ず見つけ出して思惑を吐かせてやる。)

血染めの表面は包帯と同じ白さ。故に夜間の間は首から下が闇に溶け込まず、月明かり等の僅かな光源でも容易に姿を浮き上がらせる。しかしエグザムの優先順位は姿をくらませた代理人の事で一杯で、相手が害獣ならいざ知らず、今更人目を気にする考えなど浮かばなかった。

「奴の匂いは覚えている 何も臭わない代理人も獣とは違うからな」

エグザムは岩肌を抉って造られた階段通路から飛び降り、数秒自由落下してなだらかな傾斜道を転がる。イナバ三世の砦北側より複雑に曲がりくねった登山道も、上から飛び下りながら進めば迷う事など有り得ない。

(代理人の髪から発せられる匂いは獣とも人とも違うが、俺には解るぜ。あの意図的に人間を模した油の匂い、まるで蟻酸の様にこびり付く匂いだ。)

エグザムは一定の間隔を空け、鼻を小刻みに鳴らしながら周囲の空気を一定量吸い込んでは吐き出す。途切れ途切れに感じれる人工生命体特有の体臭を、岩や坂道の窪地に残った空気から割り出していた。

(風が台地に阻まれていて良かった、この調子なら下で分岐した通りから行く先を割り出せる。あいつの目的が何だか解らないが、俺への監視を疎かにするだけの理由が有る筈だ。)

組織の協力者との密会や別の命令を遂行しに行ったとも考えたエグザム。ようやく石垣で側面を支えられた土砂の坂道まで下りて来た。

(どうやら俺がもう少し起きるのが速かったら奴は遠出しなかったようだ。理由はどうであれ、こんな判り易い足跡を残せるのは俺かあいつ等だけだからな。)

草や土に還る前の枯れ草が散らばす坂道に残っている数種類の足跡。角ばった足跡は街の住人が通った跡だが、丸くくっきりと凹んだ砂は体格の割に重いことを物語っている。

「安心してこの坂を下りた・・・いや それは希望的過ぎる 走らなかったのは物音を立てたくなかったからだろう」

エグザムも硬い土砂にくっきりと縞模様の足跡を残し、街の通りでも比較的古い石畳の小さな広場に降り立つ。月明かりに照らされ闇世に浮かぶ街並みは生活感漂う廃墟の様な違和感を醸し出していて、エグザムはどの方角へ進むべきか思案する。

(やはり俺の鼻が使えるのはここまでか。今回もおそらく前から予定していた外出なのだろう。俺が奴なら人口密集地を避けて通りを迂回する。)

エグザムは立ち止まった所為で冷え始めた体に気づき、踏んでいる石畳から足の裏へ伝わる冷たさに舌打ちした。

しかし彼の想いは何処にも届かず誰の耳でも聞こえない。夜が更けるこの瞬間もホウキを舞台とした騒動が進行している。


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