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秘境日和  作者: 戦夢
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序章前半



序章「外から来た同胞」統一暦百四十九年,十二期,二十七日。

春に活動を始める大小の固有種は繁殖期の夏に捕食者の餌と成り、秋に実った果実を求め争奪戦が繰り広げられた獣達の庭。冬を迎え激変した天候により生態系が崩れ、木々を残して銀世界に様変わりした秘境に獣の姿が見えない。

その庭の一部は屍山と呼ばれ多くの害獣が縄張り争いを行う有数の激戦地だった。雪の谷に様変わりしたこの季節、地方特有の季節風ばかりが乾いた氷の結晶を荒らすばかりだ。

荒らすのは風だけではない。外から来た獣や文明生物が、命の糧と夢を求め流れ着く様に年中つむじ谷へ群がって来る。

快晴の下、正午過ぎの屍山。砂漠地方で見かける白い衣の民族衣装で全身を隠した謎の狩人。他所の季節限定の装具を着用して家畜の鞍に座っている。

「今年は人間が多いな。どうせまた傭兵崩れだろう。」

声は若い男性で高くも低くも無い訛りを帯びた共通語。雪の上に座る家畜の背に乗り、双眼鏡で南の尾根から見渡せる谷全体を観察している。彼の名はエグザム、屍山を有する秘境つむじ谷に住む狩人だ。

家畜と言っても食用より騎乗用であって、乗っている不死鳥は古来よりつむじ谷で生息する群から捕獲した一頭。慣れさえすれば便利な足として可愛がれるだろう。

警備隊発の遣い鳥である大鴉(でんしょばと)の知らせを受けたエグザムは、屍山に侵入したよそ者の対処に北の境目が見渡せるこの場所に陣取っている。

「数は八、人間のみで乗り物一つ。何れも情報どおりだ。」

双眼鏡のレンズに雪上を歩く異物が映し出される。谷北側の尾根に登山道は無く、警備隊では無いのは一目瞭然だった。

「検問を迂回して直接入ってきたのか。無謀なまでに大胆な奴等だ。」

屍山の北は複数の谷で構成される山岳地。同地帯は荒れた岩場が多く、一度山道を外れると見渡しが良い冬でも関係無く立往生する。

道に迷った一団が東西に横たわるこの谷を目指し、境界線の尾根を北から越えて来た訳だ。白い大きな背嚢とツルハシを背負い手に持つ狩猟銃から、盗掘や密猟が目的なのは一目で判った。

そう、数日前まで降り続いた雪で覆われた山々はとにかく歩き難い。特に人間の足では一方的に体力を消耗してしまう。

「やはり密猟集団だな。予想より行軍が速い。」

白い布を被せた不死鳥に跨り顔から双眼鏡を下ろしたエグザム。冬にしては招かれざる珍客を血祭りに挙げる為、季節限定の対処法を模索する。

八人の侵入者はそれぞれ白色の装備で身を隠し、一台のソリで重そうな荷物を運んでいる。四人がかりでソリを押す様は、贈り物を届ける赤服の配達人を彷彿させた。

「準備は万全のようだ、素人ではないな。こちらに見つからないよう山道の途中から侵入したらしい。」

雪山に慣れている不死鳥の足に勝る存在は少ない。問題は数と物量の差を縮める方法と、狩場に誘導する手段だった。

氷点下に近い気温と照りつける太陽光があらゆる生物から正気を奪ってゆく。エグザムは冬の季節にわざわざこの場所を通る判断をした事に疑問を浮かべるが、所詮憶測の域を出ない。

「考えるだけ無駄だ。直接問い詰めよう。」


つむじ谷。東大陸西の大国「貴族連合」(以降は連合)の西海岸国境に跨る秘境(保護領)。同地方では珍しく成った数多の生物や鉱脈が多いので、資源保護の名目で領有国が立ち入り制限を敷いた半島の付け根部分。温暖な地方にも係わらず何故か季節による寒暖の差が激しく、古くから文明を遠ざけていた。

半島との境界には御山と呼ばれる霊峰が聳え、一年の大半を雪化粧を纏い周囲を平伏させている。また一帯は火山地帯でもあり、御山の北の裾野に蒸気噴霧口が幾つも点在している。地熱を利用した温泉街がつむじ谷北東の湖畔に在る。

同秘境は半島北部の山を中心に北へ扇状に地名が付けられており、東共通語では西から「岩山海岸」「獣の森」「煙谷」「屍山」と続いている。屍山の東側は運河が流れていて同国の国境でもある。


獲物を狙う主人に大きな嘴を押し付け、鳴き声を上げずに存在を主張する不死鳥。良く訓練、いや調教された家畜には冬の雪山が嫌らしい。寒さに耐性を持つ個体なのだが、何かにあてられたかの様に布の下の乳白色の羽毛が逆立っている。

同じく白い羽衣を被るエグザムは西の谷出口を双眼鏡で観察する。座る不死鳥の後ろ頭を撫でながら、吐く息で何度も曇る双眼鏡に苛立ち、その様子から余裕の無さと時間の少なさを伺える。

主人に感応するように鳥肌を立てる不死鳥が不憫でならない。

「去年あれ程暴れていた熊共が居ない。今年は餌が多かったからな、当てが外れた。」

熊と言っても人と同じ体高の同名の固有種ではない。川や草むらで獲物を待ち伏せするには不可能な巨体をもち、つむじ谷の実質的な捕食者「森熊」の事だ。正式名称は「巨大猫」、学術的には陸獣に分類されている。

エグザムは獣笛を頻繁に使い、春から秋のつむじ谷に侵入した不届き者や害獣を駆逐する狩人だ。育った故郷を守る番人は、今では境界係争を発見すれば駆逐せずには居られない笛吹き男でもある。

「起て。」

命令を聞き主人を乗せたまま素早く立ち上がる不死鳥。手羽先を広げ筋骨隆々な足で雪の下の地面を掴むと、癖で頭を捻り主人を視界に入れる。

首筋に跨るエグザムは赤い首輪の取っ手を掴むと、軽く負荷を与えて家畜を走らせた。谷底を目指さずに東へ転進した武装集団を確認し、団体客の目的に目星が付いたからだ。


地名に屍の名が付く場所は此処だけではない。統一暦の始まりに発布された統合改姓により、あらゆる単語に共通語が付けられた。なので屍の意味は獣の餌場を意味している。そう、各地に点在する秘境では珍しい単語ではないのだ。


笛吹き男エグザムは家畜の太い首根っ子に跨り銀世界を俯瞰する。南の尾根から僅かに見える煙谷(山間の熱源地域)の水蒸気から湿度と気温を予想し、屍山を駆逐対象と平行して尾根を東に移動する。

「東の境界へ抜けて積荷を運河に運ぶ為の密輸集団だろう。わざわざ偽装工作で猟師を真似るとは、庭を密輸経路に使われたら番人失格だ。」

年老いた本物の番人から見習いを口実に役目を押し付けられていたエグザム。育ての親に恥を掻かせるほど恩知らずではない。

鞍に固定した白い袋の一つから武器を手に取ると、厚手の手袋越しに冷え切った金属特有の感触が伝わった。

騎乗時でも扱い易い簡素な一体弓は、番人からエグザムへ受け継がれた装備の一つだ。常人では殆んど曲げられない半月状の反りの張力を、若干たるんだ鋼線の弦で矢に伝える。握り部を除いて曲線的な金属板は何かの合金製だが、元の持ち主曰く何の素材か忘れてしまったそうだ。

右肩に矢筒を背負い揺れる世界に負けないよう硬く結び、背中に金属製の矢がぶつかる音と感触を確かめる。右腕を大きく回して動作に支障が無い事を確認し終え、腰袋から愛用の獣笛を取り出す。

「寒いが珍しく風が無い。音を阻む気流の動きを心配しなくて済む。」

それは笛と呼べる代物ではなく、貝殻や骨の塊が良く似合う拳大の遺物だ。見る角度次第で形が変る一種の芸術品とも言える。


遺物。秘境に眠るお宝であり、良くも悪くも様々な恩恵を文明にもたらした切っ掛けでもある。大半はゴミとガラクタでそれ自体に価値は無い。磨かれて輝く宝石と同じで、多くの時間と労力を懸け初めて遺物と呼ばれる事が多い。もっともそれ等の大半は昔の話だが。


エグザムの口笛が遺物を介し獣の鳴き声へ変る。大きくも騒がしくも無い朝鳥(家畜)の目覚まし声が、不釣合いな冬の山間に拡散する。彼の狙いは翼獣の代名詞「怪鳥」を召喚する事だ。

「ふぅ、あいつらは何時も登場が遅い。つくづく何様のつもりだ。」

谷底を東へ進む運び屋達が不可解な音を聞いて騒ぎ出す。積雪の割れ目に足を捕られたり、積荷に異常が有った訳でもない。当人へも知れ渡った噂話を体験したからだ。

獣笛の穴と言う穴へ空気と振動を送る演奏者は、人外の視力で獲物の動静を掌握した。彼にとってこの瞬間はまさに至福の時であり、最も渇きと衝動を感じる機会でもある。

運び屋達は谷底の悪路で銃を構えて警戒している。ソリを押す数が二人に成り、移動速度を犠牲にして守りを固めた。

「伏せろ。」

静まり返った谷に何処にでも居そうな鳥の鳴き声が木霊する。雪に覆われた山肌でもしっかりと反射していて、何度聞いても騒がしい。そう、獲物達の狼狽や怒声を掻き消すほどに。

座りながら次の命令を静かに不死鳥。乳白色の羽毛が天敵に怯える気配は無く、肩に座る主人と一緒に状況を俯瞰する。

害獣による冬の狩りは何時も寒空の下で繰り広げられてきた。大抵は冬篭りに失敗した凍死体や遠方から食い扶持を探しに来たよそ者を見境無く襲うが、何れも晴れている日中に行われる。吹雪を除いて強風程度なら害獣の活動に支障は無く、見晴らしの良くなった縄張りを我が物顔で動き回る。番人の影響か、つむじ谷の獣達は周りの秘境より危険視されている。

何時もの餌の鳴き声を聞き、東より羽ばたく怪鳥の群がやっと来た。番人との壮絶な闘争(調教)劇の末、結ばれた休戦協定は今も健在だ。

獣笛を仕舞い終え、家畜の後頭部に右手を置いて感覚を研ぎ澄ませる狩人。

「久しぶりの人肉だ。お前も欲しいか?」

乳白色の大きな羽毛が逆立ち始め最初の銃声が届く。狩人は感覚の領域内に居る最初の獲物を選びつつ、矢筒から纏めて三本の矢を引き抜いた。

昔と違い狩猟に使われる飛び道具は銃火器が主流だ。重質量の鉄甲弾や炸裂弾と散弾、量産品から専属職人が生み出す変り種の多さは何時の時代も変らない。消耗品が同じく消耗品を扱い消費する仕組み、より効率と合理性を求めれば当然の帰結であった。

一方で銃口を向けられた種も変り逝く。淘汰世界で暮らす以上、避けては生きられない。高く飛び獲物の頭上で旋回する怪鳥の輪は、弾と体力に限界が有る事を番人達から知らされている。


怪鳥。世界中で良く知られ、恐れられる空飛ぶ害獣の一種。正式には翼獣「五色怪鳥」と命名されており、文字どおり五種類の色違い固体が確認されている。群によって色が分かれている訳では無く、大抵三色混在の集団(群)が基本である。

恐れられる理由は不気味な見た目ではなく、翼獣とは思えない速さと撃たれ強さを発揮するからだ。急所を除いて接近しなければ弾が貫通せず、大抵弾く程硬い外皮に覆われている。ある意味戦うために存在する怪物と考えたほうがよい。

また翼獣の基本的な生態と習性を忠実に実行しており、常に群で行動し必要以上に捕食しない。空腹の個体のみ積極的に襲い掛かり素早く狩りを終わらせる。縄張り意識が明確で深追いせず賢い生き物なのだ。


「獣の生態に詳しくない様子だ。猟師や探索者は居ないのか。」

打ち上げられる鉄甲弾が散発的に成り、飛ぶ渦の形が変化し始めた。頃合が来たと判断した狩人は奇襲の一矢を番えて引き絞る。秘境を忘れ文明の戦いに明け暮れた集団の一人を注視する。

その男は常に先頭に位置していた事から、道案内役と推測出来た。エグザムから見れば、逃げられこちらの手数を更なる噂として広められたくない。案内役を統率者より先に仕留める必要が有った。

自衛に良く使われる空砲での威嚇射撃から、明らかに的を狙った体勢で片膝を突く標的に矢を放つ。荒い鼻息で放たれた口封じの一撃は勢いを失わず首筋に刺さり、そのまま貫通する。お仲間は声帯を矢羽で引き裂かれ、断末魔を叫ぶ事無く絶命した仲間が居る事をまだ知らない。

狩人は素早く息継ぎを済ませ矢を番えると、怪鳥に気を取られ硬直している統率者へ放った。

射手が口を閉じるのと統率者の胸に穴が開くのは同時だった。一射目同様驚異的な速度で飛翔した矢は雪の下の地面に刺ささり、人体が雪に倒れ伏す音だけをその場に残した。全てエグザムの計算どおりに進む。

「解り易い奴等だ。逃げ道は俺が絶つ。」

弓を持つ左腕を僅かにずらして放たれた鉄の矢は、慌ててソリを押そうとした二人を貫通する。獣が誤飲しないよう頑丈で大きく作られた鋳造品に貫かれた仲間を目にし、武装集団に致命的な隙が生まれた。

狩猟銃を以て怪鳥に致命傷を与えるには背中や喉の柔らかい外皮を狙わなければならない。頭から尻尾まで硬く厚い皮膚に弾を当てても、飛行を妨害する程度の効果しかない。

始まる。と心の中で呟いたエグザムの視界内には、仲間を見捨てて我先に走る者。積荷を守ろうと足掻く者。積荷の一部をソリから外そうとする者。銃声と悲鳴が連続して響き怪鳥の羽が鮮やかに舞う光景は、瞬く間に終わりへ近づいた。

頃合と判断し、弓を持ち替えたエグザムは鞍左の袋に左手を突っ込む。慣れた手つきで引き抜かれた短銃身の片手砲が怪鳥の食事場へ火を噴いた。

「前、走れ!」

エグザムは家畜の肩から前へ突き出していた両足を鞍上で折り畳み、走り易いよう重心を後ろに移して不死鳥を加速させる。操る手綱を放し、後は餌を求めて坂を疾走する野生の勘に任せた。

「冬にしては積極的だな。森熊に餌場を荒らされたのが原因だろうか。」

獣皮や薄い板金製の防具等、空飛ぶ碇の様な生物の前では紙同然だ。嘴に銃弾が当たり火花を散らせて突っ込んでくる怪物を避けても、別の方向から迫る尖ったアギトに気づかず吹き飛ばされる。骨ごと砕かれ飛び散る内臓が増える度に、鳥の歓声は高まった。

「飛べ!」

都合よく剥き出しの岩目掛けて走るよう命じ、弓を素早く背中に回して片手砲の予備弾薬と短剣を荷物袋から抜き取った。

エグザムは装填された最後の弾を消費して、玩具と見なしソリへ近付く数羽をなだめる。笛の音とは異質な炸裂音は、伝承の機械獣の咆哮を再現した玩具だった。


片手砲。文字どおり各種高エネルギー(運動・科学)弾を手軽に撃てる携行砲。長銃と同じ目的で普及した万能武器で、用途による形状の差を含めて呼ばれる漢のロマン。氾造された多くの複製品が出回り、一部の地域で製造が規制されている。


咆哮(ごうほう)により血と肉片で汚れた雪原に群れる赤黄緑の怪鳥達を退場させたエグザム。響き渡る爆音に生物の体が震わされ、血の気の多い頭が平静を取り戻してゆく。

空中の最短経路を経てソリの近くへ舞い降りた死神と不死鳥。物言わぬ八つの肉袋を黙視してから上空の鳥達を伺う。

「あまり離れるなよ。」

そう言い終ると家畜の赤い首輪を外すエグザム。近場の死体目掛け飛び掛る不死鳥を合図に、数匹の怪鳥が散らばる食料を攫って行く。

人の味を知る獣達は瞬く間に食事を終えて帰り、後に残ったのは食えそうな物を啄ばむ家畜とソリやその積荷と幾つかの道具だけだった。

「さて箱の中身は何だろう。」

それは太い鋼線で箱ごとソリに簀巻きされていて、途中で荷を解く事を想定されている様には見えない。何より手持ちの工具類では鋼線を切れず、決断するまで時間は掛からなかった。

「無傷で状態も良い、牽引させて持ち帰るか。来い!」

屍山の谷底は獣の通り道であり縄張りの境界でもある。そんな場所を行き交うのが番人の仕事だ。大抵は獣の死骸を運ぶ役を押し付けられるエグザムも、家畜に死体以外を運ばせる日が来ると胸が高鳴った。

「進め。帰るぞ。」

何時ものように荷を家畜に引かせ、同時に後ろから押すエグザム。箱と鋼線の間に乱雑に差し込まれた銃と残骸をどう処理するか、どうせ引き篭もる番人の趣味の足しに成るだろうと頭の中で自問自答した。


不死鳥。鋭くない角張った嘴が特徴的な固有種の一派であり益獣の一種。二足歩行の滑空しか出来ない鳥。生物が存在する土地なら何処でも生きられる生命力と高い知性から、今も昔も愛好家が多い。

不死の由縁は生涯通してふさふさの羽毛を生やす事から付けられたらしい。生活環境によって生態や体色に影響が出やすく、人工交配で様々な派生種が存在する。


鉱物系の異臭と寒さを感じさせない放射熱の幕に包まれた煙谷。谷間に在る扇状地は地熱で雪が積もる事は無い。なので冬の季節でも暖房器具は殆んど使わず、天然の温室と年中流れる雪解け源泉が物好きに目を付けられてしまったのだ。

「雨が降ってきやがった。あと少しで間に合わなかったか。」

ただ水蒸気と上空の冷気が交わると頻繁に雨が降るので、冬は暖房器具より雨具を頻繁に使っている。積荷を押すエグザムは空に漂う灰色の雲を見つめながら、雲で見えないはずの御山の頂上を凝視した。

「笠雲が大きく成った。三日後は嵐だな。」

誰かに対するあてつけなのか一人で愚痴る主人とは対照的に、不死鳥は黙々とソリを牽き続ける。丁度最後の坂を登り終え、倉庫と化した夕暮れ時の番人小屋に到着した。

家畜を積荷と切り離し赤い首輪を外してやる。これら慣習化した合図を確認した不死鳥は、解放された安堵と惰眠を貪る為に必ず藁小屋へ駆け込む。

「宝箱を持ち帰ったぞ。中身を確認してくれ。」

積荷を宝箱と叫んだのは、当事者達が決めた暗号の一つだ。用心深い番人はこう言わないと飛び出してこない。

「遅く成ったな。日没まで時間が無い、さっさと終わらせるぞ。」

木造の番人小屋の隣に在るレンガ造りの丸いテントから、肩まで伸びた白髪を後頭部で結わえ口周りに白髭を蓄えた仙人風の老人が飛び出して来た。

「運河へ向かう集団が運んでいた。恐らく密輸品だろう。」

そういい残しテントへ入ろうとするエグザム。面倒な作業を押し付けようと企むが、老人とは思えない素早さで衣服ごと肩を掴まれた。

「勝手にワシの物を持ち出した横着者め、役目は最後まで果たさんか。」

狩りで纏っていた白い衣の民族衣装が、野菜の皮が剝ける様に簡単に捕られる。全身を覆っていた薄い外套を剥がされ、狩人の素顔が露に成った。

「珍しく家を出払ったと思ったら、俺の装備まで持ち出す輩に言われたくない。たまには本職をまっとうしたらどうだ白爺。」

エグザムは老人より若干背が高い。短かく刈り上げた黒髪と綺麗に剃られた口元が相対的に映え、印象的なのは育ての親と同様に人ならざる獣の形をした茶色の双眼だろう。

「何を今更、これも仕事のうちじゃ。」

厄介者扱いの白爺は年長者特有の口調で、エグザムに工具を持って来るよう話をまくし立てた。何時もの遣り取りは何時もどおりエグザムが折れて幕引きを迎える。


秘境の番人。秘境の管轄権を持つ伯爵以上の貴族が、独自に定めた領域を管理と監視する為に任命した責任者。進駐団と呼ばれる男爵子爵で構成された秘境専門の治安維持組織を置く金が無かったり、秘境自体にそこまでの価値が無い場合に限り適用される。

番人は秘境管理と運営を独自に取り決める権限を持ち、人材を登用する権利を有する。全ては溢れ出る脅威を抑えつつ、群集を籠に留める国策が元に成っていた。


日が落ち曇った小さな窓から室内の明かりが洩れる。白レンガの壁に渡された木材と厚い皮の屋根の下で、ある密談が始まった。

「伯爵様。これ等は如何(いか)ように為さいますか?」

喋りながらエグザムは白い粉が入った紙袋を机の上に置いた。白爺にお納め下さいと紙袋の一つを(なす)り付ける。

「こらこら、それはお主の取り分じゃろうが。ありがたく受け取れ。」

机の下を一瞥し、さらりと紙袋を一つ追加したエグザム。白爺に棒切れで阻まれようとも気にしない。

「おっしゃる意味が解りません。これでは私が全て独り占めしてしまいます。さぁどうぞどうぞ。」

不慣れな丁寧語を話すエグザムと、勝手に伯爵に祭り上げられた白爺。両者は椅子に座り対面する机の下に山積みで置かれた戦利品の後始末で揉めていた。

「何を言うておる。ワシの代わりに役目を果たす者への感謝の印じゃ、受け取れ。」

最後は命令口調で茶番を終わらせようとする白爺。エグザムは何時もとは違う何かを感じながらも、役目を名目に増える労働を減らそうとした。

「私では捌き切れません。折角の品が伯爵様のガラクタと一緒に小屋の肥やしに成ってしまいます。」

壁の白いレンガと同じ大きさの袋が全部で九十個。白い粉の正体は食用にも使える天然由来の吸水材だ。決して怪しい危険物ではないが、個人が大量に所有するのは禁じられ闇ルートで取引される品物だった。

「たわけ。もっと歳を取ってから出直して来い。」

演出でも自身のコレクションをガラクタと言い斬られ、何時ものように反射的に反論した白爺。眉間に皺を寄せながら席を立ち、隣の番人小屋と繋がる扉に手を掛けた。

「茶番は終わりだ、飯でも食っておれ。渡したい物が有る。」

エグザムはしたり顔で笑う。白爺が席を立ち隣接する番人小屋へ入る仕草が、珍しく仕事をする昔の番人と重なったからだ。

この時のエグザムは戦利品の隠滅作業を白爺が引き受け、自身は誕生日に地下室で書物を読み漁れると考えていた。


吸水材。複数の害獣から取れる素材を加工した物で、雨が少なく乾燥した地方で保水を兼ねた肥料の材料に使われる。

原材料の絶滅と無秩序な農地開発を抑制する名目で色々な税対象に指定されている。多くは連合から大部族団と周辺国に輸出され厳格な管理が進んでいるものの、製造の容易さと原材料の豊富さから認可外の製造と取引が目立つ。


暖炉の前に座り獣の干し肉と乾燥芋を頬張りながら、古い叙事詩を楽しむエグザム。赤く変色した木炭と灰の一部が崩れて、金網下の熱石(ねっせき)が火花を散らす。熱を溜め込む元素石は白爺が商人から獣の皮と交換した貴重品の一つだ。

「おお暖かい。流石に夜は体が冷える。」

足で扉を閉めた白爺は、両手で抱えるほどの木箱を持ってきた。エグザムからは布で覆われた箱で遮られ老人の上半身が見えない。

「今回持って帰ったのはそれか。随分大きいな。」

見た事無い四角い箱、中身はどうせガラクタや民族道具の類だと考えたエグザム。趣味と実益の為と言い色々な書物や古びた道具を持ち帰る白爺の収集癖に、何度ため息をついたのだろうか。果てには本来の住処を倉庫に改築し、流浪民風の家を地下工房の上に建ててしまう。エグザムにとって書物を読み解く機会をくれた事は言葉にし難いありがたさを感じたが、一方で何度も不満を抑えたのも事実だった。

「残念だが違う。これはお前の為に保管しておいた代物じゃ。」

床に響く振動と同時に立ち上がるエグザム。脳裏に数年前の記憶が甦る、獣笛を貰ったのも誕生日前の冬の夜だった。

「釘が錆びてるぞ、何年前の物だ。」 

恐らく箱の(ガラクタ)で埋もれていたであろ贈り物を前にしかめっ面で対面するエグザム。中に入っているだろう骨董品の所為で、複雑な心境にさせられた。何時もと同じく諦めるしかないのか?

「七十年間一度も開けてないから錆びるのも当然じゃ。ほれ、開けてみろ。」

手渡された工具は戦利品を確める為だけに小屋を探し回り、ようやく見つけた差し込み棒の一種。本日二度目の活躍である。

「確か内張りで二重箱になっとるはずじゃ。勢いで工具を壊すなよ。」

年代物の木箱を、同じく長い間放置された工具で開けよと命じる伯爵様。遠回しに怪力が必要な事をエグザムに教える。中身の安全は気にしなくてもいいらしい。


熱石。元素石と呼ばれる錬金術で作り出された人工魔石の一種。熱を限界温度まで溜める事が出来る。主に調理や暖房器具に用いられ、炭に成るまで繰り返し使用できる。一個当たり値が張り、数に限りがある消耗品。


埃と箱の木片が散乱する室内。エグザムは海綿体の生地に包まれていたそれを手にする。素人だろうと初めから武器の類と判る程に特徴的な臭いがした。

「重い物だな。白爺が作ったのか?」

最初の使用者と成るエグザムにようやく対面した骨董品。黒い塗料が艶を消し、熟成された油の匂いを漂わせている。

「そいつは手動弦巻式携行投射台、銘をツルマキと言う。西大陸の凄腕鍛冶師が造った怪物用クロスボウじゃ。そして」

白爺は問答無用で語り始める。漂う匂いと博学な口調が暖炉の光と合わさり、何時もと違う老人が其処に居る。

「本来はわしが使う為に造られた特注品の一つじゃ。」

白爺は百年近い年月を生きた狩人。幼少はエグザム同様秘境で過ごし、探検家を目指して技と知識を磨く。十八に成って直ぐに自立し、ある探検家の弟子に就いた。

「師は友人じゃった鍛冶師にワシの独立祝いを作らせた心算らしい。」

白爺曰く、携行銃火器で対処出来ない獣相手に護身用として幾つかの試作品が作られた。結局使いこなせずツルマキを選ばなかったものの、用いられた技術と素材の貴重性から保管する事にした。

「それで七十年前の棚上げ品を纏めて俺に押し付ける訳か。さては白爺、また隠れて裏取引をしたな。」

裏取引。研究を標榜し色々な物を集める白爺。交流深い商人を北西の海岸に呼び出しては、エグザムに隠れて用途不明のガラクタを引き取る事案が存在した。なので朝から所用で外出していた白爺に疑惑の目が向けられるのも当然だった。

「口出し無用。今回は重要な話をする為に温泉街へ行ってきた。お主に関係ある話じゃ。」

正当な理由で嫌疑を払おうとする白爺。椅子に座りエグザムに同席するよう語りかけた。

「実はな、訳有ってお主に知られぬよう幾つか隠し事をした。真実を伝えるから聞いておれ。」

名の由縁と成った白い口ひげが不器用に動き出し、怪談劇の如くエグザムの秘密を喋りだす。炎の淡い光が相対する獣の眼光に注がれ、最後の親子会議が開幕する。

「ワシが若い頃探検家をしていた話をしたな。お主に何度も旅の話を聞かせたが、全てはある御役目の為じゃった。」

エグザムの脳裏に幼少の記憶が甦る。伝記や伝承を記した叙事詩に飽き、話の種には何度も冒険話を白爺に懇願した去りし日々。全ての武勇伝を清算される如く思い出した。

「アルケメアの聖柩塔(せいきゅうとう)は知っておるじゃろ。ワシは其処でとある目的の為に生まれた言わば錬金生命体の様な存在じゃ。」

錬金。魔法や奇跡、そして秘境に眠る数々の技と原理不明な事象を表す共通語。文明の礎に成り富と名声をもたらすそれらを人々は錬金術と呼び、古くから権力と豊かさの象徴にしてきた。

「秘境で過ごしたのは事実じゃ、探検家の弟子に成ったのもな。だが全ては仕組まれた計画の一部じゃった。」

探検家に三十前の若者が成るのは当時としては珍しく、師は新進気鋭の若輩者に真実を告げた。

「聖柩塔が世界中の秘境で蔓延る係争と各勢力の情勢を知る目的で、わざわざ遺伝子段階から造ったのがワシじゃ。あの日から組織の支援の下、探検家の皮を被った観察者が誕生した訳じゃ。」

白爺は自らの大半の時間を費やした観察談を語り出す。エグザムには聞き覚えのある単語が次々に登場し、記憶の中の武勇伝が回顧録に変貌する。決して他人事ではないとこの時初めて悟ったのだ。

「理解した面じゃな。そう、お主にも役目が存在する。新たな狩人の宿命がな。」

白爺は二人の特徴的な瞳と人とは違う筋構造を隠す為、同じ特徴を持つエグザムも含め、亜人の血を受け継ぐ者と偽っていた。

「錬金生命体とは何だ。俺は人間なのか亜人なのか。」

エグザムの口から零れた疑問に対し首を横に振り否定する白爺。問いに対し簡潔に体験談を述べる。

「詳しい話は聞いておらんし、問い質してもまともな答は返ってこなかった。知っているのは計画の立案者のみじゃろう。一つはっきりなのは名の意味が死神である事と、ワシが二人目でお主が三人目と言うことじゃ。」

外の世界を興味や憧れの目で捉えていたエグザムにとって、白爺の告白は随分早い二十歳(はたち)の誕生祝のような気がした。もっと早く教えてくれればと思いつつ、当然の疑問を口に出す。

「何故もっと早く言わなかった。理由が有るのだろ、教えてくれ。」

興奮した口調で白爺を問い詰めるエグザムに対し、白爺は真実で滾る若い血を冷やす事にした。

「ワシがエグザムの名を返上した二十年前の聖柩塔で、お主を只の狩人に育てるよう最後の命が下された。あの日から今日に至るまでワシは役目をまっとうしただけじゃ。」

白髪白髭の老人はエグザムに自身の名を始めて告げた。エグザムは目の前の老人が祖父ではなく自身の未来の姿だと認識し、先程まで高ぶっていた外への思いと期待が熱気と共に口と体から放出される。

「温泉街で組織の遣いからお主へ役目と真実を伝えるよう言われた。どうやらエグザムを使う時が来たらしい。」

二人目の口から私の勅命が次代へ伝えられる、内容は次のとおり。

「エグザムは鎌を携え召集に応じよ。詳細は代理人から説明される。」

白爺は補足として温泉街に滞在している組織の遣いを教えた。エグザムの役目は自身で確める慣習が有った事を今更ながら思い出し、合流先での振る舞い方を簡単に伝授する。

「温泉街を歩いていれば向こうから接触して来るのか。識別に合言葉を言われたらどうする?」

片手で数える程度でしか温泉街の事を知らないエグザム。引退した前任者に意見を求めた。

「代理人達は組織の中でも上位に位置する者達じゃが、末端の者と同じく変装して活動しとる。はっきり言って見分けづらい。」

白爺曰く一般社会で生活する代理人を目視で区別するには、人間かどうか試す必要が有るらしい。さり気無く真実を濁そうとした白爺に対し、真意を掴みかねるエグザムだった。

「聖柩塔の影響力は絶大じゃが、活動内容が外や内側にも知らされない秘密ばかりの組織じゃ。今もワシの頃と大差無いじゃろう。」

世界中の勢力を、裏で何等かの繋がりと言う枷で縛っておいた。私の手腕とやり方はどの時代でも同じなのだ。

「じゃが心配するな。文明の奴隷や家畜の様な扱いは受けん。基本的に最低限の報酬と干渉のみで、自身の舵取りはお主次第じゃ。」

人と同様エグザムにも寿命が有る。更にその身は子を残し永遠の命を繋ぐ事も出来ない消耗品。より強い命の輝きを放ち闘志を滾らせるには、残り時間と死を絶えず認識させる必要が有っただけの事。

「獣の血が無ければまともに戦えない者に、その立案者は何を期待しているのだ。」

彼が不安を感じるのは当然だ。何故なら彼等は害獣の血肉が無ければ生けられず、秘境でしか生きられない。まさに事態は楽園を追われる死神を指していた。

「ああ、忘れておった。話を聞くにお主の体は血への渇きに耐性があるらしい。ワシ以上の身体能力と知能を以てすれば、今の文明圏でも問題無く暮らせるじゃろうて。」

白爺の一言でエグザムの心に漂っていた霧が晴れた。冬には感じられない獣の匂いを嗅ぎつけ心の狩人が再び踊りだす。

「そおか、なら今すぐ準備を始めよう。代理人を待たせる訳にはゆかん。」

エグザムは机に立て掛けたツルマキの足掛けを掴み軽々と持ち上げた。同身長の成人男性より思い錬金生命体と、従来の倍以上に重いクロスボウの荷重を受け床が悲鳴を上げる。

「流石は次世代のエグザムだ。その調子なら古代種や機械獣に後れを取ることはあるまい。」

長らく封印さてた規格外装備を手に取り試着する狩人と、それを眺めるつむじ谷の老いた番人。最後の夜を過ごす両者に別れを惜しむ表情は見られず、室内には新たな門出を喜び懐かしむ一般的な親子像が存在した。


アルケメアと聖柩塔。

連合西海岸諸島群の中で一際大きな二つの島が在る。片方は火山活動が活発で自然環境が少なく、もう片方は島自体が巨大な遺跡に成っていた。統一暦が始まる前の西方群雄(戦国)時代に、何処からか流れ着いた異大陸人が遺跡を改造しのが洋上都市アルケメアの起源とされている。

また統一暦制定に貢献したアルケメアは、これからも錬金学の最高学府として名声を欲しいままにするはずだ。何しろ旧文明の知識と遺産の影響力は伊達ではなかった。生き証人の私でも未解明の部分を解き明かすのに一世紀近く時間を要したのだから。

無論すべてが真実ではない。アルケメアの正体は箱舟の片割れである都市船アルトリア。宇宙の彼方に在る隣接星系から二百年前に里帰りしたばかりの宇宙船だ。

その真実を来るべき時まで封印するため用意したのが聖柩塔であり、秘匿名称アルトリウスの名で建造された箱舟の指令船だった。

聖域と化した本丸に住まう住人は限られ、知性体は私を残すのみと成って久しい。今の世界に名を轟かせる権威の中心は中央塔から移り変わった。周囲十基の元宇宙港を聖柩塔として交易政治の場に改造したアルトリア人の子孫が守っている。

二代目エグザム。

出身は西方大陸東部。三十歳まで同大陸を師と共に放浪し、多くの遺跡を探索した。巨人族と呼ばれる亜人の派生種達との交流を経て、東大陸に活動拠点を移した。

秘境に散らばる遺品を回収する為に製作した獣の戦士、そして私の分身。目には目を刃には刃を、獣には獣をと表すのが相応しい人工生命体(どうぐ)

確かに亜人と呼ばれる旧人類からの派生種と外観は似ている。部分的な筋肉構成の違いや骨格を形成する骨の数、中でも眼球の特異構造が最も似通った点だろう。


鉱泉特有の成分と関係しているのだろうか。石畳の通りに連ねる軒先に、香草や香木を焚いた臭いが充満している。獣の世界を過ごしたエグザムにとって、晴れた寒空に立ち上る水蒸気の街は異世界そのものだ。

「ママ、あの人武器を背負ってるよ。叱られたりしないの?」

ある軒先で食事中の団体客から少女の声を聴き取った狩人。人混みを歩きながら研ぎ澄まされた聴覚に、本日三度目の好奇心がもたらす会話を拾った。

「あの人はね、仕事柄で特別に許されてるの。左手に赤い手拭を巻いてるでしょ。この近辺で活動する探索者や狩人が身に付ける物なの。」

井戸端会議中の母親の袖を引っ張りエグザムを指差した少女に対し、丁寧に詳細を教えた母親。此処までの彼女は偉かった。

「狩人って前に話してた殺人獣(殺人鬼)だよね。秘境の悪者だよね?」

雑音が響く中、子供の純粋な好奇心で母親の教育実態を垣間見たエグザム。文明生物の取るに足らない話として、喧騒の中に置いて行く事にした。だが、少しだけ嬉しく感じたのは此処だけの秘密だ。

「しかし色んな物が在るな。何故奴等はこうもゴミで周りを飾りたがる。白爺の収集癖も文明人に影響されたのだろうか。」

頭では客引きと商売の為と理解していたものの、狭い空間に物を押し込める白爺の姿が思い出される。エグザムにとって親子だったのは既に過去の事。無意味な思考に時間を費やすほど、狩人は愚かではない。

「獣が焼かれる良い匂いだ。買い物の練習がてら腹を満たそう。」

温泉宿が立ち並ぶ大通りで、数少ない露天営業中の屋台が在った。獣の匂いに敏感な狩人は、光に惹かれる虫の如く吸い寄せられる。所詮狩人も獣の一匹、どれだけ口実で隠そうともその習性には抗えないのだ。

「いらっしゃい探索者さっ、ん。」

白い薄手の装束を着こなした屋台の主人は、匂いで招き寄せた探索者風の若者に驚く。目と目が合い、獣の眼光に射抜かれたからだ。

「串刺しにした肉は何の肉だ。」

星鼠の燻製肉だと中年の主人は慌てて答え、一本銅貨五枚だと付け加えた。亜人の中でも獣目は希少なのだが、害獣の脅威を良く知る者には無縁な話だ。

「二本貰おう。」

銀貨一枚払い一口サイズの肉片を十個手に入れたエグザム。件の大きな鼠を最後に見たのは秋頃だったかと思い出し、久しぶりに対面した秘境仲間に齧りついた。


星鼠。一般には作物を荒らす害獣の一種。圧倒的な繁殖力と巣栄能力で食物連鎖を生き残る雑食生物。農家には脅威だが秘境では狩られる側で、同種含め世界で最も多い害獣だ。秘境や辺境の保護領では燻製や干物にされ、都市部では家畜や愛玩具として大量飼育されている。


宿場街にして温泉通りの終着点、巨石に「つむじ温泉」と掘られた記念碑の前で通りを眺めていたエグザム。長椅子に座りながらつむじ谷での生活を思い出していると、横から近付く物音が聞こえた。

「此処に居ましたか。随分探しましたよエグザム様。」

初対面の筈だが名を知っている以上、話に聞いた代理人だろうと目星を付けるエグザム。白爺の話の続きを思い出し、痩せた運び屋風の男に口車をあわせる事にした。

「ああ、通りを見物しながら歩いたからな。何処で続きを話そうか。」

あんたが代理人だろ用件を聞こう。と、遠回しに尋ねたエグザム。場所を変える必要が有るか口で装っても、長椅子から腰を動かそうとしない。決して座り心地を気に入った訳ではないと、自信に言い聞かせた。

「天気も良いので世間話をしましょう。」

短い相槌で椅子の隣に座った男。世間話を合言葉に使う白爺と同様、物怖じしない性格をしていた。代理人の特徴どおり、わざとらしい人間臭さが印象的だ。

「最初に伝えます。南方では狩人に対する風当たりが此の程強くなりまして、無法者を除外する動きが活発に成ります。エグザム様の旅も面倒事が起こりうるかもしれません。明日の早朝出発しますので、それだけは忘れないで下さい。」

確実に騒動が発生する事を遠回しに報告した運び屋。エグザムに身分の詐称と長旅を伝える。

「解った。それで今度は何処に連れて行く。以前のようにあれこれ調べるのか?」

腕を組んで正面の巨石を眺めつつ、エグザムは活動目的を教えてくれと頼んだ。核心に迫る獣の気持ちに偽りは無い。

「その件で重要な言伝が有りますが、場所が悪いので明日にしましょう。今日は顔を伺いに来たので、そろそろ帰りますね。」

餌を欲する獣は、待ちぼうけを食らった表情で去り行く運び屋を見送った。残されたエグザムは思考の切り替えを始める。

「組織の手の者は他の場所にも居るだろう。監視される事を前提で行動せねば。」

驚きと悲しみが複雑に絡み合い、エグザムにやり場のない感情をもたらす。知識でしか知らない外の世界を味わえと、代理人のお節介に従う事にした。


運び屋。一般的な陸上輸送業者の総称。家畜や機械類を駆使し局地的に特化した事業者でもある。


二頭の草竜が歩き出し、布天井付きの大きな荷車が動き出した。伝説に残る竜の名だけを受け継ぐ益獣は、連合では一般的な労働源として人気者。

「体と頭の具合はどうです。問題無ければ私の自己紹介を済ませますので。」

大丈夫だ問題無い、と返答するエグザム。降り出しそうな曇り空に覆われた南西の山々を眺めていた。

「では、我々が共有する基本情報から伝えます。我々はアルトリウスの代理人であり、塔の意向を伝える代弁者です。詳細を省きますがエグザム様と同じく純粋な人間ではありません。そして、以後我々に対する質問に答える事もありません。」

代理人は自身を、所謂機密扱いの存在だと知らせた。閉口したままのエグザムに問い質す権限は無い。

「今はバロンと名乗っています。エグザム様が連合内で活動する時は、私が塔との連絡窓口になります。必要な物資や情報が有れば私を頼って下さい。」

森に囲まれた湖の湖畔を北上する竜車。馬よりも長距離移動に向いている太い足が、ぬかるんだ街道を踏み締める。揺れる荷台を強引に牽引する鼻息は、錬金術が生み出した導力車ほど五月蝿くない。

「エグザム様へ託された伝言を開封します。聞く準備は出来てますか?」

バロンの口調が通常より無機質に変わる。エグザムは変質した雰囲気に了承の相槌を送った。

「三代目の御役目は、世界中に散らばった特定生物の調査及び排除。対象は何れも三大秘境圏内で生息していると見られ、狩人の様に捕食者としての能力を有す。対称を区別する明確な定義は一つだけ、我々が血統と呼称した特殊な因子を受け継ぐ血液です。原因は定かで有りません。調査を兼ねてエグザム様の力が必要です。」

三大秘境と言う単語よりも、血統などと知らない単語に興味を示すエグザム。揺れる足場を物ともせず、立ち上がり御者席の隣に腰を下ろす。代理人の話はまだ終わっていない。

「血統を保有していると思われる害獣は地域によって姿や名が変わり、統一暦から存在が秘匿されてきた。三代目は狩人の経験を生かし目的を完遂するように。」

息継ぎの為少しだけ間を置いたバロン。今度は元の口調で語り出す。

現暦(げんこよみ)以前の記録が残っている場合が在るようで、我々が情報収集を常に続けています。次は現在まで判明している情報を伝えます。」

バロンは相変わらず抑揚の無い喋り方で国内情勢を話す。連合の文明勢力である十二貴族領と三大公の興亡。来年の交易祭や五色祭を控えた都市部の動静を簡単に纏めた。

これ等の話を忘れても問題無いと語るバロン。間を置いて忘れるなと言い始め、話が最も重要な場面に入る。

「来年の夏ごろに神の園で大々的な秘境調査が始まります。表向きは百年近く途絶えた秘境調査の再開ですが、直轄権を有する伯爵主導の下で新たな開拓街と探索制度の見直しが進んでいます。沈黙と不干渉を貫いてきた先住部族の代表と何等かの取り決めを結んだようです。エグザム様が政治的立場で行動する必要は有りません。判断材料として自由に活用して下さい。」

神の園の話は白爺から何度も聞かされ、何時かは足を踏み入れたいと考えていたエグザム。代理人のバロンの話からこの竜車の目的地が判明し、まだ見ぬ獣に合えると思うのと獣の血が沸き立つのは同時だった。

「話がお気に召しましたか。当便は来年の冬の終わり頃に神の園へ到着します。道中幾つかの都市に寄るので、必要な物資があれば私に伝えてください。最後の話は最も重要な事ですので、くれぐれも他言無用に。」

これまでは街道前方のみを見つめて話していたバロンが、首だけを右に曲げてエグザムを凝視する。エグザムは再生される録音装置が動き出すような錯覚を感じた。

「血統の情報が正しければエグザム特有の欠点である血の渇きを癒す事が出来、更には獣世界の高みである(けもの)因子を受け継ぐ事が可能かもしれない。真の狩人を目指すのなら、文字どおり秘境世界をたいらげろ。」

だそうです、と情報紹介を締めくくったバロン。平静を装いつつ興奮が収まらないエグザム。御者席の板に座る両者はこの後しばらく無言で前を眺めつつ、仲良く荷車の振動に揺さ振られる。


アルトリウスの代理人。名前を何度も変える年齢不詳の男達は、変装が上手い聖柩塔の手足にして目付け役。エグザムに助言や道具を与え、あの手この手で介入しようとする社畜達。命令に命を捧げる忠実な僕の正体は、私の人造人間(アンドロイド)であり玩具の消耗品。


連合は東大陸の西に在り、同大陸で二番目に広い国土を有する。国土の大半は肥沃な土地に恵まれ現在では農業が盛ん。統一暦以前から諸侯の対立と領土争いを繰り返してきた歴史が有り、現在でも経済闘争の形で騒乱が絶えない。十二の貴族の中でも三つの侯爵領が政治を牛耳り、同国の生産や消費と交易を担っている。

この貴族合議制の国は地域によるあらゆる差を差別化し、それぞれの神の信仰の下で大衆を動かす。全ては獣から勝ち取った生存圏を維持し、国家体勢と統治機構を安定させるため。祭りを権力拡大の手段とするなら、それを標榜した全ての事業が国家を形作るだろう。

神の園へ至る三ヶ月の旅路は長く退屈なものだ。路銀を食料に変えひたすら草竜の尻を拝む日々は、想像しないに越した事は無い。

大都市と幾つかの町を経由して神の園へ向かう運び屋の数は年々減少し続け、往来の減った特定の街道に害獣が出没する事案が多発していた。エグザムにとっても面倒な筈の竜車の護衛は、ツルマキ等の装備を試す良い機会に変わった、

つまり物語りは神の園へ到着してから始まる。秘境での死神の日常がようやく始まるのだ。


神の園。連合北東部の雪山が多い山岳地帯に囲まれた特異世界。深部まで足を踏み入れた者は少なく、事実上の未踏地域。同国で最大の秘境であり、収縮しつつある探索業の聖地だった。


永久凍土が点在する大陸北部では場違いな生暖かい風が吹き、平原と見間違える程の盆地の果ては端から端まで森の壁が続いている。地平に広がる世界は噂に違わぬ魔境の地と見てとれ、雪の道が少しずつ薄くなり始めている。

「エグザム様。もう直ぐ泥道に移ります。跳ね飛ばされないよう掴まってください。」

雪山を縫うように辿って来た山道を経て、吹雪の中で年を越した一行。快晴の青空を見上げては、今までの苦労が全て溶かされる気分を味わった。

「バロン、あの大きな要塞が探索街なのか。」

寒さに耐性をもつエグザムは着ていても暑いだけの防寒具を脱ぎ捨てる。定位置の御者席右側で物干し竿を荷台の天井に渡すと、湿気った防寒装備を乾かし始める。

「そうです。エグザム様、あまり揺らすと探索街まで車軸が耐えれません。」

バロンとエグザムだけで一般人三人分の重量が荷台の前輪に掛かっていて、金属製の軸受は寒さで収縮していて、木製の車軸が悲鳴を上げた。子供の様に騒いだ訳でなくとも、重いエグザムが動けば高い重心に影響するのは当然だった。

冬を越す前に生え変わったエグザムの長い黒髪。獣とは違い邪魔にならぬよう後頭部で結んだそれを切るには今が最適だろう。

「当便は探索街の城門へ向かいます。今の内に装備と行動の確認を済ませましょう。」

今度はゆっくりと荷台へ降りるエグザム、厚い皮に包れた荷物の一つを紐解く。勿論中身はエグザム用の探索道具一式で、積荷の中で最も重い品だった。

「二十日前と変わりは無い。中身も無事だ。」

雪解け水が浸食した有無を調べ終え、エグザムは纏められた道具を一つずつ取り出す。何れの物も表面に緑色の迷彩柄が施されており、狩人を探索者に仕立てる重要な自衛具だ。

「バロン。こちらは問題無い。あとどれ位で街に着く?」

白爺譲りの訛り口調は何時もより少しだけ甲高い。冬眠から覚めた獣と同じで、約束された新たな楽園が待ち遠しいのだろう。

「距離だけなら一時間程度でしょう。ただ、城門前は運び屋達で時間待ちすると思います。他の都市より探索街の警備は緩いですが、万年人員不足の所為で質が悪いのです。」

情報通でも判らない事はある。初めての旅でエグザムは本でしか知りえない情報に価値が無い事を知り、些細な事でも考え事を始める癖が付く。その所為で何度か時間を無駄にした事があった。

「街の治安が悪化した噂は聞きませんし、後先を考えられるエグザム様なら人間相手に後れを取る事も無いでしょう。」

御者台に座り前だけを見続ける運び屋に何度違和感を感じたのだろう。そう考え始めたエグザムに又も代理人が口を挟む。

「無論私は一介の運び屋ですので、向こうで真実を口にする様な真似はしません。エグザム様も寝言には注意して下さい。」

地方のことわざで口を滑らすなと警告したバロン。乾いた笑い声で喉の不調を演じるエグザム。二人は無言に成り各々の作業を続ける。

エグザムを搭載した竜車は関所へ続く最後の分岐点を通過した。既に前と後ろに別の運び屋が列を成し、多くの物資と人間を運んでいる。ある者は目的地を前に鼻歌を口ずさみ、雑用係は積荷の荷解きを行う。山脈の外側から輸送される多くの物資は、探索街で探索道具に加工されて東の地で消費される。衰退の途上に在っても、人を寄せ付けない世界が多くの命を存続させているのだ。

「バロン。用意した渡し役は使えるのか。」

渡し役とは表向き積荷の届け先を表し、裏でエグザムの為に用意された身元引受人を指す。全ては血統調査を優先したいとエグザムが呟いた独り言が発端だった。

「お客さん、心配無用です。彼は昔に乗せた客と深い関わりが有って、私も何度か世話になりました。今頃向こうは積荷の到着を待ってる筈です。」

昔に乗せた客と積荷を待つ渡し役。既に詳細を知っているエグザムにだけ意味が伝わるよう偽装された返答に、積荷は軽い相槌を返す。

何度聞いても同じ事を言うバロンと、深く追及できない自身に歯がゆく感じたエグザム。代理人の不可侵領域に有る情報がどれほどの代物か知りたかった。


探索道具。探索標を所持する者だけが使用する事を許された消耗品の総称。古来より受け継がれた秘伝の技は形式化し、今では錬金術として世界中に普及している。


まるで戦時下のどでかい都市国家だ。心でそう呟いたエグザム、見た事も体験した事も無い戦史本の中の出来事が眼前に広がっている。

「おやおや驚かれました?探索者の砦にして四代目の聖地へようこそ。」

運び屋面で後ろのエグザムを見るバロン。天井の蓋を開け、顔だけ出して長大な外壁を見るこの顔を待っていたようだ。

「ああ、遠くから見た以上の大きさだ。三千人程度の街とは思えない。」

大きな岩から小さな岩へ積み上がってゆく壁、壁、壁の砦。狩人を迎える大きな入り口と吊橋は、今日も群がる生き物を巣へ通す。砦の一部と化した街門は文字どおり大きな口を開いて、人もどき一行を迎え入れた。

「三千?お客さん、イナバ四世の最盛期は夏ごろですよ。まだ五期先の事です。」

初見を諭す様に、運び屋はエグザムに探索街の復習を始める。その口調は観光解説のそれと同じで、曖昧な返事で茶番に付き合うエグザムだった。

統一暦百五十年の二期二日に神の園の探索街へ到達したエグザム。三期以上に及んだ国家縦断の旅を終え、探索者として本格的な活動が始まる。背後に広がる秘境の息吹は、エグザムにとって紛れも無く楽園の気配そのものに感じた。


イナバ四世。先住部族が築いた最初の探索街から数えて四番目の街は、百年以上前に補給用砦を何度も増改築して築き上げられた文明の最前線。幻の聖地の名を受け継ぎ、秘境での敗北の歴史を今に伝える。

人口千人強の小都市は連合で秘境に接した唯一の大都市であり、同国の探索業にとって最後の秘境に成りつつあった。


「当便は此処で終了です。次の機会も御ひいきに。」

砦南入り口の運び屋専用停留所で積荷を下ろしたバロン。営業文句を残して竜車を操り南へ分岐した運び屋通りへ消えて行った。

「渡し役は何処だ。荷がかさ張って身動き取れん。」

一人置き去りにされた積荷ことエグザム。自衛具と消耗品が入った大きな背嚢を背に、縦旗だけの停留所で独り佇む。日用品と貴重品が入った腹を覆う腹袋と腰に固定したツルマキ。ついでにと有無を言わさず持たされた二つの道具箱は、渡し役が代理人にたのんでいた品物だ。

「その姿、昔と変わらんな。相変わらずの馬鹿力だ。」

その声は後ろの木箱に座り通りを眺めていた老人から発せられた。エグザムが他人の独り言だと聞き流そうとした程、老人は無関係な他人を装っていた。

「その面その表情、懐かしいのぉ。こっちへ来い。」

振り向くエグザムは老人をつぶさに観察し、白爺とは違う低い背と赤茶色の髭面を憶える。何故だろうと、その渡し役が予想したより若く感じた。

「タカで間違い無いか。俺が三代目だ。」

重さを感じさせない足取りで短く答えたエグザム。鍛え抜かれた両腕を露出させる渡し役の前で止まると、無言で二つの道具箱を差し出す。重さを知っている筈の老人の反応を試した。

「解ってて持たせようとするか。流石は獣の申し子、品性の欠片も無い。」

そう言い残してタカは歩き出す。着いて来いと手で合図を送り、労働に文句を言おうとしたエグザムの前を遮った。

「しばらく外を歩くぞ。何、昔話を聞いておけ。」

砦内の道を散歩に出かける雰囲気で歩くタカ。重い荷物を運ぶエグザムの一歩前を歩き、仕事中の警備兵から送られた敬礼を笑顔で返している。連れと散歩に外へ出かける老人を止めようとする者は居なかった。


自衛具。戦闘に用いる「武器」を除いた全ての道具を示す共通語。自衛と呼ばれるとおり、探索者が必要と言えば大概が許される。


右にタカと外壁。左に用水路を兼ねた堀と森。荷車が作ったあぜ道を歩く二人は、歳の離れた親子と同じ様な会話をしている。

「それにしても今日は獣達が大人しい。エグザムよ、何か感じないか。」

そう言われ反抗的な態度で森を睨むエグザム。自身を荷運びに使うタカに対し、本心が顔に出てしまった。

「小動物が怯えてる。あのざわめきは侵入者が庭を荒らす時に出すものだ。」

死神製の鎌は、狩人のそれより性能が良い。人間では捕捉不可能な領域の空間振動を感じ取れ、無意識下でも感覚は鋭利なままだ。

「そうか、なら近くに竜が居るかもしれんな。また数日は焼却炉が煙を吐き出すだろう。」

竜。童話や叙事詩に登場する禍が生み出した空想上の獣。幼少の頃に仮想敵にした悪の化身の名を聞いたエグザム。タカに対しその真意を問い質した。

「二代目に育てられたと聞いたが、森の遥か向こうで暮らす先住部族の話を聞かなかったのか?」

エグザムの記憶に思い浮かぶ対象集団の情報は少ない。話の内容から表向きの活動記録である手記に無いのは当然として、タカの名を鍵に白爺の武勇伝を思い出す。横に居る当事者と白爺の交流話はあやふやな断片に変わっていた。

「悪い、幼い俺の耳には重要な話に聞こえなかったのだろう。空想上の生き物としか解らない。」

タカの最初の反応は声色からして落胆したと口調だったが、衰えを知らぬ口ぶりで昔話が始まると、とある記憶の断片と一致する。エグザムはまさか食事中に叱られた時に飛び出る説教の話だとは予想だにしていなかった。

「先住部族の狩人達は、古から特定の害獣を特別な名で呼ぶよう教えられた。今では竜と呼んでいるが、真の意味は十二の獣を指しとるらしい。」

若い頃前任のエグザムと共に神の園を駆けずり回ったタカは、三代目に語られなかった去りし日々の記憶を一瞬口に出した。

「そうか。やっぱりそうだったのか。」

タカが先住部族出身である事を隠している話をバロンから聞いていたエグザム。白爺が隠し事を残していると考えていた予想が的中してしまった。

「どうした、話を思い出したのか。私の知るエグザムは忘れっぽい性格だったが、そこ等へんは似てないの。」

そう言うとタカは笑った。腹の底から響かせる姿を横目に、エグザムは先住部族が亜人と言われていることを思い出す。人間より長命で中には獣の一部を受け継ぐ者が居るらしく、エグザムは錬金生命体の自身と対照的な生物に親近感を感じた。

「今は隠居の身でな、南の農村に住んどる。詳しい話は其処で聞くとして、幾つか聞いてもよいか?」

タカは数年前に引退した元商工長にして隠れ里のスパイ。街の元有力者の一人が聖柩塔と繋がりを持つ先住部族の密偵だとバロンから聞いていたエグザム。七十台の老人には見えない壮年の鍛冶師に了承の相槌を送った。

「此処での肩書きは狩人か探索者のどちらにする?なに、紹介したい者達が居るだけだ。」

タカはエグザムの目的や能力の一部分を代理人から知らされており、探索街が抱える諸問題の解決役をエグザムに期待した。今も重荷を軽々と運ぶ獣の力を目の当たりにして、二代目と同じく頼りに見えたのだろう。

「文明圏では亜人の探索者として振る舞っている。そいつらが狩人を恐れないのなら、南の秘境から来た狩人とだけ伝えてくれ。」

栄誉と名声。エグザムは名を上げる為に探索者に成った訳でないと、遠回しにタカへ告げる。お互い秘密を抱える者同士で腹の探り合いが続く。

「では狩人へ問う。何人殺した?」

タカは世話話の様に気の抜けた口調でエグザムを試す。森が見えてきた田園街道の先を見つめたまま、多様な狩人の本性を問うた。

「正確な数は数えてない。百人以上仕留めるだけの矢を放ったな。」

つむじ谷で幼少から狩った生物の数など、エグザムにとって今まで口にした肉の数と同じ感覚だった。

無法者と呼ばれる由縁と成った蛮族の所業に等しい発言に対し、納得いかないタカは疑問を口にする。

「二代目との付き合いは短くとも濃い日々だった。あのお方に育てられた狩人が古の戦士に見えるぞ。」

森を山を縄張りに、侵入者に対し弓に代表される飛び道具を用い戦う者達がかつて居た。タカが、獣を狩る存在として恐れられた狩人を自称する新たなエグザムに困惑するのも無理ない。彼自身、若い頃は本物の狩人だったのだから。

「俺の住んでいた秘境は個人が管理する地。神の園とは違う事ぐらい解っているだろ。」

二代目と三代目の違いを訴えるエグザム。名の意味が死神だと知った日から、真の意味で生まれ変わった気分を味わった。

「外の事情は知っておる。ただ、街にはお前と同じ様に狩人を名乗る輩がたくさん居る。どいつらも住処を追われた渡り鳥の様に身を寄せ合って暮らしとるわ。」

戒めの激励を含んだ忠告に言葉少なく相槌で返したエグザム。明らかに思考を誘導する為の会話に飽きて、欠伸を堪え始めた。森の中に在ると紹介された農村までまだまだ散歩道が続いている。


探検家。秘境において学術目的で活動する者を示し、同活動で多額の収入を得た成功者を指す。当然、成功した探索者も含まれる。


南部の丘陵地帯に拓かれた穀倉地域は文明最前線を支えており、南の海岸と探索街を繋ぐ生命線を失えば最後の砦を失陥する日が近付く。なので害獣の侵入を防ぐ壁や施設が境界の森に並んでいる筈なのだが、農村を囲む林の壁を除いて視覚を阻害する物が存在していない。ただ、連合で一般的な穀倉地帯が広がっているだけだった。

「獣は畑に入って来れんよ。なんせ住む世界が違い過ぎるからな。」

そう言いつつ椅子に腰を下ろすタカ、隠居の身には春先の散歩が堪えるらしい。

「秘境南側は探索者の出入りが多い。既に危険な固体は組合が狩り尽くしたわ。」

太い木の柱で組まれた鍛冶場兼土間でくつろぐ老人。質の悪そうな熱石に薪を継ぎ足し、荷物から解放された客人をもてなし始めた。

「そのクロスボウを診せてくれ。心配するな鍛冶の腕は一流、雑に扱ったりはせぬ。」

腰から折り畳まれたツルマキを外しタカとの間に有る作業台に載せる。黒い裸体を覆うよう巻かれた緑の迷彩帯が職人の目を刺激した。

「やはりユイヅキとよく似ておる。あの強弓の硬さは尋常だった。」

あえてツルマキの名を伏せて、エグザムは携行投射台について説明する。狩りで散々使い回したお古の板金複合弓の名がユイヅキだった事を久しぶりに思い出した。

「試作品の話は昔一度だけ聞いたぞ。まさか対面する日が来るとはな、長生きして正解だったか。」

ユイヅキより丸みを帯びた板金箇所は、迷彩帯を巻かれて見た者に肉付けされた錯覚をもたらす。ツルマキから技術流用されて完成したユイヅキを知る二人には、思い出の詰まった記念品でもあった。

ツルマキの板バネを展開し、足掛けに左足を乗せて弦を引こうと力むタカ。自身より小柄な体で大きな狩猟武器に挑む姿が昔の自分と重なる。

「あまり無理すると体が壊れるぞ。」

亜人の体が壊れないと解っていても、口とは裏腹に酷使されそうな相棒の方を心配したエグザム。歳を忘れて足掻く挑戦者仲間に手を差し伸べた。

「ユイヅキより硬い。確かにこいつなら龍や十二獣(えと)を倒せるやもしれん。」

足掛けを左手に握り、息を吐きながら弓を引く要領で弦を待機位置に固定するエグザム。タカにはその姿が記憶に残る初対面の恩人と同じに見えた。

「無法者と言ったのは訂正しよう。その身は間違い無く狩人の探索者だ。」

一般人が撃つと反動で関節が外れるよう設計されたツルマキ。伸びた螺旋バネと板バネが瞬く間に収縮し、生じた重心の異差が運動エネルギーを伴ってエグザムに襲い掛かる。空撃ちした音は威力に反して静かで、頬を赤らめ照れる狩人を隠すに至らなかった。

「若い駆け出しの探索者よ。私が用意した依頼を話そう。」

素早くツルマキを納めたエグザムは、椅子に座り直してタカの話しを黙って聞く。探索者の顔に先程の余韻は無い。

「この依頼は探索組合を通さず個人の取り決めだ。もし拒否するなら其処で話は消える。問題無いな?」

問題無い心配無用と返すのはエグザムの常套句。狩人の探索者は世代を超えて依頼を聞く事にした。

「去年の夏に発足した秘境調査団に合流して、先住部族の代表者に力を貸して欲しい。詳しくは手紙に纏めて渡すが、お主には自主的に多くの勢力と協力して貰うぞ。」

代理人に根回しさせた本人が茶番に参加するのは複雑で心苦しい。内心素直に感想を述べるエグザムであったが、まだ見ぬ秘境世界を思い浮かべて話を聞き漏らすよりはマシだろう。

「とか言う建前は此処まで。我々里の願いは秘境に眠る遺産の復活と、里の生活と安全の確保。エグザムに与えられた役目は、神の園の領有権を辺境伯から正当な我等に取り戻す事だ。その為ならお主の個人的な目的達成に長老も力を貸して下さるだろう。条件が呑めるならイナバ三世跡に居るだろうカエデ、今は調査団副団長の少女を目指せ。」

亜人集団の事情など俺には関係無いと考えるエグザム。何等かの騒動に巻き込まれるだろう未来を想像した。

「注文は理解した。一つだけ教えろ。聖柩塔と先住部族との背後関係は何だ?」

所謂後ろから刺される事態を避けたいエグザム。全ての種明かしをタカに迫った。

「知りたいか、解った教えよう。今回の私の役目は代理人と隠れ里の連絡役だ。去年の終期に園が抱える問題について秘密裏に話し合った結果、エグザムを解決にあてがう事に決まった。思えば最初から相互利益の為の会合だったな。」

タカの口からは予想どおりの回答が飛び出した。全ては織り込み済みだと判断し、エグザムは狩人と探索者としてどう行動するか考える。

「依頼を受諾しよう。ただ手紙には有力な狩人とだけ記して、エグザムの名は伏せてくれ。後は、神の園の問題について聞きたい。」

お互い差し出した右腕を握り、契約成立の契りを交わした。それはこれからエグザムが死神として行動する事への誓いでもあった。

「まず元商工長として伝える。事の発端は探索者の減少と秘境の管理能力が低下した事だ。」

統一暦の始まりは多くの秘儀が錬金術として活用され始めたのが切っ掛けでもあり、五十年前から秘境の生業と文明を大きく遠ざけた。

「長い間外世界の変容にさらされたイナバ四世に昔の面影は少ない。今ではすっかり錬金術ありきの産業都市に変わってしまった。」

タカは四十年以上過ごしたイナバ四世の変わり様を語る。それは探索業の変容を意味し、神の園自体を巻き込んだ話に発展する。

「砦で見かけた武装集団を憶えているか。銃火器を持つ彼らは貴族に雇われた傭兵や私兵でなく、組合公認の探索団の一つだ。」

探索業に火薬の類が蔓延している事を知っているエグザムにとって、自身の装備が淘汰される部類に入る事は認知済みだ。なので装備自体が問題なのでは無い。

「狩人なら解るだろ、秘境で最新火器が使われると何が起こるか。」

何が起こるかと言われれば、蜂の巣を炙った様な騒ぎが起きるだろう。猟師でも探検家でもなければ、わざわざ危機を招く必要など無い。

「そちら側の問題は既に知っている。俺にはどうしようもないが、対応策を幾つか用意しておいた。今は神の園での話が聞きたい。」

話にのみ聞く先住部族の集落とその歴史に、追い求める血統の情報が有るだろうと推測したエグザム。いちいち狙ったかの様に話をもったえぶるタカは、演出家としてはいざ知らず情報伝達要員には不向きだと思った。

「最初に伝えておくぞ。お前が知りたい情報に心当たりが有るし、それを詳しく知るのが長老だとも知っとる。だがこの話を最初に教えるのは隠れ里の長老の役目と掟で決まっとるのだ。すまんがこの口から里の事を聞くのは諦めてくれ。」

そう言うと話題が例の里を脅かす害獣の話に移る。外との交流を表向き避け、裏で暗躍する集団に良い噂は無い。何れの噂も憶測の域でエグザムの耳に入り、探索業の汚れ仕事を担っているとの情報だった。

バロンも活動実態を知らず旅での道中何度も隠れ里と呼んだ程。その集団が自らと対極的な存在か同族の類か、エグザムは燻る疑問を一旦棚上げにする事にした。


探索団。探索者の暫定及び組織化された集団。探索者の派閥として活動目的ごとに群れている。多くも少なくも無い給料、一人当たりの危険が少ない探索活動。探索街の運営と治安を錬金術で担保すると、幸福を別つ群れが自然発生する。


「身分証を示せ。」

探索街南門の構造は東の砦と違い、外壁に巨大な窓を設けた形と言えた。

「何だ探索者か。紛らわしい身なりだと巡視に呼び止められるぞ。」

これまた東門と違い、警備を兼ねて歩哨に立っていたのは腕章を着けた一般人。エグザムを呼び止めた中年男性はおそらくこの地区に住む住人だろう。

「解った。参考にする。」

探索標を仕舞いフードを外したエグザム。旅人が纏う外套から頭だけを出し、膨らんだ背と腹が印象的な商売人に早変りする。街中で武器の所持が認められていても、古めかしい装備の狩人は目立つとタカに言われたのだ。

分厚い外壁のトンネルをくぐると文明の臭いが狩人の嗅覚を乗っ取ろうとする。目隠ししても感じられる異世界にたじろぐ素振りを見せず、エグザムは北へ真っ直ぐ伸びた大通りを歩き始める。

「あれが水道橋か。確かに西の高台まで良く判る目印だ。」

町全体を足掛けにするか如く、東の砦から西の高台まで巨大な吊橋が支える石の道が横たわっている。薄い赤色のレンガ造りと見たエグザム、外からでは外壁に隠れて見えない所為で街自体が小さく感じた。

「人口が少ないおかげか衛生水準が高い。南の大都市より古い仕様だろう。」

通りに面した建物の玄関先は透き通った水が流れる用水路で仕切られている。幾たびも区画ごと改築してきた歴史があるのか、用水路の一部に露出した石垣がエグザムに年代を感じさせた。

「大きくとも整った人間の巣。人口一万の都市と比べれば、まさに此処は秘境だ。」

歩く道も広く、久しぶりに見た馬車が頻繁に行き交う通り中央。家畜特有の糞尿の臭いを出さない馬達は、街中だけでしか見られない。大通りから葉脈の様に不均一な通りが枝分かれしていて、曲がり角の先に袋小路が在る通りも存在した。

「裏通りは宿や雑貨屋で表は歓楽街。巡視中の警備員や兵士の数が少ない、これなら揉め事は自力で解決出来そうだ。」

建築様式や年代。大きさや色に統一感が無く、多くの建物に人の出入りが目立つ。正午過ぎの歓楽街は角の死角に注意しないと、偶発的に事故が起こりそうだとエグザムは考えた。

「笛、いや違う。」

街の中心部へ進むエグザムに聞きなれない笛の音が届く。楽器の音より耳障りで獣笛より単純な音に立ち止まって耳を澄ませる。

「橋の上の、あれは導力車なのか。」

エグザムが知るそれは、軌道の上を熱対流の力で走る白い箱だ。何台もの荷車を連結して目前を通過した初遭遇の時を思い出す。

「下からでは橋の上を走っている様にしか見えない。これが白爺との時代格差なのか。」

煙突から噴き出る白い煙はつむじ谷の水蒸気煙より白い。エグザムは混じり物が少ない純粋な水の煙だと判断し、目的地の高台へ西進する台車を見送った。

「やはり手記の情報は当てにできないな。この時代格差に先代の文明情報は役に立たない。」

旅の途中で手に入れた外套は傷と汚れが目立つ。エグザムはその灰色の生地の下に手を突っ込むと、胸ポケットから白色の分厚い手記を引っ張り出した。

紙でなく皮を用いた装丁に文字は一切無い。中身はくすんだ色の安い紙に手書きで何度も上書きされた一種の備忘録。年代を感じさせる項の中には、色々な意味で解読不明の落書きが存在する始末だった。

「この書きかけの絵では当時の街の姿は解らん。書かれた獣の情報もありふれた物ばかり、本当に白爺が綴った代物なのか?」

愚痴を口ずさむ商人風のエグザムを遠くから観察している運び屋が居た。彼は自身が手渡した物を見つめる姿にほくそ笑む。文明圏なら代理人から逃げる事は不可能だ。

十字路と呼ばれる大通りの交差地点にやって来たエグザム。街の中心で輪の形をした中央通りに在る四つの大きな建築物を見上げる。

「頑丈そうな橋脚だと思ったが、違うのか。」

小さな砦を改築し肥大化した構造物の上に水道橋が通された。そう形容出来そうな場所がイナバ四世の全てが集まる場所、大衆に十字城の名で呼ばれる元領主屋敷なのである。

基礎の石垣に真新しい噴水が幾つか在り、水源からこの場所を経て街中に水が供給されている事が解る。壁なのか城壁なのか外見からは判らないものの、噴水の傍で上から流れ落ちる音を楽しむエグザムに死角は無い。

「人工石材で固めてあるな。重さを支える為に吊橋を造ったのだろう。」

十字路の東西では城の天井が邪魔で空が見えない。エグザムが佇む噴水の一角は日陰に成っていて、水道橋へ上がれる昇降機前の人だかりに近かった。

「聞いたか。山脈の向こう側で軍が集まってる噂、あれは事実らしいぞ。」

互いに親交が有る様子の男同士。昇降機の前で順番待ちに退屈したのだろう、エグザムの耳にもはっきり聞こえる世間話を始めた。

「ああ、俺も朝方に仕事先で聞いた。辺境伯が進展しない秘境調査に次の手を打ったんだろう。仲間内では来期にも此処へ来るそうだ。」

先を急ごうと西大通りを目的地へ歩き始めたエグザム。大きな建物が密集する中央通りを歩きながら見物しては、先程の会話を思い出す。

既に幾つか耳にした単語から、街に入ってから何度も聞いた内容だと理解するのに時間は掛からなかった。情報の通りが外と遅い秘境の地に来て、エグザムは早速バロンに会う必要が有ると痛感したのだった。


辺境伯。貴族とは名ばかりの統治責任者。一侯爵の手下であり、数ある辺境の一つの代表。


探索街西地区外れの屋敷広場に建てられた代理統治者の居城。噴水が水飛沫を上げる憩いの場に接した高い格子は、珍しい来訪者を騒々しく迎えた。

「手紙を読んだ。私は君の身の上を信用するよ、名無しの狩人君。」

辺境伯が任命した執政官は事実上探索街の最高権力者。書斎に自身を招き入れ、仕事机の後ろに佇む丸眼鏡の男がそうらしい。

「配慮感謝します執政官。狩人の端くれとして名に恥じぬよう務めます。縁があれば秘境でお会いしましょう。」

会釈してさっさと退出しようとするエグザム。広い屋敷中に染み付いた謎の香水の臭いが移るのを避けたかったからだ。

「待て。せっかく来たのだ、少し話がしたい。」

武器を部下に預けさせた狩人の無防備な背中に執政官は声をかけた。既に用件を話し終わったと顔に出して振り返るエグザムとて、彼の呼びかけを無視する真似はできない。

「タカヒコ爺からの紹介だ、君の技術を疑う訳では無い。個人的に狩人達に興味が有ってね。探索街の住人の中でも政治しか知らない私に、君にとっての狩人の定義を教えて欲しい。」

洗っても落ちない染みが灰色と同化している外套を手に持ち、エグザムの隣に佇む若い男。執事を兼ねる秘書の眉間に皺が寄る。中央出身の彼にとって狩人を自称する者は(みな)無法者に見えた。

「私には狩人や無法者と言う名に違いを感じません。率直に言うとどちらもよそ者が勝手に呼んでいる名であり、仮に私の帰属を示すならどちらであっても否定しません。と言えば解りますでしょうか執政官。」

エグザムは身の内話から正体が発覚するのを恐れ、判り易い予防線を張った。例え自身の名誉や尊厳を汚してでも、自身の名と育った地を隠し徹す。権力者の口車を黙らせるにはそれが最善なのだ。

「ああ、君の口の堅さは大したものだ。こちらも正直に言うと街の貢献者からの紹介状が無ければ、私の休憩時間は門前払いで程度で守れたのに。」

昼過ぎの時間は街中何処でも静かで、休憩中なのか憩いの場に住人が多いのも当然だった。何より無精髭と長いままの髪を整え忘れたエグザムに、心当たりが有り過ぎた。

「これも個人的だが私にも事情が有ってね、街の事は隅々まで知っておく必要が有る。例えば市街に伏せるスパイや罪人、身分と出生を隠す者達。中には難民である事を隠した者も居て管理者として無視できない話ばかりだ。其処に害獣の世界に詳しいだろう者が加われば街がどうなる事だろうか。間違い無く私の立場と責任が問われてしまう。」

大きな窓から噴水広場を見下ろす執政官。その後姿はエグザムにこう語りかけた。獣世界で生きれる君には文明の事情などあずかり知らぬ与太話だろうと。

この時エグザムは自身と二人の間に展開された見えない壁を感じ、守るモノと立場にもがく様はつむじ谷の獣達と生き様が重なって見えた。正解はどちらも同じだったよと、遠く離れた白爺に今更ながら答えを出した。

「街でも噂されているが、近い未来イナバ四世近郊で大規模演習が行われる。演習がてら外森林で害獣の間引きと警備活動に参加してもらう予定だ。当然探索組合へ関連する依頼が張り出されるだろう。個人や集団単位に関係無く、全ての業界を巻き込んだ大事業だ。」

傍らで控える秘書は相変わらず不機嫌そうにエグザムを観察し続けている。茶色の髪と瞳から中央公爵領出身だろうと推測したエグザム。咳払いをして丸眼鏡の演説を遮るまでは、文字どおり眼中に居なかった。

「失礼しました。」

伯爵や男爵と子爵。これ等は貴族としての肩書きではなく、政治家や役人の業務遂行上における立て札の規格と言えよう。貴族が治める国家の政治宗教に根ざした概念は初めから名ばかりの場合が多い。何故なら権力を担保する基盤が商業的宗教の延長線上に在るからだ。なので三大公と直下の侯爵を除いて、政治家と役人に本物の権力は存在しない。

「祭上げられた狩人の端くれとしてお伝えしましょう。文明生物と獣はすべからず大地の子。姿と生き様は違えど、糧を求めて恐れを知る血で繋がった生き物です。狩人の鼻と無法者の目に誓って間違いございません。」

エグザムは後姿で話しを聞く執政官服の丸眼鏡に対してでなく、右横に佇む執事と思しき給仕服の男を見ながら言った。白い前掛けの首帯に裏側を示す刺繍がはっきりと見えたのが動かぬ証拠だった。

「左遷されてから久しく狩人を見ていないが、お前の獣目には驚かされたよ。茶番は終わり、通常業務に戻れ。あと彼の荷物を持ってきてくれ。」

幕が閉じた舞台裏と化した書斎から、少し汚れたズボンのままで、執政官の制服から給仕服に着替えた役者が退場する。残されたのは若い執政官とエグザムだけ、日が差さない室内は変わらず謎の臭いが漂うままだ。

「本物の狩人は五感が鋭いと聞く。何時もより消臭剤を大目に使ってしまったが、試すだけ無駄ではなかった。」

騙して悪いなと笑いながら謝罪する執政官、エグザムと同じく本名を名乗らない。椅子に座ると散らかった仕事机に腕を置き両拳の上に顔を乗せる。その様は書斎の主人に在るべく相応しい仕草と言えた。

それが彼なりの流儀なのだろうと考えるエグザム。閉口しつつ何時解放されるかと種明かしを聞きながら考える。

唯一はっきりしているのは屋敷に漂う臭いの元が判明した事だ。なんでも特定の害獣と薬物から抽出した揮発性の有る香水が使われているそうで、執政官曰く目に見えない臭いの元の微粒子に付着して鼻の感覚器官が検知するのを妨げるらしい。

「これからも錬金術の力で神の園の開発が進むだろう。錬金術を嫌う者も居るが、恩恵を目の当たりにすれば心変わりする筈。ここ五十年がそうだったように。」

わざわざ街の歴史解説をしてくれる執政官に沈黙で応じるエグザム。鼻の痒みを我慢しながら錬金術による新たな営みを聞いた。

「これだけは伝えておく。私は街に住む文明人として如何なる方法であろうと、一刻でも早く園の異変解決を願っている。今の私はその為にこの椅子に座っているのだから。」

言い終わった直後、図った様に廊下と繋がる扉が叩かれる。開かれる扉から自身と半身の匂いを嗅ぎ取った狩人。長いようで短かった会談の結果、秘境調査団への合流が認められた。

「タカヒコ殿の手紙を流用する。資源と経費節約は得意だからね。」

人付き合いの浅いエグザムには、得意そうに手紙を書く執政官の微笑の意味が解らない。内容を確認する為、新たな紹介状に外から来た同胞と書き加えるよう獣の瞳で迫る事にした。


執政官。都市部一般家庭出身の彼は元行政官。大公領で策謀により事業失敗を経験した彼を、私は計画の役者一枠に宛がった。


翌日の早朝、エグザムは身なりと道具の準備を整えてから砦南側の運び屋通り目指して歩いていた。周囲には朝の寒さなど感じさせないほどの熱気が漂っていて、空の荷台が目立つ始発組と呼ばれる行列が物流専用口へ続いている。

自身もくぐった大きな扉と吊橋へ続くその行列は、砦内で道幅が広い筈の物流経路を塞いでいた。宿場通りを歩くエグザムの道は自然と狭まり迷惑でしかない。

「こうなるから砦の城門を二つに別けたのか。」

運び屋達の殆んどは南の港か北西の山道を目指すのだろうと、運び屋通り入り口まで続く行列を観察するエグザム。砦東側正面に設けられた二つの城門のうち、北口と呼ばれる探索者用出入り口を使える自身にこの混雑は無縁だろう考えていた。

「ここで奴の本職を叫んだら、慌てふためいて飛び出して来るだろうか。」

表向きは探索者であり、同時に有力な狩人を自称するエグザム。複数の装備や袋を纏めて縛って固定した背嚢と腹袋が、幾つかの探索団に見かける荷物持ちを連想させた。

「何処の荷物持ちか知らないが、私の竜車なら空いてますよ。」

用がある人物が話しかけて来た事に驚く素振りを見せず、エグザムはその場でバロンに竜車貸切契約を結ぶ。どうせ街中から尾行して来たのだろうと、至極真っ当な考えは口に出さない。

「組合前の通りで乗っけてくれ。」

本当に簡単な台詞を残して一方の役者は砦外縁部の区画に姿を消す。商売道具の足を取りに行ったバロンは、エグザムにも只の運び屋にしか見えなかった。

砦。街の東通りは砦内の本丸神の園進駐団本部へ続いていて、同時に砦を南北に別つ境界線。北と南側で仕様が異なる砦が街と街道の防衛を担っている。南は輸送関連施設が石の壁の中にひしめき合い、北は探索組合いの広場を最上段に据えている。

外観は大きく壮大な城塞も、内側から観察すると大きな箱庭世界だ。そう考えながら進駐団本部の入り口が在る石の渡し通路から下界を見渡すエグザム。約束の時間までの間、旅人として砦を探索していた。

「表通りは広いが横道は狭い。街と同じく何度も増改築した影響だろう。観光名所には適さないな。」

砦自体は出城として活用されているものの、街の外壁に設けられた巨大な税関所と表現できた。南の焼却炉で何かが燃やされており、小さな街としての機能が窺える。

エグザムは同業の探索者や探索団が出入りする探索組合に焦点を変えた。

多くの者は自身より軽装の自衛具と武器に量産品の狩猟銃。緑を基調とした迷彩柄はエグザムと同じで薄汚れている。

強者(つわもの)共の夢の後、続く者など過去の如し。」

そのことわざの始まりは何処ぞの歴史家が残した回顧録の一節だそうで、園の黄金期を懐かしむ心理はエグザムにとっても他人事でなかった。

「錬金術が発達する前の文明を支えていた時代の面影は無い。」

希少素材や遺物の発見が減った現代の魔境。秘境の調査と宝探しの記録は百年以上前を最後に途絶え、探索業の威信低下を招き文明の象徴を他勢力へ渡す破目に成った。

エグザムから見て探索者の男達は、重武装の猟師や消耗品を纏う私兵集団に見えた。そう、つむじ谷で仕留めた多くの男達と大差無い。

彼らの多くは元傭兵だったり行き場を失った難民、地方によっては古い名で流浪の民と呼ばれる者達が多い。わざわさ危険な探索者を志す若者(へんじん)は少なく、外から来た腕に自身が有る猛者が今の探索業の担い手だ。

故に秘境に巣くう害獣を殺し肉と素材を持ち帰る。この時代のイナバ四世は狩猟採取品を資産に変える一般的な探索街と言えよう。

「そろそろ時間だ。あいつは時間に煩いからな、遅れると口が固くなる。」

エグザムは止めていた足を動かす。北の山脈から吹き下ろす冷気がやって来て日差しが雲の壁に遮られつつあり、一雨来ると予想して歩きながら撥水油を固めた白いそれを取り出した。

「秘境の隣で質の良い道具が手に入れる事ができた。これも錬金術のおかげだ。」

石畳の階段を降りながら、つばが無い帽子に似た兜に固形物を擦り付ける。金属特有の艶や光沢が迷彩帯で隠された表面に、薄い氷の膜が張る程度で十分な効果を発揮するだろう。

エグザムは道を挟んで組合へ続く階段の向かい側に出た。進駐団本部が在る本丸の壁に通された幾つかの道は、裏道であり近道なのだ。

「間に合いましたね。直ぐに出発しますよ。」

元々利用するものが限られる所為で北区画は閑散としている。それが荷台の定位置に納まったエグザムの感想だった。


流浪の民(非共通語)。放浪を意味する古い言葉で呼ばれている者達。難民だったり遊牧民だったり、果てには商人や運送業に手を出した者も居る。


「その情報は私も耳にしました。エグザム様の言うとおり、演習の名目で派遣された調査団の増援です。これで活動中の本隊は行動計画の修整を迫られるでしょう。」

現在一行は外森林に切り開かれた畦道を境界線目指し移動中。一雨降るとの予想は外れ、濃い霧の中を竜車は進んでいる。

「聖柩塔の方針はぶれないのか?」

エグザムの疑問をバロンは払拭するかのように否定した。全ては計画どおりで、些かも変更する余地は無いのだから。

「調査団は園の異変調査を名目に結成された隠れ里と探索街の共同事業です。表向き主導した辺境伯、この場合執政官任命の調査責任者が事業を監督する仕組みになっていますが、エグザム様の様なよそ者より身内で結成された組織と言っていいでしょう。」

当然、そのままでは狩人が役目を果たせる環境とは言えない。そこで後の開発援助をチラつかせて辺境伯を一時的に懐従して、指揮系統の分断を図る事にした。そう、全ては計画どおり。

「人間の競争相手(てき)は人間か。こうなる事を見越して聖柩塔は俺を狩人に仕立て上げたのか。」

揺れるバロンの背中は、エグザムの問いに沈黙で答えた。守秘義務の壁は相変わらず御者台に健在している。

「血統の情報は更新されてませんが、エグザム様への届け物を預かりました。椅子の下の小さい箱に入っています。」

尻の下の薄暗い隙間に差し込むように挟まれたそれは、獣の皮に包まれた鉛の箱。大衆向けの本と同じ厚さの塊は、エグザムの知識に照らし合わせても正体不明の塊にしか見えない。

「只の立方体にしか見えん。どんなカラクリだ。」

贈り物に困惑するエグザムにバロンが素手なら開けられるとだけ告げた。

面倒がりながら、慣れた手さばきで結びを解き右腕の手甲と手袋を外す。曝け出された右手は顔より白く、骨に沿う血管が人とは違う色と模様に見えるだろう。

滑らかで抵抗を感じない感触に驚くのもつかの間。力を掛けてないにもかかわらず、糊の効果が消える如く一筋の亀裂が現れる。エグザムはようやくそれを容器の類と認識した。

周りの霧の様に灰色に濁った四角い水晶体。耐久性と腐食に強い強化銀の鎖と型枠に填め込まれた中身を手に取るエグザム。

「ペンダント。バロン、何なんだこれは?」

エグザムはかつてどこぞの遺跡で発見した何かの道具だろうと推測していたが、バロンは聖柩塔謹製の発信器だと告げる。

「聞いた話をそのまま伝えます。名は死神の首飾り、特定の血液に反応して発光する性質を有する使い捨ての救難信号発信媒体。曰く世界に一つだけの死神の鎌だそうです。もしエグザム様が我々の助けを必要とする場合、ひとおもいに水晶体を握りつぶして下さい。我々のみが感知できる信号を発生する仕様だそうで、どう使うかはエグザム様次第です。」

エグザムは何時の間にか手甲を装着した右手で件の飾り(そうち)を握り締める。硬いが衝撃に強そうな銀枠と、質量の大半を占める水晶体に少しだけ儚さを感じた。

「年季は見られずとても堅い、先端を叩きつけて水晶体を粉砕する仕組みか。まるで砲弾だな。」

機能を知れば高値が付く事ぐらい誰でも想像出来るそれを、エグザムは首飾りとして身に付けるか迷う。何より自衛具の内側、つまりケモノの胸板に装飾品を押し込めるだけの隙間が無いのだから。

エグザムはバロンに預けようかと考えたが断られるのは目に見えていたので、仕方なく腰の備品入れの空きに押し込んだ。

「前に隠れ里についての話を聞いたな、連中は本当に古代人の子孫なのか?」

今度は血統の情報源は隠れ里じゃないのかと遠回しに質問した。バロンはしばらく間を空けた後、常套句で答える。

「はい。遺伝子に後天的施術を施した形跡が見つかったので間違いありません。なので血統は確かに存在します。」

やはり隠していたなと、出かかった台詞を飲み込むエグザム。代理人を疑う事にすっかり慣れたおかげか、無意味な思考に惑わされる事も無くなった。

「俺を利用して何を企んでいるか知らんが、当分はこの身を大事に行動する。死神モドキの狩人に大して期待するなと上に伝えておけバロン。」


外森林。イナバ四世東に隣接した魔境との壁であり、神の園の西側外周を覆う針葉樹と広葉樹が混在する森。多くの固有種と害獣が暮らし定期的に林道沿いで間引きが行われている。文明勢力が敗北した歴史を内包しており人と獣双方の狩場。


境界線の中央、丁字路に立つエグザムは眼前に生い茂る森を睨む。

「広葉樹か針葉樹なのか怪しい固有種の森。白爺が言ったとおりだな。」

雑木林の先には百二十年前まで森を東へ突き抜ける街道が存在した。白爺より押し付けられた手記に殴り書きでそう書かれていた。

「街道は完全に消えている。当然か、痕跡が残っている筈無い。」

ツルマキを短弓に分離して左手に持ち替えると、絞らず矢を指に挟んで固定した。右手に鉈を持ち深い森へ分け入るエグザム、散歩がてら目的地めざし探し物の旅が始まる。

学術的に例えれば中木草が生い茂る森。外の世界に視られる冬を示す証拠は何処にも無く、春を向かえた新芽に彩られし青い世界がエグザムを迎えた。

「不積地域のような名が書かれていたな。白爺の時代も雪が積もらなかったのだろう。」

分け入れば土や気候に恵まれた森は雑草と低木が溢れ、苔むした高木の針葉樹だけが日光を独占する。獣道や死骸を瞬く間に飲み込んでしまう様な勢いを感じたエグザム。懐かしい故郷の森の大老達を思い出す。

「森自体はまだ若い。これが神の園の力か。」

その世界は古より生きる固有種の庭。全てが大きく力強い生命に満ちていて、成長の勢いは留まる事を知らない。

それが外世界から見た神の園。外森林は厳密には神の園ではないものの、特異な自然を目の当たりにするには十分な世界。大きな花を跨ぐ虫達は皆大きく、エグザムは樹液の強烈な香りに誘われた。

街の名に残るイナバとは、元々古の先住部族が住んでいた都の名前だったそうだ。その場所を示す証拠は残っておらず、住んでいた住民と同じく名前だけの存在として今に語られる。

秘境の何処かに在った初代イナバから数えて四代目の西の街は、およそ百二十年前に築かれた比較的新しい開拓街。神の園発見から八百年間、開拓街は西へ後退を続けていた。

百二十五年前の古代種の襲撃によりイナバ三世が崩壊。現在の四世は、当時の西の補給砦が臨時の開拓街として探索業界を引き継いだのが始まりだ。都を追われた人々と探索者が作った開拓街は秘境の外側に追い遣られたものの、四代目を名乗り今日も栄えている。

森をどれだけ進んでも、切り株や火を熾した形跡が無い。探索者や組合による大規模な討伐は近年無く、代わりに外森林での大型種の目撃情報を街で何度か耳にした。

決して喋らず不用意に物音をたてる事無く進む狩人。この辺りに出没する害獣の資料に目を通しておいたものの、獣の耳が拾う鳴き声や悲鳴が狩人の神経を逆撫でる。そこで鉈を持つ右手で首にぶら下げた方位磁石を確認する。北を指している針は、微動だにしないエグザムの手の中で少しだけ揺れている。

イナバ三世跡地は外森林の中央に在る台地の一つに存在する。エグザムはこのまま進めば夕刻前に到達するだろうと計算していた。

道のりはまだ長いく、生き物で騒がしい空気が澄んだ地。腐葉土と血の香りが充満していて狩人に高揚感と活力を与えた。

聞こえたのは複数の獣の息遣い。低木草が生茂る獣道に隠れた標的に対し、狩人は短弓が共振出来るよう反りの張力を調整する。ただしエグザムは身を隠そうともせず曝け出したままだ。

頭上の短弓から放たれた空撃ちの音が硬そうな木々の表面を震わせ、潜んでいた焦げ茶色の影達を素早く遠ざける。

「なんだ、大噛みだったのか。」

初遭遇した害獣は、待ち伏せ中に狩人の音響攻撃で逃げ出した犬型の獣だった。タカの言う十二獣の一種でなければ中型の害獣でもない、エグザムにとって只の雑魚。

大噛みは大型の狼と言っていいだろう。茶色の剛毛や鋭い牙と爪、今でこそ土産物としてしか活用されない加工品も、昔は魔除けや日用品として高値で取引されていた。

エグザムは縄張りに入った事を自覚しつつ早歩きで進む。あえて物音を響かす事で、周囲に己の存在を誇示した。

「もう少し進めば予想の成否が判るだろう。」

外森林で狩猟採取する者は積極的に組合の指定場所を利用している。神の園から外森林にやって来る害獣が繁殖するのを恐れて、境界線付近で餌となる小動物や果実の排除を組織ぐるみで行っているのだ。

地面は穏やかな丘陵。しかし辺りは森の迷宮。そう考えたエグザムは似たような光景が続く木々の間をすり抜ける。人為的に設けられた目印になる物は見当たらず、日の位置とつむじ谷の経験から進んだ距離を計測した。

「おそらく中間辺り。これが調査を遅らせる原因なのだろう。よそ者を嫌い身内で構成されたのも頷ける。」

現探索街と旧探索街を結ぶ道は存在していない。南に遠回りして秘境側から辿り着くか森の獣道を通るしか、分厚い森の壁を突き抜ける方法は無かった。

人が秘境で生き抜くには多くの物資と装備が必要だ。補給が難しいと判断した調査隊は、結局の所補給の当てを秘境に頼るしかなかったのだろう。

緩やかな坂を登る足元は分解しきれないほど堆積した落ち葉の絨毯だった。地方では見られない大きな傘が特徴の菌類がちょっとした王国を階段状に築き上げていて、高値が付きそうな高級食材を摘み取ろうかと侵入者は少しだけ迷った。

「国作りがこれだけ自生しているのを見たのは初めてだ。獣に荒らされている様にも見えない、やはりこの辺りは調査隊の補給経路なのだろう。」

その周囲には成長が非常に早い茎植物が乱立していて、高木と変わらぬ高さまで長く硬い幹を伸ばしている。エグザムの記憶では木材加工品に利用されるそれらから、人や獣の痕跡を確認できない。

「繁殖期は数期先。本来なら縄張り争いに勤しむ頃合だろうに、獣の姿が少ない。タカの言う竜を見つけるより先に目的地に着きたいな。」

そろそろ夕暮れ前だと傾いた太陽を仰ぐ狩人。坂を登った先から台地を覆う廃墟を一望できる高台まであと少しの所だった。


固有種。その地にしか棲息していない動植物の総称。学術的な概念の上で成り立つ一つの見方。


細い低木や茎植物が折れ曲がり、軽い落ち葉が輝く塵と一緒に足元で舞い踊る。先程まで日光が差し込むだけの獣道は、ちょっとした広場に様変わりした。

相対する内の片方は組合が上位種に指定した大型害獣で、先住部族が恐れる十二獣の一柱。毛が硬化した外殻、もとい鎧の一部に穴が開き背中に銃創の様な傷を負った化け猫。名の由来に成った粉塵を首から撒き散らし、緑の獲物を用心深く観察している。

その獲物達が持ち運ぶ筒の脅威を知ってはいたものの、見慣れぬ動作で飛んで来た槍に反応が遅れてしまい、身を反らしきれず痛い思いをする事に成った。

そうエグザムは相対する一体の痺れ猫の考えを推理した。強化された免疫力のおかげか、粉塵を吸っても今のところ痒みで静かに悶絶する程度で済んでいる。

もし積極的に動けば辺り一面にばら撒かれた粉塵を大量に吸い込んでしまうだろう。鼻と口を守るには首に巻いた緑の手拭を上げれば済むが、察知出来なかった奇襲をやり過ごすのに気を取られてしまった。

間の空間は標的同士手が出し辛い絶妙距離だった。両者は粉塵を吸い込まないよう静かに呼吸し、静まり返った世界で沈黙が終わるのを待つ。

その雄は骨格が一回り小さいようで、組合や手記の情報より小さな個体だ。ただ、食うのに困っていない様で毛並みと肉付きに張りが有る。何より巨体を感じさせない素早い挙動と風を切る走りは驚異的で、ツルマキに二射目を打たせようとするエグザムの挙動を完全に封殺したのだった。

エグザムは股を開かず最低限の防備姿勢を執っている。相手の傷を見るとツルマキを手放し鉈で斬りつけたくなる衝動に駆られたが、相手の増援覚悟で少しだけ出方を見極める事にした。

呼吸を乱さず見詰め合う時間が狩人に昔の狩りを思い出させる。自身で森熊と呼んだ巨大猫もまた素早い相手だった。用心深く止まっていてはたちまち食い殺されてしまう跳躍力も、斜めに掲げるツルマキの前では肉の塊でしかない。

「マタタビは持ちあわせていない。大人しく森へ帰れ。」

静かに吠えながら鋭い表情でツルマキの弦を引き絞るエグザム。猫から手元が見えないよう射線を視線と重ね、台に何も乗っていない一種の子供騙しを演じる。所謂空撃ちの構えで相手の逃走を促した。

獣は無知でも無能でもない。常に物理的な淘汰世界を生き残った種は、闘争の駆け引きと観察眼において狩人と良い勝負だろう。もし獣と関わり合うなら動作に隠された意思を汲み取らなければならない。

痺れ猫はエグザムを見透かしたのか、低く跳躍して射線を避ける如く北へ消えて行く。木々に飛び込むその華麗な去り際はあまりにも一瞬で、十分な余力を残していた事実をエグザムに教える。

「地の利は向こうが上。初撃を回避するだけの瞬発力。少し耳を過信し過ぎたのが敗因だな。」

エグザムは素直に失敗を受け止めても、直ぐには緊張を解かない。痺れ猫がまだ黄色の双眼で自身を捉えている可能性も否定できないからだ。

落ち葉の上には初撃で砕いた茶色の塊が散乱している。手記には毛の集合体とだけ書かれたそれを手に取ると、大量の粉塵や粒が断面から零れ落ちる。誰が見ても鼻の粘膜が反応する状況に対し、エグザムは独り盛大にくしゃみを飛ばした。

「あの傷も数日で塞がるだろう。藪の中から不用意に出なければ襲われたりしない筈だ。」

そう言いながらツルマキの引き金から指を離そうとしない狩人。次の襲撃に確実に対処する為、杭と呼称した専用のボルトを装填したまま歩きだす。

結局高台に出られず南側を回って丘を越えたエグザムは、予定どおり夕暮れに廃墟入り口の扇状地に到着した。


上位獣。主に探索組合いが指定した脅威的な害獣を指す枠組み。秘境の探索業で何度も耳にする業界用語。


昨日の執政官屋敷前で繰り広げられた押し問答と同様の事態を避けたいエグザムは、第一声の変わりに手紙を隠れていた守衛に渡した。

「然るべき顔を通じて執政官より調査に協力するよう要請された。又そこには詳細と執政官からの託が記されている。俺は今直ぐ団長との面会を希望する。」

全身を落ち葉で偽装した監視役は、一直線に平然と向かって来た亜人の若者に疑いの眼差しを向ける。

痺れ粉で充血したエグザムの目が彼には血走った獣の目に見えた。隠れ里の若者か亜人の探索者が何かと遭遇したのだろうと考えたに違いない。

「入り口を知っているようだな。何かあったか知らんが、此処で簡単な荷物検査を行う。先に武器から預かるぞ。」

エグザムはツルマキを地面に立てて、芝居で聞きそうな低い声の守衛に渡す。見た目以上に重い武器を持ち上げた所為か、守衛はしばらく無言になった。

「お前は隠れ里の亜人なのか。」

その問いに対しエグザムは教えられないと答え、詳細は手紙に書いてあると付け加えた。監視役は手紙の烙印に見覚えがあるようで、逡巡した後に指笛を響かせる。

エグザムは昨日の似たような光景を思い出し、自ら事態の打開に動く事にした。例え半分思い込みだったとしても、重い荷物を降ろして頑固者の如く地に座る亜人を咎める者が居ないのだから。


イナバ三世。外森林の中央台地に並んだ墓標。破壊と侵食された廃墟は地下を残して歴史の残滓に埋もれた。


年代物の長銃が並び、身の丈と同じ矢が積まれた一室。聞こえる水の音に反し乾燥した武器庫は地下一階の応接室として使われているが、まだその事実を知らぬエグザムには地下牢に感じた。

怪しまれないよう正体を隠し徹せたと回想するエグザム。渡した手紙が役目を果たす事を願いながら、助っ人として独り愚痴る。

「長いな。わざわざ此処まで足を運んだのに、此れではタカヒコ殿に合わせる顔がない。」

古めかしい木彫りの椅子は安楽椅子だったのだろう。枕木の無い不安定な足場に、落ち着き無く何度も尻を動かすエグザム。丁度良い高さの作業机に肘を乗せ、揺れる世界を心の中で楽しんでいた。

そこに一つだけ設けられた扉から複数の足音が聞こえ、暇人は待ってましたと言わんばかりに立ち上がる。

「やあ、遅くなって申し訳ない。イナバ三世へようこそエグザム君。私は神の園調査団長のオルガ・アイアフラウだ。」

帝国系の顔つきをした白髪の壮年戦士。それがエグザムから見たオルガの第一印象。

「私は副団長のカエデ。隠れ里から馳せ参じた先住部族の代表です。」

文明の衣服を纏う少女はサングラスを外して素顔を見せる。秘境では場違いな身なりの理由は、自身と違う赤い獣の瞳を隠す為だとエグザムは察した。

タカが紹介した少女が彼女だと理解しながら自己紹介を終える亜人の元狩人現探索者(じつりょくしゃ)。探検家を目指して神の園に来たと用意しておいた志望動機(うそ)も述べた。

「手紙に色々書いてあったが、私は初めに君の実力を試したい。その成否を以て君の入団を認めよう。」

単刀直入に告げられた口調から余裕の無さを感じたエグザム。来て早々問題事に遭遇したと気付く。

「まず最初に一つ確認する。君は此処へ来る途中、小柄な痺れ猫と遭遇したのではないか?」

椅子に座り作業机越しに尋問されるエグザム。有無を言わせず回答を待つオルガに対し、鼻が痒くて悶絶した経緯を話した。

「実はその個体は二つ名持ちでな、探索者達に仇猫と呼ばれている。小さい雄だが単独で狩りを行う珍しい個体で、狩猟中の探索団を何度も襲撃して死傷者を捕食している。君はその討伐作戦に加わって我々に実力を示せばよい。」

話を聞いて考え込むエグザム。左手の黒い手袋越しに髭の剃り具合を確認する仕草は、狩人の表情を際立たせる。

「俺は基本的に手の内を明かしたりしない。単独行動を認めて貰えるなら、今すぐ息の根を止めに()ける。問題無ければ期限と証明部位を教えてくれ。」

期限は四日間。証明は別の者が担当するから発炎筒と信号玉を持って行けと聞き席を立つエグザム、備蓄庫へ案内すると席を立ったオルガに連れられ扉から通路へ歩いて行く。

「ちょっと。私も聞きたい事が有るんですけど。」

すっかり文明色に染まった先住部族の娘は、狭い通路の先を歩く死神の背中を警戒しながら追った。きっと彼女にはエグザムが緑の何かに見えたのだろう。


痺れ猫(固有種)。神の園探索組合が上位種にしていした大型害獣であり、世界各地で確認されている猫型の一種。大きい雄は人を丸呑みにし、群れて子育てするメスを守っている。どこぞのサバンナで棲息していた猫とは違い、群の主は働き者だ。



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