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秘境日和  作者: 戦夢
3/16

03(雑文)

「ああ、その白い橋で間違い無い。これが報酬だ。中身を確認してくれ。」

オルガが大きな机の上に握り拳程度の大きさの袋を置いた。音からして詰まっているのは銀貨だろう。

その袋を手に取り中身を確認するエグザム。燭台の淡い炎が、警戒を解かず目で笑うエグザムを照らした。

「では今から君に真実を話す。最初に伝ておくが、話を拒否すると手配書に顔が載るぞ。まて待て、話し合おう。」

俺は腰の鞘へ咄嗟に抜いた短刀を静かに納める。どちらが上か解らせて正解のようだ。

冷や汗を掻くオルガは、帯びた使命を話し始める。そこに年上の威厳と余裕は見えず、傍で成り行きを見守るカエデには一種の老人苛めに見えた。

「まずこの武器庫について説明しよう。本来なら専用の部屋に君を招く所だが残念ながら工事中でね。今は武器庫を借りている訳だ。」

三人が居る薄暗い地下空間には、連合軍最新式の長銃や機関銃が並べられている。壁や天井に施された腐食と防水処理も含め、戦争でも始めるかの様に物々しい。

「軍人か。それとも革命家気取りか。」

この距離ならば急所に当てられる。最悪声帯を潰せればいい。そう考える狩人は、安全の為に労力を惜しまない。右手に握る短刀を少しだけ鞘からまた抜いた。

「探検家なのは事実だ。去年の夏ごろ、組合長から古代種の情報を集めるように命じられたのだよ。」

オルガは話し続ける。カエデとの邂逅を機に、神の園探索組合が秘密裏に古代種討伐の準備を進めている事を。イナバ三世を復活させる為に人、金、物が水面下で取引されている事実を話した。

「つまり独自の流通経路と情報網が在るのか。俺の事はどの程度知られている?」

喋りながら異能の共鳴で盗み聞きする存在を探すエグザム。空を掴む感覚がし、視界に収まるカエデの眉間に皺が寄った。

「イナバ四世から定期的に物資と人員が送られて来る。既に君とカエデ嬢の事は組合長に伝えてある。無論、組織との関わり合いは表向き存在していない。君と私の事も含め、ごく一部の人間しか知らないよ。」

そうか。なら利用価値が有る。話が真実か見極めるのにもう少し待とう。

張り詰めた空気が和らいだのを感じたカエデ。自らの使命を全うする為に小さな口を開き息を吸う。

「里の総意を貴方にも伝えます。来る氾濫に備え、私達は文化や慣習を超えて手を取り合う時なのです。」

カエデはそう言うと、一通の書簡と巻かれた羊皮紙を懐から取り出した。鳥獣の羽衣の下に新品のポーチと織物製の旅装備が見える。何れも連合文化圏の品物だ。

「続けてくれ。」

里の総意と言う単語に、俺は何故か感銘を受けた。この感情を久しく忘れていた気がする。

「これは里への地図と里長への手紙です。使者の仕事は貴方が適任でしょう。お願いしますね。」

俺はオルガの補足事項を聞きながら、承諾の意味も込めて新たな荷物を受け取る。依頼料の話が出る前に先手を打つ事にした。

「待ってくれ、話は解った。此方の問題を解決出来るのなら、喜んで手助けをしよう。」

エグザムは膨らんだ背嚢と黒の箱兼備品入れを、本と書類で散らかった机に置いた。机が軋む音に不快な表情をするオルガとカエデを驚かせようとビックリ箱を作動させる。

「金は必要だが名声は要らない。依頼料の代わりに、これ等を金に換えてくれ。」

やはり跳ね上がる上蓋と口を開ける二人を確認し、背嚢からも収集品を取り出したエグザム。イナバ四世の【探索銀行】に在る貸金庫を指定し、競売への代理出展を注文した。

「ほう。まだこんな物が残っていたのか。分かった、私の名義で競売に出そう。」

探検家の血が騒ぐのか、短銃を手に取り隅々まで観察するオルガ。一方のカエデはアカメの目玉を凝視していた。

「これが何か解るのか?それとも何か視えるのか。」

あからさまに硬直しているカエデは、間を置かず首を横に振る。不可解ながらも気分を害してしまったと思ったエグザムは、三つの赤い目玉を背嚢へ仕舞うのだった。


空に輝く月は何時もより赤みが増して大きい。様々な御伽噺に登場する三つの丸い影が鮮明に見え、今晩の月が満月だと判った。

「此処に居ましたか。探すのに手間取りましたよ。」

地図を除き、競売に出す収集品の紹介を終えたエグザム。廃墟の屋上で夜風に当たり瞑想していると、背後からカエデが愚痴を浴びせてきた。彼女の顔を拝まなくても、機嫌が悪いと解った。

「そうか。で、何の用だ。あの目玉の事を話す気に成ったか。」

エグザムの態度にため息を吐いたカエデ。その位置から動かず、エグザムに語りかける。

「闇の主と遭遇したのには驚いた。貴方は人と獣のどちら側だ?」

地が出たな、随分訛りの強い口調だ。まあいい、此方も隠さず存分に話し合おう。

尻を軸に胡坐を掻いたまま向きを反転したエグザム。都合悪く月明かりが雲に遮られ、両者から不穏な気配が漂う。

「己が何者なのかは解らん。俺も知りたいところだが、今は狩人をやっている。そちらも話して貰おうか。」

エグザムが返答すると辺りが明るくなる。月を遮る邪魔者が消え赤みがかった月光がカエデの瞳を強調させる。

「今晩は影読みの力が増大します。影響を受けるのは私だけではありません。神の園全体が影響を受けます。」

カエデはそう言うと、その場に腰を下ろし胡坐を掻く。羽衣の内側の体躯に、エグザムが想像していた屈強な部族像を感じない。獣の瞳を赤く輝かせる年相応の少女が、廃墟の屋上に座っていた。

「オルガから聞きました。夏場のイナバ四世は様変わりするのですね。寝床の当ては有るのですか?」

東方大陸では何処でも特定期間、秘境でお祭り騒ぎをする。神の園では其れが夏から秋にかけて続くのだ。

カエデの意図が掴めない。何が言いたいのだろうとエグザムは困惑する。その思考は巡らせた憶測の袋小路に迷った。

「当ては無いが準備は済んでいる。当分は秘境で過ごす事に成るだろう。不用意に他人と関わるのは避けたい。狩人の勘が鈍ってしまうからな。」

言い訳じみた返答をしたエグザムの耳が、かすれた笑い声を拾う。やはり目付け役が居たかと察すると、カエデが二度目のため息を盛大に吐いた。

階段を降りる足音が聞こえる。盗み聞きがばれて、慌てて地下へ逃げ込む老人だった。

「手紙に貴方の身元を保証する旨を書いた。なので夏の間は里に滞在しても構わない。その気があれば向こうで狩をするのもいいだろう。」

間を置かずカエデの話は続く、エグザムは大人しく話を聞く事にした。

「赤い山とやらを我々は神の座と呼んでいる。多くの戦士達が支配者と戦ってきた場所だ。支配者の事を古代種と呼んでいるそうだが、必ずしも古きモノでは無い。龍の事をどの程度知っているか?」

古代種の一種と、エグザムは簡潔に述べた。本性を現したカエデは頷き、話を続ける。

「あの夜に出会った時、支配者の力を求めていたようだが。異能を獲るには龍に流れる血を飲む必要が有る。そして力を得る方法はそれだけだ。」

師匠でも辿り着けなかった真実を聞いた瞬間、全身の血液が躍動する感覚に囚われる。エグザムは話の真偽や謎の感覚を分析する。嘘や錯覚の類ではないと狩人の勘が告げた。

「影読みは目に見えない存在を見る為に有るのではない。神の園を観察し続け、影に触れる為に有る。いきなり触れられた気分はどうかな。」

話の内容から、地下で共鳴を使った事への仕返しと捉えたエグザム。微笑んだまま表情を動かさないカエデへ頭を下げた。

「申し訳ない、俺が未熟だった。」

狩人は師匠から習得した様々な技を使わない。素直な気持ちと反省を少女に示すと、不可解な圧迫感が消えた。

咎人へ罰を与えた事で何かが吹っ切れた様子のカエデ。正座して座り直し、以前の丁寧な口調に戻る。

「里への危険な道を、貴方は一人で進まなければ成りません。オルガから説明された内容に質問は有りますか?」

態度と口ぶりに落差が見られる。俺と同じ様な幼少を過ごしたのだろう。ああ、これが同情と言うやつか。

本性を隠し大人しそうに話すカエデに、エグザムは親近感を覚える。

「そうだな。以前聞いた聖地の事と竜種、あとは里について詳しく知りたい。」

厳しい環境で生きる者達。極端な性格が里の者達から受け継がれたモノでないと願いたいよ。

「少々長くなりますが、代々受け継いできた昔話をしましょう。」

雨季の夜は生暖かい地表の空気と冷気が交じり合う時間だ。森の匂いが一年で最も際立つ季節、曇り空の下で秘境の歴史をエグザムは知る。

「俺は師匠から支配者達に抗う術を託された。この身が秘めし力と合わせ、必ず約束を果たそう。おやすみ。」

立ち上がったエグザムは胸に右手握り拳を当てる。話してくれたカエデに対し感謝と敬意を伝えたのだ。

その時の俺は僅かだが少女に嫉妬する。大地の息吹や自身の力に酔っていた訳ではない。宿命や責務に生きる事への覚悟を感じただ羨ましいと、もし自分が似たような立場ならと、頭の何処かで妄想していた。


「もう梅雨の季節か、早いもんだ。アンタもそう思うだろ。若いの。」

大きな玄関口から出た俺は、軒先の屋根の下で雨宿りをしている老人へ短く返事をする。長椅子は既に満席で、雨具を忘れた者達が雨が止むのを待っていた。

文明圏から遠く離れた開拓街において、傘を差して歩道を歩く者は少ない。石畳を行き交う人々の多くは、暗い色の合羽や防水具を身に纏っており、街の中心部の十字路でも探索者の多さを際立たせた。

「逞しい馬だ。競走馬だろうか。」

牛や草竜が牽きそうな大型の荷車には、似たような軽装備の集団が乗っている。探索者より傭兵と思しき身なりで、町に到着したばかりの行列だ。

山へ続く街道には遠くまで運び屋の列が続いていた。今頃は先に着いた傭兵崩れや私兵達が宿に入っている頃だろう。出稼ぎや旅人で男盛りが繁盛していそうだ。予定を変更して先に寝台を確保しよう。

十字路北に在る探索銀行で、用意しておいた貸金庫に旅装備を預けたエグザム。交差点を渡り南通りへ走って行く。歩道には同じ様な同業者が少なからず居るようで、風物詩の当事者に加わるエグザムであった。


「魚介スープと野菜包み、熱いから注意してね。」

厨房が忙しいのか少し待たされた。店内に主人の姿は無く奥の厨房に居るようだ。人手が足りないのだろう。白い前掛を着た若い女と少女が給仕をしている。手伝いか雇われか判らないが、俗に言う看板娘に違いない。

「葉に豚と牛肉を挟んだのか。蒸し料理とは手が込んでいる。」

男盛りの店内は複数の客で賑わい予想どおりの繁盛ぶりだ。スープと肉の風味に舌鼓を打ちつつ、姉妹と思しき給仕で集客効果を狙う主人のやり方に驚いた。そう、こんな手が有ったのかと。

狭い個室だったが、何とか寝床を確保出来た。一泊銀貨一枚とは大幅な値上げだが、街が最盛期を迎えようとしているのだろう。つまり商売時なのだ。

魚の脂と内臓の一部が溶けた熱い汁を啜るエグザム。個人客用の机で食事を続けながら、後ろから聞こえて来る喧騒に聞き耳を立てた。

「なあ。山越えをする時に連合軍の歩兵師団が宿場街に居たんだ。あんたも見たか?」

歩兵師団か。害獣駆除と軍事演習の為、夏に秘境へ派遣される保安部隊や演習団にしては規模が大きい。例の計画と関係性が有りそうだ。

「あいつ等か、見たよ。俺の時は既に山脈を越えていたがな。連中は大きな積荷を運んでいる。徴兵経験が有るから判ったが、重砲一通り揃っていた。おそらく中央の砲兵部隊と山岳旅団だろう。」

振り向かずとも狩人は匂いや口調から彼らが何者なのか解った。五人の旅人が丸机で酒を飲みながら、旅の話をしている。

「今年の演習は賑やかに成りそうだ。どうせなら外森林の奥でやって欲しい、密林の探索が楽に成るのにな。」

夕刻にはまだ早い時間だが、もう酒を注文できるのか。これからはこの辺りも夜騒がしく成りそうだ。今夜は遅くまで情報を集めよう。

ほろ酔いの客はまだまだ居た。エグザムは情報収集を続ける。

「砦南口の張り紙を見たか、十日後に軍事パレードだってよ。秘境の傍でやって意味有るのか?」

張り紙は見落としてしまったな。声が遠い、入り口付近の立ち食い客だ。店内が騒ぎ始めて聞き取れないが、今年は例年より出稼ぎの探索者が多いらしい。

「で、今年は何処で稼ぐ。去年と同じ湿地流域にするか?」

雑音に邪魔されず聞き取れる情報が少なくなってきた。俺よりも長く活動している探索団の話を聴こう。

「競合者やよそ者に邪魔されたくない。補給面や組合の羽振りも良いから今年は期待できる。奥へ進む良い機会だ。」

名も知らぬ者達の会話は喧騒の中でも続く。富や名声、金や女。内容は違えどそれぞれ似たような事情が有り、裏の情報を喋る者や店の評価を口にしたりする。妻が怖いだの崖が高いなど、エグザムの身には関係無い話ばかりだ。

客の出入りが減ってきた。そろそろ探索計画を纏める頃か。補給以外に街に用は無い。主要装備が壊れていなかったのは幸いだったな。

スープの残り滓を口に入れ最後の余韻に浸るエグザム。明日に調達する消耗品と、試してみたい探索道具を考える。両替商で金貨の半分を銀貨に替えており、懐はずっしりと重かった。

「衛生品が不足していたな。生活必需品が直ぐに買い占められる事は無いだろう。明日、またハルゼイを叩き起こしに行くか。」


体の汚れを拭き取り、少ない無精髭を刈り取ったエグザム。足元まで届く緑の外套で全身を包み隠し、まだ薄暗い一階の居酒屋へ降り立った。

「相変わらず朝早いな。ちゃんと寝たか?」

無人と思われた店内には店主の大男が居た。接客用のカウンターで置物のように佇んでいる。

「心配無用。そちらも早いじゃないか。」

今回の身支度に物音を一切立てなかった。そう自身を賞賛した虚像が崩れる。木の階段を降りたその一歩で、全てが砕け散ったのだ。

気配を殺したのか。先程まで俺の世界に主人は居なかった。これほど芸達者な人間だったとは。

「街に人が集まるのが例年より早くてな。急な仕込みに睡眠時間を取られた。」

目の下に隅をこしらえ、疲労を癒すように白湯を飲んでいた大男。大きな木箱を椅子代わりに置き、動揺を隠すエグザムへ手で座るよう促した。

「どうだ。調査は終わったのか?」

主人から生気を感じない。先程まで干乾びていたので、俺の感覚が捉えれなかったのか。内心慌てたが何と言うか、ああ無様だ。

「何とか期日に間に合わせたよ。情報が役に立った、下の方へ降りられたからな。」

店主が持つ金属製のポット。又は薬缶から注がれる白湯を陶器製の瓶で受け止めるエグザム。瓶は野菜酒を飲む為の物で、伝統的な酒飲みの構図が垣間見えた。

「穴の底へ降りたのか。確か道が崩れて通れない筈だが、どうやって底の島に辿り着いたんだ。」

壁の内部に下層へ降りれる道が在った事を知らなかったエグザム。若干呆け面を晒した後、大樹を利用して底へ降りた事を告げた。

「本当か!、よくそんな真似が出来るな。今時そこまで危険を冒す輩は居ないぞ。」

店主は活力を取り戻すように笑う。仏頂面で白湯を啜るエグザムは、結果的に危険を冒した甲斐が有ったと思った。

「色々遭ったが、主人は縦穴の下を探索したのか?」

エグザムの何気ない質問で大男が疲弊した店主に戻る。しばしの沈黙の後、独り言の様に語り出した。

「未確認種の噂を聞いたことは有るか?」

初めて聞く単語に疑問を抱いたエグザムは、話を遮り逆に質問した。

「ああ知らないのか。分かった教えよう。未確認種と言うのはな。」

文字どおり存在を確認出来ていない生物の事では無く、存在を黙殺され組合から秘密指定されている種の総称であった。

「大抵は古い協定に引っかかりそうな採取や狩猟を禁じている程度の話だ。探索者が生態を脅かしたり公益を損なう事態を防ぐ為だった。」

秘境調査が数十年前に途絶えてから、組合は生態の保護を積極的に提唱するように成る。表向きは錬金術の急激な普及を避け、穏やかな産業の変移を見守る為の宣伝文句だった。

「街で生まれた者の多くは探索者の家計だ。無論俺もその一人だが、二つ前の世代まで未確認種の事を支配者と呼んでいた。」

それ等の名を知っているのは先住部族のみとされ、今や空想上の存在として祭り上げられるに至る。当時の組合は街で磐石な地位を築く為、手に負えない存在を隠そうとしたのだ。

知っている単語が出た時は驚いたが、成るほど公然の秘密と言うやつだ。例外を除いて、一般探索者が神の園の変化に深入りしないよう予防線を張っている訳か。何処の組織も皆同じだな。

「何も無い所に噂は広がらないだろ。秘境で変な物を見た話を今までに何度聞いた事か。何よりこの街の探索者は大抵事情を知っている。」

組合は昔から支配者達の存在を知っていたのか、若しくは既に確認済みなのだろう。カエデの話が事実なら、組合が目を瞑るのも分からなくも無い。イナバ三世の件も在るだろうし、主人に教えるべきではないな。

「事情は察した。無理してでも聞きたくは無いから他の話にしよう。」

湿地流域に在る遺跡調査の為にまた地下へ潜る事に成るだろう。闇虫程度の害獣が必ず居るだろうから安めの長物を調達しておこう。後は干物と反応液を如何するかだが、ハルゼイに矢を注文するのが先だ。

始まった店主のちょっとした演説をエグザムは聞き流す事にし、相槌と返答に白湯を啜る音が暫らく響くのだった。


「蝶番と取っ手金具を変更したのか。反射した光りが眩しい金色の塗装だ。」

エグザムは高級感漂う扉を数回小突く。音が響かず重い感触が手に伝わり、以前より扉が強化されたと判明した。

「エグザムだ。矢の注文と複製を頼みに来た、開けてくれ中で話がしたい。」

返答が無い為もう一度扉を叩こうとすると、何かを動かす音が聞こえた。中から近付いて来る足音を確認し、一歩下がり外套を脱いで埃を払い落とした。

「生きていたか、久しぶりだな。さあ入ってくれ。」

扉を通ると以前と同じ配置で物がエグザムを誘導する。今回は複数の実験器具が活躍していて、作業台周辺は用途や目的が解らない怪しげな雰囲気が漂う。エグザムはハルゼイの仕事に合法性と安全性を疑った。

「扉の強度はどうだった?。手を出し難い様に高級感を追加してみた。君に簡単に壊されて、つい奮起してしまったんだ。」

そうか、それなら壊し甲斐が有りそうだ。と心の中に押し留め、懐から二つの物を取り出す。鋼鉄の矢とあの短銃の弾だ。

「そ、それは本物なのか?」

動揺しているな。やはりハルゼイは師匠と同じ人種だった。まったくコレダカラ錬金術士は扱い辛い。

「詳しくは話せんが間違い無く本物だろう。そして三日以内に鋼鉄の矢と後で教えるボルトを作って欲しい。」

エグザムは一発だけくすねて来たそれの構造と原理を知りたかった。今日まで噂され伝え聞かされる破壊力の真偽を確めるには、ハルゼイの様な変人を頼るのが最適だと知っている。

「調査費は出せんが、真偽も含め用途と原理を調べて欲しい。そして入手方法や存在は他言無用に願う。条件が呑めるなら二つとも手に取ってくれ。」

高所から伸びた手が、エグザムの手中から素早く依頼の品を掻っ攫う。ハルゼイは真っ先に危険物であるそれの匂いを嗅ぎ始める。執拗に嗅ぐ姿は匂いを探る犬のように見えた。

「その弾は密閉して保管されてあったからまだ使えるはずだ。俺には不要なので差し上げよう。」

こうして契約は成立し、エグザムは汎用ボルトと鋼鉄の矢の代金を渡す。金貨二枚は十分にお高いが、肥えた懐には丁度良い出費だった。


今回の探索目的は、先住部族の里へカエデから預かった書簡を届ける事だ。書簡と言っても紙媒体では無く羊皮紙が使われており、撥水加工された頑丈な筒に納まっている。

「入り江へ向かう便は、あの馬車か。行商用の牛車でなくて良かった。牛の臭いは落ち難い、探索者には不便だ。」

街で着用していた外套や財布等の旅装備を銀行の貸金庫に預けて終えたエグザム。磨いて関節部に油を差したばかりの手甲や具足に狩人流の偽装を施した。それはまるで御伽噺に登場する樹の民を彷彿とさせる容姿なのだ。

「出発するまでどれだけ時間が掛かる?」

御者は、乗ったばかりの客に間も無く出発すると返答した。前身緑色の客を見ても仕事を疎かにはしない。

屋根の無い木製の簡単な荷台には、エグザム以外乗っていない。その不自然さを疑問に思い再度質問する。

「一つ聞く、何故この馬車だけ客が少ない。湿地流域は人が多い探索場所と聞いている。」

エグザムの問いを鼻で笑いながらも、御者は口を動かし説明する。訛りのある口調から地元生まれと思われた。

「あんたここの秘境は初めてか。皆は既に現地入りしてるよ。目ぼしい物が有る海岸沿まで道のりが長いんだ。今の季節は客足が不規則で、最後に団体様を運んだのは二日前だったかな。」

つまり俺は出遅れ組みなのか。神の園南側は年中探索が出来るから、人気な場所が多い事は知っていた。考えていた以上に競争が激しいが、その分害獣と遭遇する機会も減るだろう。【海道】を進みながら景色でも楽しもう。

背嚢を向かいの座席に固定しツルマキの調整を始めたエグザムは、ハルゼイから調達した新品のボルトを番える。

爺さんはこの僅かな遊びを出すのに苦労していたな。何時も何処でも諸問題を解決するのは変人の役目らしい。新しい矢種が竜達に通用すれば、負担の少ない探索に成るだろう。

汎用ボルトと名付けられた長い金属製の矢。反しが無い軸と一体と成った鏃は、値が張る杭によく似ている。本来なら末端に在る羽は、中央付近で小さな金属製の突起物に変っていた。

エグザムは、ハルゼイが蓄えた錬金術の粋を用い造ったそれを曲げて弾力を確める。材質不明の合金は重く硬い中空構造に加工され、何故かしなやかに反発する。全部で十本の矢種は、金貨一枚相当に相応しい品と言えた。

暇なので、里までの道のりを少し紹介しよう。まず海道の入り口が在る【入り江村】に馬車で移動し、湿地流域に入る。北へ続く海道を通り【南盆地】に出て遺跡を目指す。期待していないが、ここでは遺跡調査を行いたい。

調査が終わり次第、南盆地から東へ通じる海道を通り断絶海岸に入る。そこから竜の巣へ通じる海道東端を目指して進むわけだが、探索者の狩猟や駆除実態から海岸地帯は危険領域に分類されるだろう。思わぬ足止めをくらうかもしれない。

「時間どおり出発するぞ。用が有ったら声かけてくれ。」

エグザムが簡単な応答をしたのと同時に馬車が駐留所から動き出す。砦北口へ並ぶ運び屋達の列へ、ゆっくりと進んで行く。

北口は秘境へ向かう複数の探索団で詰まっていた。渋滞は大きな堀に渡された石橋の対岸まで続いており、退屈そうに馬や牛たちが鳴いている。

やはりこれから更に人が多くなるな。先住部族の里に滞在する為にあれやこれや準備しておいて正解だった。

人間と同じ速度で馬車を操る御者。二頭立ての馬と共に、この状況に慣れた様子で橋を渡り始めた。

短槍を膝に、置き尻に小刻みに伝わる振動を楽しむエグザム。彼にとって長く退屈な馬旅は、貴重な妄想と安らぎを楽しむ時間でもあった。


歩きながら槍の石突で足場の木の板を突く。一歩歩くごとに自重で足場が軋む音が鳴り、重いぞと何度もエグザムに文句を浴びせ続ける。

「荷物は軽くしたが俺自身が重いからな、やれやれ。」

湿地流域の大半は汽水域の干潟だ。南方でしか見られない筈の海漂林が一帯に生息していて、当然の様に巨大な樹に成るまで成長していた。

そんな大きな幹に太い杭を差し込まれ、張り巡らされた回廊や吊り橋を支えている。ここでは木材に困る事は無いだろうが、海道を維持するのに毎年多くの木を切らなければ成らないだろう。

エグザムは高い位置に渡された吊り橋を渡り終える。五階建ての建築物に匹敵しそうな高所から足元を見るだけで、飛び降りたい衝動に駆られた。

「道がどんどん高くなる。最初は採取の為と思ったが、これは別の理由が在るな。」

相変わらず杭に支えられた板と角材の道を歩くエグザム。気晴らしに上を見上げてみると、大きな黄色の花を見つけた。

「高い位置に咲いていたから摘み取られずに済んだのか。大きく鮮やかな黄色だ。」

エグザムの読みどおり今のところ害獣に遭遇する事は無く、姿すら見かけなかった。枝分かれした呼吸根が乱立する干潟は干上がっており、干潮の時を刻々と伝える。

何者かが下へ降りた痕跡が残っている。湿地流域や断絶海岸では多くの魚介類が取れるそうだから、猟師達の秘密の抜け穴があっても不思議ではない。

槍で道を叩きながら渡っていると、眩しい日光がエグザムを包んだ。先程まで雲に隠れていた太陽が顔を出したのだ。

「こうして観ると今は森の中に居ると錯覚してしまう。此処まで静かだと不気味に感じる。」

苔むした樹の体表や微かに見える砂地。そして足場の海道に映る無数の樹の葉の影が、先程までの暗い世界を払拭する。木々の間に何本もの光りの柱が現れ、嗅覚が森の息吹を捉えたような気がした。

独自の異常成長や不自然な生態系。かつて人の手で造り出されたかのような自然環境を複数持つ。

「魔境とやらをこの目でもっと見たい。何処かに手がかりが在る筈だ。」


神の園には大きな盆地が二つ在る。南盆地と【東盆地】だ。地政学的には盆地と呼んでいるが、実態はなだらかな裾野や侵食された平地で構成されている。一つ言える事は、地形の境界線があやふやで正確な地図など存在しないだろう。

そんな場所に聖地があると聞かされた時は半信半疑だったが、カエデの生い立ちと園の歴史を聞かされた今では全く違って見える。

「あの形で観察者。真偽はともかく考えた奴の意図が知れない。」

カエデの額の紋章は人の手で描かれた物ではなく、生まれた時から額に在ったらしい。語ったカエデが嘘を吐いている様には見えなかった。人類の起源の話から竜種の衰退話まで、まだまだ知らない事がたくさん有るな。

多年草が生い茂り水辺を歩くエグザムに鳥や虫など小動物の鳴き声が四方から響く、辺りは庭園や公園によく見られる光景ばかりだ。

「まるで限定領域だ。いや、固有種の楽園の方が相応しい名だ。」

【大海漂林】から歩き続け濃い霧を抜けてみれば、大きな湖と朽ちた遺跡群に出くわした。話の通りここの何処かに聖域と呼ばれていた場所が在るのだろう。

「何故かここの情報が手記に記されていない。厄介事の臭いがする。」

脳裏に悪戯が成功し笑う師匠の姿が浮かぶ。意図的な情報隠蔽が有ったと推測するしかない、とエグザムは自身に言い聞かせた。


抜かるんだ泥地がエグザムの遺跡調査を阻む。無いに等しい手がかりを求めて白い石造建築物の一つを調べていた。

「不味い、底なしだ。右足が抜けない。」

湖の浅瀬に在るこの遺跡は天井部が無い吹き抜けの建物だ。等間隔に並んだ四角い柱やつる草に隠れた壁を除き、原型を留めていない。一部は崩れ残骸すら見当たらない箇所も有った。

「共鳴が通らず、いちいち槍で確認しなければ成らない。また具足が泥で汚れてしまった。」

膝から下を泥で覆い、茶色い足跡が白い通路に残る。小さな穴に嵌る前に辿った道にも乾いた足跡が残っていた。

崩れた柱で狭くなった広間に出たエグザム。謎の草花がそこら中に自生しており、無機物以外の遺物は見当たらない。

カエデの話では、幻のイナバを示す紋章が存在したらしい。口伝でも失われた証拠を探さなければ、聖地の場所を特定できない。ここは比較的規模が大きな遺跡だが、期限までに見つかるだろうか。

墓標の様な石板が壁に立て掛けられていた。何者かが道を塞ぐ障害物としてそこに置いたのだろう。

一枚岩を綺麗に切断した後が表面に残っていて、エグザムは反対側を調べる為に石板に手を掛けた。

「何かが彫られている。ただの残骸ではないようだ。」

俺は怪力をもって石板を反転させる。途中で足元が陥没するかと胆を冷やしたが、どうやら軟な造りではないらしい。

今居る遺跡も含めこれまで二日間で調査した遺跡は、どれも建築様式が旧時代の遺跡と似ていない。あれらと比べると年代が新しい物だと推測出来た。

「何かの果実と葉の片割れに見えなくも無い。これは初めて見る紋章だ、手記に残そう。」

墨筆の硬い芯が粗い紙の繊維を引っ掻き、変色した余白に新たな紋章の図が書き込まれる。陰影や濃淡を、細い線で等間隔に連続させ表現する。

果物の類とその葉を示しているのだろうか。現役だった頃は絵の具で着色されていたのかもしれない。

「仮定でここが果樹園のような場所だったとすると、聖地の食糧生産拠点だろう。此れまでの遺跡と共通点が見られる。」

手記には扉の様な紋章と、幾つかの直線が刻まれた紋章が描いてあった。調査が終わった遺跡の場所を想像しながら、エグザムは何等かの関係性を探る。

どれほど時代を隔てようと人の営みは変らない。虫の丘の遺跡やイナバ三世、そして今居る【湖畔遺跡群】。大きな街を築くには水源と治水技術が必要で、その痕跡が何処かに必ず在る筈だ。

「扉は関所か境界を示し、この直線は何を意味するのだろう。遺跡は道や水路の類ではなく小さな砦の様な外観だった。」

ひょうたん状の湖とその周囲に点在した遺跡を調査するに当たって、俺は水路や街道の類が残っている事を期待していた。残念ながらその目論見どおり事は進まず、調査は難航するばかりだった。

「もし聖地が湖に沈んでいるとすれば完全に手詰まりだ。調査が終わっていない遺跡を調べる前に、最悪の事態を想定するべきだな。」

今回の探索で換金目的の遺物を持ち帰る必要は無い。銀行に預けた財布には、最盛期を迎えた探索街で夏を越すだけの蓄えが残っていた。

この辺りはとうの昔に探索しつくされている。目ぼしい物は何も残っていない筈だ。今から断絶海岸へ向かえば時間の消費を抑えられる。決断を誰かに任せられたらどれだけ楽なのだろうか。

「一先ず泥を落しに水場へ戻ろう。何時までも土の匂いと戯れるのは御免だ。」

水の浸食か水位の上昇の所為なのか、敷地の半分は僅かに傾斜している。改装すれば何かに再使用出来そうな遺跡には、水が沸く場所が残っていた。

背の高い井戸から溢れる地下水が大広間の割れた床に流れ込む。エグザムは腰を下ろし、ろ過され透明な水が溜まった溝へ足を入れ、こびり付いた粘土質の泥を洗い落とす。

「冷たくて気持ち良い。かつての先住部族達はどんな暮らしをしていたのだろう。残った旧時代の遺産に恵まれ、日々快適に過ごしていたのかもしれないな。」

両足に感じる水の抵抗により、自然と汚れが洗われてゆく。流石に煮沸せず飲む気はしないが、飲んでも害は無さそうだ。この広間は貯水槽だったのだろう。何故わざわざ高台を掘ってまで水を溜めたのか、疑問が尽きない。もっと時間を掛け調査したかった。

晴れ渡る青空と大きな雨雲を見上げ、エグザムは考えるのを止めた。鳥の鳴き声が近くから聞こえ、壁の向こう側を共鳴で調べてみる。

「単調な声色を連続させ求愛の鳴き声を響かせる。歌うなら大勢の方が効果有るだろうに。」

壁で乱反射する振動が脳内で幻聴の如く再生される。打楽器に似た演奏を黙って聴いていたエグザムは、一つの仮説を閃き額に手を当て考え始める。

石材が音を反射するのか、いや違うだろう。もし強度を高めたり水の浸食を防ぐ為に混ぜ物を入れた人工石材だとしよう。強固な骨組みが簡単に風化するだろうか。

「カエデは確かに捨て去られたと言った。不要に成り放棄されたのだ。当然、この神の園ではどうなるか考えるまでも無い。」

エグザムは付近の高台で獣や木々の楽園に成っている場所を思い浮かべる。答を導くのに時間は掛からなかった。

「東盆地の屍の森か、ここから北の山裾だけだ。地図の地形情報を確認しよう。持って来て正解だった。」

地図を確認せずとも、頭では聖地が何処に在るのかもう解っていた。その時の俺は、幾つかの勘違いと錯覚で組み上げられたカラクリを解いた感動で、頭が混乱していたのだろう。予期せぬ驚きに恐怖と似た何かを感じたのだ。

「やはり双方共に区画整理されている。俺は今、巨大な貯水湖の其処に居るようだ。」

エグザムは地図帳を背嚢に仕舞うと遺跡の出口を目指し歩き出す。迷いの無い足取りで次の目的地を目指した。


「あれが貯水湖の壁か。あれさえ崩れなければ、今もこの一帯は水の中だ。」

エグザムは巨額の費用と途方もない労力が潰えた瞬間を想像し、足元の人工石材をまじまじと見つめた。人々の間では、ここいらの遺跡群は水没する前に建てられたと噂されている。実情を知らなくともそう考えるのが妥当だろう。


断絶海岸に入ったエグザムは、更に東へ伸びる海道の先を見つめる。空の至る所で海鳥の集団が飛びまわり、血や硝煙の臭いが潮の香りに混じって運ばれる。

海岸に住まう生物の多くは陸と同じく体が大きい。当然ここでも人間は狩られる側だ。人の味を知った獣を食べる風習は、大陸広しと言えど滅多に無い。

「何処かに水龍が居る筈だ。例え見つからずとも住処だけは特定したい。」

そう。俺は書簡を届ける道すがら支配者の一柱に目星をつけた。全てはカエデの話から始まったのだ。

神の園には、神話の時代に謳われた龍を例えた者達が存在する。火と水、大地と森、闇と光、雲と氷に眠る者。炎の担い手は老衰により溶岩へ還り、外敵を照らす者はイナバ三世で果てた。部族と支配者の戦いは休戦状態のまま今日へ至る。

カエデが支配者達の話をした時、俺は嘘や作り話の類ではないと直感的に理解し、同時に彼女の思惑も悟った。おそらく俺を支配者にぶつけ息の根を止めるか、最悪力を削ぎ優位性を人間側へ戻したいのだろう。

エグザムに語られた総意とは、旧時代に住居を奪われた者達の長年に渡る渇望であった。秘境中心から錬金術主体の文明へ移り変わろうとしている転換期に乗じ、古代都市の生き残り達は最後の闘争を決断する。

「危険な外界に怯える生活に終止符を打ちたいか。イナバ四世へ引っ越すのに魔境の主達は邪魔らしい。」

海に住む水の龍がどの様な姿か分からない。カエデが言った見れば判るに期待するか。

エグザムは、ドミノ倒しの様に倒れ重なった遺構の残骸に渡された木の橋を渡り始める。海岸に近づいた時に感じた胸騒ぎが歩くたびに少しづつ大きくなる。

「白の森で大蛇と遭遇した時によく似た感覚だ。俺を惑わすつもりか。」

エグザムは血への衝動で動悸が速まるのを感じる。此処へ至った全ての要因を思い出し、狩人として感謝した。


岬から渡された吊り橋を渡り終え、エグザムは横倒しになった居住棟の墓場を見渡す。植物プランクトンで濁った緑の海の上で、翼獣や海鳥たちが獲物を探している。風に舞う木の葉の様に飛ぶ白と黒の集団。忙しなく広い縄張りを行き来する。

海鳥は餌場を知らせる風見鶏でもあり、血の匂いに敏感だと爺さんが言っていた。昔は素潜りで魚介類を捕る猛者が居たらしい。

「人の姿が見当たらない。相当数の探索者や猟師が居る筈だが隠れているのか。何処かの廃墟で狩の準備に忙しいのだろう。」

見渡す限り、遺跡や岩小島が浅瀬に密集している。張り巡らされた道は全部海道の筈だが、落ちた橋や穴だらけの道、古そうな物ばかり、

俺の装備では海に落ちたら沈んでしまう。安全そうな経路を選びたいが、見る限りそんな場所は無いようだ。

「死体は無い、全部食われた後か。」

猟師の革靴の片方が下の波間に浮かんでいる。達人でも突起物の多い足場を素足で渡る事は出来ない。

北と西側の湿地流域から運ばれた養分が、多くの磯辺で多様な生態系を支えている。探索街で消費される魚介類の半数はこの緑の海で捕れるのだ。

ばったり害獣と鉢合せする可能性が有る。俺にとって一番脅威なのは抜け道を知らない事だ。刻々と変化する環境に詳しい知り合いは居ない。危険を覚悟で東の死の森へ辿り着かなければ成らない。

「あの壁は外壁と言う名だったな。あそこを辿って北東の岬へ渡ろう。」

人々は旧貯水湖外延部の壁を今では外壁と呼んでいる。南西の半島から北東の山々まで残骸が並んでおり、土台を残し構造体が共倒れした様に重なって外海に倒れていた。

廃墟の寄せ集めと岩場を渡れば、僅かに見える基部まで行けそうだ。翼獣の巣を強引に突破しよう。

南盆地の湖畔から東の屍の森を通るには、断絶海岸を通らなければ行けない。潮風に装備を長時間晒したくないエグザム。装備が痛むのを抑える為、敢て危険な経路を選んだ。


錆た配管で組まれた足場の跡。誰かが残して行った、垂れ下がったままの縄。石灰岩の岩礁に寄り掛かる様に倒れた塔。骨組みだけの廃墟は今や生物の隠れ家と成り、打ち寄せる波が様々な漂流物を運ぶ。目を閉じ耳を澄ませば、何処かの波止場を連想させる音が聞こえた。

煙突の様な突起物が並ぶ工場の廃墟を進むエグザム。高所に設置された踏み台同士に渡された長い梯子は、今も現役で重い通行人を支える。

「ん、風が吹き始めた。西風か、雲行きが怪しい。」

この地の天気に詳しくない俺でも、上空の気流の流れぐらいは予想できる。雨風程度で害獣がねぐらに帰るとは思えないが、波や風が強くなる前に向こうの島へ渡ろう。

西からの強い風が配管の空洞に流れ込み、空気の塊が押し出され様々な演奏が始まる。振動が構造物伝いにエグザムまで届いた。

「鍛冶山より性質の悪い臭いがする。酸っぱい薬品に近い臭いだ、追い風だから当分続くな。」

梯子を渡り終えたのもつかの間、血の匂いが風に乗って運ばれて来る。その生臭さはエグザムの良く知る匂いだった。

「西の海岸沿いで何か遭った様だ。探索団が竜種にでも襲われたのかもしれない。これでは他の害獣達もつられて騒ぎ出すぞ。」

今は時間が惜しい。止む終えないがあの配管を伝って直接島へ向かおう。

食事の時間を伝える騒ぎが、血の匂いや害獣達の鳴き声と共に海岸全体へ広がろうとする。狩られる側に回った事を感じ取った者達。廃墟同士を繋ぐ太い配管の上を走るエグザムの様に、危険を承知で逃げ回る。安全な場所は何処にも無かった。

「だいぶ痛んでいるな。強度は大丈夫だろうか。」

亀裂の穴から赤茶色の配管内部へ侵入してひとまず姿を隠せた。上に開けられた穴から光が差し込んで、配管内部は明るい。足場は少し濡れており踏み締めるとよく滑る、高所に在る所為か潮風の影響を受け易いようだ。

しばらく歩くとヒビや欠落箇所が増えてきた。丁度良い大きさののぞき穴を発見し、現在地の確認をする。

「下はまだ海か。島まであと少しだな。」

立ち上がり歩き出すエグザム。歳をとっても水平を保つ配管の橋を歩き続ける。穴から入り込む風が配管を振動させ、とても低い叫び声を上げた。


周囲を崖で囲まれた孤島へ、配管の中から降り立ったエグザム。騒がしくなった空を警戒して島で様子を見る事にした。

不幸中の幸いか、俺は長い配管の足場に隠れられそうな旧時代の廃墟を見つけた。綺麗な円形の構造物で、五階建ての屋上は小さな森が生っていた。

薄っすらと黄ばんだ外壁は岩のように硬い。槍で叩くが跳ね返され、黄色い粉が石突部に付着する。

「残った塗料が変色している。擦ると粉が出てくるが、今まで雨風に晒された様には見えない。」

外壁には血痕や糞尿の痕が無く生物の気配を感じない。周囲の木々は円形の廃墟から少し離れており、回りを調べるのに手間はかからなかった。

廃墟の一部は土に埋まっているようで何処を探しても入り口は見つからない。時間を無駄にしたくないので、俺は通路と思しき窓の手摺へ両腕を伸ばした。

 

これは驚いた。太い根やつる草の類が壁伝いにひしめいている。屋上から壁の穴を通り此処まで根をおろしたのか。

その部屋の天井から薄く細長い葉が大量に垂れていた。葉には緑と白い部分が有り、日が差し込まない薄暗い環境に適用した固有種と見られる。

エグザムは外に面した通路から薄暗い通路や室内を覗きつつ、足元に水が流れる階段を上り屋上を目指す。

「近くで翼獣が狩をしているのか?」

生ものが腐った臭いが風に運ばれ来た。臭いさえなければ船乗りが喜びそうな風だ。手記に載っているここの情報量が少ないのは、爺さんが臭いを嫌ったからなのか。物臭な性格だったから有り得ない訳でも無いな。

今のエグザムは手記の情報を当てにしていない。それでも頭に留めておく情報が二つ有る。激しく変化する環境と餌を求めて来襲する竜種の事だ。

「この様子では今も竜たちが人間より幅を利かせていよう。屋外で活動している者が見当たらない。確実に抜け道が在るな。」

湿度が高い。ハルゼイ工房の庭で試射した時より、射程が狭まるだろう。飛ぶ的を落すには厳しい環境だ。

ツルマキを短弓状態で限界まで弦を引くと、射出力が最大に成る代わりに板バネ固定部が疲弊する。壊れてしまうとただの重いガラクタに変る。そんな事はさせない。


階段を下りて行くと波の様な音が聞こえた。何度も反響する水の音を聞きながらある程度階段を下りると鼻が異臭を捉える。俺はツルマキを構え音を立てずに、地下深くへ階段を進んだ。

手記によれば断絶海岸に住む害獣はどれも厄介な相手らしい。地の利を活かせる能力と生態を持ち、縄張りに入った人間を見つけたら必ず襲い逃さない。と、爺さんが書いた棒人間が溺れ骨だけが海底に溜まる描写は解り易かった。

全ての個体が海中で生活するのでは無く、陸地をねぐらに狩を行う種も居る。この海岸では水竜や飛竜、海熊や岩鳥等が代表的な害獣だ。

「こんな狭い場所に巣を作ったのか。規模からして水竜の物だ。」

水竜を解り易く説明すると、鱗を纏い肺とエラで呼吸する大きなトカゲが相応しい。体色の違いから何処を縄張りにしているのか簡単に判別可能だ。

「群青色の鱗を纏った個体だろう。不在で助かった。」

エグザムは見下ろすだけで巣に近付いたりはしない。今居る天井通路から下へ降りられる道が無く、何より家主に空き巣の匂いを覚えられると後が怖かったからだ。

おや、この音は水が流れる音か。水筒の残りが減っていた。飲めそうなら補給したい。

音を頼りに見上げると縦穴の先に空が見える。円形の廃墟の中心は芯をくり抜いた果実の様に、丸い縦穴構造をしていた。

「どうりでここだけ明るいのか。隠れ家には最適だな。」

内壁の大半は根で覆われ、上だけを見れば密林に居ると勘違いしそうだ。

垂れ下がった根の一つから流れ落ちる雨水を、エグザムは直接水筒の口に宛がう。風と水滴が何かに当たり、空洞に静寂が訪れそうには無かった。

水龍は年中海の中に居ると噂されている。浅瀬に上がって来ないからと考えれるが、そもそもどの個体が水龍か判別出来てないのだろう。カエデやオルガも知らんと言うし、まるで謎のお宝を探す気分だ。

「大丈夫、手がかりは既に存在している。本当に断絶海岸の主ならば住処の一つくらい在るだろう。」

エグザムは水筒の口から水が溢れている事に気付き、慌てて栓で塞ぎ背嚢に戻す。その時崖まで通された水路から、水を掻き分け何かが泳いで来る音が聞こえた。

長居し過ぎたようだ。後の憂いを此処で絶ってしまおう。

狩人は硬く厚い鱗を貫き、一撃で獲物を仕留める準備を整える。縦穴最下層の天井部に通された通路は、下から見上げると丁度逆光で見えない位置だった。

背中の深い青み、間違い無く海中での狩を得意とする個体だ。東の竜の巣から遠く離れて暮す理由は群から追い出されたか、群が解散する様な出来事が有ったのだろう。俺の様に同種嫌いなら此処での生活は最高な環境に違い無い。 

半円状の天井に魚と良く似た大きな背びれが当たると、水中から背より下の白い腹までが出現する。中心部へ近付くと水路の底が浅くなるように造られているのか、大きなトカゲは四足歩行で水路を歩き始める。壁に水飛沫を叩きつけ狭そうに水路を進む水竜、前足より長い後ろ足は太くトカゲの物には見えない。

足の形状が水竜とは違う。こいつは完全に別の種だ。思い出す余裕は無さそうだ。

息を殺し物音を発てず右胸と肩関節にツルマキを押し付けた。上半身に固定された照星が腰の限界角度を目指し左から右へゆっくり動き、狩人はその時を静かに待つ。

頭の表面積が大きい、これでは何処に脳髄が有るか判らず確実に仕留めれそうに無い。安全策を採って狙いを変えよう。

エグザムは着弾点を頭部から首の付け根に変更し引き金を引く。板バネと鋼線の弦が瞬時に解き放たれる音が響き、大型害獣は一瞬硬直したものの力なく瓦礫の山へ倒れた。

ああ、思い出した。こいつは陸鮫だ。遠い沖合いの島々で暮らしている筈だが、大陸までやって来たのか。

血ではない体液が鱗が弾け飛んだ傷口と杭の隙間から流れ出て、魚の尾が空中へ浮いた形で死後硬直が始まる。水かきを広げた状態で手足を痙攣させる陸鮫を観察しながらエグザムは微動だに動かない。まだ狩は続いていたのだ。

俺は杭をツルマキに再装填する。陸鮫の事は詳しく知らないが、秘境の変化を鑑みても番が居る可能性を排除できない。せっかく悲鳴を上げさせる事無く仕留めたのだ。警戒を解き巣へ降りて襲われでもしたら全て無駄に成る。

陸鮫は南の湾内の島々が在る海域に生息する固有種だ。学者達は陸鮫を秘境を脱した種から進化したと結論付け、似たような境遇の害獣達と共に学会に紹介した。随分昔の話だったと記憶していたが、やはり今の神の園は爺さんの知る世界ではない。外来種の侵入を許した主は今も生き残っているのだろうか。何かしらの事情が有りそうだ。

縦穴から届く光が陰り始め、潮位が高くなり始める。穏やかだった水路に波が寄せるように成り、大きな尻尾を海水で弄ぶ。依然として水路出入り口に生物の気配は無かった。

「此処までか。今晩はここに泊まろう、探索は明日からだ。」

飛竜や翼獣の心配をする必要な無さそうだ。と心の中で唱え、視線を丸い空から肉の塊へ移す。久々の纏まった量の肉を前に舌なめずりエグザムだった。


日の出前に起き配管内部を歩き出して半日が経った。時々穴や亀裂から顔だけ出し絶壁までの距離を確認した。残りの距離からしてあと一日分歩く必要が有る。聞こえ来る波の音は静かだが、下はもう浅瀬ではない。

「箱は無事だ。今のところは問題無しか。」

薄暗い配管内を進むエグザムは、ありがたそうに暇を持て余している。筒を肩から腰に提げ、本日何度目かの独り言を口ずさむ。

廃墟や高台からでは、絶壁へ繋がっている幾つかの配管を見つける事は無理のようだ。蒸発した海水の影響で光が歪んであそこからでは確認出来まい。何だかんだであの時配管へ飛び乗ったのは不幸中の幸いだった。

神の園は広い。活動可能な面積は狭いものの西方連合北東部の大分部を占めており、東方三大秘境の名に嘘は無かった。

これは俺独自の推論だが、今居る配管や例の絶壁は旧時代より前の物かもしれない。伝説では太古の昔、空の海を人が旅していた時代が有ったそうだ。未だに人間の起源が解明されていないので、知識人達はその時代を古代や不明時代とも呼んでいる。

爺さんが興味を示さなかった所為か俺はその分野に弱い。金が無いのはかねがね残念な話だ。

エグザムは退屈を装い気になった点を考え出す。どれだけ別の事を考えてもそれだけは頭から離れなかった。

話に聞く蜃気楼の様に、海岸沿いから海に浮かぶ壁が見えた。探索街の砦と同じ様に非常に大きな構造物と予想できる。相当数の害獣や例の水龍の巣が在っても不思議ではない。一つだけ言えるのは今の技術で海を別つ壁は造れない、例え錬金術が盛んな【アルケミア】でも不可能だろう。

後頭部へ両手をまわし考え事をしているエグザムの耳に、突如として金属製の配管に走った衝撃波が伝わった。

「何だ!ついに壊れたか。」

エグザムは走り出す。もし配管の道が崩れた場合、なす術無く海中へ落ちるだろうと覚悟した。

だが予想した崩壊は起きず配管を叩く様な足音が響くばかりで、俺は直ぐに走るのを止めた。都合よく配管内へ差し込む夕日を思い出し、走って来た場所まで逆走する。

「あれは飛竜だ。随分高い場所を飛んでいる。」

飛竜。神の園に住まう十二種の竜にして唯一空を掴む事が出来る羽を持つ。風を読み空を泳ぐ白い鳥に見える竜たちは、獲物の上空を旋回している。

「襲って来る気配は無いが、屋内に居た俺を見つけたようだ。何かしらの探知手段を持っていると考えた方がいい。」

赤い鶏冠が印象的な捕食者達は、配管の穴から顔を覗かせている緑色の人モドキを視認する。拡大した水晶体同士に視線が繋がる。

「足に大きな魚を。いや、あれは俺が仕留めた陸鮫だ。上から目視で見つけたのだろうか。」

円形構造物の中心に有る縦穴をどうやってすり抜けたのかと疑問に思いつつ、エグザムは腹袋から焼いた骨付き肉を取り出し掲げる。

「そいつを殺したのは俺だ。心臓は美味かったぞ。」

どうしてその様な行動をしたのか本人も分からない。エグザムはただの気まぐれついでに骨付き肉を振り回し、油が付着した顔で人外相手に自慢した。

結局睨み合いは長続きせず、飛竜達は用が済んだかの様に東へ飛び去った。一日半近く吹いた西風は気が付けば北よりの東風に変っていて、竜の巣への帰巣を促したのだろう。俺の逃避行は血の匂いに始まり天候に終わったのだ。


遠くから確認した絶壁は、やはり砦より巨大な壁だ。そびえ立つ平面は向こう側を隠しその全貌を窺い知る事を阻む。

「俺にはユカリも縁も無い筈なのに、何故か身近な存在に見える。まるで。」

まるで何時も隠し事をする自身と良く似ていると、心の中で感想を述べたエグザム。両手に持つツルマキの曲線的な台床を何時もより強く握る。左手で木目を撫でる仕草は、宝物や遺品を無自覚に懐かしむ彼特有の癖なのだ。

長い配管の次は打ち付けられた梯子か。俺は道を間違ったようだ。

絶壁と呼ばれる垂直な壁は金属や石材とは微妙に異なる材質で出来ていて、汚れを除いて経年劣化が少ない。外海と同じ深い青色の壁を見上げるエグザム。視線は人が上り下りする為に設けられた一筋の凹凸線に釘付けだ。

手や足を掛けるのに十分な隙間と奥行きが有る。力を込めても微動だにしない。これなら問題無く昇れる。

絶壁周辺の海は荒れ模様だ。潮流の関係で場所によっては年中渦を巻いている。不思議な事に遺跡本体に長い時間を経て侵蝕された跡が見られない。

「海中に没した廃墟や遺構の残骸とは設計概念が違うのだろう。見渡す限り水面下の基部も健在だ。」

巨大な壁を昇るエグザムを例えるなら、薄い胸板を這い上がる一匹の蟻が相応しい。世界にはもっと高い崖が在るだろうが、青い壁を休まず這い上がる緑虫には関係無い事だ。

「もう少し登れば赤い山の山頂が見えそうだ。神の園南側を観察するのに良い場所かもしれないな。」 

四角い高台の埠頭が随分小さく見えるな。殆んど気にしなかったが、大海漂林の海岸沿いから遠い所まで来た。陽炎で海岸沿いがあやふやに見える。そろそろ気流を警戒する頃か。

案の定、右から俺を掬い上げそうな突風が吹きつける。こんな所で死にたくないので、手足を力み凹凸の梯子に体を固定した。

「はぁ。気付けなければ飛ばされるところだった。」

風は潮の香りを運んでいたが、俺は死の匂いだとも感じた。同時に翼を持つ者が感じる世界を少しだけ体感したのだ。

認識できる高さは観察者によって違う。地上と空を行き交う者達然り、日々の行動範囲が影響している。エグザムにとって高さとは、飛び道具が放物線の頂点に到達するまでの距離程度の概念に過ぎない。

「渦や波があんなに小さい、まるで皺に見える。此処までの高さを昇ったのは生まれて初めてだ。」

長い壁を昇り終えた俺は転落防止用の壁によじ登り、尻よりやや大きい足場から下界を堪能している。壁の中腹で気流の妨害に遭ったが、後半は無風地帯を通り無事に此処まで辿り着けた。

驚いたのは下界の光景だけではない。頂上と思っていたこの壁の上部に小さな壁が東西に続いていた事だ。

「いや、小さい壁と言うのは適切な表現では無いな。大空洞の巨大通路と似ている。」

現代の探索者が此処まで遠出しない事を知っているエグザムは、腹袋から大事な大事な都市図を取り出した。

拾った時は学術書の一種だと思った。何度見ても地図には見えないな。

失われた印刷技術を用いた天然色の表紙をめくり、しおり感覚で挟んでおいた【探索計】も抜き取る。十一個の円と直線が描かれた項に記された数字の列を目で追う。

「数字はだいたい把握した。今も昔も専門用語で言えば十進数が使われている。」

目次を活用し、都市南側の概略図を探す。項の一枚一枚に特殊な加工が施されており、乾いた指でも簡単に捲る事が出来た。

エグザムはとある疑問を燻らせていた。都市図に見られる幾つかの構造物が現実に存在し無いからだ。

地図が正しければ東盆地辺りから似た様な道が伸びている筈。一定感覚で横に並び南へ伸びるこれ等構造物は、俺が今居る絶壁と同じ物だ。周辺施設の残骸は残ってるのに、これだけ巨大な構造物が一つしか残っていないのはおかしい。

外海側は僅かに橋の隙間から覗ける程度で全貌は確認不可能。内海、つまり断絶海岸内に同種の壁やその痕跡は一切見当たらず、基礎工事で大地を削った痕跡すら無かった。

「この件で悩むのは後だ。今は水龍の調査を優先しよう。」

エグザムはカエデより与えられた秘密道具を弄り始める。方位磁石に似たそれは特定の波長を探知する代物なのだ。

「此処でも反応は無い。使い方が間違っているのか環境の変化が乏しいのか判らんな。」

赤と青色の宝石が埋め込まれた二つの円が、壊れた時計の歯車の様に回っていた。中心の針は確かに北を指していたが、慣れない道具にエグザムの思考が惑わされる。

羅針盤の回転盤と似た重なる裏表の二つの円。カエデ曰く磁場の揺らぎや【生体反応】とやらを感知し、周囲の状況を掌握する為に使うらしい。不要に成ったからと無理やり渡されたが、信頼に足る代物ではなさそうだ。

「都市図から俺が里の位置を掴んでいる事を知らないとは言え、これと地図から里への道を探らせたいのか、何かの試練を与えたのだろう。俺の知らない秘密が隠されているかもしれない。」

書簡とは別に渡された羊皮紙を足元に広げ、重し代わりに探索計を乗せる。太陽光を殆んど反射しない丸い宝石は、不規則に回転する目盛り盤の上で回され続けた。


「昔は此処まで海道が続いていたらしい。道が途絶えて数十年あたりが妥当だろう。」

欄干に垂れ下がる先が無い結び目。エグザムは錆びたアンカーを固定する縄を掴む。忘れられた道標を彷彿とさせる手応えを感じた。

絶壁を足場に渡された橋の道は山の頂に伸びる山道等とは違い、冒険を避ける旅行者向けの観光地に相応しかった。特定の趣向を持つ者なら金と時間を惜しまずつぎ込むだろう。

四叉状のアンカーを無理やり引き抜き歩みを再開する。エグザムは暇つぶしに丁度良い玩具を手に入れた。

「乾燥が酷い所為で錆が簡単に剥がれる。特異な気流帯が水蒸気を遮っているのだろうか。」

黒い手袋に赤い粉末が付着し、エグザムは興味を削がれた玩具を内海へ全力で投げる。目にも留まらぬ速さで飛んで行ったアンカーは高空へ消えた。

今居る橋は水道橋と似ている。この高さまで水を汲み上げれるとは考え難く、残念ながら手持ちの資料でも貯水湖との関連は解らない。

「はっきりしたのは都市が未完成だった事か。俺の予想では建築中に崩壊が始まったと考えれる。」

上部構造物の橋には建設途中の施設の廃墟や資材の残骸がそこら中に残されていた。誰が見ても建設途中で放棄され、本来の目的とした完成形とは程遠い。

橋としての機能は、俺が今歩いている外縁部の細い通路のみ。通路自体は人が通るのに問題ない幅なんだが、此処からでは橋には似つかわしくない構造物と見える。

「あの巨大通路もこうして作られたのだろうか。力学的に負荷や荷重を分散させる方式に近い。」

遠洋の大型船が収納できそうな巨大な溝を見下ろしながら、都市図に描かれた完成予想図を思い出す。白い箱を頂に置く意味不明な作図に、エグザムの学者脳が超えられない壁に衝突した。

俺は煮詰まった考えを止めて、内海の向こう側に広がる赤い山へ視線を移す。こうして眺めると巨大な台地も背が低い大きなまな板に見える。東の境目の向こう側に先住部族の里が在るのか。まだまだ遠いな。

「まてよ。都市図の縮尺から何か解るかもしれない。」

そう呟き腹袋から方位磁石を取り出したエグザム。


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