02(雑文)
汚れが無い青く小さな葉を一枚手に取り、長い茎を団子状に硬く結ぶ。結ぶことで断面から水分や栄養が失われるのを防ぐ事が出来る。簡単な加工で鮮度を保ち、売買時の品質保持に繋がるのだ。
「杭二本が歪んでしまったが、出費を帳消しに出来る十分な量が溜まった。」
葉を複数枚重ねた最後の束一つを背嚢へ入れる。弁当や腰の各備品の予備と採取瓶しか入っていなかった背嚢は、二日間の採取により三倍近く膨らんでいた。
この白の森に同業者は居ないらしく、質の良い葉を独り占め出来た。金貨三から四枚程度の値打ちが付くだろう。
来る夏場に備え色々な準備に追われると予測していたエグザム。必要な資金を稼ぐ為の、最初の探索目的を達成したのだ。
「葉を詰めただけではまだまだ軽いが、欲張らずに急いで帰還しよう。」
木登りに散々酷使した鋼鉄の杭は僅かだが歪んでいる。本来の用途には使えないが、近接武器や投擲物に流用出来そうだ。
二本の杭は葉を採取する為、枝に体を固定するのに使われた。小枝から伸びる長い茎の影響で、葉を採るのに散々苦戦したのだ。
エグザムは灰の木の太く枝分かれした高所を、慣れた足捌きで移動する。灰の木はそびえる幹が頂上で複数に枝分かれした生態をもち、その気になれば枝伝いに隣の木に移る事が可能だった。
四十近くの灰の木から選りすぐりの葉を採取したが、森はまだまだ奥地へ続いている様だ。地図製作や情報収集の為に白の森を調べ尽くしたいが、やはり次の機会に我慢しよう。
イナバ三世跡地に住まう二人に会う時間を確保する必要が有る狩人は、簡単な目印を辿り登ってきた木へ移動する。葉の鮮度と団子の数から、探索限界時間が迫っている事を認識していた。
あの木を渡れば、最初に登った木の場所へ直ぐに戻れる。浅場を中心に探索して正解だったな。
枝伝いに枝の回廊を進んでいると、何かが這い寄る気配に気付いたエグザム。枝分かれした太い幹の頂上で身を隠す。
方角から恐らく南の方だ。此方へ真っ直ぐ近付いている。害獣が居ない理由は恐らくあれだろう。
探索時にエグザムが枝の回廊を移動経路に選んだのは、苔むした大地に足跡を残す事を避けたからだ。手記に記述された苔の効果を疑い、白の森にも少なからず害獣が住んでいると判断していた。
幸いにも荷は軽い。背負ったままでも戦闘可能だが、先に手を出すべきだろうか。
確実で迅速な帰還か、品質に影響が出る要素を容認する帰還か迷う狩人。大樹の上で静かに損得勘定を弾き始める。
どのみち標的の確認をしなければ身動きが取れない。此処に来て森に住む捕食者の情報が無い影響が出たな。
だが想定内だと、考えを一蹴するエグザム。静かに固定具を外し短弓を右手に握ると狩猟用の矢を持ち出す。地面から完全に隠れるよう太い枝に体を預けつつ、巨体が這い寄る異様な音に聞き耳を立て目を瞑り待ち伏せを始める。聴覚が捉える情報を整理していると、今まで経験した事の無い感覚に襲われた。
何だこの感触は、まるで大地と同化している様だ。目視しなくても獲物が何処を進んでいるのか判る。こんな事は今まで無かった。
記憶に無い初めての感覚に戸惑い心が乱れるエグザム。思考に溢れる情報が彼の困惑をいっそう深める。
慌てて目を開けると、嘘のように静まり返る森と蠢く気配のみが伝わる。正気に戻った狩人は直下に居るだろう標的へ顔を覗かせた。
「これはどう言う事だ。幻覚なのか。」
大きな瞳に浮かぶ縦に割れた黒い瞳孔が、直前まで物音立てず隠れて居た自身を凝視していた。エグザムは我に帰り状況を把握する。
隠れていたつもりだったが、向こうも俺を見つけていた様だ。家畜を丸呑みに出来そうな図体が二つ膨れているが、俺も仲間に入ってしまうのだろうか。
思考とは裏腹に素早く矢を番え引き絞る。自然な動作で照星を水平位置に在る大きな捕食者の瞳に合わせていた。
森の主とも形容できそうな青い大蛇は全身緑色の狩人を、地上から頭を伸ばし観察している。誰から見ても蛇に睨まれた蛙と相応しい構図だろう。
直ぐそこまででかい頭が届いている。目の焦点からして俺の擬態を看破していると考えて間違い無い。ツルマキから弓を解除したのは間違いだったな。
「これが何か解る筈だ。片目を潰される痛みを味わいたくなければ、去るがいい。」
言葉など通じる筈も無い相手にわざわざ警告するエグザム。蛇特有の舌なめずりを目にし、その胸中では複雑な思いが渦巻ていた。
爺さんは教えてくれた。捕食者同士は言葉が通じなくとも互いの考えを察するものだと。その間に均衡した力関係が無くとも、行動をもって相手に意思を伝える事が可能なのだと。
カエデは言っていた。里の住人の中には種族の壁を超えて意思の疎通を図る者が居る事を。大地と同調し様々な恩恵を引き出す者が居る事を俺に語った。
俺が捕食者であるべきなら取るべき選択肢は一つだけだ。もし俺の異能と先住部族の異能が同じ起源を持つのなら、自ずと道は拓かれるだろう。
時間にして数秒程度の邂逅を経て、弓使いは左手で固定する矢と弦の張力を少しづつ弱める。同時に右足を戻し射撃体勢を解いた。
言葉では言い表せない感覚だ。この状況でも不思議と落ち着けるのは目が合っている所為か。
警戒しつつも武器を下ろし青い大蛇を観察するエグザム。その個体が手記に載っていないと簡単に推測出来た。
威嚇を解いたエグザムに興味を失ったのか、向きを変え森の奥へ優雅に進んで行く大蛇。倒木を砕く音を最後にエグザムの警戒範囲外へ消えた。
「この胸の喪失感は何だろう。何か重要な事を忘れた時と同じ感覚だ。」
喋りながらも手は止めずツルマキに弓を装着する。矢筒を絞め歪んだ杭を両手に握った。
あの蛇は【亜種】の一種だろう。青い体表の鱗に銃創と思しき罅割れが複数あったが、体液が噴出した形跡は見られなかった。高い自然治癒力と防御力を持つのだろう、俺のツルマキでも歯が立つか判らないな。
大木を降りようと辺りを警戒する。南西から北東へ大きな蛇道が続いていた。遅れて噴き出る冷や汗に悪寒と既視感に苛まれるエグザムだった。
二日かけて外森林の三世跡地に戻ったエグザム。大地の東側に在る池で緑の帯を洗っている。オルガとカエデの住居に密林の濃厚な臭いを持ち込む訳にはいかないのだ。
「綺麗な水のおかげで臭が消えた。これで弁当箱で煮沸する必要も無くなった、手間が省けたな。」
白の森で採取した苔を挟んだ手拭で衣服や装備を拭く。獣除けは薬草特有の匂いを放ち爽快な気分をエグザムにもたらした。
岩肌を流れる滝を見ながら、そこらの枝に干した帯や衣服が乾くのを待つ。鉈を多年草で埋め尽くされた地面に刺し、防具と装備の点検を始める。
錆びは無いな、しっかりと外装の帯が役目を果たしてた様だ。ツルマキに異常は見られない。服が乾いたら台地を登るとしよう。
太陽は正午を過ぎ、地平線へ落下を始めている。数刻後には夕暮れ時が訪れるだろう。
「残り時間からして、小屋に泊まる訳にはいかないな。カエデに話だけ聞いて、境界線へ急ごう。」
三大秘境で育った動植物は、驚異的な生命力を大地から与えられている。腐敗さえ始まらなければ、そうそう痛む事も無かった。
「灰色の木が群生している森で青い大蛇に遭遇したが、その時に奇妙な感覚に囚われてな。言葉では言い表せない感覚だったよ。」
小屋隣の井戸で洗濯中のカエデを捉まえたエグザムは、一緒に古い桶で洗濯の手伝いをしている。カエデに解り易く事の経緯から伝えたのだ。
「恐らくそれは共鳴現象でしょう。里の者達の中で、狩りをする者が扱う同調技法の一種です。」
共鳴と言う聞いたことが無い単語には、俺の常識が通用しない概念が含まれていた。秘境で長く生活する事で、同じ大地に住まう存在と無意識に会話する力を会得するそうだ。
エグザムは咄嗟に思いついた質問をした。共鳴が部族の者でしか会得出来ない技なのか確かめる。
「里の猟師でも簡単に使える技ではありません。部外者でも会得可能か知りませんが、やはり貴方が特別なのでしょう。」
カエデは大きな絹製の上着を絞る。非力な腕では水分を落しきれない。
「以前に俺を人ならざる者と言ったな。特別な件も含めて話して貰おうか。」
値が張りそうなオルガの半袖を渡されたエグザムは、慣れた手つきで縦にねじり絞る。
「私が持つ異能はこの赤い瞳です。」
今度は麻袋を絞るエグザムに、代々受け継がれた異能を語るカエデ。桶に張る水が光を反射させ、日に焼けた頬を輝かせる。
「大抵の影は黒や赤、青と緑色をしています。無色など見た事も有りませんでした。」
【悪しきもの】と呼ばれる存在がこの世には居るらしい。常人では目に見えない存在は、形有るあらゆる物から生じる影の存在だと言う。そして彼女の目には、無色の陽炎を纏う俺が見えると言う訳だ。
ふと思い出し赤い瞳を観察し始める。エグザムは瞳孔が縦に割れているのに気付いた。
「その目、まるで獣の様な形だな。里の人間は皆そうなのか?」
知的好奇心に流され考えをそのまま口に出してしまう。結果、少女の頬が赤く染まり膨らんだ。エグザムは赤い眼光に睨まれ、しぶしぶ質問を中断する事にした。
「若いとは罪だと思わないか、エグザム君よ。」
やはり最初から隠れていたか。歳を取るとお節介を焼きたがるのは、共通の習性らしい。
「オルガ殿は覗き見が趣味なのか。」
笑いながら質問をはぐらかすオルガを見てエグザムは、晩年を迎える探険家に哀愁を感じる。そして師匠と同じ未来を思い浮かべた。
「背の荷物を見るに、どうやら大漁と見て間違いない。これから街へ帰るのか?」
手伝いを終え帰り支度を整えるエグザムは、問いに短く肯定する。夕刻が迫る夕日は眩しく二人を照らす。
「実は君にお遣いをお願いしたいが。そうだな、カエデの言う悪しきものについて、詳しく知りたくはないか?」
断る理由は無いと判断したエグザム。その場で情報を聞き隠居人の依頼を承諾した。歪んだ表情を夕日に照らし出された二人組み、それぞれの思惑が影を増長させた。
正午過ぎ。砦北口に帰ってきたエグザムは七日間の初探索を終えた。同乗していた他の探索者より足取りは軽い。
「苔の効果が予想以上に効いている。臭い消し用に香水を調合して貰おう。」
砦中央に設けられた水場で顔の塗料を洗い落しているエグザム。衣服から汗の臭いがしない事に驚いていた。
砦内まで伸びた大通りには、大きな階段が北へ続いている。組合が在る北広場に続く階段だ。往来する者達は商人や運び屋ばかりで、同業者の姿は無い。道を空けてくれた運び屋に軽く会釈し、俺は組合の正面入り口をくぐった。
「これと同種で状態の良いの物を大量に持って来た。奥で査定と換金をしたい。」
腹袋から青毒の葉を一枚取り出し、取引窓口の案内人へ見せた。直ぐに背後の扉へ入った案内人を確認し、俺も通路奥に並ぶ個室前で待機する。
葉には劣化が見られず、摘んだ時と同じ状態だ。成長が早いにも関わらず腐りにくい。どの様な原理なのか、人間にも作用するのだろうか。
「こんにちは。私が葉の査定を行いますので、部屋に入りましょう。」
エグザムより若干背の高い青年は、分厚い本と虫眼鏡を片手に部屋の鍵を開けた。探索者のもう一つの戦いが始まり、両者は個室へと場を移す。
手の状態から俺より年上の様だ。接客に乱れは無く急いでいる様子も見られ無い。
「これで全部だ。青毒の葉が十枚で一つに纏めてある。」
赤い絨毯に丸い机と椅子が置かれた室内は何処か居心地が良い。また狭い個室にも威厳が感じられる、ここには様々な思い出が詰まっているのだろう。
「採取してから三日程度ですね。どうやら状態が良い物ばかりで、痛んだ物が有りません。」
この【鑑定士】は若くも将来有望な人材かもしれない。目の下の隈を除けば目移りの良い印象だ。そろそろ値段交渉を始めるか。
「直売希望だ、総額で幾らになる。」
緑と白の制服を着こなす鑑定士は金貨三枚と銀貨八枚を提示し、予想どおりの金額にエグザムは即決で承諾した。
その後に問題無く売買が成立し、青毒の葉は商人や錬金術師に買われ旅立った。貸金庫から旅装備と財布を手持ちに移し、エグザムも大通りへ向かう。探索者が持ち帰った物が誰の手に渡るかは、組合と鑑定士など限られた者のみが知っている。
前回も宿泊した安宿【男盛り】は、隠れた名店と断言して間違い無いだろう。単純で頑丈な設計をした部屋造りは清潔に保たれ居心地が良い。
「八日前に此処で髭を剃ってから、あまり伸びていない。生還記念に剃るようにするか。」
俺は今、身だしなみを整えている最中だ。耳や目元まで伸びた髪を短くし、下着一枚になり体を拭き終わったので、今度はナイフで短い髭を剃り始める。
「顔つきが爺さんに似てきたな。血の繋がりは無いが、年老いたら眼帯が似合いそうだ。」
木の柱に釘で吊るされた鏡の前で独り言を静かに口ずさむ。機嫌の良い探索者は鏡越しにその原因を見つめる。
資金に余裕が出来たので明日から数日は街に滞在しよう。オルガの依頼を成功させるには、装備も情報も到底足りない。
「相変わらず老化の遅い体だ。原因が不明のままでは不気味でしかたないな。」
手入れが終わりナイフを鞘に納めると、俺は散らかった持ち物や衣服の整理を始める。それから夕刻まで時間が過ぎるのを待った。今は託された手記を頼りに、在りし日の爺さんを思い浮かべよう。
「三色定食だ。どうだ豪華な見た目だろ。」
茹でた野菜の盛り付け。しっかり火の通った数種類の肉片。最後に黄色系の果肉に包まれた芋類の揚げ物。
「ああ。大層な量だが、腹一杯に詰め込めそうだ。」
大柄な主人に注文した料理は、やはり大きな皿に左から緑、赤、黄色と盛り付けられていた。一般人の胃袋には納まらないだろう量も、文字どおり空腹の俺には丁度良かった。
「主人よ。言い忘れていたが食後にお湯を頼む。歯と髪を洗いたい。」
そう言うと、銀色に輝く大皿に積まれた料理を勢い良く食べ始めるエグザム。熱気が空気中の水分と反応し、蒸気の煙が匂いと共に天井へ舞い上がる。
この肉は脂身が少なく歯応えが有る、小型の草食獣の肉だろうか、胃袋を刺激し体中に巡り渡る感覚だ。やはり最初に食う肉の味は格別だな。
食事制限から解放された至福の一時は、俺に確かな休息と安心を与える。そして生を実感できる貴重な時間でもあった。
「随分傷だらけの腕だが、主人は探索者をしていたのか。」
残った緑の山を削っていたエグザム。視界に入った戦士の証が気になり無遠慮に質問した。満腹感は狩人の感覚すら惑わし、思考を凡人に変える。
「四年前に引退するまでは名の知れた探索団の一員だったぞ。」
中年の主人は傷だらけの両腕をまくり、盛り上がった上腕筋を見せびらかした。
指の膨らみ具合から反動の強い銃を使用していた様だ。傷は切り傷ばかりで利き腕を庇った痕跡は無い、恐らく両利きなのだろう。
「俺は今、【赤い山】と周辺情報を探している所だ。話によっては銀貨二三枚出そう。」
秘境を知るには現地へ行くか情報を買うしかない。当たり前の様に流布された情報に価値は無く、無視して問題無い戯言にも意味は無い。情報料としては安い提案だが、今はお高い話を必要としてはいない。
「そうだな。あの辺りは複雑な地形だか値が張る希少品も多い、昔は何度も足を運んだもんだ。何について詳しく知りたいんだ?」
エグザムの意図を察した主人は食器を拭くのを止め、足元の戸棚から古びた書物を取り出す。彼の秘蔵品と見受けられた。
「【虫の丘】とその下の【大空洞】を探索したい。探索と言っても個人的な現地調査が目的で、採取や狩猟の予定は無い。俺が知りたいのは現地の生物分布と地下への入り口だ、戦闘を避ける為には迂回経路を進むしかないからな。」
手記を鵜呑みにすれば、わざわざ情報を集める必要も無い。爺さんは多くの情報を与えてくれたが、古い情報を過信するのは危険だ。
「あの辺りの生態はしょっちゅう変わるからな、俺の記録も役にはたたないだろう。だが銀貨に相応しい情報は有るぞ、一枚貰うが聞きたいか?」
銀貨一枚を後ろの紙箱に入れ戸棚から大きな羊皮紙を取り出した大男。自身の両腕より大きな地図をカウンターの上に広げ、探索者時代の昔話を始める。
赤い山、神の園中央に位置し晴れた日には周辺から山頂が見える高原地域の総称だ。赤いと言う名は実際の所は相応しくない、山岳地帯の中央に在る高地を過去に誰かが赤い山と呼んだのが始まりなのだろう。
その山岳地帯は山脈級ほどの高さは無く、大半が台地と盆地で占められており、高地特有の植生で覆われている。当然そこは獣の領域で人が住めるような地域ではない。
山岳地帯の北側に巨大な台地が形成されており、東の火山地帯まで到達していた。甲殻獣の楽園と呼ばれるその地が虫の丘だ。
大空洞とは山岳地帯の地下に張り巡らされた坑道や謎の地下空間等の全般を指し、エグザムの目的地を含む地下世界の総称である。
「昔大空洞で生活していた時に見つけた安全経路と放棄された住居跡を教えよう。なに心配するな、あの場所には獣の類は近付かない。その苔と同じ効果の植物が自生しているからな。」
記憶が正しいのなら俺の手記に、該当する【限定領域】の記載は無い。地図を見る限り目的の北空洞に近いな、後で手記に書き足しておこう。
【底の島】そこは忘れ去られた庭園。空洞の中でも日が差し込む縦穴を利用して造られた急造の人工島。何時誰が何の目的で造ったのか誰にも解らない。只一つ言えるのは、何かを導く様に其処を中心に裏道が四方に広がっていた事だ。
既に食器類が片付けられ竈の火も落ちた頃、エグザムは食事処の机で手記を改訂している最中だ。
「予定より早く経路の見通しがたった。明日から必要な装備を揃えよう。」
ふと墨筆を置き作業を止めると両腕を後頭部に回し、洗ったばかりの髪を撫でた。防虫用にと思いついた即席の獣除け整髪剤の臭いを確かめる。
白の森では強烈な匂いだったが、十分に薄めれば香草としても楽しめる。採取して正解だった。
エグザムは二階の自室に保管してある採取瓶を思い出し笑みを浮かべる。瓶の中には限定領域で取れた獣除けの苔が半年分残っており、錬金術でどう化けるか楽しみであった。
先住部族が培った特殊な能力の一部を、俺は知らない内に会得していたようだ。俺の出生を探る機会が巡って来た訳だが、正直未だに信じられない。
オルガとの別れ際、依頼料の前払いで聞いたカエデの情報に耳を疑った。カエデが里を離れた理由。神の園の変化。そして【影読み】と呼ばれる赤い獣目が持つ能力。
当人から同調能力について聞かされた時、俺は先住部族の血を引いている可能性ばかり考えてしまった。余計な一言が無ければもっと多くの情報を聞き出せたのだろうに、残念だ。
その時の俺は興奮していた。自身が大きな自然界の渦に直面しながらも、それに抗う術を手に目標へ近付いた事が嬉しかった。
銀貨二枚支払い食事付きの四泊を頼んだ後、すぐさま宿を出払ったエグザム。落ち葉や風に運ばれて来たゴミを払う主人に見送られ、眠らない朝の宿場街大通りを北へ進む。
高級宿や雑貨店。野菜や肉を売る出店。飲食店と風俗店。日の出から間もない時間でも馬車や運び屋の往来を見かける。酒臭い酔っ払いも目立つが、街の中でこの通りが一番活気付いているだろう。
俺の目的は鍛冶山のハルゼイ工房だ。途中の十字路や中央通りで必要な道具を漁りたいが、残念ながら開店時間は数刻後だ。
「ここは土産物屋か。高級そうな立派な店構えだ。」
歩道西側にて、四階建ての石柱が目立つレンガ造りの店先に佇む客引き看板。三脚に固定された黒板には季節限定の商品が紹介されており、様々な装飾品を扱っている事が伺えた。
「組合は仲介場所として便利だが、加工品を扱う者には如何見えるのだろう。」
今の俺には信用取引は無理だ。秘境から安定した供給を一人で行うなど出来る訳がない。所詮高望みの域の話だ。
西方連合の貴族や有力者の間では、秘境原産の素材を用いた贅沢品が現代でも根強く好まれている。金貨が袋単位でやり取りされ、手形や小切手が舞う舞台を想像するエグザム。金持ちに対する人類共通の憧れは、やはり彼の中にも渦巻いていた。
肌寒い気温も工房に到着する頃には幾分上昇するだろう。今日は忙しくなりそうだ、先を急ごう。
ツルマキの固定具が出す音は、早まる足の歩調と共に増え始め、朝でも騒がしい鳥達の鳴き声に消えて行くのだった。
「おはようエグザムだ、起きているかハルゼイ殿。一仕事頼みたい。」
正体不明の金属製ドアノックを扉に打ち付け、職人に仕事の到来を告げた。
返事が無い、只の居留守の様だ。この程度の偽装で狩人の鼻は誤魔化せないぞ。クフフフ。
エグザムは諦めて立ち去る素振りを見せ、耐熱レンガの壁を時計回りに移動する。裏の窓から室内を伺う為だ。
室内には明かりが無い。厚いカーテンで閉ざされているな、かえって好都合だ。聞き耳を立てよう。
朝日の届かない裏側で唐突に始まった我慢比べ。本業の探る者と引き篭もる職人は壁越しに互いを探りあう。
そうだ悠長に遊んでいる暇は無い。寝不足の様だが、高そうな取っ手金具を壊してでも中に入るべきか。
扉の隙間から使用中の蝋燭の匂いが洩れ、住人の生態が伺えた。エグザムは大人しく正面へ戻りドアノックを握り締める。以前の訪問時に金具が取っ手と鍵を兼用していた事を確認済みだった。
「あまり口に出して言いたくは無いが、俺のツルマキが常人では扱えん事を知っている筈だ。硬いあの弦を容易く絞る力で、この扉を無理やり引いたらどうなるか、俺は理解しているぞ。」
喋りながら丸いドアノックに負荷を与える。鋲でしっかりと固定されている筈の軸が少しずつだが回転し始めた。
「申し訳ない。徹夜の所為で寝てしまい気付かなかった。」
目の下に隈を作り研究に打ち込んでいた筈の錬金術士は、笑いながら留守を装った事を謝罪した。疲労の為か研究を邪魔された苛立ちの所為か、目が笑っていない。
「起きていた様だが何の作業をしていたのだ。大きな仕事でも入ったのか?」
時間が無いのはお互い同じ様だ。機嫌でも伺いつつ依頼を優先して、細事にこだわるのは止めるとしよう。
失態を取り繕うハルゼイをなだめつつ、矢筒を外し歪んだ杭と見本の杭を出す。作業台に素早く並べた。
「専用ボルトを五本製作して欲しい。更に矢とこの二本の強化を頼みたい。」
財布から金貨と銀貨を一枚ずつと銅貨を五枚取り出す。
「矢に関しては相場より多めに出す。不足分が有れば教えてくれ、良い仕事を期待するぞ。」
用件を手短に済まそうとする客に職人が慌てて対応する。
「金は十分だ。三日後に来てくれ、相応の作品に仕上げておこう。」
頼んだと分かれの挨拶を済ませ、歪な鋲が目立つ取っ手を回すエグザム。立ち去る客人を見つめるハルゼイの目は笑っていない。
イナバ四世の交通網は東西南北に伸びた大通りを基盤に成り立っている。馬車六台を並べても若干隙間が残る道幅は石畳で舗装された近代的な構造をしており、地下には下水道が集約している。
その大通りが街の中央で交差する場所を十字路と呼び、その付近の全ての通りは【中央通り】と呼ばれていた。
現在、俺は中央通り東地区の【錬金通り】に居る。長期探索に必要な様々な道具を調達する為だが、現在の優先度では低い。何故なら苔の加工先を探しているからだ。
此処で三件目か。前の二件よりこじんまりとした佇まいだが、一等地に在るのだから色々問題は無いだろう。
「おやぁ、見かけない顔だね。」
入り口横の死角から客に対応をしたのは、絵本に出て来そうな老婆だった。
「此処は薬屋なのか、表の看板に錬金道具が書かれていたが。」
何故か麦わら帽子を被っている老婆はエグザムの問いに肯定しつつ、扉を閉めるよう促す。引き戸の上に吊るされた木炭が、鈴の様な音を出し客の入店を知らせた。
「これは密林の限定領域で取れる固有種の苔だ。獣除け効果が有るので、香水や洗剤の類に調合して欲しい。」
両手で小瓶を受け取った老婆は白の森を再現した匂いを確かめる。蓋を開け手で風を送る仕草にエグザムは違和感を感じなかった。
「今時珍しい、天然の上物だね。保存状態が良いから濃縮液に加工できるよ。銀貨三枚で石鹸と香水が作れるけど、容器もおまけして二日でどうだい。」
三度目の何とかとはこの事だろうな。金額も日数も問題無い、他の薬の代金も含め支払って次へ急ぐか。
「まいどぉ。」
消毒液と【万能中和剤】を銀貨一枚で入手したエグザム。引き戸を閉め木炭が奏でる鈴の音を聞き、【魔女薬局】を後にする。
正午前。
「やはり流行の物を確認しておいて損は無い。装飾過剰だが、技術を観察出来る良い機会だ。」
錬金通り南東地区で小物の調達を続けていたエグザムは、硝子越しに展示用棚に置かれた銃火器を見つめている。本人曰く小休止の為と内心で嘘を吐き、流行の芸術品を目で楽しんでいる最中だ。
もし俺が銃を手にするのなら、一つ前の武器屋で見つけた対物銃や旧式大口径が妥当なところだ。あの大蛇を倒せるかは怪しいが、大猿程度なら簡単に仕留めれるだろう。
所謂あれだ、設備投資と言う概念だろう。秘境の脅威を合理的に対処するなら、必要であって怠っていい考えではない筈だ。
銃火器で武装する時、自身がその脅威に完敗してしまった後だと薄々気付く狩人。火遊び程度でも有効そうな道具が有る事を思い出し、財布を確認する。
「金が半分近くまで減ってしまった。調達が終わり次第、両替商で金貨を崩して生活費に充てるか。」
そう言い残し歩いて来た道を戻るエグザム。本日最後の買い物へ向かった。
街の西側は小高い丘になっており、斜面と頂上に築かれた頑丈な石垣が【噴水広場】を支えている。広場と言っても高台の中央広場だけではない。周囲の屋敷街や西の奥に築かれた貯水湖も含まれており、文字どおり水を扱う施設が集中していた。
どうやって運んだのか思わず疑いそうな頭骨を横に、エグザムは長椅子に腰掛て屋敷街を観察している。
開拓街では武器の所持制限が無い。変わりに有事を除いて使用が禁止されているが、明確な罰則も無い。俺の様な者でも受け入れてくれるのはありがたいが、どうせ使い捨ての消耗品として見られているのだろうな。
龍種の大きな頭骨の前には薄黒い大理石で出来た慰霊碑が鎮座している。定期的に清掃されており、目立った汚れも無く幾つかの花束が献花してあった。
この慰霊碑は、前身のイナバ三世壊滅の原因と成った古代種襲撃時の犠牲者や行方不明者の墓だ。おおよそ百二十年前の出来事だが、街の人間には他人事で無いらしい。添えられた花が当時の死人に対してか、最近死んだ探索者や市民へ宛てた物かは判らない。集団墓地が無いこの街では、葬式は簡単に済ませるのだろう。
エグザムは気分転換に他の長椅子に腰掛ける。
「ようやく一段落した。此処からの眺めは噂に違わぬ絶景だな。」
予想以上に荷物が多くなってしまったが、必要な道具が揃った。後は注文品を後日取りに行くだけだ。
エグザムは基本的に人間を信用する気は無い。弱肉強食で淘汰される環境で育った彼は、人間も捕食対象と捉えている。
銀行や組合の貸金庫の利用は最小限に留めよう。便利だが管理出来ない荷物を手元に置きたく無い。際限なく預ける癖が付くのは御免だ。
時刻は正午過ぎ。噴水広場では貴族や商人から役人まで上流階級の人々が歩いている。散歩中の彼や彼女らに紛れて衛兵や探索者の姿も確認出来、仕事中の一般人も随所に見られる。エグザムも含めて暇人の大半は高台から東に広がる街並みを眺めていた。
「殆んど気に留めなかったが、この街の西側はなだらかな上り坂だ。あの二本の水道橋は此処から始まっていたのか。」
鍛冶山から噴き出る水蒸気の煙が今日も東の外森林へ遠ざかる。辺境に在って辺境ではない街並みは、砦と探索者に守られ平和だ。紛争地や権力闘争とは無縁な環境で渦巻く欲望が、自然の猛威を掻き消そうとしていた。
照星を頼りに距離を測ると、軌道を予測し頭部を狙う。狩人は時間を掛けず優しくツルマキの引き金を引いた。
「っ骨に響く。この反動には慣れそうにない。」
秘境にて始めてツルマキを使用し肉を手に入れた俺は、ナイフで解体に取り掛かる。泥臭い小型の噛みトカゲに刺さった矢を、折れないよう頭部から摘出した。
「これだけ有れば六日は戦えるが、肉が保つのは四日が限度だろう。」
肉を小分けにし、葉に包んで弁当箱に保管する。血抜きを終え処理を施した肉の山へ手を伸ばし、同様に葉に包む。
「捨てるのは勿体無い。余す所なく食ってやろう。」
手を動かしながらも、頭の中では今晩の食事を妄想していた。
俺は今、密林北側の岩場の一つに居る。この一帯は北の湖と南の密林の中間地点だ。多くの川が密林へ繋がっており、夏場には増水し新たな川が出現するだろう。その影響か一帯は水に削られた岩肌が目立ち、枯れた川が幾つも見られる。北の湖周辺に住んでいる水棲獣が、寝床や巣作りの場所に選ぶ繁殖地でもある。
「【七色階段】まで、まだ数日掛かりそうだ。ここら辺で土産を探す必要は無いな。」
イナバ四世を出発して四日目、目的地への道のりは長く険しい。全身緑色の探索者は重そうな荷物を身に纏い、草花が茂る枯れた川を横断している。所々にしか木々が群生しておらず、大半が岩場や平地だ。当然身を隠せる場所が少ない。
「此処の獣は用心深い様子だ。不用意に接近しなければ襲われる可能性は低い。」
かつて川底に在っただろう丸い岩が、俺の進路上に隣接している。その周辺の草地に隠れる走り鳥達は、俺を警戒している様だ。隠れている心算らしいが、頭の赤い鶏冠が目立っているぞ。
狩人は進路を逸れ、背の高い草の小島に近付く。不確定要素を排除する為、赤い鶏冠の一つに狙いを定めた。
逃げたか、鳴き声一つ無く動きも素早いな。矢を装填せず構えただけで此方の行動を読んだ。ツルマキによく似た武器が同胞を殺したのだろう。
大きな石が重なった対岸を登り終え、何度目かの中州へ足を踏み入れる。その島には背の低い木々が多い茂っていた。
「遠目で見たより広いな、警戒しよう。」
泥棒口調で草木を伺う。腰を落し姿勢を低く保ちながら、装備が枝に引っかからないよう注意する。
幾つかの樹には食べられそうな木の実が生っている。落ちている物は見当たらない、持って行ったのか手付かずのままか判別出来ない。
先を急いでいるエグザムは、静観せずに林を飛び出した。神経を研ぎ澄まし自身の足音に反応する存在を探る。
俺の能力は共鳴とカエデが言っていたな。あの時空気中に神経毒や幻覚を見せる成分が漂っていたとしても不自然ではないが、俺自身で実験を繰り返し結論を出そう。
川沿いを走りながらあれこれ試すエグザム。カエデのように目に見えない存在を探ろうとしていた。
七色階段。虫の丘西側の端に在る扇状地だ。台地表面や大空洞の上層から流れる水が年中一帯へ注がれており、溶け出した成分が混ざり池の底に蓄積していた。
「空から見れば巨大なパレットに見えるだろうな。」
溶け出した鉱物が固着した壁を昇るエグザム。両手には改造された杭が握り締められていた。
もし本当に空から此処を眺めるのなら、雲より高い場所から見下ろす事をお勧めしたい。一見鮮やかな池の階段が続いていても、周りには死骸や水棲害獣ばかりで、正直生きた心地がしない。
「上は翼獣の巣だったな。大きな個体なら俺を上まで運べるだろうに。」
露出した木の根に手を伸ばし次の舞台へ上がるエグザム。脳内で危険な移動方法を真面目に検討中だった。
池には入らず周囲の砂地を歩む。中層の青い世界には限られた植物しか存在せず、生物の姿は無い。
共鳴と呼ぶのが正しいのなら、何か媒体になる存在が必要だろう。そう仮定するとあの時は、灰の木を媒体に大蛇の存在を知覚した事になる。だが察知出来たのは音が聴こえてからであって、あの現象は直前まで起こらなかった。
やはり溶け出した鉱物が堆積した白い壁が其処に在る。何度目かの変わらぬ光景に吐息を吐くエグザム、宿の主人の話を思い出した。
「確かに限定領域の様だ。此処の何処かに坑道への入り口が在るはずだ。」
俺は水の流れを辿って壁際を進んだ。途中、壁から突き出た坂道へ進路を変更し水源を目指す。日が雲に隠れても池の青さは変わらない。飲んだらとんでもない事に成るだろう。
突発的な喉の渇きを唾でごまかし、水が流れる坂道を登る。堆積した鉱物の足場は固く、足の鉄爪を食い込ませながら進んだ。
「お、おお。これが共鳴か。見える?聞える?確かに感じるぞ。判る、この世界が俺にも観える。」
思わず口に出しながらも、理論を証明する為に流れる水に手を浸ける。観測者である自身が水に溶け込んだが如く、水が流れる坑道と其処に潜む害獣の存在を知覚した。
近いな、このままでは直ぐに会敵するだろう。道を譲る気が向こうに無いのなら、このまま押し通る!
固定具を外し武器を手にした侵入者に感づいた穴の主。大きな羽音を響かせ坑道から飛び出した。
「白い鎧虫。でかいな、亜種か。」
鎧虫。一本や二本角が特徴のアレを馬より巨大化した甲殻獣。頑丈な顎は岩盤を削り、硬い外皮と角は銃弾を防ぐ。群を作らず繁殖期以外は単独で行動する。甲殻獣随一の力持ちだ。
エグザムは素早くツルマキに杭を装填した。鍛冶場の馬鹿力ではいい勝負だろう。
あの丸い頭部に杭を直撃させれば、脳を衝撃で損傷させれる筈だ。問題はどうやって直撃させるかだが、一度の交差で十分だ。
斜め上方からの速い体当たり攻撃を驚異の脚力をもって回避する。棒立ちで十分に引き寄せてからすれ違い様の射撃は、運動エネルギーの相乗効果も合わさり致命の一撃と成った。
「体が大きくなっても弱点は同じだ。殻の強度が予想したより低い、そこらの壁でも齧っていたのだろうか。」
落下の勢いで引っくり返り、自慢の一本角が砂地に深々と突き刺さっている。エグザムは完全に埋没した杭を摘出する方法も含め、全体の考察を始める。
「凶器の証拠を残すのは駄目だ。何としてでも杭を取り出すとして、加工品の素材に成りそうな部位は無いものか。」
白い殻は表面こそ硬いが、内側は柔らかかった。手記に記された情報と違い、防護力が低下していると判断出来た。
「細かい粒子だ。建材や陶芸品に流用できるかもしれないが、大量に持ち帰らなければ売れないだろう。」
右腕の装備を外し衣服を捲ると、裂けた亀裂から体内へ腕を捻り込んだ。酸っぱい臭いを我慢しながら、串刺しにされた内臓ごと杭を引き抜く。
杭の損傷は、先端が傷付いただけで済んだようだ。今回は高品質の鋼鉄製鍛造品の勝利だな。
底が青い大きな池に白い体液と内臓が漂う。死骸と、狩人が洗い落とした肉片から流れ出ていた。
「共鳴に関して少しだけ掴めたのが収穫か。雨季が訪れる前に依頼が終わる事を願おう。」
エグザムは背嚢から取り出した照明具をツルマキに吊るし、円形の坑道入り口へ向かった。
坑道へ入ってから今日で三日目だ。道中色々あったが、今のところ道には迷っていない。宿の主人が通った跡か、壁に探索者が残した目印や簡単な地図が残っていた。
ツルマキに吊るした照明具の反応液が半分まで減り、残り具合から今が昼過ぎだと思われる。情報が正しいのなら大きな土管の道もそろそろお終いだ。
「食料も水も残り少ない、もう上は虫の丘の筈だ。」
材質不明の湾曲した壁から突き出た木の根を跨ぎ、手記に記された曲がり道を抜ける。エグザムは話に聞いた裏道へ出たようだ。
「裏道と言っていたが、これは遺跡の地下水路と見て間違いない。俺は下水管を通って来たのか。」
高い天井と壁には複数の丸い入り口が並んでおり、一部から水が流れ落ちている。高い壁を見上げると、定期的に水に浸かった跡が残っていた。
此処は夏前の雨季で冠水しそうだ。話のとおり季節限定の裏道だったな。
エグザムは銀貨一枚で正確な情報を得たことに安堵する。相場としては安い情報料だが、大男の厚意と受け取った。
「雨季までに依頼を完遂出来るだろうか。帰り道を複数想定しておいて正解だったな。」
エグザムは裏道と呼ばれた地下水路を更に東へ進む。壁と一体と成った階段や橋を使い、大まかな予定経路を進む。
此処は下水管と違い崩落や劣化が少ない、天井に亀裂や木の根も見られないな。あれほど居た闇虫や大鼠の姿も無い、外からの侵入は困難な場所なのだろう。
エグザムが通って来た下水管では天井が崩落して日の光が差し込み、水と運ばれて来た植物の種が足元に纏わり付く。台地のいたる所へ延びているであろう古い道は、小型生物の隠れ家に成っていた。
薄緑色の照明具に照らし出された灰色の壁は、見える範囲で奥まで同じ様に続いており、高い建築技術が伺える。僅かだが空気の対流が確認でき、下水管から噴き出る臭いを何処かへ運んでいる様だ。
「これが目印の矢印か。底の島まであと少しだ。」
黒い塗料で星の模様が二つ描かれ、かつての探索団が使用していた痕跡を発見したエグザム。星印で挟んだ赤い矢印の下には、解読不明の赤い文字が描かれている。
此処は水に浸からない場所らしく、今までより綺麗に残っている。文字の横に描かれた記号は人を示しているのか。
緑色に照らされながらもしっかりと色を反射している古代文字。学者の卵でもあるエグザムは、時間を掛け丁寧に手記へ模写した。
一日分の反応液を消費し背嚢の残りが半分まで減った頃、暗く見えない前方から水が流れる音が聞えた。
「ようやくか。まだ先だが大量の水が流れている、間違い無く底の島へ近付いた。」
足元を気にしながら天井が近い水路の裏道を走りだした。一本道を走るエグザムの地獄耳に、下へ落ちる水の音が届く。
この先に空洞へ落ちる水の流れが存在する筈だ。予想より水量が多い、雨季には遠くまで響きそうだな。
現役の地下水路に合流した俺は、長旅を終わらせるべく走り続ける。やがて光が差す出口に到達し、大きな水路に出た。
「眩しいな。日の光が目に沁みるぜ。」
大きなすり鉢状の縦穴は足元近くまで濃い霧が蔓延り、霧に浮かぶ島に見た事も無い巨木がそびえていた。
壁と一体化した通路を通り、巨木の大きな枝に支えられた橋を渡って来たエグザム。何処からか運び込んだ残骸や木材を再利用したツリーハウスで、探索の準備を進めている。
「水は十分に冷えたな。これで残りは食料探しだけだ。」
探索に必要な装備だけ持ち出し、簡素な棚に野外装備を詰め込んだエグザム。両手に元杭を握り絞め、見つめる足元の向こう側を想像する。
霧で判らなかったが、空洞は深い場所まで続いているようだ。高い所は苦手ではないが、慣れるまで時間が掛かりそうだ。
この場所にたどり着いた俺は二つの問題に直面している。まず食料が明日の分で尽きる事だ、噛みトカゲや大鼠の肉が残り少ない。そして磁場の乱れで方位磁石が使えない。雨こそ降っていないものの、曇り空で太陽の位置が分からない。
今日中に丘を探索するのは諦めよう。と悟ったエグザムは巨木の下を目指し、絡まった太い幹の一つに杭を刺した。
「此処から見えるのは、遺跡の残骸と翼竜の骨や何等かの植物だけだ。」
言うまでも無く落ちたら死ぬだろう。どこぞの世界樹の如く互いに絡まった幹に、しかっり杭を差し込まなければ。
天まで伸びる木を簡単に登って行く物語の主人公の様には行かず、エグザムは上から経路を確認しながら慎重に降りる。死角の行き止まりや腐り脆くなった表皮を避けねばならなかった。
苦心しながらも根元まで半分近く降りて来たエグザム。珍しく開いた大きな隙間を凝視する。
「樹の中心に遺跡が在る。俺はやってはならない間違いを犯したのかもしれない。」
絡まり半ば同化した幹の間に大きな隙間を発見したエグザム。遺跡は人工物の骨組みと判断でき、驚嘆と動揺を見せた。
上では分からなかったが、この葦科の巨木は塔を添え木に育った様だ。塔の正体は解らんが内部に空洞が残っているかもしれない。今後の為にも入念に調べる必要が有る。
足の鉄爪で体勢を傾け杭を左に突き刺す。目が素早く辺りを観察し、頭で考える前に変更先の安全を確認し終えていた。
俺は枝で出来た階段を降り、残骸の地下内部へ降りた。薄暗い瓦礫の空間には奇妙な植物が自生しており、男盛りの店主から聞いた話と一部を残して一致している。
獣除けの苔と良く似た匂がする、此処が目当ての底の島なのだろうか。
「キャンプ跡は上に在った。話が食い違うが、店主も此処まで降りて来たのだろう。」
試しにエグザムは周囲を歩き回る。頭上の隙間から日が差しており、照明具に出番は無い。
限定領域らしく周囲とは違う環境なのだろう。その特徴として似たような植生だ、念の為対毒装備を着用しよう。
背嚢からガスマスクを取り出しスカーフの下から呼吸器を保護する。世の中には臭っただけで致命的な場所が有るのだから。
どうやら何かが居るな。この地形に潜れる事から俺以下の大きさだろう、闇虫だろうか。
闇虫。巨大化した黒光りするアイツ等。腐肉を漁る掃除屋で、神の園で最も多く生息する害獣と推測されている。虫の名を持つが立派な獣の一種、不用意に刺激すると数に押され駆除されるぞ。
菌類の様な太い茎と小さな葉が特徴の単子葉類。青や赤色と、対をなす色素をしており知らない種だ。問題なのは腐った何かを苗床にしている事だが、恐らく糞の類だろう。
「腐葉土の匂いに近い。しっかりと分解されているのか。」
握り拳大の糞団子を一つ拾い握り潰すと、乾いた土が手から零れ落ちた。掌には細い根と乾燥した植物片が残された。
闇虫の糞は細長い形状だった、これは間違い無く別の種の物だ。今の俺ではどの種の糞なのか解らない。
エグザムは崩れた柱や石材が作り出した空間を歩く。聞え続ける水の音を頼りに不安定な足場を進む。
隙間が多い、どれかは奥へ続いている穴だろう。今襲われたら死ぬかもしれない。
鉈を右手に、ツルマキを腰に戻す。慎重に物音をたてずに歩く狩人、危険を承知で未知の環境へ足を踏み入れた。
水の音が大きくなると糞の数も増えるな。先程から新しい団子が転がっているが、そろそろ決断する時か。
銀貨一つと銅貨六枚で調達したガスマスクは安物の部類だ。高度な錬金術をもって造られた量産品は、エグザムの思考を気になる臭いから保護した。
俺は背嚢を下ろし破裂玉が入った重い袋を取り出す。遊具にも使われる技術を応用した黒い玉は、光や音に敏感な感覚器官を麻痺させる効果が有る。
「膜は無事だ湿気って無い。こんな時の為に金を払って用意したんだ、今は錬金術に頼らせてもらう。」
取り扱いに注意しなければ使用者に害を及ぼす破裂玉は、使用される機会を静かに待っている。危険物を腹袋に繋げたエグザムの心境も声色と共に不安定だった。
残骸の表層に出た俺を待ち構えていたのは手記にも組合の記録にも無い怪しい生物だった。一言で表せば赤い単眼の黒蟻だ。無論一般的な蟻とは大きさや骨格が違うが、生物離れした関節部と赤い目が非常に怪しく気色悪い。
「別世界や宇宙からの来訪者が存在するなら、そう今なら納得できそうだ。」
そんな見た目の蟻達は、蟹の様な顎と鋸状の前足を忙しなく動かしている。俺を直ぐに捕食する気は無いらしい。
顎の奥が振動し耳障りな鳴き声を発する兵士達。互いに意思疎通を行っているとエグザムは判断した。
やはり振動を媒体に共鳴を走らせるのは無理だ。菱形の甲殻は分厚そうだ、弱点は目玉ぐらいだろう。一つ引き抜いて土産に持って帰るか。
そうこうしている内に一匹の蟻を最初に、次々とエグザムに飛び掛る。展開された顎のアギトが確かに霞んで見えた。
成る程、こいつらの武器は振動する顎と声帯か。体重を掛けずとも触れただけで切断されそうだ。錬金学書に似たような理論が紹介されていたな。
放物線を描く凶器の下を搔い潜り囲いを脱出した狩人は、破裂玉を二つ頭上に投げた。
「どの様に高振動の負荷を抑えているのだろう、是非解剖してみたい。」
這い出た穴には戻らず残骸壁を後ろから登り、閃光と音にもがく敵を見下ろす。獲物に狙いをつけ跳ぶと捕食者の狩が始まった。
「やはり只の目ではないな。俺の力なら直接引き抜いたほうが安全だ。」
声帯から頭部へ刺さった鉈を引き抜き、力なく岩盤に横たわる一匹から降りると、背後から迫ったアギトの根元を掴み硬い岩盤に叩きつける。
「頭部の神経中枢は衝撃に弱のか。目は潰れていない、頑丈だな。」
今度は脅威を排除しようを振り下ろされた鋸制裁を手甲で受け止め、関節を掴み可動範囲外へ押し広げる。
「見た目より重い、肉が詰まってそうだ。」
同胞を絶命させた鋭い前足を引き抜く三体目に手を伸ばし、それの無防備な目玉を強引に引き抜く。赤い目玉と筋肉が神経筋と一緒に硬直する体から伸びていた。
話に聞く軍隊蟻と違い脊椎動物の様な構造だ。少なくとも甲殻獣ではない、生態は雑食性の獣の線が妥当だろう。厄介な音の所為で聴覚に影響が出た、さっさと回収して終いにしよう。
まだ噴出す赤い血が、苔生した岩盤を染め上げる。逃げた個体が援軍を引き連れて来る前に、狩人は最後に余韻を絶つ。
「四足に赤い目。正体不明の害獣の名は、怪獣アカメと呼ぶのはどうだろう。」
鮮血に染まった瞳孔は人間のそれと大差無く、真上から射す日光を反射してエグザムの顔を赤く照らす。握られた大きな眼球は汚れていても輝き続ける。
夜が明けてから数刻。エグザムは廃材の端に腰掛、底から吹き上がる匂いを楽しんでいた。
「柑橘系の香りだ。下で嗅いだのと同じ匂いがする。」
俺の推測では、肥やし団子を苗床とする植物はアカメの縄張りを匂いで示しており、双方共存関係に在ると思われる。したがって獣除け効果と捉えて間違いは無い。問題は縄張りの範囲だが、少なくとも周辺の大空洞まで広がっている筈だ。
「刺激や毒素を含んで無いだけ、まだマシか。大空洞へは露出した地表部から入るしか無い。」
太陽が地表との境目から顔を出すと、縦穴深部の壁に巨大化した人影が映し出される。エグザムは気晴らしに、簡単な防腐処理を施した赤い眼球の一つを日光に晒した。
「まるで色彩硝子の様だな。鑑賞品として愛好家に見せれば、言い値で売れそうだ。」
機能してない筈の黒い瞳孔が日の光に反応し閉じ始める。不可解な現象はまだ終わらない。
虹彩の赤みが変色している、日光に当てると急激に劣化するのか。興味深い、暫らく観察しよう。
左手で掲げられた輝く宝玉は、赤から紫を経て空の様な蒼色に変わる。秘境の神秘を目の当たりにし、感嘆の想いで握りこぶし以上の天然細工を見つめるエグザム。青い反射光が両目に焼き付いた。
「うわっ。随分刺激の強い光だ、目がおかしく成るところだった。」
瞬きを繰り返すエグザムは手で目を押さえ、青い眼球を太股の上の麻袋に仕舞う。袋の中には下の残骸で採取した植物が瓶詰めにされ、戦利品のアギトと鋸が乾いた神経筋で縛られ保管されている。同じく筋で結ばれた二つの大目玉は赤いままだ。
夕日が生み出す濃淡有る光景が縦穴に広がり、青く茂る巨木が狩りを終えたエグザムを出迎えた。
「相変わらず大したでかさだ。樹と言い穴と言い、何もかも規格外の大きさだ。」
独り言をため息で終わらせ腰の弁当箱の蓋を開ける。中には青い果実と、肥え太った大きな幼虫が蠢いている。
食料問題を解決し早急に大空洞の探索へ移りたい俺は、半日を費やし縦穴周辺の森で食料探しを行った。なんとか今晩の食料を確保したが、小さな果実と甲殻種の幼虫のみだ。明日からは広範囲を捜索し保存食を確保しなければ、アカメ狩りへ何度も巨木を往復する羽目に成る。貴重な時間と労力を無駄にしたくない。
エグザムは思考を切り替え食材の調理法を考えながら、根か枝か判らない巨木の腕を伝い段差の坂を下る。途中の溜め池で体の泥と顔の染料を落すと、大きな水筒で小さな滝を受け止めた。
三日目。曇り空と小雨で気温が下がり、擂り鉢の麓は霧に包まれた。その所為か俺の気分も澱み、体が圧迫される感覚だ。昨夜の飯に使った食材に毒素が含まれていたのかも知れない。
エグザムは朝早く起きて火を熾し、水筒に持ち運ぶ水を煮沸している最中だ。顔に施した迷彩柄の化粧から狩人の決意が伺える。食料調達作戦が頭の中で静かに進行中だった。
「やはり南へ探しに行くか。あそこの丘陵地帯に目ぼしい物が有る筈だ。」
昨日の偵察で南の谷間に丘陵地形を発見していたエグザム。広い盆地に起伏の有る地形が、獣の絶好の住処と成り得る事を知っていた。
この付近は虫の丘内でも奥地に分類される。果たして何に出くわすのだろうか、楽しみにしておこう。
「沸いたな。時間が無いから手早く済まそう。」
狩りの前に欠かさず行う儀式が、エグザムの筋肉質な体を隅々まで綺麗にする。僅かな垢を拭き取り体臭を絶つと、狩人の長い一日が始まった。
「嘴が無い、翼獣だな。食べ残しが無い綺麗な状態だ。肉食性の虫の仕業だろうか。」
エグザムは低木が群生した高台の一画で中型の骨を観察していた。頭一つ上で茂る緑の葉が地面を覆い、空の目からエグザムを隠し徹す。
丁度良い目印を発見した狩人は、両手で頭骨を動かし鼻先を来た方角へ向ける。生憎の曇り空で太陽の位置を把握し辛いが、復活した方位磁石で此処までの距離と時間を推測した。
この一帯は懐かしいあの谷と似ている。あの頃は小さく非力で足元が覚束無い状態だったが、おかげで森で迷わなくなった。秘境にも田舎の山奥と似たような場所が有るのだな。
狩人の脳裏に芋や野草そして茸類の数々がよぎる。水さえ汚染されて無ければ食える山の幸と、それらを捕食する野生動物が存在するのだ。
手記には、南の赤い山に生息する生物情報が数多く紹介されていた。この翼獣は恐らく南方に生息する身鳥だが、虫の丘へ生息地を広げたのか。
身鳥。頭と翼以外緑の羽毛で覆われ、厚い皮膚の羽で羽ばたき鋭い犬歯を持つ蛇頭が特徴。集まる習性と腐肉や死体を漁る事から、森の解体屋とも呼ばれており、竜種や古代種の縄張りによく巣を作る。
「ああ、間違い無い。こいつは身鳥だ。獲物が欲しければ同属をとはこの事か。」
エグザムは手記を胸に仕舞い空を見上げる。何処からか見られている錯覚を気のせいだと一蹴し、高台の調査を再開した。
暫らく低木の森が続くと思っていたエグザムの前に、植物が茂る空き地が突如出現した。
「錯覚。いや、昨日の後遺症が残っていたのか。」
雲に遮られ少ない光量では森の境目が判らなかった。狩人は片膝を付き草花と同じ高さで遠くを伺う。
広葉樹が二つと、後は背の低い植物ばかりだ。崖伝いの開けた場所のようだが植生がおかしい。人為的に木を切り造成しなければ、此処まで見渡しの良い環境には成らない。どこぞの老人が隠れ住んで居たり、密猟者のねぐらでも在るのだろうか。
心の何処かで冗談である事を願いつつ、木々を掻い潜り森の境目を移動した。誰から見ても怪しそうな草むらは、場所を変えても同じに見える。
そこで身鳥の骨との関連性を疑いつつ、最初の木を目指し草むらを這って移動する。何かしらの雑草を掻き分けると、また例の骨が見つかった。
小さいが身鳥の骨だ。半分近く埋まっている、相当な時間が経過した跡だ。
草むらを進んだエグザムは小動物や身鳥含め多くの害獣の骨を発見した。大きな広葉樹に辿り着いた彼の耳に、見知らぬ鳴き声が届く。
「崖下だ。数が多いが、巣が近いのだろうか。」
エグザムは、腹袋を引きずらないよう腰を浮かせて大地を這う。遠くから見たら緑の芋虫に見えるだろう。
直前まで判らなかったが強烈な臭いがする、間違いなくこの下だ。風が下から吹き上がっている、草むらの中までは届かないらしい。
ゴーグルとスカーフを装着した狩人は、崩さないよう優しく崖の境目に手を掛けた。辺りを伺い最終確認を終え、顔を突き出す。
大きな卵がたくさん在る。鳥獣の物より若干小さいが、俺の血肉と成る食材に大小の要素は関係ないか。問題は二つ、入手方法と中身の状態だ。流石に幼胎を食らう趣味は無いぞ。
断崖のいたる所では削られ出来た空間に身鳥の巣が設けられ、土や落ち葉で盛られた巣に白い卵と親が二種一組で生活している。
繁殖期を迎えて日が浅いようだ。巣の周りに食べ残しや糞が少ない。卵は食べ頃だろうが、肉も欲しいな。
唾を飲み込み思考を冷静に戻すと、狩りの具体策を捻出する。卵に釘付けされた視線が痛々しい。
「直接降りるのは無理だろう。方法は一つだけだ。」
妙案を思いついたエグザムはゆっくりと顔を引き戻す。獲物との別れを済まし森へ走った。
エグザムはむき出しの岩の一つに腰掛、二本の萎れた長い蔦を一本の元気な蔦に巻き付ける。手頃な材料に経験と技を編みこんで、即席の縄を製作している最中だ。
「卵は諦めるとして、身鳥から採れる肉はどの程度の量だろう。あ、まてよ。」
手を止めず蔦を編む職人は、今更ながら獲物の習性について失念していた内容を考える。
この盆地は東西南北から吹く風が集まりやすい。南から越して来た理由はそれだと考えていたが、客観的に不十分な考察で論理的ではない。
「最近棲みついたのなら、オルガの言う変化と関係が在るかも知れない。」
神の園の変化を捉えた探検家の見地と先住部族の見識が狩人の推理に結びつき、自身の記憶から変化に関する情報を思い出し整理する。
近年の神の園では古代種や竜種を筆頭に捕食者の生息範囲が拡大の一途を辿り、生態の変化と淘汰の活性化が頻発する様になった。
活性化の原因はオルガとカエデ曰く、探索者の減少による間引き能力の低下と、古代種の縄張り争いが関係しているそうだ。
里の周辺に出没する害獣の数と種類が増え、存亡の危機に陥ったカエデの隠れ里。影読みのカエデと数人の狩人が調査の為に里を出発した。
珍味を求め秘境を放浪する探検家は、数が増え続ける害獣の調査の為【竜の縄張り】に入り、一人彷徨うカエデを救出する。
「竜種が居る可能性が有るな。崖下の朽ちた倒木が不可解だが、捕食者との関係性は無さそうだ。」
既に前菜用の食材は手に入れた。今晩の主菜は捕食者か、鳥肉と保存食か、どちらにしよう。
止めていた作業を再開し標的を決めたエグザム。力を込めて蔦の長い茎を編み続けた。
南西の尾根で捕食者の痕跡を探していたら、砂利道に流れる小川でアカメを発見した。正午過ぎて晴れだした曇り空から注ぐ太陽光の影響か、胴の先端に嵌っている丸い目が青い。何故此処に居るのか疑問に思いながらも、俺は二匹の追跡を行った。
北側斜面に大空洞へ繋がった洞窟でも在るのだろうかと憶測を立てていると、二匹が小川を外れ林の中へ進路変更したのだ。林に消える二匹の挙動は、何かを見つけたかの様に低姿勢だ。言うまでも無いが少しだけ滑稽に見えた。
嗅覚を頼りに餌を探しに来たのだろう。此処まで縄張りを広げているのなら、積極的な種族と言える。今は襲わずにもう少し様子を見よう。
平均より低い木々や多くの草花で仕切られた獣道を低姿勢で進むエグザム。先行する二匹との追跡劇が新たな局面を迎える。
どうやら空き地に咲く巨大花が目当てらしい。まるでよく出来た造花に見えるが、この甘い匂いは真似できまい。
薄い桃色と白い花は八部咲きで、甘酸っぱい強烈な匂いが特徴だ。二匹のアカメは一目散に駆け寄ると、花弁の隙間に脚を乗せた。
花の正体を見極めていた狩人の目の前で突如、大地が盛り上がる。木の根より長い何かがアカメの甲殻へ刺さった。
エグザムは噛みトカゲの様な長い顎が開かれる光景を、手記に載っている古代種と重ねた。紛れも無い捕食者は、アカメを触手で口に入れ噛み潰すと、巨体を露出させ周囲を見下ろしていた。
大きな植獣だ。名は忘れたが、恐らく古代種の成体だろう。残念だがあいつには食べれる部位が無い。そして見つかったか。
狩人は茂みを飛び出し触手の拘束を逃れる。緑の動く蔦は乾いた音を立て木々を打ちつけた。
「こんな所で目星の古代種と出会えた。必ず刈り取ってやろう。」
エグザムはツルマキに流れる動作で杭を装填し、植物モドキの足元へ肉薄する。照星を胸部に浮き出た動脈の中枢へ向けた。
植物モドキは向かって来る緑の獲物に上体をくねらせ、長い顎で捕食しようとした。射線を塞がれたエグザムに溶解液塗れのアギトが迫る。
直接回避不能と判断した狩人は、同時に到達した触手に腕を伸ばし斜め上方へ投げられた。
「巨体のくせに素早い、頭も賢いようだ。」
急所を直接狙わず隙を作ることにしたエグザム。着地と同時に伸びてきた触手を回避し、すれ違い様に鉈で切断する。
体を一回転させ鉈の遠心力を受け止め、右手で再びツルマキを構える。照星は、痛みに怯みがら空きとなった胸部を捉えた。
「どうだ、痛いか。」
噴出した溶解液がエグザムの右後方へ飛んで行き、お返しの杭が胸部の心臓を貫いたのだった。
何処かへ飛んでいった杭を苦労の末に回収し、死体の検分へ取り掛かるエグザム。ゴーグルとガスマスクを装着し終え、解剖準備を整えた。
こいつの名は植獣オウジュ、長い時を経て成長した大型の植獣だ。古代種に分類され、生態系の上位に格付けされている。
当然危険な為に殆んど調査が進んでおらず、その未知の生態から様々な迷信が産まれた。不老不死から若返りの薬や枯れた大地を蘇らせる薬、錬金学に携わる者なら一度は耳にした事が有るだろう。
「紫琥珀でも持ち帰ってかさんだ出費を帳消しにしようと考えていたが、おかげで全部杞憂に終わりそうだ。」
緑の帯を直接巻いた両腕で鉈を掴み、分厚い皮膚へ突き立てる。黒ずんだ胴体に付着した黄色の体液でよく滑り、中々胸部まで登れない。ツチノコと呼ばれる伝説上の生物と酷似した胴体は、大量出血で黒ずみ始めている。
「体組織を持ち帰って討伐した事を組合に報告しても、偽証だとあしらわれるのがオチだな。」
そうそう市場に出回る事の無い素材ゆえ取引には適さない、換金するには工夫が必要だった。
胸部へ移動したエグザムは背中の傷孔を見下ろす。体液が噴き出た跡が泡立ち溶解液と混ざり合っており、植獣特有の腐敗が急速に進んでいた。
どの植獣も死ねば直ぐに腐る、古代種のオウジュも例外では無い筈だ。死骸は肥料に最適らしいが、俺には無縁の話だ。
膝を折り両腕に持ち替えた狩猟用ナイフを握り、傷口に差し込んだ。太く流線的な刃が硬い肉壁を切り裂き、邪魔な外皮を切除する。
「でかい、間違い無く血色体だ。破損してなくてよかった。」
それら生物を古代種たらしめる証を無理やり引き抜く狩人。血管が千切れ根っ子を引き抜く様な感覚に酔いしれる。手中に収まった濃い赤色の塊は大きく名前からは想像出来ない程、宝石と呼ぶに相応しい一品だ。
害獣の最終形態を古代種と呼ぶ事が多い、一部の種を除いて世界共通の認識だろう。長い年月を生きた結果、何等かの原理で結晶体が内部で生成される。その謎の結晶体は錬金学会垂涎の品であり、俺の目当ての獲物でもあった。
「爺さんに見せたらどんな顔をするのだろうか。土産にするには勿体無いな。」
元探検家の師匠はこの手の物に執心だった。多くの遺産や素材と出会ってきた人間すら夢中にさせる、血色体はそれだけの可能性を秘めていたのだ。
微量の消化液で煙立つ両腕を土で拭い水筒の水で洗う。捜し求めていた血色体の取り扱い方を悩むエグザム、漂って来た臭いに顔をしかめ死骸を見つめる。
食虫植物の様に貧しい土地でも生き永らえる植獣。未知の生態は当然として、この地では此処まで大きく成長するのか。さらに巨大な個体が居ても不思議では無いな。
狩人にあっけなく仕留められた巨体は、既に萎れ土色に変色している。地面に空いた穴と亀裂が絶命した瞬間を静かに物語っていた。
「夕暮れが近い、手短に終わらせよう。」
蔓草と枯れた触手で編んだ縄を広葉樹の太い幹に結び終え、エグザムは屍の草地を崖沿いへ静かに歩む。古代種を討伐しても食糧事情は解決しておらず、狩りの成否によって今後の予定が決まるのだ。
そうだ。この狩りを失敗したら明日も食料探しに谷間を徘徊する破目に成る。卵はともかく乾燥肉は絶対に必要だ。
前と同じ様に崖際に手を掛け慎重に頭を出すと、やはり身鳥の巣が崖沿いに点在しており、昼と変わらぬ光景にエグザムは安堵した。
「奴等は牙に猛毒を持っている。その攻撃手段を利用してやろう。」
片膝を突き縄の強度を確かめ終わると、狩人は西の太陽を背に崖を飛び降りる。縄の限界距離を意識しつつ、岩肌を跳ねた。
作戦は単純だ、目星の巣へ降り素早く親を始末。卵を確保した後、他の巣へ移動する。風を読め狡賢い翼獣でも地上では身動き取れまい。何より邪魔する個体が居る筈だ、積極的に狩って食料の足しにしよう。
「注意するとしたら足場と命綱の強度か。最悪を想定して卵を置いて帰るのもいいだろう。」
身鳥の首を踏み砕き降下の衝撃を殺した狩人、群が騒ぎだす前に卵の状態を確かめようと太陽に掲げた。
卵三つの内、無精卵は一つか。衛生状態は問題無い、鶏卵と比べてもやはりでかいな。
身鳥の図体は人間より少し小さいが、家畜の鳥類よりは大きい。大きな翼で羽ばたけば、人の子を連れ去る程度造作も無い。
「時期的に痩せていると考えていたが、そうでもないらしい。念の為にこの巣で得た物だけでも上に運ぶか。」
折れた首から流れ出る血を止血するべきか迷ったエグザムだったが、今居る環境と日の傾きから処理を省いく。重くなった背嚢に元気付けられ縄を手繰り寄せる。崖を登る彼に残された時間は空腹分を含めて余裕が無かった。
夜の縦穴は小さな焚き火の光すら吸い込み、水の流れる音を拡声器の如く上空へ飛ばす。太い枝や葉の間で輝く星々が、大樹を幻想的な姿へと変貌させる。どこぞの国の祭りを彷彿させる時季外れな一時に、エグザムは昔の光景を思い出す。
「記憶と言っても、狩りと秘境と爺さん以外何も知らない。俺は何者なのだろうか。」
食後の満腹感と鼻腔をくすぐる脂の匂いがエグザムに安心感を与えた。そして独り言は続く。
「爺さんは秘境に答えを見い出せと言っていた。恐らくこれとの関係性を知っていたのだろう。」
仰向けからうつ伏せに体勢を変え、焚き火に照らされた血色体を観察する。加工後の宝石と同じ平面が不規則に並んだ表面に、焚き火の光に照らされたエグザムの顔が映し出される。
「こいつは血と同じ色だが、やはり血が固まった物ではない。爺さんの言うとおり古代種の世界は謎だらけだ。」
俺は古代種のみが持つ結晶体の情報を知る限り思い出した。何度思い出しても疑問しか浮かばないが、一つの仮説を絞り出す。
「獣の血管に繋がれていたが、異物としてではなく臓器か何かの器官だった可能性も考えられる。もしかしたらこれ自体が生物の集合体なのかもしれない。」
常識を疑えと何度も爺さんに教えられてきたが、今の段階では不明瞭だ。叩き割って宝石の原石として売ってしまうのも手だな。
「アカメの目玉と血色体が有れば十分な報酬を得られるだろう。これで明日から本命に取り掛かれそうだ。」
朽ちた金属製の箱に石を保管したエグザムは、尿意を感じ焚き火を離れる。便所は縦穴の水路と決めていた。
「明らかに水量が増えている。最近また暖かくなったからか。」
縦穴を少し降り用を足していると、下から激流の音が聞こえて来た。二日前より音が大きく体に振動が伝わる。
「オルガの言うとおり北への侵入路が開く日が近い。北口とやらの場所を早めに絞っておくか。」
未だに水路の気温は低い。体が冷える前に瓦礫の寝床へ急ぐエグザムだった。
大空洞とは神の園中央山岳地帯の地下に広がる空間の総称だ。謎の地下水路や何者かが掘った坑道、地下遺跡と天然空洞等が太古から存在しているらしい。七色階段から虫の丘地下を通った通路跡と同様に、迷路の如く四方に延びている。
虫の丘北側に氷の絶壁先端が隣接している所為で、大空洞北側の一部は氷漬けの状態だった。雪解けの季節に入った今、増水する水脈を警戒して害獣の活動が控えめに成る。来る秋を前に現地調査を済ませるには今しかないと、カエデを里に帰す為にオルガがエグザムに偵察を依頼したのだ。
今日はアカメ共の姿が見えない。このまま遭遇しなければ問題無いが、連中を意識すると大空洞が不気味に見えるな。
重装備のエグザムは瓦礫の山から水蒸気で底が見えない滝つぼを見下ろしていた。四方の壁から注がれる水が縦穴深部へ溜まり、深部の水路から別の場所へ運ばれている。言うまでも無く轟音が響き高い湿度で衣服が湿った。
「以前降りた時には判らなかったが、縦穴底部はフラスコの様に外側へ広がっていたのか。さらに下に空間が在るとは考えもしなかった。」
三日前に降りた時より霧の密度が高く、上は霧の蓋で覆われており大樹の大半が見えない。晴天の朝に底の島から降りて数刻経つが、それでも上より若干暗い。
腐食した大きな石柱が壁から飛び出し崩れた瓦礫を所々貫いており、縦穴と深部の境目として蓋の役割をしていた。
巨大な骨組みの柱へ渡ったエグザムは、明らかに道ではない足場を歩む。石柱に挟まった残骸の先に在る大穴を目指していた。
「方角を鑑みてあの穴が最短経路だろう。例の北口は遺跡の一部だとオルガは言っていた。探険家の情報は貴重だ、頼りにさせてもらうぞ。」
食料調達に使用した縄は製作者の想定以上の荷重に耐える事が出来た。道に困ったエグザムは頼りになる命綱と移動手段を得たのである。
「ふぅ。大丈夫だ、山奥で何度も遊んだだろう。問題無い筈だ。」
拠点に転がる廃材から金属製の固定具を手に入れた俺は、杭と一緒に縄を結べるよう加工しアンカーを製作した。勘や経験を頼りにせずとも、足場の無い場所や垂直な壁に出くわす事は織り込み済みなのだ。
エグザムは森での遊びを思い出しながら支点を探す。息と共に震える肩を止め己に暗示を掛けると引き金を引いた。
昔の俺だったらこんな場所で縄飛びをしたりはしない。探索者になった今でも、可能なら避けたいな。
縄飛びをして遊んでいた頃と同じ重さを背に感じ、弛んだ縄を手繰り寄せる。両手に伝わる縄の張力が自身に緊張と覚悟を認識させた。
周囲に風は無く水が落ちる轟音が下から響いて来る。失敗すれば地獄を見るだろうと自嘲気味に笑ったエグザムは空中へ足を踏み外した。色々な重さが遠心力で増大するのを感じながら空中を大きく飛ぶと、目論見どおりの位置でアンカーが外れた感触が両手に伝わる。
「--っ!」
言葉に成らない感想を短く叫びつつ、外壁すれすれを放物線を描き滑空する。何処か冷静な自分が状況を楽しんでいる事に気付くのに、時間は一切掛からなかった。
いざ太古の遺物を間近で見ると、御伽噺や伝説と伝承の類を思い出す。かの話を綴った者達も説明できない光景を目にしてきたのだろう。この遺跡が現役だった頃を想像すれば、創作の種に困る事は無い筈だ。
太陽光が届かない筈の巨大通路はほんのりと明るい。大陸では珍しくなった光苔や光茸が自生しており、おかげで照明具に使う反応液を節約できた。これらの菌類がどの様にして此処まで運ばれたのか解らないが、何等かの生物の往来が伺える。
「この道の下は害獣の縄張りのようだ。下層のほうが明るいが、不用意に降りるのはよそう。」
底の島が在る縦穴の深部に開いた大穴に入ってから数刻、北東へ続く直線状の巨大通路を歩いて来た。俺が進んだ通路は、西方連合でも一部しか開通していない鉄道のトンネルを彷彿させる構造で、今居る中層を挟んで上下に階層と構造物が見える。整理された道は石材の様な物質で舗装されており、散らかっている瓦礫を除いて生物の気配は無い。情報と同じ地下遺跡と判断して間違いないな。
予想はしていたが、いざ直面すると判断に困ったエグザム。上下左右の壁へ続く道の分岐点や坂、下層の瓦礫と柱状の構造体から時折発せられる物音に警戒する。不確定要素から彼を隠しているのは、持ち前の業と頼りない情報だけだった。
それでも前に進まなければならない狩人の耳に、下の瓦礫迷路から特徴的な振動が伝わった。浅い記憶から鋭い前足と赤い目を思い出し歩みを止める。
音からしてまだ遠いが、此処に来てアカメか。連中は一定の場所に留まらず、餌場を求めて移動する種なのだろうか。いずれにせよ情報が足りない。帰り道の安全を憂慮するなら、奴らを調べる必要が有るな。
かさばる背嚢を静かに下ろすと破裂玉の入った袋を取り出し腰のベルトに固定する。暗闇同然の足元を特異の暗視能力で再確認し鉄爪を上げ足音を消す、再び歩み始めた足取りは速く静かだ。
複数の鳴き声からして、やはり群れて狩を行うのか。宿の主人はアカメの話をしなかったが、金額どうこう以前に知らない可能性も考えられえる。詳細不明の種が、件の秘境の変化と関係しているのかもしれない。
足音を立てず崩れた道の一画を飛び越え最短経路を走るエグザム。狩の喧騒に近付くと共に別の音を捉え、胸騒ぎで鼓動が高まった。
虫の羽音が聞こえる、別の種が登場したようだ。このまま道を進めば発見されるかもしれない。一波乱ある前に下へ降りた方が良いな。
数刻前に苦労して上った中層階から再び下層へ移ることにしたエグザム。また斜め下方の壁から中層を支える柱伝いに移動しようかと画策していると、走りながら横目に逸らした視界に階段を現す看板を捉えた。
「よぉっと。」
余所見をして見落とすところだった。相変わらず複雑な文字だが、記号の様な絵が解り易くて助かる。矢印の方向へ急ごう。
重心と体重移動を雑ぜた回転動作で急停止した狩人。都合良く現れた看板が示す方向を進むと、横道に続く矢印を頼りに目的の階段へ到達した。
似た様な文字を何度か見たが、やはり統一された絵のおかげで道を迷わずに済む。案内や識別記号に慣れれば探索が楽になった、これからも可能な限り憶えたい。
大人二人分に近い荷重を与えても長い螺旋階段は問題無くエグザムを支えた。足場は汚れていたが錆びや腐食の類は無く、経年劣化を感じさせない。本来なら錬金工学や建材研究に重宝されるだろう構造物も秘境の奥地に在っては手の出しようが無く、現在に至るまで原型を留めていた。
此処まで探索者が来る事は滅多に無いのだろう。人の手で荒らされた形跡が見当たらない。太古の遺物を望めなくとも面白そうな物が見つかりそうだ。
エグザムは下層の瓦礫を走り抜けながら、構造物の隙間から降りて来た中層階を見上げる。下層でも比較的高い位置に伸びた道からは、緑や青と赤の三色に浮かんだ上層の影が見渡せた。
高い天井部が迫り来る様な錯覚を感じていると、聞こえて来る独特な羽音が大きく五月蝿くなる。エグザムは狩場に近付いたと判断しツルマキを固定具から離した。
向こうは進展があったようだ。広くとも閉鎖した環境では音が良く響く、その所為か周りが大人しい。
エグザムの目や耳は周囲の瓦礫に潜む影を捉えていた。群ようが単独だろうが、虫や小動物達は怯えているかの様に微動だにしない。周囲の環境から騒音の中心部で何が起こっているのか手に取るように解ったのだ。
アカメの音響攻撃が止んでいる。連中が簡単に敗北するとは思えないが、状況を把握するには羽音の発生源を目で確認するほかないな。
口を閉ざして思考を加速させるエグザムは右から迫る気配を捉え、走るのを止め物陰に隠れた。二呼吸して頭上を大きな影が通過する。
大きな甲殻獣だ、胴体がアカメと似ている。また手記に無い種に出くわしたのか。虫の丘だけか判らないが、大空洞と地上とでは生態系が全く違うのは本当らしい。
暗視能力と高い視力が未確認種の飛び去った方向で蠢く影を捉える。流れる動作で背嚢から望遠鏡を抜き取ると、単眼の倍率を調整し狩場へ焦点を合わせた。
「っ。」
レンズ越しに群の正体を瞬時に確認したエグザム。小さな舌打ちと共に足元に置いたツルマキへ手を伸ばす。
アカメがおおよそ三十と羽根付きが五体、餌は鼠と大きなサソリ型の害獣だ。縄張り争いには見えない、まだ狩が続いていたのか。
巨大通路群が納まる横穴は、地下構造物とは思えないほど巨大だ。地下深い場所で在るにも関わらず、多くの種が生息し独特な生態系が築かれていた。
何種類か見慣れない亜種が居る。生存競争に敗れたか餌場を求めて下まで降りて来たようだ。何処かに上へ続く道が在るようだが、騒動に反応して厄介なのが来る前に離脱しよう。
エグザムは来た道を戻り始めた。音も無く瓦礫をかわしながら新種やアカメの生態を推理する。
アカメは羽根付きとサソリの戦いに巻き込まれない距離を保ち、餌場を完全に包囲していた。あの数で獲物を追い立てるのは厳しいだろう。サソリの狩に手を出したのだろうか。それとも、初めから鼠を囮に餌を集めていたのかもしれない。だが気になるのは羽根付きだ。アカメを大きくした胴体に四枚羽で飛行、赤い単眼はさらに大きかった。上位種で尚且つ蟻に近い生態なら、親玉はどれ程の大きさに成るだろうか。
あれこれ考えながら走っていると、螺旋階段が暗い世界に浮かび上がる。
「見えてきた、あと少しだ。」
それを見た俺は既視感を覚える。多くの構造物はどれも似たり寄ったりな造形で、統一された規格とやらを感じた。
こうして一回目の下層探索は、新種の生態と大空洞の食物連鎖を目の当たりにして終わった。闇が深まるその先を目指す人外、目的地はまだまだ遠い。
「横穴に入ってからもうじき一日が経つ。ただ歩き続けたのは随分久しぶりだ。」
闇へ伸びる平坦な道を不眠不休で歩き続けたエグザム。依然と続く似た様な景色に飽きつつも、周囲の警戒は怠らない。広大で閉塞した世界が彼の平常心を少しづつ奪っていた。
遺跡と言っても瓦礫と残骸ばかり、今の所目ぼしい物や手がかりに出会えていない。まあ道の只中に遺物が転がっている筈も無いか。
内心では愚痴を零しつつ、目を凝らし瓦礫や崩れた構造物の残骸を警戒する。材質不明の石材には複数の穴が開いており、かつて何か遭った事が伺えた。この辺りの遺跡とそれらの痕跡の保存状態は良く、崩壊が少ないおかげで歩き易いが、代わりに光源の植物が減り空間の大半は暗くて何も見えない。エグザムはその時まで、闇が覆い静寂と冷気が漂う道をただ歩くだけだった。
「囲まれたのか。油断したが退屈凌ぎには丁度良い。」
エグザムはツルマキではなく鉈と狩猟ナイフを鞘から抜くと、隠れているアカメ達の初動を見極め最初の獲物を探した。
やはり用心深いな、直ぐには襲わず様子を見る作戦か。こいつ等の甲殻は硬い、強引に斬ろうとすると刃が傷付く、弱点を狙って一体づつ減らそう。
周囲の金網状の柵を登り、金属製の露出天井を死角から這い寄る足音が近づいて来る。迫る包囲網に狩人は、酸っぱい果実の種より若干大きな破裂玉を三つ取り出すと、一つ片手に残し二つを口に含む。複数の甲高い足音が響く闇の向こうを見つめ、静かにその時を待った。
あの叫び声が先か、前足の鎌が先だろうか。今は唾液で破裂玉の膜が溶けない事を祈ろう。
佇んだ獲物への襲撃は後方からだった。音も無く背後へ忍び寄った一匹が、金属を引っ掻く様な大きく甲高い音響攻撃をエグザムへ放つ。
「アアアアァ!」
奇襲を察知していたエグザムは言葉に成らない叫び声を上げ、鼓膜が傷つくのを防ぐ。同時に前方へ走り重荷を感じさせない加速でアカメ達を驚かせると、反射的に獲物を迎い討つ鎌の攻撃を掻い潜り包囲網を脱出した。
数が多いな、まだ潜んでいた個体が居たようだが、問題無く引き釣り出せたようだ。所詮は虫だな。
走るのを止め踵を反すと、右手人差し指と中指に挟んだ破裂玉を投げる。広い通りを埋め尽くすアカメの群へ破裂玉が吸い込まれた。
激しい燃焼の光と爆音に、エグザムは堪らず目を瞑り耳を塞ぐ。闇夜に慣れた捕食者の目に小さな太陽は眩すぎた。
「フッェ。予想以上の効き目だな、買っておいてよかった。」
光が治まる前に遠のく足音を聞いたエグザム。吐き出した破裂玉を衣服に擦り付け綺麗にしながら、戦果を確認する。
「若干少ないが完全に沈黙した。上手く混雑を利用出来たようだ。」
袋に破裂玉を戻すエグザム。通路は動かぬアカメで塞がり、周囲の柱や金網にも気絶したアカメが垂れ下がっていた。
「ン、舐めた血色体と同じ味がする。まさか古代種なのか。」
気絶し痙攣した顎からナイフを突き刺し、一体づつ神経中枢を絶つ簡単な作業を終えたエグザム。動き出しては壁から下層へ落ちて行く哀れなアカメ達を見送りながら、亡骸の一つを解体していた。
「何度探しても血色体は見当たらない。単に似た味だったのか或いは。」
或いは群自体が古代種なのかと考えたエグザム。解体した甲殻に悠久の年月を感じさせる痕跡は無かった。解った事は、血若しくは体液の味が美味しかった事だ。舌に甘味苦味酸味辛味そしてしょっぱさは感じられない。
「仄かな血の味に何かが詰まっている感じだ。奥深い感覚だが、こんなに美味しいとは知らなかった。」
当たり前だが生き血を飲む事は危険を伴う。一般人が寄生虫や病原体などをわざわざ摂取する必要など無い。そう、本来の人間ならそれで間違い無い。
「思えばオウジュはアカメを捕食していたな。あの大きな塊を調べれば、こいつ等と古代種の関係性が解りそうだ。」
思わぬ収穫に目的へ一歩前進したと感じたエグザム。何時の間にか取り出した採取瓶で溢れ出るアカメ汁を受け止める。酒など一切口にしない狩人、闇夜に落ちて行く果実たちへ勝者の杯を掲げた。
エグザムは太い根で埋め尽くされた遺跡の地下室で、疎らな日光を頼りに手記の続きを書き込んでいる。根に穿たれた床の一部から水が流れる音が響き、椅子代わりの太い幹からも水の流れを感じた。
代替わりしても筆跡や絵の描写法に違いは見られず、生物の特徴を捉え奥行きを感じさせる。描く合成墨の線は細いが力強い印象を読み手に与えるだろう。
「我ながら完璧な出来だ。また少し空白が減ったな。」
俺が今居る場所はおそらく表層なのだろう。表層と言っても半分埋もれた地下空間なのだが、虫の丘の構造自体が複雑なので大した差ではない。通路群中層で偶然見つけた昇降装置に興味を引かれ隣の階段を登ってきたが、掛かった時間に見合うだけの成果は無かった。
体内時計で二日ぶりに太陽を拝めたが、気休めに過ぎず現在地がどの辺りかは依然不明。予測では中間地点に居る筈だが、巨大通路が目的地へ続いていればの話だ。なので不安を紛らわすついでに地下世界で得た情報を、こうして手記へ書き込んでいた。
今更だが手記について説明しよう。あの探険家が綴った本は、実は全部で三冊有る。東方三大秘境の詳細を一冊づつに纏めて編集されており、残りの二冊に世界樹と残骸大地の情報が記されている。三冊の手記が分厚いのは余白が残っている所為で、書き込む余地が有り当然未完成だった。
手記は貴重な情報源であり価値の有る品だ。他所に預ける真似はせず、かさ張るのを承知でこれからも持ち歩き続けるだろう。以上だ。
何時もより長めの休息を終えたエグザム。邪魔で切断した根等を踏み、登って来た階段が在る隣の区画へ向かう。先へ進む歩みに迷いは見られなかった。
動く事のない金属製の簡素な昇降機を横目で確認し、軌道用の縦穴の最下層から出たエグザム。数刻前変わらない大空洞深部は、やはり闇と静寂が支配する地下世界だった。
「上で確認できて良かった。相変わらずここは磁場の乱れが強いな。」
方角を心配する必要は無くなったものの、巨大な横穴の何処に自身が居るか曖昧なまま。光源不足で通路群全体の構造を把握できなかった。
此処まで中層を移動して来たのは確かだ。目的地へは右に進めば問題無いが、進めばいずれ照明具を使用する事に成るだろう。素直にまだ明るい下層へ降りるべきか。
火を怖がる生物が光りを恐れる事は無くその逆も然り。闇を照らせば獣が寄って来ないなど、現実では有りもしない話だ。
エグザムは左右に分かれた階段を左へ降り、来た道を引き返す。記憶どおり目当ての螺旋階段が目と鼻の先に在った。
師匠譲りだが遺跡や太古の文明の知識をある程度持つエグザム。そんな彼が名付けた【巨大通路群】は今日も生物の往来と地下世界を動かす為に機能し続ける。現在の錬金工学を総動員しても再現不可能な遺構を歩く探索者。確かな足取りでまだ見ぬ光景を探し求めるのだった。
エグザムは文明跡の秘境において始めて元同業者を発見した。衣服や装備は変色し骨と共に散乱しており、ゴミ捨て場と表現するのが適切だろう。
「通路群で最初の収集品が同業者からとは少し興奮するな。当りか外れか調べてみよう。」
肉が残っていない脆そうな骨から死因を調べるのは、さぞ骨が折れる作業だろう。そこでエグザムは狭い通路に散らばる物資から調べる事にした。
「上の穴から落ちて来た様だ。持ち物が破損していても不思議ではないな。」
エグザムは散らばる荷物を集めながら上を見上げると、硝子と思しき割れた天井越しに、巨大な根に覆われた居住棟と呼ばれる遺構を発見した。
かなりの高さだ。遺跡の地下空間と、その構造物と判断して間違い無い。居住棟に水が流れた形跡が有る。長い年月を経て遺跡に堆積した土砂を何処かに運んだのだろう。上の地上部から足場ごと落下したのかもしれないな。明日は我が身と考えると、頭が混乱して探索出来なくなりそうだ。今度上を探索する時は足元に注意しよう。
等間隔で柱が並ぶ通路には、粒の細かい乾いた砂が少しだけ堆積しており、一部の物資を埋没させ外気と遮断させていた。
壁際に並べる為にその荷物を砂場から救い出そうと手を砂に潜らせると、手袋越しに不思議な感触が伝わって来た。
「手が滑って掴み難い。何だこの箱は?」
掴み上げ箱に堆積した砂を払い固まった埃を削ぎ落すと、黒く光沢の無い表面が露になった。手甲で軽く叩いてみる。
「硬くて音がしないのか。重く頑丈そうな外観だ。」
金属製だが形状からして用途は旅行鞄の類だろう。錠前や鍵穴が見当たらないが、取っ手と本体が一体成形されている。
「黒い何等かの処理が全体に施してある。腐食や錆が無く、些細な傷しか見当たらない。連中が何処かで見つけたのだろう。鍵の手がかりがそこらに落ちている筈だ。」
黒い鞄を壁際に立て掛け収集品漁りを再開するエグザム。埋まった床から土砂を取り除く為、背嚢からスコップを引き抜く。少しづつ慎重に砂の山を築き上げ、屍とゴミと物資やお宝を分別する作業が始まった。
期待を膨らませ作業を続けながら、俺がこの場所へ至った経緯を簡単に説明しよう。
戦闘や目新しい発見も無く通路群の下層を歩き続けて一日が経過した頃、上層から僅かに洩れる光に気付いた。運が良いのか悪いのか、俺はその時になって上層が何の為に存在するのか考え始める。
近くに在った螺旋階段で上層に移動すると、天井部に上層から上へ続く階段のような場所を発見した。通路群の一部区間だけ地表部と繋がっている事実を確認したのは、上層通路から斜め上へ続く軌道通路を登り終えた時だった。
自然界の侵食を受け朽ち果てるのを待つ柱や上と繋がった遺構達。高台から見渡せる廃墟の森に、俺は驚きより哀愁を感じたのだ。
高台には錆びて変色した列車の墓場と隣接していた。旧文明の移動手段だと何故か直ぐに解った俺、其処が所謂「駅」として機能していたと知る。
エグザムは自身が地下遺跡に足を踏み入れたのだと理解する。同時に、今まで通って来た巨大通路の分かれ道や上層の調査を怠った事を悔やむ。
「虫の丘の大空洞に数多くの遺跡が在る事は知っていたが。」
結果的にその事実を鵜呑みにしたエグザム。ただ進んでいれば面白そうな出会いが有ると思い違いをしていた。
反省しつつ地下遺跡の探索を始めたのだが、案の定「そこは空っぽ」だった。遺跡と言っても大半は放棄されてから時間が経った廃墟で、目ぼしい物は何も残ら無い程探索されている。なので現代の遺跡探索は残骸や瓦礫から希少価値の有りそうなゴミを見つける収集作業が多い。
一昔前は遺跡に巣くう害獣や素材採取目当ての探索者達が居たらしい。本来の探索目的と違うが、俺はその者達と同じ様に地下遺跡の探索を始める。たとえ只の廃墟でも太古の文明の片鱗を味わえるのなら、時間に還られない価値が有ると思ったからだ。
頭の予定表を踏まえると遺跡の探索に割ける時間は少ない。エグザムはこの探索活動が今回の最初で最後の遺跡探索になると理解していた。
「衣服や荷物に鍵は無かった。これ以上探すのは無理だ、別の方法で開けよう。」
砂の山に腰を降ろしたエグザムは、確認した荷物や道具類の上に乗せた例の箱を観察する。過去の遺物だが似たような物は現代にも存在しているので、直ぐに壊すような事はしない。
「おや、取っ手の構造がおかしい。これでは物理的に二つに開かないぞ。」
右手で取っ手を握ると立ち上がるエグザム。試しにと鞄を持ち歩いてみると、重心が底に在るように感じる。間違い無く中身が入っていた。
この取っ手はもしかしたら開閉する為の軸受なのだろうか。ネジや止め具が無いが、専用工具で分解する仕様とも考えられる。
砂山に戻ったエグザムは再び解錠の手がかりを探す。遺物の製作者が何の目的で製作したか気になったが、底面にその答が残っていた。
「どうやら連中はこいつの開き方を知っていたようだ。わざわざ隙間だけを綺麗にする必要は無いだろう。」
底面の凹みに僅かな汚れが残っており、泥を拭いた跡だと推測した。エグザムは軸受と勘違いしていた凹みや側面の凹凸部を調べる。汚れの痕跡を辿る方法が今出来る唯一の解決策なのだ。
「まるで大道芸に用いる道具箱だ。まんまと騙されてしまった。」
隙間から内部へ空気が入る音がし、底部が隙間が並ぶ平面に変形する。解錠を確認するまでも無くゆっくりと箱が開き始め、探索者の口角も吊り上がった。
「見たところ中身は健在のようだ。どれどれ、隅々まで調べておこうか。フフフフフ。」
薄汚い手甲と手袋を外し、腹袋から清潔な布を取り出し手汗を拭うエグザム。抑圧していた感情を曝け出し、薄気味悪く笑う。
話に聞く鮮やか極彩色本と綺麗なままの衣服類。人形か、芸術品は後回しだ。
海綿体と同じ様な弾力の内張りに囲まれ、大きな荷物と小物が分けられている。中身は全て遺物で、様々な荷物が収納されておりどれも目新しかった。
「上蓋の内張りが妙に厚いな。今も昔も隠しポケットは必須らしい。」
内張りの謎を解くのに時間が掛かり、焦りと苛立ちを感じる。俺は一呼吸して思考を切り替え、別の場所を調べる事にした。
分厚い上蓋に何か隠されている筈だ。外側で新たな隙間や可動する痕跡は見当たらない。合理的に箱を使用するならこの場合、俺なら底面に機能を集約させるが。
「うほっ!お、おおおおぉ!」
気付かず固定具を解除した事で上蓋の内張りが跳ね上る。勢い良く飛び出し直立する上蓋には、愛好家や研究者が求める骨董品が隠されていた。
「実物を見たのはこれで二度目になる。これ程状態が良い物は初めてだ。」
興奮するエグザム。飛び出た内張りにより、複数の品が放出された事に気付かない。目の焦点は黒い工業品から微動だに動かない。
握り部表面のザラザラとした肌触りが気持ち良い。単純だが精密な加工と表面処理、間違い無く旧文明の短銃だ。
珍しい円筒形の弾と共に、現代と同じ様に型に填め込まれ保管されていた短銃。前の所有者が整備を怠らなかったのか、悠久の時を経ても色々な意味で古臭さが感じられ無い。
見た限り何時でも撃てる状態だが、専門家に見せる時までこのまま保管しておこう。不用意に弄って壊すのは、流石に勿体無い。
遺品を漁って見つけたのは、黒い旅行鞄とスコップだけだった。スコップの木製の棒が腐っていない事に疑問を感じたが、その時は秘境で取れた素材を加工した物だと考えた。何にせよ、俺は確かな収穫に恵まれ安堵した。
古い唄に興味深い詩が登場する。久しぶりに思い出したので紹介しよう。
自らの過去や記された歴史に嫌悪を抱き、未来が見えなくなった男。初めは手を銃に見立てて自害する真似事をし、蘇る記憶を封じ込めていた。やがて癖の一つだった真似事に快感を感じるように成り、ある種の願望に酔いしれ始める。
銃の愛好家であり銃工をしていた男は自らの手では我慢出来なくなり、最も値が張り希少な骨董品の銃を持ち出した。自慢の銃は代々受け継いだ代物で、謎の技術で創られ何一つ解らない品。規格に合う弾が解らず引き金も動かないそれは、銃に近い形をした快楽を得る為に最適な道具だった。
いつしか夢の続きを求めるようになった男は、暇を持て余せばその銃口を顎に宛がう癖が身に付く。その時も同じ様に引き金に指を掛け力を入れると、動かない筈の引き金が止まっていた時計の針の様に動いた。
火元に成った男の死体に頭は無く、家と築き上げた財産と共に焼失したのだ。
唄には続きが有るそうだが、俺が知っているの話は其処までだ。書いた作詞家が何を意図していたのかと、今日まで色々な説が残されている。なので興味が湧いたら妄想するのも良い。俺はそれら多くの考えを否定しない。
あれから三日掛かってようやく目当ての北口に辿り着いた。今は太陽に恵まれ心地良いものの、道中は廃墟と地下道を交互に何度も通り同じ様な光景ばかりで退屈だった。
「そう感じるのはこの地図のおかげだな。本当に良い拾い物だった。」
左手に持つエグザム専用備品入れと化した黒い箱。その中には遺跡全体が解る地図が入っていた。そう、最初に手にしたあの極彩色の薄い書物の事だ。
「あの時は銃に気を盗られ、色々と気付くのが遅れてしまった。間違い無くこの地図が最も高値で売れる。まぁ、売ったりはしないがな。」
地図から遺跡いや、都市の全体像が解った。俺が想像した以上に大きく、旧文明に対する価値観を破壊するのに十分な内容だった。
見つめる折り畳まれた図面には、青や赤色の線で地理情報が。緑や黄色で道や構造物の位置情報が載っている。現在位置を割り出すのに苦労したが、オルガの話から北口の場所を簡単に把握できた。
紋章のように奇抜な形をした都市のか。全くもって面影が無い、長い時が全てを変えたようだ。
目次も兼ねた全体図に不思議な形をした都市が描かれている。エグザムには其れが植物の様な別の何かに見えたのだ。
「あの橋で間違い無い。ここが北口なのだろう。」
旧文明も自然の驚異には勝てなかったようだ。在った筈の橋や地下通路が氷河に埋もれているが、オルガの予測どおり氷河から橋の一部が露出している。秋頃には向こうの崖へ渡れる道が現れるだろう。
「あの先にカエデが暮らした里が在るのか。人や動物も立ち寄らない環境に囲まれ、どの様な生活を送っているのだろう。」
右手に持つ地図帳には、話に聞いた里の位置と重なる何かが記されている。生憎字が読めず正体不明の施設としか解らない。カエデに聞くのを忘れないよう、今の内に纏めておくか。
東西へ伸びる大地の亀裂は、今や氷河の谷へと様変わりした。北と中央区画を結ぶ橋やトンネルは全て悠久の流れに没し、天然の岩場に渡された水道橋だけがかつての繁栄を今に伝える。
「足場の氷が溶け出している。長居は辞めよう。」
そう言い残しエグザムは凍った池を後にする。白い水道橋を振り返り最後の確認を終えると、橋脚に併設された縦穴の階段へ消えて入った。