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秘境日和  作者: 戦夢
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五章後半

ジールは再び大陸蛾に乗り夜行便を乗り継ぎ、八期十四日の午前4時過ぎに北方山脈の玄関口である覇王樹「始祖王ハイドラ」が在る「古都バスムール」に到着した。

古都バスムールの飛行船発着場は都市内に在り、世界樹の花水が変異し巨大化した覇王樹のハイドラが有る旧市街より外側の南区中心部を占めている。2500年居以上前に建国されたベルアラ王朝の王都ハイドラから今も文明の一大拠点として栄えた都市で、発着場には多くの亜人や獣人の姿が見られる。

ジールは発着場内の停留者用待機所に入り、分刻みで書かれた運行掲示板の大きな張り紙と睨めっこをしていると、停留所内の音響装置が飛行船と大陸蛾双方の定期便の運行が遅れる旨を話す。

・大部族軍が一時的にバスムール空輸便発着所を占有するので、三時間ほど全ての通常業務を停止する。一時的に発着場へのゲートを占めるので、運行が再開されるまで施設への出入りが禁止される。

ジール含め誰もが天井に設置された音響装置から流れる放送を聴いている。内容には発着場が軍に徴発される理由が無いが、ジールは大よその検討をつけた。

(おおよそ今北方山脈の北側を騒がしている枯死化の影響で部族評議会は軍の派遣を決めたのだろう。こりゃおもっていたより大事になるな。)

発着場の一般出入り口は大きな石造りの建物を改築した建物内に在る改札口しかない。軍にこの場所も占有されるだろうから半分汚染猿の俺は追い出される可能性も有る。折角世界有数の歴史有る街に来たのだから、この際運行の乱れが収まるまで都市を観光するか。

ジールは飛行船用の観覧客席の様な階段状の停留所を降り、石畳の通行用歩道を歩いてバスムール発着場出入り口と表看板に記された建物へ向かった。

古都バスムールの前身である王都ベルアラは、元々は交易路に在る宿場街の名前だったらしい。まだ宿場街だった古い時代にその街で冒険者として活躍していた多角族のハイドラが築いた富と名声でバスムール王朝を建国したのが始まり。

今では旧市街と呼ばれる石造りの遺跡は覇王樹の蔓草に覆われていて、中に入るとここが砂漠の都だと忘れるほど緑で溢れている。

今俺が居る旧市街は大半が遺跡と融合した庭園と化しており、観光雑誌によれば覇王樹ハイドラの元となった世界樹の花水の性質を利用した植物園が主な収益源だ。

公衆浴場から石天井を除去した結果、水が流れる蛇口付きの石柱が並ぶ浴槽内はこの辺りでは珍しい水草の花々が咲き乱れている。

その大規模な水槽の間を通り抜け元浴場施設中央に入る。内部にはガラス張りの温室と、熱を完全に遮断する白い布(遮熱材)で天井を覆われ網目で仕切られた小屋が有る。

俺は見飽きた温室には目も触れず、風通しが良さそうな天幕内に入り並べられている鉢植えを観察する。

階段状に四段の棚に置かれた鉢植えは、商業用や事業用に改良された世界樹の苗だ。今や世界中は観賞用に所有するだけでも富の証明に出来るほどの価値が有る。

貴族連合では資本に対する政治的義務が課せられている。この制度は大部族団に古来から伝わる富と名声の同一定義が始まりで、この大部族団でも富を有する事が権力を担保する最大の要因だ。

「流石にシャボテン用の苗は無いか こんな場所だと精々観賞用の砂王種が限界だろうな」

焼き物の鉢植えには観賞用として申し分ない大きさの多肉植物が育っていて、値札も銀貨数枚出せば買える値段だ。覇王樹ハイドラは接木栽培に適した保水性と成長安定性が有るので、おそらく旧市街地の何処かに有る造園施設で育てられた世界樹だろう。

ジールは階段状の棚に置かれた鉢植えや花瓶を見終わり、そのまま入ってきたのとは反対側のいりぐちから小屋を出た。そのまま中庭wp通り反対側に有る遺跡出口へ向かう。

この遺跡に入った理由はただ一つ。それは入場料が無料だからだ。こうした場所は入場制限を設けてもたいして人が入らない場所なので、まだ朝早い事も影響して遺跡内に人影はない。

遺跡出口は入り口でもあり、覇王樹ハイドラの茎が建物の天井伝いに張り巡らされた通りの一つに面している。

ジールは薄暗く冷たい空気が流れる無人の裏通りを歩き、石畳の下をながっる水道の水音を聞きながら流れる方向へ進む。

旧市街地は街の中心部に在る王廟から半径1・6キロの範囲を占めるベルアラ王朝末期に立てられた城塞都市だ。今では内壁とだけ呼ばれている昔の外壁は高く、高さ二十メートル以上の石造りの壁も含めて内側は全てが世界歴史文化財に登録されている。

ジールは水の流れを追いながら、この国に来た個人的な目的を思い出す。

・あの化け物に対抗する為にはあらゆる力が必要だ。富、名声、権力、武力を得るためには何時までも人足家業を続ける暇はない。

・俺の血染めはこの目的を叶える為の最大の武器に成る。熱を操り高い電圧を瞬時に発生させることも出来る。生物や有機化合反応を用いた導力炉一つ分の力が備わっている。あの化け物が俺の因子を求めたのも頷ける物だ。この力をどの様に開花させるか、それが今の課題と言える。

・今回の調査依頼を受ける以前に、俺は枯死獣について並々ならぬ興味が有る。獣因子を取り込んだ世界中は他の地域では育たない。それなのにその土壌ごと枯らす性質が有るらしい。俺が知る記録では獣因子の環境適応性が欠如してしまった故に変異した害獣の出来損ないだが、オルガの話しに出た蛹の枯死獣なんて聞いたこともない。

・もしかしたら枯死獣の獣因子から悪性を除去して取り込めれば、あの化け物を超える力が手に入るかもしれない。

冷たい空気が昇ったばかりの日光に温められ、気温の差で水分が水蒸気かした霧が遺跡を白く染めている。俺はその風景を飽きる事無く赤い獣目で眺め、瞬きする旅に目視と熱視を切り替え続ける。

道端の側溝を覆っている石板の隙間から上る白い湯気。太陽に真横から照らされ廃墟と化した住居跡の外壁に掘られた彫刻が白く輝いている。不思議なことに熱視でも通常視覚でも霧のように周囲を霞ませている白い靄が同じに見える。

(熱を蓄積する微粒子。それも水に近い何か。水分子と結合した獣因子だろうか?)

覇王樹のハイドラはベルアラ王朝を建国した王の名であるが、この名はかの聖獣伝説に登場する五聖獣の一柱である巨大花のハイドラから取られたならしい。かの王がこの名を名乗るように成ったのは冒険者に成った時か今で言う探索団を結成したときとか、諸説有る。

その名を継承した花水類世界樹は今や旧市街を水場に街中茎や根を張り巡らせている。この街の水道管理は大半をハイドラに任せているので、昼は涼しく夜は冷えない人気の観光所に成っている訳だ。

俺は裏通りに飽きて路地を曲がり表通りに出た。表通りは都市間を結ぶ旧街道と直結していて、王朝時代から現在も一部が宿場街として機能している。故に獣人が引く荷車や観光台車が定期的に石畳の道を走っており、この時間でも都市の中心部にある街道の交差地点は活気で溢れていた。

俺も旧市街の中央に在る王廟を目指し歩く。東西南北に延びる旧街道のうち今も交易網をして機能しているのは東と北側だけなので、俺が歩いている南側の表通りは比較的閑散状態だ。

基本的に旧市街の建物は遺跡含めてどれも石造りの建物が主流だ。この辺りは北に北方山脈が在るおかげで他の砂陽都市より雨水に恵まれている。その影響か屋根は傾斜しているアーチ状の石屋根や煉瓦作りが多く、遺跡を活用した宿の屋根は、どれも組み直した木造の三角屋根ばかりだ。

この旧市街だけでなく砂陽地方でベルアラ王廟は屈指の観光資源として名高い。歴代八名の王と妻子が眠る集団墓地であり、地下水道の下に広がる地下墓所は世界有数の地下構造物としても知られている。

俺は表通りの南街道を北に進み他の街道との合流地点である王廟前に到着した。朝早くだというのに様々な種族で構成される商人達が露天や屋台前で活発に取引や雑談を行っている。俺が呼んだ観光雑誌にも王廟広場が今も交易所として利用されている事実が載っており、基本的に骨董品の売買が主流だと書かれていた。

もちろんそんな場所を素通りするはずも無く、俺は広場南端から時計回りに歩き露天や屋台に並ぶ古美術品を見て回る。流石に時間が早いのか、露天様に貸し出されている空き空間が目立っている。通行客は様々な種族で構成されていて申し分ない程に溢れているが、写真で見た群衆の絨毯ほどではなかった。

なにせ俺はこの王廟広場を直接見てみたくて、旧市街出入り口の南関所で銀貨を払い旧市街に入った。この噴水広場でも有る場所には国の内外から集められた遺物等の骨董品も出されていて、もしかしたら俺の血染めに役立つガラクタが有るかもしれない。

と言っても、今の俺は新しい装具を身に纏った血染めを日除け外套で覆っている。背中に旅行者用の背嚢とツルマキを背負っているので、他人から見たら流れの狩人か傭兵に見えるだろう。この国では銃火器の装備は軍人かその予備役にしか許されていないので、大した収入もない旅人に貴重な品を売ろうとする古美術商は居ないはずだ。

そう考えながら石畳の上を歩いていると、この場にはそぐわない物が視界に入った。俺は邪魔な通行客や荷運び人足の間を抜け噴水側へ近付き、長い木の棒に白い日除け布を吊るしただけの出店の前で立ち止まる。

俺の目に留まった品が有る店は、噴水側に並ぶ雑貨市の中で珍しく刀剣類を扱う出店だった。木箱や棚に吊るされた刀剣類は年代物も多いが、それ等は全て木箱の上に置かれている装飾品で着飾った曲刃や幾つもの宝石が埋められた鞘らしき芸術品の惹きたて役らしい。

「客かどうかは聞かんが 冷やかすのなら店の横でしてくれ そこに立たれると品映りが悪くなる」

俺は白い髭面の老人の言葉どおり、向かって左柱に紐で吊るされている二本の曲刃の前に移動した。俺の目に留まったこの大きな曲刃には鞘が無いばかりか、鋭利な刃が反対側に有る珍しい逆刃剣の類で間違いない。

「それは世界樹を斬る為に考案された何処かの刀匠の失敗作だ 見てのとうり鞘も無いし削りも不完全 腕試しの為に作ったんだろうが重くて装備使用とする者が居らん 今は売り物と」

俺は老人の水煙草で枯れた様な声を遮り、簡潔に値段だけを問うた。すると春巻きを頭に巻いた店主は曲刀一本で銀貨六枚を要求すると、当然の如く鞘代わりになりそうな物も勧めてくる。

「これはヨシツネの外皮を剥がした際に出た余り革を加工した包帯だ。乾燥に強いし枯死海の塩風から刃を守ってくれる その曲刀を一本だけ買うならこれも付けて銀貨八枚 もし二本とも買ってくれるならこれもおまけでくれてやろう」

俺は外套の袖口代わりに刻んだ切れ目から右腕を出し、鞘代わりの包帯を見せろと要求した。

店主は俺の右手の黒い外皮と尖った爪を見て最初は戸惑っていだが、俺を獣人だと勘違いし太陽光に青緑の色彩を反射させる手に便所紙の如く芯紙に巻かれた包帯を乗せる。

(少し乾燥防止用の油の匂いが染み付いているが、確かにこれは世界樹の革だ。この縦縞の繊維質な革はヨシツネよりアローエの葉に見える。どちらも革織物に適した皮が採れるらしいから、劣化した売れ残りでも十分使える。)

包帯の匂いを嗅いで満足した俺は、腰から財布代わりの銭袋を取り出し十二枚の大部族銀貨を店主の手に握らせた。

店主はまさか言い値どうりに売れるとは思っていなかったようで、銀貨を本物かどうか確かめる為に小槌で叩いて確めている。

一方俺は包帯を外套の内側に仕舞い、釘と柄に結ばれた紐の結び目を解いた。契約が成立したので無言のまま二振りの大きな曲刃を脇に挟み、そのまま店から遠ざかる。

(丁度良い屠殺武器が手に入った。これでツルマキで貴重な杭を乱射せずに済むだろう。俺の爪や歯だけでも獣の肉を切り裂けるが、手っ取り早く骨まで断ち切るなら刀剣の方が楽だ。)

俺は刃渡りだけで六十センチに達している二振りの曲刀を左脇に抱えて進む。流石に大きな刃物を抜き身で持ち歩いているので外套を内側から押し上げているが、石畳の上を歩くだけなら何の影響もない。

(刀剣に銀貨十二枚。紙幣を使えば硬貨二つで事足りるが、紙幣を刀剣に使うのは勿体無い。今の俺の資産は遺物の獣笛とツルマキ含めて安く買い叩かれそうな探索具のみ。今時探検家の手記なんぞ買おうとする物好は。そう言えばオルガが居たな。)

俺は本来の目的である枯死化調査の件を思い出し、腰帯に鎖で装着した懐中時計を取り出した。

「まだ一時間も経過してない 広場を一周するだけの時間は十分に有る」

時計の短針は午前四時六十七分と八分の間を指していて、午前七時頃に再開される飛行便の定期運行受付までまだ半分も経過してない。俺は時間だけ確めて真鍮製の蓋を閉じて腰帯に懐中時計を装着しなおすと、網一度広場を見渡し群衆の様子を観察する。

(少し物色しに来た客が増えたな。もうじき空きの貸し出し広場も埋まるだろう。混雑する前に王廟内に入って観光を済ませるべきか。)

俺は人ごみを嫌って、露天の間に在る道を通り円形広場の外周に出た。そのまま反時計回りに外周側の有名な宿屋軒先歩き、広場外周の北側に鎮座する大きな石造り建造物の階段を上り始めた。

王廟はまさに重厚と言いう言葉が相応しい台形状の巨大建築物だ。高さは三十メートルに届きそうで届かない平たい屋上と成っている。入り口が有る正面は壁全体が石造りで様々な像が柱の間に敷き詰められ、土台となっている基礎や傾斜した段差には必ず何等かの彫刻が掘られている。

俺は長方形状の建物の短辺側にある正面入り口を通過し、監視兼警備人員として銃砲連隊から派遣された兵士達が警備する王廟内に入った。

王廟内はハイドラ王像が有る噴水広場に負けず劣らず広い。地上四階部分の半分が吹きぬけ構造に成っていて、空間を意識させられる様な錯覚を感じれる。

俺は黒い大理石で覆われた床を歩き、二階と三階の展望通路を支えている壁沿いの石柱群へと進路を変えた。

この王廟はベルエラ王朝の権威を後世に残すために建てられた史跡で、暗黒期前期にあたる未踏暦二千百年前頃に立てられた建造物だ。ベルエラ王朝八代目の王が国を君主制の王国に変え、内外に権威を示す為に莫大な資金を投じて建てさせた訳だが、結果的に国庫が圧迫され王国を破綻させる最初の切っ掛けに成ったそうだ。

王廟内には歴代の王や親族の墓は無く、元から工芸品や文化財などを保管する巨大宝物庫として建造されたとも言われている。今も各階層ごとに様々な展示品が飾られた広間で仕切られていて、大掛かりな倉庫設備として機能していた面影は無い。

俺はその王廟内を歩き壁伝いに設置された階段を上がり二階へと上がる。階段だけでなく手すりも大理石なので足元には誰かの靴跡が残っているが、この地方の風土を考えたら十分に清潔といえる状態に保たれている。

(この広さなら内部に繁華街が立ちそうだ。王の墓を荒らされずに威光を内外に示すのなら、これくらいの建物の方が何かと都合が良いのだろう。バスムール管理政府の貴重な収入源なのだから警備も厳しい。墓へ降りるには抜け道でも作らんと無理だろうな。)

観光目的に王廟へと入ったは良いが、既に中央空間から屋内へ入る通用門には順番待ちの列が出来ている。大半が国外から来た観光客で、砂陰地方に住む浅黒くない肌の者達が砂陽地方独特の貫頭衣を着て係員に入場料を払っている最中だ。

俺の財政事情を鑑みれば、二階と三階に在る屋内展示場へ入れるだけの余裕は無いに等しい。王の墓へと続く一階中央に在る本来の霊廟にも入れないので、展望通路へと客を効率よく誘導する為に工芸品等が出展されている誘導路を歩いて次の階段へ急ぐ。

俺は最終的に三階へと続く階段を上がって三階の展望通路を進み、王廟の正面入り口が有る方の外壁に設けられた扉を通り屋外に出た。

屋外は屋上へ上がれる唯一の外階段が在る場所で、様々な銅像や彫刻像が石造りの足場に大量に配置されている場所でもある。さらに王廟内でも比較的狭い道が階段の麓まで続いていて、周囲に並ぶ像は戦争などで活躍した将軍や有名な傭兵団を率いた実力者の彫像ばかりだ。

この区画だけでも三十以上の数はありそうだが、俺はそれらの中からある者を探す為に像の碑文を一つずつ確認する作業を始めた。

今から丁度五十年前の統一暦百年を祝う年。先代のエグザムである白爺は砂陰地方に遺跡の発掘調査の為に聖柩塔の現地協力者として参加した。ただし参加した経緯は偽装された可能性が高い。おそらく当時砂陰地方で発生していた革命騒動の鎮圧に来たのだと思う。

当時の白爺は四十台前半の探検家だった。実際に砂陰地方に点在する都市跡遺跡や石窟遺跡などを調査したのだろう。俺はその調査時の話や体験した騒動などを聞きながら育ったので、わざわざ手記を見なくてもこの地の史跡や文化財が辿った経緯くらい簡単に推測できる。

白爺は発掘調査の一環で古い英雄の血筋だと述べたある女に接触したそうだ。その女はとある墳墓を管理している一族の出身だったそうだが、統一暦が始まってから衰退した探索業の煽りを受けて墳墓の管理が出来なくなったらしい。最終的に地元の地主である女の父が地元政府に土地の管轄権を譲渡して問題は収まったそうだが、白爺はその墳墓の調査許可を受けて女に墳墓の案内を頼んだ訳だ。

女との契約で墳墓の名と場所は俺にも明かされていない。白爺は砂陰地方の南側とだけ言っていたが、あの性格からして全く別の場所で有る可能性が高い。なんでも白爺はその遺跡で古い英雄が自らの半生を綴った書物を探すのが目的だったが、結局死体以外は見つからなかったそうだ。

俺はその話の真偽を確かめる為、一度だけ白爺を酒に酔わせ石窟で何を見たのかと聞いた事が有る。あの時酒を飲ませすぎた所為であっという間に熟睡させてしまって失敗したかと思ったが、白爺は寝言で気に成る単語を俺に教えてくれた。

「ケンタウロを目覚めさせてはならん」

ケンタウロとは聖獣伝説に登場する森の守護者である四足の聖獣。当時の俺は聖獣伝説の改訂版を呼んでいた最中だったので、今でも色褪せずに覚えている。

あの頃の俺はまだまだ狩人としても未熟だったので、当然この言葉を白爺に追求する余裕も無かった。それでも旋風谷を出たら確めてみようと記憶にだけ留めておいたが、旅先でオルガから枯死獣の話を聞くまで忘れていたのだから恥ずかしい限りだ。

俺は昔聞いた白爺の武勇伝を疑っている。たかが一介の探検家が紛争の解決に貢献出来るかどうか怪しい以前に、何故遺跡の保護の為だけにそんな面倒事に関わったのか全く以て理解できない。

白爺は砂陰地方を巡り見聞きした事を黒ずんだ赤い手記に残している。俺は中身を何度も確認し砂陰地方に有る遺跡の数々に思いを馳せながら、オルガとの話を擦り合わせ白爺が砂陽地方で何かをしていたのかも調べようと決めたのだ。

探し始めてから何番目の石像なのかは思い出せない。俺は右手首から先が無い左利きの女性戦士像の台座に調べたとおりの旧言語で書かれた碑文を見つける。

(砂陰と砂陽の混血にして異端児。フラカーン戦士団所属、第三旅団初代副団長カシミーラ・アライヤ。残り部分はつぶされていて読めないが、カシミーラなんて珍しい名前は他に無いからこれで間違いない。)

左手に短槍を掲げて勝利を勝ち誇る女性像。何処かに在る古墳に埋葬された女の先祖で間違い無い。

フラカーン戦士団は、暗黒期後期の約千三百八十年前に始まった他民族侵入を城塞都市「エンティール」で三十年間防ぎ続けた防衛組織。当時の砂陽地方に在った各都市国家から派遣された戦士団で構成され、戦乱が拡大するのを防ぐ為に都市周囲で頻繁に戦端が開かれたそうだ。

フラカーン戦士団と言えば俺だけでなく多くの者にとって、後にフラカーン国を樹立させたヴァルナガン・ダマスカスの名が思い浮ぶだろう。ヴァルナガンとは後に都市国家を樹立する際に名乗った名なので、当時二十歳にも満たない若者だった英雄は自らをヴァンと名乗っていた。

カシミーラの上司であり総勢二千名の第三旅団を率いた英雄は、エンティール防衛線末期から五年続いた反攻戦争でも大活躍。時には戦場を単独で駆け抜け自ら敵陣に切り込むほどの実力者だったらしいが、高い戦術眼と優秀な剣術は全て他人から与えられた物だったと老いてから語っている。

暗黒期後期の千三百年前の反攻戦争は最終的に砂陽部族連合が砂陰南部地方と西海岸の火山島を占領して終結した。

火山島の北に位置した何たら王国の首都を第三旅団だけで単独攻略したヴァン。この戦いで名声と求心力を得た英雄は若くして宿場街の指導者に転身、後のフラカーン王国に成る都市国家フラカーンを生まれ故郷の宿場街に建設した。

俺は軽装の革装備に金属製と思われる胸当て等を着用した戦士の像を見上げる。史実ではこの女性は大柄だったそうだが、像自体は左隣に並んでいる例の第三旅団長に就任する前の冒険者だった大英雄より小さい。

この二人は仕事上で立場が同じだっただけで、五年間の反攻戦争が終結すると同時にそれぞれの道を歩んだらしい。彼女のその後を追う足取りは砂陰地方で途絶えているが、この二人に纏わる噂話は昔から存在していて中々面白い。

実は敵国の王室に連なる者だったとか、故郷に残したヴァンの幼馴染が身を案じて戦場まで着いて来たとか。ヴァンが冒険者稼業で各地を旅している間に仲間にした剣術の師範だった等、全ての説がヴァルナガン・ダマスカスの広い人脈を物語っているのは言うまでもない。

冒険者時代のヴァルナガンは様々な職業や境遇の者と交流し、とにかく得た知識や人脈を重要視している。個人で出来る事などたかが知れていると幼くして悟ったのだろう。兄が城塞都市で戦死したのを知り自身もフラカーン戦士団に加わったそうだが、個の技術だけで旅団長まで昇進できたかどうかは怪しい話だ。

白爺はカシミーラの古墳を砂陰地方南部で発見したと豪語していたが、オルガの調査でもカシミーラが埋葬された古墳の場所は未発見なままだ。その古墳とやらにケンタウロがどう関係しているのか探る必要が有る。

だから俺は再び懐中時計を取り出し時刻を確認した。丁度短針が午前五時十二分を指しているので、そろそろ発着場へと戻る頃合だ。


十四日の午前七時過ぎに少し遅れていた飛行船に乗り、四時間半後の午前十一時半頃に北方山脈北部から東の小砂界を跨ぐ旧レガリア防衛線の「第六砦」に到着した。

俺は今、第六砦頂上から北側の貯水池が一望できる高台に居る。高台には古い前装式大砲と展望用の双眼鏡が幾つか設置されて在るが、今の所俺しか高台に居ないので肉眼で景色を楽しむのを邪魔する奴は居ない。

(この貯水池が古都バスムールと獣人達の集落に水を供給する水源の出発点。本来なら青い湖面に鳥や小船が浮いてい筈だが、こうも沼色に濁っていては誰も近寄らんだろ。)

本物の第六砦は旧レガリア防衛線の西端、北方山脈の北側中央付近に位置する砦だった。今はその跡地に在る貯水池用堤防が第六砦と呼称されている。そして現在の第六砦には南の盆地へ放水しながら発電する設備が設置されていて、電力事情に乏しい獣人達の山間経済を潤す源の一つでもある。

(暗黒期より以前からこの地域は北からの異民族侵入に悩まされた土地だった。今でこそ古戦場は人工湖の下に沈んでいるが、流れた血が大地に吸収されるまでどれだけの時間が掛かったことやら。)

前時代初期の未統暦747年。現在の帝国の始まりであるウラル公国が北方山脈へ鉱物資源獲得の為二十万を越す大群を派遣。当時の部族連合は現在の城塞都市「ジャクシー」北部の小砂界から西の北方山脈内を東西に横断する防壁「レガリア防衛線」を建造した。

以後二十年間で述べ四十数回の防衛戦が繰り広げられ、戦争は鉱物資源と農産物の輸出協定が結ばれ終結する。統一暦初頭にこの戦争は第一次帝国軍侵略戦争と改められ、前時代末期までにこの地で起きた三度の防衛戦争の始まりでもある。

(それにしても後ろの積荷山が気がかりだ。木箱の中身は支援物資だけではないだろう。獣を掃討するついでに戦争でも始める気か?)

大堤防の最上部から見渡せる北側には、渓谷内の大半占める大きな貯水池と山肌に見える集落が在る。俺が居る大堤防より北側は獣人の領域なので、山肌の斜面に設置された鳥の巣箱の様な家々が遠くからでも確認できた。

(情報によると枯死化の影響は獣の営みすら害してしまう厄介な問題だ。この第六砦は東西の山道を結ぶ要衝。如何なる事情があろうと守備隊はこの砦を守る為に手段を選ばないだろう。)

この辺りの標高は二千二百メートル以上あり、協定飛行高度の制限で都市から乗り継ぐ飛行船はこの要塞までしか来れない。丁度俺が乗って来た小型飛行船が頭上を越えて背後の盆地上空へ飛んで行ったが、古き名でヒバメと呼ばれている砂鳥人族の集落が近いので盆地内を低空で飛ぶよう制限されているらしい。

だから俺が見下ろしている渓谷(北側)の空には、人と同じ大きさの鳥達が風に流されながら空を泳ぐ姿が見える。視野を拡大させその空飛ぶ姿を捉えると、やはり鳥獣種に良く似た若い獣人が飛行訓練を行っている姿が映った。

(貯水池が変色してなければ平和な日常を謳歌できただろうに。今の第六砦は本来の姿に戻りつつあるようだ。)

俺は左右を見回し、北側に湾曲した巨大堤防頂上部に配置された警備兵の数を数える。ここ頂上部は都市の大通りの倍の道幅が在るが、現在は活発化した飛行船の往来で運ばれた物資の山で道幅が狭くなっている状態だ。

(数は三十から五十程度。身なりこそ連合諸兵科の制服だが、あいつ等はおそらく精鋭で構成された山岳猟兵達に違いない。北の国境からまだ二百キロ以上離れているのに、わざわざ獣人族の生活圏まで出張して来ている。古都の発着場の件も考えると、既に俺が考えている以上の大騒動が始まっているのかもしれない。)

そんな事を考えていると、頂上部を巡回する砦の警備兵と視線が合わさりそうになった。俺は用事を思い出ししゃがむと外套下の背中から背嚢を降ろして、足元に置いて中から一通の書状入れを取り出した。

「どうも悠長に眺める暇は無さそうだ これを届ける相手を探して獣人達に調査協力を頼もう」

俺は高台から見渡せる高さ百メートル以上、奥行き二キロ程度の景色に背を向け階段を下る。古くからこの北方山脈は獣人達の領域だが、峡谷を横断する大堤防の上に居る者は人間しか居ない。

どうもこの地から大きな山を越えた西側で拡大している世界樹の枯死化が深刻らしく、観光客や流浪の旅人含めた商人すらこの地から逃げてしまったようだ。

(フラカーンの件もあるから観光雑誌の情報を鵜呑みにせず、バスムールで屠殺武器以外にも物資を買い漁っておいて正解だった。これからしばらくは巡礼者に扮し山旅をすることになる。道中獣に襲われても助けは来ない。)

俺は東西に湾曲して延びた長い堤防上の道を西に進み、レガリア防衛戦時代に建設されてから現在も残っている砦西口の小砦内に在る石造りの検問所へ向かう。

「殺風景な場所だな 人通りが途絶えた途端に廃れてしまった様に見える」

荷車や竜車と小型導力車が並んで通れそうな木製の大きな門の直右隣。元は櫓が立っていた基礎を改築した様な石造りの建物へ続いている石階段を上り、階段の終わりに有る木の扉を数度叩く。

「フラカーンのベルマール商会より枯死状況の調査を頼まれた者だ 証明書に判子を押してくれ」

木板を張り合わせただけの扉は脆く、軽く小突くだけで釘が折れて凹んでしまいそうだった。それでも俺が喋ってから間をおかずに戸口が開き、中から肌が浅黒い吊り目の男と目が合った。

「調査隊は全部で何人だ 代表者と書状だけでなく隊員の顔を確認する決まりになっている」

俺は男の声に従い、己の頭から外套のフードと手拭を外す。更に焼印が押され商会の紋章を刻まれた封筒を戸口に差出し、調査要員を現地で募集する旨も伝えた。

「そうか解った 確認書類を製作するから階段の下に有る検査窓口で待っていろ」

吊り目の男はそう言うと戸口を閉めて扉から離れて行った。駐在係員の男は浅黒肌にしては珍しく日に焼けておらず、俺の面と獣目を見ても驚き戸惑ったりはしなかった。

この地域は人間より獣人の方が多いので俺の顔を見ても驚きはしないようだ。ならいっその事この外套も脱いでしまおうかと考えつつ、俺は石階段から飛び下りて石垣下の地面に着地する。

(向こうは遠いフラカーンの商会が枯死騒ぎに首を突っ込んだ事を疑問を感じているに違いない。幾ら世界樹を所有する者に許された特権と言っても、遠く離れた他所の事業主に助けを求めるなんて滅多に無いだろうから。)

俺は石垣の壁内に在る駐在小屋らしき木張りの屋根の下で立っていると、小屋の奥に有る扉らしき壁向こうから近付いて来る足音が聞こえてきた。時間にしてまだ一分程度しか経ってないのにもう証明書類が出来上がったのかと思い足音に耳を集中させると、案の定吊り目の男とは違う足音だと判明した。

「よう あんたが商会に雇われた亜人か 見たところ流れの狩人のようだが この先の集落に知り合いでも居るのか」

窓口の硝子扉を開け身を乗り出しながら顔を出した男を一瞥すると、俺は視線を前に戻し問いに否と答える。

「物好きな商会の主に枯死化を調べろと頼まれたから来た 好奇心か用心深さかは知らんが 多分手前の商売に関係しているからだろう 軍が封鎖してなければ奥地まで調べろと言われた」

この男は先ほどの吊り目の男とは違い、十分な程に日に焼けた肌の砂陰人だ。頭を薄い布で覆い顎の下で結んでいる以外、山岳住民が好む恰幅が多い薄い布地の衣を纏っている。言葉から検問から山道を進んだ先に有る獣人の宿場にも顔が知れ渡っていそうだ。

「そうか 今時の世界樹調査は傭兵団か私兵がやる仕事だから珍しいと思って見に来たんだ 今この辺りでは枯死化の影響で害獣の移動が活発になっている 飼われていた竜巻鳥まで逃げ出している状況だから注意しとけよ」

丸顔なのに骨格が逞しそうだった上半身が窓口内に引っ込み、扉が閉まる音と共に足音も消えた。俺は名も告げなかった関所の駐在員の言葉を思い出し、獣が縄張りを捨てて移動する理由を思い出す。

(世界樹を中心とした生態系が狂って餌が減ったか。或いは広い縄張りを有す獣に追いやられて逃げ出したか。根本的に環境が激変し住めなくなった土地を捨てたのは確かだ。所詮獣も人も獣人も生存環境外では生きれない。)

オルガも俺も今回の枯死現象には伝説の害獣が絡んでいると考えている。なにせこの北方山脈は中央山脈と違い火山活動で出来た造山帯だ。故に水を流し土地を耕せば養分豊富な土壌が出来上がる。砂漠の下の限られた石炭層や珪素類だけで育つ僅かな品種とは訳が違い、ここ北方山脈は多肉植物が森を形成できる数少ない世界樹の産地でもある。

(オルガの情報網でも枯死獣以外の枯死化原因を特定できなかった。仮にオルガの経験則どうり石窟遺跡内に枯死獣なる異形の怪物が眠っていたとして、今の俺で倒せる相手だろうが? オルガは聖獣伝説に登場する隠された秘宝の厄災の星屑に枯死獣を倒す手がかりが有ると言っていた。あの言葉を信用する訳ではないが、俺も諸問題に関わりながら独自の調査を進めないとならんな。)

そこで俺は調査証明書類が完成する残り時間を活用し、現在の枯死問題を整理する事にした。

現在北方山脈の北西部国境付近にて世界樹の枯死現象が問題に成っている。枯死対象は野生のアローエ種が中心で、前時代やそれ以前に建てられた遺跡を中心に徐々に広がっているらしい。

この遺跡群へ既に各業界の世界樹調査隊と、現地近くの商会や鉱山組合合同の対策本部要員が向かっている。しかし放棄された砦等を占拠した獣の駆除に、害獣監視隊の討伐人員が到着するのを待っているのが現状だ。

(そしてこれから現地へ向かう俺は他種族で構成された山岳猟兵より先に、この騒動の元凶を見つけねばならない。もし帝国の対外政策で騒動の渦中に秘密工作部隊が送られていたらのなら、部族軍の精鋭連中に余所者の相手を任せればいい。その間に俺は枯死獣含め聖獣伝説に祭わる手掛かりを探そう。)


聖獣伝説。統一暦が始まるまで存続していた砂陽地方の部族連合たる「砂の民」に古くから伝わる伝説を記した聖典。聖典には暗黒期より更に昔の旧時代に起きた大異変を記した主人公の体験記であり、暗黒期から現在に至るまで砂陽地方が森の楽園だった事を記した唯一の書物。

現在は御伽噺の類として継承されているが、この聖典は統一暦が始まるまで一般大衆に歴史書として浸透していた。また部族間の調停役は古来よりこの聖典を語り継ぐ為に存在した役職が起源であり、この聖典を元に土着的に発達普及した政教一体の「大地の導き」が生まれた経緯は今や世界中に知れ渡っている。


正午前の十三時五十分頃。俺は第六砦から西に山一つ越えた所に在る山道沿いの宿場街ナローの門を通ったばかりだ。

(山間だからか多角族と砂鳥人族が多いのは必然として、何故か太陽族も居るぞ。この辺りは太陽族の居住区域の外の筈。そうか枯死化で居住地域から非難してきたのか。)

今の俺は外套を丸めて背嚢に縛り付けているので、黒い全身甲冑の様な血染めを堂々と露出させながら砂と小石を踏み坂道を登っている最中だ。

(あの多足を地面に刺している輩は子供だろうか?まだ発声気管の肉感が育ってないなら会話は出来そうにない。)

高さ三百メートル程の山をくり貫いた崖沿い在る宿場街。谷底の山道は北北西へ延びているがその道に住居は一つも無い。だからこうして山道に在る門をくぐってから道を逸れ、街へ続く崖沿いの道を登りながら山頂付近に在る宿場街を目指している。

正午近いので直射日光が全身を上から照らしている。血染めの体温調節能力なら日中の砂漠だろうが日差し除け無しで歩けるが、汗も掻かず坂道を歩いて来た怪しい亜人を始祖族達はどう迎えるのだろうか?

始祖族と言う呼称は、有史以来北方山脈に住まう獣人七種族を指す古い名を言語統一した比較的新しい名だ。世界共通の言語でそう呼ばれているのではなく、あくまでも砂陽地方でのみ使われる言い回しだ。

谷に架かる頑丈そうな吊り橋を揺らしながら渡っている手先が器用な多角族は古き名でミノスケと呼ばれていて、比較的人に近い顔が混血種の亜人と似ているので他の獣人から猿顔だと揶揄される事もあるらしい。

同じく始祖族の砂鳥人も古き名でヒバメと呼ばれていて、空を飛ぶ以外にも知性体やこの地域の空飛ぶ獣と意思疎通を行っている。

そして蔓草の様な細長い手足を岩肌に巻きつけ崖の斜面を登っているのが太陽族だ。連中は始祖族の中でも最長の寿命を誇り、年月を隔て樹と変わらない大きさまで成長する。植獣から進化した知性体なので日中は植物と同じく光合成を行い酸素を吐き出しているが、文明活動は昼のみで日が沈むと一切動かなくなる欠点が有る。

俺は坂道を登りながら、石や小岩を抱え崖を往復している若い太陽族達の仕事風景を見ていた。この者達は本来なら西の緑豊かな高原や山肌で暮らしている獣人で、こんな岩や地層が露出した荒地に住む種族ではない。

(住居用の基礎作りに石を使うのだろう。この辺りは枯死化で水の供給路が制限されているから飲み水の確保もままならない筈だ。夜光族なら枯死地域でも暮らせるらしいが、太陽族は日差しに強いから他より働かされやすい。)

切り開かれた崖の道を登り道中で若い太陽族達に道を譲る度に何度も花頭を下げられる奇妙な体験した俺は、正午を二分ほど過ぎてようやく山頂付近に在る宿場街に到着した。

一階建ての長屋住宅が壁の様に列を成している町ナロー。階段状の基礎を流れる水は何処から汲み上げたのかは解らないが、木材が貴重なのか石造りの建物ばかりが目に付く。

(閑散としている。今の時期は雨季前だから水瓶の掃除でもしている頃合だろうに。枯死化の影響は事前に調べた以上に大きい。)

俺が峠道に並ぶ宿らしき平屋住居の間を通っていると、丁度峠の道沿い最頂部に在る三階建ての居酒屋を発見した。

(どうやら昼間から酒に溺れている獣人達が騒いでいるようだ。声からして人の声に近い多角族の連中だろう。既に枯死化で栽培していた世界樹の多く枯れている。財産を失って自棄酒を飲んでいるのかもしれない。)

その居酒屋から漂って来る酒気の臭いが風に流され丁字路を曲がった右方向へ流れている。この鼻腔ごと獣の嗅覚を腐らせる様な独特な臭いには心当たりが有り、獣除けに栽培される世界樹の砂王(砂女王)種の花を熟成させた地酒の類で間違いない。

「この臭いの中で情報を聞きだすのは無理だ 他を」

俺はくしゃみと咳を同時に鳴らしながら道を走り、丁字路を直進して坂道の終わりに在る別の丁字路まで峠坂を駆け下りた。

つい最近にこの臭い俺に教えたオルガは、帝国騎士団時代から傭兵団時代に秘境探索の最前線に居たので獣除けの香水や酒類に詳しい。酔った勢いとは言え俺に獣除け効果が有る酒を勧めてきた時は直に遠ざかったから大事に至らなかったが、いつの間にかもう嗅ぐ事は無いと慢心していたようだ。

俺は丁字路の石垣に腰掛け、少し乾燥した空気を鼻から出し入れして嗅覚が戻るのを待つ。今の俺に暇を持て余す時間さえ貴重だ。少しでもやるべき事を終わらせるには時間を有効に使うべし。とりあえず背嚢から買ったばかりの聖獣伝説改訂版を取り出し、枝折を挟んでおいた項から読み直す事にする。


大地の導き。暗黒期初頭に砂陽地方で発祥した土着宗教。唯一絶対の太陽神を崇め偶像崇拝を禁じたアカリ教と、月の神を信奉するユカリ教の礎と成った砂の掟。

黎明期は定かでないが、暗黒期前期の異民族侵入や内乱で教義たる独特な砂漠の生き方が広まった。これら先人の知恵は現在、砂陽・砂陰両地方を跨いで模範的生活習慣を記した「チェザータ」の各目録に取り入られている。


二十分ほど時間が経過すれば場所も移り、俺は現在ナローの中心部に在る草竜停留所前の居酒屋で電波放送を聞きながら絞りたてらしい草竜の乳を飲んでいる。

「脂肪分が少ないな たしかにこれだと発酵製品には不向きだ」

電波放送を受信しているラジオが発しているのは、本日午後の降水量と枯死騒動により表立って目撃された獣の出没情報だ。都市部で聞いた電波放送には歌や大地の導きに伝わる民謡等が主だったのに、大地の導きの発祥の地とされている北方山脈では今の所耳にしてない。

「都市の方じゃ牧草に麦を使っているそうだが 生憎この地方では穀草類は全部肥やしにしちまう アローエ類はこの辺りの特産品だったんだが枯死化で半分が駄目になっちまった」

昼間から店を開いている居酒屋は小規模な店だ。だから俺は通りに面した座席に座り調理台越しに調理中の店主とも会話がしやすい。

「実の所な 俺はその枯死化を調査するようフラカーンの商会に雇われたんだが どうもこの地域の事に詳しく無くて中々調査が進まない そもそも枯死化が何時頃から始まったのか調べる余裕も無かった 今はこっちに来れば色々解るだろうと安易に考えたのを反省しているところだ」

多角族にしては大柄で左右両側の耳上に生えた大きな角が天井に届きそうだ。獣人にしては体毛が人ほどしか無く角さえなければ人か亜人に見えなくもない店主は、俺に出す予定の肉を炭火で焼きながら口も動かす。

「そうなのか 世界樹や土壌調査の専門家でもない亜人に調査を依頼したのなら その豪商民はきっと害獣共が活発化するのをだいぶ前から予期していたんだろうな あと十日早く着ていれば街の狩人や警備担当者と一緒に害獣の駆除作業に参加できたんだが 町に来るのが遅かったな」

草竜の胸肉と干し野菜が焼ける匂いが鼻から入り咥内の唾液腺が緩む。狭い店内で大柄な多角族の男が小さな炭火台で調理をしているのは滑稽にも見えるが、今は肉よりも情報収集に専念せねば。

「確か野生のアローエ種をそのまま農業化したと聞いたが 今西の山向こうがどうなっているか知っているのか」

直火で焼かれた串焼きがひっくり返され、滴った油が火に落ちて音と煙を噴き上げる。獣人の中でも人と同じ五本指を器用に動かせる種族特性を活かし、店の主は調理台下の扉を開けて中なら壷を取り出した。

二週間(二十日)近く前に来た調査隊やら銃砲隊の面子が枯れた世界樹を調査している頃だろうな この町からも調査の助けついでに害獣の駆除や残ったアローエを守る為に十人以上が出向いてる それでも日増しに西や北西から逃げてくる輩が増えてるから そろそろこの町から出て行く者も現れるだろう」

そう言いながらも手を動かす店主。封代わりに布を被せていた壷に毛筆を刺し、赤く変色した筆に赤い液体を付着させ串焼きに塗っていく。

「なら今の内に聞いておくがこの辺りで聖獣伝説に詳しい者は居るか 詳しいと言っても大地の導きを実践している者達じゃない 言うなれば歴史研究者とか考古学者の様な輩だ 聖典を読んだ事があるのなら枯死獣の事も知っているだろ あくまでも個人的な推論だが 俺は昔に討伐された枯死獣が何かしらの因果で世界樹に害を及ぼしていると考えている」

辛子を熟成させ抽出した辛味成分が熱で劣化し分解されていく。俺はその独特な刺激臭に鼻を摘み口も閉じながら、調理中でも構わず思い出すように語り始めた店主の言葉を聞く。

「ああ思い出した たしか俺が子供の頃 街に来た旅行者の中に石窟遺跡や砦跡の調査をしている物好きな学者さんが居たぞ 確かこの町から北西へ徒歩三日ぐらい歩いた場所に在る高原内の捨て寺で暮らしていると言ってたな ただしもう二十年も前の話しだから生きているとしても爺さんだ あの辺りは年中害獣に荒らされ放題で監視隊も手を焼いているし交通便も通ってない 今から向かうとなると亜人一人でも危険だぞ」

そう客の俺に親切に対応してくれる店主は、焼けた串焼きを皿に載せて受付台を挟んで俺の手元に置いてくれた。全部で十本の串焼きには草竜だけでなく国鳥に指定された砂鳥の肉や町の畑で取れた青野菜も刺さっていて、程よく焦げた肉の表面に油がたっぷりと浮き出ている。

「これは上手い 最近忙しく獣肉を食う機会も無かったが これでまた以前の様に十分な力が発揮出来るぜ」

俺は亜人の身を心配してくれる店主に気分を良くし、道中の弁当代わりにもう一組焼いて油紙で包んで欲しいと頼んだ。もちろん前払いの金を払い食事を再開させながら、流れの亜人を装い会話も再開させる。

「大丈夫そして心配無用だ 俺にはこのアカリとユカリが有るから獣相手でも雑草を刈り取るのと同じようなもんだ なにせ兵隊と違って獣は飛び道具なんて使わんし亜人動きは獣と同じかそれ以上 経験上だと面倒な奴は決まって単独だからそいつ等の相手はこのクロスボウが仕留める」

普段なら決して口にしない大言を自信満々に述べつつ、俺は中央山脈と北方山脈に付けられた太陽と月の神の名を新しくつけた曲刀の柄を握った。この曲刀は刃が内側に有る中途半端な武器だが、俺にとっては鎌と斧の性質を併用した立派な屠殺武器なのだ。

「やけに自身有り気だなおい まぁあの辺りの山道に出没した害獣は軒並み駆除されてる 枯死から逃げた害獣が出没する地域とも離れてるし 砂界の害獣が山に入っているから監視隊も増員されたばかりだ あの学者さん獣人ではなく人間で異国出身だと言っていた。名は確かヤマダとか言う奇妙な名だったが 都市生活より研究の為に辺境暮らしを選んだ変わり者だとも言われていた 俺が訊ねた時は西の石窟遺跡や北の火山周辺を調査していると言っていたが 会ったのはあの時だけだな」

俺は串に刺さった肉と野菜を纏めて引き抜き咀嚼する。串焼きと干した魚の酢漬けがこの地域の郷土料理らしいが、生憎俺は伝統と言う概念に疎いので良し悪しが判らない。

今は物価が安い田舎のままだが、この町も何時封鎖領域に指定されても不思議じゃない。暗黒期末期の千年近く前に地上から全ての枯死獣が狩られていたとしても、それは表向き歴史書にのみ記された出来事でしかない。

聖獣伝説を記した時代には確かに存在していた大地を汚す異形の怪物。もし本当に世界樹の枯死化がその怪物が原因だとすると、オルガの推測どうり伝説の時代が再来する可能性も考えれる。

「枯死化した世界樹の方は専門家集団に任せて 俺はそのヤマダとか言う名の奴を探す事にしよう 情報ありがとな おかげで厄災の星屑に関する情報も探せそうだ」

俺は新しく焼きあがった串焼きが世界樹の皮らしき厚い油紙に包まれるのを見て椅子から立ち上がった。

「くれぐれも山道で倒れないよう注意しろよ この辺りは雨に恵まれているからと楽観視して十分な装備無しで街から出ようとする観光客も居るが 大抵どこぞの山道沿いで干乾びた状態で見つかる その体でも水の補給を怠るなよ」

この店の主人は俺の様な旅人や学者崩れの放浪者を相手にする事も有るようで、俺は僻地だろうと他者の忠告を忘れないよう記憶に留めておくことにする。

そして俺は何時もどうり別れの言葉は使わず、背嚢の保冷缶に油紙の包みを入れると停留所が在る通りを西方向に歩いて行った。

古くから交易路として使われている山道。探索道とは違い山岳地帯に在りながら道が崩壊しないよう整備や補強工事が施されている。特に新しく進み始めたこの道は山を切り開いた宿場街が在る荒野から西に在る丘陵を経由して北へ道が延びている。

俺は小石が多く敷き詰められた道端を歩きながら、噂どうり砂陽地方で唯一緑豊かな風土を醸しだす草原の真っ只中を歩き続ける。

(緩やかに蛇行した道。点在する林には木陰が有り、水が流れる音が聞こえる。意図的に世界樹を廃止土壌ごと植生を変える計画が進んでいると聞いていたが、既に此処まで達成されているとは想像すらしてなかった。)

雲に隠れた太陽の下、外套を着用し乾いた空気に血染めが触れぬよう心がける。店主の言ったとおり空気は絶えず乾いていて遠くの雑草や樹木が揺らいで見える。確かに山の外から流れ込んで来た空気を潤す程の水は無く、遠くの山肌は何処も木が少ないらしい。

俺は道の両側に広がった林の間に入り、懐かしい仄かな木の香りに立ち止まらず道を進む。背嚢と腰帯に幾つかの水筒を所持しているが、問題は潜伏している獣に何時襲われてもおかしくない状況が俺を急がせている。

「しかし刀剣を手に持ったまま歩くと まるで獲物を探す盗賊に転職した気分だな」

この草原は元々砂界に住む獣を寄せ付けない為に考案された土地改造案が始まりだと聞いている。一部の砂に隠れ擬態する種なら効果が有るだろうが、はっきり言ってそんなものはまやかしに過ぎない絵空事だ。

現在俺は道の左側を歩いているので、必然的に左側の林と接するような状態が続いている。この砂漠地方に住む厄介な獣は砂界や枯死海に生息している種が大半だが、単純に害獣登録されている種なら山間部や河と海沿いに棲息する種の方が数倍多い。

(また足音だ。視界があてにできない以上、小動物の音でも警戒するに越した事はない。)

左側の林に在る草むらが風ではない何かの動きにより激しく揺れている。勿論動きから察するに草食獣の類だろうが、俺は念の為に立ち止り観察しながら聞き耳を立てた。

草を掻き分け俺の前の道端に姿を現したのは、砂陰地方で何度も見かけた草食みの一種たるヤンマーだ。西大陸から家畜用に東大陸へと渡ってきたグンマーが野生化した複数の種の一つで、細長い前と後ろ足に引き締まった筋肉を浮かび上がらせた足の速い肉だ。

そのグンマーと鉢合わせした俺は獣目同士を合わせ静かに近付く。これは旋風谷で磨いた小動物の捕獲術で、敵意を隠しあえて足が遅そうな人間を演出することで小動物側の警戒を解く最上位難易度の捕獲方だ。

俺が五歩目を踏み出し飛びかかれば捕まえれる位置まで進むと、ヤンマーは我に帰ったのか走って右側の林へと消えてしまった。

「所詮文明になれた外来種を捕獲する術が野生種に通じる筈ないか」

この地に来て記念すべき獣との初遭遇は何も起らずに終わり、俺は再び緩やかに蛇行した道を歩き出した。

(そういえば店主は交易路を山道と言っていたな。山間ならそれで通じるがこの平坦な道も山道と一括りに呼んでいるのか。)

この期に及んで道を間違え目的地を違えた、なんて結末だけは避けなければならない。そこで俺は一度立ち止り背嚢を地面に降ろすと、中から観光雑誌用に簡略化された観光地図帳を取り出す。

(しかし安全保障上の経緯で一般人や外国人に詳細な地図を売らないとは驚いたな。空撮や測量技術が発達した今の時勢に、地図情報程度で国防政策が揺らぐとは思えん。伝統を重んじるこの国に文句を言っても始まらないか。)

俺は目録代わりの北方(ユカリ)山脈絵図を見て、現在地がある程度は詳細に紹介されている項数を確認する。そして枠の隅に書かれた数字と同数の項まで一気にめくり、体の向きを方位盤代わりに微調整しながら交易路の先を目で辿った。

(この先に二又に判れた分岐点が在る。二十年程度で道が変わるとは思えんから、どちらかを進めば捨て寺が在る高原に繋がっている筈だ。)

観光地図帳を開きなおした俺は再び最初の項の山脈絵図に戻り、とりあえずこの場所から北西の区画項を確認してからページをめくった。

「あぁこれか 捨て寺ではなく廃棄寺院跡地と書かれた場所だ この平地からだいたい四百メートル級の山を二つ越えた先 高原入り口に旧登山道と記載された道が載ってる 分岐点を右に進んでその次を左か」

俺は観光地図帳を背嚢に仕舞い外套の上から背中に担ぐ。背嚢には様々な道具だけでなくツルマキの関係用具も入っているので、重いツルマキを甲羅の如く背負い道を歩き出す。

それから一時間も経たずに最初の分岐地点に到達した俺は、案内板すらない道を右に進み休まず夕暮れまで歩き続けた。

草原から出てから岩場が多くなった薄暗い山道を夜通し歩こうと考えたが、見知らぬ土地で無理を強る必要はないと考え野宿の準備を始める。

枝を拾い集めている間に気づいたが、砂漠での生活が長く続いた所為で風や砂埃に体から出た垢が洗い落とされるのに慣れてしまったようだ。気付かぬうちに体臭が臭うようになっていたので、火を熾してから手拭を濡らし体を拭くことに決めた。

そして火を起こしている間に、店主が言った三日と言う時間がはじめから俺が亜人である事を見越して勘定した数字だと気付いた。そして時間短縮が出来ないかと思いつき、俺は串焼きを篝火の熱で温めながらしばらく観光地図帳を見続けた。

結論から言えば最短経路を進む途中で害獣監視隊や世界樹調査隊に発見された場合、密猟者に見間違われても言い逃れできなくなる。俺はそう結論に至り大人しく交易路を進む事に決め食事を済ませた。

それから俺は夜が更け火の勢いが弱まる度に枯れ枝を継ぎ足しながら半睡眠を繰り返し、空が白みがかるまで小高い山裾近くの林の中で聖獣伝説改訂版と観光地図帳を交互に読んで時間を潰す。夜の砂陽地方は年中寒い事で知られているが、この国で古くから信仰の対象とされている月の神ユカリが白い光で本を照らしてくれたので寒さなど気にならなかった。

十五日の午前五時過ぎに西の空が白み始めて俺は旅支度を始める。仕度と言っても焚き火の始末を終わらせ忘れ物が無いかを確認してから水筒の水を一口飲むだけのことだが、何時までも脳を半分眠らせている訳にはいかない。

西の山中から太陽が昇っても山脈内の交易路を朝から歩き続けて数刻が経過した頃、それは何の前触れも無く突如空から襲って来た。

俺は僅かな風きり音に気付き、条件反射的に曲刀で背後上空を払い様に斬った。刃が通常とは反対側に有るので流し切る動作をしても皮膚を浅く切ることしか出来なかったが、振り払った勢いのまま砂利道に倒れて竜巻鳥(たつまきどり)の大きな三本爪から逃れる事が出来た。

(この辺りは渓谷側から遠い筈。こいつは何しに来たんだ?)

俺は翼幅が十メートルを越えている成熟した世界最大の鳥獣を起き上がりながら見上げ、低空を羽ばたきながら旋回動作に入った相手を注意深く観察する。

(首に首輪が有る。どうやら飼われていた個体が逃げて来たよう。いや、可能性は低いが捨てられたのかもしれん。)

俺はツルマキに伸ばそうとした右手を戻し、アカリとユカリの名を油性ペンで書いただけの曲刀も腰帯に差し込んだ。

野生の竜巻鳥は今頃繁殖相手を探す準備に追われていて巣作りに忙しいと聞いている。こんな開けた場所でわざわざ亜人の俺を狙う当り、どこぞの豪商民が飼われていて狩りの仕方すら知らずに育ったのだろう。

俺の予想どおり低空を旋回した竜巻鳥は揚力を維持できずに失速し、丁度開けた山頂付近に位置する山道(滑走路)に胴体を打ちつけ横転しながら着地した。

俺は歩きながら大きな竜巻鳥に近付き、抜けて舞い散る砂茶色の羽根を一つ掴んで体臭を確認する。

「老年臭は無い まだ若い個体か」

竜巻鳥は近付いて来る俺を食おうとしたのか大地を走って翼を羽ばたかせたが、巨体が宙に浮く事も先端が鋭利な嘴で俺を捕まえる事もできなかった。

(少し痩せているな。ここ数日何も食してないから思考も低下している。本来野生に生きる種は飢えに強いんだが、一度でも飼われると只の肉食生物に成ってしまう典型的な事例だ。)

俺には何時までも巨大な鳥と遊んでいる暇はない。だから首輪に書かれてある持ち主の名を確めようと竜巻鳥の遅い突進に合わせ飛び跳ね、鎖用の鉄輪を固定する部分を右腕で掴み宙吊りの体を持ち上げる。

(所有者と管理者はカルコフ商会か。聞いた事が無い名だがおそらく帝国系の名だろう。停め具を引き千切れば金具も変形するが、どうも強引に外した形跡が無い。)

俺は名を確認すると大きな赤い首輪から手を放し、暴れる竜巻鳥の動きをいなして音も無く着地した。

この国では害獣を飼う場合必ず届出を要求される。いかに富を誇る豪商民や権力者でも例外は認められておらず、密猟や無許可放逐を行うか加担すれば重罪に科せられる。

特に竜巻鳥は年間維持費が高く、年間で数頭のみ販売されている取引価格もシャボテンの苗が数株買える値段らしい。もし財政上の事情で手放すのなら飼育許可を認められた引き取り手を探すか、高い金を払って殺処分の依頼を出すことになる。

(この近くの町はナローしかない。他人の所有物を勝手に殺すと問題になる。飼われた肉食獣の肉は不味いから死体を処理するのも面倒だ。)

俺は砂利が敷かれた山道から一旦外れ、多年草や高山系の花が咲く山の上を走りながら林の先に有る山道へと最短経路を走る。

竜巻鳥は名の由来にあるとおり羽ばたくだけで竜巻が発生する獣だ。大地から飛び上がる際は必ず高台から滑空しないと飛び立てない種でもある。現に林に入れず山道に沿って俺を追いかけて来ている大きな竜巻鳥は、羽ばたいても飛び上がらない翼を畳んで地上を走っている。どうやら空を飛ぶより地上を走るほうが慣れているらしい。

「まだ日差しが強くなる時間まで少し余裕が有る それまでに諦めてくれればいいが」

背後を振り返ると巨大な肉食性の家畜鳥が俺の軽やかな走りに着いて来ている。空腹が我慢できないのか、それとも俺に何かを求めているのだろうか。もし俺が砂鳥人の様な獣人だったら意思疎通で向こうの考えを汲み取れただろうが、俺は獣の血肉が好きな亜人だ。

だから俺は再び山道から外れて、山の稜線沿いに続く崖沿いへと走った。もうじき雲をから顔を出す太陽が俺と竜巻鳥を直接照らすだろう。俺が与えてやれる慈悲に三度目は無い。

俺は雑草が多い茂る岩場を避け平坦な崖際で身を翻し断崖沿いを走った。このまま崖から飛び降り滑空してくれれば狙いもはっきりするのだが、竜巻鳥は進路を変えて俺の追尾に徹する心算だと判明する。

(こっちが力尽きるのを待つ心算か。まぁ一番無難な方法を選ぶとしたら消耗戦を選ぶよな。)

いよいよ崖沿いの行き止まりまで辿り着き、俺は腰帯から屠殺剣の片方を抜いた。こちらに向かって突っ込んで来る竜巻鳥は獲物の俺しか見てないようで、飛んでいる最中に理性を何処かに落としてしまったようだ。

俺は相対した獲物の歩幅を足跡から逆算し、相対距離が十メートルを切った瞬間に駆け出し曲刀の湾曲部を横なぎに振るう。勿論刈り取るのは雑草ではなく三十センチ以上の太さの腱なので、剣先を肉に食い込ませ巨体を支える右足に深い切り傷を刻む。

背後の地面を揺らす巨体が倒れた振動の直後、やかましい鳴き声が崖の下へと遠ざかっていった。高さ百メートル以上の崖から落ちた竜巻鳥は下の岩場に巨体が打ち付け絶命したようだ。少なくとも、もう鳴き声は聞こえてこない。

俺は使用した曲刀に刃こぼれが無い事を確認し、そのまま腰帯に挿すと走って来た道を戻る。崖沿いを歩いていると薄かった影が岩肌にはっきりと浮かびあがり、廃棄寺院を目指す二日目の行軍がようやく始まった。


竜巻鳥。翼を広げた全長は十メートルに達する巨大な鳥。外界から運ばれた一般生物類の猛禽類がこの地で変異巨大化した種。大陸蛾の最大飛行高度近くまで上がってこられる唯一の獣。主に砂漠に住まう害獣なら何でも食すので、古くから家畜化や獣人の調教対象に選ばれている。それと同時にその飼育難易度から限られた豪商しか飼えないので、一種のステータスシンボル扱いされている。


昼下がりの午後。晴天の空で輝く太陽は大地を熱しながら地上の水分を一方的に奪い去る。残された僅かな水分を得ようと獣や枯れた木に根を生やす植物も有り、雨季前で最も乾いた空気が俺と砂狼達の思考を邪魔しようとしている。

ほんの二時間前に二つ目の分岐点を左に曲がり、いよいよ視界内に高原らしき山々が見えて来た辺りで、俺は後方から俺を追って来た砂狼達の姿を初めて捉えた。視野を拡大させ追跡する砂狼の頭数を数えようと砂狼達を最初に見た時、俺は砂狼固有の鬣に共通の髪型らしき人為的な手入れの痕を発見したのだ。

どうもあいつ等は俺を追っていた竜巻鳥の五月蝿い鳴き声を聞いて集まって来たのだろう。砂漠の蜃気楼とも呼ばれる砂狼達は砂荒しと同じ四脚牙獣種だが、砂荒しより鼻と耳が優れ血の臭いだけでなく獲物を匂いだけで判別する能力が有る。

今俺が歩いているのは盆地内の平野部。南へと流れる河が北東から流れていて、その河に架かる板橋の中間位置に佇んでいる。この場所で砂狼を迎え討とうと考えたのがおよそ十分前。何故鼻が利く砂狼達が竜巻鳥ではなく俺を選んだのかは判らない。砂狼達は積極的に襲っては来ず、渡って来た橋桁付近に(たむろ)し俺を戻れなくしている。

(事態がこうなったのは、俺が直接追い払わずに様子を見ていたのにも原因がある。連中は群で狩りをするからこの草原に住む小動物を探せば飢える事はない。縄張りに入った俺を監視する為に俺を追尾しているのだろうが、訓練された猟犬の様な動きだ。)

俺は全部で十二体の砂狼との睨みあいを止め、再び進路を目的地へ定め歩き始めた。板張りの木目は気候の所為で痛みが激しく、俺だけでなく砂狼達が歩く度に軋んでいる。

「そう言えば西大陸のある地方の遊びと似ているな たしか監視役に動いているのを見られたら負けだったな」

俺は立ち止まらず外套をはためかせ一瞬で身を翻した。するとやはり赤や黒い毛並みの狼達は立ち止り、俺の出方を遠くから窺い始める。かれこれ一時間近くこんな事をしていても砂狼達は俺の追跡を止める素振りすら見せない。

(距離を縮める意思は今のところ見せてない。やはり群ごと何者かに飼い慣らされてやがる。)

砂狼を飼い慣らせる者を想像すると真っ先に獣人の白黒狼人族が思い浮かぶ。始祖族を構成する獣人で古くからボッチと呼ばれている者達だ。始祖族最速の足と多くの牙獣を従える能力に秀でており、殆どの者が狩人か害獣監視隊等の保安職に就いているらしい。

(余所者が使われなくなって久しい山道を単独で歩いていると誰かが通報したのかもしれん。何せ此処から西に数十キロ進めば枯死化が深刻な領域内。枯死化による獣の対処に忙しい時に石窟や寺院跡で盗みでもされたら面目丸潰れは避けれない。)

俺は平たい道が続いた板橋を渡りきり、立ち止まらずそのまま北西に見える山の麓へ向かう。高原までまだ四キロ以上の道が残っているが、少なくとも今晩いっぱいまであいつ等の様子でも探りながら歩くか。


「砂狼」。成体は全長二メートル程度の四脚牙獣種。単独で行動する個体は珍しく、十数体の集団を形成して生活している。

かつて戦争遂行時に様々な用途で訓練された猟犬が再度野生化した種で、文明の手で方々に生息域を広げた経緯がある。

砂荒し同様に古くから毛皮や牙等が装飾品として流通していて、現在でも様々な色の毛皮が取引されている。


俺は高原の麓に在る山裾で一晩を明かし、昨日と同様に空が薄明るくなり始めた頃に登山を再開した。

手持ちの地図帳によるとこの辺りの標高は千八百メートル前後で、平均して北方山脈内の盆地より四百メートルほど高い。

雨季前で最も乾いた季節により、斜面の山肌に自生している植物は枯れて干乾びている様な有様だ。勿論地下茎は生きているので水さえ吸わせれば元通りなるが、周囲の植生を見る限り一週間から二週間近く小雨すら降ってないようだ。

蛇の如く斜面を蛇行する山道を登っていると、山裾の尾根沿いを迂回して高原へ至る長い道が見えた。山裾は扇状地の様な斜面で構成されていて、尾根以外に平たい場所は殆ど無い。俺はその数少ない平たい道である尾根の山道を進み、三時間ほどでようやく高原の端まで到達した。

高原内は盆地内の草原より植生が豊富で、小規模な丘陵を覆う潅木の林が遠くの視界を埋め尽くそうとしている様に見える。

俺は丘陵部に続く連続した峠道を登り下りしながら、周囲の葉が枯れた潅木や乾燥に強い多肉植物の原生種を見回して獣の出現に備えていた。

昨日から一晩明かした今も砂狼達の尾行は続いている。俺はある峠道の頂から何時もどうり周囲を見回し、潅木や大きな葉を茂らせた広葉樹に獣が隠れていないか確認するついでに来た道も眺める。

「今は四体だけか 数が少し減ったな」

日の出から時間が経ち周囲の気温は三十度近くまで上昇している。砂漠のオアシスやサバンナ地域より気温が低いが、湿度の低さは都市部より低い。

蜃気楼で霞んで見える砂狼達を熱視で確認し終え、俺は再び前を向いて歩き始めた。日の出から間も無くして地図帳で廃棄寺院跡の大まかな位置を確認したので、今日の昼前までには目的地に辿り着ける。宿場街ナローを経ってから今日で二日目。足早に歩いたので予定より一日早い到着になる。

俺は残り三十キロ前後の道のりを歩きながら、獣の襲来を警戒すると同時に考え事に熱中している。内容の殆どは昨晩中に読んでいた聖獣伝説に登場する支配者たる五柱の獣神けものがみについての考察だ。

考察と言っても独善的な考えなので妄想と言っても過言ではない。獣の身でありながら人と同様に会話する不老長寿の存在に対し、俺が純粋な憧れを抱いたのは一度だけではなかった。とくに旋風谷つむじだにで番人の真似事をしていた幼い頃、人や獣と不自由なく意思疎通が出来たら何をしようかと考え込んだものだ。

(暇だと一人笑いが止まらなくなるな。もうそろそろ別の考えに切り替えよう。)

俺は五柱の獣神より、どう伝説内でも重大な存在として登場する枯死獣について思考を巡らす。

伝説どうりなら枯死獣は、森に落ちた厄災の星屑なる隕石の様な何かにより変異していく自然環境化に適応した原始獣だろう。

原始獣とは暗黒期以前に存在した現在の害獣や益獣認定されている種の先祖にあたる生物だ。厄災の星屑による影響かどうかは定かではないが、世界中で生態系や自然環境が激変した時代の証拠なら複数存在している。

定説どうり枯死獣が原始獣の生き残りだと仮定すると、厄災の星屑で姿形や生態が変異した原始獣が生存の為に捕食進化を繰り返したのだとしたら、オルガが言った異形の存在や物語に登場する大地を喰らう物達の実在が正当化できる。

物語に登場する大地を喰らう物達の中には、突然変異の過程で生殖能力を失った個体や無性生殖により分裂増殖能力を得た個体も登場している。大地を喰らう物の名はあくまでも執筆した者が与えた名詞に過ぎず、本当に同族や岩などを食し細胞を変化させる個体が居たのかさえ未解明のままだ。

しかし俺は神の園で生物兵器に寄生した植物獣や言葉以外の方法で意思疎通を行う管理者との遭遇を経験している。だから聖獣伝説に登場する獣神や喰らう物達の存在に疑念は感じていない。

この国の公式発表では、千年前まで確かに実在していた世界中を喰らう枯死獣は、化石化した原始獣とは何の関係も無いとされている。その理由として、多くの枯死獣は死ぬと死骸として形を成さなず砂粒になってしまうからだと説明されている。世界樹が寿命もしくは外的要因により枯死して塩と石灰を含む白石炭と灰石炭に変わるように、枯死獣も急速な自浄分解で形を保てず崩れてしまったらしい。

もし枯死獣が絶滅した幻獣である原始獣の子孫だったとしたら、俺は東の大国へ渡り巨大獣の亡骸の調査を行うことになる。俺としては世界各地を回り様々な出来事を体験出来るので良い事なのだが、国外追放されたオルガは国に戻れないので俺だけで調査をする破目になるだろう。

(今オルガは厄災の星屑に関する情報を探す為に、国中から集めた遺跡関係の情報を漁っている最中だ。おそらく結果が出るまでまだ時間がかかる。現地行動担当の俺が何処まで謎に迫れるかが問題解決の鍵と言う訳だ。)

その後も俺は仮説の組み立てや記憶を漁りながら、放置されて雑草が伸び放題の交易路を歩み続ける。日の位置が高い位置まで上った頃に無数の岩が露出した丘陵地帯を抜け、ようやく高原内で唯一平坦な場所に在る森へと入った。

森には針葉樹に分類される松科の木々が生い茂っていて、砂利道には定期的に雑草や堆積した枯葉等を除去した痕跡が残っている。そして道端に幾つも転がっている小岩の様な大きさの松ぼっくりが黒く変色していて、踏むと簡単に砕けてしまう。

「全部ここの大松の物だな おそらく建築資材用に植林したのはいいが 花粉が獣人の鼻に毒で放棄されたのだろう」

国によって秘境の定義が異なるので地域区分が曖昧だが、この辺りは文明の発展に適してない隔絶世界に指定されている。統一暦に入り寺院統廃合が加速して村や小規模な交易街が次々廃れていった結果、交易路ごとその地域から文明種族が居なくなり森や砂漠に覆われた場所が多々有る。

俺はその一つである平野内の森を進み、大松しか生えてない樹木の隙間から廃棄寺院跡を探し始めた。

(そう言えば此処から北の山は封鎖領域に指定されていたな。たしか軍の演習場と書かれていた筈だが、山岳猟兵の訓練場なのか?)

森は静かで鳥の鳴き声も無い。風が吹いても生い茂った大松が掻き消してしまうのか、松科特有の樹液の匂いが俺の鼻をくすぐる。

背後を見ずとも、耳が砂狼達の足音を逃さず拾っているので追跡が続いているのが判る。先ほどから口呼吸で口を開けているようで、涎を垂らして俺を追っている姿が簡単に想像できた。

森に入ってから徐々に狭まってきた一本道を進んでいると、曲がり道右側の大松の隙間に始めて大松以外の何かが見えた。大松の赤色系樹皮の間に緑色の苔に覆われた石垣が見え、俺は砂利道を走って曲がり道を越える。

「やっと着いた ここが捨て寺で間違いない」

俺は砂利道沿いに面した高い石垣の壁を横目に走り、柱代わりに松の丸太を釘で繋ぎ合わせた古そうな板張り扉の前で止まった。

板張りの木目には亀裂が入っていて蹴っただけで砕けそうな装いだが、百年以上前に放置されたにしては原型を残してして正面入口としても機能しているようだ。流石に呼び鈴やその代わりになる装飾品は無いので、俺は扉に取っ手として固定されている鉄の輪を引き大扉を開けた。

(こんな地方で瓦造りの木造屋根か。確かにこの地方の寺院には様々な種類の建築方式が取り入れられているが、完全木造の屋敷住居なんて豪商民くらいしか所有してない代物だぞ。)

俺は高さニメートルの扉を開け、整地された地面がむき出しの敷地内に入る。正門から真っ直ぐ五六メートル先に屋敷の玄関が在り、その玄関は正門の開き扉とは違う板張りの引き扉で閉じられている。屋敷自体は一階構造の平屋住宅のようだが、傾斜した屋根には瓦で覆われていて貴族連合南部の瓦屋根に似ている。その屋敷は高床式になっていて、削った岩を並べた石畳の基礎の上に建てられた木造家屋に他ならない。

(北方山脈の寺院は木柱と石造り家屋の複合形式。ここの木から切り出した木材なら屋敷一つくらいなら簡単に立てるだろうが、確か寺院が建てられたのは植林が始まる前だったはずだ。)

俺は正面玄関へ行かず、敷地内の左側を歩き時計回りに屋敷の外周を回る。屋敷には人の気配が無く、不在か寝ているのかは判らない。ただ敷地内に砂狼は入ってこないので、俺は裏庭の大松の苗が植えられた鉢が並んでいる場所を通って敷地内を一周した。

(そう言えばヤマダとか言う物好きな学者は異国出身だったな。貴族連合出身なら木造家屋を建てる知識に精通していても不思議じゃない。これほど大量の松に囲まれているのだから、一人でも時間と道具が有れば本物の寺院跡に屋敷くらいは建てれるだろう。)

俺は門の扉下に埋められた石の敷居から中に入ろうとせずに座っている砂狼達を一瞥し、今度こそ正面玄関の前に立った。

屋敷の壁には板張りの引き戸が無数に有って、夏に熱が篭らない様風通しを良くする工夫が施されている。玄関の引き戸も同じ大きさなので、俺は軽めに扉の板を何度も叩き来客の存在を周囲へ響かせる。

「やはり居ないな たかが知れてる情報を頼りに来たから外れを引いて当然か」

口ではそう言ったものの、諦めるのはまだ早い。俺は鍵がかかってない扉を少し右にずらし、隙間から覗いて段差で区切られた玄関の置くに見える暗い廊下の奥を見つめる。

(死臭はしないが少しかび臭い。白爺が集めたガラクタ倉庫の臭いよりは遥かにマシだ。)

俺は数秒ほどずらした引き扉から内部を窺った後、開き扉を大きく右にずらして屋敷の敷居を跨いだ。

玄関には靴置き棚と掃除用具入れらしき箱に枝箒が二本入れて有る。俺は靴置き棚に有る室内用の履物を一つ手に取り、貴族連合と大部族団で使用されている物とは別種の履物を調べる。

(革靴の中敷の様な革だけの履物。これは間違いなく西大陸の西側で使用されている屋内用の履物だ。まさか異国とは白爺の出身地である日ノ国か?)

日ノ国とは西大陸の最西端地域を含む西大陸四大国の一つ。面積は貴族連合と同程度だが四季に恵まれ汚染地域が無い大規模生産業が盛んな国だ。名前の由来どうり世界で最初に日の出を迎える国なので最西端の岬に世界時計の基準点が在る。

古来より戦乱や飢饉で大陸中から逃れてきた物達と紛争が絶えない地域だったが、帝国と同様に独自の錬金術を発達させ統一暦後も独自言語を使う唯一の国でもある。

履物の臭いを嗅げば使用者の体調がある程度は解る。だからおそるおそる白いスリッパへと鼻を近づけようとした矢先、引き戸を開け放った入り口へ砂狼達の吠える声が入って来た。

俺はスリッパを靴置き棚の最上段に置き、狭い玄関内で方向転換して入り口から出ようとした。しかし死角内に有る敷居木枠の存在を躓くまで忘れていたのて、玄関先で前のめりに転び小石を弾く大きな音を立ててしまう。

「貴様盗人か わしの家を豪商の屋敷と勘違いしてその様か なかなか面白い奴だな面を上げてみろ」

俺は土や砕けた枝等の破片が付着したまま顔を上げる。すると視界内の中央に白爺や自身と似ている顔立ちの老人男性が映り、若葉色の織物布で仕立てた異国風の羽織に目に留とまった。

「ほほぉ お主同郷の者かの こんな僻地で西大陸の血族と出会うとは何十年だろうか」

玄関先の砂利が敷かれた場所から立ち上がった俺は、顔面や外套に付着した汚れを手で払い懐に忍ばせた懐中時計などの貴重品が無事かどうか確めた。

「あんたがヤマダで間違いないな 俺は個人的な所用で聖獣伝説を調べている狩人だ 出身地は貴族連合の秘境 残念ながら西大陸へ渡ったことはない」

とりあえず身の潔白と探し人かどうかを尋ねた俺に、老人は素直にヤマダを名乗っている事実を認めた。そして屋敷に無断で入った言い訳を言う前に用件を理解した老人は、かび臭い屋敷内に入るよう強引に勧めて来る。

「誰から聞いたかは知らんが わしは確かに各地の古き伝説を探求しておった元学者だ 詳しい事は中で聞いてやるからはよう家に入れ」

俺は背中を物理的に押され、背嚢の中身が煮崩れするのを恐れて仕方なく玄関内に戻った。しかし俺は上履き用の履物を持参してない。このままでは土足のまま上がることになる。血染めに体表を部分的に取り外す便利な機能なんて備わってないので、俺はどう説明すべきか迷った。

「構わんからそのまま上がれ 獣人を招く時も素足のまま上がらせているから客のお主が配慮する必要は無いぞ」

俺はヤマダ爺の言葉に安心し、背嚢を背負ったまま板張りの廊下に上がった。床の表面は松脂まつやにの膜で保護されているので滑りやすい。小股を維持し足早に廊下を歩き、後ろから指示されたとうり突き当りを左に曲がって廊下を進む。

(見かけより狭い造りだな。それでも白爺が経てた掘っ立て小屋屋敷よりはましか。鍵は無いが同居人と住んでいるわけでもないらしい。)

西大陸出身の著名人にヤマダと言う名はない。三文字から五文字程度の名や苗字が多いので、この屋敷の住人は偽名を使っているのかもしれない。そう、何処かの元傭兵団長の様に。

「突き当たりの右側の部屋に入れ そこがわしの書斎だからその部屋で話そう」

しわがれ声にも活力とはこの事で、ヤマダ爺は久々の来客相手に自身の昔話が出来るのだから喜んでいる。俺はその指示に素直に従い、やはり板張りの内扉を横にずらして板張りの部屋に入った。

「尻が汚れてなければ尻敷きに座布団を使ってもよいぞ なんならその外套を畳んで座布団代わりにするか」

広さはおよそ十㎡と少し。入って左側に収納用の引き戸が有り、右側には木製の本棚が二つ置かれている。個人用の書斎としては申し分ない広さだ。作業机にしては低いだろう木箱の上に平板が置かれていて、書き物を執筆している最中だったのか、板の上に白紙を束ねただけの手帳が開かれた状態で置かれている。

「俺の事は気にするな 手前の尻敷きが有るからそれを使う」

俺は背嚢の中から砂荒しの毛皮を取り出し尻を包める大きさに畳んで木目の床に置いた。

「ここに有る本は全部わしが書いた記録書だ 大半はこの地に在る石窟遺跡とその調査記録書 そして歴代の聖獣伝説原本になる 趣味で始めたもんだから床に置いてあるものなら好きに見てよいぞ」

俺はヤマダ爺の好意に甘え、右膝辺りに積まれた本の束から一冊の分厚い本を手に取った。装丁は獣の革で主題が無く、著者の名前と五を意味する共通数字が黒い太線で書かれてある。

(記録書と言うより参考資料集だな。何が書かれて。)

色褪せた厚紙に大量の文字が並んでいるが、残念ながら全てが西大陸で使用されている西方文字で書かれている。俺は画数が多い西方文字は読めず、白爺から教わった西方言語も挨拶程度の会話しかできない。

「まるで暗号集だな 俺は西方文字がまったく読めんから何が書かれているのかさっぱり解らん」

項をめくり続け東方文字が書かれていないか調べている俺を可笑しそうに笑うヤマダ爺。おおよそ何が面白いのかは理解できるが、客の前だからもう少し遠慮をしてほしい。

「字が読めんのに暗号集だと解ったのか それはわしが軍の検閲から調査記録を隠す為に考案した個人暗号帖だ それはわしが生まれた日ノ国の者でなければ解けんよ」

そう言われてみると、下手な文字で書かれた箇所や単語ごとに間隔を空けて記載された文字列が目立つ。半筆記書体で書かれた西方文字は日ノ国独自の文法で書かれているらしく、文字を追っていると目が痛くなってきそうな感じだ。

「俺には色々聞きたい事が有るからそろそろ本題に入ろう そうだな まず俺が聖獣伝説を調べている経緯から話すか」

こうして俺はとある探検家の助手として大部族団各地を旅した経緯を始まりから話し始めた。俺とオルガが国に入る為に身分を偽装した事や俺の過去と出自に関係する話は省いたが、何等かの情報を知っていそうな老人の信頼を得る為に出来るだけ多くの事実を語った。

「つまりお主達は今回の枯死騒動に絶滅した筈の枯死獣が関係していると考え 国が隠した真実を探る為にも独自に枯死獣を殺す手段を探しとる訳じゃな 確かに聖獣伝説はこの地の歴史を語る上で必須となる情報が詰まっとる 物語の構成自体はいつの時代の物もありきたりな話ばかりだが 核心となる約束された楽園と獣神や喰らう物と災厄の星屑はこの地に起った大異変と深く関係しとる お主の探検家が着目する理由としては申し分ない」

ヤマダ爺は枯死獣の一体が二十二年前の世界樹枯死事件の間接的原因であった事や、聖獣とも呼ばれている五柱の獣神が枯死獣の発生に関係しているとするオルガの説に興味を抱いたようだ。

かれこれ紹介話だけで二十分近く時間が経過したが、俺は話しの最後にヤマダ爺が軍の検閲から逃れる為に聖獣伝説に関する調査成果を暗号化した経緯を問うた。

「そうじゃな 話しても良いが長話になるから覚悟するのじゃぞ」

ヤマダ爺は本棚の最下段に有る本の中から一冊の本を取り出し、項をめくりながらこの地に来た経緯から話し始める。

ヤマダの名はやはり偽装だった。この老人は若い頃、俺たちと同様に何かしらの事情で身分を偽り大部族団に入った探検家見習いだった。ただし見習いと言っても師事する者は居らず、人足稼業や語学教師で資金を稼ぎながら山間部や砂に囲まれた各地の遺跡を旅して回っていたそうだ。

元々は聖獣伝説ではなく戦争や冒険等で活躍し名声を得た英雄達の人物像を探り、それらの情報を纏め独自の英雄譚を執筆してぼろ儲けする算段だったらしい。書斎内に有る書籍の一部は実際に発行された本の原本で、若い頃はそれなりに稼ぐ事が出来たのだと。

様々な創作本や伝記を書いている内に、世界樹と枯死獣の関係性や双方が築いた生態系に興味をもつようになった。勿論始めは安定しだした生活を更に豊かにする為、世界樹運営業等の生産業に参加するのが目的だったからだ。

この国での資産形成に必要なのは金だけでなく権力や知識と人望なのは確かなので、職業作家から豪商民に出世する最終目標を叶える一環で各地の政治事情を探るとこから始めた。

全ての国がそうであるようにこの国も有る程度の隠し事を行っている。危険を承知でその隠し事を調べ一定の事実に到達する事が出来れば、貴重な金を浪費せず確実に出世できるだろう。そう考えとある商家出身の偉人の過去を調べに陸珊瑚おかさんご海岸で鉱山労働に従事していると、西海岸の交易海路を荒らし回った伝説の海賊が遺した財宝が海岸内に隠されている話を耳にした。

まだ髪の毛が黒く前髪前線が眉毛の上にあった当時のヤマダ爺。その噂話を間に受け世間一般で知られていた都市伝説を調査する為に、仕事を辞めて作家を続けながら破砕空洞内に篭る生活を始めた。

「あれから三十年以上の歳月が経った お主は知らんかもしれんが 高価な魔石を掘ると言って海底坑道を探索し 大海賊オルヒヤ船長の隠し財産を保管していた隠し部屋を見つけたのは このわしなのじゃよ 凄い偉業を成してあの頃はそれで満足しそうに」

話が自慢話へと漂流しそうになったので俺は獣の咳払いを吐き進路を戻させた。

「重要なのは木箱や袋に詰められていた宝石類と貴金属製品ではない なんと死期を悟った大海賊が己の半生を綴った手記 すなわちこの手帳が隠されていた事じゃ」

ヤマダ爺は手元に有る古びた装丁の黒い本を再び開き、項をめくる作業を再開する。もったいぶった口調の割に何処かの項を真剣に探しているのが目の動きで読取れた。

大海賊オルヒヤ、もしくは訛った呼び名で海の獅子を意味するオルヒャと呼ばれたかの海賊。今から五百年程前にこの国の海洋交易路を改造した自前の帆船で荒らし回った伝説の男だ。

当時は各都市国家や都市間国家が乱立していた時代なので、船主個人が武装し私掠船しりゃくせんを保有する事が認められていた。オルヒヤはまさに時代の波に乗り、親から相続した帆船で他国に雇われた私掠船や商船を襲い続けた。

奪った積荷だけでなく社会的な地位を土地付きで勝ち取った男が綴った手記には、自身が海で勝ち続けられたのは風を読むのに長けていただけではなく、暗黒期に砂漠地域から遥か東の海に流れた海洋獣人の子孫達の協力が有ったからだそうだ。

現在、その海洋獣人である魚人族達は生存闘争に敗れ枯れた湖から追われた一族の子孫だと推定されている。しかし海賊と共に海を荒らしていた当時はまだ外界との交流を絶っていたので、もしかしたらオルヒヤは貴重な獣人達の架け渡し役だったのかもしれない。

さらに手記には当時の魚人族に伝わっていた古い伝説についても書かれてあるが、ヤマダ爺は伝説について記された項を探すのに手間取っていて話が一度途切れた。

「わしが見つけた隠し部屋はオルヒヤ一派が海賊時代に使っていた非常時用保管庫の一つだったらしい この手記によればオルヒヤは五十過ぎに海賊稼業から引退すると財宝等の大半を売却して余生の生活費に充てていたが この手記を書いている最中にわしが見つけた隠し倉庫を思い出して忘れ物を回収しようとしたらしい しかし隠し場所近くで炭鉱採掘が始まっていて手が出せなかったと書かれとる おそらくこの手記を託されたはいいが活用できずに困っていた子供の誰かがこの手記ごと保管庫を封印したのだろう」

仕方なくまだ続きそうな海賊達の顛末話を聞こうとした時、ヤマダ爺の手が止まり目がある項の一転に絞られる。

「あったぞ これで間違いない 湖の砂漠化で一族が海へと拠点を移した際 一族だけでなく湖の守り神だった神像を地中深くに埋めたそうだ その神像は獣神が石へと変わった亡骸で 何れ復活する時に再び地上へ出られるよう地下水脈に保管する為だと書かれとる だからワシは見つけた財宝を調査費に充ててバスムール周辺を調査したのだ まさか商業都市の真下に在ったとわな 当時のわしなら気付く筈もない」

かくして財宝と古き伝説の一旦を手にした当時四十台のヤマダ爺。豪商民に転身する夢を綺麗に忘れ聖獣伝説を調べ各地の遺跡等を放浪する生活に戻った。旅の最中でも執筆活動だけは続けていたが、中央山脈に在る石窟を独自の視点で調査していた時に、石窟遺跡の所有権が国に買われ軍が地下設備建設用に接収してしまう事態に遭遇してしまう。

「あの頃はまだシャワールの世界樹が朽ち果てる前で経済も潤っとった 当時は砂に覆われ朽ちていく遺跡や都市跡を保護する観点で国家公認の遺跡文化財保護法が制定されたばかりで 豪商民だけでなく国外の資産家にも文化財の管理運営権が認められたばかりだった 既に世界樹の運営権を他国の資産家にも売却する制度が成果を出してたからワシも老後の為にもと幾つか目をつけておったんだが 全てが国に買われた後に軍へ管轄権が移り集めた調査書類や資料の多くを没収されてしまった訳じゃ」

ヤマダ爺は海賊の黒い手記を棚の最下段に戻し、今度は同じ棚から別の本を手に取った。

「その時にわしが執筆活動用に自前で書いた地図や遺跡の図面の殆どが軍に持ち去られ 今では燃やされたのか保管されているのかさえ解らん状況が続いとる これはその時別の場所に預けていて没収されなかったある石窟遺跡の調査資料だ ここから北の山中に在る大掛かりな規模の石窟遺跡を調べた帰りに落としてしまって紛失するところを知り合いの狩人に拾われた奇跡の品じゃぞ」

俺は赤く分厚い獣皮紙で壮丁された無題の本を受け取った。本は分厚く鈍器としても使えそうな重さだが、とりあえず表紙をめくり読める字で書かれているのか確認する。

「わしが石窟を買い取ったら建築業者や鉱山夫に見せ改築作業の参考になればと纏めた代物だ 軍の連中は特定の石窟遺跡に関する資料を渡すよう要求してきた この本を纏める際に記録した資料は全部持って行かれたが 結果として完成品だけが手元に残ったから今ままで誰にも見せんかった」

表紙を開き内容を確認すると、様々な写し絵や図面の余白に散りばめられた馴染みの東方文字が書き記されている。紙自体も現在では手に入らない貴重なジェノバ紙が使われていて、油紙の様な分厚いながらも軟らかい紙質のままだ。

ヤマダ爺は俺に保存状態の良い本の項から全体見取り図を探すよう言った。俺は指示どうり目次からそれらしき殴り書きを確認して紙束を漁る。

「あの辺りの正確な地図は今も市井に出回ってない 軍が放棄された砦跡や石窟等の遺跡に秘密基地を建設したからだ 帝国の幼帝が今回の枯死騒動に援助物資や人員を派遣してくれたおかげで拡大は止まっておる 政府は既に難民化した一部の獣人達の失業対策をせんといかんから 今なら北の山の警備体制に穴が出来とるかもしれんな」


原始獣。旧時代末期に棲息していた様々な生物の総称。絶滅した幻獣類に指定されていて、前時代の初頭まで化石化した骨を石炭等の燃料として採掘されていた。現在は帝国の永久凍土や残骸大地周辺にしか残ってなく、無許可の化石採掘は即極刑に処される。


十六日の早朝。俺は抜け道を通り高原北側に在る山を越え、軍が管轄する立ち入り禁止区域に潜入している。この場所は南北の山から拡がる裾野が大きな渓谷内で盆地を形成していて、保水地用に植えられた針葉樹林が広範囲にまで拡がっている森林地帯だ。

その中を俺は何時もの装備のまま、腐葉土が堆積した森の中を歩いている。森を越え北に見える山肌の何処かに在る石窟遺跡を調べるのが目的だが、胸の下に巻いた収納帯に入れてある赤い本の地形情報だけを頼りに探すのはまず無理だろう。

周囲の薮を掻き分けできるだけ開けた場所に出ないよう心がける。針葉樹の根の辺りや雑草が生えた腐葉土に地下茎野菜を実らせる様々な植物が生えているが、ヤマダ爺曰く地雷原近くにわざと食材の種を植えるのは山岳猟兵に受け継がれた殺傷技法とのことだ。

砂漠が多い地方で豊かな森が拡がっているとは中々想像できない。俺にとっては見知らぬ土地なので狩人の知識がどれ程役に立つのか未知数な点が多い。

(抜け道の天然洞窟から出てからそろそろ一時間になる。ヤマダ爺の言うとうりならそろそろ山沿い崖近くに出られるはず。ここまで一人も警備兵と出会わなかったから確かに警戒線が緩んでいるのは間違いない。)

俺は薮から顔だけ出して二十メートル級の針葉樹が並ぶ木立ちを見回し、血染めが黒から黒茶色に変わるのを待つ。

ヤマダ爺は自身が買い取る筈だった石窟遺跡がどう使われているのか長年疑問に思っていたらしい。その遺跡は年代ごとに別々の目的で使われていた形跡が残っているので、学術的だけでなく観光資源としても申し分ない遺跡だと明言している。

故に軍が何の目的で接収したか解れば、自ずと他の地域でも国に買われたまま封鎖された遺跡の状況が掴めるとも言った。なにせ聖獣伝説の手掛かりを見つけるのなら、暗黒期から前時代末期までに使われていた多くの遺跡を調べる必要が有る。

十数年前に穀物倉庫として使われていた何処かの石窟追跡に隠し部屋が見つかり、中から獣人達の遺体と琥珀系魔石を削った無数の装飾品が見つかった件もある。俺がこれから無断で調査する予定の石窟遺跡にも数千年以上前に掘られた地下住居跡が存在しているので、もしかしたら枯死獣の生態を探る手掛かりが有るかもしれない。

(ヤマダ爺の考えは合理的だ。軍の管轄区域に無断で侵入すれば射殺されるか拘束されて即檻の中。それでも盗掘家の真似事をしなければ調査が滞る可能性も考慮していた。まさかこんなに早く実行に移す日が来るとは予想していなかった。)

血染めの体表が周囲の色と同化し終え、俺は小走りに腐葉土の上を突き進む。まだ日の出から間も無く木の陰は森を暗く閉ざしたままだ。明るくなると猟犬が放たれるらしいから、追跡者の目と鼻だけには引っ掛かりたくない。

(この辺り基地を建てるとしたら弾薬庫か物資保管所が最適だろう。通信施設を建設するには地域の発電能力が乏しすぎる。流石に旧主敵の帝国から発電用燃料を輸入して基地の維持に充てる様な愚行は犯さないはずだ。)

俺は地面から半分露出した大岩を飛び跳ね、周囲でも一際背が高い針葉樹に乗り移った。

(見えた。あの灯りが例の石窟施設の警備灯だろう。来る途中に少し方角がずれたが、たがが数百メートル程度なら誤差の範囲内だ。)

俺は木の枝をしならせて地面に着地し、進路を北北東に変えて再び走り出す。

木の上から見えた崖沿いの施設は簡易型の鉄柵で覆われていて、少なくとも獣は中に入れない。外から隔離された場所に何を建てたのか調べるには、崖の山中から下って屋根にでも飛び乗ったほうが手っ取り早いだろう。

そう考え俺は森の切れ目である崖の麓に行き、岩が転がった破砕層を跳ね登って急勾配な斜面の隙間を足場に登り続ける。

おそらくこの動きは俊足が取り得の獣人や身体能力が優れた獣人でも再現できまい。山岳猟兵でも専用の登山器具を装備し命綱を登坂用ロープに固定しながら上がる場所だ。結局最後に頼りになるのは自らの身体能力だと痛感しながら、俺は裾野北側から南側を一望できる急先鋒の峰に到達した。

「こいつは凄い光景だ こんな山岳地帯に飛行船どころか陸上戦艦まで運んで来たのか 解体して部品単位で運ぶにしろ専用の重軌鉄道が必要だろうに」

俺は鋭く尖った岩々の間から山の更に北側を一望している。火山活動により隆起した溶岩台地の一角を露天掘り形式でくり貫いた穴壁面に、見たこともない形式の要塞らしき大きな壁状の何かが建設されている。どうやら北のカルデラ地域から続く軌道線も在り、かつての侵略戦争時代に遡った様な錯覚を感じてしまう。

(この風景を撮影して帰るだけで目的の大部分が果せる。とりあえず石窟遺跡の場所から確認しよう。)

俺は再び岩陰に入り、荒れた荒野とは正反対の自然豊かな南側の裾野へと目を凝らす。

赤い装丁の図面本によると、目当てのスコール石窟追跡は最後に樹の上に上った時に発見した崖沿いの施設で間違いない。あそこに潜入する為にわざわざ険しい岩肌の斜面を登ったのだ。足を踏み外して滑落する事はおろか、小石や岩などの落石を発生させてもならない。

胸下の革帯に本を固定し、俺は剣が連なるが如く並んだ岩場を跳び進む。足場となる岩の上部は庭園用の岩よりも小さく、目測を誤まると真っ逆さまに崖の隙間に落ちてしまう。

(まだ夜が開けたばかりで要塞に十分な光が差し込んでいなかった。こんな場所で閃光を発する訳にもいかんから、余裕があれば正午過ぎにもう一度登って撮影するか。)

俺は背嚢を少し揺らしながら三角跳びで岩肌を蹴り、小さく横に突き出した岩石の先端に着地した。

岩の下方百数十メートル先に鉄筋複合石材で構築された砲台用防御陣地らしき形状の建造物が在る。その下の兵舎らしき三階建て複合住居周辺に人影が無い事を確認してから、俺は頑丈そうな防御陣地の丸屋根目掛け自由落下を開始する。

(呻れ俺の筋肉っ。)

何龍の血統かは解らないが、筋肉が鉛の様に重くなり空中で身動きが取り辛くなった。その代わり筋肉の衝撃吸収能力が格段に増し、隆起した筋肉が関節を固定し関節自体を潰れないよう保護する。

数えれば十秒にも満たない僅かな時間だったが、俺は蟻の如く両手足を灰色複合石材の荒い表面に音も無く着地した。衝撃で三半規管が大きく動き、体が大地へと引っ張られる感覚が俺を襲う。

(何度やってもこれだけは慣れそうにない。体力と獣因子の消耗が著しいから他の能力との併用が効かないのも難点だ。)

終えは落下時間の数倍時間を掛けて少しずつ体勢を変え、両足だけで立ち背を前のめりに曲げた状態になってから行動を開始した。

上から防御陣地に見えた大掛かりな複合石材の覆い屋根は、目当ての石窟へと降りられる昇降軌道用に掘られた縦穴の天井部だった。砲台陣地に偽装した心算なのか幅四メートルで高さ一メートル半の銃眼から水平に突き出た大砲には砲身だけしか無い。水平に天井から吊るされながら、隣の昇降用巻き上げ機から延びた鋼線を吊るした滑車が取り付けられている。

俺は昇降装置を調べ電源が入って無い事を確認し、榴弾砲らしき長口径の砲身から吊り下げられた四つの滑車から垂れ下がる鋼線の一本に跳び移った。

(血染めの肌が摩擦で焼ける事は無い筈だ。このまま最深部まで降りて石窟の調査を始めよう。)

俺は手元から火花を散らしながら鋼線の一本を伝って深く暗い穴の底へ降りて行く。視界を熱視に切り替えると掘ったむき出しの岩盤層が目の前に表れ、照明か空調設備用の配線類が一つに束ねられ壁に固定されているのが判る。

(予想以上に深い縦穴だ。ヤマダ爺はこの石窟遺跡に旧時代の終焉に起った大異変から逃れた者達の地下退避壕が在ると言っていたが、いったいどんな場所だろう。)

足元に続く光景は、冷えた空間とやや熱を含んだ地層とで綺麗に別れている。さらに命綱代わりの鋼線は金属製なので熱伝導率が高く空気と同化して見える。もし数十メートル下で鋼線が途切れていてもこの様子では見分けがつかない。

無意識の内に鋼線を強く握れば手元から激しい火花が発生する。減速しては止まり、下や周囲の壁を確認してまた下りる。その単調な工程を何度か繰り返していると、ようやく視界に底らしき影が見えた。

俺は終着点の昇降台を吊るした滑車から、泥層らしき砂岩に覆われた地下道に跳び降りる。足元の感触は冷たく滑らかで、まるで鍾乳石の上に立っている様な感覚だ。

「さてさて 久しぶりの地底探索を始めるとするか」

俺は背嚢から使い古した照明具を取り出し、燃料棒だけの空の緑容器に反応液を入れた。すると周囲を緑色の光が照らし出し、視界を通常に戻すと白い壁に開けられた大穴の天井と地下へ続く坑道が姿を現す。

(どうやら掘った穴を人工石材の様な粘土で固めたのだろう。火山地形が多いこの辺りは地震も少なからず発生している。こんな簡単な補強だと直に崩れてしまう筈だが。)

そう考え周囲を見回しながらもう一度縦穴内を見上げた時、俺は縦穴の側壁を侵蝕した白い根の様な模様を発見した。模様は人工的に施された塗装の類ではなく、地層ごと変質させて白い補強材と同化している。俺は以前にも似たような光景を働きながら見て来たので、この地下坑道自体が世界樹の地下茎と似たような存在だと気付いた。

「軍がやったのか元からこうなのかは判らんが 俺は複雑で面倒な場所に降りて来たらしい 構造を把握するのに時間がかかりそうだ」

そう愚痴を零しながらもすぐさま図面本を取り出し、目次が記されている目録の項を開く。何せ照明具用の反応液の量は長時間の地下探索用に必用な量に達してない。あと四時間もすれば暗い地下坑道を彷徨う破目になるのは必至、俺はそう考え今の内に必用な情報を覚えてしまう事にした。


陸上戦艦。大陸間長距離輸送網を行き交う陸上船に武装を施した装軌式移動車両。年間五千トンの積荷を運ぶ陸上船の導力機関を二つ搭載する形式が一般的で、前時代末期に戦場に登場してから現在も陸上戦力の要として運用されている。

陸上船そのものが海に浮かぶ本物の戦艦と違う形状なので浮力もなく深い川や湖は渡れない。専用の橋は構想だけ練られたが、現在でも重量一万トン近い移動物体を渡せる橋は存在しない。基本的に管轄区域から移動する際は平地を移動するか台船に載せられ海を移動する。現在世界中で五十二基が稼動していて、建造された数は二百を越えている。


白い石窟内は無秩序に坑道が掘られていて、俺が蟻だったら同じ様な構造に迷って同じ場所を回り続けてしまうだろう。尻から出した分泌液で正確な道を選ぼうものなら、おそらく巣穴から出られずに死んでしまう事もありうる。

そんな場所を一時間ほどかけて進んでいると、何の前触れも無く空間が広がり均一に整えられた石壁らしき構造物が在る空洞に出た。

(これが例の地下寺院か。何とも場違いな場所に有る海中神殿の様な造りだな。)

俺が想像したのは漁場用に作られた非居住用の石造建造物の事で、石柱や岩を等間隔に並べたり積み重ねたりしただけの人口漁礁の事だ。

(内部は崩れているが奥の通路と繋がってる。昔は此処に人が住んでいたのだから驚きだ。)

遺跡の石材に白い壁の侵蝕跡は見当たらず、数ある秘境に残る謎の材質が用いられた人工石材が使用されているようだ。俺は何十人もの石工を雇ってようやく完成しそうな三角屋根を見上げながら遺跡内を歩き、崩れた石材ブロックや柱を少し調べて奥の一本道に進む。

ヤマダ爺はこの奥を調査する前に国の遺跡管理官に呼ばれて屋敷に戻り、屋敷に戻ったところでスコール石窟遺跡の所有権が国の管轄に移った事を通知されたらしい。帰る道中に落とした手元に本以外の関連書籍を没収され、他の遺跡の調査書も同じ理由で押収された。押収されえたのは何れも歴史的経緯に関わりが有る資料ばかりなので、ヤマダ爺が国を疑うのも当然だ。

一本道は天井が高くとも道幅が一人分しかない狭い道だった。壁や天井から足元の床に至るまで砂岩らしき岩を削って彫刻を並べた通路だったらしく、砕けた台座や獣の部位を象った破片の数から大半が持ち運ばれた後だと推察できた。

一本道を抜けると、今度は広い空洞へ続く直線状の上り階段が現れる。空洞内は広いのか緑色の光が反射しておらず、歩き続けると闇に閉ざされた階段の先が少しずつ輪郭を形作る。

(まるで神殿だな。確かに獣神けものがみを祭った祠の様な場所に違いない。これほどの規模なら帝国領内に在る旧巨獣帝国首都の地下旧世界都市の様な縮小版地下都市が建造出来そうだ。かの地では今だ神暦を継承している地域も存在する。原始獣から逃れる為に築かれた場所同士、共通点の一つや二つ有っても不思議ではない。)

階段を上がりながら大きく口を開いた大空洞内の構造を確かめる為、俺は視野を熱視へと切り替えた。その途端。闇に包まれていたはずの空洞内が白く映し出され、箱状に切り開かれた大空洞内の対岸に古城の様な大きな建造物が姿を現した。

視界にそれらが映ったのとほぼ同時に、俺の体に以前にも体験した得体の知れない感覚が駆け巡った。俺はすぐさま照明具の灯りを消して階段の最上段の近くに這い蹲る。

(この感覚。廃棄船であの化け物と対峙した時に感じた痛みと似ている。あの時の様な強い衝撃は感じないが、何かがあの古城に居る事は確かだ。)

血染めを纏ってから既に百二十日三期分の時が経過した。体全体で僅かな振動すら感知できるように成ってから、電波の類に悩まされる副作用な日々も経験している。俺はあの代理人の主が何物であるか見極める為にも神の園から離れた。この好機を前に逃げ出すなど愚者の極みに違いない。

俺は体を駆け巡った得たいの知れない異常が治まってから立ち上がり、視界を熱視に切り替えてから階段を上って左右に伸びている壁沿いの道を見回す。大空洞の壁にも石造りの神殿らしき建造物が築かれている。見る限り壁の下側を残し大きく岩盤を削った場所に建てられているが、遠目でも神殿内の道ごと崩壊した場所は無いようだ。

俺は右方向の道を選び、倒れた石柱を跨ぎながら石畳の通路を走る。走っていると道の先が気になるが、通路の下に広がっている大空洞の底面が気になり目移りを繰り返す。

(溶岩流が冷えて固まった地形のようだ。火山の地底には溶岩溜まりが存在するそうだが、これな人為的に掘られた場所に溶岩が流れ込んだら大惨事に見舞われる。)

階段と古城らしき建造物が在る短辺が百メートル前後だとしたら、その横の長辺は百五十メートル以上はありそうな長辺に遺跡の道が真っ直ぐ伸びている。仮に長辺部に在る遺跡を側道遺跡とでも名付けたとしよう。この側道遺跡には対岸と同様に二階建てと三階建ての足場が連なっている造りになっていて、壁には俺が通ってきた階段付きの狭い通路が等間隔で掘られていた。

俺はそれらの横道を全て無視し、見たこともない形式の城らしき建造物を目指し白く染まった通路を走った。やがて目的地の短辺に降りれる階段が視界に入り、俺は奥へ続く通路を無視してその階段を駆け下りる。

(またこの感覚だ。今度はかなり弱いが、確かに神経を逆撫でる様な感覚が続いてる。)

統一暦四五十年くらいにウラル帝国に併合された亜人の国である巨獣帝国。かの国には古い神を祀った大小の神殿が在る事で長らく宗教国家の様な政治体制が続いた国だった。その風習や文化に培われた独特な建造物は一様に石の硝子細工と評されているが、目の前の古城はそんな芸術性など度外視して窓や柱を規格化して並べただけの単純な構造物にも見える。

「西側の新しい高層建築街地下に作られた駅舎の様な場所だ おそらくここにも何かが在って建物ごと重要視されていたに違いない」

階段から続く崖沿いの道を進み、正面入り口へ至る階段を上がって本物の駅舎や会議場の様な入り口をくぐってみたはいいが、予想に反する何も無い吹き抜け構造の屋内に本音が漏れてしまった。

俺は期待値を大きく引き下げながら割れた石材が目立つ床を調べていると、突如床が揺れ始め崩壊が始まった。

(下が空洞だ。このままだと巻き込まれる。)

予期せぬ危機に見舞われるのは何時もの事なので、考えるより先に体が動いた。そのまま崩壊してゆく床を飛び越え正面入り口近くに着地すると、両足を伸ばした状態で体を床に倒し滑りながら建物から脱出する。

俺が階段を下り終えた時に、崩壊が加速度的に進んで基礎ごと建物が陥没して出来た穴に落ちてしまった。

「もしかしたら俺は超常的な危険察知能力を開花させてしまったのかもしれん もしそうなら違和感の正体も簡単に納得できるのにな」

穴にしては綺麗なくらい建物部分だけが抜け落ちたので不思議に思った俺は階段が在った場所から穴の下を覗いてみる。

(どうやらこの下にも地下空洞が有る。溶岩洞窟かここと同じ時代に掘られた地下空間だろうか? それにしてもやけに生暖かい空気が吹き上がってる。ヤマダ爺の話だとこの辺りに活火山は無いはずだが。)

熱視に映る地下空間は、大部分が水蒸気の煙の様な靄もやで霞かすんで見える。瓦礫と化した古城らしき建築物の残骸が僅かに見える程度で、俺は照明具に光を灯して視覚を通常視界に切り替えた。

すると、緑色の光に照らされ黒い岩肌と白い堆積層が重なる地層が現れる。空洞内は溶岩洞窟ではなく人為的にほられた地下空間で間違いなかった。

(下の区画と繋がっただけか、それとも隠されていた空間が露出すたか。どちらにせよ降りて調査しなければ始まらん。)

俺は崩れた岩盤層の奥へ空洞が続いているのを確認し、崩れた瓦礫伝いに高所から底部へと跳び降りた。崩れ易い瓦礫で幾度も姿勢が揺らぐが、一切止まらずに崩壊部を飛び跳ね残骸で埋まった場所から抜け出す。

生暖かい空気には若干、硫黄の様な腐敗臭が含まれている。龍の血統で体の免疫系や腐食に対する耐性も底上げされているので害にはならないが、念の為に何時もの手拭で鼻と口を覆う。

(ヤマダ爺の話に熱気を含む風が流れる様な場所は無かった。おそらくあの秘密基地を建造した際に地中に何か細工をしたのだろう。石窟遺跡を保護する意思なんて初めから無かったか。)

俺は真っ直ぐに延びた広い地下空洞内を進み、十分ほど歩いて別の空洞内に出た。空洞の広さは尋常じゃない程に広いらしく、足元の荒れた地面以外は闇に閉ざされたままだ。

(おそらく地下都市を建設する為に掘ったのだろう。完成する前に有毒ガスが出て放棄したのかもしれない。)

そう考えた矢先、体が突発的な頭痛と体の痺れに襲われた。血染めにより火山性ガスや有害及び汚染物質にすら耐性が有る体が発熱し、何故か体温調節機能が誤作動を起して体中の汗腺を開かせる。

(この感じ、そうだ。俺が始めて血染めを纏った時の抵抗作用と同じだ。あの化け物は獣因子を外部から操る術を持っていたが、俺の獣因子が何等かの影響で異常なほどに活性化してる。照明具の光で何かが反応したようだ。)

間違いなくこの大空洞内に何かが有る。そう直感した俺は荒い呼吸を繰り返しながら片膝を地面に突かせ、手に持つ照明具の光を消して腰帯に装着しなおす。そして瞼を閉じ息を落ち着かせながら体から少しずつ力を抜いていく。完全に脱力すると倒れてしまうので姿勢を維持するだけの力を残し、熱視に切り替えてからゆっくりと瞼を開いた。

灰色に統一された視界に濃淡ある色で着色された巨大な建造物が浮かび上がる。建造物は大地の底からせり出した円柱状の建物で、本体から伸びた五つの柱が高い位置に見える天井部の岩盤を支えている。

(何だこの人工物は。まるで彫刻家や石工が作った芸術作品をそのまま再現した様な造りだな。)

俺はその場から立ち上がって視線を天井部へと上げる。五つの柱は四角柱で、天井を支えていると言うより突き刺している様にも見える。遠方から見上げていても判るほど大きく、太い柱は直立状態で天井部の岩盤と円柱建造物上部を繋げている。

少しずつ頭を下げながら目玉を動かし、俺は建造物の構造と周囲の岩場に渡された複数の橋らしき道を順に目視する。地下で円柱状の構造物と言えば、隠れ里ホウキの地下で目撃した巨大水耕農場施設の地下構造物が思い出せる。あれは旧時代に造られた古代文明の遺産だったが、今目撃している巨大建造物は加工した石材で組まれた古い時代の塔にしか見えない。

(円柱状の塔を建設する際は、一般的に中心部を円環状に一階ずつ組み上げながら外周の構造物を建設する。おそらくあの柱がその中心だろうから、まだ建設途中だったようだ。)

大空洞は横の広さより高さが大きい大地の窪みの様な場所だ。海の底に在ると言われている海底海峡の様な側面が狭まった形状と言える。だから俺は周囲を見回して現在位置を把握し、崖沿いを歩いて最寄の橋が在る下方の断崖へ降りることにした。

(ここまで巨大な物を作るのだから資材を運び入れる橋も大きい。アーチ橋だけでなく吊り橋や渡し橋も在ったようだが、経年劣化で全部崩れている。)

俺はかつてここで働いていた者達が通ったであろう崖沿いの道を歩き、切り出された岩場に残っている橋脚だけの岩柱を跳び跳ね渡った。道は途中から崩壊層や岩場に掘られた多くの坑道と合流していて、単に材料と成る石を切り出す為に作られた道ではないようだ。

(かの巨獣帝国がそうだった様に、始祖族が住まう北方山脈にも単一部族で構成された複数の国が在った。それらの国は全ての暗黒期前期の二千六百年以上前に滅んでいる。おそらくこの遺跡はその時代の終焉が来る前に放棄さたのだろう。完成していたら歴史が変わっていたのかもしれんな。)

俺は当時奴隷として働かされていた人間や亜人達が暮らしていたであろう複数の住居穴を見ながら道を進む。坂道には崩落により崩れた場所やその崩壊部を修復した場所が残っていて、千は下らない数の人骨が崖から突き出た突起部等に残っている。

(俺の記憶が正しいのなら、今の帝国領から進出して来た開拓民族を捕まえて奴隷として飼っていた筈だ。あの当時は旧時代に世界を汚染した汚染物質の影響が平野部でも健著だった時代だ。その秘境に住めない生物は弱小種族として亜人や獣人に飼い殺しにされるだけの存在だった。)

今ではすっかり立場が逆転し、文明の発展から取り残され辺境の住民扱いされている始末。例えこの体が偽りの亜人だったとしても、何かを違えれば物言わぬ屍に成る。俺はそう考えながら鍾乳洞らしき大きな横穴へ延びた坂道を下り、橋桁である断崖の根元に辿り着いた。

断崖から円柱建造物へ渡された橋は、渓谷に建設された鉄道橋や水道橋のほぼ同じ構造だ。断崖の縁から崖下を見ると、黒く映った冷たい岩盤層に城塞都市の城壁の様な橋脚が築かれている。熱視でも辛うじて輪郭が見える程なので断言はできないが、おそらく大きな砦を構築出来そうな量の石材が使われた可能性がある。

(長さは百二三十メートルで高さはその倍。この鍾乳洞自体も崩れてさえなければ奥へと進めれたのだから、もしかしたら別の大空間と繋がっていたのかもしれん。)

俺は断崖の縁を歩き、狭く見える下界を俯瞰しながら橋を渡って行く。橋の路面は平たく加工された石が隙間無く並んでいて、緻密に計算された技法の高さが推し測れる。

(道の最大幅は十メートルと少し、歩道と軌道に別れているな。完全に剥がされた後だが、枕木と軌条きじょう用の溝が残っている。おそらくこの橋を利用して大量の建築資材を作業現場へと運んでいたのだろう。)

俺は水平で平たい橋の道を進み、そのまま円柱建造物の環状構造体に入った。内部は建造物を支えている構造体が露出していて概観より完成度が低い。円環構造体を五つの柱に固定している橋桁の様な基礎と、中心の縦穴を形成している謎の支柱群が黒く浮き出て見える。

足場に使われている石材が同一種の岩石らしく、熱視で視認できる風景が酷く曖昧で見辛い。俺は平たい石の床を真っ直ぐ歩き、石柱で天井と床を支えている梁の様な構造区画を進む。

(かの巨獣帝国の首都である地下都市の地下旧世界もウラル鉄で出来た巨大な柱で支えられている。全部で十二の御柱は現在も伝説の巨大獣の名を冠した神の名で呼ばれていると、そう白爺が言っていたな。)

巨大な円柱建造物も内部は単純な造りだ。歩きながら横に広がった視界には百メートルに届きそうな幅の太い柱が見える。この主柱の側面には棚の様な構造体を支える基礎が設けられていて、円環構造体は階層ごとに独立して構築されたと推測できる。

俺は百メートル以上に長く続いた屋内を直進し、円形建造部の中心を囲む橋の梁の様な構造体の端で立ち止まった。

縦穴は円柱建造物の基礎深くから屋上までの吹き抜け構造で、深さは今居る円柱建造物より深い。その縁から上を見上げると、天井の穴から岩盤層らしき小さな模様が見える。内側から見ると主柱の存在が大きく見え、俺はそれを辿って穴の底に視線を移す。

(高さは天井までより底までの距離の方が大きい。この縦穴内に何かを造る心算だったのか?)

熱視で見える深さには限りが有り、穴の底は大きな影が基礎部分の大半を隠している。この場所からでは縦穴の全容を確認できそうにも無いと判断して視線を水平に戻した時、俺は大きな影の存在に疑問を感じてもう一度地の底を俯瞰する。

(違う。あれは構造物の陰じゃない。一枚岩にしては削られた跡が見えない。あの大きな影はもしや。)

俺は腰帯から照明具を取り外し、大胆にも強い緑の照明光で縦穴内を照らし出した。右手で照明光が直接目に入らぬよう遮りながら熱視で再び底を見下ろすと、先程よりも鮮明に浮かび上がった地の底に巨大な生物らしき実像が見えた。

「翼で体の大半を包んでいる 翼を有す巨大獣でもあれ程の大きさの獣が存在する筈ない」

驚きながらも目を凝らして地の底に有る死骸を観察し始めた矢先、俺の獣因子が三度目の変調を起こし始める。次第に早まる心音が徐々に大きく高鳴り、咄嗟に自らの胸に右手を当て押さえる。

(違う。この音は俺の心臓の鼓動音ではないっ。)

空気を振動させて聞こえて来る心臓の鼓動音は、普段から俺が聴いている自身の心音とは全く違っていた。音は明らかに地の底から響いていて、原因は一つしか思い浮かばない。

俺は視野を拡大させて音の発信源だろう巨大獣を観察する。屍だと思っていたが既に体を包んでいた大きな翼は開いていて、長い前足と後ろ足を折った状態で地の底に這い蹲っている最中だ。

「デウスーラの死骸と骨格が似ているな タケミカヅチの様な巨大翼獣の一種らしい 地の底の巨大生物を見下ろすのはこれで二度目か」

緑の照明光が地の底へ僅かに届いているので、通常視覚でも巨大獣の輪郭くらいは見えるだろう。しかし俺は照明の光を消して視界を暗闇に戻した。

(神の園で出会った龍達よりは獣含め一般生物と似ているが、まるで聖獣伝説にも登場する合成獣の様な容姿だ。蟲の類では無いが甲殻類に似た外皮を有す翼獣なんて何処を探しても居る筈無い。)

活動を再開した獣が発する熱だけで十分に様子を観察できる。巨大獣の体から照明光とは明らかに違う熱量の赤外線が発せられていて、最早生物が耐えれる体温を越えている。

(目玉が六つに骨か甲殻か曖昧な背中。長い手足は四脚生物と同じ関節配置だが、羽ばたく前の準備動作にしては動きが少なすぎる。)

俺は大陸蛾より明らかに大きな羽根を真上に広げている奇妙な巨大獣を観察しながら、記憶している様々な巨大獣の化石やその想像図から近しい種を割り出し始めた。肝心の巨大翼獣は記録上では存在するが化石が現存してない種ばかりなので、すり合わせて解る事などたかがしれている。

上昇し続ける発熱により体表に赤い血脈が現れた。体を少しずつ動かしていたら、突如羽根が大きく羽ばたき空洞内に轟音が轟く。

(何て風圧だ。あの翼だけで起せる風じゃない。まさに異形の獣そのものだ。)

この瞬間。俺は燻っていた多くの思考を捨て去り、眼下に居る生物が枯死獣の生き残りだと断定した。まさかこんなに早く会えるとは想像すらしてなかったので、どう対処しようか迷ってしまう。

その間に離陸準備を終えた翼獣型の枯死獣は羽ばたきつつ地面を蹴って飛び上がる。そして間違いなく俺を目指して上昇し、あっという間に距離を半分まで縮めて来た。

肉食性の翼獣に多い鼻先や嘴方向へ尖っている頭部が下から迫って来る。どう言う原理か知らないが垂直上昇可能な翼獣なぞ滅多にお目にかかれない相手だ。だから俺も想像以上に大きな頭との距離感を掴むと少し下がってから駆け出して、助走の勢いのまま梁の先端から飛び出した。

更に俺は腰帯からアカリとユカリを引き抜き、逆手で握ると頭の先に伸ばした。体と湾曲した刃が風を切り少しだけ落下軌道を変更できるが、そんな事をせずとも相手は俺を簡単に丸呑みに出来る枯死獣だ。

(枯死獣を地上に出す訳にはいかない。此処でこの身を呈して気道を塞いでやる。)

俺は体を発熱させて装具が焼ける瀬戸際まで体温を上げる。獣因子を強制的に活性化するこの方法は、本来なら激しい運動を行う為に用いる血統なのだが、風呂やお湯を沸かす以外にも使い道があったんだな。

牙獣特有の鋭利で尖った歯に二振りの刃をぶつけ串刺しにされるのを防いぐ。そのまま顎に挟まれる前に足先を巨大な喉奥へ向け、自由落下状態で喉の奥に入り込んだ。

俺は曲刀で喉奥を切り裂いた。手応えは硬く粘土を切断した様な感触だが、噴出した血液を体中に浴びて有効打だと認識する。

(まだまだ、こんな量では殺せない。もっと多くの傷を刻まないと駄目だ。)

人間に例えるなら喉頭内の気管と食道に別れた部分に魚の骨が刺さっている様な状態だ。違和感と痛みで俺が抵抗していると判断した枯死獣は首を振って俺を気絶させようとした。

しかし俺は肉壁に突き刺した二本の曲刀から手を放さない。体が上下左右に揺れるが、踏ん張りを利かせ喉奥で体を固定していた足を踏み外しても結果は変わらない。

揺れるだけでは済まず、体を風にたなびく草木の様に激しく揺さ振られる。俺の握力が強まり刺していた刃が二振りとも抜けていく。俺は喉で暴れて痛覚で思考を阻害する行為を断念し、目的の気道と思われる大きい方の穴へ自身の体を投げ出した。

「暴れ暴れろ もっと苦しめ 何ならここで糞してやろうか」

おそらく円形建造物から出てから激しく体を揺さ振って飛んでいるのだろう。体にかかる重力の方向が定まる気配が無く、ついに三半規管が根を上げて上下感覚すら無くなった。

俺は物凄い勢いで体ごと吹き飛ばそうとする巨大獣の呼吸に負けじと、渾身の力で咽頭部に掴まり足の爪を反対側に食い込ませ呼吸を阻害させる。完全に息を止めるには至らないが、嫌がらせには申し分ないので疲れて動かなくなるまでここから意地でも動かない。

そうして巨大な枯死獣との持久戦を続けていると、今までで一番強く桁違いの衝撃が何処からか伝わってきた。俺の体は詰まり物が吐き出される様に逆流し、体内に刃を突き立てる事すら出来ず咥内から吐き出されてしまう。

(此処は何処だ。俺は落ちているのか?)

周囲の視界が霞んで見える。どうやら身体強化を継続した弊害で熱視能力が減退しているようだ。このままだと地の底に激突してしまうので、俺は対衝撃用に体中の筋肉を膨張させて体を丸めた。

膝に何かが接触した瞬間、頭部を保護している両腕に強い衝撃が伝わる。何かと接触した衝撃は体中を走り、筋肉の繊維が何本か断絶した様な痛みを俺に伝えてきた。

それでも丸めた姿勢を解かない。どうやら何処かの狭い場所を転がっている様だが、特注の背嚢が無事なら俺も無事なので怪我の心配はしなくて済みそうだ。

俺は何処かの地面に倒れたまま周囲を見渡した。熱視能力が回復し始めていて、最後に見た光景よりもはっきりと構造物の天井らしき背景が見えている。そのまま上半身を起こし装備の点検を行う。予想どうり頑丈が取り得のツルマキに傷や綻びは無く、逆刃の曲刀も無事だった。

(此処はヤマダ爺が調査できずに引き返した場所だ。どうやら俺はあの空洞内からここまで転がる程の勢いで吐き出されたようだ。)

三半規管の感覚機能がまだ十分に回復してないが、俺は枯死獣のけたたましい咆哮を聴きながら立ち上がる。

(あの古城が在った空洞内に出たのか。たしか冷えて固まった溶岩流で底が覆われていたはず。壁か天井を砕いてこの空洞内に出たのだろう。)

痛みを継続して感じながらも、相変わらず道幅だけが狭い通路を走って階段も跳び越え駆け上がる。再び天井が高い箱状の空洞内に出ると、俺は遺跡通路が在る高台から様変わりした空洞内を視界に収めた。

(固まっていた溶岩が溶け出して流れてる。もしやあそこから出てきたのか!?)

赤く変色した空洞内の底に、部分的に溶融した溶岩流が開いたばかりの大穴へと流れている。何の仕掛けが発動したのかは解らないが、天井に張り付き腹の炎で天井部を溶融させている翼獣が関係しているのは一目瞭然だった。

俺は背中からツルマキを取り出し弩弓を展開する。龍の血統の力で杭の貫通力を強化できるよう改造されたクロスボウは収納形態からは想像出来ないほどに大きい。

大きく膨らんだ二つの膨らみ内には特殊な磁気誘導作用が有る液体磁石を入れた油圧緩衝機構が内臓されている。これには引いた鋼線を定位置に固定し杭を装填し易くするのと同時に、俺の生体電流で油圧を調整し引っ張り応力の調整が可能だ。

ツルマキを展開した後、今度は背嚢の大部分を占める矢筒から俺の片腕とほぼ同じ長さの杭を取り出す。手持ちの矢種には、この杭も含め大型獣の殺傷を目的とした炸薬が詰まっている。たとえ杭を弾く頑丈な鎧を纏った獣が相手だろうと、爆発した成型炸薬による熱と衝撃で体の内側に無視できない傷を負う事になる。

俺は短槍の様な杭を数本腰の後ろに差込、火に炙られ赤く染まりつつある天井を見上げながら冷え固まった溶岩流が堆積した底へと降り立つ。

(俺を無視して地上に出る心算か。千年以上の間寝ていたのだから俺一人で腹が満たすのは無理だろうな。)

俺は距離感を掴む為に、七八十メートルの高を有す天井部に両前と後ろ足の鉤爪を突き立てしがみ付いている的にツルマキを向ける。まだ有効距離まで近付いてないので杭が当たるかは判らないが、こちらに注意を引きつけない限り有効打を与えれない。

引き金を引くのと同時に射出された杭が地下空間を飛翔し、曲がる事無く目標の首上辺りに命中する。中空状の筒内部に詰められた炸薬が鋼鉄を溶かし破断の刃を内部に侵入させたらしく、煙が広がると共に天井から甲殻の一部らしき物体が落ちて来た。

まだ安心するには早すぎる。俺は悲鳴の様な咆哮を聴きながら冷え固まった大地を走り、大穴が開いてから時間経過で冷え固まろうとしている融解部分に近付く。

(さぁ降りて来い。千年間の間に進化した文明の力を教えてやる。)

そう意気込み腰から別の種類の杭を引き抜いた矢先、天井の煙の中から火炎放射と殆ど同じ炎の大蛇が俺目掛けて襲って来た。俺はその場を蹴って後方へと飛び退いたが、未だに衝撃で消耗した力が戻ってない所為で体の表面が間接的に炎に炙られてしまう。

(炎を吐く獣か。デウスーラ以外だと聖獣伝説に登場する空の王や天空神と崇められた獣神が火を吐くと伝えられている。口ではなく腹から出すのなら吐・く・とは言わないな。)

かの伝説に登場する獣神が実在する可能性は殆ど無い。なにせかの存在は災厄の星屑が生んだ喰らう物のと戦いで命を落としている。聖獣伝説を綴った数多の叙事詩でも獣神の死亡が記述されていて、最後は喰らう物に食べられてしまう末路を迎えている。

俺は煙を上げている返り血を無視し、妨害された爆砕杭ばくさいやの装填を終わらせた。そして再びツルマキを煙の中へ向けようとしたその時、二度目の火炎放射と共に黒煙の中から巨大枯死獣が姿を現す。

(傷が修復されている。俺を上回る再生能力持ちなら、枯死獣も変異した獣因子を有しているに違いない。何より喰らう物だと証明する絶対の証になる。)

俺は火炎放射を放出する厄介な腹の突起部を狙って、火炎放射を跳んで回避している最中にツルマキから爆砕杭を射出した。

オルガの話では爆砕杭の威力を増大させ、対装甲用の突撃槍に近しい破壊力を実現した杭も開発したようだ。勿論そんな物を所持していれば手荷物検査に引っ掛かるので不要だと拒絶したが、おそらく拠点の倉庫内に完成品が保管されているに違いない。

先端が丸みを帯びた杭が命中し、天井を這って移動していた巨体が落ちて来る。俺は穴の傍に落ちた巨大枯死獣の下へ走り、足の裏が耐熱限界を超えそうになりながらツルマキの有効殺傷距離まで近付いた。

(俺も傷を治すのに対価を支払っているのだ。当然傷を癒すために多くの獣因子と細胞を食わねば成らん。昔なら身を削っていれば戦いに勝利できたのだろう。俺も昔はそう考えていたからな。)

俺は三本目の杭を装填し、足の裏が火傷を負う前に巨体の頭部へと真横から杭を放った。三度目の爆炎と煙が着弾地点から周囲に広がり、俺は自身を煙に巻いて赤熱面から離脱する。

「装甲兵器を破壊する威力だ 即死しなくともしばらくは動けんぞ」

冷えた元溶岩流の岩盤が心地いい。有機物なら燃えてしまう様な高温に晒されても無事なのだから、本物の化け物が欲した龍の血統は侮れない。

俺はそうな事も考えながら晴れつつある煙を注視し、一撃で絶命される弱点を探そうと視覚を熱視に切り替えた。

熱視で注意深く観察すると、殆ど白色化した巨体に数箇所だけ黒い模様や亀裂の様な痣が現れている。温度が急激に下がっていてその場所だけ脆くなっているのは明白で、体組織の劣化が始まっているかもしれない。

(全部を破壊するには杭が足りない。分厚い曲刀でも砕けない場所が残ってしまう。慎重に選ばないとかえって危険だ。)

俺は再び走り出し、反時計回りで移動して枯死獣の右半身の横を正面に捉える位置で止まった。右脇腹が背に生えた大きな翼膜が邪魔で狙えないが、首元右側で蠢く血管付近の痣を破壊すれば外皮を纏めて吹き飛ばせるはずだ。

腰帯に刺していた最後の杭を引き抜き、二つ目の爆砕杭をツルマキに装填する。場所が完全に冷えてない大穴近くなので体が焼けるように熱いが、不用意に相手に近付いて致命傷をくらうよりは安い痛みと言える。

俺の思惑を察知したのか、倒れていた枯死獣は翼を垂らしながら起き上がる。腹の突起部分がまだ修復できてないのでその場から逃げようとするが、もう引き金を引いてしまった後だった。

大型牙獣と同程度の細い首に杭が刺さり、信管が内部で起爆して胴と頭部を切断した。悲鳴をあげる暇など無く大きな爆音が木霊する中、転がる頭部と切り離された巨体が大地に倒れる。

俺は致命傷を与えたと判断し、足の厚さに構わず熱せられた岩肌を走った。目的地は吹き飛んだばかりの大きな頭部で、傷が修復する過程を間近で見物したと考えたからだ。

(六つ目の構造も気になるが、今は奴の血を採取する絶好の機会。もし伝承どうりなら枯死獣は死ぬと石化して崩れてしまう。余裕があれば血も舐めてみたい。)

頭部だけで四十トンはありそうだ。大きさは小型陸上船と殆ど同じで、触れなくても空気から伝わって来る体温の高さを感じれる。そして頭部の目は鼻先へ動移動する俺を捉えて離さない。顎を少しだけ動かして俺に噛み付こうとしたのか、舌を動かしたのを最後に動かなくなった。

「死んだか 折角目覚めたばかりなのに何もできず終わる 世界樹の味を思い出す事もできずに」

俺は曲刃で顎の傷口を裂き、流れ出る血液を採取用の空瓶に入れつつ手に付着した血を舐める。

「何だこの味は 獣の血にしては薄すぎる まるで人間や畜産生物の血だな」

長らく休眠状態にあった影響で、細胞や血中に含まれる獣因子が減少してしまったのかもしれない。おれはそう考えながら帰り支度の事を考え始めた。


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