五章前半
五章「因縁の血」
今の俺の名はジール、三期ほど前まで貴族連合内の大秘境「神の園」で探索者をしていた亜人だ。今は足元に広がっているサバンナの上空を北上しながら、広大な砂砂漠である大砂界との境界付近へ運ばれている。
今の俺が偽名を使っているのは、俺を造った聖柩塔や代理人達から姿を隠す為。そして空中輸送便の大陸蛾に運ばれている理由は、一日前に支援者からある施設の調査を依頼されたからだ。
支援組織はアイアフラウ商会フラカーン支部。俺をこの地へと誘ったオルガ・アイアフラウの妹夫妻が経営している大商会の地方支部。その地方支部の共同事業相手であるベルマール商会が今回の依頼の正式な依頼主。俺がこれから向かうベルマールシャボテンなる変異した巨大多肉植物を管理する事業組織でもある。
ただし今回の依頼は俺達の本来の目的とは関係ない仕事だ。はっきり言えば俺がこの地の風習や環境含めた人付き合いに慣れる為の社会勉強を兼ねた労働作業。十日間隷属契約の元ひたすら肉体作業をこなす日々が既に始まっている。
フラカーンの空輸便発着場を発ってまだ二十分程度だ。しかし煌く太陽が照らしている大地を見渡せば既に地上が死と隣り合わせの世界だと理解できる。日中の地上は灼熱と乾燥した空気に覆われている。生物から強制的に水分を奪い、死体や枯れた植物はすぐさま風化してしまう。大部族団の砂陽地方の名に偽りはない。
その地上から数百メートル上空を鳥より速く飛べる大陸蛾。その胴に吊り提げられた巨大な籠の様な荷台に乗っている訳だが、軽量化の為に乾いた空気から身を守る風防の類は無く、俺を含めて総勢二十数名が複数の木箱や樽と共に縛られ物として運ばれている訳だ。当然両足を置いている木枠から一歩前に進めばそのまま滑落する。雇い主には異国出身者だろうが人足程度に専用の客車を宛がう心構えはないらしい。
まぁこうして砂とサバンナの大地上空を運ばれても文句は言えまい。何せ俺は神の園から逃げ出したはぐれ者。聖柩塔どころかホウキの者達への恩すら忘れ、あの怪物から逃げる事だけを優先した敗者。
氷に閉ざされた遺跡船で遭遇した代理人達の主。イクサユメと名乗った女か男か判らない人型の何か。あれは俺に神の園や裏で進めていた計画の真相を語った。放棄された古代都市は生物兵器を製造する都市に偽装した巨大工廠で、あの箱舟に搭載する兵器を管理していた場所にすぎなかった。そして龍の血統を求めたのは神を賦活させる為ではなく、七種の龍血統を集めて何かに使用する為に俺の体が必要なだけだった。
もし外部から一個人の意思で参加していたオルガが居なければ、俺はあの地から脱出する事も出来ず解剖されていたかもしれん。もしかしたら拘束されても身の危険は無かったかもしれんが、所詮憶測の域を出ない考えだ。例え向こうが全力を挙げて俺を追わなかったとしても、脱出した先で再び狩人生活に戻れる可能性は低い。常に砂塵除けの外套で全身を包んでいようが、何時までもこの異風な体を隠し徹せるのは不可能だ。
下を見つめて考え事に耽っていると、眼下を流れる砂の大地に点在する多肉植物の群生地がまた一つ過ぎ去った。フラカーンから既に七十キロは離れただろうから、そろそろ世界樹の領域から外れる頃だ。
俺はそう考え、頭に被せた外套と一体化しているフードで顔を覆った。一度気流が変われば砂嵐が発生すると言われているこの地方の砂嵐を甘く考えてはならない。例え眼下の乾燥地獄に適応可能な体であろうと、単独でできる事など限られているからだ。
また一つ植物の群生地が通り過ぎたが、今度は少しずつ高度が下がり始める。どうやらようやく目的地との中間地点を越えたらしい。俺は巨大な羽虫である大陸蛾の加速に備え、外套ごと体を丸め衝撃に備える。
大部族団。貴族連合の東隣に在る多民族国家。人口はおよそ五百五十万人と大陸一少ないが、面積は同大陸で二番目に大きい。東大陸中央に位置し、古くから東西の民族がこの地を求め進出した歴史深い国。そして俺の身請け保障人であるオルガの因縁の地であり、これから仕方なく巻き込まれるだろう新たな戦いが始まる戦場だ。
翼幅が百メートル近い巨大な輸送便が降り立ったのは、地図上では大砂界の境界に面しているシャボテンの真上。円形の住居施設に囲まれた広い敷地内のど真ん中だ。俺はそのど真ん中で大きな日陰を形成した大陸蛾を見上げながら命綱を外している。命綱は物資固定用のロープと同じ物で、固定金具だけが人間用なのが特徴的だ。
この発着場は一面砂利で覆われていて、灰色と黒の斑模様が特徴的な翼が舞い上げる砂塵が殆ど舞い上がってない。おかげで広い敷地内の向こう側まで見渡せ、建物や世界樹の配置が下から見ても判り易い。
命綱を外し簡易的な座席から降りた俺は同じく運ばれて来た者に混じり、担当者らしき大声を上げている案内人下へと集合する。
「私はカルミオ この収穫場の人事を担当している 此処はもう敷地内だから新人は私の指示を聞け」
カルミオと名乗った日に焼けた浅黒肌の男。俺よりひとまわり歳が上らしく、小柄で痩せた体が合わさり老けて見える。龍の血を受け継ぎ強化された俺の赤い獣目と耳でも、彼の活発で年齢にそぐわない声に活気が満ちている事くらいは簡単に解った。
俺は周囲の新規労働者と同様、カルミオの案内に従い建物の一部へと案内される。一室ではなく一部なのに葉理由が有る。
中央発着場の周囲を取り囲む建築物はどれも土煉瓦と土粘土で固められた雑居住居だ。全てが一つに繋がっている訳でなく、長屋と貸した雑居住居群が四つに解れ環状に配置されてる。
俺は列の中央を歩き比較的大きな両開き扉の敷居を跨いだ。内部は広い室内で建物の配列に重なるよう左右両側の奥へと通路が続いている。そして室内には様々な作業道具が置かれた板張りの高台が多数設けてあり、中でも労働者が靴を脱いでくつろぐ為に設置された板張りの待機所まで完備されていた。
もっとも俺にその場所は無縁だ。なにせ血染めの上に外套以外の衣服を着用してないので、当然足の裏は砂で汚れている。とりあえず俺は通路を挟んで待機所の反対側に設置されている長椅子に腰を降ろし、不用意に人間達と触れないよう心がける。
「揃ったな 今からこのベルマールシャボテンでの従事内容を説明する そして説明が終わり次第質問を受け付ける」
ベルマール商会所有のベルマールシャボテンについては後で説明するとして、シャボテンとは多肉植物の変異種である植物の最小単位を意味する専門用語、つまり世界樹の別命だ。この大部族団地理的に二つの地方で構成されており、シャボテンとはその片方の砂陽地方に数多く生息する固有種の植物だと言えば理解できるだろう。
特にこの地方ではシャボテンも含めた全ての植物は何等かの富を実らせる。砂陰地方では生活用水に使う地下水をくみ上げるだけの存在だが、砂陽地方だと様々な鉱物や食料等を生成する重要な財産と認知されているわけだ。
カルミオはそんな常識的な事は述べず、此処での作業詳細と人足業界特有の慢性的な人手不足事情を仄めかし、我々新規に労務だけでなく自主的な建物や生活労務を任せる旨を伝えた。
詳しく説明するとシャボテン地下の各種作業だけでなく、食事の世話や物資の運び出し等の雑用もこなさなければならない。正規の担当者達も常に何等かの作業に追われているので、身の回りの世話は全て自身で処理しなければ成らないそうだ。
カルミオの説明が終わると直に労働者の中から複数の手が挙がった。彼らが聞こうとする質問はだいたい報酬や契約不履行時の管理担当の名前、そして各々が持ち込んだ貴重品の預かり場所などだ。どれも人手が不足している労働現場特有の実情が反映されていて、皆作業の遅延が報酬の減額に繋がる事を恐れている。
俺はカルミオへの質問の嵐が止んだのを見計らい最後の一人として挙手する。当然カルミオの視界内でただ一人長椅子に座っている人影は俺だけだ。
「食糧を自前で狩ろうと道具を持ってきたんだが この辺りは狩猟が禁止されている場所なのか」
俺の問いに対しカルミオは慣れた口調で禁猟対象外だと教えてくれる。何でもこの周囲は山や砂界の境界までの全てが商会の土地らしく、定期的に害獣の駆除を害獣監視隊や流れの傭兵に頼むほど世界中を狙う生物が後を絶たないそうだ。そして無秩序な狩猟は国の法で禁じられているので、カルミオは肉食系の上位種が野放しのだと言い放つ。
「だから甲虫と小動物や草食獣さえ狩らなければ問題無い それに施設の警備は万全だから巣を荒らしても大丈夫だぞ」
事前にある程度調べておいた甲斐があった。おれは待っていたその言葉に対し、短く感謝の言葉を返した。
かくして説明を終えた一団が住居群の一部から再び日の下へ出て来た。各々がスコップやらバケツなどを所持して列を成し、そのまま案内人が指で指す方向へと歩き続ける。
砂利が敷き詰められた平たい発着場では、今しがた運ばれて来た物資の箱や樽等の選別作業が始まっている。作業中の労働者は皆男ばかりで大半が人間の労働者だ。特に砂陽地方生まれが多く俺の様な獣人とも人間でも無い中途半端な種族は見当たらない。
その作業風景を見ながら地下へ降りる為の階段へ真っ直ぐ歩いていると、敷地内で無数に在る井戸らしき突起物の一つに近付いた。
その突起物は井戸で間違いないらしいが、滑車を吊るす木枠には縄で繋がれたバケツだけでなく井戸内部へ降りれそうな梯子が有る。所謂縄梯子の類で木枠に固定されず井戸の下へ垂れているが、縄梯子が僅かに揺れているので誰かが昇り降りしているらしい。
それを確めだけに不用意に列から離れる訳にはいかん。今の俺は依頼を完遂する為にも目立ったり怪しまれると困るからだ。
俺はそのまま地面の下の地下鉄駅と繋がっていそうな昇降口に入り、一気に薄暗くなった石階段を下りて行く。この地下道は紛れも無く坑道で、補強材の鉄骨や飛散防止の金網が張り巡らされてるだけの簡素な造りだ。本来なら排水用や通気用の機材と接続された配管類が天井か壁と足場の境に有る筈なのだが、天井から吊り下げられた蛍光灯とそれを繋ぐ電気配線の類しかない。
石階段を三十段程度進むと、別の地下道と交差する様に繋がった合流地点に出た。更に地下へと続く階段は坑道なのに、階段途中を地面同様水平に横断している地下道内に地層が露出した箇所は見当たらなかった。
俺は集団の最後尾に居るので、僅かだが立ち止まるだけの余裕があった。その地下道に最後に降り立った時に少しの間立ち止まり、内部をくり抜いた大木を埋設した様な地下道を観察する。
(これが大きな根の中心だけをくり抜いた探索道か。確かに案内無しでは迷うのも頷ける。)
地下茎種世界樹の変異体であるベルマールシャボテン。多肉植物でも内部に水瓶の様な膨らみで大量の水を蓄える種の変異体で、本体は今も地下で迷路の様に地下茎を伸ばしている大規模な地下茎植物だ。
俺はその大規模な地下茎を無視して斜め一直線に地層を貫く石階段を下り、そのまま何事も無く列の最後尾に戻った。地下へ張り巡らされた電気配線の数が増えたくらいの変化しかないが、先ほど感じた地下道内の空気とは違う冷たい空気の層が俺を出迎えてくれた。
ベルマールシャボテン 全長二百五十メートル級の水筒樹の変異種。地下深くまで達する大きな規模の地下茎を有するシャボテン。およそ二百五十年前に「ベルマール・ワイズバーン」なる探索者が収穫用に植えた食用水筒樹が変異した世界樹らしい。フラカーンから徒歩だと五日、荷馬車だと三日かかる北部に位置している。
地下茎主体だが地表付近の根から周囲の灯台樹の下へ出られる横穴が掘られていて、各所に掘られた井戸と同様の退避用通路が雑居施設とも繋がっている誰かが言っていた。
主な産物は重水に分類される地下茎水とか言われている水と固有の光石。そしてベルマールシャボテンとは別の種赤い灯台樹たる赤骸の苗が収入源。話を聞く限り主な鉱物資源は取り付くした後らしく、俺は不要になった坑道を塞ぐ為に雇われたと言っても過言では無いだろう。
どうやら俺が担当する土砂運搬用の通路の近くには生きているシャボテン地下茎が在るらしい。壁の微細な穴から噴き出る蒸気で視界が悪く、地上とは違う蒸し暑さに包まれている。
それよりも深刻なのはこの埋め戻し区画が崩壊層に在ることだ。おそらくシャボテンから離れた根等に有る魔石や鉱石を探して何本もの坑道を外側へと掘ったのだろう。掘り易く崩れやすい場所を試掘場所に選ぶのは合理的だが、埋め戻し作業員の安全は初めから度外視していたに違いない。
俺は別の坑道から運んできた二つの土嚢を降ろし、袋詰めされた採掘土砂を埋め戻し区画へと捨てる作業を繰り返している。
賃金が歩合制なので手抜きは出来ない。そもそも組織から様々な援助を受けていた時と違い、今は自分の食い扶持は自分で稼がないといけない。しかしこの作業を十日繰りかえしても報酬は部族銀貨七枚程度、幾ら物価が安くとも一般人なら休暇中の数日で使い果たしてしまうだろう。
驚くことに世界樹ではこうした労働も探索業に含まれていて、大して儲けにならないこれ等の仕事には都市民階級の大部族に所属していない部外者が多い。つまり世間一般で「流浪の民」である流民に属する亜人の俺に似合った仕事な訳だ。
「この調子なら何とかノルマが達成出来る 他の者も手伝って報酬を上げてやらんと割に合わん」
再び空の麻袋を両手に握り崩れた岩盤が目立つ崩壊層を走る。そして自身に課せられたノルマを達成するので忙しい中、この地へ来た理由を思い出すことにした。
この仕事を紹介したオルガは今頃例の調査に集中している頃だ。表立って行動を共にすると要らぬ噂が発生するものだ。だから別行動を厳守しようと取り決めたのだが、結局狩しか出来ない俺に文明の生業は向いてなかった。今の俺はこの状況に文句を言える立場ではない。狩人として砂漠で生きる術なぞ知らぬ身の上なので、これからも否応無く人々との馴れ合いごっこが待ち受けているだろう。
外套を翻しながら石階段を駆け上がり、時には人目を気にして重そうな足取りで大きな土嚢を運ぶ。シャボテン周辺は乾燥に強い潅木や雑草が茂るサバンナだが、やはりあの大砂界が近いので何度か風に運ばれて来た大量の砂を浴びてしまった。
それから一時間ほど時間が経過した。ちょうど二十キロ程度の軽い土嚢を二つ担いで地下通路内を歩いていると、背後から顔以外を外套で隠したままの俺に声をかける奴が近づいて来た。
「良い体だな 若いのにいったい何処で鍛えてきたんだ 良かったら俺にも教えて欲しいぜ」
俺と同じく二つの背嚢を肩に担いで地下通路を歩いて来た男。俺の名はガルーダだ、と名乗り俺と同じく短期契約で十日間働く為に街から来たと言った。
「この辺りの出身ではないようだな 砂陰地方の出身か」
俺のこの問いにガルーダは肯定する。当人曰く砂陰地方から来た出稼ぎの労働者で、嵐で壊滅した西海岸に在る故郷の港町が再建されるまでの半年間、この砂陽地方で人足として食い扶持を稼いでいるらしい。
「邪魔して悪いな 俺は異国の若者を見ると声をかけないと気が済まないんだ アンタは何の理由でこんな所に来たんだ」
ガルーダは砂陽地域で独自に発展した装束の春巻きで頭を包み、フラカーンで大衆が身に着けていた貫頭衣を着た長身の男だ。背は俺より頭一つ高く、何より浅黒くない日に焼けた麦色の肌が笑顔と異彩を放っている。
俺はそんなガルーダと目を合わせようとはしない。俺の赤い獣目はあの少女ほどではないが人目につき易い。今露出させている頭だけでなく顔まで詳細に覚えられると、後で面倒な事が増えるからだ。
「俺も故郷で職を失ってこの地に来た こんな身なりだから人目につきやすくて困ってる それだけだ」
おれは忙しいから用が有るなら後にしろと言い。走ってその場から離れ、荷を運ぶ場所と繋がっている最寄の階段を下りて行く。はっきりと明言できれば楽なのだが、自らをガルーダだと名乗る存在があの組織の代理人である可能性を否定できない。今の所組織から追跡を受けている手掛かりやそれらしい体験はしていないが、これからも続く逃亡生活の為にも不用意な接触は避けなければならない。
それから俺は二時間ほど土砂の運搬作業に励み、正午の一時間休憩を迎え他の作業員と共に地上に出た。
他の労働者達は皆汗を掻いて、薄い白地の衣服が汗ばんでいる。この乾いた空気に当てられ直に乾いてしまうにもかかわらず、慣れているのか炎天下の下で談笑を始める者も居た。
しかし俺は最低限の食事と放尿を済ませると、そのまま作業施設を離れ外周に植えられた灯台樹の赤骸の間を通り敷地外へ出た。乾燥した潅木と低草の薮の中へと分け入り、とりあえず遠くの山脈を左側に見据えながら北へ進む。
今回の依頼を達成するのに最大の障害となる食糧問題を解決する為、見知らぬ土地で現地の獣を狩らねばならぬ。なにせこの体の好みは獣因子に富む血肉。オルガから世界樹やその周辺で育った農作物と家畜の肉だけで十日間の労働を耐えろと言われても、俺にとっては冗談だけにしてほしい無理難題ごとに変わりない。
砂陽地方。名前のとうり砂と太陽と限られた生物のみが住む土地。この国の東部と北部一帯を占め、大部分は砂砂漠の砂界と起伏に飛んだ山脈に覆われている。
この地方の住民は様々な種族により構成されていて、俗に砂の民とも呼ばれている。同時に多種多様な多肉植物とその延長線上に位置する世界樹により構築された独自の文明と経済圏が築かれている。
余所者を除いた人口は推定で八から九万人程度と少ないく、大半が三つの元都市国家で暮らしている。
この砂漠地方は生物の生存に多肉植物の総称である世界樹が欠かせない。岩と砂から大量に採掘した珪素の塊である天然珪石を世界樹の肥料とすることで、世界的にも異質な植物の巨大化が始まったとされている。
見渡す限り乾燥に強い潅木類が小石砂漠を多い尽くしていて、俺が大陸蛾から見上げた景色の全貌を地上から確認する事はできない。
少し話が逸れたが何が言いたいかと言うと、今俺は薮の中から丘の様に主意から孤立した岩場を観察している所だ。
(居る。間違いなく何かがあそこに居る。)
今では素肌となった血染めを白い外套で隠しているだけなので、下手に日光で加熱された灰色の砂を踏めば足の裏が熱くて堪らなくなる。それでも俺にはあの祭司長から受け継いだ熱耐性のおかげで火傷をせずに済んでいる。
(今更身体機能を確める必要は無い。今日で砂陽地方に入ってから三日、体も環境に適応する頃だ。)
俺は先ほどまでの軽快な足取りとは違う静かな足捌きで、枯れ枝や枯葉が散乱する小石と砂の上を歩き出した。進路方向に在る岩石砂漠特有の岩だけが残された岩場に近付き、肌や鼻で感じる生物の気配を目指す。
小動物や甲虫等を除外して、この辺りに住む獣はたった二種しか居ない。一つは四足歩行強脚種牙獣科の「砂荒し」。古くから毛皮や牙などが工芸品や観賞品として取引されている体長三メートル程の猫に近い生物だ。幼少の頃に読んだ図鑑や資料によると、どちらも群で生活する中型の獣で群の主だけ大きく、その大きさに比例して群の規模も大きく成るそうだ。
砂荒しの特徴が俊足さと獰猛な牙や独特な赤い鬣だとすると、もう一種の砂斑は麻痺毒を含む牙を生やした鳥獣に近い牙獣と言える。正確には二足歩行種牙獣科の卵生類で、鬣を除いて黄土色と黄緑色の斑模様の皮膚に産毛以外の毛が無い鳥の様な胴体が特徴。砂荒しほど足は速くないが鋭い鉤爪を生やした手足と毒腺が在る犬歯が厄介で、広範囲を見渡せる大きな獣目の不意を討つのはほぼ無理だろう。
今の俺の装備は自前で問いだ手足の黒爪と狩猟ナイフ。解体用の短刀を投擲武器として使えなくもないが、たった十数センチの刀身で中型の獣を相手にするわけにはいかない。
俺は岩場から二十メートルほど離れた薮の中に身を潜め、久しぶりに外套を脱いで丸めて畳む。基本的に狩り以外で脱ぐのは水浴びや糞を済ませる時だけだった。わざわざ人目に溶け込む為だけに毎日髭を剃っているのだ、こんな所で所謂外出用の衣服を汚したくない。
僅かな所持品を体に装備するついでに、血染めを狩人装束風の衣装に偽装するのも兼ねた拘束帯。腰や胸から関節部を拘束する帯を少し緩めて外套を腰に差し込むと、再び薮の影に隠れながら歩みを再開する。
貴族連合で愛玩用や保護種として有名な黒鳥類の様に近い血染めの地肌。黒を貴重とした硬い外皮に光が反射し、緑や青の独特な色合いが浮き出る。これは俺がタケミカヅチの血を直に摂取した結果表れた最後の変異の結果だ。
俺は足音を発てずに慎重に岩場へと近付いた。岩肌は風化により丸く削られていて、珪素鉱物を大量に含んだ岩石だろう。その岩場の頂きらしき頂上部から生物特有の波動を感じれる。波動と言っても目で見えたり耳で聞こえるような何かの波長ではない。俺もはっきりと断言できないが、体内の獣因子同士が共鳴している様な感覚を感じるのだ。
俺は大半が地中に埋没する岩の一つに足をかけ、同時に息を止めて岩場を登り始めた。重要なのは止まらず早めず常に体をゆったりと動かし続ける事で、声はおろか足音一つ発ててはならない。
堆積した土が風に剥がされ丘の様に周囲から孤立した岩場。こうして蜥蜴の如く登っていると大よその規模が手に取るように判ってくる。
(この辺りは起伏に富んだ地形のおかげで砂界の侵蝕から逃れられた場所だ。四方が十数メートル程度の岩場だが、獣達の住処にはうってつけの場所に違いない。)
岩場の段差を伝って頂上付近の台地傍まで辿り着き、俺はゆっくりと両腕を頂上へと伸ばす。体がざわめく様な感覚が強まる一方で、これまでの体験則から獲物が近いと理解できた。
顔を岩場から覗かせなくても、耳には獣の息遣いがはっきりと聞こえる。どうやら就寝中の砂荒しが体を伸ばせば届く範囲で寝ているらしく、息遣いに含まれる鼾が俺を夢心地に誘っている。
(こいつの寝息だったのか。通りで響くわけだ。)
俺は小動物の如く岩場から頭だけ出し、台地状に削られた岩場の上を覗き見る。すると目の前に六本の白い髭を生やした赤毛の捕食生物の寝顔が在り、白と赤系の体毛で覆われ三角形に尖った耳が不規則に動いていた。
(でかい。体長四メートルくらいか。間違いなく群を率いてる個体だ。)
俺はゆっくりと岩場を上がり、前足を顔の前に伸ばして頭を乗せた大きな砂荒しの背に寄った。背中から更に周囲を見渡して、全部で十一体の砂荒しの姿を確認する。
(こいつらか。最近この辺りの生態系を荒らしている連中は。幾ら大部族の殆どに嫌われるくらい不味い肉しか獲れない体だとしても、上位の捕食生物からは常に狙われている。せいぜい俺と血染めの糧に成るがいい。)
俺は熟睡している犬と猫を足して割った様な頭を少し持ち上げ腕を回した。そして岩場からわざと足を踏み外すのと同時に、両手同士を掴んだ両腕を一息に締め上げる。
多くの獣を狩りその血を飲んだからか、それとも龍の因子とやらを獲得したからかは未だに判明してない。唯一つ理解できるのは血染めが新しい能力を獲得したのと同時に、俺の体にも新たな能力が加わった。その一つが今俺の腕やおそらく下半身の外皮も赤く変色している点だ。これは周囲から反射した固有波長を血染めの外皮が認識し、普段から青や緑色に変色している外皮内の色覚細胞が固有波長と同じ色に変色するのだ。
とにかく砂荒しは自身の首を絞めながら岩場の壁にぶら下がる俺を排除しようと、目覚めたばかりの体を動かし暴れる。しかし気道どころか血管まで締め上げているので体が急激に弛緩していき、その抵抗は寝相が悪い夢見の姿に重なって見えてしまう。
そのまま俺と大きな砂荒しは岩場から転がり落ち薮の中に消える。丁度目の前の草むらから砂鼠が飛び出し、大きめの体が直別の薮の中へ消えてしまった。
俺もしばらく薮の中で砂荒しの首を絞め続け、確実に獲物が息絶えるのを待つことにする。ここで群の連中に血の臭いを嗅がれると面倒が増える。何より俺の十日分の食料となるのに申し分ない大きさだ。必ずこのまま解体所に持ち込んでやるからな。
砂荒し。砂陽地方だけでなく砂陰地方の小砂界近辺の黒砂漠にも棲息する一般的な獣。基本的には肉食性だが腹を空かせると未成長の多肉植物を食べてしまうので、どうしても肉が硬くなり苦味と生臭さが増してしまう。その為人間含めた大部族(市民や国民)の多くには野生種は不味いと認知されていて、金に成らない獣相手に狩人も積極的に狩らないらしい。
もっとも俺にとっては多様性に富んだな獣因子を摂取できる貴重な肉に他ならない。大部分の皮や赤い鬣と長い尻尾は商会に売りつけ、暇な休憩時間を活用して牙や骨を削り首飾りに飾る装飾品を製作することにする。
二日目は土砂の運び出しと地下水のくみ上げ作業に追われて午前中を消化した。昼休憩中の一時間を利用して装飾品製作の道具を探す傍ら、施設の管理状況と労働実態調査を兼ねた聞き取りを実施。亜人特有の発達した聴覚と嗅覚で労働者達の健康状態と作業話を調べ、風紀の乱れが無い事を確認する。
元から依頼された極秘調査の内容に特筆すべき点はない。何故なら内容自体が簡素で、トイレの衛生状態と一日に消費される水量と汲み上げ量。飲み水の水質から、敷地内の除草具合と取り除いた草の保管状況。更には定期的な周辺監視状況と監視装置や通信機器の保全状態の確認くらいだからだ。
調査項目の中には地下坑道での雨漏りや亀裂の有無を確認も含まれているが、素人の俺では事故が起らない限り異常の見分けなど出来る筈ない。
昼休憩中に一通り調べた俺はその日の管理業務に問題が無い事を確認し再び作業に戻った。そして午前中とは別の区画で土砂の運び入れと、地下茎内に在る水筒樹の水瓶から水を坑道内の樽に移す作業に追われ、二日目を終えた。
俺は二日目で調査過程の半分を終わらせた訳だが、まだまだ厄介そうな調査と面倒な作業が残っている。そう考えなめす前のスナアラシの毛皮に包まり、翌日の作業に備え休眠した。
第三日目を向かえた俺達短期組みは、朝早くからベルマールシャボテン周辺の清掃活動の為に地上を歩いている。特に亜人の俺は鼻が利くので、施設の外周に植えられた灯台樹の赤骸近辺で赤い苗を探している。
「たった砂荒し一体を持ち込んだくらいであれ程騒ぐとは思いもしなかった どうも此処の連中は狩りに慣れてないらしい」
何でも短期組みだけでなく各種担当者含めた長期滞在組み総出で、雨季前の施設清掃と設備の総点検を実施するらしい。作業開始前に株主と呼ばれる現場総監督からそう説明され、朝早くに起された俺は雨季の到来が近いのかと昔に呼んだ本の中身を思い出していた。
(聞くところによると雨季にのみ姿を現す植物や獣が居るらしい。俺も昔本で読んだような。古すぎて思いだせんか。)
赤骸は高さ百メートル程度と比較的小さめの灯台樹だが、聞くにまだ植えられてから六十年ほどしか経過してないそうだ。品種改良された種で成長が早く特定の分泌物を出すので、今は周辺の植生維持よりも骸虫なる益虫の飼育場として維持されている誰かが言っていた。
俺は全部で十二株有る内の南側区画で赤骸から飛び散った種の残骸と発芽した苗を採取している。渡された袋は麻袋や樹脂袋でなく家畜の革を縫い合わせた大袋で、何でも今日中にこの袋を二つ分満杯にしなければ作業遅延と見なされてしまう。
灯台樹は背が高い種類の世界樹でシャボテン化せず成長すると百メートルを超える多肉植物だ。雨季に葉と花を成長させ土壌が十分に潤った雨季の終わり頃に種を方々に飛ばすらしい。その後は乾燥で葉と花が枯れ落ち茎だけが残るが、周囲を見渡す限りその残骸も他の植物の栄養と成っている。
俺は比較的新しい部類の草薮に右腕を伸ばし、発芽する事無く残っている黒い果実の様な丸い種を二つ回収した。これは去年の雨季後に回収されず見過ごされた種で、発芽しなかった事により見逃された残り物に他ならない。
「一体どれだけ大量の種を飛ばしたんだ 百や二百じゃ済まない数だろうな」
名も知らぬ印象の薄い現場総監督の男曰く、赤骸は砂界の拡大を防ぎ世界樹による植生拡大計画の為に改良された世界樹。統一暦初期から各地で植えられたが、成長するに従い周囲から大量の水や栄養を吸収するので大半が刈り取られたそうだ。
俺はそんな経緯が有ろうが関係無く十センチ程度伸びた特徴的赤色の植物を根ごと地面から剥ぎ取る。片膝を乾き硬くなった赤土に着け、枯れて変色した雑草を掻き分ける作業を繰り返す。
「俺も積もった砂の除去に灯台樹に登りたかった さぞ眺めの良い光景が見れただろうに」
血染めに包まれ変異した爪で雑草から小さな赤い芽を摘む。以前此処を誰かが通った際に踏まれ割れた殻の残骸も忘れる事無く袋に投げ込んだ。
こうして俺は午前中どころか午後の終了時間まで休む事無く赤骸の種や若い苗を探し続けた。作業中に他の赤骸周辺を何度か見る機会が有ったが、明らかに俺が担当している区画より人数が多かった。亜人が少ないこの地方で俺が獣人と混同視されている物言わぬ証拠で、おそらく収穫した苗の一部を食ってもいい代わりに、不足している人手の代わりまで俺を働かせようとしたのだろう。だから俺は腹いせに他所へ移植可能な苗だけ胃に納めてやった。
腹が膨れて睡魔に襲われた俺は作業終了時間を向かえノルマを完了させたと監督者に報告してから、スナアラシの毛皮を置いている炊事場隣の待機室で仮眠をとった。
それから時間にして二時間程度は寝ただろう。目覚めた俺はそう考えながら、赤い枕から頭を起こし枕の中に差し込んだ懐中時計を抜き取る。時計の針は施設外への外出禁止時間である午後八時の一時間半前を指していて、そろそろ夕食前の準備で隣の区画が五月蝿くなる頃だ。
今の俺は空腹とは無縁な状態なので調理の手伝いはしないと決め、そろそろ召集が始まるだろう見回り組みの専用の待機所へ向う。待機所は発着場を挟んで反対側なので、住居内から出た俺は作業が終り談笑している労働者達を縫うように発着場を縦断した。
警備室と兼ねている事務所が入った雑居住居に人影は少ない。何故なら事務所に居るのは夜勤組みだけで、大半が作業に出払っているからだ。
俺は薄暗い外灯に照らされた扉を開け内部に入る。人手不足の影響で夜警人員が少ないだろうと予測していたが、室内の長机を挟んで椅子に座っていたのはたった二人だけだった。
「集まったようだな 今日は三人も居るんか なら今日は深夜まで見回りを頼むぞ」
現場監督者用の青い作業服を着た男が背後から声を掛けてきたが、たったの二言喋っただけで何処かへと行ってしまった。白い壁に白い蛍光灯の光が室内を照らしている中、俺は無言で二人の夜警担当へと向き直る。
「シールと言う それなりに狩人として生計をたてながら生きてきた 以上だ」
このシャボテンだけではないだろう。世界樹を中心とする探索現場は一人が率先して多くの労務をこなさないとその日のノルマが終わらないほど常に人材が不足している。
寝不足そうな夜勤担当の作業員の一人が俺に照明具を持つように命じ、壁に掛けて有る狩猟銃を肩に担ぐとそのまま扉をくぐって外に出た。俺は同じく壁の棚に置いてある照明具から古いが綺麗な物を選び、内部に小型電源と発光体の結晶棒を確認する。
「黄色系か珍しい」
緑色の光を発する照明具が多いなか、俺は黄色い光を発する円筒形の古い照明具を片手に外へ出た。
今回俺と共に夜間警備を行う二人の男は既に施設の外へ向かっていて、一言すら喋る気配が無い。体格も服装も全く違うが、肌の浅黒さを見る限り砂陽地方の出身だろう。
俺はその二人を追い越し照明具を前に翳して先頭を歩く。警備と言っても赤骸の少し外側を時間内に何週も周るだけなので、これまでの肉体労働と比べれば遥かに楽な作業と言える。
俺は後ろから追従してくる二人の年長者の心音や足音を聞きながら、視界を熱視に切り替え視野を拡大させた。遠くまで広がる潅木や薮の林にはちらほらと小さな熱源が見えるが、手元の光が視界の半分を白く染め上げ周囲の視認を邪魔している。
(俺には静かな世界の方が性に合うな。こんな僻地を襲撃する者など居ないだろうから、今夜から六晩は見回りの手伝いだけに時間を割こう。)
熱視だと雲が無い夜空に輝く星々が全く見えず、全天が闇に閉ざされて見える。腕を下げ照明具を低い位置に変えると白い靄が全て消え去り、俺は周囲を見回しながら赤骸の間を通過した。
そのまま俺は左へと進路を変更しシャボテンの周りを歩き始める。厳密に言えば地下のシャボテン含む探索基地の外周を歩き始めた訳だが、発着場と違い殆ど整備されてない外周部は草や薮が生え放題で探索道などの類は無いらしい。
熱視は夜間において絶大な効果を発揮するのは照明済みだ。海中でも魚の様に呼吸ができたり手に握った生肉に火を通す事も可能で、使えば使うほど強化され体に馴染む龍の血に少し前までよく興奮したものだ。
本来この力は神の園の発展やホウキの住民達に役立つよう使うべきだ。幾ら長老があの化け物と結託していたとしても、ヴァンやガラ率いる守り手達では出来ぬ事が可能なのだから。
今でも神の園から逃げたのが正解だったのか、まだ答を出せていないのが歯がゆい。こんな不毛な労働をさっさと終わらせて、俺も例の調査に役立つ情報を探さねば。そう考えていると耳が背後を追随する二人のうち小柄な方が近寄って来る足音を拾った。まだ二メートル以上離れているが、接近対象が手に持つ狩猟銃の射程内に居る事に変わりはない。
「ジールと言ったな 今から少し話をしたいんだが 問題無いかな」
遊牧民が好んで着用する刺繍で世界樹が描かれた貫頭衣を着ている男性。自身をアリール・ヴァホメトと名乗り俺の左隣で勝手に自己紹介を始める。
「本当ならここにもう一人カイアスと言う若者が居るはずなんだが 見回りに飽きて夜間作業の方へ行ってしまってな 流石に一人だけだと警備にならんから商会従業員にも来てもらったんだ 私は害獣監視隊に居たから解ったが お前は狩人だけでなく異国で探索者もしていただろう 一体何しにこんな辺境に来たんだ」
この古傷と筋肉質な体が目立つ男は、一体どうして俺が元探索者だと解ったのだろうか? 単に口から出たデマカセだろうか。それとも俺の体臭でも嗅いで何かを感じ取ったのか。俺は頭までを外套で姿を隠しているので無暗に動く事が出来ない。とりあえず警戒されぬよう対処しなければ。
「確かに数期前まで探索家業と狩人生活をしていた 単に向こうでの職に飽きたから新しい環境を求めてこの国に来た訳だ 辺境にいるのは見識を深める為の一環に過ぎない」
嘘は言っていない。そう嘘は吐いてない。俺の言葉に納得したのかそれとも追及を変えようとしたのか定かではないが、アリールは俺の左隣で再び勝手に喋り始めた。
「実はな 身なりこそ遊牧民だがほんの二月前まで害獣監視隊に居たんだ ここから北東の北方山脈西側の大砂界近くで害獣の駆除と遺跡の監視をしていた」
アリール曰く、害獣監視隊の現場は世界樹探索業以上に人手が不足しているとのこと。元々危険で自由時間が少ない事から高い報酬に釣られた若者が直辞めて行く環境で、傭兵団と違い安定しているが後進が育ち難い職場事情を抱えているらしい。
要するにこの熟練の元監視隊員は俺を監視隊に誘おうとしている。人手を補う為に手っ取り早い方法が亜人等の余所者を起用する観点は誤りではない。下手に家族持ちや若さだけが取り得の若者を入れるより、後々の処理も含めてお手軽なのだろう。
「アリールさん 多分ジールは国の首領が変わった影響で追い出されただけの亜人だぞ 砂の民でもない輩が監視隊に入っても長続きする筈ねぇに決まってる」
どうやら俺は歩きながら左右から男に挟まれてしまったようだ。特に右隣を歩く俺より頭一つ高い男とは距離が近い。いつこの外套を剥がす手が伸びてきてもおかしくない状況だ。
「若いなアッサム 貴族連合の新しい指導者はわざわざ秘境や辺境地方の勢力と自分達の文明圏を統合しようとしている 普通なら文明の生活に溶け込む最大の機会だろうに わざわざ国を出るなぞ犯罪者でもやらんぞ」
よほど見回りが退屈なのか俺を中心に二人の議論は加速していく、そう当事者の俺を差し置いて話が監視隊時代の昔話に移り変わってゆく。
「忘れたのかアリール 盗掘者を追って砂界に入り遭難したお前を助けてやったのは俺だぞ あの時俺が命令を無視してなかったらお前は亡き者だった せっかく仕事も紹介してやったんだからもっと俺を敬え」
どうやらこの歳の離れた二入は別々の経緯で監視隊に入り同時期に辞めた元監視隊員のようだ。話を黙って聞く限り枯死海などでも傭兵団に混じり害獣の駆除や石英を多量に含む珪石の採取に長年関わってきた古株らしい。何かしらの事情で辺境の下働きをする羽目に成ったようだが、まぁ折角だからお前達の痛い話で俺への侮辱を帳消しにしてやろう。
「話は解ったから俺を挟んで言い争うのはやめろ そして仕事に集中して俺を楽させろ」
滅多に喋らない亜人の噂が聞こえ始めた今日この頃、俺の低い声に怖気づいたと思われる二人は言い争いをぴたりと止めた。俺はフードで隠した口元を少し吊り上げ、今度は抑揚を抑えた声である話を話す。
「俺は前時代初期に出版された聖獣伝説と言う題名の叙事詩を幼少の頃に呼んだ事がある あの分厚い御伽噺はこの地方に森の王国が在った頃を題材として書かれた作り話だが どんなホラ話にも元ネタとなる逸話や伝説が含まれているものだ 俺はその証拠を探そうと各地を回っている」
物語に登場する五つの聖獣はヴァン達に受け継がれた遺物とは全く関係ない存在だ。そしてオルガと一緒に追っている存在とも年代が離れた存在で、まともにその存在を信じられるのは神の園で伝説と対峙した俺くらいだろう。
「聖なる獣の話か そう言えば昔隊員仲間が言っていたな 大地の礎を流れる命脈を守る管理者と五つ柱を守る獣 そして選ばれた者のみが対話できる古き時代の遺物 あと何かが出てきたが思い出せんな」
俺はアリールの言葉の続きに、約束された楽園と災厄の星屑が抜けていると捕捉した。冒険物語に不可欠な目標とそれを阻む存在を忘れると主人公が道を見失ってしまうのだ。
「何千年も昔の事を聞くのなら相手を間違ったなジールよ そう言う話は山に住まう者達に聞くといい なんせあいつ等は基本的に山から出んのだからな まぁあの連中が集落に亜人を受け入れるかどうかは俺も判らん」
アッサムの言い分は正しい。確かに古き言葉を話す部族が居ると聞く北方山脈なら、例の存在を探す手掛かりが在る筈だ。だからオルガもオルガルヒとか言う意味不明な名を名乗り情報収集に励んでいる訳だが、俺が今知りたいのはその話ではない。
「天空樹を荒らす枯死獣が駆逐されてからもう千年以上が経った あの時代を記した書物は古都にしか残っておらんぞ それか砂界を渡り失われた伝説の都を探すか まぁ何処かに手掛かりくらいは残っていそうだがな」
アリールとアッサムは納得したのか俺から離れ外周を先へ進んで行く。まだ半周も歩いてないが俺の与太話に興味を無くしたようで、今度は自分達の昔話を語り始めた。
俺も熱視を切り目を休めながら瞬きを繰り返す。そして満天の星空を見上げ正座の位置を確認しながら暇を潰す事にした。なにせ星々が瞬く空には流れ星が煌く時もあり、独りで考え事に耽るのに最適だからだ。
害獣監視隊。統一暦発足と同時に結成された国軍の予備役組織。都市自警団や砂界監視団等を統合した砂陽連合団が前身で、前時代から害獣駆除以外にも国境監視や緑化活動に貢献した数多くの実績が有る。
人員は総軍で六万に達するが正規隊員は二万名ほど。大半は後方支援要員で動員されなければ本業の生産職や行政の仕事に従事している。なので現場は基本的に探索者や狩人と傭兵等で構成されている。
現在の活動内容は害獣と盗掘者の駆除及び捕獲。都市間の物流に大型飛行船が導入されてから輸送警備体制が縮小し、現在は遺跡や国境近辺で監視活動に尽力しているそうだ。
四日目と五日目は珪石を砕いて地中から採掘した粘土と混ぜ合わせる作業ばかりをしていた。世界樹の肥料はは共通して石英の主成分である珪素と地中の粘土や砂に含まれる炭素が使用されている。種類によっては他の肥料も追加したり混合比率が違うが、このベルマールシャボテンでは一対一の割合で混ぜ合わせた肥料を地上や地下で露出している根に供給するのだ。
そして六日目の午前中にようやく大量の珪石を砕き終えた俺は、下半身を白く染め上げた珪石の粉末を洗い簡素な食事を摂りながら午後の作業の準備を済ませた。
階段を他の労働者達も下りている。目指す場所は当然、地下の魔石採掘場だろう。このシャボテンから採れる魔石は天空樹の排泄物である混合石だ。大多数の魔石の特徴である様々な物質が混ざらずに凝縮された物で、主に地下茎の側根や内部の吹き溜まりに溜まり易い。
俺は階段ばかりを下り続け、混雑している枯れた水瓶の地下茎空洞内から離れた場所の吹き溜まりに到着した。両手に持つツルハシを振りかぶるにはある程度の広さが必要だが、作業員の多くが運搬用人員なので採掘作業に邪魔だった。
既に地下茎内の採掘場では硬い鉱物を採掘する打撃音が響き渡っていた。このシャボテンが精製する排泄物の主成分は鉄と炭素なので硬く、天井や壁伝いの根から冷えた溶岩の様に固まっている大小の瘤を除去するのだ。
他の破砕要員の中にはツルハシ以外にノミとハンマーを所持している物も居る。小さいくとも硬い瘤を一々叩いて粉砕するのは面倒なので、ああして根を傷付けず取り除くのに熟練の工夫が雇われている。
俺は坑道の壁から一部が露出した黒く大きな塊を砕く。つるはしで軽く小突くだけで表面が砕けていくが、これは単に組成が脆い炭素中心の瘤だからだ。世界中は生物なので排泄物は定期的に除去しなければならない。この作業の為に地上から他の作業を監視する正規従業員が降りて来ているので、当然手抜きは許されない。
脆い瘤を砕くと、いよいよ見るからに硬そうな二メートル級の瘤を叩き始める。壁の片側は世界樹の根で根から流れた排泄物が壁際で積み重なり新たな壁を形成している。剥がそう思えば力ずくでも取り除けるが、万が一世界樹の根を傷付けたら報酬が減ってしまう。
「今日は朝から石ばかり砕いてるな まぁ危険地帯で作業しないだけマシか」
俺の腕力を以てすればツルハシも不完全な魔石も軽々と砕ける。既にハンマーの柄を二回も外しているので、今更力加減を誤る事はない。
そうこうしている内に緑色の成長途中だと判る根の一部が露出した。このまま破砕作業を続け根を覆う排泄物を砕いたら、細かい作業を工夫に任せればいい。
俺はもと来た道を少し戻り、やはり同じ根の壁に在る茸の笠の様な黒い結晶を打ち壊す。
二時間後に破砕作業が終り、俺も魔石の排出作業を手伝う。今まで土砂や砂利入りの土嚢を運搬してきたが、一度も重い物を担いでいるとは思わなかった。しかし出来損ないの鋼鉄である魔石の塊は重く、井戸に吊るされた昇降機具まで運ぶには背負い籠が必要だった。
何より重い炭素の塊を五個も籠に入れられると足の動きが鈍る。明らかに関節に負荷が掛かっているのは明白で、我慢せずゆっくりと歩く事にした。
結局俺はその日の終業時間まで重い魔石の排出作業に励んだが、過酷な労働により動けなくなった物が続出し、不機嫌そうに慌ただしく指示を出す現場監督の下で翌日も排出作業に従事する。
結論から言えば、排出作業は七日目の午前中に何とか終わらせる事が出来た。この作業で現場から離脱した者の分まで報酬に加算されるらしいが、これから休憩時間を使い調査を再開する俺にはどうでもいい話だ。
今の俺は環状雑居住居内に四箇所配置された吸水塔へ入れる水を入れた樽を背負って、井戸や物資集積場近くの日陰で昼間から貪る様に寝ている者達の傍を歩いている。背中の小樽内の水は飲み水ではなく、施設内や発着場から定期的に汲み上げた井戸水だ。施設内の便所は全て古い水洗式で、衛生面を保つ為にも毎日大量の水を消費している。
俺はその公衆衛生へ流れる水を溜めている合成樹脂製の大きな水瓶を見上げる。どれも施設外の建物隣に設置された鉄塔上に設置されていて、地上から六メートの高さに在る大きな容器口へ梯子を昇らなければならないからだ。
(本当にこの国の探索業は簡単な力仕事ばかりだな。確かに体を鍛えるには良い環境だが、本当にこんな産業がいつまでも続くのだろうか?)
俺は全金属製の錆が少ない頑丈な梯子を昇りながら、この作業を本来担う筈だった労働者の面を思い浮かべる。どの面も浅黒い肌と黒や枯葉色の髭ばかりで、今頃日差しを避けて近くの休憩所で寝ている頃だろう。
そのおかげで俺は何ら怪しまれること無く白い合成樹脂製の蓋を開け、背中から降ろした小樽の中身を大きな水瓶内に移せる。
(やはり内部を掃除する余裕は無いか。黒カビが大量に繁殖している。)
文明圏では一般的な各種雑菌の集合体である黒カビ。それが容器内の底で大繁殖していて、水量が半分足らずの水瓶内からカビ臭い臭いが漂って来た。俺はすぐ蓋を閉め呼吸を早めながら鼻腔内に菌が付着しないよう、強烈な鼻息を吐き出す。
(問題箇所が一つ見つかった。明日から光石の採取作業が始まる。今日中に他の吸水塔の確認を済ませなければ。)
梯子から飛び降りた俺は駆け足で近くの井戸へ行き、再び水を汲んで別の吸水塔へ向かった。
休憩時間を活用し水道周りも調査した結果、他の三つの吸水塔にも黒カビが一定量繁殖しているのが確認できた。この乾燥した大地で菌が入ったとは思えないので、おそらく井戸の水が汚れていたか何者かが吸水塔に何処かの水を入れたに違いない。
俺は休憩終了の金の音を聞き、小樽を元の場所に戻しハンマーを受け取りに行った。契約期間内に遅延無く一工程の作業を終わらせる為、率先してあの硬くて重い魔石を砕かねば成らない。
魔石。希少金属を含んだ岩石や地中に流出し結晶化した世界樹由来の成分を含む石だけでなく、複数の分子化合物の総称でもある。特に陸珊瑚海岸から産出する珊瑚石は個別の選別が不可能なほど同一結晶化が進んだ魔石で、今も調べないと何か解らない石や結晶に対しこの名が用いられる事もあるそうだ。
基本的に様々な分野に活用可能な魔石も有れば、何の役にもたたない汚染物質の塊まで様々な品種が存在する。なので大抵換金の際は重量換算ではなく質が重視されおり、工業用素材なのに宝石の類と同じ値段が付く場合もあるらしい。
契約八日目、場所は地下茎採取場内。
昨日に世界樹の成長と本日の魔石採取に邪魔な排泄物の除去が終わり。これからようやく探索仕事の大本命である魔石の採掘が始まる。そんな状況を前に誰もが興奮を隠そうともせず、配置待ちの状況で準備運動をしたり掘り出す結晶の位置を確認しながら談笑している労働者諸兄。皆手に持つ器具を打ち鳴らし時間の経過を楽しんでいる。
そして俺も自分に宛がわれた枯れ枝ならぬ枯れた側根が横たわる坑道内で待機しながら、ノミの頭をハンマーで叩き開始の合図たる採掘監督の声が放送装置から放たれるのを待っている。
「アーアー 装置の応答確認を行う 総員静粛にしろ」
坑道内の要所に設置された近くの拡声器から野太い声が響き渡った。本物の声の主は喉が太いのでもっと耳障りなほど大きな声だが、この時ばかりは控えめな声で作業員に円滑な確認を命令していた。
「確認が終わったのでこれより収穫を始めるがこれだけは言わせて欲しい この時の為に誰もが汗水流した結晶が目の前に有る 忘れてはならない 我々は諸兄の貢献により一日早くこの収穫作業に取り掛かれる事を胸に刻め くれぐれもこの貴重な時間を無駄にするな それでは各自を採掘開始せよ」
歓声が坑道内に響き獣耳が自動的に音を遮った。それでも俺は五月蝿いと思わず、遠吠えのような歓声を上げて祝福する。なにせこの瞬間を迎えれずこの地から離れてしまった者も居るくらいだ。だから今までの努力を無駄にしないよう、大きな光石が照明の白い光で白く輝いている枯れた根に近付く。
俺が労働の対価に得た収穫権は、大きな枯れた根の一部で長さ五メートルに渡り結晶化した結晶露出部だ。この部位には光石だけでなくその上位の魔石たる濃縮琥珀や輝石が存在する可能性が高く、労働者一人だけに配分されるのは珍しい。光石はともかく上位の魔石は高額で取引されるので、持ち帰り枠を活用して高値が付きそうな魔石を持ち帰るのも悪くない選択しだ。
(結晶がかなり隆起している。まるで高級家畜肉の脂身みたいな網目配列だ。素人の俺でも人目で内側に大きな魔石が有ると解る。毎日休まず労務に励んだ甲斐があったな。)
俺は高純度の珪素を含む珪石や珪素が結晶した水晶の様に透明度が高い部位以外を中心に削り出しを始めた。同じ根の先端方向側の隣で同じ様な膨らみをノミとハンマーで削る工夫の手捌きを真似て、楽器を打ち鳴らす様に優しくノミを叩き続ける。
(力が強すぎる俺には不向きだと思ったが、これはこれでなかなか面白い。叩いている時は常に集中を保たなければならないが、高い探索具を修理していると思う事にしよう。)
幸いな事に作業に費やせる時間は一日以上有る。総監督が言うように此処で急いでも失敗するだけだ。
そうして俺は半分が結晶化した白い硝子細工の様な大きな根の一部を削り続けた。何時間経とうが手を止めたりはせず仮眠や休憩もとらない。持ち場を離れるなどもってのほかで、俺はあえて網目状に走っている緑素結晶以外の不純物が固まった結晶部だけを地道に削り、大きな爪やノミが脆い緑素結晶の固まりに触れぬよう細心の注意を払う。
坑道内に響き渡ったノミを叩く音が時間と共に薄れていく中、表面に露出している光石を一つずつ取り出し、ガラス容器に水を入れたまま凍らせたような根を上から崩してゆく。一々取り出した光石や小さな乳白色の濃縮琥珀を眺めている時間を惜しみ、一昼夜ひたすらノミを小突き続けた。
結局俺の採取場所から採れたのは、両手で抱えきれない程の光石と大小様々な濃縮琥珀。そして拳大の輝石が五つと、幸運な事に拳大のダイヤモンド原石が収穫できた。ようやく採掘作業が終わり懐中時計を確認すると時刻は午前二時、時計の針が第九日目の十六時二十三分を指しているのに気付く。
一日用の懐中時計なので文字列は全部で二十八有る。作業開始から二十一時間で大きな根の一部を砕く事に成功したのだ。
俺は支給された麻袋三つに落ちている魔石を分別して回収。光石が袋一つから溢れたので袋二つを光石だけに使い、ダイヤモンド以外に残った収穫物を全て一つの袋に入れて地上に出た。
(まだ選別待ちの連中が居たのか。俺で最後だと思ったんだがな。)
発着場の中心に置かれた机や椅子に座りながら鑑定士に収穫した魔石や鉱物を見せる労働者。そしてその周囲で他人の鑑定結果を見物している多くの見物客が居て、中には監督官や施設から殆ど出てこない住居管理人等も見られる。
八日目と九日目は採取作業への配慮で大陸蛾の離発着が無い。普段は巨体を留め置く為空けられた砂利場には多くの机や椅子が置かれており、複数の樽から果実酒らしき臭いが乾いた風に運ばれている。俺はとりあえずこの騒ぎがもう少し静まるのを見計らって、今の内に帰り支度をする事にした。
緑素結晶。世界樹の血液(樹液)内を流れる光血球(赤血球)の塊。光の波長に対する感受性があり、光を受けると熱と微弱な光を発する。これを再現したのが探索用照明具に使われる「反応液」で、この地方では光苔の代わりに前時代中期まで照明に光石が用いられていた。
ついでにこの緑素結晶が凝固して光石に成り、何等かの外圧で再凝固したのが輝石だと図鑑で紹介されている。これ等魔石の色は世界樹の光血球の色に依存しているので、必ずしも緑系の魔石には成らない。
俺は十日目の朝早くにベルマールシャボテンを発った。昨日の夕暮れにダイヤ以外を現地で銀貨に換金したので、今の俺の懐には小さな酒瓶位の大きさに膨らんだ銭入れがぶら下がっている。
採取した物を探索者特権で卸値と同等の金額で取引出来るのが、この業種での深刻な人材不足を辛うじて引き止めている唯一の好材料と言っていい。ただし聞いた話では同じ探索業でも労働者への取り分が労働単価のみの業種も存在するので、こうして上空を貨物同然で吊り下げられ運ばれる目に遭っても文句は言えないのだろう。
俺の場合は社会勉強も兼ねた下働きでこの仕事を請け負った訳だが、この報酬の半分はオルガの生活費や活動資金に使われてしまう。このダイヤだけは俺自身の今後の為にも隠し徹さなければならない筈だ。
(やはり反対側を先に確保しておくべきだった。太陽が眩しくて目が変色してしまいそうだ。)
西側に見える六千メートル級山々が連なる中央山脈。一部は九千メートルに達すると言われている国一高い山が集まった大陸型の歪曲山脈でもある。
その白い峰から更に山二つ分高い位置に在る太陽の光を正面から受けているので、今瞼を開くと俺の赤い目が変色して視界が暗くなってしまう。
(闇龍レガリア。北の都市と同じ名を持つ巨大獣の血のおかげで、俺は暗闇のただ中で自身や獲物を見失わなくなった。それにおそらくアイツの血によって外皮の特殊装甲が体内で形成されているのだろう。狩人と相性が良い日の出頃に大きく能力が減退するのが欠点だが。)
俺は離陸してから瞼を閉じて熟睡する真似をしながら、目的地であるフラカーン郊外の北発着場に到着するのを待っている。ただし時間を潰せそうな物は所持してないので、とりあえずまたオルガの計画とやらを考えるとしよう。
今は探検家のオルガルヒと名乗っている五十前の元団長。彼にとってこの国、特に砂陽地方は挫折と後悔が風化する事無く残っている場所と言える。
現在俺とオルガは災厄の星屑に関する情報を探る為、それぞれの専門知識や経験を生かし別行動中だ。
オルガはアイアフラウ商会で身分や名を隠し、レガリアや他の覇王樹に関する情報と二十二年前のジェノーバ枯死事件の調査資料をさがしている。何でも当人はこの事件に当事者の一人として関わっていて、この事件の後に入国禁止措置を受け国外追放された経緯が有ると言っていた。
オルガ曰くこの事件には千年以上前に駆逐された枯死獣と言われる世界樹の天敵が関わっていて、廃墟と化した旧商業都市シャワールの世界樹ジェノーバが枯れた表向きの理由は全てその枯死獣の存在を隠す為の偽装情報だと断言した。
世界樹が枯れる事象は世間一般で枯死と呼ばれている。ジェノーバが枯れた原因は地下水脈の過剰利用と周辺開発によるものだと言われているが、単純にこの説明だけなら枯死獣の生存より何倍も信憑性がある話だ。
神の園で最初に事情を聞いたときは、この地で死んだ傭兵団の仲間や遺族に納得できる説明がしたいと言っていた。あの時一言も枯死獣だとか秘密裏な調査依頼が始まりだったなんて言わなかったのも当然だろう。
オルガはわざわざ偽名を名乗り妹夫婦が経営する世界的な商会の一支部に拠点を築いた。この地に骨を埋める覚悟でこの国に戻って来たに違いない。俺が出来る事は一緒に埋葬されないよう心がけながら、オルガの執念を利用してあの化け物に対抗しうる力をつけるだけだ。
少し思考がずれたな。オルガの目的は二十二年前に途絶えた駆逐されし枯死獣の調査研究を終わらせる事。世界樹を枯らす異形の存在だと当人は言っていたが、その当人も含めた帝国秘境調査隊は成体や化石化した死骸を発見できなかったとも言っていた。叙事詩や冒険小説に登場するかの獣は死ぬと砂に還るだとか、世界樹同様に枯死化するだとか言われている。まぁ現状は俺がベルマールシャボテンの警備中に誰かに話した聖獣伝説と同じ部類の話に他ならない。
そう言えば誰かが北方山脈で世界樹の枯死化が問題になっていると言っていたな。この情報が正しいならおそらくオルガは先に現地へ向かったことだろう。あの歳でかなりの行動派だから商会の従業員を何人か助手として連れて行ったかもしれない。
(しかし朝はまだ冷えるな。砂漠の夜は冬並みに寒かったが、この大陸蛾は寒さでも平気なのか?)
世界樹枯死事件。
二十二年前の統一暦128年に起きた最古の覇王樹ジェノーバが枯れて崩壊、その後一帯が枯死化した事件。覇王樹の始祖王から南東へ約200キロ先に在った商業都市から大量の難民が発生した騒動も含む。
元々統一暦以前から都市周囲が原因不明の枯死化に蝕まれていて、経済と治安の不安定要素の種に成っていた。そこで秩序回復の一環にオルガ・アイアフラウが多くの大部族(市民)から寄付を募り、帝国から当時多くの秘境回復実績を重ね有名だった自身が率いるアイアフラウ旅団を誘致したのだが、結局覇王樹ジェノーバの枯死を阻止するのに失敗する。
この事件により同傭兵団の信用が低下し、難民流入を招いたとして帝国内からも非難の的にされた。結局誘致に率先して取り組んでいたオルガが傭兵団からも去ることで事態は急激に沈静化した。
オルガが言うにはジェノーバの地下深くで蛹状態の枯死獣が根から養分を吸っていて、それが長年続いた覇王樹の衰弱要因だと思われる。オルガは覇王樹を傷付けずに枯死獣の駆除法を探ったが、結局時間が足らず火を着ける事になったらしい。
本人すら火に炙られた枯死獣の死骸を見てない。枯死獣の逸話が正しいのなら火を着けるのも止む負えない判断だったのだろうが、この話を聞いたとき少し身震いがしたのを覚えている。
元は採石場跡に建てられた木造の高台と埠頭。切り開かれた山間を繋ぐ複数の長い吊橋。そして渡し橋の橋脚を流れる川は北方山脈から溶け出した雪や湧き水の一部に過ぎず、この採石場地域の山間を縦断する大河の支流でもある。
俺は埠頭の発着場に停泊している大小様々な形状の飛行船を眺めつつ、埠頭とは川を挟んで反対側の物資集積場の隣に着陸した大陸がから降りたばかりだ。
集積場の隣は小高い高台を地ならしした高台で、ここが大陸蛾専用の発着場なのだ。俺はその発着場から河川敷の物資集積場へ下りれる石階段を下りながら、銀貨を二三枚握らせる相手を探している。
「荷馬車でここまで来るのに何時間掛かった事やら もう時間を無駄にはしたくない」
十日前の夜に都市からこの発着場を目指し運河沿いを荷馬車で北に遡上した訳だが、帰り船で支流から運河を経由して都市に戻る予定だ。
なにせこの辺りは人為的に切り開かれた場所が多く、岩場から抜け出すだけで複雑な登山道を登らねばならない。俺にそんな時間はないので、とりあえず銀貨を二三枚握らせる漁師でも見つけ都市へ向かうことにする。
「まだ正午にもなってないから船が少ないな この際選り好みするのはよそう」
俺は多くの乗客を乗せた河川用艇を改造した小型客船が桟橋に接岸しているのを尻目に、桟橋の反対側に停泊している帆や天井が無い簡素な漁船に近付いた。
全長十メートルにも満たない木造漁船だが、軸受や遠心加速器が入った動力部が比較的新しい部類だ。俺は絶えず排出口から黒煙を上げている小型客船より足が速そうな漁船を気にいり、漁具の浮きを枕に白い布を被って寝ている漁夫の隣に立つ。
「寝ている最中すまない 金を払うから俺をフラカーンまで送ってくれないか」
俺の足の爪先で優しく小突かれた右腕を擦りながら俺を睨め返してくる中年男性に、俺は腰帯から外した酒瓶並みに膨らんだ銭入れを見せびらかした。右手に持つ銭入れを軽く揺すってやると自重で硬貨が擦れ合い、銀貨が歯軋りする様な音が漁夫の耳に入った。
「フラカーン水門の桟橋までなら乗せてやる 銀貨十枚でどうだ」
交渉の常套句として相場の倍近い値段を提示されたが、三時間以内に到着する事を条件で部族銀貨十枚を差し出した。
「なんだ探索者だったのか それならそうと言ってくれればもう少しまけてやったのに」
どうも三時間と言う言葉が正しく伝わったかどうか怪しい。それでも細身の漁夫は桟橋の柱に固定した縄を解いているので、俺はさっさと船首部分で腰を落ち着けることにする。
(しかし綺麗な河だ。普通なら流失した土砂で濁っているのに流れを感じなさせない青さだ。所詮人工的に作られた運河だと侮れないな。)
俺は手記を通じこの運河ですら雨季になると氾濫した大河の濁流で使えなくなる事を知っている。たとえ古くからこの地方を砂漠化から守ってきた天然の要衝でも、都市の水事情を支える水門が閉じるほどの洪水が押し寄せて来るからだ。
(白爺は帝国と砂陰地方を行き来するのに砂陽地方は通っただけと言っていた。手記にもこの地方の事は観光雑誌程度の事しか書かれてないから、おそらく大陸蛾にも乗らなかったのだろう。御山にも近寄れない重度の高所恐怖症患者が飛行船に乗れるとも思えんが。)
かくして俺は静かな川辺を疾走する小型漁船に乗り河を南下し始めた。晴れて風も無い絶好の観光日和の中舟は進み、俺は木造舟には似合わない旋回羽の推進装置が水を掻く音を聞きながら流れる風景に目を凝らし続ける。
(しかし奇妙な事だな。枯れぬ花を意味する名を持つ者が花を枯らそうする獣を追っている。名声を失いかけ危うく投獄されかけたこの地にそれだけの未練が有るのか? 確か帝国秘境調査隊は秘境地域の治安維持も兼ねる国の調査隊だったはず。オルガが召集された経緯も含め考えると、初めから誰かの思惑で動かされている様にも思える。考えすぎだろうか?)
石切り場だった切り立った断崖を左右に舟は進み、深く掘られた川の流れに任せ緩やかに曲がって行く。この辺りは急流箇所が多く下流から来る船と衝突する事故が度々起きるらしい。その運河を進む動力付き舟をたった一人で操る漁夫は先ほどから推進器を停止させて大きな舵の操舵に集中している。
(白瀬が浮き出てる。崖から滑落した岩が何箇所か沈んでいるらしい。)
俺はこの時ばかりは帰りに舟を用いたのを少し後悔した。例え水中で呼吸が出来るとは言え、専用の装備が無ければ重い俺は川底に沈んでしまう。なにせ此処は海ではないからな。
舟は二十分近く湾曲した急流を流れ、山で塞がっていた視界が開けると同時に奔流である大河への合流点に近付く。運河河口に敷かれた簡素な石垣が堤防の代わりになっていて、比較的ゆっくりとした流れから運河の河口周辺に土砂が溜まらないよう堰き止めている。舟はその大きな石垣の横を通りながら直進し、青緑色に染まった水面へと加速して行く。
「そこは揺れるから縁に掴まっとけよ もし落ちても直には助けれんぞ」
強い向かい風を全身で受ける俺は四十台前半の活発な声に素直に従う。小型帆船ですら船首は尖っているのにこの舟ときたら船首の先端が平たい。造りは頑丈そうだが安定性に欠けてそうだ。
軽快な駆動音と平たい船首先端部が水を叩く音を聞きながら、俺は懐から今回の労働で入手した拳大のダイヤ原石と狩りで入手した毛皮を取り出した。
この毛皮は余り物を縫った毛皮で畳めば枕に広げれば小さめの掛け布になる。この外套だけでいつまでも身を隠し徹すのは難しい。この褪せた赤い毛並みの毛皮を被り物か新しい探索装備や衣服の材料と成るのに期待している。
そしてもう一つのダイヤ原石。この地方ではこうした宝石類も世界樹から採れるので、他国や砂陰の宝石商の中には有力な鉱山の採掘権を買わず有望な世界樹(株)への投資で済ませる物も居る。この原石は多少不純物の石英結晶が付着しているが大きさも透明度が素人目でも優秀なものだと判るくらいだ。他所の地方へ遠出する可能性が少ない今、旧王都のフラカーン辺りで換金すれば安く買い叩かれる心配もせずに済みそうだ。
俺は幅二百メートルはくだらない大河を南に下りながら景色を楽しみ、時間を忘れて考え事に集中した。この河がこの地方南側の生命線であると同時に、川の下流域に在るフラカーンの拠点が俺の滞在権を保障する唯一の場所だ。もし俺かオルガが大きな損害を被る事になれば国に居られなくなる。今も綱渡り状態でなんとか生活している状況を改善するには、やはり狩人の歩みを辞めなければ成らないのか?
旧王都フラカーン。
フラカーンの意味は花と浴場を指す古代語らしい。フラカーンは砂陽地方で大部族(一般市民)数が最も多い都市で、前フラカーン王国から統一暦前に王政を排した共和体制を敷いている。人口は二万五千から三万。毎年国内外から商人や探索者が世界樹から産出する特産品を求めて集まり、ほぼ毎日周囲のシャボテンや仙人樹で働く労働者を募集している。
汚染濃度が極めて少なく清涼な水に混じった不純物を分解する覇王樹「太陽花」が中心に聳えている。その覇王樹は王宮廟の中心から生えていて、現在も王室出身者が管理している。
地上に露出していない地下茎や幹内部から樹液が取れ、結晶化するまで長期放置した物が太陽石となる。この魔石である太陽石は旧王国から続く都市の名産品であり、かつて砂陽地方を支配したフラカーン王朝のシンボルだった。都市の御旗には王朝時代の冠が外され共和制のシンボルたる薄緑色の布地に、現在も黄金色の石が描かれている。
フラカーン内の用水路と繋がった支流と大河を隔てる水門。幅七十メートル程の川幅を堰き止める二つの壁は片方だけが沈んでいて、今日も石造りの水門橋を渡る人々で溢れている。俺はその光景を他人事の様に見つめ、少し痩せた銭入れを懐に縛り付けた。
二時間半の船旅はフラカーン北水門手前に在る船着場に着いて終了した。まさか本当に二時間以内で到着するとは想像すらしてなかった俺は、銭入れから十枚の部族銀貨を取り渋々船主の漁夫に支払った。
長い木製の桟橋を渡る最中周囲を見回すと、全部で五つの桟橋には似たような形の漁船が並んで停泊していて、客船の変わりに平たい船底の運搬船が積荷を降ろしている最中だ。
俺は桟橋を沖合いへ伸ばした根元に在る石造り埠頭へ歩いていると、まばらな人影の中に見知った顔が紛れているのに気付く。
(オルガ!? 何故ここに居る。俺がここに来ることを知っていたのか? それに会う時は出来るだけ同行者を避けろとあれ程言っていたのに、向こうから他人を引き連れて来やがった。)
俺に気付いた長身のオルガ、いやオルガルヒ。隣の背が俺より小さい老人へ判る様に俺を指差している。その老人は俺を見つけると懐から手紙の様な何かと小袋を取り出し、その足で埠頭を歩いて向かって来た。
俺は声を掛けられるその時まで他人を装う。オルガとの取り決めの一部だが、こんな見晴しの良い場所で向こうから来るとなると何かがあるな。
「君がジールだろ 判り易い風貌だから直判ったぞ 私はカザス・ベルマール ベルマール商会の五代目当主だ 報告を聞きに来てやったぞ」
オルガとは違い少し腹が出ていて肌艶が良い。皺が増えてなければオルガより若く見えただろうが、今の俺には関係ない事だ。
「世界樹の運営に支障が出そうな異常は見当たらなかった 人手が不足しているが組織運営に問題は無い あえて報告するのなら吸水塔の清掃と管理が疎かになっている点 とくに砂漠で黒カビを見たのは始めてだったな あとは警備人員が退屈そうに暇を持て余していた 報告は以上だが問題無いか」
口答で簡素な報告を聞いた春巻きを被る浅黒肌の五代目。俺の赤い獣目を見ても動揺する素振りも見せず笑顔で働きへの賞賛を送ってくる。俺はとりあえず報酬に小さく黒い布袋と琥珀印付きの手紙を受け取った。
「それは君への報酬の一部だ 中には私の商会名義で遺跡調査要請書が入ってる オルガルヒから聞いたぞ 各地の遺跡を調べながら旅をしているそうじゃないか 私の組織は弱小商会だが君個人の旅を応援することくらいはできるぞ この手紙を各地の遺跡を管理している監視隊か保安局の詰所に提出すれば遺跡調査が可能だ 期限は二年間だけだが途中更新が不要な形式を選んだ 君が何かに貢献できれば我々の信用や地位も向上する 会って早々だが期待しているぞ」
ベルマール商会はアイアフラウ商会と同様、探索者も客層に入れ大部族へ探索具や日用品を売る商店の集まり。フラカーンと周辺に幾つかの事業組織があるだけの小規模な商会で、アイアフラウ商会フラカーン支部の下請け組織だとオルガルヒから聞いている。
用が済み一人去って行く老人かわ渡された手紙を日に透かすと、確かに内部に厚紙らしき四角い何かが入っているのが判る。俺は知らぬ間に進んだ話と事情を聞きに、同じく自身より年上の老人を見送っている五十過ぎの探険家の隣に立つ。
「何だその顔は 少しも日に焼けてないじゃないか もしかして地の底に潜るのが好きなのか」
俺は冗談を真に受けず喉仏を鳴らし、獰猛なスナアラシの鳴き声を真似た威嚇音を周囲へ響かせる。口元を覆う外套により音が少し小さくなるが、船着場の近くで釣りをしているのか暇を潰しているのか判らない老人を驚かせるくらい簡単な事だ。
「やめろジール その目で睨まれると夢に出てきそうだ とりあえずこちらの事情を説明してやろう」
すっかりこの土地に馴染み、先ほどの五代目当主と同様薄着の上に貫頭衣を纏った探検家。体つきが逞しく隆起した筋肉と血管が少し汗ばんでいて、白い薄着が体に張り付いて見える。
そんなオルガは二十二年前の世界樹枯死事件のその後を調べ尽くし、今後は枯死化した覇王樹の残骸を発掘調査する資金集めに注力するつもりだと言っている。五十を越えた体で砂界を越えたり枯死海を探索するのは難しく、自身の経験や知識をアイアフラウ商会に供与する見返りに発掘計画への資金援助が認められたそうだ。
「今更あの獣関連で教える事は無いが 北方山脈で世界樹の枯死化が問題になっとるらしいな 後は言わなくとも解るだろ とりあえずその得た報酬で現地へ向かう術を探す所から始めろ 健闘を祈っている」
決まり文句を残し去ろうとした探険家は何か思い出したのか足を止め、こちらに向き直ってから拠点にお前宛の荷物が届いているぞと笑いながら言った。
俺はその言葉の意味を知っているので、何も言わず去って行く背が高い帝国人の後を追い船着場を後にする。
事実上この時から俺ことジールは再び探索者として活動する事になる。だが、不慣れな地方で始めて知る風習や文化に好奇心を躍らせている余裕はない。殆どの探索者は支援組織の存在なくして探索など出来ない空だ。特に俺は個人行動ばかりが目立つ余所者。これから活動に必要な装備や情報を仕入れるのに誰かからの援助は当てにできない。
だから俺はフラカーンに戻り態勢を整えると決めた。何より新し探索具が完成しツルマキの整備も終わったので、それを受け取るついでにフラカーン北側を占める行政区に赴いた訳だ。
(俺の様に重装備の探索者は少ないようだ。まぁこの辺りで害獣監視隊や保安局を悩ませているのは獣より不法入国者や密輸関係だろう。駆除依頼も少なくて狩人には用がない場所だ。)
探査組合で情報収集を兼ね、同組合建物の一階に在る中央広場で俺は長椅子に座りながら秘境情報誌を片手に人々の動向を探っている。
この探索組合はこの街では珍しい形式の建物で、高さより敷地面積と建物一階の構造が広い造りに成っている。勿論居住区や商工区で一般的な建築様式の煉瓦と塗り壁で固められた砂色の構造に変わりはない。流石に行政区にあるので壁に落書きや腐った果実などが足元に転がっている事は無く、緑の天幕で一部が日陰になっている中央広場も清潔さを保っている。
(今は動物観察に勤しんでいる状況ではないな。北方へ向かう足と手ごろな依頼を探さなければ、最悪また発着場から大陸蛾に乗ることに成りそうだ。)
広場にある大きな掲示板には長期から短期までの様々な依頼と募集を募る張り紙が張ってある。どの紙も古紙を利用したもので、中には見終わった新聞や包装紙に黒筆で大きく報酬額が書かれている物も有る。
俺はこれから北方山脈に在り第六砦と呼ばれている山間部の町に向かわねばならない。地図上だと簡単な名前が至る所に付けられた場所は交通網が殆ど整備されてない自然保護区で、多くの獣人達が暮らす緑豊かな場所らしい。
今日が八期の十三日だから目的地に到着するまで最短で何日掛かるだろうか。俺は所持金と相談しながら雑誌に掲載された交通機関を纏めて紹介する項をめくり続けた。
現在このフラカーンでも北方山脈で枯死化が広まっている情報が大きく喧伝されており、余所者でも事態の深刻さが垣間見える。特に世界樹を所有する資産家や世界樹関連事業に投資している出資者にとって枯死問題は死活問題だ。故にこの騒動を解決できればさぞ地方商会の名が方々へ広まるだろうな。
(どうやら、山間部には観光用の山岳鉄道があるだけで陸路から向かうには空を通った方が早そうだ。この際手段を選んでいると一帯が封鎖されて入れなくなるかもしれない。)
俺は陸路だけで現地に向かう事を諦め、今度は別の雑誌を手に取った。その雑誌にはフラカーンを経由する飛行船発着情報と最新の時刻表が載っていて、俺は掲載された見知らぬ街や地方名と手元の地図を交互に見比べ続けた。
やがて都市中心に在る覇王樹の太陽花から正午を告げる鐘の音が鳴り響き、俺は飛行船の発着時刻を思い出して広場から急ぎ早に立ち去る。
なにせ俺が選んだ都市間連絡船は時間厳守で運航されている大型の飛行船だ。一日に数便しかない高速船であと二時間足らずで都市南の発着場から離陸する。それに南発着場は飛行船と河川用運搬船が同じ埠頭を利用するほど混雑する場所で、幾ら都市の最南端に位置していても直に座席が確保できるとは限らない。
俺は久しぶりに亜人の力を解放し、白い煉瓦と貴重な木材で築かれた住居の屋上を伝って走る。時間短縮のため脇目も振らず最短経路で南へ駆けて行った。
覇王樹「太陽花」。最大全長はおよそ千二百メートル。地上からの全高は七百八十二メートル。龍の舌と呼ばれる多年草の様な多肉植物が環境に適応し肥大化した変異種。噂では王朝時代以前にこの地で行われた多肉植物の調査研究を兼ねた配合で生まれた実験種だったらしいが、旧王族は誕生の秘話に関し今も固く口を閉ざしている。
今でも王宮跡を侵蝕し成長し続けている大樹で、毎年雨季前のこの時期は樹上から落ちてくる落下物への注意喚起がなされているほど。
旧王宮と地下施設だった場所は地上に露出した一部の側根により破壊されていて、雨季の度に液状化が発生し都市中心部が少しずつ沈下している噂が絶えない。その所為か旧王宮建物を取り壊し大規模な浄水施設へ建て替える為の測量が行われている。