四章後半
頭痛が治まり平衡感覚が戻っても、数分ほどその場に座り続けたまま胡坐をかいていたエグザムの下へ、水面を揺らして白い影が水中から浮上してきた。その白い影は水妖そのもので地下水道で見かけた個体より半透明に近く、粘液内に複数の核と白い種粒が浮いている。
エグザムは半透明な粘液内の核の間へ手を差し込み、水龍から与えられた浄化装置を抜き取る。抜き取る際に白い種粒を周囲の粘液ごと掴み取ると、粘液が空気に触れて急速に白く固まりだした。
「これが水妖の卵か 植物の種粒にしか見えない」
固着した粘液が乾燥し、白い種粒がきめ細かい綿の様な何かに包まれている。エグザムは両手でそれを包みながら立ち上がり、綿繊維ごと丸めて腰の個袋に入れる。
「そう言えば水龍に竜蜂を駆除する理由やこの遺跡について聞くのを忘れていたな」
それでも理由なら幾つか思い当たる節が有ったエグザム。そのまま竜蜂を効率良く駆除する為の手順を考えながら、昇降台に乗り神聖な水槽部屋を後にした。
遺跡の管理者たる水龍がエグザムに託したのは、生物の卵や苗床に寄生して根を生やす寄生植物の種。この種は文字どうり米粒程度の大きさしかない。しかし害獣の死骸に植えても発芽するほど汚染物質に強い耐性を有していて、芽が出てから一日程度で水妖の核を実らせる忘れられた植獣の一種である。
(どうもこれは霧によって急成長するらしい。植獣でも一日で実を生す個体なんぞ聞いた事が無いのに。とんでもねぇ代物だから扱いも注意しなければ。)
エグザムは水中神殿を出て、縦穴から元来た地下水道を南下している。この地下水道は竜蜂の巣が在る元ドーム遺跡の直下にまで達していて、かつて栄えた水の都の下水道網を担っていた場所でもある。
(当面の問題は女王個体を探すまでにこの地下水道を把握するのに時間が掛かる事だろう。地図も案内人も居ないから尚更手間が掛かる。もし巣穴に近付いてしまったらどうすべきか?)
群がる竜蜂達を持って来た蟲殺しで無力化し、有害な煙が充満している間に巣内へ強引に進むか。それとも獣笛に仕込んだ竜蜂の耳石を振動させ攪乱するか。エグザムは水路の高台たる壁側の段差を歩きながら、確納得のいく駆除法を考えていた。
竜蜂は文明圏でも馴染み深い蜜蝋種と同様、女王個体を中心に蠢く群体だ。当然卵を産む女王が死ねば群れは解散し巣は穏やかに死へ至る。エグザムもこの基本的な蜂の駆除法に従い女王個体の排除を目論んでいるが、相手は地元でも竜の名を冠する害獣の端くれ。無暗に薮を突いたら小型害獣の群れを相手にする事にかわりない。
エグザムは蔓草で編んだ紐に固定した拳大の玉を手に取る。それは発火性粉末を混ぜた天然糊で塗り固められた厚紙の玉で、導火線が差し込まれた内部には化学物質を練りこんだ粘土状の油が入ってる。
「しかし試料採取の直後に駆除をやるとは思わなかった 不思議な水妖の件も含めてヴァンに話す事が多くなったな」
遥か昔ならいざ知らず、現代では秘境でも火を起こせる器具や簡単な防疫具。そして汚水を浄化し消毒する溶液まである。流石に謎多き汚染物質までは取り除けないが、消毒布と清潔な包帯やライターを携行していれば誰でも秘境で活動可能な時代だ。
「こんな事になるならゼルに殺虫剤の材料を大量に注文しておくべきだった」
エグザムは愚痴を零しながら暗い地下水道を進む。腰に提げた照明具を灯さずとも、地下水道は限定的だが淡い青い光に照らされている。そのおかげで足元に神経を尖らせる必要も無く、安心して竜蜂の巣へ行けるのだ。
(そして今回の案内役はついに人型ですらない。獣に案内させるのは、旋風谷で白爺の不死鳥に道を案内させた時以来だ。)
両側から階段状に構築された水路に青い光を灯す光源が浮いている。緩やかな水の流れに身を任せ流されている案内役に歩調を合わせるのは中々難しく、エグザムは会話が成立しない相手を見つめ続けるしか無かった。
(周辺の遺跡に居る水妖は南の増殖場に居る個体より大きい。やはり汚染物質と深い関わりが有るのだろう。あれほど大きな細胞核は見た事が無い。)
幅三メートル程度の水路に浮かんでいるのは、三つの青い生体核を光らせる半透明な水妖だ。今のところ同じ種の個体はこの一個体しか居ないのか、天井に張り付いている水妖と接触する素振りすら見せない。
エグザムは竜蜂の駆除法を考える傍ら、この頼りない案内役を観察しその生態について考察を始めた。
(水に浮いているのなら浮力が有るはず。こいつも特定の固形物に擬態するのか? それに核を包む粘液の鰭で泳いでいる様にも見える。この場合器用と言うよりどんな方法で遊泳能力を獲得したのだろう? もしかしたら水龍が操っているのかもしれない。)
淡く輝く細胞核を引き抜いてひと齧りしたい。この時のエグザムはまだ水妖を中途半端にしか知らず、水棲獣と植獣の中間存在だと認識していた。
時間にして二十分程度直線状の地下水道を歩き続けたエグザム。ついに遺跡から水道内へ降り立った梯子が在る分岐点まで戻って来た。水路は南へと二方向に別れていて、地下水道の形状も分岐地点から若干変化している。これまでの上流から合流した水で上がった水かさが減っていて、どちらを行くにしても水面を浮かぶ水妖には狭い道になるだろう。
(水量と流れに変化無し。空気も冷えて湿ったままだ。さてこいつはどちらを選ぶのかな。)
エグザムが歩みを最大限遅らせて後方から水妖の動きを観察していると、水面を流れる水曜は体を水路の両側に広げて分岐点の突起壁面に体をぶつけてしまった。さらにそのままどちらの方向へも流れずその場に付着し留まり続けた。
川の流れに逆らう水妖に見かねたエグザム。立ち止まっていた水路の足場を飛び跳ねて中央突起部を見下ろせる場所に着地し、足元の水面で色褪せない青い光を発している案内役へ言葉を投げかける。
「俺はどちらに進めばいいんだ それともここに種を植えろと言うのか もし俺の言葉が理解できるのなら 一度光を消してみるんだな」
そう言いながら青く輝く宝石の原石の様な核に手を伸ばすエグザム。目の前で蠢く摩訶不思議な生き物を前に、何もせずただじっと待つ理由は最初から存在しなかったようだ。
手甲越しに指先が半透明状の黒い粘液に触れる。指先もしっかり手甲で守られているので粘液内へ指先が入る感触は無い筈だ。しかしエグザムが少しだけ硬い何かへ手を入れようとした時、水妖の内部で蠢く三つの生体核から輝きが急速に消えていく。
「もしかして触れると駄目になる種か ああ勿体無い」
条件反射的に右腕を引っ込めてたエグザム。素直な感想を呟いてから水妖が起した変化の原因に気付き、慌てて口から言葉を搾り出す。
「あぁ 核を一つだけ光らしてみろ 出来るか」
エグザムの問いを受け、忠実に核を一つだけ光らせた水妖。エグザムへ意思が有る事を表現するかの如くたった一つの核を何度も明滅させた。
エグザムはその青く明滅する光を瞬きして観察しながら、意思疎通する手段をどう確立させようか悩む。何せ相手は発声器官を持ちえぬ存在。今まで旋風谷で培った経験は全く役に立たないのだから。
「物は試しだ これにお前の成すべき事を伝えてみろ」
エグザムは胸部の装甲をずり下げて、筐体から赤紫と緑色が混在する結晶体を取り出した。そのまま右手の指先に結晶体を摘まみながら粘液内部で輝いている核に結晶体をうっくりと押し込む。
「どうだ 何か感じるか」
すると青く輝いていた光が変色し淡い乳白色の光が核の表面に浮かび上がった。エグザムはそれを確認し結晶体を引き抜くと、そのまま胸の筐体に填め込んで結晶体が取り込んだ獣因子を血染めと同調させた。
どんどん噴出す汗と涙。止まらぬ鼓動と早い呼吸がエグザムに膝を突かせる。されどそれらの感触は苦痛などではなく、エグザムはゆっくりと瞼を閉じ体の変調を待つ事にした。
それからしばらく時間が経過すると思いきや、すぐに変調の効果が表れた。それはまるで自らの目で体験している光景の様で、記憶にない景色にエグザムはしばし言葉を忘れる。
(これがお前達が見ている風景か。目玉すら無いのにこれだけ鮮明に見えるとは凄いな。あぁそうか、お前達の体自体が目玉なんだな。)
エグザムは己の網膜に再生されている自らの姿に驚いた。単純に水を透過して屈折した光が見えているだけではない。狩人装束の輪郭を包むように体から赤と青紫色の波模様が浮き出ている。照明具すら灯してない状況でこの光に心当たりは無かった。
「これがヴァンが言っていた血統を証明する古の証か まさか俺の目に発現するとはな」
エグザムは独り言を静かに呟きながら右手から革手袋ごと手甲を外した。
「俺に道を示そうとするならこのまま水路を先へ進め もし俺をこの場所で待つのなら このまま光消してこの場で待て それでも俺に何かを伝えたいのならもう一度光を度明滅させて答えろ その時はこの手で触れてやる」
水妖は白と青い光を明滅させてエグザムに何等かの信号を送り始めた。エグザムは粘液内に右手を差し込み宣言どうり乳白色に輝く核を触れる。
触れた瞬間から指先へと流れ込んで来る何かに、全身の血染め表面を覆う焦げた枯葉色の毛が逆立った。静電気の類や注射針の様な刺す痛みとはまるで違う細胞自体が蒸発するような刺激を感じ、エグザムは右腕を再び引っこ抜いた。
エグザムが戸惑いながら自らの右手に異常や変化が無いか確めていると、急に水妖の表面から白い煙が発生し始める。その煙は水路全体に立ちはだかった霧と同じで、その様子を注視すると粘液が触れ合う水が蒸発して発生している事が窺える。
「今度は霧か 次から次へと訳が解からない」
白い霧は青と乳白色の淡い輝きを包み、水の流れに従い水面を下流へと流れて行く。その動き自体は見慣れているエグザムはしばらく右腕の震えが納まるのを待ちながら状況の推移を見守った。
(血統。始め聞いたときは亜人特有の遺伝子変化によって生じた特技だと思っていた。しかし里の、いや炎の民は古代遺跡に住んでいた頃から既に特異な異能を受け継いでいたようだ。その異能は獣因子によって変化する獣達とは少し違う。もしかしたらと考えていたが、どうやら俺の読みどうり血統と龍は深い関係で結ばれた何かの証らしい。それの回収を俺にやらせようとする輩がこの地に複数居る。どうやらこんな所で悠長に虫退治をしている余裕は無さそうだ。)
エグザムはY字型に分かれた水路の先を交互に見比べ、闇に包まれた背が低い天井の穴に変化が現れるのを待った。その結果霧により視界が変化するだろう判断は正解だったらしく、エグザムから見て右手の水路だけ霧が充満して空気の流れが滞って見える。
「水が流れている以上 必ず何処かへ続いている筈だ あいつ等と出会う可能性が有るが今の俺ではどうしようもないか」
エグザムは霧が低く流れているだけの左水路を選び、そのまま岸沿いを壁伝いに歩いて行く。背後の梯子が設置された柱より天井が低く、背を曲げなければアーチ状に曲がった壁と右肩が擦れあってしまいそうだ。
エグザムが道の先へ進んだのに気付いた水妖。足跡に反応して左側に堆積を増大させると、滑らかな動きで水路の壁沿いを滑りながら流されてエグザムの足元まで追って来た。
(やはりくるか。こいつは案内役と言うより監視役だな。水龍が霧で手助けすると言っていたが、まさかその発生源が水妖だとは知らなかった。)
エグザムは足元を流れる霧と空色の光源を見比べながら狭い水路を歩いて行く。水路はこれまでの直線状の配置とは異なり、やや左方向へと湾曲している。放棄された地下道や坑道が多いことで有名な神の園らしく、いつ獣と遭遇してもなんら不思議ではない。
やがて湾曲部を幾度も曲がり、直角に曲がった場所を進んで他の水路と合流する場所に出たエグザム一行。流れが速い地下水道は構造からまったく別の形状で、その水量も始めて見る形状の地下水道の方が多い。
(向こう岸に渡るには離れ過ぎている。向こうには手摺が有るから、作業用の通路として使われていたのだろう。必ず何処かに水場へ下りれる場所が在るはずだ。)
アーチ状の天井とは違う台形の斜面と平面で構成された高い天井。五メートル以上の川幅の対岸にはその川幅と同じ高さの壁が在り、天井と側壁の境界に近い高台が通路として整備されていた。その距離を自力で越えようとするなら、まず脚力ではなく大きな翼が必用だろう。
エグザムは道を水の流れに沿い狭い足場を右方向に曲がる。大きな水路だけあって水の音が天井にまで届いている。互いに反響しあう天井の所為で水滴が落ちる音が遠くからでも聞こえ、エグザムは静かな足取りで狭い道を歩こうとした。
「なんだお前か なぜ俺の足に這い上がって来る お前が流されても俺の足なら追いつけるぞ」
エグザムは霧を発生させながら自らの左足に粘液を伸ばし流れに逆らっている水妖に少し呆れた。それでも高い粘度で半透明な体を保持しようと必至なのか、分厚く頑丈な革靴越しに感じる圧迫感に歩みを速める。
(直接触れ合って解かったが、多分こいつ等は水龍の使いとは違う存在だ。仮にあの巨体を維持する為の餌だとしても、土壌に染み込んだ汚染物質を浄化するだけの役割とは思えない。)
エグザムが水妖の生態について考察に耽っていると、大きな地下水道が終わる場所にすぐ着いてしまった。案外呆気無く種をばら撒く候補地を見つけたことで注意が緩んでしまったエグザム。流れに逆らう足元の水妖が合流地点に発生した渦に飲まれかけ、重心を失って背後へ倒れた拍子に水の中へ引き込まれた。
(不味い。この装備だと沈んでしまう。)
エグザムは三つの大きな水路が合流する場所にあった足場の突起部に手を伸ばすが、指先が掠めただけで掴む前に離されてしまった。そのまま一層流れが強まった川に流され、薄明るく見えていた地下水道の切れ目へが近付く。
(下が見えないのにこんな所から落ちたらどうなるか解からん。俺は溺死する前に痛い思いをするのか?)
地下水道の切れ目から先は暗闇に包まれて何も見えない。しかし沈まないと足掻き手足をバタつかせる音とは違う大きな音が、以前ヴァンと共に見下ろした滝の音と酷似している。左足に纏わりつく水妖を何とか犠牲にしてでも助かる手段は無いか、エグザムは溺れそうに成りながら足掻こうとした。
しかし重い自衛具を背負い頑丈な探索具を纏った探索者はそのまま流されるまま滝から暗闇に落ちてしまう。落ちる寸前に聞こえた轟音は下から聞こえており、反響した音は天井からも聞こえていた。
エグザムは急に光を失った視界から目を逸らさず、落下中も暗い空洞内を探る為に熱視を使い構造を把握しようとした。幸運な事に僅かな反応が目に映り、どこかで見た事がある景色が下から上へ流れて行く。
(これは天空樹の低地北部にあった縦穴。あの人口石材の壁なら間違いない。)
左足をしっかりと掴んでいる水妖の重さも合わさりやや左に傾きながら、短い間落下していたエグザム。縦穴内に溜まった水面に足から刺さった瞬間、体中の穴から入ってくる水の塊に息が出来なくなった。
(体が重くて浮き上がらない。このままだと体勢を戻す前に沈んでしまう。)
もがき苦しみ自然と体に力が入る。しかしどれだけ力強く素早く水を搔き分けても体が逆さまの状態から元に戻らない。エグザムは仕方なく背嚢や重い装具を外そうと胴へと手を伸ばしたその時、知らず知らずの内に体が浮き上がっている事に気付く。
(水妖俺の足先から膨らんでる。こいつ内部に霧を発生させてるぜ。)
どんどん浮き上がる体と暗闇の中で輝く青い光。それ等にすこし見惚れていたら、エウザムはいつの間にか水面で揺れている水妖の影に気付いた。
エグザムは腹に力を入れて大きく腰を曲げ、何とか己の左足に掴まって顔を水面に出した。直後に大きく息を吸い肺を膨らませると、少しずつだが体が元の体勢に戻ってゆく。
「こんな所で水妖に助けられるとは」
時同じくして水面に潜った光源から噴き出る大量の気泡が、沸騰した湯船を再現しそうな大量の蒸気を吐き出している。エグザムは局所的に温泉と化した水面から周囲をもう一度熱視で見回し、自信が縦穴内の壁に開いた大きな丸い穴へ吸い寄せられているのに気付く。
(白爺は昔、発見とは驚きの連続だと何度も言っていた。だが今の俺にはあの穴に流される事しか出来そうにないな。)
エグザムは出来る限り肺を膨らませて体を水平に保ち、水面に浮いた状態で穴の中へ入ってゆく。熱視だと温度が低い壁しか映らなかったが、水妖の青白い光で天井が映し出され、その独特な円形の横穴がトンネルの類だと一目で解かった。
(話しに聞く神の園地下遺跡へ続く地下トンネルとはこれの事か。地上の道路や高架跡より本来の姿を保っている。探索者達が愚痴を零していたとうりだ。)
神の園にはこうした地下トンネルの類が多い。地上の探索道とは比べものに成らないほど長い道が掘られていて、総延長だけなら連合の都市間鉄道に匹敵するらしい。
(これだけの物が残っているなら、神の抜け道なんて名前が付くのも納得だ。昔の探索者はこんな所を探索していたのか。)
纏まった水量のおかげで水の流れは穏やかだ。エグザムが手足を激しく動かさない限り波がざわめく事もないだろう。一つ気がかりなのは左足から発生する水蒸気らしき白い煙の事で、腰の小袋に仕舞った種が目的の物と接触する前に発芽してしまう可能性をエグザムは頭の隅で気にしていた。
「おい 一旦霧を吐き出すのを止めないか 万が一竜蜂に気付かれて居場所を気取られたら其処でお終いなんだぞ」
エグザムの注意に対し水妖は怪しい白い光を何度か瞬かせた。どうやら一度霧を発生させたら止める術が無いらしく、エグザムの足元から絶え間なく霧を発生させている。
「仕方ないな 霧が何かの生物を感知したら光って教えてくれ それくらいは出来るだろ」
エグザムの要請に対し水妖はまたも白い光を瞬かせる。話を理解するだけの知能が有っても意思疎通手段が限られていては意味を成さない場合が有る。その事に気付いたエグザムは指で光る回数を教え、自身の狩りについて簡単な解説を交えてこれからの予定を話し始めた。
水の使徒は人か亜人を介し都の支配者だったに違いない。私は霧に受け入れて貰えなかった余所者、獣との意思疎通を成しえる存在ではないらしい。
それでも失われた神とやらを知る貴重な手掛かりに成るだろう。多くの秘境に今でも伝わっている伝承に登場する神々達。失われた古代文明の残滓に対して頻繁に使われる総称でもあるかの存在が何なのか、全貌が解き明かされる日は近いかもしれない。
もしこれを読む者が居るなら覚えておけ、不用意に神に近づいた者が辿る未来は破滅の末路だけだ。残念ながら成功を勝ち取る探索者が一握りしか居ないように、神を御しえる者も限られている。
エグザムは足先を下流へ向けて静かに流れる水面を泳いでいる。左足にしがみ付いていた水妖は今や両膝を下から支えるほどエグザムを気に入ったのか、両腕をオール代わりに漕ぐ姿はなんとも狩人らしくない。
(白爺め。最後の文章はふざけて書いたのだろう。全く警告文として機能してなかった。おかげで一度目に通しただけで末尾を覚えられたがな。)
エグザムは精巧な円形状に削られたトンネル内の天上部を見上げながら、先代が隠れて残した獣皮紙に書かれた重要な文章を思い出していた。
(当時の白爺が何を見たのかは知らんが、俺一人で神とやらを扱える訳がない。小数精鋭で探索に挑み何かの核心まで近付いたはいいが、そのままやる気を無くして全部投げ出すだけの何かが有ったんだろうな。死者は何も語らないと言うし、俺もその仲間に入りたくない。そろそろ別の秘境に旅立つ計画を考えないと。)
トンネルの天井含め構造の壁には亀裂や地下水が漏れ出た場所は見当たらない。それどころか水に含まれた鉱物が固着した付着物も無く、太古の昔から綺麗な水だけが流れていたと窺える。
エグザムは青白い光に照らされた前方へと焦点をずらすと、このままずっと地下水道を流れ続けるのではないかと言う不安が頭を過った。その不安を掻き消す好材料は今のところ発見できてないので、静寂と時間だけが過ぎていく光景に退屈さを紛らわそうとした。
「獣笛を慣らして虫の襲来に備えるか」
エグザムは水中に沈んでいる背嚢の肩紐を片側だけ肩から外し、胸に乗せるとずぶ濡れになった緑の閉じ口を開いて中から獣笛を取り出す。
「悪いな しばらく支えてくれ」
重なる様に組まれた伝声管の筐体に差し込まれた発振体の棒を幾つか抜いてやる。すると脱落するのを防ぐ為に留め金で固定された金属棒と伝声管の隙間から水が溢れて来たので、エグザムは内部から水を強引に吐き出させようとして息を吹き込んだ。
その時、発振体の開口部と笛内部の耳膜と呼ばれる器具が不可思議な音を発した。内部に装填された竜蜂の耳石も共鳴しており、各開口部から水飛沫が噴き出ても音が変わる事はない。
(まるで金管を叩いた様な音だな。こんな状態で獣の鳴き声を真似るなんて初めから無理か。)
エグザムは更に息を吹き込みながら笛を慣らす。吹奏楽器と違い唇を振動させ口笛感覚で吹かなくても何かしらの音がでる獣笛。水に濡れている所為で本来の濁った音色が全く出てこなかった。
それからしばらく笛を鳴らして珍しい音で退屈を紛らわしていたエグザム。ついつい夢中になり周囲の警戒を怠っていたら、右側から水が流れる落ちる音に気付く。
(しまった。これを逃したら滝に落ちた時の二の舞だ。)
体を軸にうつ伏せの体勢に回転したエグザム。獣笛を口に咥えながら激しく腕で水をかき、湾曲した壁に開いた穴に手を伸ばした。
「おおおい」
今度は水に落ちた時の様な醜態を晒さずに済みそうだ。エグザムはそう考えながら腕に力を入れて重い体を穴の傍へ近づける。
(間違いない。この穴は斜面状に上へ伸びている。此処を上れば近場の遺跡に出られる筈だ。)
エグザムの意図を理解してか、それともエグザムと共に水場から引き上げられた所為か。霧を粘液表面から放出している水妖がエグザムの左足から離れた。そのまま緩やかに傾斜している小さな水路を張って進みつつ、四角い横穴を青い光で照らし出す。
「これで地上に出られるな 降りた場所から戻らず此処まで来て正解だった」
エグザムは横穴が一直線に上の階と繋がっている事に一安心し、坂の表面を流れている水を撥ね退けながら進む水妖の後を着いて行く。足元は水路として造られたにしては謎の段差が等間隔で設けられていて、階段にしては段差同士の距離が開き過ぎている。
(何かを設置する為の基礎。おそらく運搬用の軌道を設置する為の土台だったんだろう。構造物が設置された形跡が無いから、未完に終わったか放置された場所らしい。)
黙々と数十メートルの坂道を上がり続けると、青い光が届く先に坂道の終わりを示す天井が見えた。水妖を飛び越え駆け上がったエグザムは坂道が終わるその場所に辿り着き、直線通路の十数メートル先に見える曲がり角の壁に別の光を発見した。
「もう夕刻前か 方々に散った竜蜂が巣に戻っる時間帯だ そろそろ巣の中に潜入しないと警戒が厳しくなって近づけなくなる」
独り先に曲がり角に来たエグザムは角から顔だけを出して光源の様子を窺う。
(人口石材の壁に乱反射した日光で間違いない。それに僅かだが奴等の羽音も聞こえる。おそらく此処は俺が試料を採取した遺跡の南側辺りだろう。地下水道が湖と繋がっているからこの辺りは独立した排水溝だろう。このまま遺跡の地下を通って中心部へ進むのが安全だな。)
竜蜂以外の水棲獣との遭遇を嫌いエグザムは僅かに光が差し込む下層通路を歩く。遺跡が機能していた時代は只の通路として造られた連絡通路は雨水や堆積を覆う雑多な苔で覆われている。そしてなにより昼頃に通った下層の迷路と基本設計が同じなのか、残骸や瓦礫で塞がれた行き止まりが無数に在った。
それでもエグザムは霧を吐き出す水妖の通路を確保しながら暗闇伝いに廃墟の迷路を確実に中心部へ向かっている。途中で自身の足跡を辿り着いて来る水妖がすこし縮んでいる事に気付き、定期的に水場を通過するよう留意する事にしたエグザム。およそ十数分程で目的の中央排水路へ辿り着いた。
「此処から先は光らなくいいから別行動だ 俺は卵を探しに行くから お前は下の水路で霧を発生させる場所を探せ」
中央排水路は元は何かの物資を搬入する倉庫区画だったようで、得体の知らない粘土で固められた両側の壁には扉が外れた窓枠らしき部屋の入り口が等間隔で並んでいる。エグザムはその一つから顔を覗かせ周囲の観察を怠らない。
(この辺りは竜蜂の巣を構成している灰色の土で覆われている。おそらく陸上型の小さい個体が出入りするための連絡通路だろう。蟻みたいに巣袋同士を繋ぐ通り道を律儀に管理しているあたり、もしかしたら女王以外にもまだ見ぬ個体が潜んで居るかもしれない。)
エグザムは小声で足元から青い核を粘液で器用に持ち上げている水妖に反対側の入り口へ進むよう促した。何故なら反対側の入り口には階段が在り、竜蜂の無理な改築で施設の地下は雨水で塞がっている場所が多いからだ。
「此処からは別行動だ 水場に着き次第霧を発生させろ」
反対側の入り口から階段へ器用に転がって姿を消した水妖を確認すると、今度は中央排水路に飛び出して一気に中央部の巣穴へと駆けて行く。エグザムの予想どうり蜂以外の虫の特性も受け継ぐ竜蜂の巣穴は、花弁の様な天井に覆われていて飛行型の個体の発着場と化していた。
エグザムは巣の中央と繋がっている排水路を走り、竜蜂の死骸や糞尿など途中で落とした獣の死骸が散乱する障害を何度も飛び越える。
(俺は運が良かった。昼間にこんなところを徘徊していれば、でかい蟻型や狩り蟲を小さくした様な奴等に見つかっていただろう。掃除係の闇虫モドキも居ないようだし、不思議と臭いも気に成らない。)
不思議な事にそれらの障害物からは死臭や腐臭が殆ど発生しておらず、汚染物質により活性化すると言われている獣因子が放つ刺激臭も少ない。エグザムは汚染環境下でも生きられる珍しい微生物か特定の獣因子が臭いの元を分解していると勝手に解釈し、赤い花弁らしき大きな屋根の下に駆け込んだ。
(此処までは順調だった。問題はこの壁を突破して内部に潜入する方法だ。外の餌場から見た限りではよじ登れそうな壁や柱は崩れて残ってなかった。ナイフで地道に削って穴を開けるか、また下へ降りて抜け道を探すかのどちらかしか無い。)
エグザムは試しに腰の鞘と矢筒からナイフと杭を抜き取り、およそ三十度ほど手前に傾斜した赤い岩肌の様な壁に突き刺した。
「硬い 酸化した金属を削る様な感覚だ」
そして大量に付着した赤い粉末や破片を空瓶の一つに詰める。せっかくここまで来たのだから探索者としてそれらしい証拠を残さなければ。エグザムは竜蜂達が巣の形成に用いた赤い破片の材料に興味が有った。
(見たところ人工石材とは違って何かの金属を材料に固めたものだ。赤い成分は竜蜂の分泌物だろう。排水路の壁より硬くて分厚い壁だ。)
反り返った壁を登るにしては隙間や亀裂が見当たらなく、手と足を架けれるほどの凹凸も無い。エグザムはナイフと杭の汚れを拭き取り元の場所に戻し、踵を返し壁から離れる。
(仕方が無いがあいつ等が使う入り口から入るしかない。)
エグザムは来た道を戻りつつ地下への入り口を探そうと壁に開いた穴を一つずつ確認していく。殆どの穴は部屋への入り口や壁自体が崩壊した場所ばかり。壁自体が赤い屋根より軟らかいので道の途中で底が抜けた場所も在った。
底が抜けた穴の一箇所を縁に立って見下ろす。日没が近く日差しが穴の下に届いていないが、下から水が流れる音は聞こえて来ない。
(ここから下に降りよう。おっと見回りが来たか。)
今しがた通って来た背後の角から物音が聞こえ、エグザムは確認不十分のまま穴へ飛び降りる。瞬く間に視界が暗くなり、両足が脆い構造物を踏み抜く感触と音が感覚として伝わってきた。エグザムは周囲の闇を熱視で調べ構造を把握する。
(下も上と似たような構造だ。それにしても空気が生暖かいな。汚染物質だけでなく有害物質が混じってそうな空気だ。)
エグザムは起伏に富んだ床から両足を引っこ抜き、壁に背を預けて背嚢から取り出したガスマスクを装着する。
(場所が場所だからツルマキの出番は無いな。久しぶりに格闘業を使って葬ってやろう。)
通路は三方向に別れていて、上から差し込む光が置くまで届いてない。エグザムは暗闇に聞き耳を立て進むべき方向を定め、空気の流れから背後の道が巣の中央へ続く道だと判断した。
(所詮虫だから大量の卵と蛹や幼虫を何処かに保管する必要が在る。生物が密集すれば地中だろうと気温上がって暑くなり、必然的に空気の対流が生まれる訳だ。)
エグザムは巣の中央へ続く引き返せない道を進む。灰色の粘土層で固められた坑道は地上の排水路と違い、道を阻む障害は無く複雑に枝分れもしてない。後は出会うだろう特定の竜蜂に前後から挟まれないよう注意しつつ、女王個体と卵が安置された場所に寄生植物の種をばら撒くだけだ。
(そろそろ照明具に光を灯そう。目が痛くなってきた。)
まだ異能の血統に慣れていないエグザム。瞬きをしながら霞む視界の代わりに慣れた手さばきで腰の照明具に光を灯す。すると数メートル先の前方の暗闇に淡い緑色の光を反射する何かが見え、エグザムは狩猟用ナイフと杭を両手に持つ。
(照明具の光で俺が見えないのか。おそらく壁の管理と掃除を行う闇虫モドキだろう。先制すれば一撃で殺せる虫だ。)
エグザムは背を低く丸めると脆い床を蹴って闇に揺らめく甲殻の表面にとび蹴りを食らわせた。
「一体だけか」
全長一メートル弱の陸上型竜蜂がエグザムに蹴られ壁に甲殻をぶつけ床に転がる。その隙を見逃さずエグザムは大きな虫に跨り、ナイフを首関節に突き刺し神経ごと血管を断ち切った。
(まるで頭部だけ闇虫と似ている大きな蟻の様だ。甲殻も俺が乗っても潰れない位は丈夫らしい。)
エグザムは脚を痙攣させ裏返っている黒い甲虫の様な竜蜂に跨ったまま、傷口からナイフを引き抜き付着した体液を舐め取る。お味は苦い針葉樹の樹液と似ているが、粘土は少なく非常に舌触りが良い。
「この味は獣の腐肉を漁る甲虫と似ている たしか闇虫は草食だったよな」
死骸から腰を上げナイフに付着した残りの白い体液を、遠心力で振るい落としたエグザム。そのまま歩みを再開させ暗闇に目と耳を澄ませながら、他の竜蜂はどんな味がするのかと想像で補いながら考えていた。
エグザムはさして時間を掛けず大きな部屋へと入った。勿論遺跡の部屋では無く、何かの柱の間に造られた竜蜂の巣袋だ。
「それにしても内部は警戒してないのか やけに無用心だな」
幅は五メートル未満、奥行きは十メートル以上。比較的平らな床は灰色の粘土材で塗り固められていて、比較的最近に床だけ補強された様子が窺える。群れを成す様々な虫を観察してきたエグザムにとって、多くの竜蜂達が巣の周囲ばかりを警戒する理由が何なのか。この時初めてまともな考えを思いついた。
(そうか。上の遺跡自体が要塞化しているから、あの外壁に阻まれて殆どの外敵が巣に入れない。そうなれば自然と巣内部の警戒は世話係だけで足りるように成る。闇虫頭が定期的に巣の修繕で徘徊するだけで、基本的な巣営行為は他の陸上種に任せて終わり。上手く出来上がった仕組みだな。)
エグザムは足元に注意しながら巣袋無いを歩き、何か落ちてないか足元を重点的に探す。見渡す限りでは部屋内はもぬけの殻だが、何か証拠と成る物が落ちているかもしれない。
「俺と竜蜂の足跡しかないようだ もっと奥を調べよう」
そう言い次の区画へ向かおうと入り口から反対側に在る出口に向かおうとしたエグザム。その出口の穴から脆い足場を引っ掻く無数の足音が聞こえたので、急遽腰から照明具を外し事態に対処しようとする。
エグザムが照明具を杭の代わりに目前に掲げた丁度その時、相対する出口から大きな竜蜂と小柄だが細い胴体から長い足と鎌を伸ばす竜蜂が現れた。
(長居し過ぎたか。何とか閉所に誘い込んで一体ずつ処理できれば。)
大きな竜蜂は飛行が可能な大きな羽蟻で体長二メートル近くの個体が二体。そして狩り蟲を彷彿とさせる緑色の甲殻にはっきりと光を反射させながら四足歩行で近付いて来る頭だけ竜蜂が四体。まだ闇の向こうに潜んでいる様な気配もあり、エグザムは近付いて来る竜蜂の一団から遠ざかろうと少しずつ後ろに下がって行く。
(歩幅は向こうの方が有利だ。今不用意に動く事はできない。)
エグザムの左手から提げられた緑色の照明光が反応液を増やした分だけ強く光る。その光は闇に潜む存在を照らし出し、エグザムの目も焼き付けようとした。
目晦まし効果により相対している先頭の竜蜂数体が脚を止める。エグザムはそのまま後ろの入って来た穴に戻ろうと足の動きを早めるが、大抵の最悪な出来事は不運が重なって起きるものだ。
(もう後ろからも来たかのか。どうやら俺が想像した以上に連携が執れてる。赤い竜蜂以外に指示を出す個体が居るのかもしれん。)
エグザムは最悪な結末を回避する為に今まで持っていた貴重な光源を前に転がすと、その光に釣られた先頭の緑竜蜂に又もとび蹴りを見舞った。
強靭な脚力により最初の一体が首辺りの骨格を変形させて後方に吹っ飛ぶと、続け様に隣に居た同種の一体が頭部を首関節から切断される。先頭の二匹が一瞬にして殺された事により、後ろに居た竜蜂達はエグザムを敵と判断して侵入者らしき影に群がろうとする。
しかしエグザムは大型の黒い竜蜂に自ら近付き、中型の獣なら簡単に首をへし折れそうな二本の顎を掴んだ。
「おらぁぁぁおらおらぁぁ」
エグザムは大声を上げながら狭い空間内で二メートル近い大きな羽蟻を振り回す。威嚇を込めて腹筋に力を入れて振り回すと、案の定体が小さい竜蜂頭の狩り蟲モドキが壁や床に叩き付けられ行動不能に陥った。
口から体液と軋んだ鳴き声を発する鈍器を振り回すエグザム。その圧倒的な怪力を駆使し竜蜂の集団を入って来た入り口へと押し戻そうとしたが、肝心な鈍器の首が胴体から捥ぎ取れてしまっては、頭だけでは役にたちそうにない。
エグザムに胞の頭部を投げ付けられた大きな羽蟻が、エグザムから距離を置いて体を反転させようとする。どうやら尻から蟻酸の様な何かを飛ばす事が可能なようで、尻の先端から漏れ出た飲めそうに無い緑茶色の液体が足元の土壁に付着して白い煙を上げている。
「なんだ そんな事もできるのか 便利だな」
エグザムはそう言いながら手甲で襲ってきた鎌から身を守りつつ、小柄な竜蜂頭の狩り蟲モドキを押し退けた。羽蟻型竜蜂の尻から噴き出た半分霧状の液体を別方向から飛び掛ってきた狩り蟲モドキで遮り、そのまま邪魔物の脚に脚払いを仕掛け転倒させる。
(もう時間が無いからこいつ等の死骸で出口を塞ごう。)
右足から柔らかい箱を踏み潰す様な感覚と壊れた伝楽器を弾いた鳴き声を無視したエグザム。そのまま尻を向けていた大きな羽蟻型の後ろ脚を引っ張り強引にひっくり返すと、今度は側面から胴にナイフを突き刺し手元に手繰り寄せた。
こうして新たな凶器を手に入れたエグザム。強酸性の蟻酸を周囲に撒き散らせながら大きな死骸を振り回し、道を塞いでいる竜蜂達を次々駆逐していった。最後には部屋から出る際に照明具を回収してから、散乱している死骸と黒光りしていた大きな甲殻の塊で出口を塞ぎ、追っ手が直に通れないよう僅かばかりの時間稼ぎを終えた。
「これで奴等はしばらくこの穴を通れない 上手くいけばの話だが」
エグザムは肌に感じる空気の流れを頼りにして、起伏が激しい巣の内部へ進み続けた。道中当然の様に沸く竜蜂たちはどれも遭遇した種類だけで、ヴァンから注意するよう警告された赤と黄色い竜蜂は混じっていなかった。結果的にその出来事がエグザムの予想どうりであると証明していて、エグザムは竜蜂の生態に上下関係の様な社会性が有ると考えるように至った。
(時間が掛かったがようやく此処まで来れた。こいつ等が全ての竜蜂達の生命線である蜜蝋種。そして竜蜂の守るべき宝物庫。)
竜蜂との戦闘を繰り返した結果、手足や胴に巻いていた蔦は殆どが切り裂かれ欠落している。縄や装具の紐を保護する為に腰と肩周りに結んだ帯状の蔦が辛うじて無事なだけで、もう一度蔦を編んで長い縄を作るのは無理そうだ。
エグザムは壁に開いた通り穴の一つに隠れながら、遠くの天井から僅かに届く光に照らされた大きな空洞内を見回す。
(流石に飼い慣らされた蜜蝋種と同じな筈ないか。天井や底から伸びた塔に幼虫や蛹が詰まってる。ざっと二千は居そうだな。)
赤銅色色の天井や霧が僅かに立ち込めている巣穴の下から、薄黄色い材質で固められた塔状の巣が乱立している。複数で重なり合い一部の穴同士が繋がっているようで、六角形の巣穴だけは蜜蜂の巣穴と同じだ。
「あの水妖は無事に水場に辿り着けたようだ 後は種をばら撒きながら女王を探し出し殺せば終わる」
広々とした巣穴内に飛行型の竜蜂や、育児担当と思われる細身の大きな蜂が飛び回っている。二十メートル以上下の底から嵩を増しつつ出現した霧に混乱しているようで、空間内の熱い空気が掻き混ぜられていた。
エグザムは騒音で聴覚が壊れないよう、腰の備品入れから取り出した耳栓を耳穴に填める。
(この部屋の中に女王が居るか、女王部屋と繋がった通り穴の入り口が在る筈だ。問題は其処へ至るに何処を通るかだが。)
壁に開けられた穴から別の壁穴に向かうには、若干階段状に構築された壁を下りるしか手段が無い。エグザムは穴の下を見回し通れそうな場所を見つけると、そのまま穴から飛び出して頑丈な穴を足場に跳び下りて行く。
飛び降りて行く仮定でエグザムは腰の小袋に入れた種綿を取り出した。綿と言っても綿花の綿とは毛色が違う繊維に包まれた大量の米粒が目当てで、指で数粒摘まみ壁下の水場へ放り投げる。
「これも二三粒くらい持って帰ってヴァンに調べさせよう なんせ水妖が生る植獣の種なんて物は早々お目にかかれる代物じゃないからな」
本物の蜂に酷似した大きな竜蜂が作ったであろう渡し橋を渡り、エグザムは水際から露出している遺跡の残骸を粘材で固めた足環にたどり着く。巣の底は水没していて構造すら不明だが、少なくとも竜蜂にはこの足場が有れば問題なく幼生を育てれるようだ。
エグザムは水場に近い正六角形の穴に入った大きな芋虫に種を食わせる。白い幼虫の半透明な皮膚から内部の黄色い体液が透けて見えた。なにより顎だけ竜蜂の特徴を受け継いでいる幼虫の口元に粒を差し出すと、餌と勘違いして必ず口を開けてしまう幼虫達。
「ほらほら遠慮せず食っとけよ なにせこれで最後の食事だからな」
種ならまだ数十粒程度残っている。これ等を上手く発芽させる為には植えつける場所選びが重要だ。
エグザムは頭上で各種竜蜂たちが混乱して飛び回っている隙に次々と種を下層の幼虫や蛹に植え付ける。慣れてない初めての行為に最初は場所選びに戸惑ったが、上から落ちて来る幼虫の餌と思われる粘液の玉や卵さえ注意すれば身に危険が降りかかる事は無かった。
(最後の一粒は負荷する前の蛹か。まぁ霧さえ有れば問題無いだろう。)
エグザムは最後の一粒を植える為に黒ずんだ中身をナイフで刺し殺す。傷口から漏れる体液は仕留めた羽蟻型の死骸から漏れ出た体液と同じ匂いで、エグザムはその傷口の表面に種を付着させ種蒔きを終えた。
「やっと終わった 立った数十粒撒くだけでこれほど苦労したのは初めてだ」
気付けば膝の辺りまで霧の層が競りあがっている。あと数分もかからずに足元は白い霧で見えなくなるだろう。エグザムは竜蜂が瓦礫や廃材などで築いた足場から脱出するように渡し橋を渡り、降りて来た壁とは反対側の穴場に登った。
周囲を見回すと急激に光が薄れて空間が闇に包まれる途上であった。エグザムは赤い天井の中心に開いた大きな巣穴に群がる竜蜂達を見上げ、竜蜂にとって霧がどれほどの脅威か物語っている有様を観察する。
「歩行種も壁を登って逃げようとしている 壁の穴を通れば地上に出れるだろうに あぁそうか」
エグザムは竜蜂達を混乱させている原因が霧以外にも存在すると考え、背嚢に入れたばかりの獣笛を背中から引っこ抜いた。
(どうせもうこの巣は終わりだ。ここで獣笛を吹いても聞く奴なんて居ない。)
エグザムは管の中に入った水を抜く為に解放した全ての栓を閉じ、まず振動体を繋ぎ合わせてから口で空気を送り内膜を慣らす。すると邪魔な水が完全に出ていった事で笛の伝声管が振動し、エグザムは手の動きだけで発声気管に空気を送る。
すると振動体により調整された空気が内部に振動を伝播させ、その内部に装填され水に包まれている竜蜂の耳石が振動し始める。同時に振動が共鳴して筐体を構築している伝声管に反響すると、耳には聞こえない微弱な振動が握り手から跳ね返ってきた。
(これがあいつ等が聞いている音か。電池を握って微弱な電流を体に流している様な感覚だ。)
エグザムは笛を吹き続けながら周囲を見回しながら、反応液に光を灯し壁伝いに巣穴を散策し始める。
壁に開いた大半の穴は小さく、地を這う小型の竜蜂専用に作られた通り道がばかりだ。それでもこの巣穴から壁越しに方々に在る別の空洞と繋がった巣穴が在り、エグザムはその中から最も大きな穴へと向かっている。
(いったいこれだけ大きな通路作るのにどれだけの労力を費やしたのだ?)
大きな施設の中心部を丸ごとくり貫いたのか。それとも元から地下中心部が空洞だったのか。この疑問を知る手掛かりは今の所見つかってないので、それらの疑問を解決する為にも大きな穴の縁を登る必要があった。
エグザムは一旦笛を吹くのを止めて、中腰姿勢で振り上げた腕を振り下ろすと同時に硬い粘土層を蹴った。体が四メートル程前方の高台を越えて浮き上がり、放物線を描いて丸い穴の縁に着地する。
「はっ これはどう言うことだ」
直径五メートル程の真っ直ぐな横穴には、竜蜂達の死骸が大量に積み重なっている。この場所に運ばれた獣の死骸も混ざっていて、意図的に竜蜂の死骸も運ばれていたと推測できた。
エグザムは二メートル程の高さに積み重なった竜蜂の死骸を調べながら、隙間を縫うように横穴を進んで行く。死骸の中には黒く変色した竜蜂の卵や蛹が混じっていて、死んだばかりの死骸も保管されている。
(これ等は全部女王の餌か。狩りで傷付き衰弱した個体もこの場所に運ばれてるから、間違いなく余剰分を間引く構図が出来上がっていたんだろう。事実上、竜蜂は南盆地の支配種だった訳だ。)
そう考えながら積み上げられた餌の山を越えたエグザム。再び笛を吹き足元を気にして下りていると、横穴内に大声量の鳴き声が響き渡った。
エグザムはその声を聞き、素早く斜面から飛び降りると屍で出来た別の小山に隠れる。当然獣笛も背嚢に仕舞い、今度はツルマキを手にする。
(そりゃぁ手下が居なくなれば怒るだろうな。案外向こうから来るかもしれん。良い場所を今の内に探さんと。)
エグザムはツルマキの板バネを展開させながら餌場を走り回り、一気に横穴の終着点まで駆け抜けた。
横穴は揺り篭が在った空間より小さいが、それでも最大で幅七十メートル程度の空洞と繋がっていた。空間は奥行きよりも高さが有り、縁から下へ三角錐状に広がっている。
(なるほど。此処から餌を落として女王に与える訳か、まるで家畜の様な扱いだな。)
エグザムは竜蜂が建設した黒い外壁に包まれた女王部屋を見下ろし、内部に居る巨大な生物との距離を測っていた。目測で大よそ五十数メートルやや下方に大型の四脚甲殻獣らしき蟲が見え、分厚く頑丈そうな甲殻が並ぶ背中と対照的に膨らんだ腹が胴体から若干はみ出して見えた。
(補充した杭と矢を全部使っても動きを止めるのがやっとだろう。あれほど大きな蟲は蟲の丘にも居るだろうか? ここからあの背に飛び降りて、直接脳髄に杭を打ち込むしかない。)
失敗すれば振り落とされ踏み潰されるかもしれない。体中に浮き出た筋肉が硬質化し甲殻よりも硬く弾性に富んだ装甲を有する相手に、緋色金の弾丸では強度が足りない。そう判断を下したエグザムは効くかどうか解からない蟲殺しを全て使い部屋中を神経攪乱物質で覆うことにした。
(女王が暴れる前に霧が届くとは思えん。幸い向こうの目は照明具の光を認識してないようだ。蟲殺しの効果を見届けてから飛び降りよう。)
エグザムは発火器具のオイルライターを使い三つの蟲殺し玉の導火線に点火。そのまま眼下の大型害獣目掛け一つずつ投げ込んだ。
蟲殺しは地面や女王の黒い甲殻に衝突した際に砕け、一気に粉塵が舞い上がり煙りと共に盛大に燃え上がる。三つの炎に炙られ女王竜蜂は脚を動かし壁際まで退避するが、急激に広がる白い煙から逃れる事はできなかった。
エグザムは煙で目標を見失う前に高台から飛び降りた。丁度煙で目標の姿が煙でかき消えたと同時に煙内に落ち、そのまま女王の背中を転がって衝撃を逃す。
(第一段階成功。そしてこいつでとどめだ!)
素早く体勢を立て直して不安定な足場を飛び跳ね頭部の真上に到達したエグザム。ツルマキの足掛けを頭部の甲殻に接触させて靴の鉄爪で固定すると、女王が動き出す前に引き金を引いた。
杭を射出した衝撃でツルマキごと体を上擦らせたエグザム。白い煙が充満し緑の光が閉ざされている最中で、金属にハンマーを叩きつける音を確かに聞いた。
「まさか そんなばな」
舌を噛みそうに成りながらエグザムは足をわざと滑らせ前に倒れる。その瞬間自身が立っていた場所を腕の様な巨大な鞭が通過し、エグザムは今更ながら煙の流に目を凝らす。
(危なかった煙の動きだけで判断してなかった、今頃地面に叩き落されていただろう。それに杭が貫通してない。仮にも鋼鉄製の鍛造品だぞ!?)
凶悪な牙獣種特有の牙が並ぶ下顎の付け根の場所を覚えていたエグザム。その真上に当たる甲殻の膨らみに直角の角度で杭を打ち込んだ。しかし打ち出された杭は目の前で深く刺さらず先端だけが潰れて煙に消えていった。
(衝撃は通ったようだ。痛みでもがいてやがる。)
エグザムは背骨らしき膨らみから僅かに突き出た突起の先端部に手を掛け、大きく揺すられる動きに耐える。周囲の煙の流を観察して霧の中から音も無く接近してくる鞭の様な長い触角を何度も交わし、凹凸が並ぶ背中を走って尻の先端まで退いた。
(すこし高いが六メートルくらいだから跳び降りれる。それにしてもツルマキで砕けない甲殻が存在するとは思わなかった。煙が晴れる前に対策を練らないと危険だ。)
地面の足場も黒い粘土を固めた硬い固形物の床だ。其処を音もなく転がりながら女王の咆哮から距離を置いたエグザム。煙の中へ歩いて消えて行く影を見送りながら、とりあえず退避場所と経路の確認から始める。
(卵を運ぶ為の通り穴が何箇所か在った。此処からだと女王が向かった場所の穴が近い。)
エグザムは短い歩幅を意識して、硬い材質に靴底を無暗に擦らないよう走る。暗闇になれた生物が音や臭いを頼りに獲物探す際に用いる器官は別々で、獣殺しでも耳までは封じれない。
照明の光を殆ど反射しない壁伝いに移動し、目当ての穴を発見したエグザム。そのまま立ち止まる事無く穴の中に入り、入り口から少し離れた場所で杭の再装填を行う。
(こうなったら腹に杭と緋色金の弾丸を撃ち込もう。卵を生成する気管に打ち込めば因子分解物質が血管を通して全身に回るはず。後は脆くなった急所に杭を打てば良い筈だ。)
エグザムは息を整えるとガスマスクを外し、いつも首に巻いている緑の手拭で鼻と口を保護する。煙で視界と嗅覚が塞がり熱視も使えない状況で女王の動向を探るには、もう音と空気の流れに頼るほか無い。
迷う暇も無く静かに横穴から出て、エグザムはそのまま空洞の中央で立ち止まった。同時に渦巻く煙の動きから断続的に聞こえて来る女王の足音を聞こうと顔を左へ逸らし続けると、自身が走って来たばかりの方向から何かが近寄って来るのが解かる。
エグザムは迷う事無く真っ直ぐ走り、自ら足音に接近してツルマキを構えた。丁度片膝を突きツルマキの照星を音源へ向けた瞬間、煙の向こうに緑色の光を反射させる複数の光点が見えた。
もう一度引き金を引き、今度は反動を右肩に受けたエグザム。立ち上がり体の向きを変える最中、壁や天井を振動させる金切り声が響き、僅かに視界も揺れだした。それでも杭が真っ直ぐ予想位置に飛び込んだのを視界の隅で捉えると、そのまま迂回する進路を走って穴へ戻ろうとする。
(今度こそ刺さったな。次はもっと接近して至近距離から長銃を撃つ。)
空洞内に響く悲鳴が五月蝿い。そう愚痴を口で零すだけの余裕を噛み締め、エグザムは穴の中に滑り込んだ。
(産卵気管が尻から出ていたから卵巣は腹の前か。この様子だと一撃で膜を貫通できたらしいが、問題はあの巨体に何発打ち込めば足りるかだ。)
名のとうり一メートルを超える長い銃身が特徴の単装式大口径銃は薬室に装填機構が無い。後装式なので弾を後ろから差し込み開閉器具を閉じれば発射準備が整う簡単な作りだ。
エグザムは背嚢を背中から降ろした。背嚢の脇からその旧式長銃を外し、同じく背嚢から急いで取り出した弾薬箱から緋色金弾頭が光る五発の弾丸を左手に握る。
(これ一発で金貨一枚消費する事になる。こんな値が張る弾を撃てる奴は、まさに金持ちだけだ。)
多くの秘境で使用が禁じられている自衛具や装備品に含まれている弾丸を一発装填したエグザム。本来なら所持しているだけで禁固刑は免れない代物を取り寄せた経緯を想像し、たった数十発の弾丸にどれだけの期待が込められたのか思い出した。
「どのみち撃てば見つかる もうすぐ煙が晴れるだろう」
エグザムは残りの四発を羽織の胸に追加された専用入れに差し込むと、背嚢やツルマキを回収せずにそのまま穴から飛び出る。
(動きが止んだ。もう見つかってしまったのか!?)
まだ煙が充満しているが、上を見ると天井が見えて煙の濃度も減っている。あと十数秒後には完全に隠れる場所が無くなると理解したエグザム。待ち構えているだろう相手目掛け、煙の向こう側に最初の一発を放つ。
最初の一発は煙の中に吸い込まれ、そのまま跳ねる事無く何かに命中した。緋色金は世界樹の樹液に含まれる特殊な成分が固まり結晶化した物で、高密度な割に脆く砕ける際に鐘を鳴らした様な独特な音がする。
エグザムは敢てその場か移動せず次の弾を装填する。装填に掛かる時間は僅か三秒程度ですぐに終わったが、再び構える前に煙を裂く二本の鞭が接近して来た。
女王は頭部の付け根から生えた長い触角を撓らせ連続攻撃を繰り出す。両手で受け止めるにはあまりにも太すぎる黒い鞭を避ける為、エグザムは何度も跳躍を繰り返す。そして確実に接近してくる影の動きを注視し、次の引き金を引く機会を待つ。
(俺の靴底が先に砕けるか、それとも女王の体内で緋色金の因子分解作用が始まるか。今は勝負の見極めにしくじれば次は無いぞ。)
素早く地面を転がるエグザムを叩こうと躍起になる女王竜蜂。次第に触覚を動かす筋肉が消耗していき、動きが少しずつ緩慢になり始めた。エグザムは此処で勝負に出ると決め、後ろに大きく跳んで間合いを引きはなした。
長銃の照星と照門を対象の腹部。とりわけ杭が命中し白い体液が零れている場所に狙いを定める。その動作の最中長い脚を動かし接近してくる的と晴れていく視界。エグザムは整った状況を逃さず引き金を引いた。
空間内に再び女王の金切り声が木霊する。以前より音量は小さく短い悲鳴だが、その間女王の脚は止まっていた。
エグザムは素早い一連の動作で装填を終え、三発目を胴体下にある腹部に命中させた。背中や胴と頭部、それから脚を含めて全身の筋肉と甲殻が装甲化していても、排卵気管を内包する灰色皮膜で覆われた腹部だけは柔らかい。
四発目が命中した際、杭に穿たれ開いた傷口から大量の体液が噴出す。重要な内蔵が損傷したのは明白で、最後の一発を装填する前に女王は長銃と緋色金にひれ伏した。
「四発も撃ち込まれてショック死しないとはな 恐れ入ったよ」
引き金を引き最後の一発を緩やかに萎んでいく腹部に命中させるエグザム。限界まで伸ばされた触覚が力なく硬い粘土層の地面に横たわり、大きな蟲は微動だにしたまま動かない。
エグザムは女王の死を確認する前に、大切な相棒を置いて来た横穴へ取りに戻った。その頃エグザムが跳び降りた天井の穴から霧が流れて来て、瞬く間に空洞内の足元は白く染まってしまった。
「もう霧が届いたのか たった一体で霧を生み出しているのに頑張るな」
エグザムは手にツルマキを持ち背中の背嚢脇に長銃を挿した状態で、動かない女王の死を確認しに巨体の傍に近付く。
(それにしても大きな蟲だな。全長二十メートル程度だが、脚の長さも胴体と同じ位か。数千の虫の親にしては形状が全く違う。)
竜蜂の頭部に在る視覚器官は二つで一対の複眼だった。しかし女王には丸い眼膜で覆われた黒い瞳が六つ在る。何より二本の顎は退化したのか痕跡すらなく、長さ三十センチ程度の鋭利に尖った歯が両顎に並んでいる。
エグザムは女王の亡骸から体液か血を摂取しようと考えたが、緋色金で汚染された物は食い物にならないと思い出す。仕方なく屍の周囲を探し何かの拍子に落ちた甲殻の破片を拾って、その場を後にした。
水中神殿を目指す帰り道は、エグザムが今まで体験した事もない困難が待ち受けていた。
「駄目だ 方角がさっぱり解からない どうやらこの壁に含まれる金属が磁気を乱しているようだ」
エグザムは女王の住処から卵を運び出す為に作られた横穴を歩いている。まだ女王の産卵場所から出て数分しか経過してないが、体感や方位盤が使えない横穴の迷宮に入ってしまった結果だ。
(とりあえずこの道を登ろう。上へ上に進んでいれば必ず地上に出られる。)
十字路から左側の道が緩やかな坂になっていた。エグザムは硬い足場に地上とは違う材料を固めたのだろうと考え、竜蜂達が土を掘ったか遺跡地下に構築したのか判らない配管状の通路を進む。
「照明具の反応液を補充しよう このままだと後半日は彷徨うかもしれないな」
エグザムは日数を数え始めた途端、この探索の目的を思い出した。それは探索団が断絶海岸からホウキへ至る新しい探索道を整備するのに森を焼く計画を聞いたときから進んでいる事態で、帰りの日数を考えるとこんな場所で長居している訳にはいかない。
「明日から帰路に就くとして 向こうに合流してから放火を阻止するのにも時間が必要だろう そうなれば今日中には用事を済まさないとな」
小言を繰り返しながら薄明るい光を放つ照明具に反応液の補充を済ませたエグザム。坂を登って傾斜が無い道をしばらく進むと、闇が支配する別の空洞内に出た。
(ここは何処だ?まだ遺跡の地下から出れてないらしい。)
横穴の周囲から調べ始めたエグザムは、狭い高台から下に竜蜂の巣を構成している粘土の壁が無い事に気付く。照明具を直接手に持ち下を調べようとしたら、高台から数メートル先に黒い光を放つ壁を発見する。
「何だこの壁は 俺は地上の外壁の下に出たのか」
照明具の上部のつまみを回し光を強めると、それまでぼんやりと浮かんでいた空間内の輪郭が鮮明に映し出された。それ等は遺跡外周壁を支える基礎構造ではなく、黒い金属らしき物体が住居棟の如く高く積み上げられた大きな倉庫の一部だった。
エグザムは開いた口が塞がらず天井に届きそうな無数の塔を一望している。ただし塔といっても大きな箱状の何かが積み重ねられているだけで、水没した水面から十数メートル程度の高さまで積み上げられた物体に心当たりは無かった。
(建設途中の建造物や空の荷箱を積み上げただけであんな形状に成る筈はない。切り出した岩を接着してはみ出した部分を更に削れば或いは。)
誰が何の目的で目の前の不自然な造形を造ったのか。エグザムの知識で理解出来る代物ではない。何故ならこの場所は旧時代にこの地で製造された金属ブロックの集積場だからだ。おそらく何等かの宇宙船か宇宙軌道港を建設するのに必要な熱伝導遮断材として造られた多重分子結合体だろう。そして塔の様に隙間なく正確に積み上げられたのは上から必要な分だけ纏めて持ち運ぶ為。物流を絶えず流す為に採用された一般的な手法だ。
そうとも知らずエグザムは衣服を脱いで水中に飛び込み、直に金属のブロック柱を触って調べている。残念ながら今の彼では文字どうり歯が立たない代物なので、今は地下が完全に霧で覆われる前に脱出に専念すべき所だ。今はそれらの工業品すら汚染物質として扱われているが、この結合体は口に含んでも吸収できず排出される無害な金属なのであった。
蜜蝋種。本来は高濃度糖分を生成する虫の総称。産出した蜜は主に黒砂糖の原料として重宝されている。しかし食虫文化の名残として虫の蜜漬けや炒めたモノを提供する店も存在するので、亜人や獣人などの秘境圏では混同されがちだ。
エグザムはやや戸惑ったようだが、無事にその日の内に水中神殿に戻ってこれた。今は水龍と対面した上層空洞へ至る昇降軌導を昇降台に乗って上昇している。
(あの大きな水棲獣がこの遺跡の管理者。そして水中神殿に祭られた水の使徒。大塚蛇より大きな体でもこの遺跡なら問題なく住めるらしい。デウスーラより話が通じる相手なら、龍について多くの情報を得られるだろうな。)
やがて昇降台は天井に開いた出口で止まり、青い光と静寂が支配した水龍の間に固定された。台から降りたエグザムが大きな水槽の縁に近付くと、再び水中から巨大な水棲獣が姿を現す。
「約束どうり種を撒いてから竜蜂の女王を始末したぞ お前が龍なる存在ならば俺に血とその情報を教えろ」
吹き上がった水飛沫により足元が濡れて滑り易くなってしまった。それでもエグザムは水槽の縁に立つと最後に残った小さな空瓶をコップ代わりに対価を求めた。
一方の水龍は長い鰭がついた触手を伸ばし両側からエグザムの頭に近づける。今回は意思疎通を始めるまで時間を掛ける様子は見られない。
【使いからの知らせにより お前が契約の履行を実行したと確認した 要求はこの体の血と龍たる存在の情報を望むのか】
エグザムは水龍の問いに短い言葉で肯定の返事を返し、ついでに水妖についても情報を開示するよう求めた。そのエグザムの求めに応じ水龍は、龍たる存在について音を返さず語り始める。
【箱舟の継承者がその名を使うとは想定していなかった 元々龍と言う単語は私が製造される以前に存在した一言語に含まれる単語 伝説上の生物を指す特定の単語だ その名をこの都市の管理者が都市運営用の実験生物や装置を含めた計画に当てはめたのが全ての始まりだった 計画の名は神龍創造 詳細は長らく秘匿されていたので おそらくその間の開発記録は何も残ってないだろう】
龍とは古代都市を半永久的に運営する為に必用な重要技術体系の秘匿名称。全部で八つの分野に振り分けられた極秘計画で、そのうちの一つが水中神殿の管理者と言う訳だ。
【私は主に都市活動で汚染された廃液や汚水を浄化しる為の末端装置だった 水から分離した物質を生産工場へ送る関連施設と設備での運用を想定し創られた浄化生物が変異した存在 現在でも鉱物生命体を遺伝子改造した結果獲得した溶媒から直接無機物や有機物を取り出す機能を有している 計画の秘匿名称は水龍オータム 私を龍と仮定するなら我が名はオータムに成る】
さらに水龍はエグザムへ水中神殿の役割と当時の水質問題など様々な記録を紹介し始めた。しかし話が龍以外の分野へ進んでいくので、エウザムは口で介入し話を戻させた。
【八種類の極秘計画は基本段階が終了し完成に近い状態まで達していた あの戦争さえなければ現在でもこの都市は稼動していたであろう 八種類の極秘計画は私のオータム水質管理分野と連動していたヘルプラント植生環境維持機構とアルケミック鉱物循環設備 それ以外だと生体式核融合技術のデウスーラ細胞 微細機塊光源装置を管理するアマテラス 地下素体化鉱食物レガリア 現在でも活動している電子寄生獣の集合体タケミカヅチ そして全ての始まりである神龍計画より試作建造された箱舟 これ等がお前が知るべき龍についての大まかな概要と言えるだろう 箱舟以外は戦争によって本格稼動する事は無かったが今もその名残なら残っている】
龍に冠する情報を提供した。最後にそう述べた水龍はそのまま血の提供方について話し始める。
【二つ目の対価だが おそらくお前は私を構成している超微細結合※※を欲しているのだろ ならこの器の血ではなくこれを持って行くがいい】
何が差し出されるのか興味本意で待っていたエグザムの足元から何かが浮かんで来る。エグザムは深い水底から浮かんで来た見覚えのある輪郭に気付き、その場に片膝を着いて水面へ手を伸ばす。
「この水妖を持ち帰れと言うのか この大きさの物を持ち替えるには背嚢を空にしないと入らないぞ」
エグザムが空瓶と粘液内に漂う三つの細胞核を交互に見比べていると、水龍は白く変色した細胞核を抜き取れと伝えた。
【何故お前が箱舟の鍵を胸に填めているかは追求しない その不完全な鍵を完全な状態にするには龍達から失われた暗号情報を取り戻すしかない その暗号とは生物の遺伝子と特定の分子結合体を合成した最強の情報蓄積装置を成す一部 かつて私が幾度か接触できた唯一の龍たるヘルプラントを討った死神は何を求める 我々の元となる存在を生み出した者達が何を考えていたのかは解からんが お前はその謎を解き明かす一つの鍵を手にした この都市の継承者として己が成すべき事を全うしろ】
エグザムは水龍の言葉を脳内で反芻させながら、抜き取った乳白色の細胞核を見つめている。
「これが情報蓄積装置の一部 いったいどんな錬金術を使えばこんな物を造れるんだ それに箱舟の継承者とは何だ 何故胸にある結晶体が鍵だと言える これは神の園に来てすぐ特定の獣因子採取用に渡された遺物だった 今は失われた狩人装束の血染めを制御する端末として使っているのに どうして鍵だと断言できる」
もっと教えてくれないか。そう言いながらエグザムは空瓶に拳大の細胞核と空瓶から視線を上げて水龍を直視した。しかし肝心の水龍から何も言葉が送られてこない。エグザムは水秘匿された質浄化計画の名前を口に出すと、顔の傍まで伸ばされた触手が離れていってしまった。
「答えろオータム 俺に神の座とやらを継げと言うのか それなら俺より統治に優れた適任が居るはずだ そんな重要な事からお前は逃げるのか」
水龍と青い水妖はエグザムを無視し、そのまま水面に沈んで青い世界に消えてしまった。空洞内に残されたエグザムは水龍の意図を探ろうとその場に座り考え事を始める。
(神の龍たる箱舟。全ての始まりを動かすには鍵が必要。そしてその鍵は俺の胸に填まってる。鍵の正体が高度な技術によって作ら古きに失われし遺物の結晶だとすると、いったい誰がこれ作ったんだ?)
エグザムは胸板を保護する胸部装甲を開き、血染めと融合している胸の筐体から結晶体を外した。
結晶体はいつの間にか変色していて大半が眼前の水槽より濃い青色に変わっていた。エグザムは遺伝子を構成する獣因子が水龍の供述どうりの存在だと仮定し、一つの可能性を導いた。
「そうか 継承者自体が鍵を成す存在で つまり古代都市は箱舟を造るための仮の姿 聖柩塔はその箱舟とやらを求めていて いや 俺にこれを持たせた時点で既にその存在を知っていた筈だ 確かに失われた英知である錬金術を集約させば不可能も可能に成る 白爺も代理人もその為に各地を旅して回ったと言っていいからな」
エグザムは血の代わりに渡された拳大の団子を顔に近付け匂いを嗅ぐ。
(粘液は揮発性の物質と違うのか。何もにおわない。俺の鼻でも感知出来ない成分なのか?)
鼻で駄目なら舐めてみたエグザム。舌触りは見た目どうり繊維の塊で見かけより柔らかかった。しかしこれをどう活用すべきか分らない。エグザムはとりあえず一口噛んで咀嚼する。
(中はゼリー状だが歯応えが硬い。果肉の様な甘さや酸味は全く無い。どちらかと言えば苦いだけの団子だ。)
空腹で体が血に成る物を求めていたのか。エグザムはそのまま拳大の丸い細胞核を食べてしまった。ゼルから不用意に特定の獣因子を摂取したり、血染めに直接害獣の体液を浴びせないよう注意された事も忘れ、胃から発生したガスを何度か吐き出しくつろいでいる。
「今は体を休めよう 下の区画に手ごろな長椅子が在ったから 乾燥肉でも食いながら水槽を眺めるか」
五期二十四日。その日エグザムは水中神殿から出る事は無く、施設内を隅々まで探索してから施設内の寝具で就寝した。既にこの時も血染めを介し肉体が繰り返し変異し続けていて、私がその結果を知るのはもう少し先の事になる。
水龍オータム。緑龍ヘルプラントと対を成す都市環境維持施設の管理個体。微細機塊による特異な獣因子の集合体で、本体は浄化炉内の微生物情報網。
翌朝に水中神殿を発ったエグザムは、そのまま来た道を通らず別の道からホウキへの帰路を歩いている最中だ。ここ最近地下を探索するようになって地下道が気に入ったのか、なんと旧時代に建設された地下トンネルを使い赤い山経由でホウキへ帰還しようと目論んでいる。
「暗い暗い通り道 誰と誰が行く先は 忘れられた古き箱舟」
照明具を左手に持ち、右手でツルマキを闇の向こうに構えている。地下トンネルは地下水道で見た円形の天上だけ同じで、足元は荒く舗装された硬化道路が平らに先まで続いている。
エグザムはこの道の存在を知りえたのは、水龍から情報を引き出す際に聞いた浄化施設とその周辺の地形情報を知ったからだ。水龍が音を介さずエグザムの脳へ間接的に信号を送った所為で、エグザムは強制的に古代都市の概略図を覚えさせられた。
「霧が届かない深い場所まで来たのに獣一匹出くわさない やはり赤い山の地下遺跡と繋がってないから」
水中神殿で一夜を過ごし久しぶりにまともな寝具で寝た結果、さらなる探索を続行可能なほど体力気力共に万全な状態にまで回復した。故にエグザムは昨日の夜に下調べお終えた水中神殿から延びる直通トンネルを歩いている訳だが、想像以上に長く道路上に何も残ってないトンネル探索に鬱憤も溜まりつつあった。
(何千年も使われずに放置され、更に停止した空調のおかげで外の劣化環境からも隔離されていた場所だ。このまま戦争が何時の時代に行われたのかさえはっきりすれば、これからの探索も比較的楽に成るだろう。)
エグザムは今歩いている帰り道に、水龍が意図的に省いた戦争の痕跡が見つかるのを期待している。なにせ地下道が多い神の園は過去、地上の隔離された場所から多くの財宝や機械部品等の残骸が発見されているからだ。
たとえ探索街のイナバ四世で既に採り尽くしたと言われていても、全て場所を探索したとは誰も言ってない。少なからず残っている未踏領域に害獣の脅威さえなければ、間違いなく今も探索黄金期が続いていた。
それから一時間ほど歩き続けていると、エグザムは若干右に湾曲した暗闇の先に複数の光る物体を発見した。光る物体は照明具の緑光を反射した何かの物体で、反射光が僅かに揺れる腕の動きに同調して少しだけ揺らめいて見える。
(瓦礫か?空気の流れが無いから息が詰まりそうだ。)
そこでエグザムが一歩踏み出し何が光を反射しているのか確めようとした瞬間。視界に緑とは明らかに違う青い光点が幾つか現れた。その青い光点は丸い玉の様な形状で地面や天井から少しはなれた場所に浮遊している様にも見える。
(あれは獣の目だ。こんな場所に獣が居るだと!)
エグザムは照明具を肩の帯に固定し、そのまま胸の高い位置でツルマキを傾けながら正面に構える。青い瞳の数はなおも増え続け、明らかに単眼だと判る瞳の持ち主達がエグザムへ近寄り始めた。
(こいつら赤眼だ。俺が名付けた名前がそのまま種として認識した新しい固有種。もう少ししっかりとゼルの話を聞くべきだった。)
未知な点が多い害獣に対し幸運にも戦闘経験が有ったエグザム。今更来た道を引き返そうとは考えず、照明具を腰帯に固定した左手で腰に挿した鉈を引き抜き前進し始める。
(昔白爺にやられた目潰しが効くかもしれない。あの方法を再現できればしばらく奴等の目を無力化できるはず。)
数は確認できるだけで九体。動き出した群はまだ暗闇の奥にも続いていて、一度に相手するには危険を越えた死と隣り合う事になる。それを警戒して不用意に刺激せずゆっくりと近付いて来るエグザムに興味が沸いたのか。何処からとも無く硬いトンネルの内壁を叩く様な無数の音を鳴らし始めた。
エグザムは赤眼達の輪郭が見えた瞬間を見計らい、目を瞑って左手で照明具の光量を最大まで引き上げた。たちまち照明具から煙が出て激しい燃焼光が瞼越しに見える闇を明るく変えていく。
足の動きだけは止めなかったエグザムは直に照明具から燃料棒を取り外し捨てた。そして網膜に僅かだが光の残滓が残っているうちに熱視を発動させると、浮かび上がってきた灰色の機械獣の様な像の隙間を縫う様に走り出す。
(完全に固まったか。こいつ等の顎は蟲に似てるが胴と脚の構造が不自然だ。普通なら関節部が露出して筋繊維が見える。稼動範囲が狭まって簡単な機械動作しか出来そうにない脚はどうやって動かしているんだ?)
エグザムは閃光を直視して活動停止した赤眼達を順調に避けながら走り、僅かに見える路面の線を頼りに暗い反対側に抜ける。そのまま熱視が維持できる内に距離を離して追跡を諦めさせようと距離を走って稼いでいると、前方の暗闇の先から小さな粒状の何かが見えた。
「またか 此処は赤い山の地下施設から離れている場所なのに」
エグザムは一旦立ち止まり背嚢から新しい照明具用の燃料棒を取り出す。作業に熱視使える事に気付くが、生憎持続時間の大幅な延長を喜んでいる暇は無い。
「これで良い 安くて規格構造が簡単な物を選んで正解だった」
エグザムは強引に差し込んだ燃料棒に栓をして固定すると、容器の蓋を被せ摘まみを中立位置に回してから押し込んだ。すると反応液が再び電離活性化し熱を帯び始める。どうやら反応液の急激な劣化は無いようだ。
予備の燃料棒と反応液が入った筒を照明具と一緒に腰帯に装着し直そうとすると視界が薄れ始める。エグザムは瞼を閉じて熱視を中断させたまま、片膝を路面に突いて耳を澄ます事にした。
(以前赤眼の血を浴びた時に首飾りに填まっていた結晶体にも血が付着した。あの時初めて結晶体が変色したから俺も特殊な獣因子の存在を信じるようになった。もしゼルの報告を思い出せれなかったら対処を誤まっていただろう。)
獣特有の優れた聴覚がトンネル内を反響する音の発生源を聞き分ける。後方から断続的に硬い何かを叩く様な足音が聞こえるが、それより大きい音源がもうすぐ近くまで接近していた。
エグザムはツルマキを背負い直し目を瞑ったまま左腕で前を覆った。丁度頭の右前方辺りまで照明具を高く掲げると、数秒数えてから再び摘まみを限界まで回す。
再び閉じた視界の隅が白く霞み、急激に活性化した反応液が発熱して革手袋にまで熱が伝わって来た。エグザムは僅か数秒の間だけ光らせた照明具から光を消そうとしたが、今度は調節用の摘みを回しても光が弱まる気配が無い。
「導線が焦げ付いたか」
エグザムは単純ゆえに安い中古の照明具を前方へ投げ、容器が何かに衝突して割れる音を無視して瞼を僅かに開ける。
(早く離れないと有毒が煙を吸ってしまう。こうなるのなら閃光玉や発破も持ってくるべきだったな。)
左腕で視界の大部分を塞いでも目に飛び込んでくる光は中々止まず、エグザムは光の向こう側に居るだろう赤眼達へそのままの体勢で走り出した。当然の事ながら、眩い光で霞む視界の所為で大きな赤眼の脚や胴に何度も衝突してしまう。エグザムはよろけたり倒れる度に体勢を立て直し、何かが燃える音から遠ざかろうと必至少ない隙間に身を押し込んだ。
やがて眩い光が消えると、後方から重量物が倒れる音やぶつかり合う接触音が木霊してトンネル内が騒がしくなった。エグザムは照明具を一つ犠牲にして集団から無事脱出した後、瞼の焼きつきが消えるまで走り続けた。
「目が痛い 少し無理をさせたらこれだ 今度から能力ばかりに頼るのはやめよう」
探索者ならやはり重装備が適切だと、遠回しに宣言したエグザム。靴底の鉄爪が路面を打ち鳴らす音を聞きながら遭遇したばかりの赤眼集団を思い出す。
(俺でも追跡を諦める距離まで離してやった。もしこれ以上遭遇するなら今度は不毛な消耗戦で強引に奴等を退けるしかない。それにしても奴等は何の為にこんな場所に居たんだ?)
エグザムは狩人として害獣の行動や思考を洞察する力に長けている。群や単独で流離う害獣と接しその生態系を熟知すれば誰でも理解できるだろう行動原理だけでなく、本能的な欲求行動まで把握する事が出来る。
「獲物を追って来た可能性は低い 新しい住処を探しに来たのか縄張り争いの只中だったのか しかし本にあった機械獣とよく似ている 更なる調査が必要だろう」
帰還し報告する内容が一つ増えた。エグザムはこの件で水龍との遭遇や得た情報の隠匿に活用しようと考え、余裕の笑みを浮かばせながら視界を熱視に変えた。
「道が無い」
遺跡に使用されている人工石材や合成石材は、文明の物と違い熱を通しやすい。接着材として使用された合成粉末の粒子材に金属か鉱物が混ぜられているとも噂されていて、単純な合成粉末のみを使用した文明圏のモルタルより熱伝導率が高いのだ。
熱視により浮かび上がったのは十数メートル先で途絶えたトンネルと生物らしき白い影。途切れたトンネルの先は空洞状に崩落していて、僅かに光源らしき光の波長が下から浮き上がっていた。
大幅に減速したエグザムは緩やかな足取りで断崖の縁に立つ。熱視を続け空洞内を調べると、塞がった天井と底になにかの構造物らしき瓦礫や柱が埋もれている。どうみても遺跡地下を大きく削り取られた様な有様に見え、不運な事にエグザムはその犯人に心当たりしかなかった。
(これだけ大規模に地下を掘っても崩落して埋もれないのか。そう言えば赤い山とその周囲は硬い岩盤層に覆われていると何かの本に書いてあったな。たしかあれは地質学の本だったような。)
不鮮明な記憶を整理していると、忽然と不穏な足音がトンネル内から聞こえて来た。既に退路は絶たれているので、このまま崩落が目立つ崖を下り対岸の壁に見えるトンネル穴まで自力で進むしかない。
エグザムは片目だけを閉じ、熱視の貴重な持続時間を無駄に消費しないよう足元を見下ろす。
(大丈夫だ。何かが階段状に倒れている場所からなら下に降りれる。こんな場所で時間を浪費している余裕は無い。)
そのまま縁から一歩踏み出し、数メートル下の瓦礫に着地したエグザム。人工石材の断面は分厚く、砂に覆われて無い場所に着地していたら足音で気付かれていたかもしれない。
エグザムは上げていた右瞼を半分だけ閉じる。視野を微調節するのは面倒で熱視効果が薄れるが、照明具を使えない状況で僅かな光源を頼りに不安定な足場を辿るよりは何倍もマシだろう。
空洞内の天井は四十メート以上の高さだ。場所によって大きく変わるが、壁面に見える太古の地層と構造物の基礎を見間違う事はありえない。そう判断しエグザムは七メートルほどの高台から唯一の光源がある地の底の砂地に飛び降りた。
(これは光苔の一種か?どう見ても形状は菌糸類だ。こんな地中深い場所で育つ筈がない。)
熱視をやめて視界を通常に戻すと、青や赤い光を放つ無数の茸が砂山から顔を出している。一本一本形や大きさも違う茸は数十センチ程度に盛られた砂山からしか生えておらず、大きい物だと笠の天辺がエグザムの腹まで届く物まで有る。
エグザムが近くの光る茸を調べようと近付こうとした時、左側へ川の様に蛇行して続いている茸通りから物音が聞こえた。エグザムは警戒して背後の瓦礫に身を隠すと、色彩豊かな発光植物の並木沿いから小さな赤眼らしき個体が姿を現した。
(大きさだけじゃなく形状も違う。それに何かを口に抱えているな。とっ捕まえて吐かせるか。)
エグザムが隠れた人工石材の大きな破片を素通りした個体は、これまで遭遇した個体より一回り小さい。さらに特徴的なのは顎の下に有る前足が退化し小型化している点で、緑色に光る小さい茸の株を腕と口元の顎で掴んで運んでいる。
(どうやら赤眼達は竜蜂の様に積極的に巣の外へ狩りに出かける種ではないようだ。長い地下生活で特異に進化した甲殻獣で、尚且つ餌となる植物を栽培する能力が有る。なんとも興味深いやつ等だな、当然調べなくては。)
この時、エグザムの脳内で設定されていた優先順位が入れ替わった。戦争の爪痕を探したり早急に隠れ里に帰還するよりも、目先の生物を徹底的に調べないと探索者としての矜持が許さなかったらしい。
人工石材と合成石材。双方とも建築業界に無くては成らない建材。一般的に粒が細かく鉄筋や砂利等の補強材を用いないのが人工石材と定義されている。しかし合成石材にも粒子密度や使用結合材が異なる層を合わせただけの物も存在するので、旧時代の建造物等の構造材を除いて文明圏では複合材の名で統一されている。
行き先を変更し赤眼が掘削した地下を調べ、尚且つ赤眼の生態系も自ら掘り下げ調べようとしたエグザム。既に二時間以上道草をくっている訳だが、現在はとある瓦礫の中で息を潜め潜伏している。
窮地に陥った自業自得なエグザムより、今は紹介しておくべき事が有る。それは我が隷下の組織が赤眼について新しい生物細胞を確認した事だ。
新種の地下生物として発表されたばかりの赤眼。表向き神の園で発見された新しい固有種としてこれから生物学会で脚光を浴びるだろうこの生物。実は以前から姿を度々目撃されていて、探索組合が秘密裏に調査隊を組織し赤い山の地下を潜り屋達で調べさせていた調査対象だった。
長らく秘匿された理由を説明するには時間が惜しいので今回は省く。この赤眼、竜蜂ほどではないが同じ母体から形状が違う種が生まれる奇形種族と同じ遺伝子劣化が見られる。遺伝子変異によって元と成った種族が特定し辛い奇形種族だが、エグザムが持ち帰った眼球と神経系を調べた結果、染色体が著しく欠損しているのが判明した。
当初学者達は欠損具合からサンプルの持ち主だけが生体異常により生まれた出来損ないだと判断した。しかし彼や探索者たちの目撃情報から推測すると、定期的に群から炙れた個体が地上を徘徊している訳では無さそうだ。
丁度その頃に別の集団が血管内で固まった血液成分の抽出に成功した。この血液を透過解析した結果、驚くことに生物の形成に不要な無機物の割合が圧倒的に高い事が判明する。これにより赤眼と呼称された種は限りなく鉱物生命体に近く、機械獣と同じ経緯で何等かの害獣が進化した甲殻獣の亜種と推定できる。
故に私はこの種が竜蜂とは違い生殖により次代を生み出さない一世代限りの生物だと判断した。それも遺伝子異常で生殖能力がない出来損ないとは違う。何等かの手段で交配が不要になった独立生命体と捉えていいだろう。なので私はつい先日、代理人を介し現地に居る全ての協力者にこの生物の捕獲と調査を命じたばかりだ。
自らが所属している探索団が地上で慌ただしく活動している事など知らないエグザム。巨大生物の骨の様な白い人工石材の瓦礫に隠れ、僅かな隙間から付近に居る大きな赤眼の群を観察していた。
(たった一つ餌を盗んだだけでこの有様か。この光茸は奴等にとって餌以上の価値があるに違いない。)
エグザムは背嚢から取り出した予備の袋には、茸類には見えない砲弾の様な薄紫色に光る何かが入っている。持ち帰り植物を調査して赤眼の生態を知る手掛かりに成ると期待して採取したのだが、果樹園の様な砂地から逃げる際に運悪く動く光を感知されてしまったエグザム。菜園を管理する小型赤眼が来ると思い瓦礫に隠れたのだが、遣って来たのは全長四メートルを超える大型の赤眼だった。
(胴や目と脚の構造だけ似ているが、輪郭や前足だけ見れても形が違う。おそらくあれが兵隊蟻なんだろう。こんな袋小路の場所に不用意に来てしまった俺が悪い。)
狭い瓦礫の隙間に身を押し込んだ所為で、胡坐を掻いている尻が痺れてきた。腹の前で大きな発光を入れた麻袋を抱いているので、安易に腕を動かしただけで背中のツルマキが背後の硬い壁と接触しそうだ。
(入って来た穴から出るのは無理だ。このまま此処で待っていてもあいつ等が移動する気配が無い。天井の穴から逃げるしかないな。)
巨大な閂の様な瓦礫の隙間から上を見上げれば、部屋内の発光植物へ水を供給する小さな滝が流れ落ちる穴が見える。穴は人工的に掘られた坑道で十メートル以上の高さに在り、人が通る分には問題無い小さな横穴に見えた。
エグザムはゆっくりと体を右側に倒し、乾いた砂地をゆっくり這いながら瓦礫から出た。そして周囲に集められた瓦礫の影を這いながら、目当ての場所へ向かう。
問題は切り立った崖を登れる場所は流水の浸食で脆くなった場所だけで、岩が剥き出しになっている滝壺から登ると発見される可能性が高い。仮に一度発見されれば、もう後戻りは出来ないだろう。
(しかし奴等はどこで光以外の感覚を感じているのだろう? 触覚の類がない生物を蟲と言いうのはおかしな話だ。)
黒い菱形の胴は隆起した甲殻で守られている。個体によって若干差異が有る筈の輪郭はどの個体も同じで、あたかも量産された機械にも見える。
エグザムは入り口側を警戒している大きな赤眼達をしきりに警戒し、何度も顔を上げて瓦礫の隙間から様子を窺っていた。全く微動だにしない生物が物音一つに反応して襲い掛かって来る。その光景を想像すれるだけで警戒するに値する存在だった。
やがてエグザムは水が染み出す砂場に辿り着き、水が砂岩を削って上から崩れ落ちら岩が転がる場所に辿り着く。その場所は上から落ちた水滴が頻繁に周囲へ飛び散っていて、暖かい空間にしては涼しい。
(一気に駆け上がろうと思ったが、せっかくここまで見つからずに来れたんだ。もうしばらく足音を立てずに足掻いてみよう。)
そう意気込んだ直後、鉄爪が岩肌を引っ掻き場に相応しくない音が足元に露出した岩から聞こえた。エグザムは咄嗟に身を隠し音だけで赤眼達の動向を探るが、やはり水が流れ落ちる音しか聞こえない。
(危ない危ない。滝壺に落ちた打ち水の音が無ければ気付かれていた。)
エグザムはしっかりと足元を見ながら小さい岩から大きな岩へと順に登って行く。上の坑道を掘ったのが探索者か赤眼なのかは判らないが、その坑道を掘った際に出た石が小山が出来るほど積みあがっていた。
(坑道どころか、どうやら只の横穴の類では無いらしい。もし入った入り口を奴等に塞がれていなかったら、気にも留めず無視していた。)
やはり水気が多い場所なのか岩肌は良く滑り、体を動かすだけで体重が乗っている鉄爪が岩肌の突起を傷つける。しかしエグザムは足だけでなく腕の力も十分に強い。樹の上に住む哺乳類同様、腕の力だけで崖をどんどんよじ登って行った。
エグザムは高い天井のすぐ近くに在る穴の縁に右手を掛けた。そのまま右腕の筋肉を倍以上に膨張させ左腕も掛けると、大きく息を吸ってから体を引き上げる。
(なんとか気付かれずに登れた。このままこの道を進んでもと来た空洞に戻れる道を探そう。)
坑道は花崗岩らしき岩の層を歪に削った横穴で、足元を流れる水が湾曲した道の先から流れている。エグザムはその不安定な足元を気にせず歩き、熱視を使い装具やツルマキを不用意に壁に擦らないよう注意した。
「一気に気温が下がってる これは水が蒸発した影響だけではないぞ」
赤外線が殆ど無い坑道は熱視で見直しても暗い。小型の赤眼が削っただろう歪な壁と天井に細かい引っ掻き傷がしっかりと残っていた。エグザムは歩きながら左の手甲を外すと、革手袋越しに左手を壁の小さな採掘跡に重ねる。
「鋭利な何かを使い叩いて砕いた様な痕じゃない あの顎で直接削ったのか」
文明圏では硬い岩盤を砕く際に各種発破を使用するのが一般的だ。そうしなければ一メートル掘り進めるのに無駄な時間と労力を費やしてしまう。つるはしや槌が傷付く壊れてしまうのなら、初めから金を払って岩ごと発破すればいい。
「少し礫岩が混ざってるが人工石材と殆ど同じ硬さだ 赤眼はこれを砕いて掘り進める能力も有るようだ もし奴等が際限なく増殖する種なら 早い内に駆除しないと大変な事になるかもしれない」
左目の熱視効果が薄れ始めたので、左瞼を閉じ右瞼を開けて熱視を継続する。相変わらす黒い皺のような壁が僅かに見えるだけで、水の流れを辿らないと不安定な岩肌で足を踏み外しかねない。
エグザムはしばらくこの動作を続け、再び穴の先に光が見えるまで横穴を歩き続けた。ようやく見えたその光は地上の陽光と比べれないほど弱く、緑系の光を発する発光茸が多いのか若干緑がかって見える。
(たった数十メートル歩いただけで目の奥が熱い。すこしこの辺りで休もう。)
エグザムは左右の壁が近く狭い空間の入り口横に腰を下ろした。横穴から出た場所は水を通す為に掘られた空間で、天井が四メートル程に対し道幅はその半分しかない。
「もしかしたらこの地下水に何か混じっているのかもしれん 汚染物質か或いは何かから溶け出した有機物 水場に茸状の発光体がないのも気になる」
両側の地層が剥き出しになった黒い壁を地面の砂地から照らし出す光苔。天空樹や水中神殿の地下水道で見かけた物より大きく、乏しい知識でもそれらが数十年の時をかけて成長した種だとエグザムには理解できた。
(発行器が多い種ほど緑色の波長を放つ。そして十年以上かけて育った株には地下茎が出来、新しい芽が次世代の株へと育つ。よく発光微生物によって造られた植物状の化石だと言われてるが、この感触を知らない奴の妄言に過ぎない。もし前時代末期にこれの完全栽培に成功していれば、今も世界中の秘境で光を放っていただろうに。)
エグザムはきめ細かい砂粒を少し搔き分け、一時的に網目状に広がった地下茎の一部を露出させた。火山から排出された無機物の多くを分解する事で有名な光苔は、環境さえ良ければ人為的に木程の大きさまで育てる事が出来る。
菜園用に発育が良い一株を持ち帰ろうとしたエグザム。腰からぶら下げている麻袋に入れた珍しい茸らしき植物を思い出し、そっと土を戻してその場から立ち去った。
それからエグザムは十数分ほど地下水脈を歩き、天然の省乳道を抜けて大きく掘られた別の空洞に辿り着いた。かつてどこぞの探索者が掘った何処かに在る探索痕の石窟に出れるだろうと期待していたエグザム。赤眼の勢力圏が想像以上に広がっている光景を前にし、探索方針を根本から変更する事にした。
(赤眼が特殊な獣因子。龍の血を継いでいるのは確かだ。もう結晶体に記録したから用は無いが、流石に狩人として害獣を目前に見過ごす事は出来ない。)
エグザムは幅数十メートルに渡り大きく削られた大空洞をしきりに見回している。天井に見える橋らしき構造物の支柱が見え、既に崩れ落ちた場所に水が流れた痕跡が在った。特にその真下の砂地には発光植物が無く、崩壊の影響か空洞内を照らす光が弱い。
幸い周囲に蠢く影は見当たらない。エグザムは両側へ続く大トンネルを左手方向に進み、砂地や水場に残る人工石材の残骸を探す。
(残骸には骨組みだけじゃなく枠まで残っている。どうやら相当無理して掘ったんだろう。地上に残る遺跡の基礎が露出している。)
古代遺跡の多くは、金属製の型枠に人工石材の粒化材を流し込んで固めた構造物だ。固める際に電流を流し短時間で焼き固めるので、枠に用いた金型と癒着しやすい。その為に予め埋める部分は枠ごと埋めて問題無いよう重量計算が成されている。とくに地震による液浄化や大地崩落による陥没に対処する為、区画ごと基礎を一つに繋げる傾向が見られる。これは私が傭兵だった頃から主流だった建築法だ。
大きな天井を見上げながら時折進路前方の岩陰を気にしていたエグザム。空洞を歩き始めて数分と経たず、前方から接近してくる影を熱視で確認する。
(働き蟻だ、巡回中の集団だろう。)
エグザムは左手に在る砂山に飛び込み、発見される前に稜線に身を隠した。そのまま息を潜めて赤眼集団が通過するのを待っていると、再接近した集団が突如止まってしまった。
(しまった。足跡の存在を忘れていた。俺とした事がなんて初歩的な失敗だ。)
緩やかな動作でツルマキを背中の固定具から外し、ゆっくりと歩を進めながら砂地の影を進む。見つかるまでに有利な距離を稼ごうと暗い足元に集中していると、左足が何か硬い物を踏んでしまった。
僅かに漏れた音にその場で固まったエグザム。耳を研ぎ澄ませ音から集団の動向を探ると、後方から砂を掻く足音が聞こえる。
(少し数が多いが巣の中で追われるよりはマシだ。狩りを始めよう。)
エグザムは砂山の斜面を駆け上がり、ツルマキを体を中央の茸道に曝け出す。そして尻を自身へ向けている最後尾の一体に狙いを定める。
しかしエグザムがその場で引き金を引く事は無かった。何故なら集団はそのままエグザムの足跡を辿って道の先へ進んで行ったからだ。
エグザムは二度と自らの足跡が発見されないように崩れ易い砂場の斜面を歩いて先へ進む。
赤眼達が崩れた壁や天井を補強する為、周囲には廃道から削ってきたと見られる瓦礫が散乱している。竜蜂は蜂らしく都市の廃材や樹木を砕いた粒子材を巣に使用していたが、赤眼はそのまま小さく砕いた欠片を土砂と混ぜ分泌液で固めているようだ。
エグザムは形状や種類が疎らな発光植物からそれ等の残骸ばかりに目を通し、空洞の奥へと進んで行く。空洞内の時期の乱れはごく僅かで、とても磁場の乱れで有名な秘境とは思えなかった。
それから二十分以上時間を掛け、道なき道を発光植物を目印に進んだエグザム。ようやく見飽きた空洞が途切れている場所に辿り着いた。
底は滝から落ちてきた水が水蒸気と成り白く霞んでいる。視界を霞ませる程の水量が流れて来ているのに、人工石材で補強された広場の様な場所には全く水気が無い。
「どうやらこの竪穴の底が赤眼の巣の中心らしい まさか光が届く場所に在ったとは思わなかった」
白い水蒸気に混じり乾いた白い砂が歩く度に舞い上がる。雨季に洞窟内から雨水によって運ばれた分解された鉱物が堆積していて、広場らしき場所の大半に流された砂の後が残っている。
エグザムは降りれそうな場所を探し、広場から途切れた高台の縁に立って大きな竪穴内をくまなく見回した。
(どうやらあの巨大な柱に巻き付いた蔦植物を伝って下に降りれそうだ。これほど深くまで日光が届いている場所だからか。殆ど獣に荒らされた形跡が無い。)
エグザムは巨大な地下空間を支えていただろう倒れた四角い柱に近付く。石柱は人工石材ではなく旧時代の合成石材で構築された太い支柱のようで、たまたま近くに在る物だけが根元から折れて竪穴内へ倒壊していた。
(上から真水で流された種が石材の隙間で芽吹いたのだろう。雨季になればこの場所にも滝が流れるに違いない。)
幅三メートル以上の正四角柱は根元から数メートルの程の高さしか無く、その上は天井ごと喪失して青空が見える。エグザムは見上げて四十メートル以上先に見える断崖を確認し、落下物が無い事を祈りながら蔦に覆われた柱下部を下りて行く。
「これも竜蜂 じゃなくて赤眼達による掘削が原因なのかもしれん 貴重な遺跡を壊すのなら獣でも許さない」
旋風谷の森や霊山の遺跡で蔦の昇り降りに慣れていたエグザム。梯子を下りるのと大差ない速度で滝壺から立ち昇る水蒸気の層に入った。
手や足元以外の視界が失われる。エグザムは熱視により竪穴内を調べようとした瞬間、濡れた蔦を握る手が滑り柱から滑落しかけた。
「そうだ忘れていた 汚染物質を含む水は植物に良くないんだった 最近の探索生活で狩り勘が鈍ったかもな」
エグザムは蔦の束を辛うじて掴めた右手に力を入れ直し、宙吊りの体勢から復帰しようと左手と両足を手ごろな場所に引っ掛けた。その後降下を再開し十数メートル下りた所で地面に両足が着く。
「やれやれ 何も見えない この水気だと熱視も使えないな」
滝壺が近い所為で霧の中から水飛沫が飛んで来る。あっと言う間に全身を濡らしながらも、エグザムは周囲の地形を足で確めようとその場から反時計回りに進んで行く。
「表面が綺麗なままだ やはり原色を保っている場所が残っていたな」
水辺は構造物の人口石材で覆われていて絶えず水浸しだ。しかし長い時間水の浸食に晒された様な形跡は無く、エグザムは旧時代の遺跡について知り得た情報を思い出そうとした。
エグザムが立ち止まったのと同時に、霧の中から大量の水が流れるような音が発生する。滝の轟音に負けないほど大きな音に続いて周囲の霧が竪穴の下へ流れて行き、エグザムは突然の光景に驚きいたまま動く事ができない。
(何だこれは。巨大な便器にでも水を流しているのか!?)
瞬く間に晴れた霧は竪穴の更に下へ流れて行き、霧に隠れていた塔らしき構造物が姿を現した。エグザムはその細く縦に伸びた枝状の柱が密集した謎の塔へ向き、折れた枝の様に曲がった頂上から下へ視線を下ろしていく。
(鉄塔にしては見た事ない構造だ。まるで超巨大な多肉植物でもある世界樹から水を抜いた抜け殻の様な姿だな。)
多くの秘境本や観光案内本に掲載されている巨大な砂漠のオアシスとは違い、目の前の塔は全長がたった五十メートル程しかない何かの残骸だ。エグザムはそう判断し視線を竪穴の底に移した直後、今度はその塔らしき残骸が動き出す。
「遺跡自体が稼動している そんな馬鹿な」
塔は時計回りに自転しながら上昇を続けている。少し前まで轟音と霧に包まれていた場所とは思えない程の変わり様だ。
上昇を続けた塔はエグザムが降りて来た上の階層から少し高い位置で上部を展開させ止まった。折れ曲がった何かの骨組みに見えた上部構造は、竪穴を支えている柱へと伸ばされ固定されている。もし本来の姿のままだったら、周囲の柱と接続されていただろう。
エグザムは塔の全貌を上から下へ見下ろしていき、竪穴の底である塔の根元に暗い溝を見つける。
「一定の水量を超えると自動的に弁が開く仕組みか おそらく水圧を利用して作動する機構だろう ここまで大規模な物は初めて見た」
視野を拡大させ底に開いた開口部を見つめていると、その暗い穴から小さな蟻らしき影が大量によじ登って来る。突如発生した害獣の群れに気付いたエグザムは、遠視に熱視を合わせ穴の底を覗き見る。
(何て数だ。あれは全部兵隊蟻だぞ。完全に地下は赤眼で占領されてやがる。)
水没した巣穴から逃げ出す蟻とは違い、大型の赤眼達は列を成して下の階層へ進んで消えて行く。その赤眼達がこれから何をするのか大よその答えが思いつくエグザムは、探索を中断してホウキへ帰還する方法を考えることにした。
「俺が道を戻っている間に先を越されるだろうな 来た道が使えないのなら新しい道を探すしかない」
エグザムは竪穴内の天井を見上げる。晴れた日差しを久しぶりに見て目が眩しい。
立っている場所から最上部までの距離は、断絶海岸の切り立った崖よりは低い。しかし階層化している天井の最上部に上がれそうな階段の類は残っておらず。エグザムは見上げたまま天井から垂れ幕の如く伸びている蔓草を伝って登ろうと考えた。
その時、再び穴の底から不気味な音が竪穴内に響き渡った。決して音量は大きくないが、振動が直接体に響く。エグザムは断続的に揺れる原因を探そうと、再び膝を突いてその場から竪穴を見下ろす。
「あれが竜蜂の女王 あぁ違う あれが赤眼の親玉か」
外敵を直接退けに来た八本足の闇龍。形状は赤眼達とは異なり、花らしき大きな突起物を背負うヤドカリ。殻の部分は存在せず、膨らんだ胴の前部を除いて黒い外殻で覆われていた。胸辺りに僅かに赤く光る膜が見え、動力源らしき心音が聞こえる。頭部も甲殻獣にしては異常に発達していて、大きな目玉の代わりに青く光る線上の複眼が二つ。殻の花ふくめ体中に羽根付きの赤眼と発光する苔が纏わりついている。
巨体が塔を登ると大きな竪穴も狭い縦穴に見えてしまう。闇龍が塔をよじ登った所為で柱や階層の足場を骨組みごと崩したと判断し、尚且つ離れた小さな自身が見つかった事にエグザムは驚く。
圧倒的な破壊力に逃げ切れないと判断したエグザムは闇龍にへばりつこうと飛び降りた。何度か黒い外殻やその突起に体をぶつけながらも、貝殻代わりに腹を納めている大きな花飾りに落ちたエグザム。赤錆色に見えた岩らしき構造物が、人工石材に近い何かで形成された貝殻だと気付いた。
外見上は大きく膨らんだ頭蓋を狙おうとしたが、竜蜂の女王の件も考え、内部の器官が露出している胸辺りにぶら下がろうとした。その時エグザムは巨体から飛び立った羽根付き赤眼に捕らわれ、そのまま縦穴の外へと運ばれてしまう。
大地に放り投げられてしまったエグザム。繰り返した落下の衝撃で、装具を保護し固定する金具が破損する。装備や赤い山の南側高原に在る中央渓谷の入り口に立つ。長老の話では渓谷内に狩人達の訓練場が在るらしく、渓谷内の高所に渡されたつり橋が辛うじて見える。エグザムは谷の反対側の先にホウキの水耕施設が在ると思い出し、、谷底で迎激戦を始めようと立ちはだかった。
するとエグザムの壊れたら胸部装甲が落ち内部の筐体が露出、それを見た闇龍は動きを止め筐体の持ち主を継承者と判断した。闇龍はゆっくりとした動作で近くの出敵意無しと判断したエグザムも近付く。するとこの騒動を狩人達に見られていて、さっそく長老の下へ移送されその日のうちにホウキへ帰還た。
エグザムは長老と合い、代理人が来る前に里が闇龍の存在を古くから知っていて、その役目(修復と維持)を継続していると話し、本物の脅威と成る方を狩れと命じられた。
脅威とは古くから神の園全体の天候を操ってきた空の王。古き名でタケミカヅチと呼ばれているミカヅチの群を率いる上位種。天候を操り水蒸気を雨雲に変える力と、雲に蓄積した電気を操る力がある。
その際エグザムは箱舟の継承者について遠回しに問いたざすと、北の氷河内に埋もれた遺跡北部の最北端遺跡に箱舟が眠っていると聞かされ、今は聖柩塔と雪人が合同調査していると明かした。(願わくば眠ったままを望む)
しかしその話はイクサユメがエグザムを箱舟に導く為の方便に過ぎず、雪人の事しか詳しく話さなかった。
エグザムは光と地の血を直接飲み(怪しいので体の浄化機能を使った)。
その日の夜に体がいつも以上に温かく発汗の量も多い。単に気温が上がっている事も在るが、エグザムは吸水塔の屋上の旧禊場で体を荒い寝た。翌日跳猿に近い体毛が全て抜け落ちているのに気付き、体の変調が加速度的に実行されていた。
ヴァンとガラを含めた狩人数人に案内され翌日の二十六日。雷龍の巣へ向かう。道中に龍の血を飲んだ効果が予想よりも速く表れ、
巣は赤い山の中心に在る火口の周辺で、一体がミカヅチの巣だ。その中央の火口湖に浮かぶ人工島に君臨するのが空の王タケミカヅチ。雨雲を呼び大地を竜巻で吹き飛ばす異名どうり、圧倒的な暴風がエグザム達を襲う。
ミカヅチを従えた雷龍の攻撃は空から一方的に放たれる電撃。晴れていた空に雨雲が発生し激しい上昇気流で落ち葉が舞う。タケミカズチはデウスーラの亡骸と似通った生物で、ミカヅチを肥大化させただけでなく背中や胸が避雷針(雷発声器官)代わりの黒い体毛で覆われている。噛み付いた物や足で捕まえた物を瞬時に丸焼きに出来る電流が毛の先から絶えず放電していて、迂闊には近づけない。
しかしエグザム達は事前の話し合いでこうなる事を予想していた。タケミカヅチと何度か戦闘を経験したり狩りの目撃証言によると、タケミカヅチは水場を嫌がる傾向にあるらしい。原因は不明で巣が湖の中と説得力の欠片もないが、確かに湖畔へ降下して来る様子は無かった。
ヴァンが立てた作戦を実行に移すため、狩人と戦士とエグザムによる三面作戦が始まる。三面作戦は囮と攻撃と潜伏による奇襲を目論んだ断続的な牽制(攻撃)で、目的はエグザムが巣に上陸するのを気取られないよう緑の装具に統一させた狩人と線士達が湖畔から銃や煙などで注目を引き止める。
エグザムは無事に百メートル以上離れた小島の岸に辿り着いた。水龍の籠により水中でも息が出来たので、一度も顔を水面に出す事は無かった。
エグザムは島内に有る巣らしき倒木や彼木と炭化した樹の陰に潜伏した。これで第一段階を完了させた合図を送る為に改造された照明具で光信号を送った。
第一段階から第二段階に作戦が移る。第二段階は火口湖から監視役とエグザムを残して囮役が一旦離れてから始まり、エグザムが待ち構えている巣にタケミカヅチを戻してから発見されないよう待機することだ。
上空に雷雲が在る内は落雷攻撃が容赦無く標的を焦がす。理屈は理解できても詳細な原理は不明だが、その雨雲を発生させている電化磁気が自然収束収するのを待つ必要が在った。
やがて雲の隙間から太陽の光が湖面に降り注ぎ始める。ここから雲が完全に晴れるまでの数分で雷龍から飛行能力と電磁場操作能力を奪うのだ第三段階の主目的。これに失敗したら雷龍討伐作戦は失敗したと判断され、エグザムを残して総撤退が始まる。
エグザムは出立前に説明された肌の硬化能力と、闇龍と炎龍による血統で血染めの導電性を限界まで引き上げた。雷と打撃に対する耐性を得て、ツルマキの杭を体の局部に何本も打ち込み体内磁場や電流帯を刺激する。
鋼鉄製の杭は硬く頑丈だが中途半端な伝導性と熱伝導率でタケミカヅチの生体電流を狂わす。放電器官から漏れた微弱な電流が杭を通し体内に逆流し、生体電流を狂わせながら発電器官でもある獣因子の作用を阻害した。やがて体内の蓄電許容量に達し杭が発熱して赤みを帯び。タケミカヅチは火口湖に飛び込んでしまった。
エグザムは支給された専用狩猟笛を吹き、退避した囮たちを呼び戻す為、監視役へ合図を送った。その合図により隠してあったイカだを担いだ囮たちが湖へ続々と入って行き、その背後に本体も続く。
エグザムは筋肉の大部分が疲弊し飛べなくなった巨大翼獣へ最後の杭を柔らかい首(喉仏)から心臓に打ち込み仕留めた。
すぐにタケミカヅチの血を飲む。急速に劣化していく獣因子を大量に飲み、抉り出した心臓さえそのまま貪り食う。
エグザムは長老から神の座にまつわる伝説として箱舟の話を聞いていた。その箱舟は水龍から始めて聞いた存在と同一の物で、場所も何処に在るか知っていた。その場所は神の園の北部を占める大氷河の更に北部。北方山脈に囲まれた渓谷内の遺跡に在り、氷河から向かうのが最短経路だと聞いていた。
その最短経路は夏前の気温が高くなるこの時期だけで、本格的に氷が溶けて道が崩れる前に目的地に辿り着く必要があった。そしてその場所は雪人の聖域で、長老の推薦でも入れる事の無い禁足地と化しているらしい。
エグザムは其処へ居たろうと、この神の園に来て初めて自らの意思で単独行動で向かうと決めていた。直接その旨を同行者に告げるわけにいかず、エグザムは偶々同行していた所属探索団の元団長だった年寄りオルガに昨日の話の続きを持ち出した。
何の話の続きかと言うと、オルガ・アイアフラウがこの神の園調査団の団長を承諾した理由が関係している。
実はこの老人は数十年前に発足し現在でも活動している色々と有名な探索団の旧指導者だった。帝国で発足し、ある理由で自らの苗字をそのまま使っている「アイアフラウ団」がその探索団なのだが、エグザムは旋風谷に届く各国の秘境情報(主に新聞や雑誌の一部)や探索団員の会話からこの人物が、二十二年前の世界樹枯死事件に深く関わっていた事を知っていた。
その件について昨日会った時に聞いたところ、オルガは大部族団で遣り残した事を行う為だけにこの調査に加わった事を話してくれた(副団長として)。単純に経営学と組織運営に長けた探索者としてお呼びが掛かって計画に賛同したわけだが、その計画を聞く前まで西大陸で教鞭をとり、生物学教授として低めの金で働かされていたらしい。
エグザムはこの老人がこれから勘が掛かる事をやろうと準備していると睨んでいて、雷龍の血の匂いを漂わせながら(鉄と酒)オルガに偽りの協力を持ちかける。
するとオルガは、自身が死んだ友の遺言に従い世界中に眠る伝説の秘宝を探しているとエグザムに話す。伝説の秘宝とは、存在の根拠と成る叙事詩が出生と名前不明の古き語り部により始まったとされる伝説に登場する大異変の証拠と見なされていて、手っ取り早く伝説を証明する重要な秘宝だと言われている。
勿論エグザムもその秘宝と叙事詩の両方を知っていて、他の英雄の物語に編纂された物語を読んでいる。
秘宝の名は「災厄の星屑」もしくは「原初の炎・生命の実」だとか言われてる不定形な存在。かつて大部族団東部砂漠の砂界にあったとされる太古の森を一瞬にして吹き飛ばしたとされる巨大隕石だと仮定されていて、統一暦発足後に始まった地質調査や史跡調査でその存在に若干の現実性が認められただけの話だ。
エグザムはその計画の手伝いを引き受ける代わりに、一茶番付き合ってくれと申し出た。エグザムの狙いは最後の八種目(竜血統)を極秘裏に入手するために邪魔な存在を封じるため、当地にいながら発言力がある第三者から神の園の暴露情報を世界へ流してもらう事だ。
影で蠢く代理人やイナバの執政官。連合の貴族と対峙するであろうカエデ達ホウキ独立系派閥。ゼルが言っていた断絶海岸沖の絶壁に新しい海道(探索道)を整備する計画も含め、神の園を安住の地とするなら自身の血(制御端末と似ている鍵もどき)と箱舟の技術が交渉材料に不可欠だと考えたからだ。
エグザムはオルガにツルマキを持たせて修繕を確認させるのも装いながら、今だ誰にも話してない水中神殿と闇龍の巣の正確な位置と侵入経路を話し、さらに箱舟について現段階で判明している情報と鍵について教える。
エグザムの見立てどうり情報の扱い方に慣れていたオルガは物的証拠の提示だけで、エグザムの要求を了承する。エグザムは結晶体をツルマキに忍ばせていたので、そのツルマキごとオルガに後から託す事を確約し、オルガは副団長権限でエグザムを下山させて新しい装備と取り替えるよう指示した。
エグザムは日が沈む前に南くぼ地の野営地に到着、副団長証を見せ装具の交換を補給担当に要求し、受け渡し人を副団長に指定し、ツルマキの修理人を呼ぶまで一式を預かるよう命令した。
それからエグザムはホウキの里の周囲を走り、川辺から上流へ向かう。予想どおり氷河から溶けて消える前の氷が溶けた水と一緒に溜まっている天然のダムに辿り着き、岩陰から最低限の装備だけで氷河の上にあがっだ。
エグザム日が沈んでからも月明かりを頼りに小売の上の走る。気温が急激に低下し肌から上がる湯気で体温も奪われる、しかし七種の龍から血統を授かった体を止める要員とならず。エグザムは翌日二十七日の日の出前に話しにあった氷河遺跡に到達した。
氷河遺跡は相当大きな施設だったのか大半が分厚い氷の層に沈んでも施設の一部が地上に露出していた。その数少ない露出部のうち、平たい山の尾根に隣接している橋の末端部らしき遺跡に僅かな明かりが確認できる。その明かりは松明の光が道のように並んでみえ、エグザムは神の園に隠されしも一つの住人たる雪人の聖域だと確信した。
エグザムはその高台まで氷河の上を渡って向かう愚を冒さず、氷河の割れた亀裂に堆積した雪が固まった天然の道に隠れ、そのまま高台の下へと進む。
篝火を発見した場所から半分進んだ溝を走っていると、突如足元が崩れエグザムは飛び退き崩落から脱出した。すぐに背後の穴を確認すると、氷の層の下に人為的に削られた氷の坑道を発見する。エグザムはその坑道が北へ蛇行しながら続いている点と、幅二メートル程度の道幅半分が配管の束で塞がっている事に気付く。
偶然にもエグザムは秘境にくらす雪人が敷設した物にしては場違いな、大量の電子と光信号を送る管が詰まった配管と凝着防止用の樹脂帯に見覚えが有った。すぐに狩人の勘が違法な探索か開発行為の状況証拠だと警鐘を鳴らし、エグザムはその配管沿いを進んでいった。
配管の軌道は途絶えた道からはみ出て、大きな地下空間の氷の壁下へ真っ直ぐ伸びている。高さ十数メートルの高台から雲に包まれた日の出前の空が見える。エグザムは周囲の地形に溶け込むよう擬装されて掘られた大きな溝帯東西に横たわる場所に出たのだ。
対岸まで百メートル以上長さも五百メートルは下らないだろう。氷の分厚い層を露天掘り形式で掘り下げ、殆どがまだ凍りに閉ざされている巨大な構造物から氷を切り出す砕氷場が一望できる。
エグザムは真横から延びる配管が何処を向かっているのか目で追い。遠視で壁伝いに真っ直ぐ東側の外壁の内部へ貫いているのを確認、その下に獣人どころか生物の姿が無い事を好機と捉え、脇の配管を伝って階段状に掘られた外壁を下っていった。
階段状の側壁には秘境ではまずお目にかかれない様々な設備と装置が稼動していて、殆どが導力維持のための電気や熱水を製造する為の装置だと見受けれる。寒冷地で普及している暖房機具と似ているが、何処にも製造所や年月日を記した文字が彫られてなかった。
エグザムは不思議に思いながら最下層へ辿り着くと、切り出し途中に露出している構造物内部へ入れる入り口の隔壁を見つけ、そのまま周囲を確認してから内部へ踏み込んだ。
驚いたことにこの外部隔壁は発見されてから日が浅いのか、内部に除去し切れず放置されたままの氷が残っている。隔壁の開口部から推定した通路本来の道幅よりだいぶ狭い道は一方通行で、氷自体をきり出した会談で区画を上っていく。
それから更に進む事二十分。エグザムはようやく氷が無い区画に辿り着く。その場所はこれまで証明の真っ白な光が切り出された氷の壁に反射して明るかった場所と違い、直線状の小さなトンネルを抜けた先は氷が無い場所も含めて暗かった。
エグザムは熱視により、大衆酒場の小さな劇場ほどの空間が通りに並ぶ場所を観察する。空間には店の軒先に展示された賞品の様な物すらなく、エグザムはそのまま突き当たりに近付いた。
その時グザムと私の視線が初めて重なった。目の前の自称狩人の探索者は闇に溶け込んだ私にようやく気付いたわけだ。
彼は私の目の前で柔軟な関節を駆使し飛び退いた。だが後方の扉は脱出する前に閉めたので、もう逃げ場は無い。
動揺し就労ナイフの柄を握ろうとしている彼に、旧時代の照明装置の光を贈る。すると光から目を隠すように己の腕で目を覆い、何の躊躇も無く無言で私に別の短刀を投げ付けた。
私は目の前の彼に自己紹介も含めて、この場所に自力で辿り着いた行為に賞賛を贈る。それと同時に死神計画に必用な物が箱舟ではなくその体だと教え、計画とこの発掘場には要らない彼の状況説明を行った。
ひとしきり説明を終え、後は直接簿隠し結晶端末から情報を抜き取るだけだと言うのに、彼は私から受けた恩への対価を拒んだ。流石はエグザムの分身と言ったところか、何かに縛られるのをとことん嫌う習性も受け継いでいたようだ。
私はその偽りの体に力量差を教えてやろうと考え、一先ず目の前の器に目的の物が入っているか試してみる。最初に軽く皮膚を焼く程度の熱線を腕輪から、そして今度は指先から神経細胞を刺激する電流。そして直接肉薄し初歩的な格闘業で体の耐久を確認した。
彼は私の足元まで届く長い羽織の裾を引く様に握って放さない。むかし赤子の頃に胸まで垂らした毛を引っ張られたことを思い出し、少し笑ってしまった。
その僅かな隙を彼は見逃さなかった。もといそう言う正確なのは私自身も重々承知しているが、この時は脱出法などないと高をくくっていた。
彼は私の腕輪や衣服に隠した装具を経験か本能の類で利用できると悟ったのだろう。あやふやな表現でしか伝えれないが、死神の名を冠するモノは紛い物だろうと殺意だけで成し遂げる何かを持っている。
結果的に私は綺麗に宙を描いて硬い結合結晶板の床に体を打ちつけた。間違いなく殺すつもりで投げたのだろうが、代理人を殺そうとした時と似たような感触を感じたようで追撃は来なかった。
代わりに彼は全身の筋肉を獣顔負けの膨張率で隆起させ、私を白く光る床に組み敷いた。私はその予想をはるかに超えた重機の様な力に感動してしまった。なにせ私にも、亜人や害獣どころか金属棒を簡単に曲げるだけの力が備わっている。具体的な方法は敢て言わないが、この場所が廃船に残っていた重要区画でなければ状況を簡単に覆せたであろう。
私は両腕を背後で拘束された状態のまま、あえて無抵抗を貫く事にした。どの道彼がこの檻の中から脱出する術は無い。例え私を拷問し屈辱的な行為に及ぼうが、面白おかしく受け入れてやろうとさえ思えたからだ。
彼の目に私はどう映ったのだろう?人に姿が似た名も知らぬ亜人か、そもそも生物かどうかも怪しい人形か。もし立場が逆で私が捕縛対象を押さえつけている状況なら、間違いなく衣服を全て剥ぎ取り大衆のさらし者に成る前にじっくりと調べてしまうだろう。
その実、彼は私の白い清潔さと不浄さをうりにしている衣服を乱暴な手で触り続けている。外装の下に装着した装具を視認しようと足掻いているが、残念ながらこの衣服は着脱方が他とは違うのだよ。
結局彼は乱暴な手つきを止め、唯一表面に露出させた腕輪を抜き取ろうと細長い右腕に両足を絡ませる。確かにこの無機質なにも構造上の弱点が有るが、それをみすみす黙って受け入れる事はしない。
私は彼を力を発動させ右腕に張り付いた彼の胸倉を掴む。既に綻び始めている緑の羽織でなく、胴鎧に胸部装甲を繋ぎとめている拘束帯を握り、そのまま手首を捻って締め上げてやった。
そのまま筐体内に有る結晶端末を抜き取ろうとしたが、私はようやく有るべき物が無い事に気付いた。どうやらこの死神は有ろう事か自らの存在定義すら何処かへ置き忘れてしまったらしい。私は言葉を無くし哀れみと失望を混ぜた人形の瞳で虹彩が赤く変色した獣目を見つめてしまう。
それでも目の前の出来損ないは私から目を放さず獣の如く睨み続けてくる。逞しさは負けるが背が小さい相手に睨まれても何も感じれないので、私は結晶端末を何処に遣ったと問うた。
何も答えず睨み続けるばかりだと思っていたが、驚くことに彼ははっきりとした口調でこう言った。
「あれは在るべき場所に届くよう手を打った 今頃箱舟の新の継承者の下へ向かう旅時の途中だろうな」
何を言うかと思えば、私の分身の分際で死神らしくない発言をする奴だ。私はそう言い返し笑いながら、この箱舟が只の残骸だと告げ、誰にも棄てられたこの船を継承する事は出来ないと教えてやった。
私は驚いた表情を浮かべる彼を放してやる。少し右手の無機質な肌に跡が残ったが、目の前の出来損ない同様すぐに消え去るだろう。
彼は開け放たれた扉に気付き、そのまま立ち止まる事無く通路を走っていった。しかし私からどれ程逃げても死神計画は進み続ける。この星で百五十年に渡り繰り返した復興計画もあと少しで完了するから、最後の締めに取り掛かる時はやはり余裕を以て事にあたるべきが王道だ