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秘境日和  作者: 戦夢
1/16

01(雑文)

初めに。

夢を追い求め苦難や困難に抗う事を冒険とは言わない。刹那の選択や不透明な未来に身を委ね何か得ては同時に捨てる。そんな永久に続く淘汰を受け入れた時、誰にも知られない孤独な冒険が始まるのだ。


前書き

私は支配者にして管理者。ある種の覇王であり知類の天敵。何度目かの茶番劇が始まるので軌跡を残す事にした。ただ最初に言っておく、どうか忘れないで欲しい。俺は茶番劇が大っ嫌いだ。

混迷の時代を脱した文明は新たな時代を統一暦に刻み始めた。連中がこの歩みを止めるのは不可能で、後戻り可能な退路も初めから存在しない。

秘境と呼ばれし異郷の大地に骨を埋める事を恐れ、安寧の地を望んだ者達がかつて居た。その者達は失われる途上に在った超科学の名残に活路を見い出し、伝承へ変異してしまった偉業を取り戻そうとした。私にとってこの事実はとても好都合だった。当時の私も計画が消化される速さに驚いたほどだ。

こうしている間にも秘境を廻る命の輪が千切れようとしている。銀河文明の知識と業を再利用して造られた多くの循環機構は、非常時とは思えない優秀な設計だった。残念ながら現状では、長い年月の末役目を終えるその時まで傍観するしかない。言わば棚上げに等しい状況だ。

無論心配する必要は無い、世界変革の準備は終わっている。そこで私は記録を継承した者として、当事者達に感謝の言葉を送りたい。


あらすじ

秘められた死神の名と力の一端を知らぬ若い狩人は、自らを脅かす文明から秘境を守る日々を過ごしながら、文明を担う知識と業に心を躍らせる。彼は廻る命の為に殺戮を厭わない獣であり、文明の尖兵として生み出された存在だ。約束の誕生へ向かう物語は、準備した計画が動き始める冬のつむじ谷から始まる。


この世界は主に二つの大陸で構成されている。西方大陸と東方大陸である。

東方大陸西岸のとある島国が双方の文明を引き合わせてから悠久の時が流れて久しい現代。飽くなき欲望を抱く者達は今日も夢のつづきを追い求めていた。


東方三大国の一つで西の大国【西方連合】。北半球に位置する同国は西岸の漁業と広い農業圏を持つ貴族合議制の国だ。安定した生存圏は度重なる権力闘争をもたらし、今も各地に火種を残している。

そんな国にも文明を寄せ付けない土地が残っている。東の三大秘境の一つ【神の園】と呼ばれ、太古の生態系を今に受け継ぐ閉ざされた大地だ。物語は園への玄関口から始まる。


俺の名はエグザム。荷車の荷台から御者と一緒に砦へ続く荷馬車の列を眺めている最中だ。

「初夏に比べたらまだ少ないほうだ。」

欠伸を殺す俺を見かねた御者の男は間延びした口調で答え、短い白髪を撫でる。長旅で汚れた頭髪を日光に晒し汚れが無いか気にしていた。

「これで少ないのか。俺が言うのも可笑しいが、探索業界は衰退していると聞くが?」

探索業界とは文字どうり秘境を探索又は荒らしまわる輩に支えられたある種の産業だ。この国では貴族や商工界からの需要を満たす為に探索者組合が各地で活動している。

「初めての奴は大抵そう言うよ。確かに昔と比べたら随分すっきりしたがな。」

初老の御者は昔を懐かしむ様に自慢話を語り出す。エグザムは何度目かの暇つぶしに付き合う事にした。


俺は今年で二十歳になる。何時何処で生まれたのか定かでは無いが、今まで厳しい歳月を過ごしたのは確かだ。

産まれたばかりの捨て子だった俺を拾ったのは、非常に厄介な人間だった。猟師をしていた元探検家の爺さんは、自身が遣り残した事を達成させる為に俺を戦士として扱い鍛えた。名も無い寂れた漁村で俺を立派に育て上げた人格は、一定の評価には値する筈だ。

爺さんの生涯は謎だ、名前も歳も出生も詳しい事は何一つ知らない。爺さんが培い俺へ託された様々な知識にしか、片鱗を垣間見れない。ただ残念ながら直接問い質す機会はもう来ない。本人曰く不治の病らしい。終始明言はしなかったが、要するに寿命なのだろう。

旅立ちの日が巣立ちの時に変わってしまったが、死別した訳ではなく最後まで元気だった。正直に言えばそうそう死にそうにはなく、今頃は海か山で獲物を追っていても不思議ではない。

全てが終わり故郷に帰った時、もしもあの丘で何時もの様に暮らしていたら盛大に笑ってやろう。

御者の話が何度目かの老いた愚痴話に発展しそうな頃に、ようやく馬車が動き出す。エグザムは要らぬ相槌をせずに済んだのだった。


遠方から見ても巨大な砦は間近から見ても巨大だ。そう、柄にもなく開いた口が塞がらない。初見なら誰もが俺の様に驚くだろう。

【イナバ四世】それがこの街の名前。人口は最盛期で三千人程度と辺境では珍しい小都市だ。かつて爺さんが暮らし、これからは俺の生活拠点になる。

爺さんの言うとおり雪解けの春先に来たのは正解だった。案内人の御者と爺さんには頭が上がらないな。

「確認したから進んでいいぞ。」

馬車専用の入り口で軽装備の兵士から通行許可を貰った一行は、馬車用に砂利の敷かれた道を進む。一方通行の道幅は広く、内側の内壁や頑丈そうな木造建築を真っ直ぐ貫通している。

「何年か前に砦内の施設が改修されてな。場所は動いていないが外観は様変わりしとる。」

御者の言葉に観光気分の俺は内心驚いた。慌てて背嚢から事前情報を引っ張り出す。勿論爺さんの形見の分厚い手帳だ。

「それがあんたの師匠から貰った物か。どれ見せて見ろ。」

骨董品にも見える手記に興味が沸いたのか横から素早く取られる。この老人、手癖が悪いぞ。

「随分古い物を渡されたな。この地図はもう使えんぞ。」

御者曰く二世代以上前の地形情報らしい。後から修正された痕跡の無い変色した図面に、俺が案内人の話す現場の情報を素早く書き込む。

「街並みは昔と大差ないが砦は区画整理が進んでな、大通りを挟んで南北に分かれておる。」

出だしから躓きそうなエグザム。彼には育ての親にして師匠の存在が、又遠のく気がした。


旅客用馬車が乗り入れする砦南の進駐団本部前、いや併設された馬宿にて初めての長旅が終わった。故郷から低価格の馬足を利用し国を横断した日々は、多くの面で忘れそうに無い。あの時の最初の狩よりも強烈な体験だったと断言できる。

「感傷に浸るのは、宿を確保してからにしよう。」

長らく狩猟採取の生活をしていると、生物の臭に対し敏感に成る。集団、この場合は村や街の生態とも表せる特徴を察知出来、そこから様々な状況を想像できる。生活様式・食文化・治安・何等かの伝統。

つまり今の俺の嗅覚には、それ等の判断に困らない程の匂いがそこら中から漂って来ている。特に衛生面を保つ為か、香料か消毒消臭効果の有る成分が放出されている様だ。

「あぁ、人間臭い。特に文明の匂いが強烈だ。」

旅の道中で立ち寄った村や街を思い出すエグザム。大通りを西に歩きながらも、中央都市の様に整理され清潔さを保つ街並みを観察していた。

この地図が正しいのなら十字路を左に曲がれば宿場街だ。身体の匂いも気になる、宿の確保を急ごう。

「水道橋が整備されている。爺さんが言っていた話は、間違いでは無いな。」

文明の孤島。探索者時代の爺さんがこの街に付けたあだ名。辺境に在っても有数貴族本拠地と大差無い程、場違いな街並みだ。

新旧の大掛かりな建築物が並ぶ都市中央の十字路で、宿場街を視界に捕らえたエグザム。彼の様な新参者を捕らえる数々の誘惑が【眠らない町】で待ち構えているのだった。


「待たせたな。これが此処の自慢の秘境料理だ。」

出された大皿には肉と野菜そして魚の蒸し焼きが区分けされながらも豪快に盛られている。銅貨三枚にしては量が多く、簡単な味付けの料理であると一目で分かる。

「肉も魚も臭みが無いな。腕の良い猟師や漁師に恵まれていそうだ。」

安く、多く、美味い。これがこの安宿の売りらしい。長らく干物を齧り続けていた旅人にとって、豪勢な食事は縁遠い物。必要以上に栄養を摂らない狩人も同じだった。

雑多な味付けでは無いな。塩と果実系の調味料が素材同士の橋渡し役になっている。匂いで宿を選んで正解だ、まさに俺好みの味と言える。

宿場街に足を踏み入れたエグザムは個人経営の商店や居酒屋等の雑多な匂いに翻弄されてしまい、宿探しに時間を掛け過ぎていた。

砦の件で予想していたが、爺さん情報は流石に古い。お蔭で半日を無駄にしたよ。

店内から窓の外を伺うと、外灯が薄暗い店先を照らしている。店内の同じ照明具と一緒に、エグザム一人を黄色い光で際立たせていた。

俺一人か。春先は出稼ぎや各種団体が非常に少ないのは昔と同じらしい。活気の無いこの宿屋でも経営が成立するのなら、初夏辺りから満室に成るだろう。

裏通りに面するこの辺りも、夏場の最盛期には連日収穫祭の如く騒がしくなると、師匠から聞かされていたエグザム。半信半疑ながらも夏期の寝床をどう確保するか思案する。

「秘境料理は美味いだろ。近辺でしか採れない食材を使った季節限定品だぞ。」

店の置くから樽を担いだ猛々しい大男がカウンター内へ入り、向かいで食事中のエグザムに声をかけた。樽を軽々と置き作業を始める大男はこの宿の主人である。

「ああ、久しぶりのご馳走で美味しい。」

目線を肉に固定したまま素直な感想を述べたエグザム。魚肉を頬張り咀嚼していると、ふとした考えが脳裏を過ぎる。

大自然に囲まれたこの地で食料を調達するのは然程難しくは無いだろう。供給が安定しているのなら、この安い料理は主人の賄い料理でもある可能性が有るな。

「主人よ。今時は何時もこの様な食事を摂っているのか?」

差し支えの無い質問をした心算のエグザムだったが、主人には違って聞えた。

「おやおやお客さん。まさか新参者か、何処から来たんだ?」

質問に質問で反されたエグザム。主人の反応から遠回しに肯定の返答だと判断する。嘘を吐く必要もないので、西海岸の寂れた漁村からと答えた。

「傭兵に見えたがその歳で探索者志望か。此処に来る前は猟師でもやってたのか、弓使いとは珍しいな。」

珍しいか。確かにこの街で弓専門に武装している人間は殆んど見かけなかった。飛び道具多くは長銃ばかりで、装備も仕様も統一されていた。それが今の主流なのだろう。

短く肯定した新参者に主人は楽しそうに色々な話を始める。客の少ないこの季節、暇を持て余していた様だ。

エグザムは適度に聞き流しながら二三質問し、幾つかの懸案を食事と共に消化する事が出来たのだった。


蜘蛛の巣状に敷かれた宿場街の裏通りは、狭くも広くも無い絶妙な道幅を設けられている。西から東へやや傾斜している下り坂の道沿いに涼しい春風が吹く。窓辺の寝具に横たわるエグザムに風が届き、街が大自然に囲まれている事を思い出させる。

そうだ、俺は紛れも無くイナバ四世に居る。東に在る神の園に手が届く場所に辿り着いた。爺さん曰く、獰猛な害獣がひしめき合う人外魔境。人間を喰らい放さない夢の土地、そして悪夢の元凶。

流石に時代の移り変わりで双方様変わりしていると思っていたが、主人の話ではそうでもない様子だ。結論から言えば替わったのは人間の方で、秘境は昔も今もそしてこれからも変わらないだろう。

それらと戦う為に俺が育てられた。己の生い立ちに抗おうともがいた子供の頃が懐かしい。あの日が無ければどう変わっていたのだろうか。爺さんの性格からして役人か学問への道に励んでいても不思議ではない。

瞼を閉じ宿屋の主人との会話を思い出すエグザム。忘れないように重要な情報を繰り返し思い出すのだった。

元探索者であった大男は一人の若者に可能性を見い出し、街の情報を教えた。五体満足で引退出来た彼の目は衰えておらず、貴重な戦力を見逃さなかった。


目を覚ましたエグザムは備え付けの浴場で体を入念に洗い装備を整えた。一階に降り早起き主人にもう一泊する事を告げ、銅貨を5枚渡す。

「飯はどうする。必要か?」

必要無いと答え、宿を出ると朝霧漂う裏通りを歩き始める。

宿屋の主人は早起きだな。昨夜は夜遅くまで俺に自慢話をしていたが、眠くは無いのだろうか。それとも爺さんと同じ戦士の性で、少ない睡眠時間で事足りるのだろうか。まあ今頃は欠伸を噛み殺しているだろな。

その頃宿屋の大男は、寝室で二度寝している。日の出前にごそごそ物音を立て一階に降りて来た客の事など、夢の中では覚えていまい。

昨晩は何時もより長い休眠だったな。久しぶりのまともな寝具と夕食の影響だろう。この体の特異体質が生命活動で何等かの影響が出る事に複雑な心境だが、相変わらず文明臭が際立つ。慣れる事のないだろう生活環境はなんともむず痒い。


武器は腰帯に固定し、背嚢に財布を除いた旅装備と手記三つ。狼や熊科の益獣から剥いだ皮鎧と、汚れを落としたばかりの衣服と下着。緑色の外套で包まれた若い狩人は、霧の街の郊外を目指す。軒先の家々は閉まり薄暗い石畳を歩く人型の獣を誰も知らない。

濃霧で視界は悪いがこの程度は苦にならない。たとえ視界外から矢が飛んで来ようが、音と同時に避ける能力が俺には備わっている。視界が闇に包まれようが世界を見失いはしない。見えない物陰や裏路地に死体が転がっていても厄介な鼻を誤魔化す事は出来ず、耳は聞えない筈の抜刀音を聞いている。その気になれば競争馬の如く獲物を追い、野菜を砕くように急所を簡単に握りつぶせる。それが俺ことエグザムだ。

生物離れしている事に気付いたのは二度目の狩が終わった後だった。爺さんがあそこまで驚いた表情を見せたのは、前にも後にもあれきりだったのがとても残念だ。


イナバ四世は人口こそ少ないが、面積だけは中央都市と遜色無い。近隣の貯水湖や南方の穀倉地帯も都市の定義に含まれるからだ。

宿場街の大通り【宿場通り】を南に進み、居住区外周南側を流れる用水路を渡る。彼は武器と消耗品の為だけに都市南に点在する森へ向かっていた。

独身の男は年老いると隠居したがるのは何故だろう。そして他人事では無いと感じるのは錯覚ではないな。もし人間として終末を過ごすのなら、一人身も悪くは無い。もっとも俺が世捨て人になる結末は、今のところ在り得ない。正直に言って可笑しな話だ、笑いがこみ上げて来る。

国の北方に位置するイナバ四世は降雪地帯に属しているが、何故か神の園周辺は暖かい。様々な学説が存在し、極端な寒暖の差を解明しようと調査が続いているものの、明確な答えには至っていない。


エグザムは教えられた情報を頼りに街道を南へ進む。朝の空気は日に暖められ、霧は跡形も無く消えていた。

「北寄りの風か。春先でも肌寒い筈の季節風が暖かいな。」

周囲に広がる畑や農園には人影が見える。朝早くから忙しそうに耕された地面に種を蒔いている。この季節の農民は、近場の作業場に泊まりこみで農作業に励むそうだ。

複数の森が生い茂るあぜ道の街道に近付いたエグザム、目印を発見し農村への入り口と判断した。

村奥の森に隠居した名工か。名は知らんが頑固爺と主人は呼んでいたな。情報が正しいのなら、謎の製法で鍛えられたバネ類と専用ボルトを扱える筈だが、期待どおりに話が通じるだろうか。

エグザムの腰には師匠特製両用クロスボウが装備されている。射撃台座と重ね板バネを分離出来、短弓に姿を変えられる。長射程を犠牲にした中距離と接近戦に特化した仕様だ。名はツルマキ、師匠曰く渾身の力作で力学と錬金術を応用した対古代種用の特別装備。たとえ似たような物があっても、世界に一つだけのエグザム専用武器だ。

「爺さんの趣味に付き合わされる方は大変だ。使えないと分かったらさっさと売ってしまおう。」

ツルマキが師匠から課せられた宿題の一つだと捉えていたエグザム。己でしか満足に使えない代物をどう扱うか決めかねていた。

狩で使っていた弓を壊してしまったのが発端だったが、あの森へ行けば腰の重しが外れるだろう。あと少しの辛抱だ。

街道沿いに立つ簡素な二つの柱が目印の横道を進む。目と鼻の先には農民が働く複数の作業小屋と、道の終着点には大きな作業場が待ち構えていた。


「たのもー。誰か居ないか。」

客の到来を知らせる為に扉を叩くと、無意識の内に加減を誤り扉を倒してしまう。

しまった確認を怠ってしまった。全く煩わしい馬鹿力だ。ん?

片膝を砂地すれすれに保ち、右手にナイフを逆手に持つ。左半身を後ろに引き左手で杭を抜ける体勢を執る。

「間合いに入る前に気付いたか客人よ、中々の察しの良さだ。」

条件反射的に無断で家に転がり込んだエグザムは、薄暗い室内から逆光で見え辛い小柄な老人を伺う。

「頑固爺とは貴方の事か。先に上がらせて貰ったが構わないか?」

足場に砂が敷かれている、此処は間違いなく鍛冶場だ。気配の薄い老人の作業場で間違いないだろう。

「その名で呼ばれるとちと恥ずかしいな。わしの名はタカだ。用が有るのは客人か、その腰の物かね。」

タカと名乗った老人は当たり前の如く自宅へ入ると、転がっていた丸椅子の一つを起こし作業台の前で腰掛ける。エグザムも節度を弁えナイフを仕舞い警戒を解いた。

「失礼した、俺の名はエグザム。探索者をしに街に来たばかりの者だ。」

同じく丸椅子の一つに腰掛けると、固定具を外しツルマキを作業台に置く。エグザムは大した前置きは不要と判断し見せ易いように本体と備品を差し出す。

不用意に接近を許したのは師匠を除いて初めてだ。よそ者の俺を警戒するのは当然として、息と足音を殺してもあそこまで接近するとは大した老人だ。

タカは特異な構造のツルマキを隅々まで観察している。エグザムが教えなくとも問題無い様で射撃台と短弓に素早く分離させた。

「見たところ扱う際には相当な力が必要そうだが、エグザム殿はこれを如何したいのだ。」

どうやら街の商工組合で名を馳せた実力は健在らしい。ツルマキの問題を秘密裏に解決したかったので、此処に来て正解のようだ。

「それは師が俺のために製作した物だが、使用している素材が希少らしく予備部品が無い。俺は素性を詮索されたくない。もしもの時に部品と消耗品を補充できる口の堅い名工を探している。心当たりがあれば紹介して欲しい。」

神妙な面持ちで師匠直伝の【戦士の嘆願】を披露するエグザム。目を瞑り僅かに上半身を前に傾け、首も前に引っ込める。その様は決意と威厳を醸し出す惚れ落としの説得術。

例えその腹が何色に染まっていても、虚勢だけでも意思を通せるエグザムのお願いに、タカは考え込んだ。

「う~む。錬金術に長けとるハルゼイなら或いは。」

しばし待てと別室に消えて行くタカ。暇なエグザムは罪滅ぼしに、倒した古扉と格闘するのだった。


街の北は工業地区だ。【鍛冶山】と古くから呼ばれ様々な職人を輩出してきた。かつては多くの鍛冶工房が置かれていた岩場は区画整備され、現在は各種工場が軒を連ねている。

鉱石を満載した頑丈そうな荷車を複数の家畜が牽引している。後ろからも二人の工夫が押しているが、あの量なら俺一人でも荷車を動かせるな。

炭臭いむせ返る空気に鼻を手で覆うエグザム。歩きながら下らない考えで気を紛らわしていた。

「昨日とは違い、ここの匂いは独特だ。まるで巨大な道具箱の様だな。」

タカより渡されたのは一通の紹介状と宛先への地図だった。匠の意匠を感じさせる地図は、貴重な紙に炭筆で細かく描かれている。地図の情報が複雑なのは、鍛冶山が起伏のある岩場にある所為か、タカの性格がそうなのか、今のエグザムでは推し測る事は出来ない。

鍛冶師ハルゼイは豊富な錬金知識を持つ若い名工らしい。鍛冶山の西の端に工房を持つ彼は、芸術を愛でる趣向を持つのだとエグザムはタカから確かに聞いていた。

果たして其れが爺さんの様に形容しがたい物なのか、実益に沿った実態なのかは会わなければ分からないな。


数刻前に見たタカ爺の作業場より小さくも、流線的な枠組みに白い漆喰で隙間を埋めた耐火レンガの壁がエグザムの目に焼き付く。

「こ、この感覚は。」

恐る恐る金属製のドアノックを掴もうと手を伸ばすと、扉の向かい側に人が居るのに気付く。当然エグザムは一歩下がり向こうの出方を伺う。

危ない危ない、俺とした事が見た目の奇抜さに意識を奪われていた。まだそうだと決まった訳ではない、冷静にならなければ。

「おや、何方ですかな。客なら我が工房へようこそ。」

匂う、懐かしい匂いだ間違い無い。此処は研究所と言い張る爺さんの実験室と同じ類の場所だ。

「ああ、俺はエグザム。ハルゼイ殿で間違い無いか。」

紹介状を受け取ったハルゼイは、送り主を確認し狭い工房へエグザムを招き入れた。室内は色々な素材が袋詰めで大量に保管されており、半ば倉庫と化している。来客の応対をする場所は何処にも無い。

粘土細工が複数乾かしてある。何かの部品の様な形状だが、非常に精巧な造りだ。紹介状を読み終わったら質問してみるか。

「大よその話は解った。私にも見せてくれないか。」

椅子に座り紹介状に目を通していたハルゼイは、読み終わるとそう告げつぶさに準備を始めた。若干遅れて返事をしたエグザムは、手馴れた手つきでツルマキの固定具を外すと作業台に乗せる。ハルゼイの手際の良さから話の通じる相手だと認識するのだった。


エグザムの許可により、分解されたツルマキは清潔な青い布の上で隅々まで調べられた。

「こちらの見立てでは、特定の部品が【世界樹】で取れる希少鉱石を含む合金で鍛えられた代物だ。」

爺さんは俺の規格外の筋力に耐えられる素材を色々試していたが、世界樹でしか採れない素材を採用したのか。武器は消耗品だと何度も言っていた筈だが。

「重ね板バネと台座裏の螺旋バネの二つがそうだ。後は軽金属と木製加工品の簡単で頑丈な造りだが、こちらは少し時代遅れに見える。」

師匠から教わった言葉を静かに思い出すエグザム。使い潰すには勿体無いと思いつつも、貴重な素材を自身の為に用いた作り手の考えを察した。

「希少金属を使わずに同じ構造のクロスボウは作れるのか?」

間を置き悩みながらも質問した答えは条件付で可だった。

「問題はバネの弾性と接合部の強度確保による重量増加を、どの程度妥協出来るかだ。」

解説の為に短弓を必死に振り絞ろうと力むハルゼイは、顔を真っ赤にしながら力説する。

「鉄や鋼でこれだけの張力を確保するには、もっと大掛かりな仕掛けが必要に成る。」

射撃待機中のツルマキには引き金と各種接合部に張力と同じだけの負荷が掛かる。なので過負荷を与えないように接合部を減らしたり。装填後の掛け金に金属製の弦と同じだけ引き合う力を螺旋バネで掛け、引き金と固定具への負荷が減るように工夫が成されていた。

「弓を強化する上で重要なのは、弦に作用する弾性と耐久性なんだが。要するに瞬間的に元に戻ろうとする力と速さを極めれば良い。」

俺も鍛冶や錬金の知識と経験が有る。無論専門家には及ばないが、ハルゼイが言わんとする事は理解出来た。ツルマキは体積を減らし負荷が掛かる場所に頑丈な鋼鉄を宛がう事で、極端な重量増加を抑えた仕様に為っているらしい。

「言いたい事は解った。無理に力を掛けて体を壊すと後が大変だろう、次の話に移ろう。」

客観的に考えた結果、ツルマキの運用を現状維持とする旨をハルゼイに伝える。変わりに専用ボルトを一本取り出し、汗ばんだ手に渡した。

「矢羽も鏃も無いな、鋼鉄製か。まるで細い杭だなこれは。」

エグザムは短く肯定すると、同様の物が製作可能か尋ねる。ハルゼイが金属加工が得意だとタカから聞いていた。

「私を紹介されたあんたは幸運だな。俺は飛び道具に詳しいから、これが腰の矢と一緒にその体に馴染んでいるのが良く分かる。」

口を動かしながら杭を金床へ軽く打ちつけ感触を確かめた職人は、数本までなら二日で仕上げられると豪語する。詳しい製法は語らず教える素振りは見せない。エグザムは全種類の矢を見せ、値段交渉を始める。

「この杭は五本で銀貨二枚。他は一律で一本に付き銅貨二枚だ。見本に予備と金を渡して貰えれば、完璧な品を用意しよう。」

相場よりやや高いが粗悪品や廉価版では強度が足りない。何十年もこの街に住み続ける気は無い以上、自前の工房を設ける予定も無い。

「金額はそれで良い、必要な時に金と見本を持って来るので以後世話になる。」

用が済み手短に別れを済ませようとツルマキを回収し始めると、エグザムは呼び止められる。どうやらハルゼイには事情が有る様だ。

「私には今回のめぐり合わせは随分都合が良い。手短に済ませるので、どうか話を聞いて欲しい。」

錬金術の飛躍は御伽噺や子供向けの本に登場する様々な力を、再現出来る可能性に満ちていた。ただ理論では証明可能でも技術が追い着かねば意味は無い。熱く語るハルゼイ、その口調にエグザムはかつての師の姿を重ねた。

「研究に時間と金を費やし街の産業にそれなりに貢献した筈だったのだが、何処かで勘違いをしていた。」

ハルゼイは自身と街の現状を簡単に説明する。

ここ数十年、銃火器の発展は目まぐるしい。各種砲を持ち運びの容易な小型化に成功して以来、多くの業界に浸透した。生産性と品質が保証され誰でも簡単な錬金術を使用出来るようになった今日、淘汰され見放される者達が居た。そう俺やタカ爺と同類の者達には、移り変わりの激しい時代だろう。

「一工房を預かる身として錬金知識には自身が有るが、それで組合の総意を変えるには至らなかった。」

組合とは【神の園探索組合】の事だろう。話を要約すると、組合が出した方針が彼自身の理想を阻んでいるそうだ。望む物に打ち込めない技術屋の気持は、非常に悔しいだろうな。

「錬金術の普及で有望な人材が都市部へ流れるのは予想していた。私も職人であり錬金術師だからな、文句は言えん。」

工業が発展した今日、敷居が高く危険な辺境の仕事を喜んでやる人間は希少だった。結果的に秘境を目指す者は減り続け、質と治安の低下を招く。この現状を打破する為に組合は銃火器等での武装を探索者に推奨し、質を工業技術で担保させた。

これはハルゼイの様な職人や研究者には貴重な客や実験機会を奪われ、開拓街の戦力多様化を阻む壁に他ならない。

「今のままではイナバ四世も、前身の三世と同様の末路を辿る事も有りうる。探索者見習いの君にも決して他人事では無いのだよ。」

顔を近付け語りかけるハルゼイ。無精髭が目立つ三十代の男から漂う油粘土の匂いで、エグザムの理性が一瞬揺らいだ。

エグザムが一瞬怪訝な表情を浮かべた事により、主張を疑われたと思ったハルゼイ。職人魂を奮起させ英知を結集した自己理論を展開し始める。予期せぬ長話が自身の何気無い仕草に原因があると察した時には既に遅く、後学の為と開き直って話を聞くほか無かったのであった。


やれやれ、予定より数刻遅れてしまったが装備と道具や消耗品の調達は全て終わった。これで明日から探索者生活が始まる。

閉まる事のない大きな入り口を抜け、組合本部を出たエグザム。加工された石材で整理された区画へ足を向けた。

「組合には何でも揃っているな。契約すれば隣の宿泊施設が使えるのは、随分便利そうだ。」

砦北側には神の園探索組合本部と関連施設が広い中庭を囲んで密集している。探索者含め施設関係者の憩いの場である中庭には、幾つかの屋台と露天が営業中だ。

「安いな、一つ貰おう。」

木の実の生地で包まれた発酵肉と野菜の詰め合せを銅貨一枚で手に入れたエグザム。いそいそと倒木の椅子に腰を降ろし、両手で包む珍味に齧り付く。

僅かな海の香りに釣れられて衝動買いしたが、これは中々の味だ。発酵した魚肉が持つ塩味と油が、筋肉質な肉片と野菜類に馴染んでいる。簡単な見た目を疑う繊細で手の込んだ味付けで、とても美味しい。

エグザムは狩人生活では味わえなかった料理に舌鼓を打つ。腹が煩わしく主張する空腹をようやく鎮める事が出来たのだ。

「食材と人を焼く香りを同時に楽しめる機会は滅多に無い。今日の様な細事で忙しい日にはとてもありがたい。」

砦南の煙突から灰色の煙が上っている。南風に吹かれた煙はこの北広場まで続いていた。

土葬が一般的なこの国で今でも死体を焼いて処理するとは、やはり此処は辺境と言う事だな。

最後の一欠片を口に放り込み、粉塗れの両手を叩いて綺麗にする。エグザムは背嚢を石畳に下ろし、組合一階の量販店で揃えた装備を取り出し始める。

「焼かれているのは街の者か不適格者だろう。春は獣が活発に動き出し繁殖する季節だ。捕食者の宴はもう始まっていると考えて間違い無い。」

探索者は組合に登録してから抹消されるまでの間一流の狩人でなければならず、二流以下は秘境の肥やしになるか燃やされると運命で決まっている。爺さんが何か有る度に言う台詞を全て覚えてしまった。

「ハルゼイの言うとおり、武装した出稼ぎや傭兵崩れが神への生贄に捧げられる日が来るかもしれない。」

小さな独り言を呟きながら鉄製の手甲を装着し終え、動作確認と感触を確かめる。軽量設計だが殴打時の殺傷力を生かす設計に、エグザムは若干の安心感を感じる。

もっとも、多芸に秀でた者だろうと神は平等に死を与える。俺だけ例外など有りはしない。精々爺さんのためにも精一杯足掻こう。

背嚢を背負い直し左手の建物に入るべく段差を跨ぐエグザム。食料と医薬品を取り扱う探索者御用達の食事処【補給基地】へ突入するのだった。


夕刻どきの補給基地では従業員が忙しなく働いていた。昼は食事処だが夕方を過ぎると酒場に変貌する。当然の様に酒と雑談目当ての客や仕事終わりの団体等が広い店内を埋め尽くす。

大きな砦だとは思ったが、相当な数の人間が暮らしているらしい。組合で見た顔もちらほら見える。街の居酒屋とは違い組合関係者や兵士が多くの机を囲っている。

個人客用の二階の隅の机で手記を見ながら時折一階を観察するエグザム。お寒くなった懐を暖める算段を考えていた。

時間を掛けて溜め込んだ資金も大分減ってしまった。金の掛かる装備や消耗品と食料を揃えた以上、明日から現地へ向かわなければいけない。分かってはいたが、探索者はつくづく金の掛かる職業だな。

此処に居る探索者の殆んどは安い食事か無料の水を注文していた。エグザムの手元にも陶器製の瓶と甘い果実が一つだけ置かれている。瓶の中身は冷えた水だ。

爺さんの時代と比べて秘境の情報がある程度公になっていると考えていたが、そうでもないらしい。変わったのは組合専属や雇いの探索者と俺の様な無所属では、業務内での扱いが違う事くらいか。

組合は探索者の能力を識別標で大まかに評価する。銅、銀、金の三色の小さな金属板に登録日と名前や所属を打ち込み身分証明と保障を約束している。

識別標を製作する際、文字と刻印を押す金型が一つだけ作られる。数刻前のエグザムは銀貨一枚相当の銅標を発行されていた。

銅標は銀貨一枚。銀票は金貨一枚。金標は金貨十枚か。世の中何処でも金は大事だな。

識別標の色により組合内での売買や依頼の斡旋が有利になり、施設内の設備や部署の利用制限が緩くなる。銅標でも何等不利な点は無く、身分や待遇の差は無い。

単独で行動している今は銅標でも不自由しない。金を貯めて銀に変更する必要も無い以上、無くさないよう心掛けよう。

暫らく自身の銅標を感慨深く見つめていたエグザムは、時間が過ぎ去るのを思い出す。手記と識別標を小物入れに仕舞うと、質素な夕食を楽しみ始めた。


安宿に戻ったエグザムは当分はお預けになる清潔な寝具の感触を、全身で堪能している最中だ。

明日から最低でも六日は街に戻れない。既に換金単価は確認済みだ、邪魔者が居なければ当分金に困る事も無くなる。一枚の葉に銅貨五から銀貨一枚の値打ちが付くとは、秘境原産の名は伊達で無いな。

懐が銀貨で重くなる様子を想像するエグザム。絵や文字でしか知らない秘境の産物のおかげで色々な妄想が捗る。

「人外魔境に悪夢の元凶か。俺には人間界の方が魔境に見えるよ爺さん。」

若者は目を瞑りながら何度目かの重要な記憶を思い出す。【命題】と刻み込まれた幾つかの風景が脳裏を過ぎる。

俺は爺さんを超えるのに何十年も時間を掛ける気は無い。三年間は約束どうり此処で修練に励んでやるが、それまでに一つ目のお宝を見つけてやるぜ。

何処かの物語の人物に有りがちな理想を目指す主人公。更なる妄想に浸る事無く眠りにつき、その日を終えました。


「曇り空か。風が吹けば一雨あるな。」

早朝に不要な荷物を組合に預け終えたエグザム、砦北口にて探索者用の乗り合い馬車を待っていた。この時季に秘境へ入る探索者は少なく、【外森林】までの輸送便は限られる。

大陸北部では珍しい温暖な気候は山間部からの冷たい空気に作用し、急激に雨雲を生み出す。夏前の雨季が直ぐそこまで迫っていた。

割と高かったが、つばの大きな帽子を選んで正解だった。顔の化粧は長時間濡れると、匂いが出てしまうからな。

出立前のエグザムは全身狩人仕様に様変わりいる。そう、これが彼の本来の姿と断言してもよい。緑の混合色が特徴的な雨除け帽子から足の固定爪まで、暗い緑色で統一された配色だ。

「念のため、水弾きを塗っておくか。」

ベルトに固定した腹袋から布に包まれた白い塊を取り出す。複数の植物油から抽出された師匠特製の防水道具を帽子と雨具に優しく擦り付ける。天然由来の香りが僅かな生活臭を消す作用が有る。

様子見も兼ねて外森林で二日過ごす。例の廃墟に立ち寄って何等かの収穫を期待したい。最低でもツルマキの評価と調整を終わらせて、最良の状態を見極める必要が有る。

師匠曰く、効果は長続きせず気休めの程度の防水能力しかない水弾き。代わりに緑色の染料が保護色に成る帯を防具の上から四肢に巻き、ツルマキにも同様の帯で偽装を施してある。

「矢を二十本と専用ボルト七本、鉈とナイフ類は研ぎ終わった。準備万全でやり残しは無い。」

ゴーグルと緑のスカーフを首に回したエグザム。胸の手帳入れから手記を取り出し、残りの待ち時間で復習を始める。

全身に迷彩を施した木箱に座る探索者を、道行く人々は無視するばかりだ。何故なら彼は背後の蔦に覆われた壁に上手く擬態していのだ。擬装効果を確認したかったエグザムは内心で上首尾とほくそ笑むが、移送を頼まれた組合の御者が自身を探している事に気付いていなかった。


神の園。国の北東部を占め、東大陸で二番目の広さを誇る大秘境。北に【氷の絶壁】、南に【湿地流域】と【断絶海岸】。東に【火山地帯】、そして西のイナバ四世。

有史以前の生態系を保つ隔絶された土地。発見されて以来文明を拒絶し続け、旧文明と思われる遺跡が眠る地。

かつて秘境に住んでいた幻の大柄な先住部族の協力により、調査隊が神の園へ足を踏み入れてから八百年。探索業が確立してから変わらぬ馬足と、荒れたあぜ道が【外森林】の【境界線】へ伸びている。

俺含めて四人か。個人行商用の荷車で現地へ向かうとは、正直想定外だ。重装備四人に車軸が折れない事を祈ろう。

小さな樽を背負った駄馬二頭立ての馬車は湿度の高い森の中を進んでいる。近辺の森は組合専属の探索者や猟師による定期的な巡回のおかげで安全地帯に指定されているが、一時的に害獣などの脅威を境界線の外側へ押し出しているに過ぎない。二頭と五人は終始無言で境界線への丁字路を目指し東へ進んでいた。

エグザムが乗っているのは一日に三本しかない境界線北への移送便だ。移送便はイナバ四世を発ち半日かけて境界線の端まで移動し、今度は来た道を引き返す。外森林西中央の浅い場所で南北に伸びた境界線と呼ばれるあぜ道を通り探索者の移送と回収を担う。

長銃持ち二人と荷物持ち一人。胸に共通の団章を持つこの三人は組合専属だな、歳は三十台後半だろう。見慣れない後装式の大口径銃だが非常に重そうだ。大地に固定して射撃しなければ体を壊しそうな代物をどの様に運用するのだろうか。興味深い点が幾つか有るが、余計な詮索は止めておこう。

目を瞑り馬車に揺られる三人の男。エグザムが乗車した時に既に乗り込んでいた三人は、荷物持ち以外は終始無口であった。

「若いの。もう直ぐ境界線が近い。聞くのを忘れていたがどの辺りで降ろせばよいか?」

鳥や虫の鳴き声を楽しんでいたエグザムに、御者が前を向いたまま尋ねた。中年の野太い声から辺りを警戒している様子を感じ取れる。

「境界線に着いたら直ぐに降りる。馬車は止めなくても大丈夫だ。」

御者から了承の返事を聞いたエグザムは、聴覚と嗅覚に神経を尖らせる。相変わらず僅かな火薬の匂い以外は警戒するに値しない状況だ。

火薬の匂いはやはり鉱石由来の物では無い、軍が使う無煙火薬とも違う。秘境だからと言えばそれで片がつくが、この匂い憶えておくか。

揺れる荷台で鼻呼吸を始めるエグザム。空気中に飛散した僅かな成分を嗅ぎ分けようと、目的地まで目に見えない獲物を狙い続ける。


「時間は正午辺りか。俺の持つ地形情報はとても正確らしい。」

方位と日の位置から現在位置を割り出したエグザム。心の中で師匠に感謝し、お古の地図と手記を仕舞う。

色々な実験に費やす金が有るのなら、懐中時計の一つでも買って欲しかった。まああの性格では無理な話か。

境界線の中央、丁字路に立つエグザムは眼前に生い茂る森を睨む。手記に依れば百二十年前まで、森を突き抜ける街道が存在したのだ。

「街道は完全に消えている。当然か、痕跡が残っている筈など在りえない。」

ツルマキを短弓として左手に持ち替え矢を番える。右手には鉈を持ち深い森へ分け入るエグザム。目的の住居跡を目指し探索が始まった。

街の名に残るイナバとは、元々古の先住部族が住んでいた都の名前だったそうだ。その場所を示す証拠は残っておらず、住んでいた住民と共に名前だけの存在として今に語られている。

秘境の密林地帯の何処かに在ったイナバ一世から数えて四代目の西の街は、およそ百二十年前に築かれた比較的新しい開拓街だ。神の園発見から八百年間、開拓街は西へ後退を続けていた。

先住部族の子孫を自称するハルゼイ曰く、百二十五年前の古代種の襲撃によりイナバ三世が崩壊したらしい。現在の四世は、当時の西の補給砦が臨時の開拓街として探索業界を引き継いだのが始まりだ。都を追われた人々と探索者が作った開拓街は秘境の外側に追い遣られたものの、四代目を名乗り今日も栄えている。


草食の獣肉と穀物を混ぜ込んだ特製焼き団子を咀嚼するエグザム。宿の厨房を借りてこしらえた狩人糧食は、薄い粗塩が唾液の分泌を促す歯応えの有る代物だ。

「あの低い台地がそうなのだろう。日が暮れるまで距離を詰めてしまうか。」

金属製の弁当箱を背嚢に仕舞い、串代わりの小枝を捨てたエグザム。背の高い広葉樹を降り始める。太い枝の踏み台に足を掛けると、行苔むした幹に自生する高級食材の茸を発見する。

おや、ここにも生えていたのか。見落としていたな。

身の丈の三倍程の高さから地面へ最後の自由落下を行い、硬い大地に着地した。

この森は比較的近場の筈だが、人の手が入った形跡が殆んど無い。禁猟期間中の木の実や菌類も見つけたが、先程の茸は対象外の筈だ。取り尽せない程自生しているのか単に人手不足か判らんが、春先でも森の幸は豊富に実っている。

それらを捕食する害獣の存在を念頭に、木々の間を素早く走る。エグザム程の狩人ならば地形を読み解くだけで獣の縄張りを見抜ける。そして熟練の現職者は、不用意な流血がこの地で何をもたらすのかを容易に想像する。

小さな小型種は問題外として、鳥獣種や牙獣種は広い縄張り維持する為に見境なく攻撃することが有る。とりわけ三大秘境ならば群の数も他とは比べ物にならない規模だろう。多種族の縄張り争いに巻き込まれるのは避けたい。

落ち葉が堆積した木の根元に小動物の巣穴を発見したエグザムは、木の幹にナイフで複数の傷を付ける。帰り道の目印と攪乱様にと獣の爪痕を再現したのだ。

「これで三十箇所目。背の低い若い木々が目立つが、生態系は荒れていない。大型が居るかもな。」

害獣の中には人の背丈の倍以上の体格を持つ個体が存在する。今の時代は秘境の奥地でしか見られない捕食者達も、神の園では数多くが生息している。

走り鳥や大噛みの足跡はあったがまだ遭遇していないのは不自然だ。群ごと移動したか、あるいは狩られたのだろうか。

夕日が草花を染め上げる。木々が季節限定の特色に様変わりする中、日が暮れるまで数刻と残されていない。

流石は秘境の中の秘境だ。常識など些細な要素でしか無いと言う訳か。今更人目を気にする必要も無い、目的地まで走り抜けるぞ。

短弓を肩に担ぎ矢を握って起伏の激しい森を走る。時に腐葉土や軟弱地面に足を捕られないように、獣道や窪地を見過ごさないよう走る。木々の配置を素早く把握し穴や裂け目を迂回、背の高い植物や茂みに近寄らない様注意を利かせ、足音を湿った草や苔を踏んで防いだ。

大よそ五から六百辺りだな。本来ならまだ早いが、念の為に待ち伏せするか。

エグザムは若い木立に陣取ると、膝を折って呼吸を整え風と音を探る。無風に近い森は虫の鳴き声しか運ばず、先程より影が深い。

手記に書いてある外森林の情報は全て記憶している。植生や生物分布から気候等多くの情報は、若干古いが許容範囲内だ。

エグザムは不自然な状況に対し、様々な推理を働かせる。

「此処まで害獣と遭遇しないのは可笑しい。夏場より実入りが少なくとも、獣を養うには十分な環境の筈だ。」

探索者や組合による大規模な討伐は近年無く、外森林での大型種の目撃情報も無い。エグザムは消去法で二つの可能性に絞った。

「手記が間違っていたか、先客が居るな。」

日中の遠方から時折響く獣の咆哮を思い出し、周囲の生態に変化は無いと仮定したエグザム。予定を変更し人間狩りを決意する。

銅標では組合で活動中の探索者を確認する権利は無い。銀や金を持つ連中がわざわざ浅場をねぐらにする旨みは無い筈だ。密猟者は論外だが、例え同業者でも邪魔なら排除しよう。

秘境へは定期便を利用する事が義務付けられている。何時誰が秘境へ向かったか記録し管理する為だ。探索者の場合は組合を通して馬足を確保しなければ成らず、怠ると密猟者扱いになる。組合は資源保護を名目に厳しく監視しているが、書類面だけに留まらず子飼いの探索者を使う場合も有る。


痕跡を消す事にこだわる必要は無い。実践しようとすると大抵身動きが執れなくなる。自らの思考と体力を無意味に削る事にも繋がるのだ。

狩人は見習いの頃に師匠が一度だけ話した内容を思い出す。その話には獣も人も同列に扱う思想が含まれていた。

痕跡を辿って来てみれば目的地に到着してしまった。どうやら向こうも考える事は同じらしい。

石造りの壁や石垣が台地の上へ続く坂道。かつての栄華は巨大な果樹園に様変わりしていた。

エグザムは人間が往来に使用しただろう崩れかけの石畳を走る。斜面に沿って曲がりくねった坂道を馬鹿正直に登る狩人には、幾つかの秘策が有る。

慣れた者でも日の出日の入りの間、視力が若干低下する。何処で見張っていても障害物の多い廃墟を常に掌握するのは不可能に近い。

狩人は対人用の罠の有無を調べる為に、梯子として使えそうな物を探している。蔦や崩れた石垣は人間用の登坂手段として最適なのだ。

太陽が西の山々の頂と重なり始め、狩人は太陽光から身を隠して東の樹海を観察する。日没までの時間を計算していた。

「もう直ぐ日没が始まる。狩りの時間だ。」

淡い夕日が木々を枯れた様に照らし出したのを確認し、残りの石畳を疾走する。狩人は手に持つ矢の鏃を強引に引っこ抜くと、腰の備品入れから特殊な鏃を取り出した。

僅かだが人間の生活臭がする。低くも台地の高低さを利用し上手く外敵を退けているようだ。この様子では人間も対象として捉えているに違いない。

柑橘系の実を生す周囲の木には緑色の実が一つも無い。翼獣種対策として大半を既に取り除いた跡は、狩人の目を招き寄せる結果に繋がっっていた。

遠方からでも確認したが、やはり人為的に早い段階で摘み取られている。ただの広葉樹に偽装したのか。外森林でも立派な秘境だ、逃げ隠れするのにどれ程の労力を使うか知らない筈は無いだろう。

坂を登り石の壁だけ残る住居跡に隠れた狩人は、木製の筒状の鏃に取り替えた矢を天高く打ち上げる。本日最後の威光で照らされる台地に甲高い音が鳴り響いた。


釣れたのは一匹だけか。軽装備の探索者だ。

狩人は組合が公表している行方不明者から銀標持ちが居ない事を思い出す。見知らぬ銀標が此処で単独活動する理由を推測し始める。

最低でも追われている身ではなさそうだ。外森林の浅い場所で活動する害獣や探索者のおこぼれを狙う輩だろうか。

手に短銃を持ち背中に狩猟銃を担ぐ初老の男は、周囲を警戒しながら廃墟の間を歩く。狩人は曖昧な推理を放棄し、射程内の獲物を観察する。

近距離の早撃ちを想定した短銃を選んでいる。周囲を探っている様だが、隙だらけであからさまな動きだ。別の標的が隠れていても不思議ではないな。

男が鳥獣の鳴き声を真似した偽哨矢に騙されず、対人戦闘と見られる挙動で接近するのを確認した狩人。木にぶら下がっていた手を離し、静かに石畳へ着地する。

監視の目を警戒しながら背後を取るのが定石だが、情報を引き出せるかは機会を見て判断しよう。


台地中央は崩れた石垣が散乱しており、街の面影は残っていない。半ば遺跡と化した住居跡では、風通しの良い場所でも繁殖する緑や赤色の苔がこの世の春を謳歌していた。季節によっては鳥などの小動物が好みそうな水場が窪地に点在し、春限定の野草が大量に自生している。

そんな環境に真新しい人の営みと見られる痕跡を所々に発見し、エグザムは一つの答えを導き出す。

間違い無い、少人数だが人間が暮らしている。街としての機能は今も使える様だな。廃墟を利用した隠れ里が相応しい。

脆い足場を避け木の枝伝いに外周を移動する狩人。男が戻って来る前に廃墟への潜入経路を探している最中だ。

隙間から気流か噴出しているな。地下空間が一つや二つ有っても不思議では無いが、そこに隠れられると厄介だな。

木の根が絡まり変形した石造りの基部を調べると、下から水が流れる音が聞える。台地の貯水量を再計算した狩人は予定を変更する。


エグザムは堂々と廃墟の山裾を歩く、水の匂いを辿り住人を探していたのだ。日没から有る程度時間が経ち周囲は暗い。狩人の得意とする心理戦が始まっていた。

遠方から見た以上に広い台地だ。死角になっていた東へ相当な奥行きが有る。初動であの男を尾行すべきだったな。

北風が木々をざわめるつかせる。匂いを辿れなくなった狩人は大きな建築物の残骸を登り始めた。望遠鏡の出番が近付く。

「雲は有るが光量に問題は無い。辿った道に決定的な痕跡は無かったが、ある程度絞れる筈だ。地下に居ない事を祈ろうか。」

夜間において最大の能力を発揮出来るその狩人は、程なく世闇に浮かぶ小さな光源を発見する。想定内の獲物の行動に口角を吊り上げつつ望遠鏡を覗くと、レンズに場違いな者が映し出された。

子供連れの探索者。本に出て来そうな設定を忠実に再現するとは、あの男は何者だ。

光が外に漏れないように、小屋の周囲を土で固めた石壁で囲ってある。中心の石作りの小屋で黒髪の少女と食事をする白髪の男性は、日没に姿を現した初老の探索者で間違い無かった。

あの少女は街の住人なのだろうか。この距離では俺の視力でも判別できないが、大陸中央の【大部族団】で見かけそうな衣服を着ている。少なからず探索者には見え無い。鳥の羽を束ねた外套に包まれた肌は若干黒く、日焼けしているように見える。額に何等かの紋章が描かれているが、手記には似たような絵が多く載っていた。これは後で詳しく調べたい。

胸の内に湧く好奇心に刺激され、静観する考えが浮かばないエグザム。背嚢脇に望遠鏡を差し込み瓦礫の山を下山する。道を急ぐ彼に狩人の勘が何かの秘密を告げていた。


薪を継ぎ足し庵を囲む両者は、廃墟での暮らしを楽しそうに語っている。匂いからして食事を終えたばかりだろう。故郷の生活を語る少女は、この場所が故郷に似ていると話す。

彼女の名はカエデと言うらしい。短い黒髪と珍しい赤色の目が特徴的な十代前半の少女だ。大陸北方やイナバ四世辺りでは珍しくない顔つきだが、額の赤い紋章から文明の違いを感じさせる。

カエデは男をオルガと呼んでいた。本名なのかは定かでないが、【帝国】系の顔つきに白い髪と髭が印象的だ。東方特有の訛りや背中の狩猟銃と腰の短銃からして国を跨いで活動する探索者、所謂【探検家】で間違い無いだろう。そして実力者のようだ。

カエデはオルガの保護下に在るらしく、今も口ぶりから彼の身を案じている。俺の襲撃時もオルガの身を心配していた。

細い紐が幾重にも張り巡らされた厳重な警戒網を突破した俺は、こうして風下から小屋の石壁に張り付いている。興味に引かれ此処まで来たのは正解だった。老人と孫を思わせるどこか懐かしい会話を聞いていると、幾つか驚くべき単語を耳にした。

まさか伝説の地がまだ存在しているとは思わなかった。【イナバ】の名が会話に登場した時、開拓街の事を話していると錯覚してしまった。

カエデはイナバ出身の先住部族の一員で、額の紋章は一族の純血の証らしい。聞いた時には窓から目視で確認しようか迷ってしまった。もし躊躇わず覗いたら気付かれてしまっただろう。今思えば何の塗料で描かれた紋章なのか非常に気になるが、身動きが取れない今の状況に忍びない。

夜が深まり二人の会話はオルガの身の上話へ発展する。彼は若い頃の、今は無き帝国騎士団に所属していた昔話を語り始める。

「私も若い頃は色々無茶ばかりしていました。形骸化し始めた組織の為に危ない橋を好んで渡ったものです。」

話の内容から察するにカエデは、故郷を飛び出し迷惑を掛けた知り合いの心配をしているようだ。

「結局私の努力は実りませんでしたが、後悔はしておりません。やるべき事は全てやりました。」

元騎士が若人を諭す口ぶりは、紳士が淑女を嗜める一場面に似ている。エグザムは壁向こうの童話を熱心に聞く。

「オルガの言うとおりです。大地に還る前に諦めてしまっては駄目ですね。皆の為にも希望を持ちます。」

カエデの故郷を思う気持ちが壁越しに伝わって来る。話の全体像は掴めないが、時が来ればイナバの地へ帰るらしい。内容から相当危険な道のりだと伺えた。

「オルガ。壁の向こうに誰か居ます。」

会話が途切れると、カエデが盗み聞きをする不届き者に気付いた。撃鉄が起こされ薬室に弾が装填される気配がエグザムに迫る。

専制攻撃で無力化するか。いや駄目だ、第一印象が悪いと警戒されてしまう。何でも良い、第三の行動だ。

室内から洩れる光が減り扉が開け放たれる寸前でエグザムは石垣の塀を登る。奇策の準備は図らず整えられた。

「何者だ、組合の手の者か。」

先程の穏やかな口調とは間逆の険のある声で、小屋より背の高い石垣に立つ侵入者を脅すオルガ。両手に握る狩猟銃は必中距離の標的を捉えている。

「クフフフフ。話を聞かれて警戒しているな、心配するな組合には所属していない。」

月明かりを背に扉前のオルガを見下ろすエグザム。はやる気持ちと恐怖から、普段とは違う口調で何かを演じていた。

「隠密行動には自信が有るが、まさか見つかってしまうとは。原因を知りたいな、クフフフフ。」

少し前まで物音も立てず闇に溶け込んでいた筈の狩人。何故発見されたのかと心境を口に出すほど驚いている。

ついつい口が滑って余計な話をしてしまった。あの指が俺の命を奪う前に、敵意が無いと証明しなければ。

「盗み聞きをして悪かった、そちらの邪魔をする意思は無い。銃を降ろして欲しい、話がしたい。」

左腕を背後に回し口とは裏腹な体勢の不審者に、指の神経を研ぎ澄ませるオルガ。警戒しつつ武装解除を求めた。

「解った、矢とナイフの類は捨てる。」

狩人は矢筒と鉈と短剣をオルガの前に投げ捨てる。両手を掲げ無抵抗を知らせるが、左手に専用ボルトの杭を一本隠し持つ。月明かりは手甲の関節に挟まった杭を上手く隠し通した。

「それ以外は手荒に扱うと壊れる代物だ。そちらに降りても問題無いか?」

まだ銃を降ろさない。当たり前か、聞かれたくない話を聞かれた以上俺を生きて帰す必要は無い。幸いに判断を迷っている様だ。もう少し様子を見るか。

冷静と平静を取り戻したエグザムは、初めの奇人振りの口調を少し後悔する。狩人の勘が決断を促そうと警鐘を響かせる。もう時間は残っていないと。

「気をつけてオルガ。あれからは人ならざる気配を感じます。」

状況を動かすだろう少女の声は怯えてか小さく周囲に響く。顔には出さず内心で少女を疑う狩人は、小屋に隠れている助け舟へ手を伸ばす事にした。

「俺の名はエグザム、遠い西よりこの地へ来た。幻の都から来た少女よ、古代種を知っているのなら教えて欲しい。特に龍種にまつわる話があれば直ぐにでも聞きたい。」

視線を動かさず放たれた言動は、場の空気を一変させる破壊力を持っていた。危険を承知で蜂の巣を刺激する言動にカエデが反応する。

「支配者達の話を聞いてどうするのですか。貴方の様な人間でも届かぬ程の存在ですよ。」

そうか、それなら尚更都合が良い。俺の生涯は遥かな高みを掴む為に在るのだから。

「聞けば古代種の血肉には、異能を与える作用があるらしいな。嘘か真か知らんが、殺してこの身の糧にする心算だ。」

少女の息を呑む声がエグザムに伝わる。依然銃口が向けられているものの、話が進展する。

「オルガ、銃を降ろして下さい。彼の話に興味が沸きました。」


「改めて紹介する。名はエグザム、今年で二十歳に成る。西海岸の漁村から二日前にこの地へ来た。」

地方訛りが目立つ口調からは、先程までの痴態の面影は無い。復活した庵の前で胡坐をかき相対する二人へ、普段は秘密にしている身の上を話す。

「この秘境へ来た目的は三つ。狩人としての修練と師匠に捧げる一品を見つける事、そして古代種を狩る為だ。情報元は全て師匠からだが、当人が何処で知ったかは知らん。」

二人は緑の探索者に盗み聞きされた内容と同じ自己紹介を行う。そこに真新しい情報は一切無く、警戒している様と見て取れた。

紹介が終わると奇怪な客人に顔を見合わせる二人。小声で手短に済ませた内輪話は、耳の良い狩人には筒抜けだ。

「私から質問する。その若さで探索者とは驚きだが、君の師匠も探索者や探検家だったのか?」

白い眉毛を寄せ、額に皺を作るオルガの問いに肯定するエグザム。信頼関係を築き情報を引き出す為、神の園について書かれた手記を手渡した。

「それは師匠が神の園で活動していた時に集めた情報を書き込んだ記録書だ。様々な資料を一冊に纏めた代物らしい。」

本に近い分厚い手帳をめくるオルガ。皺のある無骨な手でめくられるページを、隣のカエデも興味深く覗いている。

「これだけの情報を集めるのにさぞ苦労しただろう。君の身の上は信じよう。」

古い手記が隣のカエデに渡り、現地人の査定が始まる。元弟子は気になってしかたない。

爺さんが何処まで足を踏み入れたのか、彼女の見地で判明すれば良い。判らなければ別の機会に預けられる事に成るな。

「本題を聞く。私達の話を何処まで聞いた?」

予想どうりの質問に対し正直に答え、動揺を見せず簡潔に述べた。

「俺が聞いたのはそれだけだ。俺の秘密が役立ちそうなら、更に詳しく知りたい。」

話の主導権を握っているのはカエデだと判断したエグザム。オルガを見ながら読書に夢中な彼女に返答する。

文字が読めるか怪しい当のカエデは、少し待って欲しいと態度を保留した。

「諦めて私の質問に付き合って欲しい。」

オルガの態度と口ぶりから、カエデが普段は見せない真剣さを醸し出している様だ。小さい手で素早く手記をめくり続けている。

「新参がこの時季から活動するとは珍しい。暫らくイナバ四世に戻っていないが、何か事件でも有ったのか。」

暫らくとはどの程度の期間だろう。今の業界事情に詳しくない俺に敢えて聞くとは、恐らくまだ疑っているのだろう。

「生憎来たばかりでその類の情報には疎いが、騒動らしき事件は無かった。」

今回の探索目的を教えるべきか迷ったエグザムは、聞かれるまでは教えない事にした。新参の探索者を貫くと決める。

「探検家のオルガ殿は世界樹や【残骸大地】に詳しいのか?よければ自慢話の一つでも聞きたいな。」

話題を変える為に今度はエグザムが質問する。三大秘境の情報を頭に叩き込んでいた新参は、元騎士の探検家を試す。

「お国柄の影響で世界樹には長く留まれなかったが、残骸大地の事なら詳しいぞ。」

オルガは昔話を始める。長話に耐性を持つエグザム。手記に夢中なカエデ。三人の夜は始まったばかりだ。


初老の探検家は比較的裕福な家庭に生まれる。家は代々続く商家で、秘境から運ばれた商品を幅広く扱っていた。

家の手伝いをしながら騎士学校に通う若き日のオルガ・アイアフラウは、秘境の周辺と学校を自宅から通う忙しい日々を送っていた。十八を迎える夏まで見習い生活を続けていると、ある騒動に巻き込まれる。

二つ上の卒業生、つまり若い騎士隊が遠い地の秘境で全滅したのだ。当時のオルガは騎士受勲前の身、残骸大地から帰路に着く途中でその話を聞いた。

騎士団の一般騎士隊は同い年の卒業生同士で構成される仕組みだ。一般騎士隊は帝国各地の秘境や係争地帯に派遣され、害獣の駆除や治安維持に幅広く対応する。軍組織の中では一般兵より位が高いが、現場では上級騎士の命に従い雑務と肉体労働が待っていた。

オルガ達が学校に帰って早々騎士受勲式が執り行われ、めでたく出世したのである。簡易的な式典が終わると残骸大地にとんぼ返りが決まり、オルガ・アイアフラウの苦難の日々が始まった。

新人騎士には手に負えない秘境の定期探査や害獣駆除が立て続けに舞い込み、一月で部隊は疲弊する。オルガはその時になって初めて騎士団の現状と直面したのだ。

騎士団は国営の組織だが、軍属でありながら民間による出資で維持される傭兵団でもあった。当時の探索業界は安価で対応の早い格安の傭兵や探索代行が主流に成りつつあり、騎士団は運営方針を模索している最中だった。質が高い高給取りの上級騎士を主軸にするか、安く安定した数の一般騎士を使い潰すか迷っていた。

そんな変わり目に騎士に成ったオルガは、語られてきた理想像とかけ離れた現実に戸惑う。若い身にのしかかる仲間の戦死や引退、変わり行く業界が騎士の道に疑問を投げかけた。

数年が経ち規模の縮小した騎士団に残っていた騎士オルガは、新しい傭兵集団を立ち上げる事を決める。残った同期の騎士や鞍替えした元同期等に声をかけた末、小さな傭兵団を結成したのだった。


「話の途中ですが、一つ聞きたい事が有ります。どうして古代種の血の秘密を知っているのですか?」

男達の会話を中断させたカエデは、手記の一部分を広げエグザムに近付く。オルガの過去話は興味無かったようである。

「その手記を渡される以前に師匠から直接教えられた。確かそれには書かれていない話だったよ。」

血の秘密については半信半疑で聞いていたが、今でも簡単に思い出せる。その時の爺さんは悪事を自慢する子供の顔をしていた。故に内容は今日まで二人だけの秘密だった。

「そうですか。古代種への対策が外の世界では進んでいると思ったのですが、残念です。」

古代種が彼女の家出に関係していると直感的に判断したエグザム。手記を小さい手から素早く取り上げると、慣れた手つきで紋章が描かれたページを探し始めた。

手記に集中する客人に対し隣同士の二人は顔を合わせ内輪話をする。その会話は、長年抑えた探究心に身を任せるエグザムには決して届かない。

「これは師匠が神の園の遺跡を探索した時に幾つか見つけた紋章の一種だが、師匠は地名を現す紋章として区別していた。その額の紋章とどう違うのか教えて欲しい。」

形も大きさも疎らな円形の模様を紹介した部分を開きカエデに見せる。

爺さんは神の園自体が巨大な建造物だと力説していた。そんな馬鹿げた考えもやはり二人だけの秘密だ。

「おそらく失われた紋章の一部でしょう。里では境界や特定の場所を丸い模様で示す慣わしが有りますが、この様に複雑な物は使われていません。」

一息区切り、カエデは続ける。神妙な面持ちだ

「額の紋章は一族の起源を表すそうです。里の民の多くは何かしらの紋章を受け継いでいますが、その意味を知る者は残っていません。」

手記の該当箇所を互いに見せ合うオルガとカエデ。なにやら帰り道の参考にと色々な単語が飛び交う。エグザムには知らない言葉ばかりで、一人蚊帳の外だ。

俺は勘違いしていたようだ。爺さんの話や手記の情報ばかり鵜呑みにして、考察や裏付けを怠っていた。これでは爺さんの手記も宝の持ち腐れだ。

一人反省する若者と白熱した議論を交わす小屋の住人は、入手元不明の炭が灰へ変わる貴重な一時を過ごすのだった。

翌朝。別れ際に二人との秘密を守ると約束したエグザムは、帰りに立ち寄ると告げ台地を後にする。生憎の曇り空は別れを簡素なものにした。


オルガはともかくカエデは何等かの情報を握っている。俺に気づいた理由や里の位置は不明のままで、得たいの知れない探索者を信頼するには危険と判断したのだろう。

幾つか判明した事実を整理しよう。彼女が住んでいた里は幻のイナバではなく、名前だけ同じ別の集落だった。彼女の先祖が古い時代にイナバから現在の場所に移り住んだ経緯を聞いた。里の住人は何等かの特技を保有しているらしい。高い身体能力に恵まれた者や風を読める者等、様々な能力を秘めているそうだが、具体性に乏しい情報だった。

最大の収穫は例のイナバと思しき場所が判明した事だ。カエデ達が聖地と崇めるその場所は湿地流域の北に在る湖の周辺だ。古地図や手記には遺跡を示す記号が幾つか有るだけの場所だが、本人曰くその一帯で間違いないらしい。手持ちの情報源にはその周辺に固有名詞は無く只の湖が描かれていた。

「結局この目で確かめるしか方法は無い。地道に探索活動を続けよう。」

イナバ三世跡を発ってから二日が経過しており、現在探索三日目の朝だ。昨日の雨を忘れさせる程の快晴が空の果てまで広がっている。エグザムは青空の下で、崖上から東一帯に広がる【密林】を眺めていた。

「ようやく玄関口に出た。神の園は想像以上に広いな、これほどの熱帯林もその一部分に過ぎないとは。」

神の園西側の中央を陣取るのが密林だ。一帯は低地に在り一部を除いて起伏が多い地形をしている。東の地平に見える山岳地帯まで続いているが、全体像を把握している者は居ないと言われる難所でもある。春先から夏にかけて北からの雪解け水が流れ込み、海綿体の如く溜め込む。当然、多数の沼地が多数出現し行く手を阻むのだ。多くの【固有種】が生息する太古からの博物館らしく、人間の生存には適さない。

「地政学的に此処を抜けなければ秘境の奥に進めない。事実上天然の要害か。」

手記へ落としていた視線を再度正面へ戻すエグザム。視界には害獣天国が広がっている。草むらから崖沿いの登坂道を下りて行く探索者集団を確認してからそろそろ半刻を過ぎようとしていた。

「囮を発見できたのは都合が良い。見失わないよう坂を下るか。」

切り立った崖を抉る様に崖下まで道が続いているが、やはり囮の姿は無い森の中へ入った後だ。

馬車が通れるほど広い道幅を歩き始めるエグザム。街道だった【探索道】と呼ばれる秘境内で整備された道を進む。警戒しながら時間の掛かる道中にて、気になる情報について考察する。

秘境の獣たちは種族が違えど意思疎通が可能なのか。固有種の中には統率する個体が居るが、どうやら単独行動を行う個体でもそうらしい。【人狼】と呼ばれる文明的な生態を持つ種が奥地で生息している以上、やたら好戦的な種は限られるだろう。

「ただ。上手い肉の味を知ったら豹変するだろうな。」

此処では生死に関係無く人間は珍味と捉えられている筈だ。そこの骨の様に髄に至るまでしゃぶられるだろう。

壁際に散乱する骨は大半が砕かれ、原型を留めている物は無い。人間か小動物か害獣かは食事した当事者にしか判らない。朽ち果てた亡骸は生者に何も語りかけず、エグザムも気に留めない。相変わらず長い道が続いている。

そう言えば探索道の整備は組合の【遊撃隊】の仕事だったな。探索者が減った今では何処まで機能しているのだろうか。

滑落防止の為か、崖沿いに木の支柱とロープが等間隔で設置してある。所々新しい箇所が目に入るものの、大半は年季の入った代物だ。本来の用途には使えそうにないと評価したエグザム。ふとオルガの境遇を思い出す。

「遊撃隊と騎士団は同じ性質の組織だ。俺もオルガと同じ様に時代の移り変わりに生きる事に成りそうだ。」

不適格の素人が探索者を担い、商人や貴族に雇われた傭兵が幅を利かせる今日の組合。エグザムは最盛期と言われる夏場の秘境を思い浮かべる。今更ながら元騎士に同情した。

大よそ半分を超えた辺りか。岩影で遮られているが岩向こうから森の息遣いが聞える。僅かだか腐った臭いと沼地らしき匂いがこの高さまで届いている。下は相当強烈な環境だろう。

刺激に敏感なエグザムは、首に巻いたスカーフで鼻と口を覆い目をゴーグルで保護する。特有の匂いで鼻が麻痺するのを恐れていた。


始まったか。銃声からして先程の囮だろう。

崖下の岩陰に隠れ、銃声が聞こえる方向を伺うエグザム。長銃特有の甲高い音が頻繁に鳴り響いていた。

「風は無い、今の森の中では匂いを辿れない筈だ。」

問題無しと小さく呟くと、ツルマキを両手に持ち岩陰を飛び出す。断続的に北東から伝わる戦闘音から、そう遠くないと狩人は判断した。

遠目からでも確認した一帯の足場は、予想どうりの堆積土で軟らかい。エグザムは戦闘が終わるまでゆっくりと森を歩いていると、木々の間を黒い影が複数北へ移動するのを目にし、ゆっくりと姿勢を低くする。

過剰な装備から腕利きでは無いと考えていたが、狩猟が目的なのかもしれない。何と交戦しているか気になるが、確認する暇は無さそうだ。

黒い影の正体は大猿である。大陸に広く分布している狼猿と比較し体が大きく黒い毛並みが特徴だ。体高は成人男性と同程度で、硬い爪と盛り上がった筋肉を武器に戦う。群を形成し年中繁殖するので数は多い。

間違い無く固有種の食物連鎖上位に位置する存在だろう。あの数を相手にするのは危険だ。全て囮に向かってくれればありがたいが、連中の胃袋を五人で満たすのは無理だろう。

群が通過した跡を横切り森の中へ進むか、背後の岩場へ戻るか思案するエグザム。囮が最初に遭遇した存在を思い出す。

同族でも共食い程度はするだろうが、別の種である可能性に賭けてみるか。どのみち向こうは長く持た無い、留まっていて解決する保証も無い。

大猿が戦闘に参加した理由を掴みかねていたエグザム。散発的な銃声が響く密林を奥地目指しへひた走るのだった。


結果的に囮は多くの害獣を引き付けた様だった。この特有の匂いも俺を隠すのに役立ったらしく、追跡して来る存在は無かった。日の位置から現在は正午辺りだろう。俺の体内時計も狂いは無い。

聞いた以上に密林は入り組んだ地形をしていた。かの巨木の根のような地上に露出した断層が、蜘蛛の巣より複雑に広がっている。底に流れ込んだ水が沼を幾つも形成し、南へ少しづつ流れる小川が落ち葉や木の実を運んでいた。

春先の今でも沼が目立つが、夏になれば足場が沼地で制限されるだろう。北寄りの侵入路を探す必要が有るな。

水場には近付かず木の根や硬い地面を頼りに密林中央へ進んでいた。鳥の鳴き声が四方から聞え、方向や距離感を何度も惑わせる。狩人は頼りにならない方位磁石を見限り、日の位置だけで方角を確かめる。

爺さんやカエデの言うとおりこの地に住む多くの種は、他種との深い関りを持つのかも知れない。普通の自然界でこれだけ変化に富んだ環境で生き残れる種は少ないだろう。そして秘境に住む生物は大抵大柄だ。連中が摂取する木の実や野草が成長する速さに原因が在るだろう。

音を立てず周囲の観察を続けるエグザムは、鈍い黄金色の甲殻虫を発見する。本来なら指で摘まめる大きさの虫も、やはり握り拳大の大きさだ。大きな蔦の葉の裏に身を隠していた。

確かこいつの甲殻と羽根は装飾品に使われる代物だが、実物に豪華さは全く無いな。

花粉や砂で汚れた体表に金属光沢は見られない。それもそのはず加工前の甲殻には細やかな凹凸が並んでおり、光を乱反射するのだ。

「今回はお前目当てでは無いから安心しろ。」

触覚を動かしエグザムを警戒する黄金虫から目を離し立ち上がる。短い休息が終わり、目と鼻の先に広が自然界の境界線を跨いだ。


ツルマキの大きな照星が大木の上部に茂る青い葉と重なる。狩人は測距で大きさを測り、目的の葉か調べている。

「青毒の葉とよく似ている。此処が白の森で間違い無いなら、目当ての場所へ到着した事になる。」

腹袋から方位磁石と古地図を出し、僅かに届く光源から太陽の位置を探る。

「この場所に磁場の乱れは無い。情報と同じ環境だ。」

エグザム最初の神の園探索は、灰の木の葉の採取を目的としていた。密林中央付近に在る白の森で採れる季節限定の希少素材は、状態の良い物で一枚辺り銀貨一枚の値が付くのだ。

青毒の葉。灰の木の若葉で、命名されて歴史の浅い調合素材。春の間のみ青く、生育途中の葉の名称。神経毒の強い毒性を持ち、錬金術を用いなくとも簡単に成分を抽出できる事から、現在でも高値で取引されている。季節を過ぎると葉は緑に変色し毒性を失う。その手の者には重宝される貴重品だ。

成長の早い環境下でこの高さは、樹齢四百年に相当するのだろう。そこら中に千年級と同じ高さの木が生えている。目を疑う光景とはこの事を言うのか。

青緑色の苔で覆われた苗床の大地には、薄い灰色の木が乱立している。途中で枯れた木や倒木が黒く変色し、黒い腐葉土と重なって見えた。

エグザムは露出した太い根に腰を降ろし、同じく太い幹を手甲で叩く。

「硬い、弾かれる感触だ。」

此処の地形は密林の中でも段差が少ない。匂いも音も全てが違う別世界だ。

エグザムは道具を仕舞うと、スカーフとゴーグルを外し汚れを払う。香草を濃縮した匂いが鼻を刺激するが、生物特有の糞尿や体臭の臭いは無い。

この苔は手記に載っていたな、確か獣除けの苔だったか。そこら中に自生しているが、匂いの正体はこの苔だろう。

その手記を腹袋から取り出し苔に関する記述を探す。師匠が経験した過去を詮索し、必要そうな情報を見繕う。

苔は乾燥させて獣除けに使うのか。代替品が有り値打ち物では無いな。効果について詳しく書かれていない。これは怪しいが、苔から苦味に似た異臭はしなかった。

エグザムは獣除け効果を検証する為、空の採取瓶を一つ取り出し苔を土ごと採取する。同じく採取用に持って来た綿の小袋にも詰めると、予備の紐で首に提げた。

「そろそろ時間だ。本命の採取を始めるか。」

文字どおり杭にも転用できる専用ボルトを硬い木の表層に突き立てる。腕の力だけで杭にぶら下がり、木登りを始めるエグザム。彼にしか出来ないだろう芸当で、頭上の獲物を目指し金の木を登る。

情報どおり白の森に生息する生物の数が少ない。密林の只中に在ってこれ程の差が生じるとは、驚きとも不気味とも違う不可解な環境だ。

白く見える体表がエグザムの不快指数を底上げする。僅かな鳥や虫の鳴き声以外届かない。静寂に包まれた森に乾いた打音が周囲に木霊するのだった。


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