序 あやかし少女
序 あやかし少女
-時は昔。山あいの村に一人の女子がいた。名を緋衣。強く気高い心を持ち、最強のあやかしと呼ばれた美しき娘の試練の話-
(やめて…その子は悪くない…連れていかないで!)
(大丈夫。また、逢える。…だから、)
「っ!!はぁ…はぁ…はぁ…」
<また、あの夢…。…でも、私は、あの子を知っている…?>
緋衣は呼吸を整え、己の額の汗をぬぐった。
<私は緋衣…気高きアカツキの巫女にして炎の姫。汚らわしい過去に囚われるな…一族の誇りを忘れるな。>
緋衣は呼吸を整えつつ、あの時の事を思いだした。
<そうだ…私は…とずっと言われている。
あの時、あの村の者は私の能力が完全に開花した時、皆私から離れていった。偽りの言葉をかけ続けた子も最後は…
(化け物!!近付かないで!)
…そう、吐いて逃げたのだ。>
緋衣の中であの頃と同じ、負の感情が渦巻いた。偽りという事を憎く思い、あの村への復讐したあの時の感情が。
<気持ち悪い…泉へ行こう…>
「木賊、泉へ行こう」
気分を晴らしたい。そんな思いで緋衣は屋敷を出た。木賊の背にまたがり、緋衣は森の奥深くにある泉へと向かった。
優しい風がふき、木の葉を揺らす。
緋衣は泉へ着いた。木賊から降り、泉のほとりへと近付き、片手を入れた。ひんやりとした冷たさが伝わってきた。
「気持ち良い。…落ち着く。不思議。」
しばらくして、緋衣は水に浸けていた手を出した。 [大丈夫か?…無理、しなくて良いんだぞ。]
木賊は言い聞かせるようにしていった。封印を解かれており、本来の姿、大きさだった。寝転んでいた緋衣は、上体を起こして言った。
「大丈夫。無理なんてしてない。ありがとう木賊。」
緋衣が木賊を見て微笑むと、木賊はそっぽを向いて言った。
[俺は、···緋衣が無理してないなら、それでいい。]
緋衣が微笑んだその時、
カラン、カラン、カラン!!
けたたましく山に響き渡る鳴子の音。"奴ら"は気にも留めていないだろう、その音は、山への侵入者を知らせるもの。
緋衣は素早く立ち上がり、木賊に駆け寄った。
「木賊!」
[あいよ!]
木賊は駆け寄ってきている緋衣に仮面を投げ渡した。緋衣は仮面を付け、木賊にまたがり森の出口へ向かった。
-少女は仮面の下に素顔を隠し、藍の羽衣に身を包み、山狼にまたがり木々の間をすり抜けていく。
美しくも勇ましい少女は闇に染まった人間から山を守る。人々はその姿に圧倒される-
[抜けるぞ!]
木賊が飛ばしたため、予想より早く着いた。そして、森を抜けた先に奴らはいた。
「あやかしだーーー!!」
<やはり…倉之間か。>
緋衣を指すその言葉。間違いないと緋衣は確信した。
「木賊、止まって。」
緋衣は小さく木賊に呟いた。木賊はそれに従い、崖のところで止まった。緋衣は静かに、大きく息を吸い、声を出す。
「立ち去れ!汚らわしい人間の貴様らが来て良い所ではない!己の命が惜しければ、即刻立ち去れ!」
緋衣の発した言葉は、こだましながら山々に響いた。
そして、倉之間の陣営の中の一人の男が言葉を発した。
「我等は倉之間様に仕えるもの!お前ごとき、蹴散らしてくれる!行け!」
その言葉を合図に何処からともなく、緋衣に向かって一つの
緋衣は避け、その後も絶えず放たれる攻撃を避けながら考えた。
「はぁっ!!」
「ぐわぁぁ!!」
緋衣は背後に異様な気配を感じ、すぐ後ろを振り返った。すると、そこにいたのは一人、気配の違うナニカだった。
相手の手にしている片手剣に気付かなかった緋衣は反応が少し遅れ、剣が面をかすった。ある程度の距離をとった緋衣は、体制をたてなおした。相手の忍びは、クククククッと笑い、緋衣を見た。
「ククククッ···さすがですね。」
緋衣は、本能的に危険だと感じた。緋衣との距離を詰めてくる男を前に、緋衣は懐から巻物を出した。巻物は光を帯び、緋衣の手の中でほのかに光輝いていた。
緋衣は巻物の紐をほどき、広げた。ほのかにしか光輝いていなかった巻物はその光を強くした。
「我が名は緋衣。主の敵の選別し、射止めよ!」
緋衣が手を向けた先にいた男は、するりとかわし、緋衣との距離を詰め、まだ手にしていた剣で接近戦へと持ち込んだ。そして、緋衣にしか聞こえないくらいに小さく言った。
「あやかしよ、この私と一騎討ちで勝負せよ。そなたが勝てば、我等は撤退。そなたが負ければ死。···だが、死だけは私も同じだ。」
「…ほぉ、命を賭けるのか。フッ。面白い。…だが、ずいぶんと主に従順と見受けるな。」
しかし男は不敵な笑みを浮かべるだけ。
「まずは仮面から剥がせてもらおう。」
「断る…!」
男は緋衣の仮面を狙ってきた。緋衣は避け、小さな双剣を出し、忍びとの空いた距離を詰めていく。
接近戦の中で緋衣は右手の双剣を手放し、
「鎌鼬!」
技を繰り出すも、なかなか当たらなかったが、忍びの一瞬のすきを突いた鎌鼬は、さすがに避けきれずかすった。その時、忍びは緋衣との距離を開け、体制をたてなおしたがその唇には弧を描いていた。
「やはりさすがは。といったところだ。しかし、そなたは甘い。甘すぎるくらいにね。もっと本気で行かないと、私が殺しちゃいますよ。そして、技はこう使うんですよ…
雷乱舞!」
「きゃぁぁぁぁぁ!!」
まともにくらい、その場に緋衣は片膝をついたが、その唇には先ほどと同じように弧を描いていた。
「何がそんなに面白い?」
「貴様の雷が面白い。」
男は鼻で笑った。
「そのような口を叩いても、もう体は動かないだろう。」
<体は動かないけど、私は負けていない!>
「私も面白かった。だが、とどめだ…あやかしーーー!!」
緋衣は微笑みを浮かべていた。
忍びとの距離がわずかになったその時、
<ここだ!…影武者!>
緋衣は、憎しみに刈られたように我を忘れている目をしている男との距離を詰めに詰め、素早く身代わりと入れ替わった。刃を突き刺した後で男は気づいたようだった。
緋衣は入れ替わった後に、最初の木賊といた場所に戻った。
[大丈夫か?]
「平気。」
木賊の心配を余所に、緋衣は戦闘中に仕込んだ結界を起動した。
(決して、自分の結界に入った者は逃がしちゃいけないよ。)
緋衣は自分の祖母である、桐火に教わったこと。その言葉を緋衣は思い出していた。
<大丈夫よ。私は誰も逃がさない!>
緋衣が思い返している時、男は起動された結界の中でもがいていた。
「クッソ!」
<私の結界はもがけばもがくほど痛みを味わう>
緋衣は口を開き、言葉を発した。
「森を傷付けし罪人よ!貴様が行いし過ちのむくい、その身で受けよ!」
「クッ!我が身を守りし···」
<守りをかけても無駄だ。森の怒りを受けよ!>
緋衣は手を前に伸ばし、叫んだ。
「我が名はアカツキノヒミト!アカツキの巫女の名のもとに、我が呼び声にこたえよ!
大地を揺るがし、守護する者よ!森を傷付けし罪人へ、そのむくいを与えよ!」
「っ!守護が効かない…⁉︎っ…ぐわぁぁぁぁ!!」
苦痛の叫びをあげて忍びは倒れた。
<もはや立ち上がる力も残っていないのか。>
緋衣が見下ろしていると、男の仲間は顔色を変え一目散に逃げていった。
<本当に奴等はクズだな。>
緋衣は下に降り、忍びに近づいた。そして、どうしたものかと倒れている忍びを見つつ考えた。
「…ゃく…ころ…」
緋衣はその微かな声を聞き逃さなかった。ゆっくりと薄目を開いき緋衣を見つめた。
「わ…たしの…負け…だ。は‥やく、ころ…せ…!」
微かな声にもはや憎しみなどなかった。緋衣は片膝をついた。そして、緋衣も男を見つめた。
「私は貴様を殺さない。生き物を殺すのは趣味ではない。同情だと思うなら無理はない。だが、その同情もたまには良いのではないか?」
緋衣が話している時に手の甲に落ちた雫。全てを物語る、陽光に照らされた雫はその流した者の心の内を教える。
「私は…本当は…生きたい。たがそれは…私を拾ってくれた主を裏切る…私は…どう、したら…」
「私はお前の事情は知らん。だが、主を裏切ると言うのなら、遠くから見守れば良い。
まあ、後はお前が決めることだ。私ではない。」
男は目を見開いた。
「貴方は何処までも気高き姫なのですね。あぁ、私は初めから劣っていたのか。」
その言葉と同時に大地に寝転びっぱなしだった男の体は光出した。緋衣はまさかと思った。
<聞いたことがある…禁忌を破りし式神は人と同じようになる…もとの姿を取り戻すには新たな主を要する…ただの言い伝えだと思っていたのに…>
光が収まり、そこにいたのは姿を変えた男だった。
「私は緑斗。草木を操る式神です。」
美しい若松色の髪を揺らし、青年は、緑斗は緋衣の前に立った。緋衣は気持ちを落ち着けた。
「禁忌を破ったからにはそれなりの理由があったのだろうが…聞かぬほうが良いな。
改めて…私は緋衣。アカツキの巫女・アカツキノヒミトの名を持つ。よろしくな、緑斗。」
差し出された手を取ったその顔は緋衣の見てきた中で一番嬉しそうな笑顔だった。
「貴方が初めて私を知ろうとしてくれました。そして、私がまたこの姿に戻れたのも貴方のおかげです。
私は貴方のために生きたい。これからは。よろしくお願いいたします、緋衣様。」
はにかむような笑顔を残して、緑斗は式神の書に封印されていった。
書からの光が収まり、懐へ仕舞うと、どっと疲労が押し寄せた。ぐらっときたその感覚に抗えず地に倒れるところを近くの草むらから飛び出して来たのであろう、若い娘が緋衣を受け止めた。
荒い息づかいをしていながらも受け止めた娘に薄目を開けて小さく呟いた。
「すまないな…り…こ…」
そして、娘もまた呟いた。
「緋衣様…すぐに手当て致します。もう少しの辛抱です。」
娘の呼び声を遠くに聞きながら緋衣は意識を手放した。
* * * *
次に緋衣が目を覚ましたのは何処かの部屋だった。辺りを、まだ目覚めない頭左右に軽く振りながら見渡した。障子の方向に目をむけたと同時に、一つの影が障子を開けた。
「大丈夫ですか?緋衣様。」
柔らかい声の中に強い芯を持っている、その声の主は、草むらから飛び出して来た娘だった。
緋衣にとってとても馴染み深い娘だった。
「あぁ。すまなかったな。織子。」
元気な笑顔を見せたその娘は緋衣の守る山の麓の村娘・織子だ。唯一、緋衣を恐れなかった者にしてかけがえなき、たった一人の友だった。
「いえ。私は平気です。いつもありがとうございます、緋衣様。…我等が未熟なばっかりに。迷惑をかけて…私が出来るのは、緋衣様への手当て。何も守れない我等をお許しください。」
うつむいた織子は、必死で唇を噛んで自分の無力さを責めていた。
しかし、うつむいていた顔をあげて、先ほどの顔が嘘の様なくらい笑顔だった。
「そんなに自分を責めるな。…お前は、しっかりと守っているではないか。
戦いで瀕死の私を、愚か者達から守っている。村の衆も、皆で私を守ってくれる。
…私はそれだけで十分だ。」
緋衣は気持ちを入れ替えた様に、床から出、織子の前を通り障子に手をかけ振り向いた。
「織子、世話になった。私はもう行くとする。待たせているのでな。」
緋衣が障子を開ける前に先に開いた。
開けた者は顔馴染みの和尚だった。
「もう行くのですか?」
「あぁ。いつもすまんな、和尚。」
「なんのなんの。毎度守っていただいています。これくらい何てことありません。」
「ありがとう」
緋衣の暖かな笑顔で和尚も優しく微笑み、緋衣を送り出した。
寺の門の前で和尚は告げた。
「やはり、緋衣様が発つのは速いですな。…護り姫よ。」
「私は姫ではない。私は緋衣だ。
だが、誉め言葉として受け取っておく。ではな。」
和尚も相変わらずだ。そう小さく呟いたのを知ってか知らずか、和尚は貴方もです。と返した。
寺を出た緋衣はただ歩いた。もうじき村はずれになるところだ。と胸の中で思いながら。
村はずれに差し掛かってもまだ歩いていた緋衣を迎えた村は田植えをしていた。皆、緋衣を見つけると笑顔で頭を下げた。村の幼子ーおさなごーはこぞって緋衣のもとへ走ってきた。
「緋衣しぁま!」
そう口々に緋衣の名を呼んだ。緋衣は目線を合わせるため、しゃがんだ。
「久しいな。皆、母上の言うことは聞いているか?」
「はーーーい!!」
「ならば良い。」
幼子達につられる様にして緋衣も笑った。立ち上がり一度ずつ頭を優しく撫で、緋衣はその場を後にした。
あの幼子達が闇に染まらないことを願って。