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女シリーズ

彩子

作者: 戸袋荷物

「岸田くんと寝たの」

彩子はそう僕に言った。

僕は、彩子が好きだった。

泣きたくなった。


彩子と出会ったのは、大学の二回生の頃だった。

彩子は純情そうな女の子だった。化粧も薄く、髪も染めず、眼鏡をコンタクトにもしていない。趣味は読書と編み物で、大学の専攻は栄養学だった。


彩子は、誘いを断ることが苦手だった。

サークルの飲み会の帰りに男子学生に絡まれると、相手をしてしまうせいで終電を逃した。

電車を降りる時、ふざけて腕を掴んで引き止めると、そのまま降りられなくなった。

遊びに行こうと誘うと、行きたくなくても来てくれた。

彩子は、綺麗で、優しくて、そういう女の子だった。


サークルの飲み会で、僕は久しぶりに彩子に会った。

「彩子、最近どう?」

「忙しいけど、まぁ普通よ。みっちゃんは?」

彩子は僕をみっちゃんと呼ぶ。森田光彦の光彦で、みっちゃんだ。

「僕もまぁそんな感じ」

飲み会は順調に進み、だんだん酔いも回って来た。

「ねぇ」

僕は彩子に声をかけた。彩子は僕を見た。

「最近、彼氏とはどうなの?」

彩子と付き合いたい。

随分前から、そう思ってきたが、まだ言えずにいる。たまに、飲み会の席でそれとなく彩子に彼氏がいるか聞く。話を聞くと、毎回、彩子の恋は進展したり後退したりしていて落ち着いた話を聞いたことがない。

僕は時々彩子が可哀想になる。多分、彩子は男運がないのだと思う。

「今、いないよ」

彩子は笑って言った。

もしかすると、今、チャンスが巡って来たのかもしれない。

「なんで?つくらないの?」

彩子はまだ笑っている。

「作ってもいいけどね」

僕は確信した。

今日、この後彩子を僕の家に連れて行こう。

そして告白をしよう。


飲み会の帰り、僕は酔ったふりをして彩子の手を引いた。勇気がなくて、恥ずかしくて、そうでもしなければ、彩子を連れて来ることなどできなかった。

家に着くと、僕は適当なお酒を冷蔵庫から出し、グラスを二つ用意した。

彩子が僕の正面に座った。

「大丈夫?酔ってる?」

「大丈夫、酔ったふりしてるみたいなところあるし」

彩子は不思議そうに僕を見た。

「お酒まだ飲みたかったら飲んでいいよ」

僕はグラスに白ワインを注いで彩子に差し出した。彩子は、ありがとう、と言って一口だけ飲んだ。それを見届けてから僕は口を開いた。

「あのさ、ちょっと話したいことあって」

彩子の美しい瞳が眼鏡の奥で輝きを放つ。

「うん、なに」

僕は、胸の高鳴りを抑えつつ話を続ける。

「僕たち、知り合って結構経つし、気があうと思わない?少なくとも僕は、一緒にいて楽しいと思ってるんだけど」

「うん、そうだね。気は合うんじゃない」

「じゃあさ、お互い今フリーだし、どうかな、試しに付き合ってみない?」

彩子は、驚いて目を丸くし、それからしばらく沈黙した。彩子の沈黙は僕が思っていた以上に長かった。なんとなく、断られるような気がした。

「ごめん」

彩子はやがて小さな声で言った。


「好きな人いるの?」

「ううん、違う」

「じゃあ、何で?」

彩子は小さく溜息を吐いて言った。

「岸田くんと寝たの」


頭の回転が止まった。

岸田とはサークルの仲間で、僕たちはよく一緒に飲んでいる。

あいつ、彩子と寝たのか。

急に悔しくなった。


「え、いつ?てか、そういう関係だったの?」

「先週。それが初めてってわけじゃないんだけど。でも、付き合ってるとかじゃないの」

「付き合ってないのに寝たってこと?」

「そう」


彩子は、断らない女だ。優しい女だ。きっと、岸田に迫られて、仕方なく寝たんだろう。

彩子は続ける。


「私、人と付き合う意味も、好きってことの意味もわからないの。私はみっちゃんと付き合っても、絶対他の誰かと寝るような女だよ」

「そんなのわからないよ。付き合うこととか好きの意味なんて、考えたこともないし。でも付き合ってみたら変わるかもしれないよ」

「変わらないと思う」

彩子は冷めていた。

「セックスなんて、欲求不満の解消くらいの価値しかないし、気持ちよくなきゃ意味ないでしょ。だから私は、岸田くんとしてるの。岸田くん、クズだけど、相性がいいから。キスしたってセックスしたって好きとか言い出さないし、楽なの」


僕は悲しくなった。聞きたくなかった。彩子は何を言ってるんだろう。

岸田が迫ったんじゃない。彩子から求めたのだ。それも、一度ではなくて何度もしている。

どうして、よりによって岸田なんだ。クズの女たらしの岸田のところに行くくらいなら、僕のところに来ればいい。セックスなんていくらでもしてやるのに。


「今日も、この後岸田くんちに行く約束してるんだ」

「彩子、こんなこと止めなよ。もっと自分を大事にしなよ。危ない目にあってからじゃ遅いんだよ」

何人もの男を渡り歩く彩子の姿が脳裏に浮かんだ。

「ありがとう。でも、大丈夫だよ」

彩子は笑った。

「じゃ、私もう行くね」

そして、立ち上がり、僕の部屋を出て行こうとする。

僕は、彩子の腕を掴んだ。

「ここにいろよ。セックスするだけなら、ここにだって相手はいるだろ」

彩子は首を振り、悲しそうに笑って言った。

「ううん、駄目だよ。だって、みっちゃん、私のこと好きなんでしょ?」

僕は泣きたくなった。

彩子のことを好きでもない岸田は彩子と寝るのに、彩子を好きな僕にはそれが出来ない。

「別に好きじゃないよ。ただ、付き合ってみないかって、試しに」

意地を張った。

「じゃあ、別に友達でよくない?」


そう言って彩子は去った。岸田のところへセックスをしに。


それからしばらく経って、僕は岸田と飲みに行った。

岸田は言った。

「最近彩子に会った?」

「まぁ、時々家来るけど。岸田は?」

「はは、やっぱそうなんだ。本当にあの子って何でもするよね。大人しそうな顔してさ」

岸田は笑った。

「だよな」

僕も笑った。

僕は彩子に何かしてもらったことは一度もないけれど。



私は友達の幸太郎と飲んでいた。

「俺、人を好きになったことないんだよね」

幸太郎は、空になった私のグラスにワインを注いだ。

「別に良いんじゃない?私、好きとか簡単に言い出す人の方が逆によくわかんない」

「だよね。俺もわかんない」

幸太郎は、私の手を握った。

抱かれたかった。

先月、岸田と寝たとき、私は驚くほど感じなかった。そんなことは初めてだった。全く気持ちよくないセックスをして、疲れる以上に不安になった。

身体の感覚が、鈍くなっているのかも知れない。

「ねぇ、しよ」

私は幸太郎と共にベッドに倒れこんだ。


彩子はそれを繰り返す。体の感覚がだんだん失われていくのが分かる。

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