ランチタイムミーティング(その3)
話が終わったときにはまだコンビニ製握り飯には手をつけておらず、会長は茶くらいは出すからここで食っていけと言ってくれのたが、居心地の悪さを感じた私は遠慮し教室に戻ることにした。
叔母なら遠慮なく居座るどころか二人を顎でつかっただろうな。私と同じ年齢という立場でもだ。あのひとの辞書には慎みの二文字が存在しないに違いない。あと遠慮とか礼儀とかしとやかさとか……存在しない語句が多いな。とんだ欠陥辞書だ。こんど本屋にいったら広辞苑を探しておこう。
「で、今度はお前か……」
とかなんとか考えていたから前方の注意が疎かになっていた。というか気をつけろと言われた直後に悉く出くわしてないか? これがフラグというやつだろうか。随分雑な建て方もあったものだ。
全く、今日は厄日らしい。
階段の踊り場に高橋影助が壁に寄っかかっていた。
私を待っていたかのように。
「やあどうも。お疲れの様ですね」
その通りだ。だからスルーしてもいいか。
「羽根村さんは告白されたことってありますか? 僕はここに入るまでは下駄箱に手紙が入っているだなんて作り話の中だけだと思っていたんですけどねえ。今まで七通ですよ。いやあ手紙はいいものですねえ」
高橋はスルーさせないどころか自慢話を始めやがった。
しかも恋愛ものと来た。最悪だ。
「ラブレターというやつでしてね、何枚にも渡って私に思いを綴ってくれてるものや一枚に詩の様に短い言葉に万感が込められてるものまで様々でして」
私これ聞かないとダメなのかな。
こいつと二人でいるところを誰かに見られでもしたらたちどころに妙な噂が湧いて出てますます私の立場が具合の悪いものになりそうだ。幸い、誰かが来る気配は無かった。
「しかしねえ、僕は思うんですよ。その思いという奴が本物だとどうやって証明出来るんでしょうと。例えば私はあなたの頭の中は覗けませんし、あなたも私の考えていることは口にしなければ分からない。それが本音なのか偽りのメッセージなのかどうやって判断すればいいんでしょうね?」
知るか。本人にカマでもかけてみればいいんじゃないか?
どうでもいいけど。
「なるほど。それはいい手ですね」
適当な私見に適当な相づちをうつ高橋。
どうでもいいような話なんじゃないかこれは? だったら会話をしなくてもいいんじゃないか? 私お昼まだなんだけど?
「ですが、懸念されることはそれだけじゃないんですよ」
まだ離してくれないか。なんなんだ。お前の前世噛み付き亀なのか? もしくはスッポン。
「例えばその人が確かに恋をしている。しかしそれは他人から暗示された結果だとしたらどうでしょう。それがなければ互いに箸にも棒にもかからないような存在だ……と言ったら言い過ぎだとしても到底恋愛には発展し得ない関係だとします。しかし、暗示のせいでその人は本気で恋心を抱いてしまうのです。これは錯覚とは違います。作為的ですけどね。これは偽りの恋でしょうか?」
さあ? 本人がいいんならいいんじゃないか?
「それも一つの回答ですね」
満足げに頷いている。ぞんざいな意見のどこに感銘をうけるポイントがあったのか。
「お前がどれだけ恋愛について考えているのかはわかったよ。ああ為になったとも」
「そうですか。それは幸いです」
皮肉程度で揺らぐ仮面ではなかったか。
「ところで羽根村さん。ひとつ質問なのですが」
なんだ。悪いが何でも答えるってわけにはいかないぞ。ただでさえ今は機嫌が悪い。
「現在お付き合いをしているかたはいるのですか?」
思わず吹き出した。口に何も入っていないのが幸いしたが、さてこいつ今なんて言った?
「ですから恋人はいるかと聞いたのです」
よそ用の微笑を顔に貼付けてこともなげにそう聞いてきた。対照的に私は結構動揺した。決して正面にいるやつの顔の造りがいいせいじゃない。こういう浮ついた話を人としないしそもそもあまり考えない。そういう質の会話に体が慣れていなくて過剰反応していると言ったらわかるか? 小学生から聞かれても相手が老けきったジジイだろうと私は動揺するのだ。
「なんでんなこと聞くんだよ……」
「あなたに興味があるからですよ」
声を上げなかった。声にならなかっただけかもしれない。
背中を汗がつたった。
そして、顔が強ばる。その前にしていた表情は知らない。鏡が無かったからな。
一歩後ずさったのは無意識によるものだった。
「いるのかいないのか、二択でお願いします」
口の中がパッサパサだ。さっき吹き出したせいではあるまい。
「いない、けど……」
「そうですか」
頷いたっきり、真剣な目で私の瞳をのぞき込み、黙り込む高橋。
なんだこの状況は。どうしてこんなことになっている。こっちは生まれてから一度だってつき合ったことも無ければ告白されたことも無いんだぞ。こういうとき、一体どうすればいいんだよ……!?
もはや自分の顔が赤いのか青いのかも分からない。混ざって紫かもしれない。
背中から肩にかけてぶつかった感触があった。知らず知らずのうちに私は後ずさりの二歩目以降をふんでたらしい。その間中、高橋との距離が変わることはなかった……。
どうすればいいんだ。
その言葉ばかりが頭を廻る。完全に思考停止だ。でもだって、手段がないじゃないか! ああ、楓ならどうするだろう。なにも考えることなく二つ返事で承諾しそうだ。叔母ならとっくに相手を蹴り上げていることだろう。
なら、私なら?
後退不能となったあとも高橋は前進をやめてくれなかった。
みるみる距離が縮まっていく。
その間、なにも出来ないでいた。
ついに互いの息がかかるくらいまで縮まってしまった。
視線を固定している高橋。私も最後の意地で目を逸らすことはしない。それをしたら負けな気がした。もう十分に負けてる気もするけど。
気が遠くなるには十分なくらいの間、そのまま固まっていた。
「……いずれまたお会いすることでしょう。そのときに、また」
随分と長い時間蛇に睨まれたカエル状態だった私からやっと距離をとってくれて、そのまま「失礼します」と何所かへ離れていった。
相手がいなくなったのに私はそこから動けないでいた。
今のは一体、なんだったんだよ。
表情は固まり、呼吸をしていた自信が無い。
ずっと私は止まっていた。
キーンコーンカーンコーン。
「…………あ、」
鳴りだしたチャイムの音で我に返った。
そして気がつく。
これは昼休み終了の合図だと。
ガサリ、とおにぎりと水が入った袋が重く感じられた。




