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ランチタイムミーティング(その2)

「そうとも言えるがね、だが私はこれは実際に起こったことなんじゃないかと思っているんだよ。……いや私は正気だよ」

 私の表情がよほど怪訝に歪んでいたのだろう。

「失礼しました」

 さすがに悪いと思った私。

「いいよ。突拍子もない話をしている自覚はあるんだ。」

 天井を見上げる会長。つられて私も見た。シミ一つない天井。でも特別奇麗かというと大きな声では言いかねる。しかし汚くはない。普通。

「例えばボールを投げるといずれ落ちて、転がって、停止する。しかしミクロの世界の電子は原子核の周りを回っていても下に落ちることはないし停止をすることもない」

 会長が何やら小難しい話をし始めた。なんとか知っている。詳しく突っ込まれると薮から蛇がボロとセットで出ることのなるので余計なことは言わないようにした。「先輩」は目が点になっていた。

「マクロで起こっていることがミクロでそのまま当てはめることが出来ないのだ。他に例えばA国という国があったとする。A国の国民のうちxさんだけが貯金をしているうちはxさんの貯蓄が増えるだけだがこれがA国の全員が貯蓄をはじめるとA国内での通貨流通が滞って景気が悪化することになる貯蓄も増えないだろう。これは合成の誤謬という。これはミクロ(一人)でうまくいっていたことがマクロ(全員(またはそれに準ずる大勢の人たち))ではあてはまらないということになる」

 なんでこんな話をしているんだろう。会長は日本経済でも憂いてるのだろうか。

「これはマクロとミクロでは系が違うということだ」

 会長は断言した。本当だろうか。

「もう一つ例をだそう。メリーゴーランドに乗っている人間に向かってボールを投げるとする。移動するのを考慮した偏差投げではなくてボールが手を離れる瞬間の相手の位置に向かって投げるんだ。そうすると当然ボールは相手の後ろに逸れる。このときメリーゴーランドに乗っている方の人間からボールの軌道を見ると後ろに向かって曲がったように見える。このときボールにかかった力がコリオリ力だ。投げた人から見ればボールは曲がってなどないのだがな」

「は? どういうこと? ボールは曲がってないのに曲がる力があるのか?」と「先輩」

「回ってない人から見ればボールは曲がってない。回っている人から見ればボールは曲がっている。回っていない人間は慣性系で回っている人間は回転系だ。二人はそれぞれ系が違う。だから観測結果が異なっている。これは当然のことなんだよ」

 つまり何が言いたいのだろう。

「つまりある系では揺るぎない事実だと確信出来ることでもその確信を別の系に持っていくことは出来ないということだ。系が違えばそれはもう全然違うものだからな」

 幾分改まって、顎を引いて私に対して上目遣い。完全に睨んでいて可愛さなど全く感じなかった。

「観測したことが誤りだと思うのはそれが閉じた系の外側の別の系で起こっていることでないとなぜ言い切れるんだ? 現実的ではないと言うが君は一体どれほど現実を知っていると言うんだ」

 私は無言を返した。

「投書をした生徒たちが見たものは確かに現実で起こっておりしかしそれは私たちが普段過ごしている系とは違うのではないかという可能性を、羽根村、君は否定出来るか?」

 否定するつもりはないが肯定するつもりもない。既に私の理解の範疇を越えていた。その話は私に話すのではなく論文にでもまとめて然るべき人に見せればそれなりの支持を得られるんじゃないですかね。

「羽根村。自分を偽るのはいい加減止め給え」

 会長はいつから私を呼び捨てていたのだろう。記憶ログを振り返れば分かるだろうが。もし暇な人がいるなら振り返って後で教えて欲しい。きっと「あ、そう」くらいの感想は返せるぞ。

「君は朝に体験したことが夢でないと確信しているにも拘らず夢だとしている。それは心を偽る行為だ」

 今度は私の双眸が冷たくなる番だった。

「何を知っているんですか」

 威圧する低い声。だが先輩二人が堪えるはずもなかった。

「君はりえと別れたあと暫く歩いた後に突然立ち止まったかと思うと、そのまま数分そこで立ち尽くした後に呻きながら踞ったそうじゃないか」

 何で知っているんですか。

「何で知っているかじゃないだろう。君にとって第三者目線での君の行動の全貌は初耳なはずだ。出島楓はさわりしか話していない。そうじゃないのか?」

 舌打ちしたい気分になった。まさか楓が会長に喋ったのか?

「出島からは聞いていない。私は会長なのだ。そのくらいの情報は自然と集まってくるものだよ」

 私は「先輩」の方を伺った。よく考えればこの人こそリーク容疑者筆頭じゃないか。

 当の「先輩」は傍観者ですと言わんばかりに口笛を吹いてそっぽを向いた。怪しさ満点だ。

「君はあの廊下でこの世ならざるような体験をしたのではないのか。それを自分が正気でないとか夢であっただとか思っても無いことで思考を停止させ自分の世界を守るというのは、愚かしいよ。君。ねえ、羽根村優希。君はもう系の外側に関わっているんだよ」

 知ったようなことを言ってくれる。

 随分な物言いじゃないか。私が無限廊下を体験してそのことを夢であると解釈したことに、どうしてそこまで言われなければいけないのだろう。

 しかしこれほどあの不合理な現象を合理的に解決してくれる言葉もないじゃないか。

「それは系をたがえているよ。ある現象を正しく解釈する為にはその現象が起こった系で考えなければいけないんだ」

 ではその系とやらがどんなものであって確かに存在するという証拠を見せて欲しいね。

「最初から気になっていたことなんだが、君はどうして自分の実感を疑うんだ? 私にはそれが理解できないよ」

「そんなことは私の勝手じゃないですか。どうして私の価値観に会長が口出しするんです」

 そんなことを言われる為にここに呼ばれたのなら、来なきゃよかった。

 ストレスが募ってきた。ひどくイライラする。

「まあまあ。真紀、ユッキーの言うことも一理あるよ。感じたことをどう解釈するかなんて本人の自由に決まってる」

「先輩」が間に入ってきたことに随分と意外感を憶えた。こんなことをする人だとは思ってなかったが初めて会ったのは今日の朝だった。

 あれがもう朝の話か。いろんなことがあったせいで随分前のことのように思った。

 会長は「しかし……」とまだ何か言いたそうだったが、

「ていうか真紀、本題はそこじゃないだろ? なんだよ系って。私が分からないよ、そんなこと」

 と言われて、渋々追求の矛を下ろしたようだ。

 して、本題とはなんだろう。

「真紀はね、ユッキーに投書のあった通りのことがあったのかどうか現場に行って調べて欲しいんだよ」

「どういうことですか」

「そのままの意味だ。君に実地調査を命ずる」

 意味が分からない。何故私が。

「その理由は説明するつもりだったのだが、神前に反対されてね」

「まだ早いんだよ。私はとっくに関わってるもんだと思ってたんだけど勘違いだったみたいだしね」

 なにを言っているんですか。

「おいおい分かるよ。きっとね。あの伏線と同じさ」

 バチッ☆

 眩しい笑顔でウィンクされた。うわ鬱陶しい。

「……真紀も不思議体験をしているんだよ」

 初耳だ。会長は逆光の中渋い表情で、

「三日前の話だ。私は生徒会の雑務を終え帰宅しているところだった。五時過ぎだろうな」

 会長は目玉をクリクリ動かしながらゆっくり話した。当時を思い浮かべているのかもしれない。

「ふとしたはずみで、私は高圧送電線の鉄塔に人影があることに気がついたんだ。それだけなら作業員かと思って終わりだが、その人影は鉄塔から飛び降りて、その後すぐに地球の引力を無視して自由飛行を始めたんだ。私は自分の目がどうかしたのかと疑っているとその人影が私に気がついたようで、目の前に降り立ったんだ。黒衣を着ていて、黒いとんがり帽をかぶり、木製の捻れた杖を持っていた。その姿振る舞いにその人物は魔法使いだと確信したよ。ほうきは持ってなかったがね」

「…………」

「私はこの体験が事実だったと実感しているし、信用している。……どうだ、興味が湧かないか」

 とっさには言葉が出なかった。何も考えられなくなっていたのだから仕方ない。



 会長はどうしても私でなければならないと念を押すように言ってきた。だからということもないが私はこの話を承諾することにした。興味が湧いた訳ではもちろん無く、「先輩」の「断ってもこいつは何度でも説得に来るぞ」という視線を受けて会長が家に押し掛けてくるという話を思い出したからだ。

 調査は今日の放課後。話が急すぎる。

 明日じゃダメなんですか? 今日はもうイベント発生のキャパをとっくにオーバーしてるんですけど。

「必ず今日でなければならない」

 うんざりだ。明日休んでやろうかな。

「それはだめだ。学生なのだから可能な限り登校するんだ」

「いろんなことって具体的にはどんなことがあったの?」

 朝「先輩」に会ったことからここまでのことをダイジェストで愚痴る。

「高橋影助だって?」

 そのなかの登場人物の一人が先輩の興味を誘ったらしい。

 何やら二人は顔を合わせて、数秒目で会話した後、

「ユッキー。悪いことは言わない。彼には気をつけるんだ。あまり良い話を聞かないからね」

 なんて、そんなことを言ってきた。


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