09 一瞬の平坦 1
圭吾は昨日もらい損ねた申請をとりに行列に並びに行ったのだろう。
晴樹は近ごろ、仲間に入れてもらったこの第二区の『青年会』に入ったようだった。週に一度か二度くらい、「お世話になっている」避難地周辺の清掃活動に参加している。カケルが戻ってきたその朝もまだ暗いうちから、片手に火ばさみ、片手にゴミ袋を下げてトボトボと歩いている数人を見かけていた。
体育館の外に出ようとした時、警官が二人、すれ違いざま体育館の中に入っていった。
彼らが脇をすり抜けた時に風が巻き起こり、カケルの髪をそよがせる。新しい制服の匂い、ウールだろうか、カケルは彼らをぼんやりと見送ってその場に佇んでいた。と、
「おはよう、カケルくん」
まだどこか目覚め切らない薄闇の中、朝には無遠慮とも言えそうな快活な声が響き渡った。
カケルがふり向くと、体育館の中、ステージの方から半白髪で長身の男がが影をひいて現れた。
第二地区長の竹中だった。カケルは、ああ、と片手を上げてやはりくだけ過ぎかなと思い直し軽く頭を下げる。
「何? 警官が珍しいのかい」
竹中は目を丸くしてそう問いかけてから、すぐににやりと笑ってみせた。カケルもつい笑い出す。
「今からお出かけかね?」
「帰ってきたところですよ」その返事に竹中はへえ? と眉を上げた。
元々縁のないこの地区に居場所が確保できたのは、後にも先にも彼のおかげだった。
全く馴染みのない土地の見知らぬ小学校の校庭に佇んでいた彼らは、途方に暮れてごたつく群衆の中、何とか離れ離れにならないようにくっつきあっていた。 そんな時、遠くから手を振りながら近づいてきた彼に、まっ先に気づいたのは母親だった。
「竹中さん? 竹中さんだよね!」
意外にも、圭吾も大声をあげて彼に駆け寄った。「わあ、なんでここに」
竹中は恵たちの結婚披露宴にも出席していた。父親の古い友人だということで、最初は堅苦しい挨拶をしていた圭吾も、気さくな竹中の言動にすぐにうちとけていた。
昔は家にも時々遊びに来ていた。特に目立つ感じではなく、のっぽでひょうきん、それでいて温和な印象だった。昔からやや気難しい父親が、彼が訪ねてくると妙に陽気になってニコニコしていたのがカケルには少しだけ意外に思ったくらいだった。
そんな竹中だが、父が亡くなった時には所在が分からず呼ぶことができなかった。
まさかこんな所で会えるとはねえ、と最初の数日間、母は思い出したようにそう言っては脇に積み重ねたバッグの一番上に目をやった。バッグの上にはまだ紙箱に収めたままの父親の位牌があった。
今日の竹中も、特に変わった様子はなく和やかな目をしている。
「今帰ってきたのかい?」
責める口調ではない、のんびりしたごく普通の日常会話風のしゃべり方だった。目は穏やかに笑っている。左の人差し指と中指が途中から欠損しているが、すでに傷口は綺麗に治っているようだ。
「はい」カケルは正直に話す。
「外に住もうかと思って、アパートを借りたんですがその」
竹中の表情が一瞬消えた。
目には何も映っていない、怒りでも哀しみでも無くただ平淡な、記号としての顔、まるで動力が途切れてしまったかのような。
束の間の光景。草木いっぽんたりともなく、どこまでも平らに拡がる白茶けた地面。
「竹中さん?」




