05 見た目ぱっとしない居酒屋で 3
「……まあな、テーブルの下に入ってさ、地震かと思ってたし」
何も答えない仁田に言い訳じみた言葉を付け足す。
「あの時には何にも知らなかったんだぜ、他にどうしようがある? 突然のことだったし」
「オマエ……あの店にいた連中の記事見たことなかったのか?」
「へっ?」我ながら、情けない声が出てしまった。手から枝豆が滑る。
「何だよ記事って」
「ツイッタ―で流れたけどさ」ここは更に声が小さくなる。「すぐ削除された」
どうせロクな内容ではない、と思っていたものの、つい「何て流れてた?」と訊いてしまう。
「熱が出てさ、内臓とか、筋肉とか、身体の中からただれて溶けてく病気……何て言ったっけ?」
「知らねえ」急に胃が焼けた。枝豆を落としてしまう。
「店長も、スタッフも、客の何人かもそれで死んだって。それから店長の家族も。家で感染したらしいけどさ」
「初耳だよ、だってさ」もう説得力もない。それでもカケルは無理に笑って繰り返す。
「俺も店にいたよ、でも全員じゃあないだろう? それにもうずっと前の話だし。俺はピンピンしてるけどな」
「でも言うなよ、なるべく」
絶対だ、という目をして仁田が言った。
「……わかった」
一拍おいて、仁田が腰を浮かせる。「ごめんオレ明日早く用事入ってたんだった、帰らなきゃだわ」
見え透いた嘘だが、引き留める手立てがない。「ああ……そうか、じゃあオレも」
「いいよ」強い口調で片手を出す。「遠慮しないで飲んでいけよ、たまのホネヤスメだろ?」
何か答えようと思ったカケルをあわてて制する。
「もう焼き鳥とか唐揚げとか頼んじゃったし、ほんとごめんオレもう帰るけどゆっくりしてって」
さっきは元気よく色んなものを注文していた仁田は、急におおらかな人格をこじんまりと畳んでしまったかのように堅苦しい表情で片手を上げた。
「せめて俺におごらせてくれ、ほんとすまないヤマちゃん、わるいな」
「オレ、肉とか食えねえからせめて持って帰ってくれよ、今、食糧どこも貴重だろ」
「だいじょうぶだよ」怒っているのだろうか? いや、
「オマエ、持って帰ってやれば、同居してるんだろ実家でさ、じゃあな」
これは、怯えだ。カケルのところにまで匂ってきそうな怯え。できるだけカケルから遠ざかろうとしている、少しでも早く、少しでも遠くに。
急にむらむらと腹が立ってきた。「いいよオレも帰るから」
そう立ち上がった所に仁田が鋭い声を出す。「座ってろ、いいから」
「おい、ちょっと待てよカールその言い方」口に出してから、はっと気づく。相手もどこか呆然としている。
「……ごめん」カケルはすとん、と薄い座布団の上に腰を落とす。「ご馳走になるよ」
「オレこそすまん」仁田から、カールに戻った男は面を伏せて、ぼそぼそと口の中でそうつぶやき、「すまん」またそう言うと後は一度もカケルの方を見ずに出て行った。
カケルが枝豆の殻を眺めている間に「勘定オレにつけといて、あの人、お客さんだから何でも注文聞いてやってね」
うぃっす、みたいな返事が奥から聞こえた。ふと目を上げると、隣のテーブル客、こちらを向いている方がまじまじとカケルを見つめていた、が、カケルと目が合うと急いで目を自分の小皿に戻した。入口近くのカップルは特に気にする様子もなく2人きりの世界に入っているようだ。
カケルは残った生を一気にのどに流し込み、やや乱暴にジョッキをテーブルに戻した。
そして腕組みしたまま、じっと小皿に残された枝豆をみる。
何がどう悪いわけではない、なのにいつも、どこかで何かがくるっていく。
「……第一、カールって何だよ最後の最後に」
カールの片りんすら残されていない元同級生に浴びせるには、もっともダメージの大きなことばだっただろうか。それでも聞いたことが次から次へと頭の中をぐるぐると駆け廻り、カケルは思わず額を押さえてテーブルに突っ伏したくなる。ふと唐突に、そう言えばクラスにもう1人、謂われの分からないヘンなあだ名のヤツがいたな、と思い出した。
「すみません、」カウンターの奥に向かって声を上げる。
「生もう一杯、それと、焼き鳥と唐揚げ、持って帰りたいんだけどいいかな」
ちゅいーっす、と聞こえてからしばらくして、白い前掛けをした年配の店員が端から覗き
「お持ち帰りは、さっき注文した分を、ですね」
やけにはっきりとした日本語でそう聞いたので、一瞬自分のほうが「あ、あいーっす」と訳の分からない返事をしてしまった。店員は、目もとにかすかな憐憫を浮かべてまた奥に消えていった。
店の名前も分からないままだった。割りばしの袋にも、店内にもヒントはない。それもイライラする原因かもしれない。今の店員に聞いてみればよかったのだ。そしてまた1人、名前の分からない同級生……カケルは額から手を外し、また固く腕を組む。
もう一人のあだ名、確か……ウータンだ。名前は、ウータンとは似ても似つかないような気がしていた。何だったっけ。唐揚げができるまでに思い出そう。思い出せ。思い出せば……
何だというのだろう?
それでも、今は他に考えたいことがない、いや、正直に言えば……他の全ての思いを締め出したいだけかも知れなかった。
少し酔いがまわった今、カケルは次なる本名不明者・ウータンの本当の名前を必死で手繰り寄せるべく、じっと空ジョッキを見つめていた。




