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心優しき狼よ、曠野を行け  作者: 柿ノ木コジロー
第三章 ― 1 ―
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03 見た目ぱっとしない居酒屋で 1

 その店は第十二小学校の避難所から歩いて二十分近くのところにあった。

 カケルは案内されるままにだらだらとついて行く。


 駅の方に降りてきて家並みが混んできたあたり、それでも住宅地かと思われる場所の細い路地の中ほどという場所に、何となく存在していた。コンクリートが平らに敷かれた導入路のすぐ先に、ギリギリ民家とも見える和風の入口。のれんも看板も掲げておらず、もちろん、店の名前もどこにも書いてなかった。


 飴色の木で組まれた格子模様の引き戸を開けたところに、カウンターが奥に続いているのが見えた。カウンターの右奥、酒瓶に隠れたあたりから「いやっしゃっ」と何語が解らない挨拶が耳に飛び込む。カケルは、友人に続いておそるおそる中に足を踏み入れた。


 中の匂いはまぎれもなく居酒屋、しかも揚げ油の香ばしい匂いが控えめに鼻に届き、カケルは少しほっとする。連れは慣れたもので、ずんずんと狭い店の奥へと踏み込み、「今日は上がるか」と付きあたり左のテーブル席に進んだ。


 テーブル席はカウンターと並ぶように縦に二つしかなく、手前には渋い表情の二人組が額を突き合わせるように飲みに入っていた。背中を向けていた方が彼らをふり仰ぎ、最初にカケルに目を留めて眉を寄せたがすぐにカールの姿を認め、軽く手を上げてまた連れと何やら小声で話し始めた。

 カールも軽く首を動かしたが、あとは知らん顔のままカケルに奥の席を勧めた。


 そうして、それからすでに一時間近く飲んでいる。最初のお通しはエビせんだった、カールではなく。エビの匂いは我慢できたので何とかつまみにはなった。カケルは談笑の合間に久々のジョッキ生を流しこみ、エビせんをつまみ、ようやく相手の顔を真正面からしっかりと捉える。カールではなく、仁田(にった)というその同級生を。


 やっぱりあだ名で呼びかけなくてよかった、カケルは密かに胸をなでおろしながら彼の話を聞き、また、聞かれたことにぽつりぽつりと答えていく。


 カールというのは、仁田の前髪に由来していた。高校時代、仁田の髪は濃い上にごわついており、梅雨時や湿気の多い時期にはよく、額に不思議なウェーブが出来てしまっていた。脇や後ろは短くきっちりと刈り込まれているのに、前髪だけハテナマークの頭を並べたような、まばらな髪の束が乗っていた。本人も気にして短くしてみたりわざと長くしてみたり、横に分けてみたりと工夫はしていたのだがどうしても、気がつくとまた額に丸まった髪の束が並んでしまう。

 そこからきたあだ名で、男子は特に面白がって彼のことをそう呼んでいた。カケルも多分、そう呼んでいたのだろう。そう呼ばれた時の彼の表情はいつも困ったような笑顔だった。あからさまに嫌そうな態度は示した記憶がない、それでもあまりいい気もちはしなかったのではないか、今更になってカケルはそこまで思い至った。


 仁田という苗字が出てきたのは母親のおかげだった。夕方遅くなって目当ての書類を手にようやく避難所のスペースに戻った時、カケルはまっ先に母親に聞いてみた。ねえ、高校時代にさ、俺っちクラスにカールってヤツいたの、知らねえよな? 母親は意外にも即答した。ああ、前髪がヘンなふうにカールしてるって、オマエ言ってたよね、からかうのは止めなさい、って言ったっけ、確か。みんなにそう呼ばれて可哀そうに……仁田くんだろ? ニッタ・ユウトくん、お母さんが化粧品のセールスやってた人だわ、一度うちにも来たっけ。


 母親のどうでもいい記憶力にカケルは舌をまく、どうでもいいというのはこの場合失礼だろう、それは重々承知だった。母のことばで当時関連したことがいくつか思い出され、カケルは更に安堵した。カールがいくらお人よしのひょうきん者でも、今さらそのあだ名は聞きたくもないだろう。「頭も薄くなった」と言った時一瞬みせた自虐的笑いの意味にようやく気付いた。オマエら、前髪カールしてるってよく言ってたよな、残念、もうそのカールも全て抜け落ちたってワケでさ。


 カケルの妄想はとどまることがなかったが、目の前の仁田は前髪の事も何も気にしていないように、鷹揚な笑みをみせながら話の合間に次に来た枝豆なぞつまんでいる。


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