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心優しき狼よ、曠野を行け  作者: 柿ノ木コジロー
第三章 ― 1 ―
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02 カールって誰

 あれ、ヤマちゃん? 


 急に声をかけられてカケルは反射的にふり向いた。


 ごたついたロビーの中、到着したばかりで視線の定まらない家族の群、合い間をすり抜けて急ぎ足で出入りする先住民、まとめているのかどうか自分でも分からないという途方にくれた表情の係員、そんな雑多なかたまりの中で、五メートルくらい向うからこちらにまっすぐ、丸い顔が向いていた。

「ヤマちゃん、だよなやっぱ」

 丸顔をほころばせて、小柄な男が近づいて来る。

「あ……」

 カケルも相好をくずす。「オマエ」


 懐かしい顔だった、しかしどうしたわけか名前が思い出せない。高校の同級生、同じクラスで気のおけないヤツだった。

 ひょうきんで誰からも好かれ、体育が得意でバスケ部で活躍していた、授業中は居眠りばかりだったが。


 確か、カールと呼ばれていたんだ……でもカールって何だっけ? フルネームが頭からすっ飛んでいる。


「か……」呼ぼうとしてついためらう。あだ名で呼んではいけない気がした。


 カールは草色にも白にも見える作業着の上下に首からスタッフカードを下げていた、一応ここでは何かの仕事をしているらしい。カケル咳払いして何とかでかかった言葉を濁す。

「かなり会ってねえよなぁ。何、今日は。仕事?」

「そうなんだよ、俺、ここの役場で働いてるからさあ、ヤマちゃん変わらねえなあ」

「おまえだって」

「頭薄くなったよ、それよりヤマちゃんどうしたんだよこんなところで」

「え、ああ?」

「だって実家にいたんだろ? 上白(かみしろ)のアパートから実家に移ったって聞いたぜ。実家だったらまだ被害とかなかったろ?」


 カケルの個人的なことにもそれなりに詳しい、どこから聞いたのか気にもなったがあまりゆっくり話をしているヒマがない。恵から窓口に行って要支援対象者の申請書類をもらってきてくれ、と頼まれていたのだ。

 もう四時をまわっているので、今からすぐ窓口の長い行列に並んでいないと今日中には書類は手に入らないだろう。


「石川町とかあの辺全域避難指示がでた、一家そろって出てきたんだよ」

「そうだったのか、大変だったな、どこの避難所だ?」

「最初の所は追い出されて、ここを紹介された、まだ来たばっかりだけど」


 あまりつっけんどんな対応でも得にはならないだろう。相手はなんせ、お役所関係でここと何かしら関係はありそうだ。


 割りあての避難所は役所側の手違いが重なってすでに満杯だった。殺到する講義の渦の中、それでもカケルは案外早く次を紹介してもらい、混乱の中から一抜けすることができた。しかし、最初の避難所ですら家から五十キロは離れていた上、さらに四十キロも実家の地区から遠ざかってしまい、周りには知り合いどころか知った顔ひとつなかった。


 家族単位とは言え、孤立無援の場所に引っ越してきた不安はかなりのものだった。独り者で身軽なカケルですら、配給や配布物を受け取りに行くのにはかなりのストレスを感じていた

……正直、もう生業(しごと)をせずに済むというのは本当に嬉しかったのだが。特にムカイヤの下で。

 しかし、家族単位で考えれば母親はじめ、圭吾と恵の一家がいかに不快なトラブル無く過ごせるか、そこは頭の痛い問題だった。


 この男に何かと便宜を図ってもらえないだろうか、あからさまにならないように名札の文字を確認しようとするが、こんな時に限って裏返っている。せめて苗字だけでもわかれば、この丸顔から『カール』の三文字は払しょくされるはずなのだが。


「あのさ」向うから言ってくれた。

「オレ、もう行かなくちゃなんないから、そうだな……今夜呑まないか? 一緒に」

「えっ、」カケルは素直にびっくりする。

「飲み屋なんてやってるの? 近くで」

「あるよう、そりゃ、あんまりハデには出してないけどね、でも行きつけのトコでこっそり」

「出られるかなあ」恵の顔をちらっと頭に浮かべる。


 体育館の隅にすったもんだの末にスペースを確保して『臨時月見里・桐島家』を再スタートさせてからすでに二週間、ようやく一日の行動パターンがみえてきて、だいたいの家族が夜も少しはまとまった時間眠れるようになっていた。

 母は常に眠れないと訴えていたが、琢己に振り回されている恵の方が多分睡眠は少ないと傍から見ている誰もが感じていた。

 それでも、恵ですらようやく眉間の皺が常に寄った状態ではなくなってきていた。先日は、地元自治会の招待券で近所の大浴場に日帰りで行ってきて、ずいぶんさっぱりした顔で帰ってきたこともあった。


 俺も少しくらいならいいだろうか? 息抜き、という訳ではない、当然、これは大事な情報収集業務なんだ。


「無理なら」相手が一旦遠くをみてからそう言いかけたのを

「いいよ、行けると思う」すぐに遮る。「何時に?」

「ここに、そうだな……七時でも?」

「俺は何時でもいいよ」イヤミっぽく聞こえていないだろうか、少し気になったが相手は全然こだわった様子もなくにっ、と笑って

「オッケー、じゃ、七時にまたここで」

 軽く手を挙げて、小走りにどこかに去っていった。


 雑踏の中にすぐに消えてしまった姿を、頭を振って追い払い、カケルも目的の場所に小走りに向かう。


 窓口は相変わらずの行列だった。着いた当初は何列も横に広がり、前にいる弱っているヤツをすぐに蹴落としてやろうというまがまがしい空気に満ちていた場所も、今日はカーキ色の制服をつけた何かの係員数名に見張られながら、一列にある程度お行儀よく連なっていた。それでも、かなりの長さにはなっていたが。


 列につきながら、カケルはずっと考えていた。ヒントは何一つ、思い浮かばなかった。


 カール、カール……カールって一体、誰だったっけ?




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