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心優しき狼よ、曠野を行け  作者: 柿ノ木コジロー
第二章 ― 2 ―
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40 アナグマ

 あの時のあれは確かに家族旅行だったのだろうが、おおっぴらに『家族旅行』というには、恵にしては抵抗があったようだ。

 その後思い出して話をするたびに

「ちょっと出かけてきた」

 という言い方をするのは、多分、圭吾や元々頭数に入っていなかった琢己に対する遠慮の気持ちがあったからだろう。


 琢己が学校行事で宿泊訓練に出かけることに決まった時、他の家族もまとめてどこかに出かけてこようか、と言い出したのは圭吾だった。


 琢己が学校で暴れて怪我をしたせいで宿泊訓練を止めさせた方がいいかどうか家族でもめたり、母親が急に「アタシは行かないから、どうせ足が悪いと宿には泊まれない」とゴネ出したり(結局、車椅子でも入れる宿だと納得させてようやく機嫌を直した)、太一が原因の分からない湿疹と微熱でぐずついたりと、旅行なんて無理でしょうという空気の漂うなか、それでもあとは当日を迎えるだけという時になって、圭吾に急な仕事が入った。


 奈良で工事が入っちゃった、二週間だって、部長が取って来た仕事だから断れないらしい、納期も切られてるしさあ。


 ぽつりぽつりとビールを飲みながら言ってから圭吾は「チクショー」と小声で毒づいた。

 たまたま耳に入ったカケルが目を上げると、圭吾は珍しく本気で悔しそうだった、横顔がテレビの青を映している。


 母親がそんな時に遠慮のない言い方をする。「だったらカケルが運転していけばいい、車は圭吾さんのがあるんだからさ」


 だったら、という言い方が圭吾を少なからず傷つけたのではないか、カケルは急いで彼から目線を外して目の前の煮豆をつまむのに集中した。流しから戻ってきた恵が母親の前に刺身の皿をやや乱暴に置いた。はずみで端に載せた大根のつまがまとめて皿からはみ出したがもつれ合っていたのでテーブルには落ちずに済んだ。


「母さん、元々はケイちゃんが決めたことなんだからケイちゃんがだめなら中止でいいのよ。それに車だって仕事で使うし」


「えええ、行かないの?」まっ先に不満の叫びを上げたのは夏実だった。

「あすかちゃんたちに言っちゃった、今度旅行行くって」


 母親も似たような口調で重ねる。近ごろ家からあまり出なかったし、実は楽しみにしていたのだろうか?

「車は、会社まで乗っていくだけだろ? 圭吾さんだって奈良に行くんだろ」


 カケルが圭吾の代わりに反論する。

「奈良は仕事だから仕方ないじゃんか、車だって通勤には必要だしさ」


「いや」急に切り替えができたのか、圭吾が明るい声を出す。


「どうせ二週間会社の駐車場に置きっ放しは嫌だから、メグの車借りる」

 カケルに向き直った時にはいつもののんびりしたムコドノの顔に戻っていた。

「カケルくん、俺の代わりに行ってやってくんない?」ここで目いっぱいの心遣いをみせる。

「ごめんな、何かと用事に使っちゃって」

 構わないっすよ、ちょうどその辺空いてるし、カケルも明るく圭吾の口調にあわせてみた。


「逆に大変かも知んないしな……」カケルだけに聞こえるように、圭吾が父親と母親、琢己の方にさらっと目をやってから共犯者の口調でそう囁いた。


 実は行けなくなってほっとしたのかも知れない。急にそう気づいて、カケルはその口調ににやりと応えた。


 さっきの『チクショー』もどこまで本気だったのだろう、カケルはまた圭吾の横顔を見ながら細かく箸を動かし続けた。

 彼のことをどこまで知っているのだろうか、青い光がちらつくたびに、その表情はくるくると変わって見えて、どうにも掴みどころがないような気がしてきた。


 もしかして、彼だって狼かも知れない、それか、全く違う種類でカモシカとかムササビとかそれか


「ムジナだわ、そりゃあ」


 今まで黙っていた父親が急にはっきりとそう声に出し、カケルは挟んでいた豆をぽろりと取りこぼした。あまりにも思考を拾われたのかというタイミングに目が泳いでしまう。


「なに? ムジナって」

 やはり夏実がまっ先に反応した。「おじいちゃん、ムジナって何?」

「タヌキみたいなもんだよ」何でも口を出したい母親がもっともらしく答える。

「学校じゃあ習わないのかい。ムジナが人を化かすって」

「アナグマのことだって聞いたことがあるけど」恵も口を出す。「でもアナグマって何」


 日本の野生動物談義になったので、カケルはそそくさと食事を済ませ、

「ごちそうさま」

 茶碗と小皿を流しに運びながら、またちらりと圭吾を盗み見る。


 ムジナ、いや、圭吾は相変わらずのほほんとした顔をテレビに向けていた。


 まさか本当にそんなことはないだろう。もし父親がまともに対応のできる状態ならば、ドキドキしているカケルに向かって

「というのは冗談だ」

 と言いそうな気がした。正気だった頃は全然冗談なぞ言う人間ではなかったが。


 それでも、何となく羨ましさが抜けなかった。


 俺も海の生き物でなければ、アナグマになりたかったな、できれば。


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