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心優しき狼よ、曠野を行け  作者: 柿ノ木コジロー
第二章 ― 2 ―
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39 置いて行く日 2

「置いていくしか、ないでしょ」

 母親がつっけんどんに言った。夏実、きっとなって

「おばあちゃん、自分が置いてかれたらどう思う?」

 これには圭吾が鋭く反応した。

「ばか、人間と犬とは違うんだよ」夏実は俯く。肩を震わせているのをみると、黙って泣いているようだった。

 カケルは、何も口を挟めずに塩辛い瓜もみを少しずつつついていた。


 翌々日の早朝には、荷物をまとめて彼らは家を出て行った。

 圭吾のバンに家族七人が乗りこみ、カケルの軽に家族の荷物で積み切れなかった分と、カケル自身が乗る事になった。


 最初は母親がこちらに乗る予定だったが、土壇場で母が

「カケルの車は狭いしね、足がむくんじゃうよ」

 拗ねたような物言いになった。恵が「何今さら……」大声を張り上げようとして、圭吾に無言で止められ、ぴたりと口を閉ざした。

「義母さん、じゃあ助手席の後ろでいいよね、前みたいに」

 圭吾は優しく言いながら、義母の車椅子をカケルの車から下ろして自分の車に積み直した。それからカケルに向き直る。

「じゃあカケルくん、第一次避難所で合流ね」

 気を付けて来いよ、圭吾がカケルの肩を軽く掴んだ。さりげなく言ったつもりのようだったが、この世の終わりのような目をしていた。


 確かに、この世の終わりだけどね、カケルのどこかでそんな茶々が聞こえる。


 どの避難所に行っても、状況は同じだ。ただ、ここが国内でも最も危険な場所の一つになってしまったというだけで。同じ状況に陥る場所はこれからいくらでも増えていくだろう。あるいは、もっと悪い状態になることも。

 悪意の介在しない人類への排除作業が、ここまで無作為で徹底しているとは、普通に暮らす市井の人々の誰も、想像すらしていなかった。


 俺たちは永遠にさまようことになるのだろうか、最後の一人が倒れるまで。


 カケルは、圭吾の運転する車がずっと私道を出て広い道に出るまで見送っていた。

 


 ラブの小屋に戻る。


 家族みんなが、大人たちは悲壮な表情で、子どもたちはどこかうわの空といったふうに荷物をたくさん抱えて車に乗り込むのを、犬はずっと鎖を鳴らしながら興奮したように見守っていた。しかし、彼らが出ていってからはずっと、小屋の中に戻ってふて寝とも言える顔つきで腹ばいになっていた。


「ラブ」


 ラブは上目でカケルを見た。出ておいで、というと素直に小屋から出て、一度大きく伸びをしてみせた。餌はできるだけふんだんにやって行こう、と恵が小山ほどドッグフードを積み上げてあって、最初のうちはそれを喜んで食べていたのだが今ではすっかり腹も一杯になり、残りの山は蹴散らしたようにあたりに拡がっている。


 とても捨てられてしまったようには、見えなかった。


 それでも認めたくないのは、犬はしっかりと鎖に繋がれているという事実。自治体の指導で、飼い犬については野生化の恐れがあるため、外飼いの場合は必ず鎖につないだまま避難を行うように、という通達が届いていた。鎖から放しておき、それがどこかで巡視員に発見された場合には、即その場で射殺、もしくは毒殺と決められていた。その代わりに、繋いである犬等については、順次見回りの職員が回収し、しかるべき場所で飼育保管する、との取り決めになっていた。


 そんな嘘っぱち、誰も信じるわけがない。いくらお人よしのカケルでも、それは見え透いた嘘だというのは分かっていた。行政指示での飼育保管なぞ、場所も人員も確保できていないのは、ちょっと問合せをしただけでも明白だった。見回りすら、今後いるのかどうか。

 みな、自分が逃げ出すのに忙しいのに。


 ラブは、自らの運命なぞ知る由もなく、鎖に繋がれたまま呑気に自分のしっぽなぞ舐めようとしている。


「ねえ、ラブはどうしたい?」聞いてみた、だが答えは当然のようになかった。


 カケルは、少しだけ考えて、息をついてからラブの首輪に手をやった。そして、金具を外す。


 急に首回りが軽くなったらしく、ラブはブルブルと頭を振りたくった。急に呪縛がなくなったと気づき、だっと走り出したものの、嬉しさのあまりなのか、また急にターンしてカケルのもとに戻り、そしてまた反対方向へとダッシュ。そしてまた戻ってくる。


「ラブ、おいで」

 手まねきに引き寄せられ、ラブは彼の前に座り込んだ。


「ねえ、ラブ」

 カケルは犬の顔を両手で挟みこんだ。そのまま目をのぞきこむ。


「あとは自由にどこへでも行けよ、あれのをゆけ。分かったか?」

 分かる様子もなく、ラブは彼の手を舐めた。


 走り去る車に、しばらく犬はついてきた。「ばか、轢くぞ」窓を開けてこぶしを振り上げて脅したら少しだけ後ろに下がったが、それでも走って追いかけてくる。


 それでも、一キロもいかないうちに犬の足は遅れがちになった。カケルは車のバックミラー越しに、小さくなっていく犬の姿を時々認めては、その度に「ばか」とつぶやいた。そのうちに、犬の姿は見えなくなった。


 曠野でも何でも、好きな場所を思い切り駆けまわってくれたらいいのに、せっかく自由になれたのに、どうしてどこまでもついて来ようとしたんだ、本当にバカな犬だ。


 しかし、ずっと行ってからもなお、気になっていた。小さくなっていった、あの姿。白っぽい、巻き毛の少しはみ出した、柴犬と言えないこともないような、何となく情けない表情のあの姿。途方にくれた目の。

 カケルは前をみながらつくづく思い知る。


 あの犬は自由を求めていたのではない。家族の愛を、仲間との絆を求めていたのだ、と。

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