38 置いて行く日 1
それからの数日間は誰にとっても二十四時間というくくりのない雑然とした混乱が続いていた。
積み重なった諸問題がことの大小関わり無くフィールドに散乱し、人びとがその隙間を縫うように小走りに行き来している、空には常にヘリコプターの羽音が轟いて生活のBGMとなっており、そして太陽と月とが太古の昔から見せる情け容赦の無さで、そのはるか上をのんびりと横切っていった。
カケルは三田警察署へ電話を入れなかった。
あちらではしびれを切らしすぐに誰かが駆けつけて来るだろう、と始めのうちは緊張して辺りを気にしながら暮らしていたがそのうち、自分がとんだ有名人きどりなのではないかと思ったとたん、可笑しくなってたまたますぐそばにいた太一を放るように抱き上げ、びっくりさせて泣かせてしまった。
ごめんごめん、と謝りながら、俺って真剣に謝ってることが多いけど、実際、本気で謝ってることあるのかな? とつまらないことを思ったりした。つまらないことが次々と頭に浮かぶのはそれほど不快な感覚ではなかった。
学校も幼稚園も休み、高校は授業があったので行けばそれなりに過ごせたようだが、交通機関がマヒしていて事故も多発していたので恵は晴樹に学校を休んで家を手伝うよう告げていた。
もとより学校は嫌いではないが面倒臭い以外の何物でもないと公言してはばからなかった晴樹は反論するはずもなく嬉々として言いつけに従った。それでも、積極的に何かを手伝うというよりは常に自室にこもり、スマホで友人らと何らかのやりとりに没頭しているようだった、何度か呼ぶとようやく不機嫌に部屋から出てきて、言われたことをちょこちょことやって、また部屋に戻る。
そのうちに「なんかさあ……ニュースとか噂とか……ワケ分かんねえ」と憮然とした表情で階段を降りてきたと思うと、今度はあまり口もきかずに、恵について歩いては重いものを持ったり荷造りを手伝ったり、極端なくらい忠実に働き始めた。スマホを覗くことも家族の前ではほとんどなくなっていた。
カケルもたまにPCを開いた時に晴樹の混乱の理由に気づいた。
次々と情報が絡み合って、逆に肝心な所が見えなくなってきたような印象だった、意図的なものかどうか、探るには避難すべき自分たちにはあまりにも時間が無さ過ぎる、すぐにオンラインに頼るのを止めてしまった。
日中は買い出し、荷づくり、親戚や近所との連絡など、動ける人が動けるところに回り、夜になると圭吾が近所の公民館に出かけては目まぐるしく変わる状況説明を聞きに行った。
圭吾は遠慮するな、と言ってくれたがカケルはいざという時のために晩酌を止めた。代わりに会合から帰ってきた後の圭吾の酒量はやや増えたようだった。
忙しいのにどうしてこう毎晩会合があるんだ、しかも昨日と言ってること違うし、結局俺らは勝手に逃げた方がいいんか、地区でまとめて出たほうがいいんか、誰か迎えに来んのかさっぱり掴めねえ、圭吾は帰ってきてはそうブツブツ言いながらビールを飲む。それでもまた次の晩になると、隣から声をかけられる前にそそくさと表に出て行く。
近所も似たようなもので、夜も忙しいと言いながらもみな公民館に集まっていくのが、カケルのいる離れからも窺うことができた。
不安を紛らわせるために、少しでも固まっていたいのだろうか、毎回、出席率はことの他高いらしい。
それでもようやく、集団避難の方針が決まった。と言ってもそれぞれの自家用車で家族単位での移動となったが、できるだけ相乗りでお願いします、ということで、白っぽい作業着の担当がご丁寧にヘルメットまでかぶった姿で何かの台帳を持って各戸回って歩いた。
カケルがその日三回目の買い出しから帰ってみると恵が玄関先で二名の職員から話を聞いていた。職員は件数も多いのか、かなりの早口だった。
ヤマナシさんのところは二台、避難される方は全部で七名ですね、え、ああそうですか息子さんが一人、同居されてますよね、だから八名。第一次避難所の地図は必要ですか? 到着は必ずこの期間にお願いします、時間帯も決まってますので。到着後は必ず窓口に寄って申請書類を出して下さい、持ち物などについて細かいお話は昨晩の市の説明会でもしましたが(圭吾が小声で「その前の晩と言うこと違ってたし」と吐き捨てるが担当には聞こえていなかったようだ)、ご不明な点はこちらのフリーダイヤルに、はい、医療的な点に対してはこちら、福祉関係に関してはこちら……
説明している方の職員は、早口であればあるほど真実を塗りつぶして覆いかくせるのだと信じている熱心さで先を続けていた。恵は黙ってその早口を聞いていたが、何も質問を返さずにただ眉間の皺を深くしていった。
すっかり夜も更けてようやく家族が揃った夕餉どき。
次にいつ、ここに帰ってこられるかわからない、と聞いた時夏実が叫んだ。
「ラブはどうするの?」
もちろん、連れていけるはずはない。いつもはきつい言葉を吐く恵でさえも下を向いた。
「ねえ、ラブはどうすればいいの」




