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心優しき狼よ、曠野を行け  作者: 柿ノ木コジロー
第二章 ― 2 ―
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37 旅の支度 2

 叔母は姉であるカケルたちの母とも仲が悪い。実の姉妹なのに会えば必ず最後は口論となる。


 恵だって会うたびに辟易しているだろう。「アンタは可哀そうな子だ、母親の面倒を押しつけられて、子だくさんの上に可哀そうな子どもまで産んで」とどこまで本気か分からない同情心のアンコにまみれた話を延々と聞かされるから。


 カケルさえ攻撃の的になりかねない。二言目には「男の子なのに、ねえ」ともしかしたら本当は笑いたいのだろうかという上目で彼の顔を覗き込む。

 その近さが幼い頃から煩わしかった。


 彼女からはいつも、早くに亡くなった夫を悼むためなのか、湿ったような線香の匂いがした。それに口が臭かった。


 恵は、放置しても状況は良くならないというのはわきまえていたのだろう、悪態をつきながら母屋に乗り込んでいって、結局は電話に出たようだ。その後のことはカケルにはあまり興味なかった、というかゴタゴタに巻き込まれるのもごめんだったので、彼は缶を持ち直し、急いで車へと向かった。


 夕方遅く、と言うかすでにこの季節ではとっぷりと暮れている頃に、圭吾とカケルはほぼ同時に家に着いた。恵が玄関に立っていた、サンダルを引っ掛けるのも忘れている。

「けいちゃん、よかった、間に合った。七時から公民館で防災担当の人が説明会やるから出て、って、タケダさんももう行ったと思う」

「えー」そう言いながらも彼はすでに玄関のキーボックスから自転車の鍵を取り上げていた。

「ハルキ、ハルキいるか?」圭吾が二階に向かって大声を出す。その声に反応したのか居間から琢己が飛びだしてきた。自分の名前を呼ばれてもふり向きもしないのに、こういう時には反応が速い。父親である圭吾は当たり前といえば当たり前なのかも知れないが、不思議なくらい、この子に対して特別な構えがない。

「タク、オマエでもいいや」

 鍵で琢己を指しながらしゃべっている。

「車の中から買ったもの出しといて、ヨシミの袋が三つあるから」

 琢己はまるっきりそっぽを向いていたが、「ヨシミ、みっつ」はっきりそう復唱し、圭吾が外に出て行くのについて行こうとした。カケルがあわてて

義兄(にい)さん、俺が運んどくよ」

 と言って琢己を止めようとしたが、

「いいよ」圭吾は既に夜の闇にまぎれていた。声だけが届く。声だけ聞くと、本当に頼りがいのある男に思える。恵が「カラオケルームでナンパされてさぁ」と以前ノロケていたのをふっと思い出した。

「カケルくん、先に飲んで風呂入っておきなよ、今日は動き回って疲れたしょ? 明日も似たようなもんだからさ、きっと。早く休んで」

 あ、どうも、と答えた時にはもう彼は裏手の自転車置き場に着いていたようで、スタンドを外す音がかすかに聴こえた。


 気づいたら琢己がちゃんと圭吾の車から袋を持ち出していた。かなり重そうなので、カケルは脇から手をだすが、案の定強く払われる。

 まあいいや、とカケルは積んだままのガソリン缶を取りに車に戻った。


 いつの間にか、夏実が玄関からのぞいていた。琢己を手伝おうとしたらしい。琢己は、夏実にも袋を渡さず中に入る。夏実はそれを見送って「いーだ」と顔をしかめてからカケルを見ると

「なんか、旅行みたいだね」

 と言って、中に入っていった。


 確かに旅支度のようだ、カケルも中に入りながら思う。

 家族旅行を、少し前にしたばかりだった。この家族にしては珍しく。

 あの時の雰囲気にどことなく似ている気がした。


 当初はカケルがひとり、留守番の予定だった、それなのに圭吾が急に出社となったため、カケルが繰り上げ参加となってしまった。一泊しただけで、少しも落ちついた旅気分になれなかったが、あれはたぶん、家族としての初めての……最初で最後の旅行だったかもしれない。


 あの時にも、何らかの覚悟が無かっただろうか?

 もしかしたら、帰って来られないかもしれないという。


 あまりにも大げさだろうか、カケルは母屋の洗面台でよく手を洗ってから鏡を見た。


 あの時も多分、同じ思いに囚われたのだ。


 俺はピアスをして旅に出よう。そして最後まで、それを外すことはないだろう。


 ゆっくりとまばたきをしてから、彼は胸ポケットにずっとしまいこんでいたピアスを取り出し、耳につけた。

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