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心優しき狼よ、曠野を行け  作者: 柿ノ木コジロー
第二章 ― 2 ―
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35 うんと迷惑かける

 いつかの晩のようだった、恵はまた離れの前に突っ立っていた。

 ヘッドライトの中にそのすらりとした全身が白く流れ、最後に照らされた顔は不自然な光源のせいか隈どりされた仮面のようにこちらを向いていた。


「ただいま」

 車を降りてから間が持たず、カケルはうつむきがちに黙ったままの恵に声をかけた。そのまま離れの部屋に入ろうとしたところ、


「そうちゃん」


 恵はそう言ったきり、黙っている。

 部屋に入るに入れず、カケルはふり返った。「なに」


「出て行こうと、思っているの」

「いずれはね」

「本当はすぐにでも、逃げたいと思っているの」

「いや……」

 どこに逃げても同じようなのではないかと感じている、それを姉にはうまく説明できないだろう。


「俺みたいなのでも居ないよりは居た方が便利だろ? 何かと」

 皮肉に取られるかもしれないが、わざと明るくそう言ってみた。

「だから迷惑じゃなかったら、もう少し」

 いきなり抱きつかれ、その後のことばを失った。


「そうちゃん」


 胸元に顔を埋め、恵は言った。声は呪文のごとく抑揚がなかった。


「迷惑をかけているのはこっちよ、そうちゃんが居てくれなかったら私、どうしたらいいか分らない、けいちゃんはもちろんダンナだし頼りにしてる、でもね、アンタがどこか見えないところに行ってしまうかも……そう思っただけでもう私」


 声はだんだんと哀調を帯びてその後は嗚咽に変わっていた。カケルは、恵の背中に手をまわし、そっと抱きしめた。この人、こんなにキャシャだったかな、もっと大柄でいつものしかかるように威圧的だったのに。


「泣くなよ」カケルは、恵の背を軽く叩きながら言う。

「しばらくは一緒にいるから」


 曖昧な言い方だ、しかも口約束。これはいつまで持つのか分からない薄っぺらい紙の護符だな、カケルはそれでも、腕の中の人を優しく抱きとめていた。


「そうちゃんにはずっと迷惑かけるけど」

「うん、迷惑だけど」

 顔を埋めながら恵がかすかに笑ったようだった。

「俺もうんと迷惑かける。お互い様だし」


 恵がようやく身を離す。きまり悪いのか、目をこすりながら下を向いていた。カケルはそこに続けた。

「それに今夜は、電話で助かったんだ、ありがとう」


 ようやく礼が言えた。もちろん、恵には何のことか分からないだろう。


―― 魔物に頭から取って食われる段になって、電話の生霊に助けて頂いたのです。

 本当にありがとうございました。


 それでも恵は問い返すこともせず、下を向いたままスモックの大きなポケットから何か白っぽい封筒を出した。

「これ」カケルに差し出した封筒は、わずかに厚みがある。触るまでもなく、すぐに気づいた。

「百万しかないけど」

 恵が顔を上げた。

「もし警察とかどうしても嫌なら、どこかに隠れたいのならばそれはそれで仕方ない、私らができる手助けはこんなことくらいしか」

「待てよ」金なら困っていない、そう言おうとしたが正しい理由は説明できない、それにとりあえず預かっておいて、これを恵たち家族のために使っていけばいいのでは?


 押しつけられた封筒を、少しためらってからカケルは受け取った。

「ありがとう」

 そして、胸に当てる。ポケットのぬくもりが残っていた。

「とりあえず預かっておく、でもいいのかな」

 姉はひっそりとうなずいて、足音も控えめに母屋へと帰っていった。


 部屋に入ってすぐ、結局カケルは荷物をまとめ出した。姉を裏切ることになるのは重々承知だった、しかし、やはり自分のしてきたことは裏切りよりも重い。


 メグは泣くだろうか、カケルは部屋中を見回して、残されて不都合なものがないかチェックしていった。荷物は人間の姿ならば持ち運べるだろう、あまり大きなものには出来ないが、それでも最低限ニンゲンであることは忘れたくない。大好きだった本も三冊ほど選んでリュックの底に詰めた。どれも、海の世界を思い出せるようなものだった、自分には一番関係の無い世界を。


 朝ごはんは一緒にして、その後ハローワークに行くふりをして出て行こう、そう決めた。


 荷づくりは、ある意味で役にたったとも言えるし、全くの無駄だったとも言えた。


 翌日の朝七時、同報無線の広報が鳴り響き、登録されている自治体一斉メールが彼の元にも届いた。


『日本国政府は災害対策基本法に基づき、以下の地区を避難指示区域とし、住民の速やかなる退避を勧告します。今後の情報に十分ご注意ください。避難の時期、方法については各自治体の指示に従ってください』


 ずらりと並んだ地区名は、どこもカケルには馴染みの場所ばかりだった。


 同時に、朝のニュースでは突如『消滅』した場所についての速報を立て続けに流していた。


「地図上で、一定のパターンを描いています。これによると……」アナウンサーはあくまでも冷静な口調を崩さずに淡々と地図を指し示す、しかしその手が小刻みに震えているのは誰の目からも明らかだった。 


 意思無き襲撃がついに、確固たる目標を決めて彼らの元に襲いかかった。

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