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心優しき狼よ、曠野を行け  作者: 柿ノ木コジロー
第二章 ― 2 ―
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33 事務所再訪 3

 急にムカイヤが視界から消えた。

 カケルは手を放していた。


 足もとにはうずくまるムカイヤ。いや、今では単なる哀れな中年男でしかない。自分の首を押さえて、高い音を立ててその哀れな肺の中にがむしゃらに新しい空気を取り込んでいる。


 目の前にかざした自分の手をみる。そんな発作的な怒りを表出されたのは、物ごころついてから初めてのことだったかもしれない。

 自分にはそういうものがないとずっと思っていた、思いこんでいた。


 カケルが部屋の外に出ようとドアに手をかけた時、ようやくムカイヤが声を絞り出した。

 寝転んだまま、切なげに息を喘がせたまま。いつもの丁寧な口調はなかった。


「そのままでは済まないぞ」


「ああ……」カケルはものうげな目線を向ける。いつも使わない筋肉を使ったのか、体中が痛む。特に両手の親指つけ根がズキズキした。

「悪いけど、会話は録音したから」

 そう言いながらも我ながら詰まらないことを言ってるな、と少し思う。録音機能のある小道具など、もちろんひとつも持ってはいなかった。


「キミもタダじゃ、済まないんだぞ」

 ムカイヤは精一杯ドスをきかせているのだろうが、やはり寝転んだままで息を切らせていると、あまり効果はなかった。


「分かってるよ。一緒に地獄に堕ちるんだから」

「地獄か」


 ムカイヤは手をぱたんと床に拡げて大の字になった。はあはあ息を切らせているのは、もしかしたら笑っているのだろうか。


「私は地獄に堕ちるかも知れん……だがなヤマナシくん」

 寝たまま首を少しだけひねり、血走った目をカケルに向けた。


「君はそこにすら着けない。ずっとずっと、永遠に這いずることになるんだ……曠野を」

 それがどんな酷いことか、君には分かるか?


 問いかけには答えず、カケルは静かに告げる。

「今日はこのまま帰ってやる、もし今度オマエが何かしでかそうとしたら、今度こそ殺す」


「できるのか?」性格的な弱さからの問いだったら、それはかなり手厳しいニュアンスを含んでいただろうが、カケルは敢えて別の意味にとって答えた。


「狼は鼻が利く、いったんしっかり捕えた匂いならば、地の果てまでも追いかけてやる」

 ムカイヤは起きようともせず、ただ天井をみていた。


 カケルはそれ以上待たずに、部屋の外に出ていった。ドアを静かに開けた時には、ムカイヤはまだその場から動かず、床に汚物のように這いつくばったままだった。


 だが、ドアを閉めようとした時、ことばが背後から耳に飛び込んだ。


「イブが」


 そのまま、カケルは凍りつく。思ってもみなかった名前、どうしてここで。


「どこにいるか、知りたいでしょう」


 急に、今までずっと聞いていた声音に戻っていた。カケルはふり向けない。


「鼻が利くのならば、すでに見つけているかも知れませんがね」

「……イブは死んだ」言いながらも、病院の霊安室前で電話を受けた時の様子が鮮やかに蘇ってきた。


「なぜそう思ったんでしょう、どうして探さなかったんですか?」

「アンタが」


 そうだ、ムカイヤは一言もいっていなかった、死んだとは。

 自分が勝手に思い込んでいただけだ、メスは死に場所を求めてどこかに逃げて行った、そしてそのまま斃れてしまったのだと。


 ゆるゆるとふり返る彼を、ムカイヤは寝転んだまま横目で眺めていた。濁った白眼が血走って黄ばみ、そのまま床に流れ出してしまえばいいのに、とカケルは呪いをこめて強く念じる。そんな子どもじみた罵りごときで奴が悶え苦しむなんてことある訳がない、それも分かってはいるのに。


「私はもちろん、一言も死んだとは言ってません、仕事ができなくなったと言いましたが」

「どこにいるんだ、イブは」

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