29 任意同行 1
離れに彼らが訪ねてきた時には、母を含め、幸か不幸か母屋には誰もいなかった。
「ヤマナシ・カケルさん、て、アナタ?」
母屋に最初に伺ったんですが、鍵もかかっていて留守だったので、こちらに回ったんですがね、あ、外の車はアナタのですか? と明るい声でその小柄で小太りな男が言った。
すぐ斜め後ろに、陰気な感じの痩せた男が立っている。すぐに悟った。警察官だ。後ろで、ラブがおんおんと吼えているのがBGMになっている。疲れもあって、ヘッドホンをしたままぐっすり眠っていたので音には何も気づかなかった。背筋に冷たい汗が流れ、口の中が急に干上がったように感じられた。
「はあ……」
「三田警察署の苫米、といいます、こっちは中野」
ナカノ、と紹介された方は固い表情のまま
「外の軽、あんたの?」先ほどのトマベと同じ問いを口にした。
「はあ、そうですが」
「ちょっと、いいかなあ」
ナカノの口調はややぞんざいだった。二人で言い方を変えよう、と示し合わせた訳でもないだろうが。自然な役割分担なのだろうか。
いいも何もない。それでも一応、「本当に警察?」と聞くと、なぜかトマベが苦笑を浮かべながらポケットの手帳を出してみせた。続いて後ろのナカノもしぶしぶといった感じで手帳を掲げる。トマベの顔写真は妙に堅苦しく、逆にナカノのほうはどこにでもいる若者といった感じで映っていた。コンビニの店員が胸につける写真に、こんな顔がついていそうだった。
カケルは踏み込まれたくない一心でサンダルをつっかけ、彼らについて出た。
頭を掻きながら、できるだけ無関心を装ってみせる。いや、ここでは少し不安げなほうがいいのだろうか、色々と頭に渦巻いていて、本当にどうしていいのか判らなかった。顔色に出てなければいいが、と少しだけうつむいてみる。庭に出してあった自分の車の後ろ、退路を断つかのように白いセダンが停められていた。
間の悪い事に、恵が帰ってきたのがみえた。
シルバーのマーチが垣根の角をいつものように曲がろうとして、屋敷内にもう一台車が入っているのを認め、そこに停まる。運転席から顔だけ覗かせて「そうちゃん」アンタの連れ? みたいな目を三人に同時に向けた。
「ああ」カケルは思わず、警察官と顔を見合わせる。
「何ですか?」どう聞いていいか判らず、とりあえず警官の一人にそう聞いてみた。自分では思い当たることが多すぎる。手放しで泣きたい気もあるし、彼らをかみ殺してどこまでも逃げたくもあった。
ようやくここにたどり着いたか、という安堵に似た思いも。
それでも、できれば家族には悟らせたくない。
恵は車から降りずに待っている。白いセダンが邪魔になって、奥の車庫までは進めない。明らかに二人をカケルの連れだと勘違いしているようで、いつになったら気がついて車をどかすのかしら、という顔をして澄ましていた。
「あの、」トマベと名乗った方が、急にくだけた感じに下からカケルを覗いて言った。
「ここじゃ、何でしょうから一緒に来ていただけますか」
「なぜですか」
「話を聞かせていただきたいことが、あるんですよ」
そこに「そうちゃん!」イラついたような恵の声が届く。
「ちょっと来て」
皆がみんな、自分に気があるんだな、つまらない茶々が頭の中に響き、カケルは「はい?」むやみに大声で返す。「待っててよ、少し」
「また出かけるのよ、お客さんの車、一旦出てもらって」
「とりあえず車に」すでにナカノは手錠でもかけたそうな目をしている。
「あちらは」なんとなくあごで恵の声の方を指して、トマベがゴキゲンをうかがうような声を出した。
「ご家族の方?」
独身なのは既に知っているだろうか、彼らがどこまで何を知っているのかが分からない。
「姉です」
「そうちゃん、というのは」
「俺のことです、あだ名が」
「カケルさんなのに?」
「はあ」
全てが軌道を外れて自分の上に落ちかかってくるような、そんな崩壊感だな、そう思いながらも、見た目はずいぶん冷静なんだろうな、と自分をどこか遠くからも眺めている。
「カケルという字が……まあいいですとにかく」
「そのまま来れるよね」
「何か……その」逮捕令状、とは言いたくなかった。「紙とかあるんですか? その、命令みたいな」ナカノとトマベがいっしゅん顔を見合わせて、苦笑じみた口元のまままたこちらを向いた。
「え? 令状のこと?」「ただ話がしたいだけなんで、さあ」
ナカノが手を差し出した、その時トマベが背広の上から胸を押さえた。
ちっ、と舌打ちしてトマベがシャツの胸ポケットから携帯を出した。舌うちの仕方から今までの温和な態度がかき消されて、本来のトマベが持つらしい獰猛な性格が垣間見えた。
トマベが隅に寄った。「はい、はい……そうです今、はい……えっ」
元々小さい目をいっぱいに見開いて、カケルではなく何故かナカノの方を見た。




