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心優しき狼よ、曠野を行け  作者: 柿ノ木コジロー
第二章 ― 2 ―
74/148

26 連鎖と判断 3

 トイレの用具入れに畳んだ服と持ち物を隠すように重ね、最初はその中に立ったまま待っていた。しかし、脚がつりそうになったので、2つずつ並んだ個室の左側奥にそっと滑り込み、そこで座って待った。


 狼の姿で待つと、どうしても伏せたくなる。そうなると前足の先が戸口から外に突き出してしまうだろう。便座に乗るのも不安定で怖い。元々、便所は狼向きではないのだ。


 仕方なく、カケルは人間のまま中に座っている。一応鍵は閉めてあるが、こんな姿を誰かに見られたら、危機一髪、というよりは『かなり恥ずかしい』という方が合っているだろう。


 それでも、狼は自信に満ちた唸り声をカケルにだけ聞かせていた。


 ダイジョウブ、ヤツハココデツカマエル。


 先に他の誰かが入ってきたらどうすればいいんだろう? 例えば医師とか、亡くなった人の身内とかホンカワチの連れとか。それも狼は自信たっぷりに口の端を引き上げる、カケルの頭の中で。


 ヤツラハココニ、ハイラナイ、アノオトコイガイハ。


 身内は、男が1人で女が2人。男は車いすに乗っていたので、トイレは障害者用を使う。階下に来た時にも、妙に朗らかな「車いす用トイレ、ありますよね」という彼の声が響いていたのでそれは大丈夫だろう。


 カケルはトイレに籠るまでに、人びとが揃うギリギリの時間まで辺りの匂いをあらかた拾っておいた。個室に入って鍵をしてからも、いったんインプットした匂いについてはずっと途切れることなく辿(たど)ることができた。 


 医師はずっと忙しく動き回り、トイレに行きたいとも思わないようだった。ホンカワチの連れと検死官も、どことなく怯えたような空気をまとっていて、トイレはともかく、余分な所には出来るだけ足を踏み入れたくないといった匂いを発していた。


 一時間はゆうに経った。カケルが、脚のしびれを直そうといったん立ち上がり、何度目かの伸びをした時、


 彼が入ってきたのが判った。やはり灯りを点けず。


 心臓の鼓動が大きく乱れ、カケルはよろめいて手の先を便座につく。危ない、音を立てるところだった。心臓の音が外にも聴こえてしまいそうな気がして、胸を押さえた。


 外の男がたてる、威勢のよい水音が長々と響く。暗闇の中に、小便のほろ苦いような生温かい匂いに混ざって、よく知っている香りが更に強くなった。確かにヤツだ、いつ出よう、まだか? まだだ、せめて、済んでからにしよう。カケルはドアに体重をかけるようにしながらそっと掛金を外し、両手を胸の前でぎゅっと握り合わせたまま、戸口の向うに全神経を集中させていた。


 やがて、水を流す音が響き、次に一拍おいてから躊躇いがちな水道の音がした。

 今だ。


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