22 ほのかに香る石鹸
あっという間に夏は終わった。
父が亡くなったのはまだ梅雨も始まったかどうかという頃だったから、そのひと夏はまるで、誰かがよく切れるハサミでくるくると切りぬいて、そのまま黙って持って行ってしまったかのように、彼らの家庭から奪い去られていった。
初盆にはしきたりどおりに火を焚いて、俄かに用意した新しい仏壇に見よう見まねの棚を作り、蓮やら柿やら、栗の枝をかけたり供え物を上げたりした。
坊さんがあわただしくバイクでやって来て、それでもよく通る声で朗々とお経をあげていった。家族はみな神妙に座り(琢己だけは居間でトムトジェリーを観ていた)、初盆見舞いの客が来るたびに、恵やその辺に行き合わせた家人がどたばたとお茶を用意して、それなりに会話をしたりしていた。
しかし、それらは別に夏の風物詩でも何でもなく、季節を味わう、という内容のものでもなかった。ただ、やらねばならない決まり事をひとつずつ片付けていくかのような。
それは父が亡くなった時にやった、救急措置から消防への通報、病院を経て死亡を確認した時のように、更に続いた葬儀や諸々の始末のように、ひと繋がりの単なる行為にしか過ぎなかった。
急に、涼しい風が首筋を撫で、そのうちに風はだんだんと物寂しさを増し始め、空が抜けるように青くなってきた。
カケルは高い空を見上げ、何か影が見えないか目を凝らす。昔、琢己が風船を飛ばしたことがあった。こんな空の日は、それを思い出す。風は時おりカケルの周りに渦をまくようにまとわりついたが、歩く度に聴こえていたピアスの歌もずっと聴かずに済んでいた。
ある日、カケルは唐突に小包を受け取った。追いかけるようにすぐに電話、ムカイヤだった。
「たいへんだったね、カケルくん」
挨拶の後、ムカイヤのねぎらう言葉が少し続いた。父が亡くなって病院で彼に電話してから、実は一度、電話は受けていた。あの晩にやり残していた仕事は、他に頼んだからキャンセルということでお願いします、資料はすでに捨ててあるよね、そういった電話だった。それから全然電話がなく、しばらくは休ませて貰えているのだろうか、と何となく相手の気遣いを感じていたところだったのに、また、この声を聞いてカケルは急に首筋と言わず、背中までに寒いものが駆けあがってきた。
小包もあったばかりだったし、電話は予想してはいたのだが。
思いのほか大きな荷物。A4程度の大きさで、厚さはゆうに5センチは超えていた。これは、複数が相手の時にはたまにあることだ。
「どうにか、落ちついたかい」
「はあ、」つけたくはなかったが、習慣的に「おかげさまで」と言ってしまった。
今回、また近所になるけどお願いしたいんだ、ムカイヤの労わるような優しげな声が続く。
詳しくは資料をみてくれないか、少し厚いけど、何、そんなに大した内容はない。なんせ、今度は官公庁絡みなんでね、仕事の後に少しだけ、注意して貰わなければならないことがいくつかあって。いつもならば、後処理の人たちが何かと片付けたり掃除したりしてくれるんだが、今回はあまり、他人目につく人間たちを多くしたくなくてね。
電話を切ってから、カケルは離れに入って包みを開いた。
まず名前を確認する前に、小さなプラバックに入ったままのハンカチが1枚落ちたので拾う。薄い、男物のハンカチだった。何だ、よくある柄だな。見たことあるような。拾い上げて袋から出して軽く鼻に当てる、ふと、気になることがあってもう一度鼻にもっていく。
たぶん他の人ならば気づかない程度、ほのかに香るのは石鹸だった。手を洗うための石鹸、2種類が混ざっている。1つはよくある緑のやつ。シャボネットだったっけ? しかもこりゃ、業務用だ。もう1つは、少し特徴がある、でもどこかで自分も使ったことがある。そしてこの拭いた手の香り。
茶封筒に入ったレポート用紙に、名前があった。たった1人だった、しかしカケルはそれを見て凍りつく。
<ホンカワチ・ユキヒコ>
匂いが記憶につながる。
病院で会った、あの若い刑事だった。




