06 赤い百円ライター 2
軽くはじけるような音と共に、安物にしてはけっこう立派な炎が立つ。カケルは動けない。
琢己は、ゆらめく炎を見て、それからカケルを見て、それからくるりと向きを変え、窓際に二歩で歩み寄る、カケルはまだ動けない。
琢己は火を、カーテンに近づけた。難燃性、確かそう聞いていた、遮光で難燃だから、と。カケルは動けないまま思う、そう、燃えないはずだ。だが、二拍ほどおいて、カーテンからふわりと大きなオレンジの炎がたった。琢己は日頃の興奮も忘れたように、作業に没頭している。炎が開いている窓からの風にあおられ、琢己の手元を舐めた。
「危ない!」
ようやく、カケルの体は反応した。
タタキに脱ぎ捨てようとしたサンダルが足から離れず、ついてきてしまった。少しひっかかり、カケルは琢己の胸元に飛び込むように駆け寄った。
「やめろ、タク!」
上がった炎をすぐ近くにあった上着で押さえつけるように消す。古着の革ジャンだった。琢己は急に間近に現れた闖入者に「きいっ」と抗議の叫びを上げ、ライターを取り落とす。しかし、火からは離れようとしない。カケルは間に割り込むように背中で琢己を遠ざけながら、革ジャンでカーテンを包むように、火を抑えつけた。炎がするりと手の甲を撫でた。
ようやく火が収まった。だが、収まらないのは琢己だった。
暴れまくる琢己を抑えつけるうちに、右手首のあたりが痛み始めた。ズキズキと脈をうつような激しい痛み。火傷だ、冷やさないと、でもその前にコイツを冷やさないと、中学生になって急に背も伸びて体重も増えた琢己には、カケルすらかなわない時があった。そう、まさに今だ。羽交い締めにした身体がエビのように前でしなっている。窓枠に琢己の足がかかり、反動でカケルは後ろに飛ばされそうになる。ジャッキー・チェンがやったよなこれは。「やめろ!」
窓の外に向かって叫ぶ。
「メグ! 助けてくれーーーっっ」
行ってきまーす、と呑気な声が遠くからしたので、更に声を張り上げる。
「メーグーっ!!!」
何よ、いつもの不機嫌な口調が近づいてきた。カケルは暴れる琢己を組み伏せながら叫んだ。
「アンタの息子が、オレの部屋を焼き尽くそうとしてんだよ!!」
えっ、と慌てて走ってくる音が聴こえた。ようやく姉の顔が窓からのぞく。その時、奇跡のように琢己の動作が止まった。
「なに……ヤキツクス、って」
ぜいぜいしながら、カケルはようやく琢己から身を放し(彼はすでにぐったりと仰向けになって手をヒラヒラさせていた)、黙ったまま恵に焦げたカーテンを指さす。
姉は、黒くなったカーテンを見て、琢己を見て、それから、カケルを見た。
「……あらら」
感情のこもってない声。カケルはかっとなって窓枠に手をかけた、その途端右手首に電流並みの痛みが走る。
「なによ」姉の言葉に、それでもつばを飲んでから
「あのねえ、ライターで火をつけようとしたんだぜ、カーテンに」
そう言ってやると、逆にこう訊かれた。
「なぜ?」
理由を俺に聞くな、そうどなりつけてやりたかった。しかし確かに、今までそんな事などしたことがなかったのだ。いくら行動が読めないとは言え。
「あのねえ……」急に、膨らんでいた怒りがしぼんだ。風船よりも急激に。
「オマエ、カーテンを弁償しろよな」
それでもそうすごんでみると
「ライター、出していた方が悪いんじゃないの?」さも当たり前のように姉。
「はあ?」
カケルの返事は気が抜けていた。もう、どんなモードを保っていいのかすら分らない。
「あのさ……出した訳じゃない、しまってあったんだってば」
すでに窓の外に姉の姿はなかった。
琢己は足もとで、うつろな目をしたまま手をひらひらと目の前で振り続けていた。
カーテンだけじゃない。
カケルは手を冷やしながら、怒りをまとめてみようと努力する。背後からはずっと、翻訳調のニュースが続いている。
「スコットランド一帯から拡がった謎の感染症は今や全英の……」
カーテンだけじゃないぞ、カーペットも買ってもらう。絶対に。
「……次のニュースです。ウィンドサーフィンをするのは、何とブルドッグでした」
……ブルドッグかよ。
カケルは笑った、へそから力が抜けたまま。




