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心優しき狼よ、曠野を行け  作者: 柿ノ木コジロー
第二章 ― 2 ―
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01 走り出したら止まらない諸々

 俺はどちらの連中からも言われた。お前は狂っている、と。


 そうだろうか? 俺から言わせれば、雇い主も群の連中も極端に常識から外れていたとしか思えない。


 雇い主は俺には理解もできない理由で次々とヒトゴロシをさせて、それがお前の本能だからちょうどいいだろう、お前も自分に忠実に生きていけるし、こちらも都合がいい、といった顔で澄ましていた。俺はそれが当然のことだと思い込んでいたのだ、ムカイヤに会った時からずっと。何故なのだろう。


 あの男、石鹸の残り香がする男に関わってから、俺の中で何かが大きく変わっていった。

 

 もっと早く気づけばよかったのだろうか。

 変われる時はいくらでもあったはずだ。

 彼を殺す前を遡っていけば、いくらでも。


 オヤジが死んだ晩か? あり得ないような晩、自分がいつも無造作に奪う命を、救おうとする人たちを見ていた、あの時。


 または、山の中であの若い男を逃がした時? 死を避けたという行為であれだけ酷い罰をくらった初めての日。苦痛と屈辱を味わわされたのに、俺は罰は罰として受け止めてしまい、何の反抗心も抱かなかったのだ。あの時気づくべきだったのか?


 それとも琢己が風船を飛ばした時か? 愛するが故に手放してしまう哀しみを知ったあの時……いつまでも愛するものを手元に置くことができないと悟った青い空の日に?


 イブが消えた晩だろうか。高校生たちをたくさん殺してしまった夜……イブがいなくなった時に、俺もそのまま逃げてしまえばよかったのだろうか、元の場所に戻らずに。そしてそのままただの狼として暮らす、二度と人間に戻ることなく。殺すのは、食べる時、そして身を守る時だけ。


 ナミキ・シズエの顔面を噛み割ってしまった時はどうだろう? 俺は実際、どう感じていたのだろうか、あの瞬間。悦んでいなかったとは言わない、しかし、本当にそれだけでいいのか?


 狼として他を殺すことについては後悔はない、ただ、人間に戻った時に激しく動揺してしまうのが嫌だ。


 殺すということは、どういう意味なのだろう。生きるとか生かすいうことは何なのか? 命を生みおとしながらその命がすでに消えゆく時を思い、激しく後悔してしまった恵と、人間としては躊躇いながらも嬉々として殺し続ける俺と何が違うのだろうか。


 ひとの命を無作為に奪っていく『意思無き排除作業』がもし起こらなかったとしたら、俺は一生、生死について深く考えることなく流される人生に甘んじていたのだろうか。


 しかし、あれが起こったからこそ、俺はこんな形で生きることになったのだろうし、生きることを真剣に考えられるようになったのだと思う。

 皮肉なことだけれども。


『群れ』に出逢ってしまったのも必然だ。

 意思無き排除作業が人類の預かり知らぬところですでに何らかの必然性があったのだと言うのならば、ムカイヤたちも群れの存在も、人生についての問いに対する当然の答えだったと言える。


 ムカイヤたちと対立しているはずなのに、同族であるアイツらも別の意味で俺を縛りつけた。どちらも、俺に苦痛と屈辱を浴びせ、狂気の檻の中にがんじがらめにしようとした。


 そう考えると、俺にとって『意思無き排除活動』は祝福でもあり、呪いでもあった。


 ひとつの枷から解き放たれると同時に、次の枷につながれる。転売される牛のようなものか。所詮、人生とはそんなものだ、と俺のどこか頭の片隅に住む醒めた妖精はそうせせら笑っているけどな。


 あれは、どういった意味があってニンゲンが襲われていたのだろう。


 時々、とりとめもなくそう感じる時があった。


 多分、俺だけじゃない。同じような事は、人類全体が次から次へとあぶくのごとき思いを煮えたたせる度に浮かべているのではなかっただろうか。


 狼の俺が襲ったヤツらの大半も、感じていたはずだ。どうして自分が、って。そして、これはいったい何が原因なのか、と。


 この疑念が生じるたびに、俺の頭には田園の光景がひとつ、浮かんでくる。

 もう少し普通に暮らしていたあの頃、ほんのつい最近のことには違いないが、不可逆的なあの日々。


 犬の散歩だった。田んぼ道を、俺はサンダル履きで歩いていた。


 あの時、草地でごく平和に暮らしていた蛙たちは、いったいどう感じたのだろうか、襲い来る相手が犬とすら気づいたのかどうか。


 今になって浮かぶ光景としては、あれは全く、相応しい以外の何物でもない。


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