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心優しき狼よ、曠野を行け  作者: 柿ノ木コジロー
第二章 ― 1 ― 
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10 風船は飛んで行く 4

 家についた時には、少しうすら寒くなっていた。風が強く吹き始め、季節は冬になるのを諦めたわけではないと大声で主張を始めていた。

「なっちゃん、着いたよ」

 カケルがゆり起すと、夏実はいったん目を半分まで開いて、また、目を閉じた。

「なっちゃん、おうちだよ、車から降りよう」

 琢己がひとりで車から降りたのには気づいていたが、彼が次にしようとしたことまで、カケルは気づかなかった。


 家についたらもう、自分の役目は終わりだ、あとは夕飯にうまいビールでも貰おう、今夜はさすがに夕飯、一緒に喰わせて貰うぞ、圭吾さんのおごりで。


 そんなことを考えながら横目で琢己の姿を確認する。ちゃんと、家に向かおうとしている。風に驚いたのか、「いいっ」と鋭い声を発する。風船が風にあおられてかるく、開け放した車の枠に当たって柔らかく跳ねる。大事にしていたその風船を、今度こそ彼は抱くのだろうか、そう思ったしゅんかん、


 琢己は、ぱっと糸を持つ手を放した。


 風船は、風にあおられるようにさあっと斜め上空にかけ上っていった。


 きゃあ、なのか、わあ、なのか、叫び声を上げたのは誰だったのか、カケルも呆然とそれを見送る。

 風船はみるみるうちに昇っていった、そして、青い空高くに黄色い1つの点となって、やがて、姿がみえなくなった。


 ういいいいいっ、と切り裂くような叫び。琢己は泣いているのだろうか。目に涙はない。しかし、そこまで切なげな表情は見たことがなく、カケルの胸がずきんと痛む。思わず

「何すんだよ! バカだな!」

 ぐい、とその腕を引っぱった。「どうして今更、手を放すんだよ!」


 琢己は、ずっと青空のかなたを見つめていた。夏実も、カケルもまた目を空のかなたに移し、風船の消えていった方向をじっと見上げた。黄色い点がまだ、どこかに見えているような気がした。


 琢己の叫びが、冷たくなった秋の空気をまた切り裂いた。ういいいいいっ、止めてくれ、カケルは心の中で叫ぶ。泣きわめいているよりも更に、自分には辛い声だった。


 恵がサンダルをつっかけて庭に現れた。「おかえり。何の騒ぎ?」


 夏実が目を戻して、走っていって母に抱きついた。赤い風船が下がり気味になりながらその後に従った。「たっくんがね、ふうせんをとばしちゃったの、すごくすきだったのに。てをはなしちゃったの、きいろかったのに」

 ふうん、恵が非難めいた目を向けたのでカケルは口を尖らせて

「手を放したのはタクミだぞ、俺はずっと気をつけて持ってこさせたんだ」

 そう機先を制する。だが、恵はちらっと空に目を上げてから、ふう、と息をついて

「飛んじゃったものは、還ってこないし」さあご飯よ、と夏実の手を引いて母屋に戻っていった。


 カケルはついて行きかけて、ふとふり向いた。


 琢己はまだ、青空を見上げていた。消えていったものの行方を探るように。




「イブ」


 気づいたら、カケルの口から零れ落ちていたことばひとつ。


 カケルは同じように青空を見上げる。抜けるような青、何もかも受け入れるようでいて、しかしそれは何ものをも拒絶していた。


 イブの顔をそこに描こうとしてカケルはしばし、立ち止まっていたが細部が思い出せずやがて諦めて目を落とし、家に入っていった。

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