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心優しき狼よ、曠野を行け  作者: 柿ノ木コジロー
第二章 ― 1 ― 
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09 風船は飛んで行く 3

 三時を十分以上回ったころ、ようやく夏実が約束の場所に戻ってきた。

「なっちゃん、遅刻」カケルが目を尖らせても、頬を上気させて幸せそうに笑っている。

 あたりを見回してみたが、アツコちゃんの母子はすでにどこかの人ごみに消えていた。ちゃんと御礼を言ってなかったよ、とカケルが言うと夏実がませた口調で

「アタシがちゃんと言ったから、だいじょーぶ」そう言って、戦利品のスーパーボールや射的の景品らしい銀色の髪飾りなどを持ち上げてみせた。


 琢己は、というとすぐ足もと、植え込みに半分入り込むようにして縁石の上に座って、風船の糸をくい、くい、と少しずつ引っぱって縮めていっては、ぱっと十センチか十五センチほど上に解放してやって、目の前に上下させてうっとりと見守る、それをずっと続けていた。このおかげで夏実の遅刻もお構いなしだったようだ。風船さまさまだ。

 カケルは風船がぴょこんと上がるたびに、上の松の枝に触って割れてしまわないかヒヤヒヤしながら、その間に手をかざしてやった。琢己は、「ういっ」とひと声鋭く叫び、その手を払いのける。割れたらパニックになるのはお前なのに、と、カケルは横目でにらんでやる。払われた瞬間に上の枝に手の甲が触れて、葉先がチクッとした。俺はこうやって身を挺してお前の風船くんを危機から守っているのに、全然気づいていないんだな、もうひと睨みしたが、琢己はすっかり黄色い風船との蜜月時代に入り込んでいた。まるで恋人でも眺めているような、甘い目をしている。夏実も赤い風船をひとつ持っているのに、そちらには全然目をやろうともしない。自分のそれだけが、唯一無二のものなのだろうか。


「そうにい、かえろう!」

 夏実がぴょん、と跳ねた。全然そちらを見ていなかったにも係わらず、つられるように琢己も立ち上がる。


 小学校のグラウンドをにわかに区切った駐車場まで、十分以上は歩いただろうか、その間も琢己はずっと風船から目を放そうとしなかった。糸を操って細かく上げ下げさせながら、小刻みに首をふるように動く風船と、ずっと会話をしているかのように彼も首を動かし続けていた。お留守になった足もとは、カケルがかなり気をつかって導いていった。


 ようやく車に乗り込んだ時にも、カケルが、ドアに挟んで割らないように、とその風船を両手で持とうとしたらまた、「ういっ」と払われた。

「はいはい、判ったよ」

 カケルはもう怒る気力もなく、そのまま運転席にどさりと身を投げ出すように乗り込む。割れようが何しようが知るか。窓も大きく開けてあったが、あえて閉めようともせず彼は車を発進させた。


 琢己は、風船を車の天井に上手にバウンドさせながら、ずっと小声で何かうなりながらその様子を見ている。助手席に乗った夏実は車が走り出した時には「あのねえ、アッコちゃんはけむりのめいろでまえがわかんなくなっちゃってさ、グルグルしちゃってさ、それで」とずっと話していたかと思ったら急に、静かになる。頭を窓枠に乗せて寄りかかり、カケルが気づいた時にはすでにぐっすり眠っていた。口の端にきな粉がまばらにこびりついている。


 小さな指にひっかけて持っていたスーパーボールのビニル袋が傾いで、中の水が足もとにかなり零れていた。何で金魚でもないのに、ボールを水に入れてよこすんだよ、俺も俺だよ、乗せた時に気づけ。カケルは鼻でため息をついて、信号で止まったわずかな隙に、そのビニルを彼女の手から外してハンドルの脇にひっかけた。

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