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心優しき狼よ、曠野を行け  作者: 柿ノ木コジロー
第二章 ― 1 ― 
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04 骨はもろく 3

 カケルは居間で夕飯を待っていた。久しぶりに家族の夕餉に参加したある夏の日のことだった。


 ナミキ・シズエの失踪はしばらくローカルニュースを賑わせていた。

 事件に巻き込まれた可能性が、とキャスターは何度も繰り返していたが、なぜかコンビニ近くの側溝には捜査の手は延びなかったようだ。


 カケルには、すでに過去の出来事にしか過ぎなかった。それなのに。


「いただきます」

 よく冷えた日本酒のグラスを片手に、つまみは何だろう、昆布巻きか、と箸を伸ばしたカケルは全然気づかずにそれを口に入れた。

 柔らかく煮えた昆布を噛み切ったと思ったとたん、ほろり、と何かが口の中で崩れた。


 それはまるで

 ナミキ・シズエの顔面のように。


 カケルはばっ、と立ち上がる、口を押さえて。恵が目を細めてその姿を見た。

「どうしたの」

 それに答えることもできず、カケルは流しに駆け寄り、いっときの間を置いてから、ゲエゲエと胃に収めたものを吐き始めた。

 まだ幼い晴樹が、その様子を目を丸くして眺めている。琢己は箸を落とし、きいっとひと声鳴いてから「たぷたぷう」と叫んだ。


「だいじょうぶ? そうちゃん」

 

 恵の問いかけにふり向いて何か答えようとしたが、言葉すら間に合わない。とにかく、吐き気の発作が止まらない。両親は少しだけ箸を止め、咎めるような目を同時に彼に向けた。

 それでも、止まらないものは止まらない。カケルは食べたものの3倍だろうか、という位の量を吐き続けた。


 どうにか吐き気が収まった時に、昆布巻きについて恵に聞くことができた。

「昆布巻き? 買ったのよスーパーフジミで」

「あの中身なに」

 ええとね……恵は目線をさまよわせながらようやく思い出して

「ニシンより安かったから、鮭の頭をね、コトコトと柔らかく似て骨までさあ」

 そう言ったか言わないかのうちに、カケルは次の発作に見舞われた。


「食あたりじゃ、ないの」

 心配する恵もそっちのけで、カケルは吐き続けた。

「食事中だぞ」

 父親は、言わずもがなのことを口にした。それでも、カケルは情けなく涙の浮かんだ目をさまよわせ、時々襲ってくる発作をただ、耐えていた。


 すでに胃には、何も残っていなかった。それでも酸っぱい胃液はしつこく生まれているようだった。


 吐き気が十分に収まった頃には、カケルの思いも少しだけそこから離れることができた。

 それでも、肉はおろか、魚ですら口にできなくなったのはその時からだった。それまでもあまり好みではなかったのに、もう、肉とか魚とか聞いただけで吐き気が蘇ってきた。

「骨まで柔らかくてお口の中でほろほろと」

 テレビのグルメ番組でそんな表現を聞く度に、気分が悪くなる。

 あの夜の、骨のもろさがずっと口の中に残っていたせいだろう。カケルは、骨のもろさが歯の間に蘇る度に顔をしかめた。


それでも何故か、あの側溝で嗅いだ匂いの数々は爽やかな思い出としていつまでも、頭の片隅に残されていた。サンドイッチの慎ましい全粒粉の匂いまでもが。



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