04 CEOが何の略かも知らずに
がっちりとした体格の、年配というにはまだ若い男だった。背広を着てはいたが、どこか試合の解説に出るプロレスラーといった雰囲気だった。会社役員だと聞いていたが、CEOが何の略かもカケルは知らなかった。
カケルが知らないものは、狼だって知らなくていい。
狼のしごとはただ、追いつめて、殺すだけ。できるだけ素早く、ひと息に。
おびえさせる時間は短ければ短いほうがいい。そして痛みを感じる時間も。
その男の名は、新条雄大といった。会社の裏金をそうと知ってひそかに着服したのだと聞いていた。金額的には7億かそのくらい。どうしてそんなお金が簡単に動くのか、カケルには不思議だった。会社の経営陣から、知り合いを経由してカケルのところに話がきた時には、まだその事件は表ざたにはなっていなかった。
ヤマナシくん、と電話口でいつもの優しい声が響いた。カケルはこの声が大嫌いだった。
しかし、逆らえない。
「シンジョウタケヒロ、という男だ。明後日の夜11時過ぎに港区の、地図の所を通過することになっているけど、君は、会えるかな?」
逆らうことはできない。20歳の時、恋人の紹介で彼と会い、あのヨレヨレの名刺を受取った時から、いや、自分の携帯番号を赤外線送信して、相手の携帯がそれを受信してヘンな色で光ってからずっと、感じていた。彼が告げれば自分は従うしかない、と。姉の頼みを聞かねばならぬのと同じように。
久しぶりに新幹線に乗る。さすがに家から走っていくには少し遠かったから。
23区内でも、人けのない場所はいくらでもある。彼を追い詰めた時に高架の上にはかなりの渋滞ができていた。赤いテールランプがどこかのビルに反射して、病気の蛇のように少しずつ前に進んでいる。しかし、そのはるか下で行われている殺戮には、誰も気づこうとはしなかった。ビルにはすでに常夜灯しか残っておらず、わずかな店店もシャッターをかたく閉ざしていた。そして、風に鳴るその灰色の壁の前で、狼は男を組み伏せていた。
男は倒されて数秒後には喉笛を噛み裂かれて絶命した。悲鳴すら、あげる暇を与えず。
体格のよい男らしく、血が勢いよく噴き上がり、狼の鼻面を熱く濡らした。
新鮮な血は水と同じくらい清らかだ、彼はがっしりと牙を噛み合わせたままその奔流を顔全体で受け止めていた。この熱さから言ったら、温泉を掘り当てたようなものか、ずっと止まらないでほしい、いつもそう願っていた。
しかしその泉は間もなく滞り、くわえていた男の痙攣が収まって完全にぐったりする頃には、完全に流れは止まっていた。
狼になれば、理由も何も必要ない。ただ本能として、匂いを覚えた人間をかみ殺すのみ。
前日に、速達で届いていた手紙に入っていた男のハンカチを鼻にあて、カケルは思う。どんなに清潔に洗ってあろうとも、いったんついてしまった7億横領という香りはこの鼻に残ってしまう。いや、そんな動機付けすら必要ない。どんな罪があろうと、どんなに悪人であろうと同じだ。
どんな匂いであろうと、唯一の切符に間違いはないから……死への旅立ちへの。
うつらうつらしていたらしい、目があくと既にスクールバスは所定の位置に停まっていた。
今は琢己のことに集中しよう、カケルはゆっくりと息を吐いて車から出た。




