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心優しき狼よ、曠野を行け  作者: 柿ノ木コジロー
第二章 ― 1 ― 
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01 あの雲のまっ通りに

 ほんとうに愛するものは、所有できない。愛すれば愛するほどそれを永遠に保持することなどできないのだ。俺はひりひりするような痛みの中でそれを思う。

 いつまでも忘れない、とかずっと大切にするよ、という誓約が過去にいくつも重ねられ、そしてそれこそが最初に流され、薄まってやがて大気の中に消えてゆく。

 人は、そんな場面をあまりにも日々当たり前に目にしているせいか、永遠の所有が不可能だということに気づいても気づかぬふりをしているようだ。


 では愛という概念はどうだろう。概念をよりどころとして、大切なものを形無きあとでもずっと心の中に留めておくことはできるのだろうか。


 俺は駄目だ。大切な思いを無くしてしまったのではない。ただ、心の中にあまりにも雑多なものが山積みとなっているのだ。

 大切なものもそうでないものも、全く区分けされることなく最終処分地のごとき荒涼たる心の平原に黒々とした山を築き上げている。

 とどめ置くのが問題なのではない、手放すタイミングを逸しているのだろう。

 だったら君は一応色んなものを持っている、と言えるだろう、って?

 違う、それは所有しているとは言えない。俺が持っているのではなく、ただ単にそこに「在る」だけなんだ。切り離されることなく、だんだんと嵩を増しながら、俺の存在を常に脅かす物として。


 俺はなぜ愛すら保てないのか。俺が狼だから?

 いや、人間と同じく獣であろうと、経験という形のないものを積んで積み重ねて自身を養っていけるのは同じだろう。大切なものは抽出という作業を経て、エッセンスというか、『香り』として身にまとい、昇華されるべきなのだろうに。

 たとえその行動が本能のカテゴリに分類されるとしても。


 俺には喪失感しかない。

 いざという時に運命から『現実』を突きつけられてそれがオマエにとってどんな意味があったのだ? 実際その本質は何だったのか? と問われると途端に裸に剥かれたような、すっかり喰い尽されたあとの林檎の芯よりまだ寄る辺のない寒々しさに震えあがってしまう。

 もとより、形のないものを心の奥底にとどめ置くだけの資質が無いのだ、いや、置いてはいる。それを証拠に忘れることができない。大事なことも、ささいなことも全て。

 問題は、全くそれらを活かしてないかことだ。

 思い出を消化できず、教訓とせず、大切なものだけを抽出することもせず。

 それが多分、俺の最大の欠陥だったのだろう。



 昔こんな話を聞いた。幼い頃、家に遊びに来てくれたあの人がしてくれたおとぎばなし。

 俺は何度もねだって聞いたものだ。


――ねえ、がっちの話をしてよ。


 そのたびに、民話のような語り口で、のんびり、面白おかしい抑揚をつけて彼は語った。


「昔、『がっち』という鳥がいてね、とっても呑気な鳥だった。その鳥が、珍しく美味しい木の実を手に入れて、よーし今食べてやろう、うまいだろうな、いや、もったいない、あとから食べよう、そうだ大切に取っておこう、どこに隠そう、よしここに埋めておこう、地面の下なら誰にも盗まれない、でも目印が必要だ。そう考えてから空をみた……」


 そして、空をみた、とその人がにこにこしながら天井を仰ぎみる時に、一緒になって空を見る。


「……目印は、そうだあの雲の、まっとおぉぉぉり」


 その人は言葉に合わせ、手刀を切るように、空想の宙に浮かぶ雲からまっすぐに手を下ろし、地面を指す。


 がっちはもちろん、その木の実を二度と見つけ出すことはできなかった、という教訓めいた話だった。


 ある時、話が終わってから、幼かった俺はその人に言った。

「ほんと、マヌケな鳥だよねえ、がっち。いつもいつも、埋めた木の実を忘れちゃうんじゃないの? かわいそうだよね、いつまでたっても食べられないなんて」

 彼はこう答えた。

「そうか?」目が笑っている。

「忘れられるから、幸せなんじゃないのかな?」


 彼はこう言いたかったのだろうか。


 いつまでも持っていられないものは、さっさと手放して忘れるに限る。

 たとえそれがどんなに大切なものであろうと。



 俺はイブを失った。あれほどまでに、愛していたのに。

 絶対に離れないと誓いあったのに。


 イブに対するもろもろの感情すら、どうとらえていいのか分からないまま中途半端に心からぶら下がったままだ。

 何だったのだろう、一言で表せるのだろうか、ただ愛していたという熱い思い? 甘い記憶? 悲しみ? 怒りなのか?

 かつては確かに大切なものだった。イブ自身も、彼女との数々の思い出も。

だが、手放すのが遅かったばかりに、いつまでもついて回り、俺を悩ませる。


 俺も雲のまっ通りに、思いを全て埋めてしまえればどんなによかっただろう。

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