23 東京は海のそこ 3
夏実や太一によく読んでやっていた絵本にも、海の生き物が登場した。
そして、ひとりの少年も。今どきの浦島太郎といった風情の。
彼は東京都内の小学校で、運動会の最中発熱して、保健室に運ばれる。
熱に浮かされている彼は、気がついたら水没した町にいた。彼は保健室の窓から軽やかに泳ぎ出し、街中を遊泳し、さまざまな魚と出逢う。
マンガみたいね、絵本をみる年ごろをとうに過ぎた夏実がある日、学校の図書室からこれを借りて帰ってきた。ねえそう兄、海の話好きだね、これも気に入るかなあ。
俺は太一に、そして夏実にその絵本を何度も読んできかせた。返却期限ギリギリまで借りてもらい、子どもらが学校や幼稚園に出かけている間にも手元に置いて眺めていた。
新しく買おうと思って、書店に問い合わせたところ既に絶版だと言われた。
中古ショップに予約を入れて、ようやく在庫が入りました、という連絡がメールに入るとすぐ、値段もロクに確認せずにすぐに金を振り込んで本を手に入れた。
夏実はあきれて、そう兄、ほっんとうに海が好きなんだ、そんなマンガみたいな子どもの本なのに、わざわざ高いお金を出して買ったの? 元の値段より高いの? と、それでも嬉しそうに本を拡げて眺めていた。わあ、やっぱりこのマンボウが急ににゅっと出てくるところが好き。あとさ、満員電車に魚がぎっしり乗っているのとか。
最後まで、何物をも失ってからもこの本は手元に持っていた。
俺にとっての浦島太郎。俺にとっての海の世界への入り口。
彼は、太郎と同じように夢うつつの中、異世界をさまよう。
しかし、最後には追いつくのだ。
彼が時に、ではない。
時が、彼に。世界は緩やかに循環の輪を閉じる。人びとは微笑みながら物語を終える。
それゆえに俺はいつも安堵の吐息とともにその頁を閉じるのだ。
しかし俺はなぜかいつも浦島太郎により同情してしまう。
彼はあまりにも不器用すぎた。自らに正直すぎた。要領よく人生のつじつまを合わせることが、どうしてもできなかった。
想像の中で、いつも俺は異世界から帰って来る時、しっかと箱を胸に抱えている。
太郎の代わりにその箱を受け取った時、彼女は言った。深い藍色の瞳で俺をじっと見つめ、そっと発する、最後の言葉を。
「自らが何者か、迷った時、しかし本当の自分を知りたいと思った時にはこれを開けなさい。
あなたは決して後戻りはできない。激しく後悔することもあるでしょう。
しかし、一つだけ確かなこと、これだけは約束します。
箱を開けた瞬間、あなたは自身が抱える疑問の全ての答えを一瞬のうちに知ることができる、と」
俺はいざとなった時に、それをためらいもなく開けるだろう。
そしてその時はもう間もなく来ている。
奴らが来た。
どうしても知りたい問いの答えはひとつ。
次の絵本を参考とさせていただきました。残念ながら、現在絶版となっているようです。
東京は海のそこ さの てつじ作 ポプラ社




