14 長い夜 4
オレンジ色の隊員がひとり、「こっちに乗りますか」と救急車の助手席から覗き、運転席に収まった男が「リュウジ、頼む」とかけた声を合図のように、颯爽と乗りこんできた。
ストレッチャの父親が無事に車内に収まってから、カケルは遠慮がちに後部ドアから上がり、左側のベンチに深く腰をかけ、父親の膝下あたりに手を添えた。
一人がどこかに連絡している。「はい、市立病院向かいます、時間はええと」
後ろの父親に付いたオレンジの隊員に向かい「21時16分、でいいか、畜生」小声で聞きながら時計に目をやって毒づいた。どこかで時間を確認するのを忘れていたらしい。ふり向きながらカケルに「21時16分、搬送ということでいいですね」と問うが、もとより異論のあるはずはない。カケルはぼんやりと父親の寝姿を見ながらうなずいた。
すぐにオレンジの隊員がカケルに声をかけた。「この場で点滴をやらせて頂きますがいいですか」こういう事にも家族の許可がいるのだろうか、カケルはこちらにも「はい」と短くうなずいた。
まともに彼らの顔が見られなかった。なぜなら、父親はすでに誰がどう見ても息をしていなかったから。それは死んでいるということに他ならない。たくさんの死人を見ているカケルがそう思うのだから、これはほぼ間違いはないだろう。それなのに、彼らはまるで、少しでも急いで病院に運べば、そして搬送中にも十分に手を尽くせばこの人は息を吹き返すかもしれない、と心から信じているかのように全身全霊を込めて仕事に精を出しているのだ。市民の税金を惜しげもなく使い、持てる限りの知識と技術を駆使して、この、死人に向き合っている……死んではいない、という仮定のもとに。
「少し揺れるぞお」運転手が声を出しながらアクセルを踏む。車はカケルもよく知った道を緩やかに速度を増しながら出発する。広い舗装道に出るのとほぼ同時に、救急車のサイレン音が始まった。
更に県道に出た時に「よし安定」という声とともに、「ルート確保します」とカケルの脇に立つ二人の内の一人が長いチューブを引きだした。脇の一人が「どうだ?」と問いかける、そこに少ししてから「逆流します、再度試します」と処置中の隊員がまた言った。そこに運転手が「前方50メートル、カドワキストア近辺揺れます」と事務的な口調で告げる。「了解」後ろも事務的に答えてから「吸引」言いながら別のチューブを引き寄せる。「開始」ズルズルと音がして「出ましたね、かなり出た」処置中の二人が会話しているのが耳に入る。
カケルはずっと父親の膝もとと上のモニタとに交互に目をくれていた。彼らの姿すら見ることができない。向うも、カケルのことを最大限の敬意を持って無視し続けてくれていた。たまに、「かかっている病気は?」とか手短な質問がくることはあったが、一応決まりだから一通り聞いてくれているといった感じだった。
「リュウジ、どうだルートとれたか」「もう一度やってみます」点滴はどうしてもうまくいかないらしい。それも、彼らは「もう無理だな」「駄目だ、また逆流する」などと絶対に否定的な言葉は使わず、「揺れなくなったらもう一度ね」「バイパス入る、少し待て」と前向きに試してくれている。
カケルは父の頭上にあるモニタに目をやった。少し前に、実はこんなふうに救急搬送につき合ったことがあったのを思い出した。あの時も、長く感じた。早く早く、とにかく一刻も早く運んでくれ、とこのモニタをずっと凝視していたのだ。その時の患者は、脈は乱れ、血圧も安定していなかった。今ようやく見て気づいたが、モニタは全く動いていなかった。父親には何も、モニタすべきデータがないのだとその時思い知った。彼らは、カケル以上に状況が分かっていたのだろう、しかし、できることはとにかくやろうとしてくれていた。




