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心優しき狼よ、曠野を行け  作者: 柿ノ木コジロー
第一章 ― 2 ―
31/148

06 失敗と罰 1

 失敗した時にはどうなるか、考えたこともなかった。


 というよりも、敢えて、意識の表面に持ってこなかっただけなのだが。


 カケルは腹ばいのまま、敷布団の先にある畳の目をずっと見つめていた。


 縦に見ると、編み込まれたイグサの端に、細かい穴が黒々と一列に開いて並んでいる。こんなふうに畳をじっと眺めたことは何度かあるのだろうが、穴が並んでいるのに気づいたのは、はじめてだった。きっちりと編みあげた表面、普通ならば規則正しいパターンとしか認識されないはずなのに、並んだ空虚な眼が寝ている自分をじっと見つめているような、居心地の悪さを覚えてくる。

 とらえ方の問題だ、そう何度も言い聞かせてみても、落ちつかないものは落ちつかない。


 失敗というのも、とらえ方の問題なのだ、カケルはずっと、くよくよとことの成り行きを頭の中で反芻していた。


 自分では失敗などとは感じていない。ごく自然な成り行きだった。

 なのに『失敗』には『罰』を、と考えている連中がいたらしい。


 狼はターゲットを倒し損ねた。何故か判らない、その男に向き合った時、急に見つめ合う形になった。狼は低く頭を下げ、あと一息で飛びかかれる位置にいた。男はカケルより小柄なやせ形、黒っぽいセーターにカーキのチノパンで、白いシューズはナイキらしい。もしかしたらアディダスかも、飛びかかる時にはあまり関係がないが。


 殺す理由は特に聞いていない。ただ、名前と年齢、そして匂いのついた野球帽が送られてきただけ。カケルはその匂いをかいで嗅覚のファイルにしまい、時を待った。

 

 なぜ殺せなかったのだろう、カケルはまだズキズキ脈打つような脇腹を押えながらそっと寝がえりをうつ。脇から背中にかけて、ひどく痛む。すでに湿布は貼っていたが、それでも仰向けになることもできないくらい痛い。


 男は、じっと黒い瞳で狼を見ていた。恐怖の針が振りきれてしまったのか、無表情とも言える顔だった。ただ、目だけは大きく見開いている。元々大きな眼なのだろう、まつ毛が長く、どことなく少女のような儚さがあった。彼は林の中、大きな樹を背負って立っていた。崖っぷち、匂いの強い幹は長い苔のような緑で覆われている。そこにぴったりと張り付いているので、多分彼の服の背中には、緑色の染みができてしまっているだろう。それ以上喰い込めない、というほど彼は樹に身を寄せていた、そのまま幹の中に吸い込まれていけたら、と考えているのか?


 男は、カケルと同い年だった。


 いや、それは単なるデータの一つに過ぎない、殺せなかった理由ではない。

 ならば、あの大樹が原因だったのか? あの、強過ぎる匂いが。楠だったのだと思う、あの樹が殺意を削いだのか?


 カケルはつい寝がえりをうち直し、あまりの痛みに悲鳴にならない悲鳴をあげる。


 ばか、本当に俺は馬鹿だなあ、こっちは下にしてはいけないのに。


 目じりに涙がにじむ。ずっと何度もなんども、あの時の状況が頭の中をよぎる。繰り返される光景、まなざし、そして仕打ち。


 狼は一歩下がった。枯れ葉がかすかに鳴って、目の前の男がびくっと肩を震わせる。飛び出してこようとする前触れか、彼はそれでも目をつぶることなく、じっとこちらを見つめている。


 やがて目線を反らしたのは狼のほうだった、下に。そして、そのままきびすを返し、月明かりで縁どりされた闇の中を帰っていく。


 男がすぐに逃げ出したのか、それともあまりの衝撃でそのまましばらくそこに貼り付いていたのか、狼はもう確かめることもしなかった。



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