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心優しき狼よ、曠野を行け  作者: 柿ノ木コジロー
第一章 ― 1 ― 
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20 せりふを取られて

 今日こそ言ってやる、昼下がりの狙いどき、恵は何も大きな用事はなさそうで、家から出たり入ったり、琢己のお迎えも今日はまだ頼まれていない、太一も幼稚園から帰っていない。


 今を逃して、いつ言ってやるんだ。


 履歴書を書き終え、もう一度、アルバイト情報誌の記事をみつめる。


 電話をしたら履歴書を持って四時に来てくれ、と言われた会社だった。なんとなくい気が進まないなあ、と思いながらも給料の良さと遠隔地勤務も希望できる、というのが魅力で、とりあえず慣れるまでは近隣の工場が職場となりそうだった。

 

 よくよく読むと契約先は派遣会社だった。そちらの情報をもっと知りたかったのでネット検索で派遣会社名を調べたら、出てきた出てきた、とにかく、悪い噂には事欠かないところのようだった。匿名掲示板の専用スレには、地獄の果てまで続くようなスクロールダウンの中に、呪詛と底冷えのするような内容が悪の経典となって連なっていた。

 それでもいい、カケルはしばらくその文字列をすごい勢いで天へと昇らせていたが、やがてウィンドウを閉じて、PCの電源も切った。

 ムカイヤに言われてやっている仕事に比べたら、はるかにニンゲンらしいことができる。


「大切なお薬をつくる、やりがいのあるお仕事です」


 少し大きめの活字が、そうカケルに告げていた。

 カケルは鼻息も荒く、サンダルをつっかけた。テーブルの上には履歴書を拡げたまま。

 そして、母屋へと向かう。


 母屋の玄関を開けようとした時、声が聞こえた。声、というより投げつけられた叫び。


「もう、うんざりなのよ」


 カケルの足が止まった。なんだって? それ、俺の今からのセリフだよ。

 どこのどいつだ、俺のとっておきのことばを取っちまったアホバカチャンリン、デベソのクソヤローは。


 姉がスリッパの足音も荒く父母の寝室から飛び出してきた。そちらを見たまま更に言葉を投げる。


「いつまでも私ばかりを当てにしないで、ずっとずっとおんぶに抱っこ、黙ってやるのが娘の仕事だなんて思ってるんでしょ、いい気になって」


 奥の部屋を見据えながら廊下のまん中でそう吐き出し続ける姉を、カケルは唖然としたまま眺めている。

 突然、恵がこちらをふり向いた。涙が目じりから生まれようとしていた。口がへの時になっている、この顔はカケルが幼い頃、二回ほどみたことがある。八歳も離れているので彼女が泣いたのはあまり見たことがなかったが、彼女が小学五年の時と中学一年の頃に、友人ともめたのか振られたのか、部活で先輩にいびられたのか濡れ衣を着せられたのか裏切られたのか、ともかくそんな、泣いてもいいだろうというようなことが原因でこんな顔をしていたことはあった。その時もカケルには、気まずいものを見てしまったという苦い思いしか残っていない。今も

「あ」

 恵が、きっ、となって睨んだのでカケルはつい、一歩二歩、後退りする。

「なによ」

 押しつぶされたような声で恵が聞いた。ことばの投げつけられただろう奥の部屋からは、物音ひとつしない。


「あの……」


 情けないことに、カケルはつばすら呑み込めない。


「あの……」

 恵がわずかに目線を外した瞬間をねらって「何でもないよ、ちょっと出かけてくる、って」

 そうきびすを返そうとしたとたん、彼女が鋭く言った。

「タクミのお迎えは」

 えっ、今日は頼まれてない、そう言おうと口を開けてふり返ったが、つい

「いつもの時間?」聞いてしまう。

 恵は何も答えず、じっと彼をみていた。

「あのさ、俺4時に玉川町まで用事あるんだ」

「その前に何か用事あるの」

「いや……別に」

「じゃあ間に合うよね」

「ああ、うん」

 お願いね、と低い声でようやく恵は付け足し、カケルは、うなだれて母屋へと戻った。


 履歴書は次の機会に使おう、結局、大切なお薬を作る仕事には自分は向いていないのかもしれない。


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