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02


 十五になった五月の晩、十三夜月の中、太一は祖父母の家を出た。

 表の明るさに、彼はどこまでも歩き続ける。

 どうやって行ったのか自分でも解らないまま、気がついたら草だらけの道をたどっていた。

悪いとは思ったが、じいちゃんの財布から数千円抜き出してきていた。もらった小づかいも全て持ってきた。

 しかし、以前は機能していたコンビニエンスストアという類の店はすっかりと姿を消していたので、夜なかに少年が買い物できるような所はない。

ばあちゃんが隠してあったかりんとうやせんべいも少しだけ持って来ていたので、時おり歩きながらかじっては、腹を満たした。

 時おり公園の水道で水を飲み、沢があれば沢の水を飲んだ。

 それでも、なぜかどんなに歩いても疲れだけは感じなかった。

 むしろ、どんどんと力がみなぎってくる。

 太一には、自分がどこに向かっているのかなぜか確証があった。

 

 もうすぐ、みえてくるはずだ、その場所が。

 彼は更に足を速めた。

  

 朝日が昇る頃には、ゲートの端にたどり着いた。

そこから先は、誰も住んでいる様子がないようすだった。

朝日が廃墟の白をオレンジに染めている。

 太一も聞いたことがあった。意思無き排除という名前の災厄が襲った地区に隣接していた町のひとつのようだ。

 彼はためらわずにゲートの隙間をくぐり抜け、中に入り込む。


 まだ立ち入り禁止は続いていたらしく、まれにパトロール車両が通りかかる、その時だけ草の中に伏せ、車をやりすごす。思っていたより見まわりはひんぱんに行われていた。そのせいで、今までよりもずっと歩みは遅くなってしまった。

 それでも、すでに目的の場所はすぐ目と鼻の先、そんな強い思いだけが足を動かしている。


 日も高くなった頃、元商店街らしき通りのひとつで、いきなり目の前に白いなにかが飛び出してきた。

 犬、しかも野犬のようだ。それも数頭、群れをなしている。

 一頭の若いオスが太一の方に数歩近寄り、低く唸った。しかし、脇にいたもう一頭がオスの鼻づらを嗅ぐと、オスは急に太一から興味がなくなったかのように、くるりと向きを変え、他の連中について走っていってしまった。

 似たような白地に茶色の柄なので、親子かきょうだいのようだ。

 太一はそちらをずっと見守っていた。


以前、あんな感じの犬をどこかでみたような気もしたが、その記憶はすぐに泡となって消えた。

彼はぶるっと頭を振り、割れ目から伸びる草に覆われた路を踏みしめ、慣れた足取りで先に向かった。

 

 日も傾きかけた頃、彼はようやく目指していたものを見つけた。


母屋は既に屋根が抜け落ちていた。ガラスはすべて割れ、細い木々が屋根の上からか弱い梢を覗かせている。


 離れの方は玄関先まで草に覆われてはいたものの、綺麗な状態で残っていた。


太一は離れの棟の前に立ち、ドアノブに手をかける。

ひねっただけで、ドアが開いた。きしみがひどいかと思ったが、そうでもなく、彼はやすやすと中に入ることができた。


閉め切っていた割に、その中はかび臭い匂いもせず、ほこりっぽさもあまり気にならなかった。

 太一には懐かしい匂いに満ちていた。彼は上げてあった布団を敷いて、かすかな湿り気は気にせず横になる。枕に鼻を押し当て、何だか急に嬉しくなって布団の上をゴロゴロと転げ回った。


 パトロールを用心していたにも関わらず、いつの間にかぐっすりと眠ってしまったようだ。

翌朝、陽が昇ってあたりが見渡せるようになった頃、太一は室内をあらためて漁り始めた。

 母屋の方も見たい気がしたがあまりにも荒廃がひどいし、なぜかこちらの離れが妙に気になっていた。


 時々回ってくるパトロールの音を耳にするたびに、低く身を伏せて音を立てずにじっとしている。

 もしも捕まったら、今度連れ戻される場所は、祖父母の家ではないかも知れない。どこかの施設……もっと酷い施設に戻される恐れもあった。


 後になって祖父から聞いたが、太一がいたあそこはまだマシな方だったらしい、それでも『国家情報省』の管轄となってからは盲信と暴力とが日常を支配していた。状況はさらに、悪くなっているだろう。


 もう戻れない。


 何度目かの待機状態の時、傾いた書棚から、青くて薄い背表紙が飛び出しているのが目に入った。本などまるで興味がなかったせいで、本棚はノーチェックだったが、その青い色が気になって、彼は棚ににじり寄り、背表紙をそっと、人差し指で引き出してみた。


 書名は『東京は海のそこ』とあった。

 一通りめくってみる、確かに絵本だった、字がほとんどない。

漫画みたいだな……太一はつい最初から読みふける。


 読んでいくうちに、記憶がつながってきた。

 

ことばの部分を読んでくれる声が聴こえてくる、男の声は少し低く、落ちついている、女の子の声は張りがあって、太一はどちらの声も大好きだった。


―― そうだ、この本を両脇から見て、俺はここの所を何度も読んでくれ、とせがんだ。なっちゃんが「セリフもないのにどうやって読むの」と言ったらそうちゃんは


「そうちゃん」


 急に口にのぼった名前にまだ記憶が追いつかないうちに、太一は立ち上がる。絵本がぱさりと床に落ちた。


 風を入れようと少し開けた窓の外に誰か立っていた。

 ほんのかすかに、風が匂いを運んできた。


「そうちゃん?」

 太一はおずおずと呼びかける。


「どうしてそれが気になったの?」

影が答えた。張りのある声で、ドアを開けながら言う。

「ようやくそこに戻したばかりだったのに。大変だったのよ、絵本一冊運ぶのだってさ」


「えっ?」太一は腰を浮かせる。「誰?」


ドアの向こうに立っていたのは、小柄な女性だった。

 すらりとした立ち姿、長い髪を横で束ねている。目は力強く彼を見つめていた。


「名前訊いてんの? だったら、すゞ」


「ちょっ……」

 太一はことばにつまり、その場に釘づけになる。


「な、何で」一糸まとわぬその美しい姿に思わず息を呑んだ。


「アナタ、タイチだよね?」

 よく通る声ですゞと名乗った女性が訊ねる。太一は思わずうなずいた。


「よかった。アタシ、おとといから張り込んでたの、そろそろだと思ったから」

「何……そろそろって」


「昨日お誕生日だったでしょ? 『あの人』からも聞いてたから。

15歳おめでとう」

「あのひと、って?」


 女は少しだけ太一を長く見つめてから、さらりと答えた。

「なっちゃん。姉さんじゃん、覚えてるでしょ?」


「嘘だ……」

太一はおろおろと首を振る。

「他の家族はみんな、交通事故で死んでしまったって、じいちゃんとばあちゃんが」

「他の家族……誰がいたか覚えてる?」

 太一は目を彷徨わせる。「うん。いいや……やっぱり、ぼんやりとしか」

「なっちゃんはね、運よく助かったんだって。パパさんがとっさに高速道路の端からなっちゃんを投げ落としてね」


アンタのことも、それからアイツの知らなかったことも、なっちゃんからたくさん教えてもらったよ」

「何のこと? アイツ、って?」

「ま、細かいことは後からゆっくりね。さあ、行くよ」

そう言ってから彼女は両手を差し出した。


「ど、どこへ」

「アタシたちの住処へ、あれ? 本持ってこうと思ってんの?」


 太一は手にした絵本を見る。彼女が手を打って笑い声をたてた。


「持って行けないわよ、それ運ぶ時も大変だったんだから。なっちゃんがね、良かったら持っていって、って。私は早くは走れないから間に合わないだろうし、って特製バッグを縫ってくれたんだ。なっちゃん、全然目が見えてないのにお裁縫とっても上手なんだ。アタシも大賛成だったから、わざわざ、背おって運んだのよここまで」

「背負って運んだ、って、君が?」


 なぜわざわざ運んだのか、聴いて欲しかったようだ。女は鼻をつんと上げた。

「アパートに残ってた荷物の中に、それが入ってたから。あんまりたいしたモノ残ってなくて、その中でも一番意味分かんないものだったから、きっと大切なモノなんだろうな……って」


言葉尻が途切れ、急に慌てて付け足す。

「別にアイツが本の中にいて家に帰りたがってた、とかそんなこっ恥ずかしいコト考えてるんじゃ、ないんだからね。ただその本すっごく好きだったみたいだし他にカタミっていうほど大したものは……それにさ」


 赤くなったのをごまかそうとしているのか、えへんえへんと咳払いしてから、その人は嬉しそうに笑った。

「でももういいでしょ? 次のパトロールが来るまでに出ようよ」


 太一は足を踏み出す、段差に気づかず軽くよろめくと、その様子をみて彼女がくすりと笑う。

「それにしてもアイツとそっくりだね、その不器用ぽいところもさ」

「えっ?」

 彼女は太一の元にやってきて、彼の手を取った。

「早く変わりなよ、はやく!」

「何に?」

「狼に!」彼女は地団太をふむように言ってその腕を引っ張った。

「知らなかったの? アンタは狼なんだよ、私もだけど。なっちゃんは違うけど、今は狼の中で暮らしてるの。」

「えっ」引っ張る力はかなり強い、太一はよろめきながら叫ぶ。

「ど、どこが俺が何が狼ってそれどれ」

「違うよ、言ってることメチャクチャ」

 くすくす笑っていた彼女は、一瞬だけ目を真摯にとどめ、こう告げた。

「ピアスはなくても大丈夫、アタシが手をつないでるから。さあ、言って。


沃野(よくや)を行け』」


 太一はその言葉を唱えた。


 そして、狼となってどこまでも駆けていった、新しい仲間とともに。

 まだ見たことのない沃野へと。



《 心優しき狼よ、曠野を行け  了 》


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