01
俺は狼だ。自分では気づいていなかったが、生まれた時から多分。
教えてくれたのは、あの人だった。
十五の誕生日に、俺は祖父母の家を出た。
もちろん二人には感謝はしていた、ずっと。
でも……六歳になる少し前に施設に迎えに来てくれた一番初めの人は、本当はじいちゃんではなかった。
ずっとそう信じていた。
その晩も多分、泣きながら眠ったはずだ、泣く理由はいくらでもあった。
豆が苦手だ、教義の時間に暗記ができない、おねしょをした、年上の班員にいじめられた……眠りは自分だけの時間、逃げ込める大切な世界だった。
誰かが頭に手を触れたので目が開いた。その手が軽く俺を揺する。
「たいち」
揺り起こした力は優しい、うっすら目を開ける。
いつもの所員だろうか、もう朝なのか? と思ったがどうも違う。部屋の中はまだ暗く、同室のヒカルもユウヤも起きた様子はない。あたりは静けさに満ちていた。
「太一」
その人は俺の名前を呼んだ、懐かしい、いつも聞いていた声。
「太一、ごめん遅くなって」
俺もその人の名前を呼んだはずだ。
呼んでからはっきりと目が覚めて、がばっと起き上がった。
「ごめんな、さあ、おうちに帰ろう」
白っぽくぼんやりした姿しか覚えていない。
俺はしがみついて泣いた、泣いた。暖かさは本物だった、と思う。
「俺の袖でハナ拭くな、行くぞ」
彼はそう言って笑った。
朝になって目が覚めた時、自分がまだいつものベッドにいると気づいて、俺はまた泣いた。
夢だったと認めるには、あまりにも生々しい夢だったから。
何かが変わったと感じたのは、その日の午後だった。
父方の祖父母が突然訪ねてきた。
記憶にないくらい、昔むかしに数回会っただけの、その人たちは、正直な感想
『写真で見たことある』程度の認識だった。
向うも同じだったのだろう、面談室に入ると、二人はまじまじと俺を見た。
ばあちゃんは最初はおずおずと俺を手招きして、俺が近づくと、ゆっくりと手を回して、それから強く抱いた。防虫剤の匂いがかすかに鼻を刺す。
その脇から、じいちゃんの声が続けざまに降ってきた。
「ごめんな、遅くなって」
最初に連絡をもらってからずいぶん経ってしまった、探すのに手間取って、なんせこんな時だろう? たらいまわしもいい所だったよ。大きくなったなあ、今夜は何が食べたい? 寿司か? カレーか? ケーキも売ってる店があるんだ、今どきめずらしい生クリームなんだ、さあ、おうちに帰ろうな。
そう次から次へとまくし立ててから、はあ、と大きく息をついて、じいちゃんは俺の手を取った。
手はかすかに震えていた。それでも、温かい、本物の手だった。
俺はそれが消えないうちにしっかりと握りしめる。
でも、何かが違う。俺は何度もふり返りながら施設を後にした。
帰ったところは、自分のうちではなかった。見たこともない場所、嗅いだ事もない匂い。
誰かがいない、いつも、何かが欠けている。
それは分ってはいたのだが、俺はそれを語ることはできなかった。