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心優しき狼よ、曠野を行け  作者: 柿ノ木コジロー
第三章 ― 2 ―
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29 そうちゃん 2

 そう。前にもちらっと話したかもしれないけど、めぐみとアンタの間にはもうひとり、女の子がいてね。


 みのりという名前だった。


 メグミとアンタとは八つ歳が離れているけど、ちょうどそのまん中くらい、アンタが生まれた時には四歳だった。

 アンタが生まれるって分かった時にはメグミもミノリもすごく喜んでね、生まれたら男の子だろ、二人とも小さなお母さん気取りでさ。


 かける、って名前は父さんが決めたのよ。漢字でどう書くかって話になってね、アタシが『翔』が「かける」と読むからその字にしましょう、って言ったらあの父さんだから言いそうなこと分かるだろ?

「ヒツジに羽が生えるなど、非常識だ」だって。

 別に動物のヒツジって訳じゃあないのにねえ。それじゃあ『駆ける』とか『駈ける』にすれば良かったんだけど、やっぱり

「ウマなんて入れられるか、名前に」って、頑として受け付けなかった。


 それでよりによって、『走る』でいい、ってさ。メグミは反対したよ、それじゃあ、友達から『はしるくん』って呼ばれちゃう、って。

 それでも父さんが決めたことなんだから、仕方ないね、そう決まったものは決まった。


 そしたら今度は、ミノリがぶーぶー言いだした。

「たてゆ、いやだ」って。そう、タイチみたいに舌が回らなくてさ、あの子の場合、カ行とラ行が全然うまく言えなくて、その頃ことばの教室にも通いだしたばかりだったんだよ。それまではあんまり気にしてなかったんだけどさ、ことばの教室で指摘されたら急に、恥ずかしくなっちまったみたいでね。

 だから『か』『け』『る』なんてうまく言えないことばばっかり続いて、名前を呼びたくないってゴネ出した。最後には、大泣きでね。


 メグミがそん時、助けたんだよ。

「ミーちゃん、それじゃ、赤ちゃんのこと、『そうちゃん』って呼んだらいい」

 きょとんとしているミノリに、メグミが説明してやった。はしる、って字は『そう』とも読むんだよ、だから、そうちゃん、って呼べば?


 ミノリは大喜びしてね。


 それからずっと、アンタのことを『そうちゃん』って呼んでいた……その秋に事故で亡くなるまで……五歳になったばかりの時に。


 メグミはね、それまではちゃんと『かける』って呼んでたんだよ、あの子は案外あれで几帳面な所があるしね。


 ミノリが亡くなってからしばらくした頃から、メグミもあんたのことを『そうちゃん』って呼ぶようになった。何故かは知らないけどね。



 カケルには、何となく分かった。

 姉に伝えたい、二人の姉に。

 その呼び名は、大好きだった、と。



 施設を去るにあたって、カケルは母の手を上からそっと包んだ、包帯がジャマだったせいで

「どこでそんなケガを」

 とまた聞かれた。

「つき指だよ」

 軽く答えてから、母の目がいつになく澄んでいるのをみて、意を決して聞いてみる。


「母さん……父さんは昔」

「父さんかい?」

 母の目が優しく下がる。照れているようだ。

「父さん、昔はあれでもけっこういい男だったよ、アンタも恵も父さんに似てよかった」


「俺のこと……何か言ってた?」

「心配ばっかりしてたよ」

「えっ」カケルはつい素に戻った声で手を離す。


「運動神経がいいようで、ずっこけてばかりだったしねえ。アイツは不器用だなあ、それにやんちゃなようで案外いつまでもクヨクヨしてるし、何やらせても不器用だ、心配だ、って」

「……そう」

「俺の小さい頃そっくりだ、だから心配だなあって」

「そうなんだ」


 父の笑った時の顔を少しだけ思い出した。いい顔だったな、と今さら思った。

 

 もう訊くことは何もない、カケルは最後に母の手を握って、じゃあおやすみ、と言っただけで部屋を後にした。


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